段々と一曲の歌を一つのドラマの、強いて言えば一つのオペラの凝縮された世界として捕え られる様になって、ひとつひとつ新しい世界を知り、作り上げてゆくことが大きな喜びとも なってきました。リサイタル等も多くなった現在、オペラか歌曲かという問いをいくら自分 に正直に投げかけてもはっきりした答えが返って来ません。勿論、舞台上でピアニストと全 く二人きりのリサイタルは、自分達だけでそのドラマの世界や映像を作り上げてゆかねばな りませんから、或る意味では演奏者にかかる責任がより重く、難しく、また、アガル割合が ずっとずっと高いのですけれども 詩人は自分の想いや考えのたけを言葉に綴り、作曲家はその世界を自分の感性の中の音楽 と結びつけて書き上げました。私達歌い手はそれに自分なりの色を彩って生まれ出るものを 聴いて下さる方に伝えます。ただ、装置も動作もカットされている歌曲の演奏の場合、私達 に何が残るでしようか。グリュンマー先生が私達生徒に厳しく要求されたもののひとつは、 立っている体の、そして顔、眼の表情でした。レッスンの度、何メートルか離れた場所に坐 られて、ひしと私達を見つめながら、繰り返す様にいつもおっしゃいました。〃悲しいと歌っ たら眼からもその悲しさが充分に伝わらなければダメ / み〃あなたの顔はまだ「歌を歌ってい
ったら行ってみたい気はするのだけれど、自分の様にワカンネ工モノが行ってもいいのかネ 工と話してくれました。日本では暮に総計何百回になる第九公演や、最近の所謂〃クラシッ ク・プーム〃についても、その不可思議さや批判めいたものを多々耳にすることはあります が、もしも、それ等が多くの人達がそれまで触れる機会のなかった未知の世界の呼びかけを、 この様な感動を持って受け止めて下されるきっかけになり得るのだとしたら、何と素敵なこ とではないかしらと思うのです。 勿論、音楽も、 " わかって。ゆけば、また段々とそれなりの興味や面白さが増してゆくもの ですが、何と言っても大切なのは、一番初めのナイーヴな感動の喜びの世界の様な気がしま す。ただ、私達演奏者はそのナイーヴな第一段階のままでいることがなかなか出来ないのと 許されないのが一緒になって、ともすればムズカシイ音楽をやる羽目に、無意識のうちに陥 ってしまいがちですが、恐らく演奏する側の私達がムズカシイ音楽を奏でれば、やはりそれ はムズカシイ親しみにくいものとして聴き手に伝わっていってしまうのではないかと思いま す。また逆に、音楽的にかなり難解なものでも、例えば歌い手が、その音楽の核に存在して いる感性の世界を心を込めて表わそうとすれば、それは少しでもそのムズカシサから離れて
通用してきた音楽そのものの助けに、ともすればより掛り過ぎてしまい、頼り過ぎてしまう ということが往々にしてあり得るのでしよう。音楽や声という所からひとっ離れ、舞台に立 つ人間の仲間同志としてクラシック以外の世界の歌い手の人達を見つめますと、その姿勢に は、本当に息を呑む程の生命力とエネルギーを感じてしまいます。私達の場合には、仮りに 自分の自分自身の存在への努力が七〇 % であったとしても、そこに介在している作曲家の音 楽が大変助けてくれるのに比べ、彼等は、ほとんど自分の存在感と自分の作り上げる世界と で勝負する以外にありません。その彼等の自分自身の投入と主張力の凄さをグリュンマー先 生は常に私達に意識させようとなさっておられました。 形の定まっているクラシック音楽は、それ自体が表現上の大きな助けでもあると同時に或 る面では拘束をも意味するのですが、その中でとにかく精一杯自分の心を表わしてみたい、 そんな風に私はいつも考えています。〃考える〃という言い方には本当は大変語弊があるのか ほとん も知れません。実際舞台に立って歌う時点ではー、ー大変上がり性でもあるせいか ど〃考える〃余裕等はなく、ただノ音楽と詩の世界を、聴いて下さる方に語りかけてゆこ うとしているだけだからです。愉快なことに、舞台上で考えながら演奏すると、例えそれが
つくるのに大変でしよう。 私自身、これ程日本の歌を歌う様になるとは考えてもみなかったことですが、今は、この 分野はやはり一生歌ってゆくもののひとつになるだろうと感じますし、歌ってゆきたいと思 い始めました。〃恵子ちゃん〃とは少し方向的に異なったものを歌ってゆくことになるでしょ うけれども、私も私なりに少しづつ自分独特の日本の歌というものが作れてゆけたらと願っ ています。せつかく母国語で歌い、母国語で聴いて頂けるのですから、その詩の持っ世界が よ 直接に聴いて下さる方に伝わり、自分のものとして味わって頂ければ、こんな素晴らしいこ対 る とはないのです。実際のところ、レコードを聴いて下さった方々が私の日本語をホメて下さあ て ると、コンサートの度、毎回、かなりなプレッシャーを感じるのですが、一つの曲が始まっ た時、音楽を通して、そして言葉を通して詩の中の世界の人間の性格、感情の状態、またおっ 天気までもがふうっと何気なく自然に現われ、伝わってゆける様に歌ってゆけたら、そんな歌 夢の様なことを目標にこれからも日本の歌を歌ってゆきたく思っています。触れず嫌いだつ日 た新しい分野を開拓する機会を与えて下さった方々に心から感謝しています。 = = ロ
球の自転を計算にいれるのを忘れていた為に、予定していた一九八〇年代の中国ではなく、 西ドイツ、ミュンヘンの街の真只中に出没してしまいます。昔々の中国人と今のバイエルン 人との間に起こる、所謂〃カルチャーショック % その中国人がミュンヘンでの日々と体験を 何日かに一度報告書として、昔々の時代の友人に書き送るという手紙の形がとられています。 ホルマー・フォン・ディートフルトの〈それでも我々に林檎の樹を植えさせたまえ〉は私 の読む本の中ではいささか傾向の異ったものかもしれません。ある意味では大変ペシミステ ィックな内容ですが、現在の環境汚染、また世界の人口増加問題等を様々なデータに依って 検討し、我々の住む世界が今後どれだけ存続してゆく可能性があるかを真剣に追求した本で、 ドイツでは何年にもわたってベストセラーでした。ヨーロッパでのあるコンサートの折、た またまこの著者が聴きにいらしていて知り合いになることが出来ましたが、ちょうどその何 ヶ月か後、亡くなられたとの報を耳にして、大変残念に思ったものです。 書 最近読んだ日本の作品の中では三浦綾子の〈海嶺〉。史実に基いて、そこに小説としてのフ 読 アンタジーや風味を加えた作品は私の好きな分野ですが、恥しいことにこの本を読むまで山 仕事への往復の電車内での読書本に、と偶然求めたものでしたが この、海流で異国
私のベルリンでの日本人の友人が、ドイツ人は味気ないというのかさつばりしていて気持ち 力しいというのか、と少々当惑気味な顔で話してくれたことがありました。ドイツへ来て歌 のレッスンに通い出した頃のこと。レッスン代そのものは日本とは比較にならない額なので すが というより、日本のその " 市場。が世界一般が対象にならない程高いと言うべきか ともかく、そのレッスン代をきれいな封筒に入れ、レッスンが終った後、そっとピアノ の上に置いて帰ろうとしましたら、先生がニコリと笑われて " 封筒なんかもったいないでし よう ? 。と中身を取り出され封筒を返して下さったとか。日本を離れて間もなかった頃の私 は、やはりその話を一種不思議なー・ー不可解なものとして感じたのを覚えています。その私 ちょっとした習慣の違い リ 6
鮫島有美子・ CD , DVD 一覧 クレスト 1000 シリーズ日本のうた 日本のうた クレスト 1000 シリーズおほろ月夜 庭の千草 ~ イギリス民謡集 白い花の咲く頃 ~ 日本抒情歌集 2 ゴンドラの唄 ~ 日本抒情歌集 クレスト 1000 シリーズ愛のよろこび 五木の子守唄 ~ 日本のうた第 4 集 からたちの花 ~ 日本のうた第 3 集 おほろ月夜 ~ 日本のうた第 2 集 日本のメロディをうたう 私の青春のうた・ベスト 日本のうた・全曲集 鮫島有美子の四季 スーパーベスト世界の歌 日本のうたⅡ 日本のうた 日本のうたベスト 千の風になって ~ 新しい日本の抒情歌 アマリア ~ 岩谷時子の世界 祈り ~ アメイジング・グレイス 日本歌曲選集ー 5 ねむの木の子守歌 マイ・ウェイ ~ 青春のポップス ホワイト・クリスマス 日本の四季をうたう 秋桜 ~ わたしの青春のうた 夜明けのうた ~ わたしの青春のうた タ鶴 ゆりかごの歌 ~ 童謡・唱歌集 ともしび ~ ロシア民謡をうたう きよしこの夜 クレスト 1000 シリーズローレライ CD:COCO-70470 CD:COCQ-84556 (HQCD) CD : COCO ・ 70943 CD:COCQ-84654 (HQCD) CD: COCQ ・ 84455 CD : COCQ ・ 84268 CD : COCQ ・ 83852 ~ 5 CD:COCQ ・ 83453 CD: COCQ ・ 83179 CD:COCO-80131æ CD:COCO ・ 75570 CD:COCQ ・ 84267 CD:COCQ-83802 CD:COCQ ・ 83622 CD:COCQ ・ 83592 CD: COCQ ・ 83545 CD:COCQ ・ 83544 CD : COCO -80696 CD : COCO ・ 70207 CD:COCQ-83635 CD: COCQ ・ 83634 CD : COCO ・ 78236 ~ 7 CD: COCQ -83641 CD : COCQ -83643 CD:COCO ・ 75121 CD : COCO ・ 70942 CD:COCO ・ 71000 CD : COCQ ・ 83640 CD:COCQ-83639 CD:COCO-70559 CD : COCQ -83638 CD:COCQ ・ 83637 2 ( 2010 年 1 月現在 ) DVD : COBO ・ 4024
ん 「ユミコ、ロックやポップスの歌手を見てごらんなさい。流行歌手の人達を例に取りなさ い。」舞台に立っ度、故エリーザベト・グリュンマー先生の言葉が耳に響いています。世界的ン ン 名歌手と言われる方達の中でも、特にその舞台姿や音楽の気品の高さ、そしていつまでも若々 ゼ しい乙女の様な透明感と輝きを持った声で評判だったグリュンマー先生の一一一一口葉としては、大ん ク 変意外な感を持たれる方が多くいらっしやるかも知れません。先生がその言葉に託されたも シ の、また、その言葉に依って私達生徒から引き出そうとされたものは、〃舞台に立って歌うこ ク とを職業とする人間としての真髄。ということだったのだろうと思います。私達クラシック 音楽の歌い手は、声の技術的な面とともに、何百年も美しく素晴らしいものとして認められ 〃クラシックなんてゼンゼンわかんないけど〃
しか生きていなかった私には大きな、本当に大きな栄養素となりました。今は偶然にアウグ スプルクという、比較的プリーンに近い都市に住むことになって、ザルップルクやウィーン へ行く度にこの村を通りますが、その度にその当時の匂いまでがふっと鼻の先をよぎる様な 気がし、とても懐しい想いに捕われます。 おばさんと猫と鳩 こののどかな田舎町に約四ヶ月間過ごした後、とうとう西ベルリンへと移りました。ドイ ツの人々は西ベルリンをアメリカナイズされた町と表現して、第二次世界大戦後の街の顔の 変化を大変残念に思っています。西ドイツは日本の様に″中央集権型〃ではありませんし、 所謂〃標準語〃による規制というものもありません。テレビやラジオをつければ、そのアナ ウンサーの発音を聴くだけでどこの地域の放送局ということがわかる位です。ですから各々 の地域や州の対抗意識、あるいは競争意識はかなり大きいのですが、その中でもバイエルン 対プロイセンというのは大変なもので、″田舎者〃″高慢チキな冷たいャッラ〃等々お互いへ の雑言にはきりがありません。もともとは民族的に異る地域を政治上の都合で一緒にまとめ
となる。 そして聖夜。ドイツ、オーストリアでは、お祝いというより、本当に一番親しい家族と共 に静かに敬虔な雰囲気の中で迎える夜である。夕方には樅の木の下に並べられたプレゼント があけられ、家族揃っての夕食は、ドイツでは例えば伝統的な鯉料理であったりする。レス トランなどはほとんど皆閉まってしまうので、たまたまこの夜全く一人で見知らぬ地などに いたりすると、大変淋しい想いをするらしい。真夜中には教会でイエス・キリスト誕生にま つわる話が語られ、教会の中はそのミサに参加する人々で一杯になる。 クリスマス・ツリーの習慣はドイツの田舎から始まったと言われる。昔は、蠑燭の他には ドライフル 1 ツ、林檎やナツツ、わら人形を飾ったとかで、また、今では世界的に定着して しまったプレゼントのやりとりもほとんどなかったそうだ。 ( 余談だが、アメリカや日本で聖 夜に来る〃クリスマスの小父さん〃、サンタクロースは、ヨーロッパではサンタ・ニコラウス の日、十二月六日に召使いのループレヒトと共に来ることになっていて、子供達はその前の 晩、部屋の窓の脇に長靴を置いて眠りにつく。その年いい子だった子はプレゼントを貰い わるい子はループレヒトからお尻を叩かれてしまうとか : した 162