はごたごたが続き、保守派と原氏率いる改革派とにまつぶたつに分かれていた。直進党 を始めとする野党各党は、民権党の支持率が急落するタイミングを見計らって、内閣不 従来であれば与党が過半数の議席を占める衆議院において不信任 信任案を突きつけた。 , 案は否決されるはずなのだが、なんと原氏率いる改革派が野党側に寝返ったのだ。結果、 米沢内閣の不信任案が可決され、首相はこれを受けて解散総選挙に踏み切った。 原氏は自分の勢力を引き連れて民権党を離脱、民心党を立ち上げた。原氏はめつほう 選挙に強い男で、この天下分け目の大合戦を闘い抜き、立ち上げ直後の新党ながら八十 議席を獲得した。凛子率いる直進党も、もともと五議席しかなかったのを十議席に増や す大躍進だったが、それでも、群雄割拠の少数政党が居並ぶ政局の中では第五の党だっ た。総選挙が終わった段階でも、凛子は、あくまでも少数政党の党首という立場でしか なかった。 しかし、そこからがすごかった。原氏は「まったく新しい政治体制を」との信念のも とに、野党各党に連立を持ちかけ、あっというまに政策を同じくする四党をまとめ、連 立政権樹立を現実のものとしたのだ。結果、長いあいだ政権をほしいままにしてきた民 権党は、あえなく野党に転落した。 原氏の手腕の鋭さ、動きの速さは、恥ずかしながら政治に疎い私の目にも恐ろしいほ どに映った。しかし、まさか、自分の妻が担ぎ出されて、本邦初の女性総理、しかも四
議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければな らない つまり、衆議院から不信任決議を突きつけられた内閣は、自分を不信任とした衆議院 を解散して総選挙に打って出るか、総辞職をせざるを得ない。不信任決議案とは、野党 にとっては国会における伝家の宝刀ともいえる。与党との対決色を前面に出し、国民に ほうき 「野党蜂起」を印象づける最強のカードだ。 しかし通常、衆議院の議席は与党が過半数を占めているわけだから、野党が一丸とな って不信任決議案を提出しても、ほとんどの場合は否決されてしまう。従ってこのカー ドはよほど廩重に切られなければならない。あっさり否決されれば、国民に「やつばり とか、逆に失望されてし とか「任せられない 野党はだめだ。とか「まとまりがないー まいかねない 否決されるとわかっていて提出されることもある。ただしその場合は、よほど野党が 一枚岩となって内閣に「 ZO_ と一一一一口える団結力がなければならないし、国民からは「や るだけのことはやってくれたーと一定の評価を得られる目算がなければならない。伝 ( もろはつるぎ の宝刀ではあるのだが、いってみれば諸刃の剣なのだ。 凛子はそのとき、直進党党首になって八年、衆議院における議席数は五。「新党おお ぞら」、「革新一歩党」に続く野党第三の党だった。ニュースなどで野党各党の党首コメ
総理の夫 355 「大きいですね」富士宮さんは、妙に落ち着き払って答えた。 「原さん率いる民心党の議員数自体、けっこうなボリュームですから。少なくとも野党 と民心党を合わせれば、内閣不信任案が提出されれば、可決される可能性が高いです , それはわかっている。だから、すでに各党議員が、解散総選挙を見越して動き始めて いるのだ。 それにしても原久郎、いったいどこまで腹黒い男なのだろう。 もともと自分が所属していた民権党を牛耳れないとわかったとたんに離反し、いまま た新たに「政権復帰しないか」と、甘い言葉で接近するとは。もちろん自分が総理大臣 になることを前提として、アプローチしているに違いない。いったん野党に下って苦汁 を舐めた民権党は、なんとしても再び与党に返り咲きたい。そのためになら「原総理」 の条件も喜んでのむことだろう。 とはいえ、凛子だって、おとなしくこの状況を傍観しているはずがないのだ。 : このままではすまないのでしようね」 私のつぶやきに、富士宮さんがこくりとうなずいた。 「ええ、やりますよ、総理は。がつん、とね。もうまもなくです。日和さん、なかなか 凛子さんから詳しい話を聞けずに落ち着かないでしようが、大丈夫ですよ。総理はちゃ んとやってくれます」
ント紹介となると、三番目に凛子が登場する。つまり、政権に一枚噛むことなど、どう 転んでもできない立ち位置なわけだ。 その凛子が、確かに苦労人ではあるかもしれないが与党の大物で腹黒くて政界の黒幕 である原久郎に向かって、いきなり「最後のカードをちらっかせた。これには私も驚 仮に最後のカードを切るとしても、凛子ではなく、野党第一党である新党おおぞらの 箱根党首あたりがやるべきことなんじゃないか。つまりは、野党を完璧にまとめる根回 しができる人物こそが、やるべきことなんじゃないだろうか。 凛子って、そこまで政治家として成長してたんだろうか。私の知らないあいだに。だ としたら、それはそれですごいけど。 などと、私はひとりであわあわしていたが、内閣不信任決議案の提出案を突きつけら れた原久郎は、ロの端を微妙に持ち上げてにやりと笑った。その笑い方は、ちょっと黒 夫幕つほい感じがして、再び私の興味を引きつけた。 理「やはりあなたは勘のいい方ですね、相馬さん」 原氏の物言いは、さてこれから裏取引をしましよう、という感じの、悪代官と通じた 越後屋ふうな響きがあった。 「実は私は、そのひと言をお聞きしたいがために、今日、あなたがたご夫妻をこの席に
「いいんですか、ほんとに ? 」 「ええ、もちろんー富士宮さんはにつこり笑って答えた。 「じゃあ、私のほうから総理にお話しして、許可をいただいておきますね」 私が自分で言うよりも、ここは凛子との交渉に長けた富士宮さんにお任せするのがよ かろうと判断した。ただでさえ、公邸に移ってから、私たち夫婦のコミュニケーション は日増しに薄まっている。べッドもふたつに分けられてしまったいまとなっては、ふと んの中で妻の手を握るのは簡単なことではなくなった。 凛子は、公邸移住後、いよいよもって多忙を極めていた。総理大臣就任後に始まった 臨時国会における消費税率改定に関する議論が、まさにピークに達しつつあるのだ。年 内に決着するのは無理であるというのが大筋の見解で、一月から始まる通常国会の会期 中に改定法案を成立させたいというのが、凛子の肚のうちのようであった。 相馬内閣の支持率の高さに、野党は消費税率アップ反対を唱えつつも、解散総選挙を 夫迫るに迫れず、じり貧状態に陥りつつあった。国民に信を問うために解散総選挙すべき だ、というのが、従来の支持率の低い内閣に対する野党の決まり文句のようなものだっ た。が、相馬内閣の場合、解散総選挙に持ち込まれたら、凛子の人気と原久郎の百戦錬 磨の選挙術で、圧倒的勝利を収められ、下手をすれば凛子率いる直進党と原久郎率いる 民心党ほか、連立与党を組んでいる政党に議席を独占されかねない。そうすれば自分た 147
にかくなんであっても直球勝負というのかポリシ 1 だった。それが相馬凛子という政治 家の最大の魅力であり、ウィークポイントでもあるーー・ーとい、つことを、本人はどこまで 自覚しているであろうか なごやかな雰囲気の中、コース料理は冷たい前菜、温かい前菜、スープ、メインと順 調に進んだ。原氏は乾杯のシャンパンに少し口をつけただけで、すぐにペリエに切り替 えてしまった。夫人もペリエを飲んでいる。私もあまり飲むほうではないので、ワイン をちびちびとやっていた。凛子だけが、大いに飲んでいた。彼女はめつほう酒が強く、 ちょっとやそっとでは酔っぱらったりしない。しかし与党の大幹部に持ち上げられて気 分が高揚したのか、かなり気持ちよさそうな顔になってきた。 さわ 原氏は実に巧みに会話を運んだ。当たり障りのない会話のあいだに、ちらほらと米沢 内閣への批判を、これまた当たり障りなく紛れ込ませた。野党の党首に与党の幹部が身 内の悪口を囁くなどということは、普通ならば考えられない。が、原氏は自分が与党に もんもん 夫いながらにして悶々としている現状を、凛子に遠回しに伝えよ、つとしているよ、つだった。 の 理 彼の思惑は、 ) しったいどういうものなのだろうか 凛子は、与党民権党の長いあいだの一党支配体制によって、政治家と官僚とが癒着し、 省庁が民間企業と癒着しているのを、直進党の結党以来ずっと糾弾し続けてきた。少子 いらだ 化対策や税制改革についても、歴代内閣がなかなか着手しないことに苛立ちを募らせて ゅちゃく
総理の夫 287 し続けていることだ。 国民のほとんどが、相馬総理と苦しみを分かち合い、苦難を共にすると覚悟を決め、 あっさり増税を受け止めてしまったら、どうなるか。 相馬凛子は、絶大な人気を誇ったまま、このあとしばらく総理の座に君臨し続けるか もしれない。 そうなってしまっては困る。断じて困る。 私の出番がなくなるではないか。 消費税率引き上げ法案可決の際には、四〕六の割合で、国民が反対しているのを無理 野党を黙らせるには解散か総辞職しかない 矢理押し切ろうとする、という設定がいい しかし解散総選挙となれば、国民がやはり消費税率アップを嫌って、消費税率引き上げ 反対を唱える党に票を投じるだろう。連立与党に参加していた各党は惨敗、民権党が与 党に返り咲いて、消費税の一件はなくなってしまう。そうなっては、元も子もない。 ここはひとつ、法案成立と引き換えに相馬内閣はケジメをつけて総辞職ーーーーそういう シナリオで進めたい。 そのためには、 ) しまの段階で、多少いじめておくのかいい 夫の相馬日和は妻の多にをいいことに浮気している、ということにしよう。そうすれ ば、相馬凛子は自分の夫の管理もできないダメな女、ということになる。やはり総理大
きべん 「そんなの詭弁じゃないですか。一致団結して増税法案を通そうって、あの人、凛子さ 島崎君の声がいっそう色めき立ったので、私は、「しつ」と口に人差し指を当てた。 「密室の会話で議事録も何もないんだから、いまさらそんなこと言ったってだめだよ」 「そりやそうですけど : : これ、かなりやばいですよ、日和さん。原久郎にそっほ向か れたら、今度の通常国会での法案通過は絶対ムリです」 島崎君の心配は、もっともなことだった。いかに凛子が練りに練って仕上げた法案で あろうと、原氏にそっほを向かれた瞬間、その法案は否決されるに違いないのだから。 連立を組む与党となる五つの政党ーー民心党、新党おおぞら、革新一歩党、新党かわ る日本、そして直進党。この五つの政党で、衆議院では過半数となる二 , ハ〇議席を確保 し、参議院でも同じく過半数の一三一議席を確保している。衆議院の議員定数は四八〇、 参議院は二四二だから、両院とも、連立で「辛くも」過半数を確保しているといったほ 夫 、つ、カしし 。そして、その中で、もっとも多数の議席を占めるのが、原氏が代表を務める の 総民心党なのだ。 現在の衆議院における連立与党の議席数は、民心党八十、新党おおぞら七十、革新一 歩党六十、新党かわる日本四十、そして直進党十。前回の選挙で、凛子率いる直進党は 大躍進をしたわけなのだが、それでも単独で政権を取れる数にはほど遠い 引 7
364 一方、原久郎率いる民心党、野党に転落した民権党、さらには連立解消後、凛子から 離れると表明した新党かわる日本の三党には、圧倒的な地盤の強さがある。加えて、民 心党や民権党は経験豊富な政治家が多く、選挙運営にも長けている。一一世、三世議員も 多い いざ選挙となれば、原久郎側の圧倒的勝利に終わるだろう、というのがおおかたの予 測なのだった。 原氏は、実はそれも見越していて、すべて仕組んできたかのようでもあった。 あまり早く自分が造反を表明すると、凛子がすぐにでも解散してしまいかねない。高 支持率のうちに解散となれば、ひょっとすると、凛子側にも勝算が出てくるかもしれな い。なにしろ、増税を明言しても高支持率をキープした総理大臣は、過去に前例がほと んどないのだ。凛子は、異例中の異例だった。 増税に関しては、じゅうぶんに議論を重ね、国民にも「やはり増税は困る」とまず思 わせる必要がある。少しでも総理の支持率を下げ、その間に自分は水面下で各党首に打 診し、解散総選挙に勝利して、その後、自分と再度連立を組まないかと囁いて回る。味 方を確保し、万全の態勢で総選挙を迎える。 これは、原久郎が前与党だった民権党を離反して、凛子に連立を持ちかけたときのシ ナリオと、ほとんど変わらない戦略である。
これが女性ならば、「アラフォー」とか言われて、女性同士の旅行やグルメな女子会 で存分に楽しみ、消費欲も ( 家庭のあるなしにかかわらす ) 恋愛欲も旺盛な世代として あわ ちやほやされるのに、男子たるもの、実に哀れな存在ではないか。妻子にいちばんお金 のかかる時期のお父さんは小遣いを減らされ、女性に近づけばセクハラと言われ、男同 ・つ 士の飲み会はむさくるしい親父たちの憂さ晴らしとしか見られず、男同士で旅などすれ ばゲイの疑惑をかけられる。まったく、男の生きにくい世の中になったものである。 まあしい。とにかく、島崎「青年」は、陰ひなたなく、凛子を支えてここまできてく れた。彼の存在なくして、凛子の大躍進はなかったことだろう。 しかし、本邦初の女性総理誕生に一役買ったのは、実は直進党内部の人間ではない。 くろ・つ ほやほやの新党である民心党党首、原久郎氏その人だ。 き 原氏は、私が知るところの政治家の中で、もっとも野心的で急進的な人物であり、稀 代の策士ではないかと思う。彼の存在がなかったら、凛子は少数野党の一党首として、 夫生涯をもう少し地味に生きることになったのではないだろうか よねざわしゅんたろう みんけん おちい 米沢旬太郎前首相率いる与党・民権党の政権は、完全なる末期症状に陥っていた。財 はたん 政はとっくに破綻し、消費税率を十 % に上げると先々代の内閣で言い放って「パンドラ の箱」を開けておきながら、おずおずして実施に手間取り、そうこうするうちに財政が ひつばく お逼迫、国際的な格付け機関による日本国の格付けはまた一ランク落ちた。民権党内部で