拍手とは、もともとは原始民族が様々な儀式の終了の際に、体の中に溜った緊張感から自 己を解放する為に踊りを踊った、その名残りが小さな手の動きに象徴されているものだそう です。ですから大きな音を出せば出す程、音楽によってもたらされた内面的な緊張が解きほ ぐれ、解放感に充たされるのだと思いますが、ヨーロッパの拍手が、その解放感と共に、外 に向かって自分の感情を大きな声で叫びに叫ぶ自己表現の音に聞こえるのに比べ、日本では、 自己の喜びを内に噛みしめながら〃ありがとう、御苦労様〃と私達演奏者に言って下さって いる様なーーーー勿論色々な方がいらっしゃいますから、とても一概に言えることではありませ んけれどもーーー拍手の響き、といった感じがします。そして面白いことには、若いお嬢様達 に多いのですが、喜びに輝いた表情でありながら ( 手のひらの窪みを叩くかわりに ) 指先と 指先を合わせて小さくノ ( 、拍手をされる方もいらっしやる様です。 お客様の拍手というのは、演奏者に影響を及ばすこと大で、例え本人の調子や気分のすぐ れない様な時でも、盛大な拍手によってそんなものがすべて吹き飛んでしまうこともある程 です。そして又私達演奏者は、五曲、六曲、十曲、とお客様からいくらでも限りないアンコ ールを求めて頂ける様な素晴らしいコンサートをしたい、 と一生懸命練習を積み重ねていま リ 4
う〃とか〃疲れているのに大変でしよう〃といったお声を耳にしますので、もう一度改めて、 アンコール及び拍手のことについて私の想いを記してみたく思います。 私達演奏者はプログラムの終了時点にいては、自分が燃え尽き終わって疲れた状態では なく、ちょうど燃焼の最高度にあり、今晩の自分の出来はどうだったかしら、お客様には充 分喜んで頂けたかしら等という〃不安〃と燃焼とで頭も胸も一杯にして拍手を必死に待ち佗 びています。それまで自分なりに精一杯自分をさらけ出して燃えてきたものですから、それ を聴衆の方がどの様に受け止めて下さったか、それをお客様が表現して下さるのを体全体で 待っています。そして私達が自分のすべてで舞台の上から投げかけたものに対してお客様が 心からの喜びと感動を大きな拍手やプラボーで返して下さる時、例えそれが何分、何回続こ うとも、私達が最大に幸せな想いを持てる一時なのです。演奏する人というのは、余り〃日 本的ではない仕事〃。 , こ従事しているのかもしれません。ですので、日本のお客様が″疲れて 大変でしよう〃と思って下さる御気持ちは後になりますと大変ありがたく感じますものの、舞 台上にいる瞬間にはなかなか伝わりにくい様です。 偶然にも先日、ある新聞で〃ヒールを脱いだプリマ〃という見出しのもとに、カーチャ・ リ 0
されています。ですから本当に疲れた場合やコンディションの状態によって演奏者が自分で 打ち切ることが出来ます。テレサ・ベルガンサは、リサイタルで七曲目のアンコールを歌う 際に〃少し疲れましたのでこれを最後の曲にさせて下さい〃と言いましたし、ヘルマン・プ ライは、それでも拍手が鳴り静まらない時には、茶目っ気たつぶりに聴衆に向かってコトン とピアノの蓋を閉めてみせたりします。ヨーロッパにいて演奏者の方からカーテンコール やアンコールを打ち切る場合には、よく、それまでピアノの上等に置いてあった花束を舞台 袖に持って引っ込み、お客様にこれが最後ということを示したりする形もとられる様ですが、 それでもまだ拍手が続くことも稀ではありません。そして演奏者は、絶対に疲れた体をひき て ずってアンコールに出てくるわけではなく、むしろカーテンコ・ールに呼び出される毎に幸福 っ 感に漲ってゆく、という方があたっているでしよう。 コ よく、日本のお客様と外国のお客様との違いは、と尋ねられることがありますが、ひとっ ン ア はこの拍手及びアンコールについての考え方、感じ方と言えるかもしれません。そして少し それに付随して ( 感情の表現方法が異なることにも繋がってゆくのかもしれませんが ) 、何と拍 なく拍手の〃質〃も違うかしら、と思うこともあります。
お客様の笑う個所が違う / 劇場の公演生活の中で一番大変に感じたのは、同じ作品を何度も続けて一シーズン中に四 十回近く演じた折でした。こういうものは大体オペレッタ的な作品が多いのですが、所謂〃オ ペラ〃に比べますとやはり娯楽的な要素が強い為、音楽のもたらす緊張感に頼ることが余り 出来ません。ひとつのセリフもひとつのフレーズも、とにかく″自動的〃になってしまわな い様に、その度に新鮮な思い入れでお客様に伝えてゆくというのには本当に非常な集中力が 必要です。自分の中がだらけそうになってしまう度、プロードウェイの人々や日本のお芝居、 劇団四季の仲間等を感嘆しなから想い浮かべて気持ちをひきしめたりしました。特にコミカ ルな味の役の場合は余計に気をつかわなければならない様な気がします。 コミカルな役といえば、これこそ私にとってはウルムでの大きな収穫のひとつでした。自 分には向いていない、出来ないと思い込んでいたものが、いつの間にか少しづつ自然にそれ を演ずる面白味に浸されてゆく、そんな嬉しさは肌に新しい感覚でした。コミカルなもの程 毎回お客様によって反応が異なり、それに対応しながらセリフや次に移るタイミングをその
ういうものか、舞台の立姿や表情から聴衆に伝わっていかねばならない、そして、ひとっ《霧 と話した》 ( 鎌田忠良作詞・中田喜直作曲 ) という曲を例に挙げれば、〃わたし 出した時、その〃わたし〃がどんな気持ちの状態の中で歌われる、或いは語られる〃わたし〃 これ なのか、それが声にも歌い方にも、そして眼の表情にも表われていなければならない、 は、舞台の上に立ち演奏する私達歌い手としての、お客様に対する最低限の〃義務〃と考え ています。ここではそれをたまたま日本の歌に結びつけましたけれども、本当は何語の歌を ん 歌う場合も全く同じことですし、私もそれなりに努力をしているつもりなのですが、やはり わ ン 言葉の障壁を破って突っ切ってゆくというのはなかなか難しいのかも知れません。それでも、 ゼ ン 少なくとも楽しい歌は楽しい様に、悲しく寂しい歌、また情熱的な歌は各々その様に聴いて ゼ 下さる方に伝わってゆく様、グリュンマー先生の言葉を想い出しながらいつも〃必死に〃頑ん 張ってみています。「例え言葉が通じなくても、あなたを見ているだけで、お客様にその歌のク シ 内容を感じ取って頂けなければならないのよ。」 ク ステージは、今述べて来ました様に、お客様と面と向かって立っ私達歌い手にとっては視 覚も大変大切で、また大きな助けにもなるのですが、録音というのは本当に無慈悲なもので 〃と歌い
等々、これ等の日本語は主人と二人の我が家の生活の中だけでなく、 しつのまにか、ウィー ンに住む主人の両親宅においても時折使われる様になりました。ところで、日本でどこかへ 買物にゆき、その場を去る場合、売り子さん側は " ありがとうございました。と ( 万国共通 に ) = 一一口うのですが、お客様は ? 。返事の言葉はないのでしようか。外国語では、おそら く必ずと言っていい程 " それではまた。とか " さようなら。とか受け答えをしてお客様がお 店を離れますが、その習慣が身についてしまった私は、日本でお店を去る折 " ありがとうご ざいました。という声を耳にするたびに、そのままその声を聞き流しでは大変失礼な様な気 がし、かと言ってふさわしい返事の言葉も見つからず、まごまごと当惑してしまいます。何 かいい返答の仕方はないのかしら、といつも頭を悩ませるのですが そう言えば、飛行機から降りる際のスチュワーデスの挨拶も、外国の航空会社では " また どうぞ。〃またお会いしましよう。というものなので、適応した受け答えが出来るのですが、 日本の航空会社、例えば»--.<*-a の場合は″ありがとうございました〃″お疲れさまでした〃が ほとんどですので、毎回 ( お店の時と同様 ) 当惑の笑顔をお返しすることになってしまいま す。たまに〃、 お気をつけて。さようなら〃などと言って下さる方がいらっしゃいますと、ホ 142
リッチャレツリというソプラノ歌手の大阪でのコンサートの模様を目にしました。それに拠 り - ますと、 オペラ・アリアのタベだったにもかかわらずーーー拍手に応えて何と十一曲も アンコールを歌い、十一曲目の時にはストンとハイヒールを脱いでピアノの下に置き、裸足 で歌ったとか。そのイタリア人のサービス精神の素晴らしさと共に、もしも日本人だったら 靴を脱いで舞台で人前に立ったことに非難ごうごうとなることがあり得たかも、等とも記さ れてありました。それを読みながら、リッチャレツリはコンサートの夜大変幸せだったに違 いないと思うのと同時に、私の場合、聴衆の方から〃疲れて可哀そうに〃という思いやりの 御気持ちを頂くのは、私が日本人だから、つまり、お客様が同胞意識を持って下さるせいも て あるのかしら、等とふと思いました。ただ、舞台に上がった際には、日本人であるという意 っ 識よりも″歌を歌う人間〃という気持ちになってしまうものですから、もしかしますと、同 胞意識を持って下さるお客様との間にギャップの出てきてしまう恐れがあるかもしれません。コ ア リッチャレツリばかりではなく、外国の多くの歌い手の方達は、何回カーテンコールに出 たとか何曲アンコールを歌ったかということを大変誇りにする様ですし、またそれを演奏会拍 の成功のバロメーターとして考えたりする程です。テノールのプラシード・ドミンゴが何年
〔音楽のよろこび ' いとも美わしきみドイツへ 7 アーシャウへそうやって行くの ? 7 おばさんと猫と鳩学校生 活の中で音楽的ショックを与えてくれた伴奏者幻 ′クラシックなんてゼンゼンわかんないけど 〃修業〃時代からキスシーンへれ 第一のカルチャーショックれ先生と〃優等生 〃初めての《メ サイア》 鈴木先生のデスデーモナへの要求〃先生とは呼ば ないで下さゝ ウルム劇場に入って 偶然のイフィゲニア劇場の規則と〃飛びこみ〃 6 台上の恋人お客様の笑う個所が違う / 贏 初めてのレコード 邪魔にならない歌 ひとひらの手紙 ドイツ語の宵待草故・立川さんのお言葉 〃余り勉強しないで歌って下さゝ 七変化と舞
こんでいた様です。彼と私の背恰好や声質もよく合っていたせいか、新聞には〃理想の恋人 同士〃と書かれたり、お客様から随分とファンレターを頂いたりしましたが、舞台上では本 当に恋人同士だったーーー自分でもそう思える程、毎回彼とこの《ポエーム》を演ずるのは私 にとって大きな楽しみでした。 ( その実、プライベ ートな付き合いはほとんどなかったのです から、〃演ずる〃というのは本当に不可思議なものです。 ) ミミが死ぬ場面では、私のロドル フォはその前から涙が吹き上がった目で私を見つめて、最後には〃ミミ / 〃と三回叫ぶのも ( 音符があるので一応歌わなければならないわけですが ) 大変な程、私の頭を抱えながら本気 で泣きじゃくり、私はカーテンコ 1 ルに出る前、彼の〃描き鬚〃で真黒になった顔を急いで ″お化粧直し〃しなければならないという有様でした。私の主人は時間の許す限りウルムでの いつもの様に私の批評をつ 私の公演に来てくれましたが、この《ラ・ポエーム》の時には するのも忘れてーー毎回の様に三幕から前の座席の背もたれを掴んで一生懸命嗚咽をこらえ 場 たそうです。 ム ウ
に取れば、すぐさま周囲の男性の誰かから火がさし出されます。その他コートを着せかける のも日本とは逆に男性が女性に対してする行為ですが、これ等のことは " キザ。という感覚 とは全く異なり、まさに習慣、あるいは伝統の問題です。 また別の例として、何人かで腰かけて話している際に後から訪れたお客様が紹介される折、 女性はその人が同性の年長者である場合は立って握手を交わしますが、相手が男性の時には ほとんどと言っていい程座ったまま手を差し出します。 ( 男性はいずれの場合も必ず立ち上が る様です。 ) そしてこの場合にも女性の方から手を差し出されるまで男性は握手をするのを待 たねばならない、 つまり男性から女性に握手を求めるのは失礼になるか、あるいは特別の意 味が含まれるとか このことを知らなかった為に、私はやはり紹介された相手の男性を よく棒立ちにさせてしまいました。 ( 私の方が先に手を差し出すのは何だか " 尊厳。な様な感 じが否めず、ついつい相手の方がイニシアテイプをとって下さるのを待ってしまって ところで、私や主人は仕事柄舞台上でお花を頂くことが多いのですが、彼が最近ポツンと 私にたずねました。 〃どうして日本では受け取る時に花束が包んであるままなの ? 〃私自身 は考えたことも気にしたこともありませんでしたし、コンサートの後持って帰るのには、き