148 ちの首を絞めかねない 、と野党民権党は、凛子を追い詰める際立った戦術もなく切羽詰 まっていた。 などと書けば、、、 し力にも私が凛子の現状について把握し尽くしているかのように見え るだろうが、もとより私は凛子から直接政局運営について、はたまた国会を乗り切る戦 略について、聞かされたことなどただの一度もなし ) 。いま彼女が何をしているのか、ど ういう状況にあるのか、私が情報ソースにしているのは新聞やネットニュース、テレビ の国会中継などだった。私は主要紙の政治欄、特に「首相の一日」欄の隅々まで目を通 し、研究所のオフィスに置かれたテレビでつけつばなしにしてくれている国会中継に耳 を傾けた。心優しい徳田所長は、「まあ国会のことなんかは総理に家で聞かされてるん だろうけど。私たちもなんだか気になるから」と、研究所の最大の支援者である相馬家 に敬意を表して、国会中継をつけておいてくれるのだった。 「で、公邸の住み心地はどうなんですか」 ある日のランチタイムのこと。研究所の会議室にこもっている私のところへ、ティク アウトのジャージャー麺を買って持ってきてくれた研究員の伊藤るいさんが、藪から棒 にそう聞いた。 最近の私は、同僚に外へランチに誘われても、なんだかんだと理由をつけてお断りす るようにしていた。そのへんの定食屋で私たちの会話をどこかの誰かに聞かれたらかな めん
356 そして迎えた国会会期末。 内閣不信任案が提出される前、その決議を待たずして、凛子はついに伝家の宝刀をす そう、自ら「解散」したのだ。 らい , と抜いた その日、そのとき、国会の衆議院会議場は、万歳三唱で大いに沸いた。私は、公邸で、 国会議事堂から戻ってきた凛子を迎えた。 「やったね」と、私は短く告げた。 おっかれさまというのも変だし、おめでとうというのでもない。うまい言葉がみつか らなくて、そう言ったのだった。 凛子は、ふっと微笑んで、うなずいた。そして、言った。 「私、絶対に負けないから かくして、凛子一世一代の夏の陣ーー総選挙の火蓋が切られた。 気がつけば、いっしか富士宮さんにも、女武将のたくましさが備わっていた。
別に法律でそう定められているわけじゃないが、総理の公用車はとにかく別格に優遇さ れている。一国の首相たるもの、一秒も無駄にはできないということなのだ。何よりも、 テロの標的にならないために、というのが第一義の理由なのだろう。 凛子はいままでも直進党の公用車で国会や議員会館へ通ってはいたものの、極めて燃 費のいいごく普通のエコカーで、このたび用意された公用車に比べればかわいらしいも のだった。 凛子が衆議院議員に初当選し、初めて国会に出向くにあたって、私の母が「ちょっと はましな車の提供」を申し出たことがある。せつかく国会議員になったのだから、もう 少し景気のいい車にお乗りなさいな、なんならうちで一台手配してもよくってよ、と。 しかし凛子は丁重に断った。車提供の申し出は母なりのご祝儀だとわかってはいたが、 政治家としてデビューするにあたって、必要以上に相馬家との関係性をおおっぴらにし たくはなかったのだ。それで、母の機嫌が悪くなった。相馬家の嫁があんな貧乏臭い車 夫に乗って国会に出向くだなんて、みつともない、と。総理大臣専用の公用車に相馬家の 理嫁が乗り換えて、結局、誰よりも満足したのは母かもしれない の人数も、総理大臣指名直前のふたりから、指名後には八人に増えた。男性が六 名、女性が二名。彼らは警視庁に所属する約四万人の警察官から選抜された警備のプロ フェッショナルで、いざというときには文字通り体を張って総理を守る役割を果たす。
しや、ほんとに、それだけは避けた よ E: 」とケンカの種になってしまうかもしれない。、 ふかん ゆえに、物事を俯瞰して見据えられる状況になってから、ここしばらくの出来事を総 括したほうがよかろうと判断し、この日記のページを開くことを控えたのである。 とまあ、ここまで書いてみると、やはり、どこからどう見ても言い訳にしか見えない AJ に , かノ \ 今期の国会は荒れに荒れた。くしくも年初の施政方針演説で、凛子が予言した通り、 それは「荒波の海」であった。 それをどうにか乗り越えて行こうと、吹きすさぶ暴風雨の中、帆を揚げて出航した相 馬内閣ではあったが、逆巻く怒濤に必死の舵取りとなった。 ここ半年間ごぶさたしてしまったあなたにおしらせするために、凛子を取り巻く周辺 の動きと、国会での動きをダイジェストで記しておこうと思う。 爻のこと。 まず、あの感動的な施政方針演説「 かなり踏み込んで、凛子は自分の今後の方針について語った。いままでの総理の施政
二〇 x x 年一月二十七日曇り時々雨 いよいよ、通常国会が始まった。 いや、国会と一一一口うよりも、凛子にとっての人生最大の試練が始まった うかいいだろう。そして、沈没寸前のほんこっ船で、荒海に向けて船出した たほ、つかいいかもしれない 唳年初に行われた総理大臣の記者会見で、凛子は「再増税と社会保障の改革」「景気対 理 策」「少子化対策と雇用の促進」のほば三点に絞って、不退転の決意を表明した。 その三日まえに、原久郎が「消費税率再引き上げに関しては反対に回る」と内々に意 思表示したのだが、凛子は少しもひるむことなく、きつばり、朗々と、「政治生命を賭 して、やり切る決意です」と言い切った。 9 と一言ったほ と一言っ
( 私はそのすべてに職場の有休を取得した上で付き合わされた ) は、特別国会開会中の タイトなスケジュールの合間を縫って敢行された。二〇一〇年に中国に経済大国世界第 プレセンス 二位の座を奪われて以来、残念ながら我が日本は、グローバル社会の中でその存在感を どうしても高められないままでいた。凛子にはかねて、国内の経済地盤を固め国際市場 で産業力をもっと伸ばすべきだとの持論があった。国際社会における日本の復権を狙い 他国とも対等に渡り合うと決意している。国会が終わるまで外遊はすべきではないとい う意見も周辺から出てはいたのだが、とにかく一日でもいいから米中韓の首脳と渡り合 ってくるからと、さっさと出かけてしまった。いま何を真っ先にすべきかという優先順 位のつけ方、判断力、決断の速さ。我が妻ながら、恐るべき人物である。私なんぞは、 勤務先の所長に有給休暇の申し出をどのタイミングで出すべきか、たとえ「外交的に総 理を助ける」ということでも、普通に考えてみると、妻の出張に夫がくつついていっち やったりしていいのか ? それってヘンじゃないのか ? と迷っていたら、所長のほう 夫 から「君、奥さんの外遊に同伴しなくっていいの ? 」と切り出してくれた。 の 延長された特別国会では、凛子が公約として打ち出した消費税率改定法案についての けんけんごうごう 大議論がすでに始まり、喧々囂々の様相を呈しつつあるところだった。日本初の女性総 理のお手並み拝見ということで、野党に転落した民権党の諸氏も、声高に総理をののし ったりするのは初めのうちは控えていたが、消費税率引き上げというパンドラの箱を、 103
二〇 xx 年十二月十五日晴れ 十二月中旬、凛子が総理就任後初めて臨んだ臨時国会が終了した。 きたる一月に召集される通常国会で、来年度の予算決定、そしていよいよ消費税率引 き上げ法案を可決させるのが、凛子の当面の最重要課題だ。 いまや国家破綻という最悪のシナリオも現実味を帯びて見えるほど、日本の財政状況 は逼迫している。二十一世紀になってから、ヨーロッパ発の世界恐慌が起こった発端も、 夫とかとかとかの国々が破綻の危機に瀕したからだ。日本もそのあおりを食った上 に、同じ頃に大震災や原発事故なども起こり、復興予算を確保するための増税など、国 民に重い負担が課せられる時期がしばらく続いた。その後、所得格差はますます広がり、 勤労意欲はあっても働き口がみつからない人々、収入も少なく結婚できない若者、働く ために子供を持たない夫婦などの存在が、もはや「定番ーの社会問題と化している。悪 171 0 ひん
などの社会保障費の歳出は増える一方だ。社会が疲弊し、女性や若者が働きにくい世の 中になれば、ますます子供を産み育てられない状況になり、日本はますます縮んでいく。 まさしく、負のスパイラルに陥っているのだ。 それでも、どうにか今日まで、この国は奇跡的に生き延びてきた。だから、おそらく 大丈夫だろうという奇妙な楽観が、政界にも国民にも蔓延してしまった。今日明日にど うにかなるわけじゃなし、再増税なんていう面倒な問題は、ちょっとのあいだ棚上げし たっていいだろう。 というのが、旧保守政権の考え方だった。 けれど、凛子はこれから、自らの公約を守り、公約通りに成し遂げようとしているの つまり、「日本国丸」の復活と、 たいかなる政治家も、やり得なかったことを。 新たな船出を。 その船のキャプテンに、私の妻はなるのだ。 一月二十五日、通常国会初日。 この日、私は、徳田所長や同僚たちとともに、研究所のテレビの前に陣取った。仕事 をいったん中断して国会中継を見よう、と提案してくれたのは所長だった。ほんとうに、 やはり秘蔵の姪っ子の見合いの席に同席する叔父さん、という 気が気ではないらしい。
ころで否定できない自分がいる。なんてことだ。私の知り及ばぬあいだに、凛子と富士 宮さんは、私をいじって「女子トークーを繰り広げているのだろうか。 客人たちが移動する足音が廊下から聞こえてきた。島崎君は「ではまた、詳しいこと は後日」と告げて、キッチンを出た。富士宮さんとふたりの秘書もその後を追った。私 たたず は玄関まで見送る気分になれず、ほんやりとその場に佇んでいた。 しばらくして、凛子がキッチンに現れた。そして、「どうしたの ? 」と私の顔を見る なり訊いた。 「何かあったの ? なんだか思い詰めたような顔してるけど」 私は、とっさに作り笑いをした。 「いや、ちょっとね。遅まきながらお茶を淹れようかと思って : : : 緑茶とハープティー と、どっちがいいかなって」 「ハープティーのほうがいいんじゃない ? ・」凛子がにつこりと笑顔になった。「私もい 夫ただこうかな」 理 ープティーにハチミツを添えて、ダイニングテープルへ運んだ。凛子は椅子に座っ てくつろいでいるかと思いきや、テープルの上に幾枚もの資料を広げ、ネットの端末を 眺めて、何かぶつぶつつぶやいている。明日の国会答弁の練習をしているのだ。 凛子が国会でほとんど資料に目を向けず、野党の質問者から視線を逸らさずに話すと 129
100 明日にはもう国会の続きが始まるし、次の週末には韓国への公式訪問が控えている。 さらに十二月になるまえに、凛子と私は引っ越しをしなければならない。そう、「首相 公邸。へ。 富士宮さんは、私の隣席に座ってあれこれ話し込むうちに、よほど疲れたのか、はた またコンパートメントの居心地が良過ぎるがゆえか、いつのまにか眠ってしまった。 と 私はと一一一一口えば、妙に艷つほい寝姿に少々胸をかき乱されつつ、これではいけない、 前室の凛子に端末からメッセージを送ってみた。国会対策や政権の舵取りで、一分一秒 の余裕もない私の妻。『 How's your honeymoon to Washington, D. C. 7 ( ワシントン Q O へのハネムーン、どうだった ? ) 』との私のメッセージに、ものの一分で返事を返して きたのだった。 『 Enjoyed 一 ( 楽しかった ! そうだ。こういうところかいいのだ。度胸と、茶目っ気と、素早いレスポンス。この 三つを兼ね備えた総理大臣が、いままで日本に現れただろうか。 私は端末のモニターに浮かび上がった文字を、じっとみつめた。 楽しかった。その単純明央なひと言が、凛子とともに、このさきもあるように。そう 祈らずにいられなかった。