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検索対象: 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界
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1. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

石油ビジネスが好調ということを知った黒い経済人が向かったのは、中国を相手にした バイヤーサイド ( 買い手側 ) だった。欲しがっている相手から注文を取り、業者から買っ て渡すのだが、私はセラーサイド ( 売り手側 ) に向かうことにした。 「安い原油を現地へ買いに行って、欲しがっている国に売ればいいんじゃないか」 という発想だ。とはいえ、仕人れ元への接触は、簡単ではなかった。 「バレル 5 ドル」の元在京組織の知人に紹介してもらい、マレーシアの国営石油会社、ペ トロナスの副社長と会ったものの、個人のプローカーとの取引はあえなく断られた。その 席で副社長に紹介を頼んで、次に接触したのはブルネイ王国の王族だ。カリマンタン島北 部に位置する人口万人程度のこの小国には、石油や天然ガス等の化石燃料資源が豊富に ある。国民 1 人当たりの購買力平価が日本より高く、世界トップレベルという王国 である。 「昨日も日本のヤクザに会ったよ。″スミョシカイ〃というグループだ」 この王族は富裕層独特の陽性の性格で、こう愛想よく私を迎えてくれたものの、答えは 「ノー」だった。この王族の紹介で接触したのが、サウジアラビア王国の石油会社、サウ ジアラムコの重職者だ。サウジアラムコは世界の原油生産の 1 割近く、埋蔵量の % を握 るとされる巨大国営企業。その圧倒的な存在感は、エネルギー界の「巨人ーそのものだ。 122

2. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

会も多い。そうして知り合った元在京組織所属の知人の一人が、偶然同時期に「バレル 5 ドルで毎月 2500 万 ( 円 ) の儲けや」と私に耳打ちしてきた。 たる バレルとは原油の取引単位で、四世紀のアメリカで輸送用に使っていた樽を指してい 15 9 リットレ。「ヾレル 5 ドル」とは、「 1 ヾレルに寸き 5 ドルがコミ て、 1 バレルⅡ約 ッション ( 手数料 ) として支払われる」という意味だ。疑う私に対して、彼はその場でシ ティバンクのステートメント ( 人出金明細 ) を見せてくれた。ごく少数ではあるが、暴力経 済の世界で他にも石油で儲けた人間を何人か見た私は、石油取引を徹底的に研究。翌年か ら原油の先物取引を始めて、やがて現物取引をすることを目指したのだ。 世界的に原油の需要が高まっていたものの、日本国内では一般の人は原油の商いができ ないことがわかったのも決断の追い風になった。暴力団の経済学とは規制などでしばられ ている場所に、非合法スレスレのいわば「高速道路」を作ることだ。普通の人がルールに 史よって硬直している市場でこそ、最も有効に機能する。石油は地面から湧いてきて無限に 経 金を生むのだから、「地球資本。とでも呼ぶべき究極の他人資本でもある。 い 黒 の 最初の難問はまさに資金だった。契約にこぎ着けたとして、個人で莫大な代金を支払う この問題の解決を模索していた私は、後に証券の世界にたど ことができるのだろうか 章 第り着くことになる。 121

3. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

ファイナンスとの出会い 金融マーケットについて興味を持ったのは中学生のころだった。 1945 年に敗戦を迎えた日本は、その 5 年後の年、朝鮮戦争勃発の特需をきっかけ にして、年から高度経済成長期に突入する。高度経済成長期は芻年の第四次中東戦争に よる第一次オイルショックで終焉し、その後、日本は安定成長期へと入る。 1964 年に 生まれた私が、マネーに興味を持ったのは爲年。だが、同年末に、 ( 石油輸出国機 ・ 5 % 値上げする」と発表する。原油価 構 ) が「翌年より原油価格を 4 段階に分けて計Ⅱ 格は再び高騰し、翌四年から第二次オイルショックとなった。世の中の物価が石油に連動 して次々と上昇していく中で、私の視界に不思議なものが飛び込んできた。 それこそが「株」だ。夢中になったのは地元の証券会社の店頭に設置された「株価ポー ド」で、「オイルショック」と「株ーの不思議な連動に惹かれ、自転車で連日行ってそれ を追うようになる。 中学生の私でも原油の値上げが収益拡大に直結する、石油の輸人を行う総合商社の株が 値上がりすることや、油田プラントを開発する会社などの「関連株」 , ーー・当時その言葉は が値上がりすることは理解できた。だが、人間の思惑通り 持ち合わせていなかったが

4. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

ックによって高騰した原油の追い風に乗り、巨額のオイルマネーの受け皿となる。そして アフリカや中国など当時の発展途上国への投資で莫大な利益を得た。しかし、部年代初頭 に北海やアラスカなど非国での油田開発が行われ生産が拡大。年代中盤から は、「逆オイルショック」と呼ばれる石油価格急落が起こり経営状況は悪化した。 O ー < 、コーサ・ノストラ、ムジャヒディンを結ぶ そこでは犯罪収益のマネーロンダリングや、武器密輸、麻薬取引への関与など の地下資本を扱う「メインバンク」へと収益構造を転換する。その最大の顧客こそ ( アメリカの中央情報局 ) だ。きっかけは四年から行われた、ソ連によるアフガニスタン侵攻 だったとされる。 アメリカとしては石油生産地、中東でのソ連の影響力をどうにか抑えたい。一方で、べ トナム戦争の影響で生まれた厭戦感から、武力介人を行って超大国同士が戦争をする構図 にはできない国内事情があった。 この二つの相反する事態を打開するために使われたのが、ソ連の敵対勢力であるイスラ マ ム武装勢力「ムジャヒディン」に対して武器や資金を提供する間接支援だ。こうして o— 章 第が中心となって「サイクロン作戦」が展開されることとなった。 165

5. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

すぐにサウジアラビアに飛んだものの、やはり答えはこれまでと同じだった。だが落胆す る私に、サウジアラムコの担当者がこう告げた。 「イエメンにアロケーションホルダーがいて、ココは勝手に出せるから、行って契約して きたら安く買えるよ」 「アロケーションホルダー」とは、油田から原油を採掘して販売する権利を持つ人のこと で、紹介されたのはイエメンのある部族長だった。だがイエメンはイスラム教シーア派系 武装勢力「フーシ派」が、正規軍と散発的な戦闘を繰り広げている地だ。「神は偉大な り。アメリカに死を。イスラエルに死を。ユダヤ教に呪いを。イスラムに勝利を」という フーシ派のスローガンは、わずかな時間私を竦ませた。 石油と証券 史 サウジアラビアにある油田の採掘と販売権を、イエメンの部族長が保有している理由 済 いも、「フーシ。にあった。「フ 1 シ、はサウジアラビアとも敵対していて、サウジはイエメ ン国内の「反フーシ派」を支援しているからだ。「敵の敵は味方」の言葉通りだが、武器 あつれき や資金の直接供給は、他のアラブ諸国との軋轢に発展しかねないということで、石油の権 章 第利を与えているという間接支援の形となっている。 123

6. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

うとしたものの、窓口でいくら説明しても不可能だった。普段農家の預金を扱うことが主 な業務の地方支店にあって、突如、黒い国際送金の表舞台に立たされた気の毒な郊外支店 担当者は「わかりません」「できません」を繰り返すのみ。「 MT103 」は苦肉の策だっ こ 0 こうして日本の金融システムにプレイスメントされ、銀行内でレイヤーリングされた 「 3 億円」は、ドバイの金融システムへとプレイスメントされることになった。 中東の金融ハプセンターから「金融の聖地」へ 産油地中東にあって、石油埋蔵量の少ないドバイは 1980 年代半ばから、中東経済に おける金融と流通のハブ ( 中継地 ) としての開発が政府主導で行われた。そのおかげで、 ホ石油やダイヤモンド、あらゆる証券が行き交うようになる。木を隠すのは森の中というこ とで、流通量の多いハプに資産を送る ( プレイスメントする ) ということは、レイヤーリン のグとインテグレーションが良好に行われることを意味する。 おかげで、ドバイは黒い経済人たちが愛用する金融センタ 1 の一つとなっているが。 マ 私が「 3 億円」を送った先はドバイ最大手の銀行「エミレーツ z だ。私のオフィ 章 第サー ( 担当者 ) は、まだ代そこそこの女性だったが、日本の金融機関と違って説明不要 137

7. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

事件の記憶が世間の人からなくなっても、記録は消えない。黒い経済活動は「知る人ぞ 知る」という立場があって大胆に行うことができる。匿名性という生命線を失った私に、 これ以上国内で仕事をするという選択肢はなかった。年の , ハ代目山口組分裂をきっかけ に、「猫組長」として執筆活動などを始めた私が、本名の「菅原潮」を自ら明らかにする まで時間をかけたのは、この時に身に付いた習性に他ならない。 こうして国際金融に向かうしかなくなったのだが、日本の金融経済については最先端を 走っていた私でさえ、当時はその仕組みを知らなかった。 黒い液体 「燃料のスワップ取引が増えています。中国の原油需要に関係しているようです」 そう教えてくれたのは、私の情報収集要員、君だった。東京大学出身でメガバンクに 勤務していたところを、私が証券会社に転職させた人物だ。年に中国が戦略石油備蓄基 地の建設を開始し、中国政府が「戦略的石油備蓄の目標を大幅に増やす」と発表するのだ が、 < 君はこれに先駆けた市場の変化を私に伝えてきたのである。 組織にどっぷりとその身を浸す組員と違い、表の経済と触れる経済ヤクザは「半暴半 民」として、他組織に所属する人物とも横断的にやり取りをし、一緒にビジネスを行う機 120

8. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

あることは一言うまでもない。こうした見せ金としてだけではなく、石油の世界こそ、証券 やペー ノ ーの行き交う世界だ。石油取引独特の利益配分は、証券を使う動機の一つとなっ ている。 石油取引においては、その取引に関与した人を全員漏れなくコミッション ( 手数料 ) の 契約書に載せるというルールがある。すなわち「紹介者 < バレル 1 ドル」「仲介者 バレル 2 ドル」「協力者 o バレル 0 ・ 5 ドル」というように、その取引に関わった人全 部にコミッションが人るようになっていて、誰が誰の紹介で、どういう流れでこの取引が 成立したかがわかるようになっているのだ。 取引に関与した人たちの中には、税金対策としてオフショアに口座を持っている人もい る。またその人の国籍や立場などで国税局の監視が強い場合もある。コミッションの支払 いは相手の口座に直接振り込むということの方が稀で、非常に複雑なやり方を要求される 史のだ。例えば、 経 ージン諸島の 「 < 銀行の口座から、一度 4 分割して、シリアの銀行、香港の ro 銀行、ヾ い 銀行の各指定口座に人金後、それをロンドンの銀行の指定口座に人金して欲しい」 といったものだ。その過程で一度証券に換えて欲しいと依頼されたりすることもある。 章 第また、石油を購入する際にも証券の取引が必要な場合があり、「船が無事に着いたら支払均

9. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

のだが、ある時銀行からこんな連絡があった。 「キャ。ハが増えて、当行では個人口座の規模を超えていますので口座を替えてください」 窮した私が中東の友人に尋ねると、 「オフショアのバハマにあるバンク・アルタクアはいい銀行で、送金も楽だからみんな使 っているよ」 と教えてくれた。早速その銀行に口座を作り、ロンドンからほとんどの資金を移した 時、私に奇妙な依頼をする人物がいた。その人物は口座を持っていないながら、サウジア ラビア産の石油を扱っているということで、私にこう持ちかけてきたのだ。 「僕のもまとめて受け取ってください。手数料を払うから後で分配してください」 人の紹介だったこともあり、無下にもできず私は快諾した。そうして同様の依頼を受け るようになり、何十ロもの他人の手数料が私の口座に入るようになっていた。私の新たな 史口座はこうして石油取引の代理口座になっていったのだ。口座残高が 250 億円を超えた 経 時、私は、自分の資金を自分でコントロールできない状態に焦り始めていた。 い 黒 の そしてその日がやってくる。 ハンク・アルタクアが銀行ごと凍結されたのだ。 凍結したのはアメリカ政府である。私が代理で引き受けていた人物の中に、アラビア半 章 島のアルカーイダの関係者がいたのだ。完全に合法だと思っていた石油ビジネスだが、い 127

10. 金融ダークサイド = THE DARK SIDE OF FINANCE : 元経済ヤクザが明かす「マネーと暴力」の新世界

いが行われるように銀行にお願いする」というオプションを、最初の契約で要求されるこ % ともあった。 私自身イエメンの部族長との契約によって石油ビジネスを一気に拡大し、利益も莫大な ものになっていった。石油の決済はドルで、入金は海外の銀行口座。現地で金を使うこと はできても知れている。この金をどこかに移動させなければ、なんの面白味もない。こう して私は証券と資金移転のスキルを覚えていくことになった。ジュファリ氏同様に»-a 0 を利用したこともある。だが、まもなく厄災が訪れることになる。 資金監視と没収 石油ビジネスは順調だった。というよりも、順調すぎた。長期のターム契約も取ること ができ、個人で扱うには規模が大きくなりすぎていた。私が紹介した人物が大量取引に関 与すると、紹介者の私にもコミッションが支払われる。さらに紹介者が紹介者へと連鎖す るたびに、人金されるコミッションは大きくなっていった。月に 2 億— 3 億円、多い時で 十何億と人金され : : : 知らない間に巨大取引の末席に名を連ねていたことが確認できたの は、あとで送られてきたコミッションノートを見てからだった。 私はイギリスの銀行に口座を作って、そこにコミッションを送金するよう指示していた