入っ - みる会図書館


検索対象: 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常
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1. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

ふーむ、本当に不思議な素材だ。 なんと一度固まった漆は、酸でもアルカリでも温度変化でも、ほとんど劣化しない という。そのため、縄文時代の漆製品がほばそのままの姿で出土したりするそうだ。 : ロマンで 使っていた人がとっくの昔に死んでいても、何千年も残り続ける漆製品 ある。 「やつばり、宇宙の果てから生まれてきた物体ですよね」 の大崎さんは、しみじみと言うのだった。 の ち お天才たるゆえん 天 絡繰り人形の佐野さんは、どんな漆器を作りたいのだろう。 てっさび 「漆の技法で、表面を鉄錆そっくりに塗る方法があるんです。それを利用してみたい ふた です。見た目は鋳物。なのに持っと非常に軽くて、蓋を開けて中を見ると、色とりど りの漆のつやがあるとか : : : びつくりしますよね 絡繰り人形と同じく、佐野さんは「見た人の驚き」を大事にしているようだ。 だけど僕は、ちょっと不思議だった。漆芸をやりたくて藝大に入った佐野さんは、 一方で千を超える部品を作ってまで絡繰り人形を組み立てている。どうしてそれが両 もの

2. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

吉野さんは彫刻科に在籍しながらも、音校の生徒とも積極的に関わるようにしてい る。さらにコンサートを含む、様々な展示会、イベントに足を運んでいるという。 「最近、京都や大阪くらいだったら、さほど遠いと思わない自分に気づいて」 「そんなところまで行かれるんですか ? 」 「本来はわりと引きこもりなんですけどね。でも、ちゃんと調べようとすると足を運 ばざるを得ないんです 藝「でも、当初の『仏像』という目的とは離れてきちゃいますね」 京 東「そうですね。僕自身も迷ってるんです。これからどうなっちゃうのかな、と」 秘「彫刻科では、どんなことをされてるんでしよう ? 」 の 後「現代的な素材、例えばプラスチックだとか、そういったものに取り組んでみたいと 思ってます。伝統を受け継ぎ、守っていくという考え方もある一方で、芸術の新しい 発展を生み出していくという考え方もありますよね。僕はそっちの方が気になってて。 かたよ 伝統を否定する気はありませんけど、それだけに偏りたくないんです」 「そ、ついえば、三年生から講座を決めますよね」 彫刻科では、一、二年生のうちは基礎課程として様々な素材を扱うそうだ。粘土、 木、石、金属、樹脂・ ・一通り経験したところで、三年生からは講座に入る。講座は 322

3. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

ったんですよね。どういうわけか離れられないんです。美術は、好きかどうかはわか らないんですけれど、腐れ縁的な存在ですね : 腐れ縁。決して肯定的ではない言葉が出てきたことに、ぎよっとした。 彫金専攻の岩上さんも、似たようなことを一言う。 「私、もともと藝大に行く気はありませんでした。高校が美術系だったんですけれど、 由なんというか美術ばっかりやってて、視野が狭いまま将来を決めていいのかなって思 ったんですね。環境を変えたくなったんです。でも、他に行きたいところもなくて」 ス ア ほっりほっり、続ける。 「それで一年間フリーターしたんです。なんだか、美術が嫌いになってたところもあ 大 ったので。美術と関係ないバイトをして過ごしてました。でも、暇な時に何するかっ ていうと : : : 雑誌を読んでは、このレイアウト作ったりする人になりたいとか。ジュ エリーを見ては、これを作る人になりたいとか : : : そんなことばかり考えてしまうん ですよね。じゃあ、やつばり美大行くかなって。どうせなら藝大を目指してみようつ 「結局、美術に戻ってきてしまったんですね」 177

4. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

178 「離れられないんです。何だか、ー リき戻されたみたいな。人間って、美術から逃れら れないものなのかもしれません。正直、彫金も向いているとは思えなくて。夏休み頃 は、いじけてたんです。みんなうますぎ、私向いてないって : ・。課題に追われてた りすると、作るのが嫌になりますよ。でも、課題とか何もなしに家にいても、やるこ となくて : : : 結局、何か作りたくなるんです」 岩上さんが眉を八の字の形にする。 藝「これから自分がどうなっていくのか、不安になりますね。もう少し美術、やってみ 京 東ようって今は思ってますけれど : : : 」 境 秘 うよきよくせつ の 「僕も、藝大に入るまでは紆余曲折がありました」 最 鍛金専攻の山田さんも頷く。 「もともと、うちの両親が美術系の大学に行くことに反対だったんです。東大を目指 せ、そういう方針で。ですが受験に何回も失敗してしまって。その間に妹の方が先に 合格しちゃったりして、さすがにそろそろやばいぞ、となったところで親も藝大を目 指すことを認めてくれたような次第で」 「そうだったんですか」

5. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

生きていくのか、十年後、二十年後はどうするのか、といった話を聞くことはほとん どない もちろん、不安ばかりを募らせても意味がないのだろうけれど : しかし中には、決意を持って将来を考えていない人もいる。 山口泰平さんは、理知的な瞳をきらりと輝かせて言、つのだ。 藝「将来のことは何にも考えてないですね。その時その時で、面白いと思ったことをや 京 東っていこうかと。レールに沿って何かをやって行けば成功するとか、そういう世界で 境 秘 はないと思うんです。やりたいことをやるのが大事なんじゃないかとー の 後山口さんは東大の工学部で建築を学んだ後、社会人経験を経て藝大の作曲科に入っ た異色の経歴の持ち主だ。もともと音楽に興味はあったが、中高一貫校にいたことも あり、流されるまま勉強しているうちに東大に入っていたという。 とら 「最初は、社会の役に立たなければいけないということに捉われていました。でも東 大で、建築の先生が言っていたんですね。『全ての建築は個人的な欲求からスタート する』と。依頼主のためとか、社会のためじゃなくて、個人的にやりたいことがあっ ししと。なるほど、 てこそ、だそうです。他者のニーズとは後からすり合わせていけば、、 0

6. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

「あ、指輪ですね」 大きな白い石がはめ込まれた、銀製の指輪。やや大きめで、僕の親指でもなんなく 入る。 「ジュエリー作りの課題がありまして。宝石の専門家の方が講師に来られて、原石の めのう 削り方から学ぶんです。これは瑪瑙を使っているんですが、グラインダーという回転 するヤスリみたいなもので、原石を削って磨いて丸くしていくんです、 藝「ヤットコなどで、原石を挟んで ? 」 京 東「いえ、素手です」 「素手なんですか ! 」 の 「最初はもう、怖いですけど。だんだん慣れてきますね 最 布いなんてものじゃない。失敗すれば爪がなくなるという。危険と隣り合わせだ。 : クマノミが泳いでますね」 「こちらは : だえん 金属製で楕円形のジュエリーケース。大きさは眼鏡ケースより少し大きいくらい。 蓋の部分にクマノミとイソギンチャクが描かれている。 「これ、銀製ですか ? 」 : 純銀を買ってくるんです。こういうや 「はい、銀です。まず問屋さんから笹吹き : ささぶ つめ

7. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

佐野さんは即答した。 「 : : : それは、絡繰り人形とは関係なく ? 」 わん 小さい頃から好きだったんで 「そうですね。漆のお椀とか、独特な魅力があって : しつ、けい す。最初から工芸科の漆芸専攻に入りたくて、受験しました」 ふみ 佐野さんと同じく漆芸専攻に在籍する大崎風実さんも、漆の魅力にとりつかれた一 しゃれ の人だ。喫茶店で向かい合った大崎さんは、可愛らしくてお洒落な女子大生。ただ、そ 頭 のの手だけがちょっと荒れている。 お「漆は、あの質感がいいですよね : : : 字宙の果てから生まれてきたみたいな。私、母 天 が茶道をやってまして。そこで漆の茶器を見て、好きになったんです。黒い深みの中 きれい みずみず に、瑞々しい緑のお茶が詰まってて : : : 綺麗でした。でも実際に漆を扱ってみると、 なかなか大変でした」 「どういった大変さがあるんですか ? 」 「工程がとても複雑なんですよね。漆を一度塗っただけじゃ、あのつやつやの質感は 出ないんですよ。塗って、乾かして、また塗って : : : 時には布や紙を載せて貼り固め たり、そこにまた漆を塗ったりして、何度も重ねていきます」

8. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

柳澤さんもお母さんがピアノの先生で、子供のころからピアノを習って育ったそう ヾ、」 0 「コンクールの上位常連、あるいはすでにコンサートで客が呼べる : : : そんな人たち が、みんな藝大を目指すわけ。だから藝大には頂点っていうか、最高峰っていうか あこが : 凄いプランドイメージがあるんだよね。本人よりも親のほうが憧れてるケースも あったりして。自分は藝大に入れなかったから、せめて娘だけは入れたいっていう」 藝壮絶な戦いであることが何となくわかってきた。ちなみに柳澤さんは結局、器楽科 京 東ピアノ専攻ではなく、楽理科に入っている。僕は理由を聞いてみた。 秘「断念したのー の 「どうして ? 最 「練習しすぎで、肩を壊しちゃって : : : 全力で弾けなくなっちゃったの まるで、プロ野球選手だ。 三浪くらいは当たり前 「うん、君には才能があると思うけど、三浪は必要だろうね」 妻が藝大彫刻科を志した時、先生にそんなことを言われたという。妻は奮起し、何 すご

9. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

さなければ入ることすらできない。あちこちに「不審者注意」などと張り紙もされて いる。不審者の一人である僕は、びくびくしながら妻について歩く。 ある音校卒業生が教えてくれた。 「防犯意識は高いですよ。女の子に、ストーカーっほいおじさんがついてきたりする んです。それから楽器には高価なものが多いですから」 「やつばり盗難を警戒するんですね」 国 从「そうですね。昔、ピアノをまるまる一台盗まれたことがあったそうです」 剛「えつ、ピアノをまるまる一台 ? 」 の 「業者の振りをして泥棒が入ってきて、『運び出しますんでー』と。みんな、そうい 不 、つものかと田ハったらしく : 「豪快な泥棒ですねー 「それから、これは滅多にないことですけれど。上手な女の子のヴァイオリンが、壊 しっと されるという事件があったんです。犯人はわからないままですけれど、誰かに嫉妬さ れたんじゃないかって。そういうことが起きてもおかしくない雰囲気というのは、あ ります」

10. 最後の秘境東京藝大 : 天才たちのカオスな日常

アスファルトの車、ゴミ箱ポスト そんな村上さんや植村さんが作っている作品もまた、何でもありだ。 村上さんが一枚の写真を見せてくれた。 「アスファルトで車を作って、駐車場に置きました。アスファルトの上にアスファル トの車があるのって、面白いかなって。これ、タイヤもアスファルト製ですけど、ち 質やんと回るんです。押せば走るんですよ ! 」 うれ 小さなアスファルトの車の中から村上さんが嬉しそうに外を覗いている。 端 「友達に無理やり中に入れてもらったんです。ドアとかなくて、窓しかないんで、そ 先 瓰こから あとは、こん 。小柄な私だから何とか入れました。頭ぶつけましたけど : なのとか。ゴミ箱ポスト」 次の写真。ゴミ捨て場に赤い郵便ポストが置かれている。 「これ、一見ポストですけど、実はゴミバケツなんです。赤く塗って郵便マーク書い て、それつほく作りました。実際にゴミ収集所に置いて、ゴミ収集の人が持ってって くれるのかどうか、実験したいなーなんて思って。ふふつ アートといっても、村上さんの作品は子供のイタズラのよう。面白い 243