の活性化が必要であり、そのための規制緩和や支援策に政府も動く。 エネルギー政策については相馬内閣の目玉でもあった。二〇一一年三月に起こった東 日本大震災で、福島第一原子力発電所が被災し、最悪の「レベル 7 」の危機に陥ったこ しまだに私たち日本人のトラウマとなっている。その後、あなたもご存じの通り、 日本における原発の保有と稼働については国民の強い反発もあり、全国の原子力発電所 は休止したり廃止されたりして、日本は脱原発に向けて一定の歩みを記してきた。一方 で、政府・経産省・産業界のぎりぎりの駆け引きもいまだに続いている。さまざまな利 権が複雑に絡み合う電力業界を思い切って再編しなければ、原発を断ち切ることがなか なかできないのも事実である。旧政権の保守派には「電力族」と呼ばれて電力会社と癒 着する議員も少なくなかったから、彼らが暗躍してなかなか総理に「脱原発」宣一言をさ せなかったのだ。凛子は最初から脱原発派だったが、実は原久郎も旧政権においては脱 原発を誰よりも強く訴えていた。意外な気もするが、ふたりは脱原発で一致したのだ。 凛子は早くから風力・太陽光エネルギ 1 発電へのシフトと、全国の電力周波数 ( ヘル ッ ) の統一、電力会社の自由化などの政策を唱えていた。さて凛子を矢面に立たせて原 氏が何を狙っているのかは、現時点で私が知るところではない。 驚くべきことに、凛子の所信表明演説は、要所要所で賛同の拍手を得たものの、野次 のひとつも飛ばされすに終了した。
「消費税のこと。それから脱原発に関してだよ。ほかはどうでもいい」端的に兄が言葉 を継いだ。 「総理の掲げている欧州型の『複数税率』は、正直、経済・産業界の足を引っ張りかね ない。おれが役員を務める経済同朋会会員の企業にとっては、現行の十 % から十五 % へ の引き上げは収支に大きく影響するし、一時的に赤字に転落する企業も出て来るだろう。 引き上げ分を商品の価格に上乗せするところも出るだろうから、物価高も招く。消費税 が高ければ消費マインドも冷え込むだろうし、結果的には市場を萎縮させ、日本の国際 競争力を弱める可能性もある」 急に経営者の口調になっている。私は黙って兄の言い分を最後まで聞くことにした。 「それに、脱原発。確かに世論は脱原発でほば一致している。長い目で見れば、いずれ 避けられはしないだろうが : : : それにしても、原子力もエネルギー政策の一選択肢とし て、せめて総電力の二割程度は原子力でまかなうべく、原発は残すべきだとおれは思う。 夫さもなければ、原発関連の雇用も失われるし、各電力会社の株もさらに下落する」 そこまで一気に話してから、「お前はのんきなおばっちゃまだから、年金の心配など しなくてもいいから知るまいが」と前置きして続けた。 「電力会社の株ってのは、かっては高配当の安定株だった。福島のあの事故でそうでは ) 。念理が言ってるよ、つに電力会社の自由化 なくなったが、年金の組み入れ率はまだ高し糸
1 12 なんかしてみろ、いまの電力会社の株が軒並み下がって、ただでさえ少ない年金はもっ と少なくせざるを得なくなる。とにかく、あの事故以来、停止廃止で原発はなくなる流 れにあるんだから、何もいますぐ脱原発を掲げる必要はあるまい 「ソウマ」は父の代に「関東電力」の大株主でもあった。あの事故で大変な損失があっ たわけだが、 いまもまだ株主ではある。関東電力ばかりではない、兄の会社は世界各国 の電力会社に大口投資もしている。既存のエネルギービジネスとは深いかかわりを持っ ているから、原発の利権にも何らかの関係があると考えるのが自然だ。とどのつまり、 消費税率引き上げも、 ' 脱原発も、「ソウマーとその仲間たちの企業にとってはメリット よりもデメリットのほうが大きい、との判断のようだ。 そういえば、凛子が先頃アメリカを訪問したとき、経済界から二十名ほどが訪問団を 作って同行した。経済同朋会会長をはじめ、同会役員のお歴々ばかりだったが、現地の 経済界との交流パ ーティーに引っ張り出された私は、彼らに取り囲まれて大変な目にあ った。もちろん、相馬家の次男ということもあったからだろうが、自分の父親ほどの年 齢のお偉方におべつかを言われたり持ち上げられたりで、どう対処していいものやら、 ありがとう ) 」ざいます、よろしくお願いいたします、がんばります、などと、当たり障 りのない返事をしてどうにか逃げ切ったのだった。 彼らにしてみれば、かっては長らく政権の座にあった民権党と癒々着々をしてきたの
レベルに戻す」ことにした。 国家予算歳出の徹底的な見直し。これは、かって民権党内閣が行った「仕分け」とは 一線を画するもので、官僚の天下り先となっていたかたちばかりの政府系財団法人や、 どう見ても必要のない公共事業など、予算的にインパクトのある案件を廃止したり凍結 させたりを断行した。これは、第一次相馬内閣のときから徐々に実行され、一年経って いっそう大掛かりに見直されることとなった。 エネルギー政策も、脱原発に大きく舵を切った。現在、すべての原発は停止状態にあ ったが、それらの再稼働を凍結。風力や他の再生可能エネルギーによる発電所を増築し、 各地の原発は廃炉に向けてのプロセスに入る。すべての原発の廃炉完了には数十年を要 するし、使わなくなった核燃料をどう処分するかなど、なおも課題は山積していたが 「とにかくもう原発には頼らないーという強い意志を、凛子は貫く決意であった。 そして、雇用・少子化・高齢化対策。各企業の正社員雇用の増強を促すために、正社 夫員をより多く雇用する企業には給与補助や減税をする。契約社員やパート社員の社会保 障を強化、これについても政府が補助する。契約社員に対して安易な契約打ち切りを許 さないため、労働基準法の改正にも乗り出した。 各自治体主催の「婚活」イベントに補助金。出産一時金のほかに、出産にかかる費用 への健康保険の適用。ゼロ歳児から中学生まで、育児・教育にかかる費用は、各家庭個 393
374 去年に引き続き、真夏の合戦となった今回の総選挙は、原久郎爲相馬凛子の対立がく つきりと浮かび上がった戦いだった。 再増税に異を唱え、再び強力な保守派支持層を後ろ盾として、べテラン議員で勝ち抜 こうとした原久郎 対する凛子は、再増税あっての経済再生・脱原発・相互に助け合う社会の構築を目指 して、理想論ではなく、あくまでも現実に即した政策を国民に提案することで、原氏が 振り下ろす鋭い矛をかわそうとした。 そして、迎えた投票日。 ふたを開けてみれば、凛子一派が辛くも勝利を収める結果だった。 全国で直進党が擁立した新人候補が次々に当選、そしてその多くは女性候補だった。 また、直進党と政策を同じくし、第二次相馬内閣の連立与党となった暁には合流すると 「まぶしいんでしょ ? 凛子総理が」 図星だった。我が妻ながら、目を開けていられないほど、私にはまぶしく見えたのだ。 第一一一一代内閣総理大臣、相馬凛子率いる第一一次相馬内閣。 この日、堂々、再出発を果たしたのだった。
として知られる人。政治家を目指す若者で、凛子のポリシーに強く共感している人。有 能な起業家、アントレプレナーにも、立候補の打診をすることにした。 選挙戦が始まるやいなや、凛子イチオシの候補者たちは「凛子キッズー「鳥合の衆」 やゅ 「ド素人集団」等々、マスコミから揶揄された。これは、当然、原久郎サイドが焚き付 けてのことに違いなかった。 このようなマスコミのあおりもあって、選挙戦は、相馬凛子原久郎の様相がくつき りと浮かび上がった。 凛子が掲げたマニフェストには「日本再生のための再増税ー「脱原発」「個々が自立し、 助け合う社会の実現。の三点が挙げられた。 国家予算を一から見直し、無駄を徹底的に省いた上で、意味があったと実感できる再 増税をおこなう。 原発以外のエネルギー供給源を確保し、脱原発に向けてロードマップを作り、実践す の 理 少子化対策に力を入れ、企業の雇用システムを抜本的に変え、女性と若者が働きやす い社会を構築する。そして、個々が自立し、互いに助け合うことのできる社会を創出す る。 もちろん、いまの日本には、数え切れないほど幾多の問題が山積している。が、凛子 367 しろうと
の反発が強まったり相馬内閣の支持率が急落したりしたら、国民に是非を問うために解 散総選挙ということはないだろうか。いや、それはじゅうぶんあり得る事態だ。 そうなった場合、国民が消費税率アップと美人総理を天秤にかけ、やはりいくら美人 総理でも消費税を上げられるのはいやだと判断したら、相馬内閣はそれで終わりになる。 しからば、凛子は晴れてもと通り直進党党首、一国会議員となり、私とともに週に一 度くらいは食事をしたり、プライベートで外出したりすることもかなうだろう。 しかし、私はそれで満足を得るとしてーーーこの国は、日本は、どうなるのだ。 ま 総選挙に敗けて凛子が総理でなくなったあと、いまや当然のように消費税率据え置き を唱えている民権党に政権は戻るだろう。声高には言わないけれど、彼らは原発の存続 を密かに推進しているから、現政権が脱原発路線に舵を切ってきたエネルギー政策も、 もくあみ 再び「原発村」議員たち主導となって、もとの木阿弥になりかねない。タイムマシンに 乗ったみたいに、この夏以前の状態に戻るわけだ。そうなったら、日本はどうなるのだ。 夫そりゃあ、あと数年はどうにか持つかもしれない。しかし、もはやどうすることもで 理 きない財政難を抱えた難破船となって、遅かれ早かれ、この国は沈没するだろう。 総 「いや。それは断じて困る」 私は箸を握ったまま、思わずひとりごちた。いくら妻とともに心静かに食卓を囲みた いからって、日本に沈没されたらおしまいじゃないか 1 別
たのか、確信を持てないほど動揺していた。あまりにも阿部氏がみつめるので、私はい たたまれない気持ちになった。コロンボに追い詰められた容疑者も、こんな気分になる のだろうか 「そんなことを言うために、あなたは私をわざわざご自宅へ呼び出したのですか ? 」 エラそうなことすんな、と言っているように聞こえた。私は「はいつ。すみません とあっさり詫びてしまった。ああやつばり、私は絶対に罪を犯せない。刑事さんでも奥 さんでも、誰かに追及されたらすぐに白状してしまいそうだ。という以前に、盗撮され てカネを要求されて謝ってる私っていったい : 気を取り直して、私は、阿部氏をまっすぐに見て言った。 「私は、あなたの写真の中に写っていた女性と、断じておかしな関係ではありません。 しかし、写真にうつかりと写ってしまったことは私の責任です。だから、私は、本件を 誰にも話すつもりはありませんし、自分だけでなんとか解決しようと決心しました。私 は、このことで、妻をーー・相馬凛子を煩わせたくはないのです」 私は無力な夫ですが、妻を、凛子を守りたいのです。 消費税率引き上げについて、矢面に立ち、苦しみ抜いている凛子。脱原発政策に舵を 切ったことで、経済界や原発族から激しく突き上げを食っている凛子。 凛子をいま、支えているのは、世論。国民の支持だけなんです。しかし彼女は、国民
198 いから、見つけ出して、暴いてやる。財源確保だと ? 脱原発だと ? ふざけるな。い い気になるなよ。しよせん、女のくせに 総理づらしていばってられるのは、せいぜいいまのうちだ。 「まるで薄い氷の上を歩いているみたいよ」怖いほど静かな声で、凛子が言った。 「そのうちに、足下から割れてしまうかもしれない・ それは、凛子という人を知り得てから初めて聞いた、弱音だった。いや、本音だった。 ぎりぎりのところで、彼女は、ひとり、闘っている。 ームよ。 それなのに、私は 私は、彼女のために、何かしてあげただろうか ? いや、何も。 私は、何もしていない。何も、できないのだ。 日本初の女性総理大臣。美しく、聡明で、人心をつかむ術を持つ、女神のような私の 妻。 私は、浮かれていなかっただろうか ? 凛子が国民にもてはやされていることに。国 際舞台にあっては、各国の首脳と堂々とわたり合っていることに。果ては自分にも追っ かけが登場して、注目を集めていることに。 自分が、総理の夫であることに。 凛子は、うつむいて、マグカップを両手で包み込んだ。小さなカップの中の熱を、確
理ということもあり、まずはお手並み拝見、黙 0 て聴いてやろうじゃないか、と紳士風 を吹かせてみたのだろう。しかし、想定外に聴きごたえのあるスピーチに、野党議員諸 氏はすっかり黙り込んでしまったのだった。 凛子の所信表明では、そのポリシーが大きく五つの指針に分けて示された。 一、国民主権の再認識、旧体制からの脱却 二、社会保障の財源確保のための再増税 三、地方自治制の強化、自治システムの変革 四、少子化・雇用・経済の活性化を同一のものとした改善策の実施 五、脱原発に向けたエネルギー政策と環境政策の実施 再増税については、民権党政権では長らく開けてはいけないヾ ノンドラの箱として放置 されてきた。しかし、日本の財政の累積赤字はべらばうな数字に膨れ上がり、もう待っ たなしの状況で、これ以上放置すれば破綻するのは目に見えていた。しかし、旧政権は なかなか「ネコの首に鈴をつける」ことができす、二の足を踏んでいた。米沢内閣が手 をつけられずにぐずぐすしていた面倒な課題に、勇気と信念を持って着手する。その一 点を倒閣の旗印に掲げていた凛子は、選挙で「消費税を十五 % にする」と堂々訴えた。