三十年前、私が本書を書きはじめた当初、オオカミには小さな役割しかふりあてるつもりはなかっ た。最初の計画は、まったく別種の獣ーー私たちみんなに関わるすべての事柄に専制的な裁決権をふ るう、官僚として知られる人類の奇妙な突然変異体ーーを風刺する文章を書くことだった。同時に、 今や自らを唯一正当な真理の解釈者と見なすわれらが時代の祭司、「科学者」たちのくだらなさを 揶揄してみるのも面白かろうと思ったのだ。 悪意に満ちた思惑を胸に、私は、ゆっくりと、私たちの世界の新しい支配者たらんとする者たちの 正体を暴くこと、むしろ、本の中で彼ら自らが正体をさらけ出すよう仕向ける仕事に取りかかった。 しかしなせか、官僚的、あるいは科学的ばかばかしさに対する興味は失せ、もともとは脇役にしかす ぎなかった存在、すなわちオオカミに心奪われている自分に気がついた。 出版された本は、人間という動物の中の、ある者たちからは好意的に受け入れられなかった。真実 の発露が事実によって妨げられるのを許さないという私のやり方と、われわれの生を理解するうえで ューモアはきわめて重要な位置を占めているという確信のせいで、この本は、専門家を任ずる多くの 何が変わっただろうーー一九九三年、出版三十周年の年に 218
に関する大量の知見が積み重ねられてきた。その意味では、科学理論としての彼の主張はさまざまな 形で乗り越えられていくだろう。一方、彼自身喜びをもって語っているように、彼の観察の正しさが 追認されていく場合もあるに違いない。 こうした批判だけではなく、モウェットは経歴を詐称しているという疑問、北極圏での滞在期間に 関する疑問、イヌイット語によるコミュニケーション能力についての疑問、などなど、本に書かれた 「事実をめぐる反論も多い 「何が変わっただろう」にも見る通り、「真実の発露が事実によって妨げられるのを許さないーと半 ば冗談めかした調子で自ら宣言するように、彼自身、厳密な意味での客観性や個別の観察事実の正確 さを文字通り主張しているわけではないようにも見受けられる。どこまでが事実でどこからが脚色か、 あくまで「真実ーを伝えようとする熱い情念に動かされ、人々の心に響く言葉や表現を紡ごうとする 中で、両者を分ける明確な線引き自体消え去っていることだってあっただろう。この本をフィクショ ンとして読むべきなのか、ノンフィクションとして読むべきなのか。彼の書のファンであり訳者でも あるわたし自身は、狭い意味での実証主義を避けながら、しかしなお安易にフィクションの中に逃げ こむことは決してしないという彼の言葉を支持したい。 こうした議論とは別に、この書が一般に流布した誤ったオオカミ観を正す発火点になったという点 に関しては、大方の論者が一致している。オオカミに関する著名な著者バ 丿ー・ロベスも、特にその 230
マイクとオーテクがそれまでに話してくれた事柄から、私は、オオカミが異種婚に反対しないこと を知っていた。事実、機会さえあればオオカミは大とつがおうとするだろうし、その逆も起こるだろ つな う。それが頻繁に起こらないのは、大は働いているとき以外ほとんど繋がれているからで、にもかか わらず、実際それは起こっている。 私が提案してみると、嬉しいことにマイクは同意してくれた。実際、彼はとても喜んだみたいだ。 というのは、彼自身長い間、オオカミとハスキー大の間に生まれる大がどんな大橇用の大になるのか 知りたいと思っていたらしい。 次の問題は、どうやって実験の段取りを決めたら、私の研究が最大限恩恵を被ることができるかだ った。私は、段階を踏んでことを進めることにした。第一段階は、クーアという名前のその雌大の存 在と状況をオオカミに知ってもらうため、私の新しい観察地点の近くに連れて行って歩かせるという ものだった。 ク 1 アは喜んでそうした、どころではない。実際オオカミの通り道のひとつに出会った途端に熱を 帯び、私にできたことといえば、重い鎖の綱でどうにか彼女の性急な行動を押さえておくことだけだ った。私を引きずりながら彼女は、期待を隠そうともせすにすべての匂いの標識を嗅ぎまわり、ひた すら突進しようとする。 とおほ 悪戦苦闘して小屋まで連れ戻し、しつかり鎖で繋いでしまうと、雌大は一晩中欲求不満の遠吠えで 135
ニクショクジュウカンリキョクシュニン こうなったら、ウイニペグに出かけているとい、つパイロットの、あてにならない帰りを待っしかな 、 0 宿にしているホテルは、納屋のような作りのひどくきしむ建物で、風の日にはすき間から細かい 雪が舞いこんでは床に積もる。しかも、チャ 1 チルでは、風のない日などなかった。 それにもかかわらず、私は怠けていなかった。当時チャーチルには、宣教師、売春婦、騎馬警官、 酒密輸業者、罠猟師、毛皮密輸業者、通常の毛皮商人、そのほか興味ある人物があふれていて、誰も がみなオオカミの権威であることがわかった。私は一人ずつ訪ねては、彼らから話を聞き、熱心に書 きとめた。これらの情報源から私は興味をそそられる情報を手に入れたし、その大部分は、それまで の文献に記録されていないものだった。 オオカミは毎年北極圏で数百人の人間を食い殺すといわれるが、妊娠中のイヌイットは絶対襲わな いという ( この注目すべき情報を提供してくれた宣教師は、妊娠中の人間の肉をオオカミが嫌うとい う事実がイヌイットの出生率を高め、その結果、精神的な問題より生殖に関わる事柄に対する嘆かわ しい関心を助長していると信じていた ) 。オオカミは四年ごとに皮膚全体の毛が抜け落ちてしまう奇 病にかかり、裸で駆けまわっている期間はごくごくおとなしく、近づいてもポールのように丸くなっ てしまうという話も聞いた。罠猟師たちはオオカミが急速にカリプーの群れを滅ばしていると訴え、
らけた。オオカミたちは、耳を寝かせ、しつほをまっすぐ伸ばし、全速力でそれぞれの方向に散らば った。びつくりして駆け出し、点在していたカリプ 1 の群れの中を駆け抜けると、カリプーたちもと うとう反応し、午後中ずっと目撃するのを期待していた、恐布に駆られた動物たちの逃走がどうやら 現実のものとなった。ただし、痛みをもって悟ったのは、その責任を負うべきは、オオカミたちでは なく、私、だという事実だった。 私はあきらめ、家路についた。キャンプから数キロのところまで来たときだ。何人かの人影が自分 の方に向かって走ってくるのが見える。私は、それがイヌイットの女性と三人の子どもたちであるこ とに気がついた。みんな、何か知らない恐怖にとらわれ、ばうっとなっているように見える。全員叫 び声をあげ、女性は六十センチもある雪切り用のナイフ〔雪の家を作るために四角い雪を切り出すナイフ〕 を振りかざし、三人の子どもたちはシカつき用のヤスと皮はぎ用のナイフを振りまわしている。 私はしばし当惑して立ち止まった。その時初めて、遅ればせながら自分の状態に気がついた。武器 を持っていないだけではなく、真っ裸なのだ。攻撃を迎え撃つような状況ではない。何がイヌイット たちをそれほど興奮させたのかまったく見当がっかなかったけれど、事態は差し迫っているようだ。 廩重さこそ勇猛さのよき一部のように思える。そこで私は、疲れた筋肉を伸ばし、思いきり疾走して イヌイットたちから身を避けた。うまくいった。けれど、彼らは依然勝負をあきらめす、追跡はほと んどキャンプ地に戻るまで続いた。キャンプに着くや私はズボンを引っぱり出して身につけ、ライフ 173
三匹となれば、オオカミにとってもかなりの量の肉になる。 明らかな事実をようやく受け入れられたのは、それから後、二と二を足せば四になるという明らか な事実を確かめてからのことだった。ウルフハウス湾のオオカミたち、さらには、少なくとも彼らの 例から推論するにバーレン・ランドのカリプ 1 生息地の外側で家族を養っているすべてのオオカミた ちは、全面的にとはいえないにしても、ほとんどネズミで命をつないでいる。 ただ一点不明だったのは、捕まえたネズミを ( 一晩中では膨大な数にのばるに違いない ) どうやっ て巣穴に持ち帰って子どもたちに食べさせるのかということだった。私は、マイクの親族たちに会う ときまで、この問題の答えを見つけることができなかった。親戚の一人にオ 1 テクという名の魅力的 な奴がいて、私と親しくなった。しかるべき訓練を受けていないにもかかわらず第一級のナチュラリ ストである。彼が、その神秘を説明してくれた。 オオカミは、ネズミを背中に担いだり抱えたりして持ち帰ることができない。そうである以上、彼 らは次善の策としてお腹につめて持ち帰る、というわけだ。ジョージもアルバ ートも、猟から戻ると まっすぐ巣穴に行き、そこに潜りこむことには私も気づいていた。その時は何とも思わなかったのだ が、彼らは一日分の食べ物を、しかも、すでに半分消化されたものを吐き出していたのだ。 夏の終わり、子どもたちがエスカーにある巣穴を離れてしまった後、私は何度か、おとなのオオカ
翌日、オーテクと私はカヌーにキャンプ道具を積みこんで北に向かい、、、 ッ / ドラ平原を越える航海に 出発した。 その後の数週間、私たちは数百キロを旅行し、オオカミの個体数と、オオカミーカリプーⅡ捕食者 ー被捕食者関係に関するたくさんの情報を収集した。加えて、省の目的には関係なかったけれど、ま ったく無視してしまうことのできないたくさんの関連情報も手に入れた。 すでに、通常の罠猟師、交易商人から得た情報によって作られた資料にもとづくキーワティン地方 のオオカミ生息数に関する準公式統計が当局によって公表され、三万頭と推定されていた。おおまか に計算しただけで、平均十五平方キロ当たり一頭という数になる。もしも、ツンドラ平原の三分の一 は水面下にあり、ほかの三分の一は岩に覆われた不毛の丘陵地で、カリプーもオオカミもほかのたい ていの動物も生活していくことができないという事実を勘定に入れるなら、生息密度はおおよそ五平 方キロ当たり一頭という数値に跳ねあがる。 かなりの高密度だ。実際、もしもそれが事実だとするなら、オーテクも私も、オオカミからの圧力 で前進するのが困難になっていたはすだ。 理論家諸子にはお生憎ながら、私たちが見るところ、オオカミははるかに広く散らばって家族集団 を形成している。しかも、それぞれの家族は二百五十ないし七百平方キロの縄張りを占有している。 もっとも、分散の形は決して一定ではない。たとえば、ある場所で私たちは、二つの家族が互いに一 159
ことだろう。先月も私はその報告書を見たことがあるという一人の生物学者に遭遇した。彼もまた、 それは今なお多くの権威によって、カニス・ルバスに関する究極の言説として認められていると保証 してくれた。 やむなくチャーチルに滞在している間、オオカミにまつわる多くの魅力的な事実を掘り出しただけ でなく、私はもっと重要といってもよい独自の発見もしていた。発見とは、私に支給されていた標本 保存用アルコ 1 ルをわずかだけムース印のビールに割り入れると、その結果できる各種のオオカミジ ュースはじつにおいしくなるということだ。熟慮の末、私は「必要資材 , の中にムース印を十五箱っ け加えた。さらに、ホルマリンを何リットルか購入した。葬儀屋さんなら誰でも承知のように、それ は、死んだ動物の組織保存用として、エチルアルコールに少しも劣らない代用品になる。
それぞれのオオカミ家族はひと家族すっ固って旅をする。しかし、二つか三つの小さな家族がひと つの群れに統合されることも珍しくない。これに関して決まった法則はないようで、そうしてできた 群れは、いつでももとの小さな集団に分裂する。とはいえ、ひとつの群れの構成員数には上限がある。 冬の狩りには何頭かのオオカミの緊密な協力が必要で、しかし、オオカミの数があまり多いと、殺し た獲物から十分な分け前を得ることができない。五頭から十頭の群れが、理想的なサイズであるよう に田 5 われる。 冬の間、決まった縄張りはないように見える。それぞれの群れは気に入った場所で狩りをし、二つ の群れが遭遇した場合は、互いに挨拶を交わし、それから別々の道を行くのが観察されてきた。 ひとつの場所に群れが集中することはめったにない。それぞれどのように分散してオオカミの過密 と食料の不足を避けているのか、ほとんどわかっていない。しかし、チベワ・インディアンたちの言 によれば、目につく地点や岩や湖の周囲やさかんに用いられる通り道などに残される尿のメッセージ によって調節されるという。事実として、徹底的な飢餓が土地全体を覆ってしまわないかぎり、カリ プーの群れが行くままに動きまわる冬のオオカミの群れは、なぜか互いの足跡を避けるようにしてい る。 ーレン・ランドのオオカミにとって、冬は死の季節である。 204
「オオカミがそれを食べたら、ということか ? 」。そうあってほしい、 とい、つふ、つに彼が尋ねる。 「ナーク」。習い覚えたイヌイットの言葉を練習しながら、私は答えた。「キツネも、オオカミも、そ れに人間だって同じだ。何の中でだって育つ。もっとも、多分人間の中ではそれほどではないかもし れない」 かゆ オ 1 テクは身震いして、胃袋のあたりが痒く感じられるとでもいうように掻きはじめた。 「幸い、俺は、肝臓は好きじゃない」。この事実を思い出したことで、大いにほっとしたように彼が 一言、つ。 「いや、この虫はカリプーのからだのどこからでも見つかる」。素人を啓蒙しようとする専門家の熱 意で、私は説明した。「ここを見てみろ。しり肉のこの部分を見るんだ。白人はこれを『嚢虫』と呼 ぶ。これは別の種類の虫の休息形態だ。人間の中で育っかどうかはわからない。でもこっちの方は : 」。そう言いながら私は、ばらばらにした肺から二十五センチかそれ以上もある紐のような線虫 をいくつか引き出して見せた。「これは、人間からも見つかる。実際、これがたくさんいれば、瞬く 間に人間を窒息させて死なせてしまうほどだ」 けいれん オーテクは痙攣したように咳きこみ、マホガニー色の顔がまた青ざめてきた。 「もうたくさんだ」。再び呼吸を取り戻すと、彼は訴えるように言った。「これ以上そんなこと言った ら、俺はすぐに出て行ってキャンプに戻る。そこで一生懸命たくさん考えて、そしたらお前が言った 182