20m - みる会図書館


検索対象: 資本主義が生んだ格差大国
290件見つかりました。

1. 資本主義が生んだ格差大国

一九七〇年代ー二〇〇〇年ーー・夢を満喫する 一九七一年にオハイオ州チリコシーの高校を出たばかりのバム・ショールを迎えた「機会の世界」 は、今日の平均的な高卒者を待ち受ける厳しい経済界とは別世界たった。 卒業後の月曜日、バムはチリコシーの近くにできた 0 < のプラウン管工場で、フルタイムの社員 として働きはじめた。身長一六五センチのバムは、元気いつばいでよく笑う、整理整頓が得意で社交 的な若者たった。最終学年のとき、彼女は秘書の研修生として ( ラジオ・コーポレーション・オプ・ アメリカ ) で半日勤務に就いていた。卒業すると、労働者を一五〇〇人に拡充する人事部員として O<< に就職した。 「時給は一ドル七五セントでした」と、。ハムは当時を思い出していう。「一年目は車を持っていませ んでした。でも一年くらいして、小さくて茶色いシボレーベガを新車で買いました。安かったですよ 二五〇〇ドルでした。月々の支払いは五〇ドルでした。五ドルで満タンにできて、二週間走れま した。自分は順調だと思いました。新車もあるし、仕事もあるって。人事部にいましたから、男性と の出会いもいろいろありましたし。 層 困 バムが手を貸した一人が、同級生のマイク・ヒューズたった。ある日曜の午後、バムはマイクに、 貧 新翌日求人に応募するようこっそり教えた。「マイクが来て、簡単なテストを受け、採用されました。 章健康で力があれば、ほば全員が採用されていたんです . 。 * 5 第「七〇年代はじめは、このあたりもよい時代でした」とロイ・ワンチは振り返った。ワンチは地元に 109

2. 資本主義が生んだ格差大国

水準を着実に上げてきたのた 元議長ポール・ボルカーは、ユーモア作家ギャリソン・キ 1 ラーが書いた架空の町をもじっ て「レーク・ウォべゴン症候群」が発生しているとほのめかした。レーク・ウォべゴンでは「女はみ な強く、男はみなハンサムで、子供はみな平均以上」なのた。「たれもが最上位二〇パーセントに入 りたがっています」とボルカーは議会で皮肉った。 つまり、どこの会社も、自分たちの OQO が他社のよりも高い報酬をもらう価値があると思 っているのた。どこも自分たちの OQO の報酬を平均よりも下にはしたくない。なぜなら、 ド・ビジネススクール教授のジェイ・ローシュとラケシュ・クラーナがいうように、「それは取締役 会が : : : 自分たちの業績を平均よりも下たと思っていることを示す」からた。 じっさい ( アメリカ証券取引委員会 ) から報酬決定手続きの開示を求められた取締役会は、「 0 仲間」との比較が報酬を押し上げていることと、自社のはおおむね「平均よりも上」でト ップレベルの報酬に値すると考えることを認めた。それどころか、同業他社との比較で、自社より規 模が大きくの報酬も高い企業を対象として、報酬を水増ししている会社もあった。 の報酬を決めるのに本来は業績を物差しとすべきなのに、他社のとの比較がより重視 されるようになったのを苦々しく思っている元 O 0 もいる。デュポンのエドワード・・ウラー ド・ジュニア 0 O は、取締役会が 0 0 の報酬をつり上げているのは、「そうすれば、会社が磐石 に見えると思っているからた。たから、他社のの報酬が上がれば : : : その年の業績が悪くても、 自分の報酬も上がる」という。その結果、彼らの報酬は永遠に上がりつづける。 101

3. 資本主義が生んだ格差大国

エルチは給与、ポーナス、株、ストックオプションで一億二三〇〇万ドルを稼ぎ、さらに特別手当と して年に約二〇〇万ドルを保証され、マンハッタンのアパートメント ( 食事とワインとクリーニングつき ) の終身利用、社用ジェット機の使用など、さまざまな現物給付があった。こうした贅沢すべてに株主 ニュートロン の金を使い、の従業員を容赦なく削減したため、「中性子爆弾ジャック」という異名をとった。 人は殺すが建物はそのまま残す現代兵器とおなじたというわけた。 ウエルチは、の経営幹部が代々受け継いできた従業員への温情という遺産を、平然とはねつけ た。びろく尊敬されていた前任のレジナルド・ジョーンズは、忠誠心のある従業員こそ企業の もっとも貴重な資産であると語っているが、それをウエルチは否定した。忠誠心が企業の業績向上に 不可欠であるという一九五〇年代と六〇年代の社是を馬鹿にした。「会社への忠誠心など馬鹿げてい る , とウエルチはあざ笑った。「忠誠心が社員の無能に会社が目をつぶることを意味するなら、一考 にも値しない 急騰するの報酬 ウェッジ・エコノミクスによって、アメリカの大企業の経営者に支払われる報酬は莫大になった。 一九八〇年代以降の平均的なの報酬は、かってアメリカの資本主義がもっとうまくいっていた 時期とくらべると、急騰している。 ( 連邦準備制度理事会 ) の報告によれば、一九七〇年代、大 手企業一〇二社の最高責任者の報酬は、インフレ ( 物価上昇 ) 調整して平均一二〇万ドルで、正社員の 平均給与のおよそ四〇倍たった。しかし二〇〇〇年代初頭には、大企業のたちは報酬の急騰を 10 0

4. 資本主義が生んだ格差大国

があるという考え方を「破壊的」たと否定した。「株主利益の最大化以外の社会的責任をビジネスリ と、フリードマ ーダーが引き受けるのは、自由社会の土台を根底から揺るがす現象にほかならない ンは断言した。 ゴシャールは反論した。従業員も株主のように価値を生むのだから、企業利益をもっと平等に分か ち合うべきたと説いた。しかし、結果的には、ゴシャールよりもフリードマンの考え方のほうが、 るかに大きな影響を及ばした。シカゴ学派のこの攻撃的な経営哲学は、東海岸の名たたるビジネスス ルに定着した。その後、エンロン・ワ 1 ルドコム事件〔両社の粉飾決算や会計操作が発覚して破綻〕が 起きたとき、ゴシャールは「近年のあまりに行き過ぎた経営プラクティスの多くは、ここ三〇年のビ * 8 ジネススクールの研究活動で生まれた一連の思考が原因だった」と嘆いた。 ウォール街の教祖 ニューエコノミーのモデルは、アル・ダンラップにうってつけたった。彼はウォール街の教祖にな った。経営不振の企業に外部からの経営者として入り込み、徹底的な規模縮小をやって株価を急上昇 させ、マイケル・プライスのようなウォール街のファンドマネジャーに莫大な利益をもたらすと出て いく、というのがダンラップの手口たった。 陸軍士官学校出身の美男子ダンラップは、馬に乗って現れ、焼き畑式戦略で経営不振企業の救済に 乗り出すという、タフガイのイメージを演じるのを好んた。 ( ゼネラル・エレクトリック ) 、— 22 、 ( ゼネラル・モーターズ ) 、 <<f* & ()* といった大企業にも、おなじような容赦ない措置を講じた

5. 資本主義が生んだ格差大国

帯の四分の三に持ち家があり、合計五六〇〇万台の自動車、五〇〇〇万台のテレビ、一億四三〇〇万 台のラジオを所有しています」。階級なき共産主義社会を掲げるソ連を馬鹿にする典型的な発言で、 ニクソンはフルシチョフを挑発した。「アメリカ合衆国は、 ( マルクスが予言した ) 階級なき社会におい てあらゆる人々が繁栄するという理想にもっとも近づいている国です」。 ニクソンは正しかった。第二次世界大戦後の三〇年にわたる好景気は、今日の多くのアメリカ人が 考えるよりもはるかに、国民の大多数に安定したミドルクラスの繁栄をもたらした。 むろん、経済は多くの問題を抱えていた。産業界の浮き沈みも、周期的な失業の増加も、目にあま る貧困もあった。人々が住む家はいまよりも狭く、電化製品や装飾品も少なかった。自動車は一家に 二台ではなく、 一台。そして、デトロイト条約という規範があるにもかかわらず、ストライキも、と きおりの暴力行為も、激しい労使の対立もあった。 しかし、ミドルクラスの生活水準の向上という図式が、すべてをしのいでいた。ふつうのアメリカ 人は、国の経済成長の妥当な分け前をもらっていると感じていたし、数字がそれを裏付けている。平 均的労働者の時給は、生産性の向上とほば対応していた。時給は一九四七年から一九七三年にかけて 倍増している。それらの充実した収入と安定した雇用によって、平均的労働者には消費に使うのに十 分なお金があり、それがさらなる経済成長を促す力になっていた。 格差の「大圧縮」 この時代は、ミドルクラスが安定した繁栄を享受したたけではなく、アメリカ史上かってないほど、

6. 資本主義が生んだ格差大国

世代にもわたって褒めそやされていたのが、いま破壊されているんた。アメリカンドリームとは、す なわち自分の家を所有することなんた」。 「アメリカを偉大にしたのは、ミドルクラスだった」。 << ・ O — O ( アメリカ労働総同盟・産業別組合 会議 ) のリッチ・トルムカ議長は、数週間前のテレビ出演で述べた。「組合の最盛期、アメリカの競争 力はものすごく高かった。われわれが富をみんなで分けたから、消費者の支出がアメリカ経済の主な 原動力になったんた」。トルムカはなおもい、つ。現在の問題は、「アメリカンドリームの心髄のミドル クラスを修復できるかど、つかということた」。 リンポーやトルムカの声は、危機的な国の問題を浮き彫りにしている。 不平等な民主主義 私たちの政治生活にも、おなじことがいえる。一九六〇年代と一九七〇年代のポピュリズム ( 人民 主義 ) の時代には、国の奧底から出てくる法律や政策を大幅に変えるような大量の活力やエネルギー があり、アメリカの民主主義は最大限に拡張していたが、そういう時代を私たちは置き去りにした。 その後、アメリカは心の広いポピュリズムから、心の狭い金権政治へと変わった。大衆運動と国民が 関与する透明性の高いアウトサイド政治ゲームではなく、アメリカの金融・政治エリートのために働 グく口ビイストが支配する、インサイド政治ゲームになった。 一九五〇年代、六〇年代、七〇年代のミドルクラス民主主義では、ふつうのアメリカ人は自分たち プの政治力とその影響力に自信を持っていた。市民運動にみずから参加することをよしとして、国が政

7. 資本主義が生んだ格差大国

分裂した家 三〇年前から、私たちアメリカ人は二種類に分かれるようになった。もはや、第二次世界大戦後何 十年も、ともに栄え、政治・経済力を分かち合ってきた、ひとつのアメリカの大家族ではなくなった。 国民が一致団結しなければならないような共通の敵は、もはや存在しない。私たちをひとつの民族と して鼓舞する、西部開拓や、月ロケットを飛ばすというような共通の大事業もない。 えんこん 現在のアメリカは、権力、金、イデオロギーでくつきりと二分された国になっている。政治は怨恨 絶え間ない紛争が、 に満ち、一一極化し、政治指導者たちはもっとも基本的な問題すら解決できない。 , 共通の目的意識、共通の幸福の追求といった理念を追い払ってしまった。中央政界ばかりではなく全 米で、私たちを分裂させている断層線が深くびろがり、あらたな統一感と総意をなんとかして見つけ ないと、それらによって自己破壊の道をたどりかねない。 ェイプラハム・リンカーンが、的確な警告の言葉を述べている。「分裂してみずからの敵をこしら えた家は、持ちこたえられない なにかが根本的におかしいと、アメリカ国民は察しているー・ー、国そのものが脱線してしまったので ( ないか、と。英知に富む観察者の多くがそのことを書いているが、どうして現在のような苦境に陥 アメリカの危険な分裂を癒や グったのか、どう対応すればいいのかを理解するのは、容易ではない ロすのに、どこから手をつければいいのか プ原因は前回の選挙にも、その前の選挙にも潜んでいなかった。二〇〇八年の世界的金融危機のずつ

8. 資本主義が生んだ格差大国

手に入れたがっている顧客でした。完璧な筋書きです。プローカーは顧客に選択させますーーー金利が もっとも低い変動金利型ローンにするか、金利が高い確かな固定金利型住宅ローンにするか。一〇人 のうち九人の顧客は、変動金利型を選びます。『住宅価値はどんどん上がっているでしよう。上がっ たら、借り換えができますよ』というのが、顧客への売り文句でした。あれはギャンプルで、みんな がそれに賭けたんです のオプションには、おとり商法のような魅力があった。それは、ティーザー金利が 二パーセント 非常に低いことたった。通常の金利は七パーセント以上たが、それよりずっと低い一、 のことも多かった。そのため、銀行やプローカーが条件を明確に説明しない場合、借り手は信じられ ないほど好条件の取引をしていると思い込んた。 ふたつ目の罠は、「オプション」の特徴たった。オプション << は、クレジットカードのように、 月々の支払いレベルを借り手に決めさせた。一般的に、①最小限度を支払う、②金利のみを支払う、 ③元金プラス三〇年ロ】ンの金利を支払う、④元金と、一五年で早期に返済する場合の金利を支払う、 という四つの選択肢があった。 ①を選んた人にとっての落とし穴、すなわちオプションのもっとも危険な側面は、銀行家が 盗 いう「負の返済」が生じることたった。つまり、ローン残高は減らずに、増えていく。借り手の支払 つまり、最小限度の支 宅いが最小限度たと、元金どころかローンの毎月の金利も完全には支払えない。 住 払いをすると、未払いの金利が大量に残る。銀行はその未払いの金利を、ローン残高にそのまま上乗 三せする。そのため、残高は毎月増える。 第 しかし、落とし穴はもうひとつあったーーー最高限度である。ローンの残高が増えつづけ、所定の限 183

9. 資本主義が生んだ格差大国

スクも負わず、収益の五四。ハ 1 セントを持っていく」。 ボーグルがストック・インデックスファンドを強く推奨するのはそのためた。ストック・インデッ クスファンドとは、多様な銘柄の株を組み合わせて市場全体を反映する指標に連動させるものた。イ ンデックスファンドは顧客のコストがはるかに少ないとポーグルは指摘した。ポートフォリオ ( 資産 構成 ) が固定していて、ファンドマネジャーが株を売買する必要がないからた。「インデックスファン ドは手数料〇・一。 ハ】セントで購入できます。銘柄入替費はかかりません。販売手数料もありません。 五。ハーセントの成長で、四・九パーセントの投資利益が得られます。つまり七・〇四ドルのほとんど を金融業界に取られる代わりに、 六・七八ドルを手にできます」。 いくら貯めればよいのか ? 個人レベルで平均的アメリカ人の 4 01 (x ) プランがうまくいっていないのは、投資額が足りな いことが大きい。それはたいてい、老後に必要な金額が実感できていないからた。一般的に、人は自 罠 分の余命を短めに考え、八〇代や九〇代まで生きる人間がどれほど多いかを考えない。長寿はよいこ の とだ。悪いのは、長生きした分お金がかかることた。 財務専門家から必要とされる額を聞くと、たいがいの人間がショックを受ける。は現在の 引退者の実支出にもとづいて、以下のような尺度を考え出した。生涯確実に金に困らないようにする 章 には、年収五万ドルから一〇万ドルの場合、老後の必要資金として、最高収入の七倍から一三倍の引 第退資金を蓄えるべきである。平均をとると、年収五万ドルの従業員は引退資金として五〇万ドル、年 249

10. 資本主義が生んだ格差大国

かったために、損失をうめる準備金が不足している銀行が過度のリスクを負うのを止める手立てがど 損害はいっそう巨大になった。また、べア・スターンズやリーマン・プラザーズのよう に金づかいの荒い投資銀行が大損害を出して破綻したとき、商業銀行と一般顧客の預金を守ってくれ るグラス・スティーガル法の壁はなかった。大銀行はたがいにつながっていて、ドミノ倒しが起こり かねなかった。ウォール街は自傷のためにずたずたになった。べア・スターンズとリーマン・プラザ ・リンチなどの証券会社が競合他社に救ってもらうほかなくなると、納税者が ーズが破綻し、メリル そのつけを払うはめになった。それは、ウォール街の野放図な強欲のせいたけではなく、中央で政策 を立案していたウォール街の尊師たちが、目先のことにとらわれていたせいでもあった。 「妨害・遅延ー戦術 軸 の 街 二〇年に及んた政策を転換するときが来た。しかし、国の経済が危険にさらされていたため、連邦 一政府は再びウォール街の救済に乗り出すほかなかった。元ゴールドマン・サックス O O のヘンリ オ ・ポールソンが財務省を指揮するなか、ジョージ・・ブッシュ大統領のように小さな政府を唱え ・パンクへの緊 界る共和党員までもが、自由市場主義を捨てて、アメリカ最大の企業救済案、ス 1 。ハー 央急援助七〇〇〇億ドルを議会にのませた。そのいつばうで、は、七兆八〇〇〇億ドルあまりの 中 低金利融資を行った。これら低利の融資金のおかげで、生き残った銀行はさらに規模を拡大し、金融 〇危機以前と変わらぬ収益を上げられるようになった。 第 ワシントンとウォ 1 ル街の共生関係がなおも機能していたのは、意外ではなかった。たが、資産流 107