オ 1 テクが私を受け入れてくれたことで、マイクの態度にもいい変化が現われた。しかし、依然と して、私は頭がいかれていて、しつかり見張っていなければ危険だという根深い疑いは捨てていない それでも、無ロな性格なりに打ち解けてもきたし、協力もしてくれた。これは、ありがたかった。オ ーテクと私の間の通訳として、彼に助けてもらえる。 こ多くのものをつけ加えてくれた。オオカミの食 オ 1 テクは、オオカミの食習慣に関する私の知識し 生活の中で野ネズミが演じている役割についての私の発見を確証してくれたうえ、オオカミは大量の ジリスも食べるし、時にはカリプーよりそちらを好むようだとも教えてくれた。 ジリスは、北極圏のほとんどの地域に豊富に分布している。ただし、オオカミハウス湾は、その分 布地域からほんのわすか南にずれている。北極圏のジリスは西部平原に生息する通常のジリスに近い しゅ 種だが、西部平原のジリスとは違い、自衛本能がきわめて弱い。その結果、簡単にオオカミやキツネ オオカミの霊 107
狼か語る ファーツー・モウェット Farley Mowat 1921 年、カナタ・、オンタリオ州生まれ。 幼い頃からナチュラリストどして育ち、動物や 自然どのふれあい、北極圏への旅なごの体験 から 50 冊以上にのばるノンフィクション、小説、 児童文学を生み出してきた。 カナダ北極圏に暮らす人々の過酷な生活を描 いたもの、マリタイムど呼ばれるカナグ東海岸 ど北大西洋、なかでも 8 年間を過ごしたニュー ファンドランド島を舞台にしたもの、イタリア戦 線での体験を描いたもの、ヴァイキングをはじ め航海者たちがコロンプス以前の北アメリカに しるした足跡をたごったもの、さらに伝記や自 伝なご、作品は多岐にわたる。 それらの作品には一貫して、人間ど動物を問わ す、過酷な状況の下で生き残りを懸けて苦闘 する者たちへの深い共感ど、彼らに手を差し伸 べようどする熱い思いやりがあふれている。しか も、痛烈なまでの皮肉やユーモアどどもに。作 品の多くは自伝的要素を濃厚に含み、人気作 家であればこそ、それが実話なのかフィクション なのかをめぐる激しい議論も闘わされてきた。 活発な環境保護運動家どしても知られ、現在 なお、オンタリオ州ホ。ート・ホープどノバスコシ ア州ケープ・プレトンで旺盛な執筆活動を続け ている。 9 7 8 4 8 0 6 7 1 4 7 1 2 狼か語る 1 9 2 0 0 4 5 0 2 0 0 0 1 ISBN978 ー 4 ー 8067 ー 1471 ー 2 C0045 \ 2000 定価 : 本体 2000 円 + 税 築地書館 ファーツー・モウェット著小林正佳訳 。、いカナダの国民作家が、 北極圏で狼の家族と過 ) ) した 体験を綴った・ヘストセラー 政府の仕事で カリプーを殺す害獣・狼の 調査に出かけた生物学者が 2 現地で目にしたものは・ 狼たちが見せる社会性、 狩り、家族愛、カリプーや ほかの動物たちとの関係 極北の大自然の中で 繰り広けられる狼の家族の暮らしを、 カナダの国民作家が、 情感豊かに描く 、不べー・クライ・ウルフ ファーツー・モウェット著小林正佳訳 The Amazing True Story 0f Life Among Arctic W01ves by FarIey Mowat 築地書館 カ , 、・一表 1 :Chuck Pefley/GettyImages カハ・一表 4 : Greg Newington/Gettylmages 表紙イラスト : 小林棡美 築地書館
【著者紹介】 ファーリー・モウェット (FarleyMowat) 1921 年、カナダ、オンタリオ州生まれ。 幼い頃からナチュラリストとして育ち、動物や自然とのふれあい、北極圏への 旅などの体験から 50 冊以上にのばるノンフィクション、小説、児童文学を生 み出してきた。 カナダ北極圏に暮らす人々の過酷な生活を描いたもの、マリタイムと呼ばれる カナダ東海岸と北大西洋、なかでも 8 年間を過ごしたニューファンドランド島 を舞台にしたもの、イタリア戦線での体験を描いたもの、ヴァイキングをはじ め航海者たちがコロンプス以前の北アメリカにしるした足跡をたどったもの、 さらに伝記や自伝など、作品は多岐にわたる。 その作品には一貫して、人間と動物を問わず、過酷な状況の下で生き残りを 懸けて苦闘する者たちへの深い共感と、彼らに手を差し伸べようとする熱い 思いやりがあふれている。しかも、痛烈なまでの皮肉やユーモアとともに 活発な環境保護運動家としても知られ、現在なお、オンタリオ州ポート・ホー プとノバスコシア州ケープ・プレトンで旺盛な執筆活動を続けている。 【訳者紹介】 小林正佳にばやし・まさよし ) 1946 年、北海道札幌市生まれ。国際基督教大学教養学部、東京大学大学 院博士課程 ( 宗教学 ) を修了。 1970 年以来日本民俗舞踊研究会に所属して須藤武子師に舞踊を師事。 1978 年福井県織田町 ( 現越前町 ) の五島哲氏に陶芸を師事し、 1981 年織田町上 戸に開窯。 1988 年から現在まで天理大学に奉職。その間、 1996 ~ 1998 年トロント大学 訪問教授、セント・メリーズ大学訪問研究員としてカナダに滞在。 現在は、天理大学総合教育研究センター特別嘱託教授。 民俗舞踊を鏡に、宗教体験と結ぶ舞踊体験、踊る身体のあり方を探ってき た。民俗と創造、自然を見つめる眼ざしといったテーマにも関心がある。 著書に『踊りと身体の回路』『舞踊論の視角』 ( 共に青弓社 ) 、訳書にヒュース トン著『北極で暮らした日々』、ロックウェル著『クマとアメリカ・インディアン の暮らし』 ( 共にどうぶつ社 ) など。
調査も何週間かが過ぎ、私は依然オオカミはどうやって命をつないでいくのか、肝腎の問題の解決 からはほど遠いことを感じていた。これは、きわめて重大な問題だ。何しろ、私の雇い主の満足がい くような形でそれを解くことこそ、この遠征の目的なのだ。 カリプーは、北極圏のバ 1 レン・ランドで目にすることのできる唯一の大型草食動物である。昔は かっての平原バッファローと同じくらい無数にいたのだが、私がバーレンへ旅立つまでの三、四十年 の間に壊滅的に数を減らしていた。政府関係者が猟師、罠猟師、交易商人らから得た証拠は、カリプ ー絶滅への一本道は、主にオオカミによる破壊行為が原因であることを証明しているように思われた。 したがって、私を雇った政治家兼業科学者たちは、バ ーレンにおけるオオカミーカリプー関係の調査 研究によって、どこであれ見つけしだいただちにオオカミを地獄に落としてしまうために必要な、議 野ネズミとオオカミ
どまった。 オオカミが入手できる家屋敷は決まった数量しかないという事実とは別に、彼らが増えることは、 体内に組みこまれた産児制限メカニズムによっても抑制されている。食料となる動物が豊富なとき、 あるいは、オオカミの数がわずかなとき、雌は一腹で多くの子どもを産む。たとえば、八頭といった 具合だ。しかし、オオカミの数が多すぎるとき、あるいは、食料が少ないときには、一回の出産数は 一頭あるいは二頭にまで減少する。このことは、ケアシノスリ〔タカ科ノスリ属の大型のタカ〕といった、 まにゆ、つ 北極圏に棲むほかの動物にもあてはまる。小さな哺乳類の数が多い年には、ケアシノスリは一回に 五個か六個の卵を産む。しかし、野ネズミやレミングが少なくなると一個しか卵を産まなかったり、 あるいはまったく産まなくなる。 ほかの抑制要因が作用しない場合、伝染病もまた、オオカミの餌になる動物が個体数を維持してい くことができなくなるほど、オオカミの数が多くなりすぎないよう調節する決定的な要素になる。全 般的な均衡が破れる稀な状況 ( しばしばそうした状況は、人間の介入によってもたらされる ) では、 オオカミが多すぎると食料が乏しくなり、栄養不足は早々飢餓状態にまで進展し、オオカミは体力的 ) コヒ 体イする。そうすると、荒廃をもたらす狂大病、ジステンパ 1 、介癬といった伝染病が決まって まんえん オオカミの間に蔓延し、即座にその数は、かろうじて生存可能なレベルにまで減少する。 北極圏カナダでは、レミング生息数が四年周期で頂点とほとんどゼロの間を変動する。一九四六年 かいせん 162
なさいといった風情の店主たちに、誰よりもカナダらしい作家は誰かといつも尋ねていた。そのたび に返ってくる名前のひとりが、モウェットだった。間違いなく、カナダを描き続けた、カナダで最も 人気のある著者のひとりといってよい。しかも、子ども向けの物語からおとな向けの小説やノンフィ クション、ユーモアあふれる楽しい話題から鋭い政治批判に至るまで、年代を超えた幅広い読者層を 誇っている。 モウェットは図書館員だった父親の影響で早くから文章を書きはじめ、十代前半にはすでに新聞の コラムを担当していたという。引っ越し先のカナダ中部サスカチュワン州サスカトウーンでいっそう 自然との交わりを深め、本格的な少年ナチュラリストとして成長していく。イヌやネコや昆虫だけで はなく、ヘビやフクロウやワニに至るさまざまな動物と暮らし、そのようすは、日本語訳もある『大 になりたくなかった大』 ( 一九五七 ) や『ばくとくらしたフクロウたち』 ( 一九六一 I) に生き生きと描 かれているし、一九九三年に書かれた自伝『 BornNaked 』 ( 生まれたときは裸 ) にも詳しい。 一九四三年に入隊し一九四五年に除隊するまで、イタリア戦線での激しい戦闘に参加した。その時 の体験は、『 And No Birds Sang 』 ( そして、鳥は歌わなかった ) ( 一九七九 ) 、『 My Fathers' son 』 ( わたしの父の息子 ) ( 一九九三 ) などに記されている。 除隊後トロント大学に入学し、改めて生物学を勉強した。その研究の一環で北極圏、亜北極圏カナ ダに足を運び、その土地や、そこで暮らす人々との結びつきを深めていく。その時出会ったカリプ 2 2 6
アザラシなど海獣の腹身一切れ 塩、コショウ、クロープ、エチルアルコ 1 ル ( 海獣の腹身は、普通北極圏でしか手に入らない。 ことを記しておくべきだろう ) 頭をつけたまま、ネズミの皮と内臓を取り除く。水洗いして鍋に並べ、死体を浸すほどエチルアル コールを入れる。約二時間、そのまま浸けておく。海獣の腹身を小さなサイコロ状に切り、脂肪分が ほとんど出るまでゆっくり炒める。ネズミの死体をアルコ 1 ルから取り出し、塩、コショウ、小麦粉 を混ぜあわせたものにまぶし、フライバンに並べて約五分間焼く。フライバンが熱くなりすぎないよ うに注意。さもないと、柔らかい肉が乾燥し、固く、パサバサになってしまう。さて、これにカップ 一杯のアルコールと、六個か八個のクロープを加える。ふたをして十五分、ゆっくり、とろ火で煮こ む。標準的なレシピに従ってクリームソースを作る。ソースができあがったら、死体をそれに浸け、 ふたをして、食卓に出すまで十分間ほど冷めないようにしておく。 ネズミ食をとりはじめて最初の一週間、体力が損なわれることはなかったし、どんな病気の徴候も これは、通常の塩漬け豚肉で代用できる 101
夜でも寝袋に入ったまま巣穴が観察できるよう、大きな望遠鏡を据えつけた。 と、つりゆ、つ オオカミのもとへ逗留して最初の何日かは、ほんの少し必要に迫られて外へ出る以外、テントの 中にとどまった。外へ出るのも、常にオオカミが視界にないときを選んだ。こうして姿を隠している のは、テントに慣れてもらい、大地の凹凸にもうひとっ別の凹凸が加わったくらいに事態を受け入れ てもらうためだ。その後、蚊の全盛期を迎えてからは、強い風が吹いているとき以外ほとんどテント にいた。何しろ北極圏で最も血に飢えた生き物は、オオカミなどではなく、飽くことを知らぬ蚊の大 群なのだ。 オオカミの邪魔になりはしないかという気遣いは余計だった。私が彼らの尺度に慣れるには、一週 間を要した。しかし彼らの方は、最初の遭遇のときからすでに私の尺度に慣れていたに違いない。彼 らがことさらはっきりと軽蔑的な態度を示していた、とい、つよ、つすはない。しかし、私がそこにいる ことを、というか、私の存在そのものを、いささか面食らってしまうほどの徹底さでものの見事に無 視していた。 私がテントを張った場所は、まったく偶然、オオカミたちが西の方にある彼らの猟場に行き来する 主要な通り道から十メートルと離れていなかった。それで、住まいを定めて数時間も立たないうちに、 彼らの中の一頭が猟から戻り、テントと私を発見することになった。夜のきつい仕事の後で、明らか
に関する大量の知見が積み重ねられてきた。その意味では、科学理論としての彼の主張はさまざまな 形で乗り越えられていくだろう。一方、彼自身喜びをもって語っているように、彼の観察の正しさが 追認されていく場合もあるに違いない。 こうした批判だけではなく、モウェットは経歴を詐称しているという疑問、北極圏での滞在期間に 関する疑問、イヌイット語によるコミュニケーション能力についての疑問、などなど、本に書かれた 「事実をめぐる反論も多い 「何が変わっただろう」にも見る通り、「真実の発露が事実によって妨げられるのを許さないーと半 ば冗談めかした調子で自ら宣言するように、彼自身、厳密な意味での客観性や個別の観察事実の正確 さを文字通り主張しているわけではないようにも見受けられる。どこまでが事実でどこからが脚色か、 あくまで「真実ーを伝えようとする熱い情念に動かされ、人々の心に響く言葉や表現を紡ごうとする 中で、両者を分ける明確な線引き自体消え去っていることだってあっただろう。この本をフィクショ ンとして読むべきなのか、ノンフィクションとして読むべきなのか。彼の書のファンであり訳者でも あるわたし自身は、狭い意味での実証主義を避けながら、しかしなお安易にフィクションの中に逃げ こむことは決してしないという彼の言葉を支持したい。 こうした議論とは別に、この書が一般に流布した誤ったオオカミ観を正す発火点になったという点 に関しては、大方の論者が一致している。オオカミに関する著名な著者バ 丿ー・ロベスも、特にその 230
衆国のアラスカより南のほば全域から、オオカミは効率的に駆除された。しかしなお、およそ二万頭 が、ムース、シカ、カリプー、エルク〔北アメリカではオオシカを指す〕と森林や北極圏のツンドラを共 有している。 ハンターたちが 今では、飛行機、スノーモービル、オフロード車の使用により、多くのスポーツ・ これまで比較的侵入が難しかった地域に入りこむことが可能になり、そこにいた「大型狩猟動物」た ちは危険な水準にまで激減した。この事態が、狩猟者、運動用具業者、ガイド、ロッジ経営者、その ほか経済的利害に関わる陣営の、オオカミに対する怒りに満ちたいかさまの声に火をつけた。 「オオカミが狩猟動物を壊滅させている。われわれの狩猟動物を ! オオカミを滅ばさなければなら ない」 こうした非難に誰が耳を貸しているのか 政府は、耳を貸す。すべてではないにせよ、大部分の地方政府・州の漁業狩猟局は、ほとんどスポ ハンティング・ロビイストにとってのトロイアの木馬〔トロイアの戦争の際、ギリシャの将オデュッ セウスは巨大な木馬を作り、その中に兵を潜ませ、トロイアを欺いて勝利した〕といってもよい。しかもロビイ ストはじつに巧みに組織化され、潤沢な資金をもっている。メンバ 1 たちは、狩猟動物を自然の捕食 さつり ) 、 者から守り、スポーツとして動物を殺す者たちが高性能な武器で殺戮するに十分な数の生きた標的を 確保することができるよう、政府に対しておよそ抵抗できない影響力を行使する。 221