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検索対象: 時間の習俗
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1. 時間の習俗

時間の習俗 320 中島河太郎 もう一一昔ほど前のこと、松本清張氏は『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を授けられたが、 きくまくら その受賞後の第一作として発表されたのが『菊枕』である。 これには「ぬい女略歴」という副題が添えてあって、福岡の中学教師の妻が、平凡無為の あきた ききょ・つ 夫に慊らなくて句作に熱中し、その才華のうに伴って、彼女の奇矯な言動が顰蹙を買い ついに狂死するまでの生涯が描かれている。 俳句に魅入られた女性の鬼気迫る愛執が、簡潔な筆で叙せられているだけに余韻があるが、 ひさじよ 実はこのヒロインにはモデルがあった。作者の郷里小倉にいた杉田久女がそれである。『或 る「小倉日記」伝』のときと同じように、作者は丹念に関係者にあたって、作品化した。 この作品が俳句に関心を寄せるきっかけになったのか、五年後には『巻頭句の女』を発表 している。俳句雑誌の巻頭を占めるかどうかが、投稿者仲間の重大な関心事となっているこ とに発想して、殺人事件があばかれる話である。続いてこの『時間の習俗』があるし、さら さいとうさんき つな に西東三鬼や橋本多佳子をモデルにした作品もあるから、俳句との繋がりは通り一遍のもの ではなかった。 解説 じよ あ ひんしゆく

2. 時間の習俗

時間の習俗 239 た ちそう 「いまから昼飯でもご馳走したいと思いますが、それまでに、ちょっとこちらの記録を見て いただいておきましようか」 三原は相模湖殺人事件の関係書類を鳥飼に渡した。 いちおうの内容は、 「腹はそう減ってなかです。こいつば十分検討させてもらいまっしょ : あなたの手紙で承知しとりますばってん、今度は私の方にも新しい人が付きましたけん、じ つくりと読ませていただきます」 「それでは、あとで : ・ もど 三原は関係書類を二人に与えておいて、部屋に戻り、一時間ばかり、たまっている用件を 片づけた。すんだのが一時ごろだった。 別室に引きかえすと、だいたいの関係書類は読んでしまったようだった。古い刑事と若い 刑事とがしきりとメモを取っている。 「すみましたか ? のぞ 三原が覗くと、 「だいたい、拝見しました」 と、鳥飼重太郎は皺に囲まれた眼を細めてうなずく。 「新しい発見はありましたか ? 」 「まだ記録を読んだというだけで、別に感想も浮かびませんばってん、よか参考になりまし : こいつは、あなたの言わっしやるとおり、ホシは両事件を通じて同一人物ですな。確 さがみこ

3. 時間の習俗

時間の習俗 「そうなんです。土肥さんは海津さんにだいぶんかわいがられていましたからね。さすがに 社長は来なかったが、 専務が代わりに来たとみえます」 刑事はそれを手帳に書きとめた。 捜査本部では、土肥の交遊の線から、おもだった者の内偵をはじめた。 土肥武夫は、職業がら交通関係のおもだったところに出入りしている。ことに、タクシー ひんばん 会社の大手筋五社には頻繁に出入りしていた。 そこで、五社の幹部の身辺をいちいち洗ってみた。 重点は幹部の女関係である。 内偵してみると、それぞれにかなりな女関係が浮かんだ。なかには二号として囲っている 女もあり、女に資金を出して商売をやらせている重役もいた。 この調査はかなり手間どった。しかし、相模湖畔で消えた女に該当する女は浮かんでこな いのだ。 あきら 捜査本部は、次に、女の捜査を諦めて、土肥と交際している人物の当夜の行動を調べるこ とにした。 土肥と女とを乗せた運転手の供述でもわかるとおり、それは二月の六日だった。両人が相 へきたんてい 模湖畔の碧潭亭ホテルに着いたのが六時ごろだった。 さがみこはん ふたり

4. 時間の習俗

時間の習俗 ただ、そういう場合の加害者は、えてして感情的に激していて、発作的に殺害にまで持っ てゆく場合が多い。犯人はかっとして、冷静な判断を失ったともいえる。 だから、三原紀一の推定でも、そう無理ではないと考えられそうだった。 数次の会議の末、だいたいの意見は、その女の単独犯行とするには少し弱いという点に固 まってきた。 また、痴情説を原因とする一方に、それとはまったく離れた別な怨恨説も考えられた。 これには、土肥武夫が業界紙を発行している関係上、かなり敵をもっていたのではないか という推測である。 本部では、土肥のそのような関係を洗いはじめた。 現在、交通関係の業界紙は四種ほどあった。一紙は戦前からあったもので、あとの三紙は 戦後の発行である。土肥武夫の『交通文化情報』は五年前に発行されたもので、戦後の三紙 のうち二番目に古い。 評判をきくと、だいたい、その報道は公平だという意見が多かった。業界紙は、たいてい、 経営者側から購読料のかたちで寄付金を取っているが、土肥武夫はそれほど強引なやり方で はなかった。どちらかというと、おとなしい経営方針だった。だから、彼が経営する業界紙 をめぐる紛争というものは、その調査に浮かんでこなかった。つまり、彼には格別敵という ものがいなかったのである。

5. 時間の習俗

ぐらいだったら、忘れることはあるそうです」 「名古屋には自動車製造工場があるな」 つぶや 三原は呟くように言った。 「被害者の土肥武夫も名古屋にはたびたび出張したと細君も言っている。また峰岡周一もタ クシーの車を購入に出張したことがたびたびだそうだ」 三原は、自分の頭の中の映像をどれかの線の中に入れようとしていた。 峰岡周一には女性関係はなかった。三十七歳の今日まで妻も持たずにきている。してみれ 俗よ、他の女性関係があってもふしぎはないのだが、ずいぶんと調べてみてもわからなかった。 習 だが、女性関係が別な歪んだかたちで考えられないことはない。 の 可人もの女がいたことは捜査上の ところが、殺された土肥武夫はどうだったろうか。彼はイ 間 事実でわかった。峰岡周一の場合とは違うのだ。 時 峰岡は土肥を大阪の " おもしろいところ ~ に連れていったという。その、おもしろいとこ / だったのだ。 ろというのは実は名古屋の " ゲイ・ ーの人間ではないかと気づいたのは、皇居前の広場で見かけた男女 例の " 女 ~ がゲイ・ の服装の倒錯現象がヒントだった。 たたず ここで、土肥武夫が相模湖に行く途中、青梅街道の高円寺一丁目電停あたりに佇んでいた 女の姿を考えてみる。このときは、土肥武夫は須貝新太郎とはまったく知らないで、完全な 女性だと思いこんでいた、と考えられる。 229 ゆが おうめ

6. 時間の習俗

時間の習俗 その後、峰岡周一氏について新しいことがわかりましたのでお知らせします・ : 厚い壁の前に立って、どうにもならない状態のときである。三原は手紙の文句を読まない 先に、早くも一条の光明が洩れてくるのを期待した。 「前便にも申しあげたとおり、峰岡周一氏は二月七日午後一時より当地の大東商会に姿を 見せたことは間違いありません。同商会の人が全員証言していることですから、この証一言 しんびようせい は十分信憑性があると思います。 ただし峰岡氏の用事というのは、前文にも申しあげたとおり、業務についてさして大切 なというほどのことではありませんでした。思うに峰岡氏は、その趣味としている俳句の 関係で長年あこがれていた門司の和布刈神社の神事を見て、ついでに同商会に立ちょった ことと思います。 同氏はここで五十分ばかり雑談を交わしております。すなわち、一一時前に同商会を出て、 博多発十六時三十分の《あさかぜ》に乗っているのです。 ところで同氏が二時すこし前に出て《あさかぜ》に乗るまでの時間、約二時間半ばかり をどこでどうしていたかこれまであまり気をつけていませんでした。というのは、これは 相模畔の犯罪とあまり関係がなさそうだからです。 しかし、私はこのことにふと疑問を抱きました。本当にその時間の同氏の行動は、その 前夜に行なわれた湖畔の凶行と関係がないと言いきれるかどうか。地理的にも、時間的に も、事件発生とはまったくかけ離れているので問題にしていなかったのですが、私はこれ

7. 時間の習俗

時間の習俗 ら さがみこはん 相模湖畔から逃げた女が問題である。 あいた 被害者の土肥武夫が湖畔のホテルに誘いこんだところをみると、土肥とはよほど親密な間 柄とみえる。しかし、女中の言葉でもわかるとおり、女はまだ土肥とは深い関係を結んだ仲 ではないようであった。 調べてみると、土肥には女関係がないではなかった。捜査本部では、その一人一人につい て当たってみたが、湖畔から逃げた女に該当する者はなかった。 だから逃げた女は、土肥の周囲の者が言うとおり、彼の新しい相手だったと考えられそう である。 この女が本部ではどうしても突きとめられなかった。二人を乗せた新宿の運転手の話によ ると、女は高円寺一丁目の電停付近で待ちあわせて、土肥の車に乗りこんでいるから、その 辺一帯に彼女の住まいかあるようにも思える。 捜査本部は、ホテルの女中の証言と、運転手の記憶でその女のだいたいの輪郭を作りあげ 彼の周辺

8. 時間の習俗

時間の習俗 かりだから自分でも買うはずだ。 しかし、だんだんわかってきたぞ。 三原は、自分で書きとった十六人のメモの文字を見つめている。 峰岡周一は実在の人物の名前を利用して定期券を買ったのではあるまいか。つまり、当人 には無断でその名前を利用したのだ。 なぜ、そんなことをする必要があるのだろうか。 定期券は、普通定期なら架空の名前でも証明なしに取れる。だから、わざわざ実在の人物 の名前を利用しなくても架空の方がずっと楽なわけだし、あとでわかるということもない。 峰岡はこの十六人の中の誰かになりすまして、その身分証明に定期券を利用した。そうだ、 これはまず間違いはない。 、それだけのことだったら架空の名前でもいいわけだ。それを実在の人物にしなけれ ばならないというのは、それだけの必然性があるからである。それはなんだろう ? また、峰岡はこの十六人の中の誰かをどうして知ったのか。 そこで気づいたのは大東商会の関係だった。峰岡は取引関係で大東商会に行くから、そこ の社員の名前や住所ぐらいは知っていた。だから、この十六人の中には大東商会の社員がい るかもしれない。 たか、かりにいたとしても、その名前を使うことでどのような利用価値が生まれるのか。 鳥飼がいちいち当たってくれたのだから、当人たちはそれぞれ二月七日に定期券を買った

9. 時間の習俗

時間の習俗 41 か男を殺したのではないかという仮説は成りたたないことになる。 これも女中の証言だが、土肥武夫は、その晩、女とホテルに泊まりたがっていた。女中が、 今夜はどうしますか、ときくと、確答はしなかったが、それは女の意志をもう少し確かめて から決めたいという様子があった。 こうなると、だいたい、二人の間は想像できる。つまり、彼女は、最近土肥にできた女で あろ、つ。、、こか、 なまだ肉体関係にまでは発展していない。二人は相当親密を重ねたが、土肥は、 その晩、彼女を湖畔の宿に誘いだして、最後の関係を結ばうと思ったにちがいない。 このことから考えると、土肥と女との交際は、それほど長くないとみられる。捜査本部は キャパレーといったところを この点から土肥武夫が最近足しげく通っている料理屋、 詳しく調査してまわった。 しかし、この線からもまた該当の女は出てこないのであった。 「どうもふしぎだな」 と、捜査本部の係官は首を傾げた。 「殺しの動機がわからない」 えんこん しかし、そのうちに新しく怨恨説が出てきた。 みはらきいち それを言いだしたのは、警視庁から応援にきた捜査一課の若い警部補、三原紀一だった。 捜査本部は、神奈川県警察本部と東京警視庁との合同捜査になっていた。凶行現場は神奈 川県側だが、被害者は東京の人間であり、また加害者も東京の女だと推定されたので、両者

10. 時間の習俗

時間の習俗 201 この六日のあとが全然わからないのだ。 もし、峰岡の殺人が実際だとすると、その女はよほど峰岡に密着していた関係でなければ ならない。 三原は、その線から峰岡の身辺をずいぶんと洗ったが、女関係にはきれいだった というのだ。むろん、相模湖畔に現われた女の人相を言っても誰も知っていない。 しかし、前後の事情から考えて、その女が峰岡の協力者であったことは間違いないのだ。 すじよう いったい、その女はどんな素性で、また峰岡とはどのような事情で結ばれていたのであろう ー刀 現在の峰岡の行動からその女の存在を探ることに三原は全力を尽くしたが、これもまった く手がかりがっかめない。峰岡がその女を協力者として使ったなら、その逃走先を彼が保障 していなければならない。生活費も、潜伏先の費用も、みんな彼の手から金が出されていな ければならなかった。 だから、峰岡の毎日の行動を追えば、必ずその女の隠れているところにつながらなければ ならないのだが、 それがどうしても浮かんでこない。峰岡がたいへん上手にその女を隠して いるか、あるいは三原の考え違いかである。もちろん、峰岡が女のもとへ直接に出向くこと は危険だから、彼はなんらかの方法で、その中継的な人物を設定していなければならない。 それも調べてみた。また金を与えるにしても、自分が直接に行って手渡す危険を考えて、送 金ということもある。それで峰岡が送金する、あるいは送金している事実をできるだけ調べ てみたが、それも浮かんでこないのである。