スタッドの場長・佐々木は、種馬の墓参りが日課となっている。放牧地を見渡せる高台の墓地 には、リヴリア、ダンサーズイメージといった歴代の功労馬が眠っている。 ナリタブライアンが亡くなってからは、日に三度、足を運ぶようになった。雨の日も雪の日も : 朝は「おはよう、一日、頼むよ」とあいさつをして、昼は「今から飯にするぞ」と伝える。夕方に なれば、「きようも無事に終わったよ、お疲れさん」と手を合わせる。 ナリタブライアンの子供が競馬場を走るようになって、自ずと話すことが増えた。 先日も札幌の未勝利戦の報告をした。娘のアテナシチーがアタマ差の二着だったこと。勝った馬は、 ナリタブライアンの父でもあるプライアンズタイムの産駒だったこと。 「いやあプライアン、お前、親父に負けちゃったよ」 佐々木にしてみれば、二頭の種馬は我が子と一緒だから、少しばかり複雑な心境である。 「言葉は返ってこなくても、頭のいい馬のことだから、″ああ、そうかい″って聞いてるよ」 佐々木は生きている馬と同じように、ナリタブライアンと話をしている。 思えば、「人間と同じくらいの脳みそを持っている」ほど賢い馬だった。 初めての種付けは三分とかからなかった。 佐々木はこの世界で生きて四十五年になるが、こんな馬は珍しかった。交配を覚えるまで数日かか ったとい、つ例は数多い。でも、ナリタブライアンの場合は、牝馬を見ても無用に騒ぎたてることもな 124
七年四カ月と二十四日の命。たしかに短い生涯だったが、早田なりに思うことがある。 「七歳であろうと七十歳であろうと、プライアンは精いつばい生きた。短い長いは人が判断すること。 それが寿命だったと思えば、人ができないことをやれたんだから、満足してたんだろうな。彼のよう な人生もいいんじゃないかいー 早田は生産馬のナリタブライアンに捧げる言葉を石碑にこう記している。 彼の肉体は消えても、その勇姿は永遠に私達の記憶の中で生き続け、決して消えることはないと思 います。 彼の子供たちの活躍が、私たちに夢を与えつづけてくれたナリタブライアンへの何よりの餞とな ることと思います・。 「ずいぶん昔のような気がします」 ナリタブライアンが旅立ってから三年、早田の願いは少しずつ実を結ばうと戦っていた。 娘のマイネヴィータが札幌二歳 ()n に挑もうとしていた。 早田に限らず、父を世話した場長の佐々木にしても、希望を予感していた。 おい、どっかで遊んできたのか 122
6 W 1 ろ 5 9 \ 版 3 出 4 5 ズ本 2 0 9 0 ア定 馬と人、真実の物語 の サスフレッドが枩てる " 営みあ歌 【第一章】万感の引退レース 5 ナリタトップロードと厩務員・東康博 5 【第一一章】十七年目の初勝利 5 ショウナンカンプと馬主・国本哲秀の縁 5 【第三章】馬に捧げた一一一十七年の誇り 5 新潟県競馬廃止と調教師・赤間松次の闘い 5 【第四章】二十九連勝への道 5 " リストラの星ージマフターと足利の老伯楽 5 【第五章】天国の師匠 ~ の贈り物 5 船橋競馬騎手・左海誠一の中央勝利 5 【第六章】亡き一一一冠馬と過ごした日々 5 ナリタブライアンと早田牧場の七年四カ月 5 ーセントの生存に賭け 15 プリ西ーネとサンシャイン牧場の闘病生活 5 【第七章】一。ハ 【第八章】母の″血″に込めた情熱 5 メジロラモーヌと獣医師由中秀俊、十六年の出産記録 5 【第九章】二十年目のラストナャンス 5 トウカイ一彳オーと安田隆行のダービー挑戦 5 【最終章】五十年目の春 5 アカネテンリュウ、オサイチジョージヒシミラクル : : : 大塚牧場と子孫繁栄の営み 5 物 【本書に登場する人たち】 赤間松次潟県競馬調教師 大塚信太郎比シミラクル生産牧場 国本晢秀→ョウナンカンプ馬主 ー倉 . 見イ旁プリモディーネ育成担当 左海誠二橋競馬騎手 ー左々オくリ 'J ナリタブライアン種馬所 ) 甑 ~ 告プリモディーネ生産牧場 田中秀俊ジロラモーヌ獣医師 手塚佳彦圷→マファイター調教師 早田光一郎”リタブライアン生産牧場 ー東 . 康ー専ナリタトップロード厩務員 安田隆行圷ゥカイティオー騎手 弓田末光リモディーネ装蹄師 ( 敬称略五十音順 ) : 人、塚美を ( おおっか・みな ) 1 973 年千葉県生まれ。和洋女子大学卒。 競馬ノンフィクション・ライター 89 年、オグリキャップとイナリワンが死 闘を演じた毎日王冠をきっかけに、競馬に 強く惹かれる。以降、毎週競馬場に足を運 ぶようになり、大学時代には、北海道・白 老町で牧場のアルバイトを経験する。 95 年、競馬雑誌「週刊 Ga 阨 p 」の門を叩 き、取材・執筆活動を始める。 G I 馬の故 郷や日高の名馬を訪ねる記事などにより、 馬産地で暮らすサラブレッドのありのまま の姿を読者に伝え、好評を博す。 2001 年、同誌にて、競走馬の現場に携わ る人たちを題材とした「馬と人、真実の物 語」を連載開始。生産者、厩務員、調教師、 騎手など、競馬界の裏舞台で地道な努力を 重ねるホースマンの " 背中 " を描き、その 飾らない、奥行きある文体により、大反響 を巻き起こす。 著作に、「馬と人、真実の物語」 ( アールズ 出版 ) 、「 Mamas&Papas 種牡馬の巻」 ( 扶 桑社 ) がある。 、一三ロ 大塚美奈 アールズ出版 アールズ出版
みついし 三石の診療所へ急行した時は、すぐに帰れると信じていた。でも、経過は悪くなるばかりで、麻酔 を施し腹を開いてみれば、もう手遅れだった。 「ど、つにもならない 獣医の言葉に、佐々木は頭が真っ白になった。 手術をする前、意識がはっきりしていたナリタブライアンは佐々木を見つめていた。大きな目から 大粒の涙を流し、何度も何度もいなないた。痛みを訴える声ではない。ナリタブライアンは競馬で負 けると、〃悔しい″と厩舎で泣いた。それと一緒で、あの馬は最期まで〃生きたい、助けてくれ〃と 叫んでいた。 「なんで、よりによってプライアンなんだ」としか言い様がなかった。 手を尽くしたが、〃 天命〃にはかなわなかった。早田に「埋葬する場所は任せるから、頼むよ」と 言われた。 々 日 「なんで俺がプライアンの墓を掘っているんだろう」 本当なら何年も一緒に仕事をしているはずなのに、と混乱した。馬が亡くなった平成十年の秋、胸し に大きな風穴があくというのはこのことだと思った。 冬が過ぎて、春が来た。ナリタブライアンのいない om スタッドに、生まれたばかりの当歳馬が母馬 馬と一緒に種付けへやってきた。嬉しい半面、寂しい気持ちになった。 き 亡 「プライアンの仔かい。親父が死んでしまって悪かったなあ」 普通の当歳なら種付け場でイレ込んでしまうが、三冠馬の仔は落ち着いた馬が多かった。父に似て
かったし、「おい、どっかで遊んできたのか」と冗談を言ってしまうほど見事だった。 「あれは、競馬場にいれば勝っことが自分の仕事だと知ってたし、種馬の商売も心得ていた。省エネ 上手だったよ」 平常心と闘争心を巧みに使い分ける馬だった。 知恵も相当だった。佐々木は自分の世話する種馬に角砂糖をあたえている。適度な甘味は栄養にな るからだ。人間のポケットを鼻でまさぐるほど、ナリタブライアンも好んでいた。 ある冬の日、いつものように角砂糖をやると、おもむろに真っ白な雪を口に含んだ。 「何してるんだ」 不思議な感じで佐々木が凝視していると、ナリタブライアンは角砂糖を雪に溶かし、砂糖水にして 楽しんでいた。 「なんだ、こいつは : : : 。本当に利ロだな」 々 日 人間の知恵を、自然なふる舞いでやってのけるのだから、佐々木は心底、感心した。 し セントライト、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフ : : : 。史上五頭目の三冠馬に当然、 期待は大きかったが、知れば知るほど、ナリタブライアンにれ込んでいった。 と 父のプライアンズタイムとは廊下をはさんで向かいの馬房に入れた。毛色はもちろん、目のまるい馬 顔つきも鼻白の特徴も一緒。一六三センチの体高は父より一二センチほど大きいだけで、まるで合わせ三 亡 鏡のようだった。 「人のやることを黙って見ている」
ってほしい」と佐々木は素直に願った。 九月二十二日、マイネヴィータは札幌二歳 co に出走した。厩舎ではうるさい方と聞いていた馬が、 下見所ではのんびりと回っていた。立ち上がって尻つばねをする出走馬を見ても、平然としている。 毛色は違うが、まるい目と度胸のある様子は父親とよく似ていた。 パドックには横断幕が出ていた。桃色の布地に紫の文字。ナリタブライアンの勝負服になぞらえた 横断幕にはこう書かれていた。 "Narita Brian ・ s Legacy 父の遺産・マイネヴィータは三頭が横一線に並ぶゴール前で、クビ差の二着に粘った。 佐々木は事務所のテレビでそれを見ながら、直線で声を嗄らしたはずだ。新馬を勝ったばかりの牝 馬が、牡馬を相手に闘争心を見せてくれたし、ナリタブライアンの命日を前に、重賞の二着は何より の手向けとなったのだから。 々 勝ちを逃したのは海しいけれど、暮れの二歳に出走できる賞金を得た。 日 た し 「マイネヴィータが札幌二歳 ()n で頑張ったよ。来年のクラシックが楽しみだな、プライアン その日の夕方、こんなふうに墓前へ報告したのだろうか。 と 馬 たった二世代。重賞を勝った産駒がいないから「思ったより走らない と一一一一口、つ人もいる。でも、 佐々木は信じている。 「プライアンズタイムの仔も骨の成長が早い方じゃないけど、故障は少ないよ。ナリタブライアンの亡 仔も古馬になってから目立ってくるのがいると思う。数が少ないから、丈夫に長持ちしてほしい。ま
しよ、つしゃ 真新しい洋館は、近代的で瀟洒な印象だったが、牧場の緑とよく似合っていた。 建物の前に来ると、入り口を案内するように十二のオプジェが並んでいる。 金のプレートがはめ込まれたコンクリートの列は、〃メモリアル〃だった。 日付、レース名、勝ち時計、着差・ : ・ : 。新馬戦もあれば、皐月賞、ダービー、菊花賞のプレートも 見える。それぞれの刻印は、ナリタブライアンが挙げた十二の勝ち星だった。 「取材の前に、記念館を見ておいでよ」 佐々木に一言われて、場内のナリタブライアン記念館へ寄ってみた。 九月の半ばを過ぎていたから、馬産地の観光シーズンは終わっていた。 新冠の OCQ スタッドへ向かう道中、″サラブレッド銀座 ~ と呼ばれる牧場地帯を走る車の数は少な かったが、記念館の駐車場だけは、案外、にぎわっていた。 受付の女性は入場切符をもぎっては、その都度、白い小石を渡して、「馬へのメッセージをどうぞ」 と繰り返した。 訪問者の多くは、″九月二十七日〃を思って、来場しているらしい。 ある若者は馬の石碑を眺めながら、友人に言っていた。 「今度の土曜日、ナリタブライアンの娘が札幌一一歳 co に出るんだよ」 「ああ、マイネヴィータな。プライアンの命日が近いし、もし勝ったらすごいよな」 がん 連れの青年は、ト石に何を書いたのか、願でもかけるような感じで目をつぶっていた。 123 亡き三冠馬と過こした日々
でも、一晩明けてみれば、ナリタブライアンは痛みに苦しんでいた。開腹すると、腸がねじれて、 胃が破裂していた。最新の医療を尽くしても、手の施しようがない。 「我強い馬で頑張り屋だから、痛くても無理をしていたのかもしれない」 翌日の二十七日、出張先の東京で " 訃報 ~ を聞くことになった早田は思った。当然、あの時は「プ ライアンが息を引き取った」と携帯電話で知らせを受けて、咢然とした。すぐに仕事をキャンセルし て、羽田空港へ向かった。 馬の世界に生きているからには、突然、最悪の事態が起きても、それを受け入れる平常心を身につ けてきたつもりだった。でも、最愛の馬とは「十年以上、一緒にいるつもり」だった。心の準備なん てなかった。 急いで新冠の牧場へ帰ってきたが、馬の顔を見るまで、途方に暮れるような長い道のりだった。よ うやく駆けつけて、目を閉じたナリタブライアンの横たわる姿を目の前にすれば、何も言葉が出なか った。 亡き骸はスタッドの放牧地が見渡せる場所を選んで手厚く埋葬した。遺体を土に返す許可も、 北海道が特別に認めてくれた。本当に誰もが誇りに思える偉大なナリタブライアンだった。 。自分のそばにいてほしかった」 「志し半ばで死んじゃって : ・ 早田は沈黙を繰り返しながら、言葉をふり絞っていた。 「申し訳ない。実際、思い出したくないな」 困ったように笑いながら、それを = 一一口うのがやっとだった。 121 亡き三冠馬と過ごした日々
だまだこれから : : : 」 ナリタブライアンが暮らした馬房は、永久欠番になっている。今は等身大の写真と色鮮やかな花や 果物が置かれている。 「牝馬は繁殖に残るからいいけど、息子は大変だ。親父が偉大すぎるからね。同等じゃなくても、プ ライアンの馬房に入れる後継者が出てきてくれたら嬉しいよ」 目を閉じれば、佐々木の脳裏に浮かぶのは平成八年の阪神大賞典だった。 マヤノトッブガンとアタマ差を競ったナリタブライアンは、すごい形相をしていた。 歴史に残る競り合いは簡単に見れるものじゃないが、もう一度見たい気がする。それが三冠馬の息 子や娘のレースだったら、どんなに嬉しいことだろう。 命日に届いた抱えきれない花束を墓前に手向けながら、佐々木はきようも夢を見ている。 130
から日高へやってきた。種馬場の事務所にはファンからの花が届いていた。 「プライアン、お疲れさま 馬運車から降りてきた三冠馬に早田は声をかけた。 ナリタブライアンは二十億七千万円のシンジケートが組まれた。当時、オグリキャップの十八億円 を超える内国産種牡馬の史上最高値だったから、早田は馬産地の期待を生産馬と一緒に感じていた。 〃成功してほしい / 新種牡馬を手がける責任は大きかったが、馬の顔を見れば、ただ嬉しかった。 「よく戻ってきてくれたよ。プライアンには幸せな余生を送ってほしいーとひたすら願う早田がいた。 牝馬は繁殖になって帰ってくる数が多いが、種馬になれる牡馬はほんの一握りだ。それが皐月賞、ダ ービー、菊花賞を優勝しただけでなく、朝日杯三歳 co 、有馬記念も制して、馬は戻ってきてくれた。 最高の名馬と一緒に、今度は〃子供 ~ で夢が見られるというのだから、幸せだった。 スタッドへ到着したナリタブライアンは、迷いもせず馬運車から降りてきた。大きな瞳に、景日 色や人を焼き付けるように、静かにあたりを見渡した。偶然、見学時間と重なっていたから、名馬に し 会えたファンは感激していた。 と 馬 「せつかくだから、みんなで記念写真を撮ろう」 本三 サービス精神が旺盛な山路が言った。ナリタブライアンを囲むように、大勢の人が集まったが、〃 き 亡 人々は平然としていた。 さすが競馬場の大観衆を前に動じない馬だ、と改めて早田は脱帽した。