四年 - みる会図書館


検索対象: 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界
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1. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

こじ開けられたオマーン・ルート 四年 4 月 4 日、保釈中だったゴーン氏は「オマーン」を舞台にした新たな特別背任容疑 で再逮捕される。これで 4 回目の逮捕となった。 まずは、現時点での報道を元に今回の容疑内容を時系列で整理しよう。 ・四年 1 月、ゴーン氏はオマーンの日産車販売代理店「スノイノ ノワン自動車」 ( < ) のオーナー、スノイノ ノワン氏から約億円を私的に借り人れる ・この直後からゴーン氏は中東日産にからの代金支払いの長期間猶予と、猶予中の 金利を大幅にディスカウントすることなどを指示した。の特別優遇により、日産の 逸失利益は川年間で約億円に上る ・年から年にかけて、ゴーン氏の指示により中東日産からに毎年 5 0 0 万ドル ( 年のみ 700 万ドル ) 、総計 3200 万ドル ( 約肪億円 ) が、「報奨金ーの名目で振り込ま れた。使われたのはゴーン氏が決裁権を持つ「リザーブ」だった 年、の経理担当幹部がレバノンに「投資会社」を名目にした、ペ ーカンパ ニー「グッド・フェイス・インベストメンツ」 (e —) を設立。—はゴーン氏が実質 4 ・

2. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

ファイナンスとの出会い 金融マーケットについて興味を持ったのは中学生のころだった。 1945 年に敗戦を迎えた日本は、その 5 年後の年、朝鮮戦争勃発の特需をきっかけ にして、年から高度経済成長期に突入する。高度経済成長期は芻年の第四次中東戦争に よる第一次オイルショックで終焉し、その後、日本は安定成長期へと入る。 1964 年に 生まれた私が、マネーに興味を持ったのは爲年。だが、同年末に、 ( 石油輸出国機 ・ 5 % 値上げする」と発表する。原油価 構 ) が「翌年より原油価格を 4 段階に分けて計Ⅱ 格は再び高騰し、翌四年から第二次オイルショックとなった。世の中の物価が石油に連動 して次々と上昇していく中で、私の視界に不思議なものが飛び込んできた。 それこそが「株」だ。夢中になったのは地元の証券会社の店頭に設置された「株価ポー ド」で、「オイルショック」と「株ーの不思議な連動に惹かれ、自転車で連日行ってそれ を追うようになる。 中学生の私でも原油の値上げが収益拡大に直結する、石油の輸人を行う総合商社の株が 値上がりすることや、油田プラントを開発する会社などの「関連株」 , ーー・当時その言葉は が値上がりすることは理解できた。だが、人間の思惑通り 持ち合わせていなかったが

3. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

た。またイギリスやアメリカの政治家への献金を行うことで、発覚を逃れていた。 イラン・コントラ・ゲート事件 ソ連がアフガニスタンに侵攻した四年は、アメリカの国際戦略にとって悩ましい年とな った。その四年にはイランでホメイニ師によるイラン革命が起こる。革命以前のイランは 親米国家で、アメリカが当時の最新鋭戦闘機ーⅡを供給するほど蜜月の関係だった。し かし革命をきっかけにその関係は逆転、アメリカは武器輸出を禁止する。 革命の起こった四年には、イランアメリカ大使館人質事件が起こる。アメリカは軍を使 って救出作戦を展開するが、砂漠用ではないへリコプターを使うなどお粗末な対応で失 敗。やはりイランに大使館を占拠されていたイギリスは自国の軍事オペレーションで人質 ホを解放したことも手伝って、当時大統領だったジミー・カーターの支持率は急落する。 ク そして年、イラン・イラク戦争が開戦、しかしイランは劣勢に立たされる。 ~ 革命直後ということで、イラン軍の装備の大部分はそれまで使用していたアメリカ製だ 、不 った。戦争には武器の補充が必要だ。使い慣れた武器に対する練度の問題もある。アメリ マ 力の武器入手はイランにとって喫緊の課題になった。 章 第 そこで暗躍したのがイラン・イラク両国の疲弊を狙ったイスラエルだ。イスラエルは、

4. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

日仏「国家ブランド」トップ逮捕の衝撃 2 018 年Ⅱ月四日、ルノー・日産・三菱アライアンスの会長兼最高経営責任者 ( o) だったカルロス・ゴーン氏が、東京地検特捜部に金融商品取引法 ( 金商法 ) 違反容疑で 逮捕された。自らの役員報酬について、川年度からの 5 年間で約億円を有価証券報告書 に過少記載した容疑だ。 巨大企業トップへの東京地検特捜部の追撃がここから始まる。 月川日には、別な金商法違反で再逮捕。同月幻日には、東京地裁による勾留延長却下 をきっかけに、特別背任罪の容疑で再逮捕された。年に私的に行っていた投資の損失約 億 5000 万円を事実上日産に肩代わりさせていたというものだ。 年末年始を東京拘置所で過ごしたゴーン氏だが、逮捕から 108 日目の四年 3 月 6 日、 ついに保釈される。保釈中に会見を開くことを Tw 一 ( ( er で公表し世論を味方にしようと試 みたものの、 4 月 4 日、今度は「オマーン」を舞台にした新たな特別背任容疑で再逮捕さ れた。 本稿執筆時点まで実に逮捕は 4 回を数えている。中でも二つの特別背任容疑は、「中東 日産」を経由したものだ。ゴーン氏が日産の金を使って私腹を肥やしたという単純なもの

5. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

ゴーン氏から私か依頼を受けたら : 今年 1 月訂日の日経新聞では、ゴーン氏のインタビューが報じられた。東京拘置所に収 容中ということもあって、わずか 110 6 文字の一司 尸一答だったが、冒頭で日産の不正調 査について問われるとゴーン氏は「策略であり、反逆だ」と答えて、自分に非がないと主 張している。 逮捕直後の年Ⅱ月日に、日産の取締役会で会長職と代表取締役から解任。 4 日後の % 日には三菱自動車においても会長職と代表取締役から解任され、両社の取締役となった ゴーン氏。さらに四年 1 月日には、ルノーがゴーン氏の辞表を認め、会長兼 o o ( 最 高経営責任者 ) からの退任を決定した。四年 4 月 8 日には日産が臨時株主総会を開き、ゴー ン氏の取締役解任を決定。日産との関係は完全に分断されることとなった。 繰り返すが、黒い世界に生きた私が、心情的には東京地検特捜部より、ただの被告とな ったゴーン氏にシンパシーを感じているのは、偽らざる気持ちである。 そこで私が「黒い経済界の巨人」の投資顧問として、すでにジュファリ氏から約億円 の資金援助を受けているゴーン氏から、さらなる送金方法の相談を受けていたとしたら、 ヾこ 0

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行が問い合わせてもバチカン銀行から返答がなかったため、中央銀行は司法当局に報告。 この結果、一連の事件で、バチカン銀行の責任者がマネーロンダリングの調査対象とな っていることが、発表された。 その川年末にバチカンは不正送金などの防止のために、ようやく財務情報監視局を設置 した。しかしそれが機能しなかったことは、年 3 月にアメリカが「国際麻薬統制戦略報 告書」の「マネーロンダリングに利用される国々のリストでバチカンを名指ししたこと でも明らかとなった。 その年 4 月には—モルガン・チェースが、同行ミラノ支店のバチカン銀行の口座を 閉鎖する。四年にバチカン銀行が口座を開設したのだが、人金された金額が毎日閉店時に 残高がゼロになるという状態が続き、短期間で合計約億ドルもの金が他の口座に送金さ れているという異常な状態だった。—モルガン・チェースがバチカン銀行に問い合わせ ても返事がなかったため、こうした措置がとられたのだ。 年には、当時の教皇、ベネディクト世の机の上から持ち出された私的文書のコ。ヒー が流出する。バチカンとリ 1 ク ( 流出 ) を合わせて「バチリークスーと呼ばれたこの文書 によって、バチカン浄化を巡って教皇庁内で泥沼の内部闘争が行われていることなどが明 らかになる。そして年 2 月、ベネディクト世が突如教皇の辞任を宣言する。終身制で 160

7. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

あきら しかし相場師としては「神」と思う人物がいた。加藤暠氏である。 広島原爆による被爆の影響や、病気などで進学が 4 年遅れた加藤氏は、早稲田大学商学 部をトップの成績で卒業後、岡三証券に入社し相場デビューする。その後、流転しながら せいび も相場師としての実力と名声を確固たるものとして、爲年に「誠備」を発足、翌四年に 「誠備グループ」に名称変更。加藤氏の事務所の名前が「誠備投資顧問室」であったこと から、「投資顧問会社」の看板を掲げることが流行ったほど影響は強かった。もちろん、 私たちの会社も影響を受けた一つである。 バブル期に、株式市場は野村・日興・山一・大和の四大証券が市場を支配していると言 っても過言ではない状態だったが、加藤氏はこれらに敵意をむき出しにして、 「個人投資家主体の市場へ変えよう」 と説いていた。率いた誠備グループは医師や大企業の社長、政治家など 800 人以上の 顧客を持ち、実に 500 億円もの運用資金を持っていると言われていた。王道とも言うべ き「仕手」のテクニックは、外部にいた私の眼に美しくさえ映ったものだった。 株取引における「仕手」の王道は需要と供給の戦い、すなわち「需給戦」だと私は考え ている。株は買いが多ければ値段が上がり、上がる株は誰もが欲しがる。加藤氏が行った 基本はこれ。豊富な資金力を背景に特定の銘柄を買い上げることによって株価を上げ、需 106

8. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

第 4 章私の黒い経済史 要を創造して一般投資家の資金を集中させる。そして高くなったところで自分は売って儲 けを確定する。仕手の王道を歩むことこそ加藤氏の真骨頂だ。 私の印象に残っている加藤氏の凄味は、買いと並行して、損失を出しても売りを仕掛け るところ。いわゆる「踏み上げ相場」という ものだ。「踏む」とは空売りをしている投資 家が買い戻すこと。加藤氏は意図的に大量に 売りを溜めて、買い方が弱まっているように 見せる。それを見ていた多くの投資家たちが 「この銘柄を売って崩そうと売りをかける と、加藤氏側は一気に買いに回るのだ。する と他の投資家も、空売りしていた株を損切り して買いに走る。結果、株価が一気に上昇す る。図 4 は「踏み上げ」相場の典型的な形だ が、まさに「踏んで」一度下がった相場が、 急激に「上げ」になっていることがわかるだ 4 図ろう。 踏み上げ相場 11 月 2007 年 9 月 8 月 2008 年 1 月 250000 円 月 ! 12 月 株価上昇 200000 円 150000 円 100000 円 売り残が急増 ! 万万 買い残 -- 売り残 107

9. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

第二回会議では、首相の李克強氏が今年の実質の成長率目標を、昨年末に中国政府 が発表した「 6 ・ 5 % 前後」から「 6S6 ・ 5 % 」と引き下げている。 中国の発表だけに数字の信憑性は疑わしいが、何かと「盛るー傾向の多いあの国が、自 発的に低めの数値を発表したことは注目に値する。この原因について、李克強氏自ら「米 中貿易戦争の影響によるもの」と説明していることから、アメリカの対中政策は確実に効 いているということになる。 そのアメリカ経済は現在、数字の上では順調だ。中央銀行にあたる ( 連邦準備制度 理事会 ) によれば、年の成長率が 3 ・ 0 % と他の先進国を大きく上回り、四年の見通し 界が 2 ・ 3 % 。「堅調」と呼べる数字だ。また、昨年の失業率 3 ・ 7 % は、的年ぶりの低水 新準だ。 出 み だが四年 2 月には、自動車ローンを期限通りに返済できず囲日以上遅れている人が約 7 生 00 万人いることが報じられた。アメリカで自動車は「足」であり、この数字をもって、 低所得者層が見えないところでさらなる貧困に陥っているのではないかという観測も伝え テ ン イられている。 フ さらに、地下経済では不穏な動きを伝えるニュースが流れている。 章 Ⅱとリーマン・ショック後の銀行には、より高いレベル 第金融大国アメリカにあって 9 ・ 219

10. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

えば、今の東南アジアでの資金調達は容易にできると私は考えている。 新たな金融の支配者「 < ー」 さて本書の最後に、現在、金融の世界ーー特に投資市場を支配しつつある、新たな存在 について解説したい。それこそが「 <—」 ( 人工知能 ) だ。 米中はいま、経済戦争の余波を受けてリセッション ( 景気後退局面 ) に向けてチキンレー スの真っ最中だ。資金の逃避地として日本の金融市場にマネーが流れてくるのか、あるい はアメリカ市場に引きずられて下り坂に入るのかーーいずれにせよ、間もなく日本株式市 場が乱高下する時期がやってくるのは間違いないと私は考えている。 そんな時こそ株式投資の大チャンスだ。しかし現在の株式市場を支配しているのは、人 間ではなく忌まわしき <—株取引である。私は投資集団「猫組」を率いて日々を相手 に熾烈な株戦争を戦っているが、人工知能アルゴリズムの戦いの果てに、私がたどり着い た投資術は意外なものだった。 2018 年末にかけて ( 国際通貨基金 ) と世界銀行は、四年の中国の成長率は 6 ・ 2 % になるとの見通しを発表した。これは、天安門事件で経済制裁を受けた 1990 年の 中国と同じ水準だ。また、四年 3 月 5 日に開かれた第十三期全国人民代表大会 ( 全人代 ) 218