タンパク質の流れを可視化する 膵臓の細胞は、確かに、絶えず大量のタンパク質を作り出し、それを細胞外に送り出し ている。つまり、 細胞の内部にも「流れ」が存在している。しかし、その「流れ」をどの ように可視化したらよいのだろうか ハラーディの武器は二つあった。ひとつは電子顕徴鏡てある。この顕徴鏡の超高倍率を 使えば、細胞ひとつを視野いつばいに捉えることが可能となり、その中の微細構造も手に 取るようにわかる。間題は、この中をタンハク質がどのように流れているかを知る手立て てあった。 おそらくジョージ・ ハラーディは、ルドルフ・シェーンハイマーのことを確実に知って いたに違いない。アミノ酸を標識すること。暗く蜀った大河の水面からは、一見、その流 、色のつ シェーンハイマーはそこへ一瞬だ れの規模と速さを見て取ることがてきない。 いたインクを流すことによって、それを可視化したのだった。同じことは、膵臓の細胞内 の流れに対しても適用てきるはすだ。しかも、電子顕徴鏡下の解像度を保ったままて。 ラーディはそう考えたのぞある。 しんせき 彼らは実験動物の膵臓を摘出し、それを温かい培養液の中に浸漬した。酸素と栄養が供 給されていれば膵臓の細胞はそのまま生きつづけ、消化酵素を合成、分泌しつづける。 1 9 4
かし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが 蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことがてきれば、結果的にその仕組みは、増 大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。 つまり、エントロビー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化 することてはなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのてある。つまり流れ こそが、生物の内部に必然的に発生するエントロビーを排出する機能を担っていることに なるのだ。 私はここて、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態 ()y 「 namic state) という概 念をさらに拡張して、動的平衡という言葉を導入したい。 この日本語に対応する英語は、 dynamic equilibrium ( ダイナミック・イクイリプリアム ) てある。海辺に立っ砂の城は実体と してそこに存在するのてはなく、流れが作り出す効果としてそこにある動的な何かてあ る。私は先にこ - フ聿日 し」い - フこし」、て亠のる いた。その何かとはすなわち平衡 自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てる ことによって次のように再定義されることになる。 ダイナミック・イクイリプリアム 生命とは動的平衡にある流れである 1 6 7 第 9 章動的平衡とは何か
十ノー、 ひざまず 私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること 以外に、なすすべはないのてある。それは実のところ、あの少年の日々からすてにず「と 自明のことだったのだ 2 8 5 工ヒ。ローグ
やがて全体の形まてをも不安定なものにしうる。 機械には時間がない。原理的にはどの部分からても作ることがてき、完成した後からて も部品を抜き取ったり、 交換することがてきる。そこには二度とやり直すことのてきない 一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのてきない時間と、 - フものがない。 生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿っ て折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのてきないものとして生物はあ る。生命とはどのよ - フなものかと間われれば、そう答えることがてきる。 今、私の目の前にいる 2 ノックアウトマウスは、飼育ケージの中て何事もなく一心 に餌を食べている。しかしここに出現している正常さは、遺伝子欠損が何の影響をももた らさなかったものとしてあるのてはない。 つまりは無用の長物てはない。おそらく ;-« 2 には川胞莫に対する重要な役が課せられている。ここに今、見えていることは、 生合という動的平衡が、 2 の欠落を、ある時点以降、見事に埋め合わせた結果なの 正常さは、欠落に対するさまざまな応答と適応の連鎖、つまりリアクションの帰趨に よって作り出された別の平衡としてここにあるのだ。 私たちは遺伝子をひとっ失ったマウスに何事も起こらなかったことに落胆するのてはな 2 7 1 第 15 章時間という名の解けない折り紙
そしてただちに次の問いが立ち上がる。絶え間なく壊される秩序はどのようにしてその 秩序を維持しうるのだろうか。それはつまり流れが流れつつも一種のバランスを持った系 を保ち - フること、つまりそれが平衡状態 ( イクイリプリアム ) を取り , フることの意味を間 - フ ドいてある。 1 6 8
は城から流れ去り、後から来た砂粒がその場所を襲う。サンゴの粒は、ちょうど澄みすぎ て流れが見えづらい渓流にインクを垂らしたかのように、その流れと速度を可視化したの てある。 シェーンハイマーにとってのピンク色のサンゴ砂は同位体というものだった。ちょうど 彼が研究を始める頃まてに、水素、炭素、窒素などの主要な元素には同位体 ( アイソトー プ ) と呼ばれるものが存在することが明らかになり、実際にそれを人工的に作り出すこと が可能となっていた。 窒素は原子番号 7 の元素てある。普通の窒素原子の原子核には陽子が七個、そして中性 子が同じく七個含まれ、その重さ ( 質量数 ) は陽子と中性子の和、すなわち凵と表される。 ところが自然界に存在する膨大な数の窒素原子の中にはわずかながら変わり種が存在し、 その原子核には陽子七個、中性子が八個存在するものがある。その結果、この変わり種窒 素の質量数はとなる。これが重窒素てある。窒素としての化学的性質には変わりがない が、わずかだけ重い。普通の窒素 ( さと重窒素貮 ) は質量分析計を用いることによっ て見分けることがてきる。 トレーサー ナた「追跡子」 シェーンハイマーはこの重窒素を、サンゴの砂として、つまり標識をつ : として生物実験に使用するという画期的なアイデアを思いついたのだった。 1 5 6
ず、この細胞はごくありきたりの細胞てある。膵臓の全細胞のうち約 % を占める。残り の 5 % が、 インシュリンなどのホルモンを産生・分必する細胞ある。つまり膵臓はほば それだけ消化酵素を作り出すのは大仕事なのてあ 消化酵素産生細胞の塊といってよい る 次に、この細胞の消化酵素産生能力が驚くほど高いということがあった。誚化酵素はす べてタンパク質ててきている。この細胞は、毎日毎日、大量の消化酵素タン。ハク質を合成 し、それを消化管へ分泌している。その生産量は、泌乳期の乳腺 ( 哺乳動物のミルクを生産す る細胞組織 ) をも凌駕する。つまり膵臓の消化酵素産生細胞は、身体の中て最も特化した 分泌専門細胞なのてある。 なぜ、膵臓がかくも大量の消化酵素を、大量の細胞によって作り出しているかといえ ば、それはとりもなおさす「流れ」をとめないためてある。ルドルフ・シェーンハイマ が、標識したアミノ酸を使って明らかにした生命の動的な平衡状態。これは絶え間のない アミノ酸の流入と体タン。ハク質の合成・分解が、生命現象の真ん中を貫いてとうとうと流 れているというものだった。大量の消化酵素はこの流れを駆動する実行部隊てあり、膵臓 は日々、黙々と新兵をリクルートし続けているのぞある。 1 9 3 第 11 章内部の内部は外部て、ある
を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わすにいれば、分子のレベルては我々はすっかり 入れ替わっていて、お変わりありまくりなのてある。かってあなたの一部てあった原子や 分子はもうすてにあなたの内部には存在しない。 肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての 実体があるように感じている。しかし、分子のレベルてはその実感はまったく担保されて 、。ムたち生命本は、 たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」てし 力ない しかも、それは高速て入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」という ことてあり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。 私たちが仮に断食を行った場合、外部からの「入り」がなくなるものの内部からの 「出」は継続される。身体はてきるだけその損失を食い止めようとするが「流れ」の掟に 背くことはてきない。私たちの体タンパク質は徐々に失われていってしまう。したがって 飢餓による生命の危険は、エネルギー不足のファクターよりもタンパク質欠乏によるファ クターのほうが大きいのてある。エネルギーは体脂肪として蓄積てき、ある程度の飢餓に 備え - フるが、タンハク質はためることがてきない シェーンハイマーは、この自らの実験結果をもとにこれを「身体構成成分の動的な状 態」 (The dynamic state of body constituents) と平んだ。彼はこ - フ述べている。 163 第 9 章動的平衡とは何か
へも、左の区画から右の区画へも等しい確率て移動しうる。ここて、右の区画のほうが左 よりもたくさんの過マンガン酸カリを含んている場合 ( 最初に過マンガン酸カリを右隅に 溶かし込んだとすればよい ) 、境界面を横切って、右から左へ移動する粒子のほうが、そ の逆より多いことになる。なぜなら、それはたご、 てたらめな運動をしている粒子が左方 よりも右方によりたくさんあるからだ。 そのような動きを全体として平均してみると、右から左へと、つまり濃度の高いほうか ら低いほうへと粒子の流れが存在することになり、これは粒子の分布が一様になるまて続 く。もちろん、粒子のランダムな運動はそれ以降も続くが、それはランダムをかき回して ランタムにする繰り返しとなる。 じゅんじゅん シュレーディンガーが、なぜこのようなことを諄々と説明したのかといえば、物理法 則は多数の原子の運動に関する統計学的な記述てあること、つまりそれは全体を平均した ときにのみ得られる近似的なものにすぎない、 という原理を確認したかったからてある。 われわれの身体がこれほど大きい理由 さて、生命現象もすべては物理の法則に帰順するのてあれば、生命を構成する原子もま た絶え間のないランダムな熱運動 ( ここに挙げたプラウン運動や拡散 ) から免れることは 1 4 0
くつついたり離れたり さて、私が長々とジグソーノ 。、ズルと戯れてきた理由は、まさにこの相補性こそが、シェ ーンハイマーのテーゼへの解答をケえるからに他ならない。 きわ 生命とは動的平衡にある流れてある。生命を構成するタンパク質は作られる際から壊さ れる。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法ぞあった。しかし、なぜ生命は 絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することがてきるのだろうか。その答 えはタン。ハク質のかたちが体現している相補生にある。生命は、その内部に張り巡らされ たかたちの相補によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中 て動的な平衡状態を保ちえているのてある。 ジグソーノ 。、ズルのビースは次々と捨てられる。それは。ハズルのあらゆる場所て起こるけ れど、それはパズル全体から見ればごく徴細な一部に過ぎない。だから全体の絵柄が大き く変イすることはない。 そして新しいビースもまた次々と作り出される。重要なことは、新しく作られたピースは 自らのかたちが規定する相補性によって、自分の納まるべき位置をあらかじめ決定されて いるという事実てある。ピースはランダムな熱運動を繰り返し、欠落したピースの穴と自 1 7 8