けて造反を誘発したという噂が入った。七月九日土曜日の夜、べイナ 1 がキャンプデービッドのオパ せんばう 見込みはないと告げた。抜け目なく共和党右派の先鋒に収まっていた下院 マに電話して、うまくいく 多数党院内総務エリック・カンターが、オパマ・べイナー秘密交渉の蚊帳の外に置かれていたことに 怒り、政策合意を粉砕したのた。下院共和党はいかなる増税も受け入れないので、もう一度大統領と ヘイナ 1 はその公式見解に屈して、いかなる 交渉し直してほしいと、カンターはべイナーに告げた。。 増税も認めないという共和党のコーラスに加わった。 共和党寄りのコラムニスト、デービッド・プルックスは、オパマの妥協には有利な点が多々あった のに、ティー ーティーに支配されている共和党が頑固に拒否したことに、怒りを爆発させている。 「無能集団の温床 , と題した《ニューヨーク・タイムズ》の寄稿記事にプルックスは書いている。「正 常な共和党であれば、政府拡大を長期にわたって制限できるチャンスに飛びついたはずた」。たが、 ーティー右派に牛耳られている共和党は「この運動の参加者は、条件がいくら有利でも、妥 協の条理を認めない。政府を一フィート削減する見返りに一インチ増税するといったら、彼らはノー と答えるたろう。政府を一ャード削減する見返りに一インチ増税するといっても、やはりノーと答え るに違いない」。 べイナーは、こういう悪い印象をあたえたことを気に病んたに違いない。七月半ばにオパマ大統領 との秘密交渉を再開している。この最後の交渉で、二人の大型政策合意は、いっそう大それたものに なった。前回合意した歳出削減二兆六〇〇〇億ドルに、べイナーはメデイケアとメデイケイドの削減 四五〇〇億ドルを積み増した。これに対してオパマは、べイナ 1 が前回受け入れた八〇〇〇億ドルに くわえて、さらに三六〇〇億ドルの税収増を要求した。たが、七月一七日に、この逆提案のことをベ かや 174
ーティーの活動家たちは、それらすべて ・ブッシュ政権化ではさらに右傾化した。また、ティー よりもずっと極右た。 民主党も変化したが、共和党ほど激しい変化ではなかった。民主党の連邦議会議員は、政治哲学が 似通って、統合しやすくなった。無風区のリべラルが、これまでになく議員団の主流を占めるように なり、二〇一〇年に保守派議員が落選したあとは、その傾向がことに強まった。しかし、逆に集団と しての議会民主党は、共和党右派の重力に引きすられて、右へと傾いていった。 ゴールドウォーターの攻撃 共和党右派は、保守主義者を自称している。アメリカの全国民の三四。ハーセントもそうた。 * 8 テ保守主義にはさまざまな種類がある。ウォール街や企業国家アメリカの東部エスタブリッシュメント 保守主義は、世界貿易と大企業に有利な税政策を促進しようとする。中西部の小さな町や田舎の郡の 保守主義は、原則的に大きな政府を嫌うが、農業補助金、中小企業向け融資への連邦政府の補償、地 テ と元の病院や電力事業への補助金はほしがる。このふたつは、学校でのお祈り、堕胎、ゲイの権利など 派 右の問題で活動するカトリックや福音派の社会保守主義とは異なる。 進攻撃的なニューライト保守主義の特異性をはじめて打ち出したのは、一九六〇年代に共和党内でイ 急 ・ゴールドウォーター上院議員たろう。率直 デオロギー造反に火をつけた、アリゾナ州選出のパリー 九な物いいで美男子のゴールドウォーターは、熱烈な反政府・反組合の保守主義者たった。共和党の伝 第統的な保守主義を打倒し、アメリカを取り仕切っていた超党派の政策合意を足蹴にして、ゴールドウ 153
統領のメデイケアに賛成票を投じた穏健派六五議席が、一一一議席以下に縮小した。 共和党の右派への大きな変化は、南部でことに顕著た。一九六四年から二〇一〇年にかけて、旧南 部連合国一一州とケンタッキー州とオクラホマ州における共和党の議会勢力は、上院がわずか四議席 たったのが二〇議席に、下院が一四議席から一〇二議席に急増した。これによって共和党は一九八〇 年に上院を支配し、それ以来、何度か支配するようになった。共和党勢力の急増は、議席数たけでは なく、政策の傾向を変えた。サンベルトの共和党議員は、かっての共和党保守派が支持していた 府の社会福祉プログラムや経済介入に反対してきた。 絶縁状態 ある問題では民主党保守派が共和党に同調し、べつの問題では共和党穏健派が民主党に同調すると いったふうに、二大政党は従来、重なる部分も多かった。しかし、やがて政治中道は左右、ことに右 むしば 派によって蝕まれた。「過去三〇年間、政党は中道を捨て : : : 右派と左派に分かれた、と、議会を学 道術的に分析している『 PolarizedAmerica ( 二極化するアメリカ ) 』の共著者たちは述べている。 中 政治学者キース・プールとハワード・ローゼンタールは、中道の滅亡をそっくりそのまま図表化し わた。さまざまな問題に関する個々の議員の投票を図示し、二大政党の溝がびろがっていくありさまを 失 点描チャートで表した。二大政党の溝がみるみるびろがっていくのが、よくわかる。月日が流れるに 八つれて、共和党の投票。ハターンを表わすの点が、民主党の投票。ハターンを表わすの点から遠ざか 、までは両党のあいたに空白地帯ができて 第る。かっては両方の点の塊が重なることもあったのたが、 ( 139
、 0 しょ - っ要」 - つほ チャード・ニクソンが共和党の南部の橋頭堡を拡大して、旧南部連合国の諸州で十分な票を集め、ヒ きんさ ノ ート・ハンフリーを僅差で破って、大統領に当選した。一九七二年以降、南部とサンベルト南 西部は、共和党のもっともあてにできる票田になった。 中道の滅亡 穏健派は両党とも圧力を受けたが、ことに共和党穏健派への圧力が強かった。南部が共和党優勢に なると、北東と大西洋沿岸中部が民主党寄りに変わった。北部の共和党穏健派は、絶滅危惧種になっ た。戦闘的で党に忠誠な党員の議席を確保しようとする指導部によって、打ち負かされるか、粛清さ れるか、ゲリマンダーで議席を失った。あるいは、過激派の候補が有利なように細工された予備選挙 で敗れた。民主党も似たようなもので、ことに都市部では、リべラルの再選に有利なように選挙区の 割り振りをした。共和党保守派がサンベルトの議席を奪い、民主党の保守派は縮小した。 現在の上院の共和党穏健派は、公民権法でダークセンが集めた一三議席から、わずか三議席ーー・マ サチューセッツ州のスコット・プラウン、メイン州のオリンピア・スノーとスーザン・コリンズ に減っている。たが、スノ】はべイとおなじように、議会の粗暴な党派主義に業を煮やし、辞職を決 意した。ニューヨーク州のジャビッツ、ニュージャージー州のケース、ペンシルべニア州のスコット、 ーモント州のエイケン、マサチューセッツ州のソルトンストールなど、北部の上院共和党穏健派の 議席は、現在では民主党に占められている。かって共和党穏健派ジョン・シャ 1 マンが当選したケン タッキー州は、ティー ーティー ( 茶会派 ) のランド・ポールに握られた。下院では、ジョンソン大 ノ
て致命的たろうと、ジョンソンは考えた。たしかにゴールドウォータ 1 を打倒することはできたが それがあたえた影響については読みが間違っていた。一九六四年のゴールドウォータ 1 の敗北は、右 派を鎮めるのには役に立たず、それから四〇年以上、右派は政治中道に反撃し続けた。 ジョンソンは、ほかのことでも予言をー・ーアメリカの政治地図がどういうふうに書き換えられるか についてーーー的中させている。とてつもない規模で政治が変容することを、ジョンソンは予見した。 民主党では、公民権法成立をめぐる南部議員の反応でニュ 1 ディール以来の結束にひびが入り、共和 党では攻撃的な新勢力の台頭が伝統的な保守主義を変えた。それによって二大政党の基盤が根底まで 揺さぶられることを、ジョンソンは見抜いていた 歴史的な公民権法が議会で成立した数時間後に署名したとき、ジョンソンは有頂天たった。しかし、 その晩にビル・モイヤーズ報道官は、べッドでふさいでいる大統領を見ている。「どうしたのです か」とモイヤーズがたずねると、ジョンソンは答えた。「南部をこの先何年も共和党に明け渡すとき が来たと思う」。 ジョンソンの読みは当たった。テキサス人のジョンソンは、自分の地盤とその政治を心得ていた 道民主党の支配する議会で公民権法を成立させ、つづいて一九六五年に投票権法を成立させたことで、 中 南部の白人層は民主党に対する反発を強め、それが長年薄れなかった。かっての「一枚岩の南部」、 れ わ民主党の歴史的な拠点は、共和党のものになった。 失 ジョンソンの予想よりもずっと早く、再編成がはじまった。一九六四年一一月の大統領選挙で、パ 章 八 ゴールドウォータ 1 がジョンソンから奪えたのは、わずか六州たった。地元のアリゾナと、深 ミシシッピ、ルイジアナ。一九六八年、リ サウスカロライナ、ジョージア、アラバマ、 第南部五州 137
したり、高額な保険料を請求したりするのを防ぐのが目的ーーは、完全な党派主義にさらされた。中 道はどこにもなかった。一九六五年の共和党議員たちのように、妥協案を出す穏健派はいなかった。 二〇一〇年の共和党の反対は、かたくななまでに画一的たった。オパマ案は、一九七四年に共和党の ニクソン大統領が提案したヘルスケア改革ほど政府支援のヘルスケアの拡大が野心的ではなかったに もかかわらず、共和党の穏健な議員数人も党の方針に従った。 共和党の一枚岩の反対にぶつかったオパマ政権は、法案を成立させるのに必要な票を集めるために、 企業寄りの民主党保守派と流動票に妥協しなければならなかった。コネティカット州選出のジョー ーマン上院議員は、ホワイトハウスに圧力をかけ、民間保険会社が憎悪していた政府の保険プ ログラム、「パプリック・オプション」〔公的保険を新設する構想〕を放棄させた。結局、水増しされたへ ルスケア法案が、どうにか成立した。 特徴的たったのは、最終採決で決着しなかったことたった。現在はイデオロギーの分裂があまりに も激しいので、何事も片付かない。、 とんな問題も、延々と揉め続ける。二〇一一年に議会の新会期が はじまると、共和党は新しいへルスケア・プログラムばかりではなく、消費者金融保護庁設立法など、 オパマ政権の新政策を廃止し、予算を取り消し、骨抜きにしようとした。中道が強力な政治では起こ りえないことた。法律が発効したら、議会は心機一転で先へ進むべきなのた。 超党派主義で政府はうまく機能する 超党派の共同作業が行われるのが常態であるときのほうが、政府はうまく機能する。共和党の大統 131
あからさまにこういった。「私はこれからの六年間、上院に身を捧げるつもりはありません」。 ュタ州のオーリン ・ハッチ、インディアナ州のリチャード・ルガーなど、共和党主流の上院議員は、 ーティーの粛清を避けるた 大統領候補とおなじように予備選挙で筋金入りの右派に迎合し、ティー ーティーの粛清を免れたが、 めに、選挙運動で強硬な右派の姿勢を維持した。ハッチは最初のティー ルガーは打倒され。 保守派コラムニストのデービッド・プルックスは、共和党の原理は純粋なイデオロギーを強要する 「異端審問」たとして、その圧力に屈したハッチやルガーを厳しく非難した。「自分の政治キャリアを 守れるように、急進派にびれ伏すのは不名誉極まりない」と、プルックスは批評する。「もちろん、 この五〇年のあいたに共和党で起きているのは、まさにそういうことた。何十年も、おなじ図式がく り返されてきた。右派が党を乗っ取ろうと戦い、主流の共和党党員が議席を守ろうと、へつらったり、 たくみに身を処したりする。急進派の共和党は、党の同僚を熾烈に攻撃する。中道派は紛争を避ける ために交代する」。プルックスは警告する。「この新急進右派が危険なのは、国家の統治というものを : 不満分子 信じていないからた。法案を成立させるのに必要な妥協を、彼らはいっさい許容しない・ の政治た。。 従来、共和党と民主党の主流は、財政赤字やソーシャル・セキュリティーとメデイケアの将来など、 政治的に危険な問題に、超党派の委員会で取り組んできた。政治の脚光を浴びないところで、どちら も犠牲を払うという前提で妥協した。だが、ニュ ハワーゲームでは、歳月の試練を経て実証され たギブ & ティクの手法が排され、その代わりに、政治家が自嘲して「恒久的政治運動」と呼ぶものを、 共和党強硬右派が押し進めている。 180
主党が経済刺激策を成立させたが、共和党で賛成に回ったのは、わずか三人たった。オパマの「ポス ト党派主義政治」は開始と同時に消滅した。 次の重要課題であるヘルスケア改革では、共和党右派は反対の姿勢を崩さないたけではなく、容赦 なく攻撃した。数々の妥協を加えられた法案は、痛めつけられながら両院を通過したが、共和党の票 はびとつも得られなかった。 しれつ 金融規制に関しては、戦線はさらに熾烈たった。金融機関の破綻に関して大衆のウォール街への怒 りがひろがっていたにもかかわらず、金融大災害の再燃を防ぎ、消費者を保護するためのウォール街 に対する新規制の法制化と執行を、共和党は、妨害し、戦い、反対票を投じた。結局、ウォール街を 取り締まるのに利点があると見て賛成した共和党議員は、わずか六人ーーー上院で三人、下院で三人た った。 テ 一九九四年とおなじように、共和党の議事妨害主義は、二〇一〇年の中間選挙で政治的成果を上げ た。失業率が高く、住宅が多数差し押さえられ、経済的不満がひろまるなかで、有権者は怒りを民主 党の現職議員に向け、共和党とその新ティーパ ーティー派は大勝利を収めて下院を支配した。 テ 派 右 ウイルス性の怒り 的 進 急 ティー ーティーは、二〇〇〇年二月、怒りのなかから生まれた。シカゴのヘッジファンド・トレ 章 九 ーダー、リック・サンテッリが、差し押さえに遭った住宅所有者を納税者の金で救済することに反対 第する演説を、全国ネットのテレビで長々と行った。 O Z O の〈スクオーク・ポックス〉で、サンテッ はたん 169
穏健派を排除する たが、ニューライト軍団は着々と共和党支配を強め、党の浄化を進めて、自分たちが軽蔑を込めて X—ZO ( 名ばかりの共和党員 ) と呼ぶ者を排除しはじめた。ターゲット・ナンパ ーワンは、一九八〇 年の共和党大勝利のさなかにペンシルペニア州で当選した、一匹オオカミの穏健派、アトレン・スペ クター上院議員たった。その選挙でニューライトの議員多数が初当選し、一九五四年以来はじめて共 和党は上院を制した。 ・スコ スペクターはケネディ時代の民主党を皮切りにフィラデルフィアで政界に入ったが、ヒュー ット上院議員やジョン・ハインツ上院議員のような、ペンシルべニアの穏健な共和党員と馬が合った テので、共和党に乗り換えた。上院議員に当選すると、スペクターは二股をかけた。一九八〇年代初頭 にはおおむねレーガン政権に賛成票を投じたが、党の政治路線に反する投票が四〇パーセントあった。 民主党が味方たと褒めそやし、共和党が「離反者スペクター、たと馬鹿にするのも当然たった。スペ とクターは、レーガン政権のソーシャル・セキュリティー、失業給付、幼児ヘルスケア、食料配給など、 右貧者に対するプログラムの予算削減、堕胎禁止、学校でのお祈りを合法化する憲法修正に反対した。 的 進《ナショナル・レビュー》は、「共和党の最悪上院議員」として、一九八三年にスペクタ 1 を表紙に載 急 せた。 章 九 ート・ポークを しかし、筋金入りの右派をもっとも激怒させたのは、一九八七年にレーガンがロバ 第最高裁判事に指名したのを、上院司法委員会で反対したことたった。スペクターの反対票で、ポーク 165
半分に縮小する、というものたった。 反税伝道師として、ノーキストに匹敵できる者は、どこにもいない。ノーキストは全州に反税同盟 を組織した。議会でも、ウエプサイトで自慢しているように、下院議員二三八人、上院議員四一人 大部分が共和党議員ーーを、おたて、説得し、脅して、増税に賛成しないという誓約に署名させ ( 知事一 = 一人、州代議員一二四九人も署名した ) 。一九九〇年以降、増税に賛成票を投じた共和党議員は一 人もいないし、仮にたれかが誓約を破ったら、違反者を粛清するために大がかりな活動を開始すると、 ノーキストは豪語している。 オバマ、民主党員として統治できず ノーキストは反税軍の規律に大きな自信を持っていて、「われわれは〔ホワイトハウスの〕民主党員が 民主党員として統治できないようにする、とうそぶいた じゅばく 二〇一一年、パラク・オパマ大統領は、まさにそういう政治的呪縛にはまり込んた。急進化した多 数党の下院共和党と、少数党たが法案成立を阻止できる議席数がある上院共和党に追い詰められた。 どちらも増税に頑強に抵抗した。 グロー ・ノ ] キストが予想したとおり、オパマは民主党員として統治することができなかった。 連邦政府の債務上限引き上げをめぐる戦いで、共和党の強硬な右派は、上下院の共和党指導部とオパ マ大統領に、卩リ 只亠一 - ノ、 ドレ近く削減し、増税はしないという、自分たちの政策目標を承認させた。そ の後も一兆二〇〇〇億ドルないし一兆五〇〇〇億ドルの削減が予定に組まれていた。アメリカの政治 178