が、最終的に会得したいと望んでいるひとつの世界を強いて言葉にしてみれば、ありきたり かも知れませんが、初めてクラシック音楽やクラシックの歌に触れる方達の心にも、音楽の 難解度に関係なく、ごく自然な感動が湧き上がってゆく、そんな歌が歌える様になれたらと いうことです。よく、クラシック音楽は余り ( 或いは全く ) わからないという表現をなさる 方もいらっしゃいますが、いつの間にかクラシック音楽の中にすうっと溶け込んでいった自分 自身の過程のせいもあるのでしようか、私は〃音楽〃とは、まずわかる、わからない以前に、 ん 或る特別の感動が心の琴線に触れて体の中で鳴り響く、それを感知するところから始まるの わ ン ではないか、という様な気がします。たまたまその〃受信機〃の感度が様々な楽器、或いは ゼ ン 人間の肉声に対してまちまちで、好みの分野が分かれてゆくことにもなるのでしよう。 ゼ 或る夏のこと、某電車の駅から演奏会場まで乗ったタクシーの運転手さんが大変話の好きん な方で、一生懸命、私の仕事のことやら、その会場でその日に何があるのか等という質問をク シ されたその後、〃オレはゼンゼンクラシックなんかわかんネエンだけど〃というお決まりの文 ク 句のあと、ただ、その前の年の暮に友人に連れられて行った〃 Z 響とかいうオーケストラ〃 の第九を生まれて初めて聴いて、体の芯からぞくぞくと痺れる様な想いがした、また何かあ
なく、歌う時はやはり立ちました。足の傷よりも〃録音中。という赤いランプのもたらす緊 張感の方がずっと大きかった様で、録音の日々を通じて痛みに辛い想いをした記憶は全くあ りません。スタッフの方達は、今でもどこかの録音会場で車椅子を目にする度、〃懐しく。あ の日々を想い出す様です。 そんな状態で四十曲近く録音してしまったのですが、一体どうして可能だったのかしら、 と今更の様に思います。録音は私の好きな様にということで、日本の歌、ヨーロッパの歌色々 混ぜながら歌いやすい順番に始めてゆきましたが、二日目の終わり頃には、自分の録音した ティクを聴いても、良い悪い等全く判断のつかない様な状態になりました。緊張感と集中力 が体の中でわけもわからなくごちやごちゃに膨らみきり、頭も耳も何かでポーと一杯に詰ま った感じでした。スタッフの方や主人が、よくそんな私をガクンと落ち入らせることなく、 上手に励ましながら引っ張っていってくれたと、録音の難かしさがようやくわかる様になっ た今、改めて感謝の気持ちで一杯になります。 故・立川さんのお言葉
つくるのに大変でしよう。 私自身、これ程日本の歌を歌う様になるとは考えてもみなかったことですが、今は、この 分野はやはり一生歌ってゆくもののひとつになるだろうと感じますし、歌ってゆきたいと思 い始めました。〃恵子ちゃん〃とは少し方向的に異なったものを歌ってゆくことになるでしょ うけれども、私も私なりに少しづつ自分独特の日本の歌というものが作れてゆけたらと願っ ています。せつかく母国語で歌い、母国語で聴いて頂けるのですから、その詩の持っ世界が よ 直接に聴いて下さる方に伝わり、自分のものとして味わって頂ければ、こんな素晴らしいこ対 る とはないのです。実際のところ、レコードを聴いて下さった方々が私の日本語をホメて下さあ て ると、コンサートの度、毎回、かなりなプレッシャーを感じるのですが、一つの曲が始まっ た時、音楽を通して、そして言葉を通して詩の中の世界の人間の性格、感情の状態、またおっ 天気までもがふうっと何気なく自然に現われ、伝わってゆける様に歌ってゆけたら、そんな歌 夢の様なことを目標にこれからも日本の歌を歌ってゆきたく思っています。触れず嫌いだつ日 た新しい分野を開拓する機会を与えて下さった方々に心から感謝しています。 = = ロ
いといけないんではないかと思うんです。実際に日本歌曲を持っていって、日本歌曲発声 で向こうで歌っても、フォーレだか何だかわからないようなものがいつばいあるんですっ てね。 ーーーそう。私が外国でリサイタルをやるとき、日本歌曲を一ステージ入れるときは、なる べく日本的に聴こえて、こぶしまではとても入れられないけれども、まず旋律が日本的に 聴こえて、リズムが日本的に聴こえてというものを選びます。じゃないと 、ゝゝ歌、・亜」 歌というのは全然別にして、滝廉太郎の《花》でも何でもやるとモーツアルトと同じみた しに聴こえるらしいです。言葉が違うだけでね。 日本で今日本歌曲に携わっていらっしやる方は結構多いですか。 < ーーー・日本人の作曲家はみんなそうです。 ーーー日本語は縦書きの言葉で、それから見ても美しい言葉、詩が多いでしよう。それはそ れですごくきれいだと思う。そういうものが作曲されたときにどこまでその美しさが出せ るかということも難しいわね。 <—そうね。まず詩を読んでもらっておいて、なるほど、こういう詩なのか、それで聴い 194
ったら行ってみたい気はするのだけれど、自分の様にワカンネ工モノが行ってもいいのかネ 工と話してくれました。日本では暮に総計何百回になる第九公演や、最近の所謂〃クラシッ ク・プーム〃についても、その不可思議さや批判めいたものを多々耳にすることはあります が、もしも、それ等が多くの人達がそれまで触れる機会のなかった未知の世界の呼びかけを、 この様な感動を持って受け止めて下されるきっかけになり得るのだとしたら、何と素敵なこ とではないかしらと思うのです。 勿論、音楽も、 " わかって。ゆけば、また段々とそれなりの興味や面白さが増してゆくもの ですが、何と言っても大切なのは、一番初めのナイーヴな感動の喜びの世界の様な気がしま す。ただ、私達演奏者はそのナイーヴな第一段階のままでいることがなかなか出来ないのと 許されないのが一緒になって、ともすればムズカシイ音楽をやる羽目に、無意識のうちに陥 ってしまいがちですが、恐らく演奏する側の私達がムズカシイ音楽を奏でれば、やはりそれ はムズカシイ親しみにくいものとして聴き手に伝わっていってしまうのではないかと思いま す。また逆に、音楽的にかなり難解なものでも、例えば歌い手が、その音楽の核に存在して いる感性の世界を心を込めて表わそうとすれば、それは少しでもそのムズカシサから離れて
す。録音のマイクの前でどんなに切々とした顔をしようと、甘い想いを眼一杯に表わそうと、 それがすべて声の中だけに凝縮してゆかなければ何にもなりません。聴いて下さる方は、こ の場合は視覚に頼ることは出来ないのですから、聴覚に訴えてくる音からのみ何かを感じと ってゆく以外になく、私達演奏者は、本来ならば舞台上よりももっともっと声や言葉の表現 に対して努力が必要とされるのでしようけれど、これがーー・・特に〃録音開始。という赤ラン プが点滅する途端にーーー私の場合はなかなか思う様にはいきません。そんなわけで、出来上 がったレコードやその他の録音等を耳にしますと、毎回の様に自分の不器用さに少しばかり 哀しい想いをします。自分としてはもっと自分のすべてで何かを表現したつもりでも、その 思い込みの六〇 % が外に発していればいい方で、今迄に録音した曲のうち、後で自分で聴い て何とか納得のゆくものというのは、本当に何曲もありません。その中で一番新しい、クリ スマスの曲の中の《マリアの子守唄》《カタロニアのクリスマスの舞踏》《キャロル・メドレ ー》等は、自分でも喜んで聴きたいと思える様に出来上がったつもりでいるのですが、他の 方には一体どう聴こえますことやら : これから先、私の歌い手としての道はあと二十年余りあって欲しいと願っているわけです
歌 〃余り勉強しないで歌って下さい〃 ら この一枚目のレコードには本当にたくさんの反響を頂きましたが、概して言えば、〃聴いてに いて邪魔にならない〃 という表現に要約されるでしようか。所謂〃声楽家、ソプラノ歌手。邪 が歌ったと聞こえず、ごく普通に響くというところが良いということでした。本人にとって コ は〃精一杯の勉強の後の必死の録音〃だったのですが、良い意味にいても悪い意味にい レ の ても、それは余り表に出ていないのかもしれません。私自身はもっともっとたくさん表現を て したつもりでしたが、その〃もっともっとたくさん〃という部分は録音中を示す赤ランプの初 中に消え去ってしまった様で、〃ちょっぴり〃物足りない後味の様な気がします。ごく一般の 一度聴きたいナと思う様に、こういう風にさつばりと歌われるといいのですよ。」とおっしゃ って下さいました。顔に血の気が戻り、体中の筋肉がほぐれてゆくのが感じられました。こ の故立川さんの御言葉に、どんなに勇気づけられたことでしよう。それ迄不安に揺れ動いて いた心の中に、私も日本の歌を歌ってもいいんだナ、という小さな灯の様なものがともりま した。
たの。自分で日本語の発音は発音らしくないなとか、聴いているお客さんも、日本語のニ ュアンスがちょっと出にくいですね、という意見もあったりすると、じゃ、発声があって、 それで言葉を歌っているからかなという意識があって、それで逆にしてみたらと思ったら、 急に日本語をもっと大事にしなくてはいけないんじゃないかなと思いだしたんです。 日本語の発音とはどういう発音なのか、そこから生まれてくる発声というのはどういう 音色なのかとか、そういうことを逆に考えて、そこから日本歌曲の歌声をつくっていけば、 聴いている人も自然な日本語に聴こえるし、私自身も普通喋っていると同じような感じの 響きになるんじゃないかなと思って、それでやってきたんです。 ーー・私も一番最初のレコードを録音したときに全く初めて歌ったわけでしよう。もちろん 子供の頃はそれなりに知っているものを何となく口ずさんで歌っているけど、いわゆる歌 の勉強をしだしてから、意識的に日本の歌を歌ったということはないのね。どこかの発表 会で一曲歌うとか二曲歌うとか、それぐらいはあっても、何となく歌いにくいなという感 じでついてきて、それが要するに一枚目のレコードは十九曲だったんですけど、そのとき にものすごく戸惑ったんです。自分の味で歌う以外にしようがないと思って、やってみた
自分なりに精一杯を尽した第一回目の録音でしたが、それでもいざそれが公に外に出され るという段階になった時は、自分のおばっかなさばかりが耳について、逃げ出したい様な気 持ちでした。特に一枚目の日本の歌では、恥ずかしさで自分の声を聴くのも辛くなってしま った程です。私にとっては素晴らしい〃勉強〃になったのだから、と一生懸命自分に言い聞 かせたりもしました。そんな中で、今でも忘れられずに心に残っていることがあります。レ コードが製品として表に出される少し前、たまたまラジオの″音楽の森〃という番組で故立 宀は 川清澄さんとお話しさせて頂く機会がありました。立川さんと言えば、私が学生の頃から舞 ら 台やテレビでよく拝聴していましたが、それこそ日本の歌のスペシャリストと言われる方で したし、オペラ等にいても大変美しくわかりやすい日本語を歌われる方でした。その立Ⅱ さんの番組で私の録音したばかりの生テープがかけられることになってしまい、私は本当に ドキドキしながら小さくなって坐っていました。なるべく小さく聴こえない様にかけて下さ レ の と担当の方にお願いしたのですが、ラジオ番組ですのでまさかそうもゆきません。何の て 曲だったのでしようか、確か二、三曲ーーー静かに耳を傾けていらした立川さんが暖かい笑顔初 で、「なかなか良く歌っているじゃないですか。日本の歌というのは、聴いた人が、ア、もう
ら、しつかり頑張りなさい〃と先生に電話ロで励まされ、いつも先生と一緒に後片付けをし た台所に何粒か涙の後を残しながらも慌しく荷物をまとめ、オーディションの二日後にはウ ルムに向かって発ちました。 ドイツには劇場専門のエイジェンシーがいくつかあり、劇場の仕事につく場合第一段階は 普通このエイジェンシーのもとから始まります。彼等が学校の試験やオペラ試演会等に聴き にきていることもありますが、大方の場合は歌い手はまず、このエイジェンシーのもとへオ ーディションにゆき、声種、役柄、国、体格等、様々なものが登録されます。彼等の手もと にはドイツ語圏内の劇場のリストがあり、どこの劇場では何の役、どんな声種を探している か、常に情報が入る様になっている様です。 ( 勿論ソリストのみでなく、コーラス団員の募集 もあります。 ) 登録された人はこのリストと照合され、各々の条件に合った劇場でのオーディ ションに送られることになります。求められる役ひとつに対して十数人の歌い手がオーディ ションに現われることも決して稀ではありません。声、音楽性、タイプ、ドイツ語、踊り と審査の観点は各々多種多様です。そしてシーズン制契約で自分から他の劇場に移ってゆく 人も多い為、この過程が毎年繰り返されてゆくわけです。私の場合は本当にたまたま例外的