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検索対象: 馬と人、真実の物語 2
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1. 馬と人、真実の物語 2

「勝った、ジョッキ】になった」 安田は思わず胸でつぶやいた。ウイニングランをするのは気恥ずかしかった。馬と二人きりで検量 に引き上げる道中、「ティオ 1 、ありがと、つ」と大士尸で馬に言った。 「本当に涼しい顔をしてすごい馬だな」 息を少し弾ませながら、馬はやはり美しい目をしていた。 馬上から降りれば、胸が熱くなった。 「ティオーのおかげで勝たせてもらった」 ヒーローインタビューに応じる安田は、名実ともに〃全国区〃になった。 ウイナーズサークルの柵越しに、家族がやってきた。優子は顔を上げられぬほどに泣いていた。景 一郎と翔伍も「オーチャンがを勝った」と顔を真っ赤にしていた。食卓で明るく励ましてくれた 家族は、その実、祈るようにの日を待っていた。 「二十年、騎手をやってきて、子供たちゃ妻の前でを勝たせてもらって、言葉に表せない喜びが 沸き上がった。中山の空は曇っていたけれど、気持ちは日本晴れだった」 大きな勲章をくれたトウカイティオ 1 のロ取りで、安田は人差し指を一本立てた。父のシンポリル ドルフが三冠馬になる過程で、騎手の岡部幸雄がそうしたから、息子も : : : と以前から決めていた。 当然、ダービーで二本指をかざすつもりだった。 皐月賞が終わって、中山競馬場の出張馬房へ行った。 207 20 年目のラストチャンス

2. 馬と人、真実の物語 2

て、ギャンギャン立ち上がって騒いでいたのを思い出しますね。モガミもダービー馬を出していたけ ど、当時はまだ実績がなかったし、期待はしてたけど、まさかあの仔が牝馬の三冠を勝っとは思わな かった」 競馬場へ行ってから、メジロラモーヌは見違えて強くなった。 昭和六十一年の桜花賞、オークス、エリザベス女王杯を優勝したばかりでなくトライアルも全勝し たが、その実、苦労も人一倍あった。 エリザベス女王杯を目指して : : : 。休養で洞爺の牧場へ帰ってきた三歳の夏は、綱渡りの心境だっ た。帰郷してまもなく、二冠を勝った春の疲れが出てしまった。 「ラモーヌの時代は、現在の〃外厩〃設備も牧場に整っていなかったし、夏の休養も経験がなかった からね。牧場としてこんな素晴らしい教材はないと思うけど、毎朝、みんなが馬の状態を確認するの にビクピクしていました。馬が放牧で完全にリラックスしたとたん、疲れが出ちゃって体がガタガタ になってしまって : はた 傍から見れば順調なメジロラモーヌだったが、あの頃、メジロ牧場は馬を立て直すのに必死だっ 朝一番に馬房へ出かけて、誰もが神妙な顔つきで入念に脚元を触わっていた。秋になって美浦の厩 舎へ送り出す日は、全員の気が抜けるほど精も根も尽き果てた〃夏″の終わりだった。 それが、みじんの不安も見せずに、エリザベス女王杯を勝った。 「三冠を勝った瞬間は、プルプルと身震いがとまらなかった。牧場時代は丈夫な馬じゃなかったし、

3. 馬と人、真実の物語 2

中央で地道に馬を仕上げてきた佐藤の人情を思えば、負けたくないと思った。ドージマファイター に出会った天命も逃せない、と誓っていた。 連勝はを数えていた。期待が高まる一方、口さがない人は " 条件戦での連勝 ~ と言った。手塚は 批判めいた風評を少しも気にしなかった。 かって連勝するような馬を、何頭も手がけてきたから知っていた。 「馬にスピード旨ゞ 育カカないと、必ず壁にぶちあたる。オープンの << クラスに行ける器じゃないと、勝 ち切れない」 経験したから承知している事実だった。 勢いで二桁の連勝を築いても、必ず真価は問われる。馬に能力がなければ、条件戦でも勝ち続ける ことは不可能だった。 「なんでもかんでも、勝てばいいんだ」 結果を出して、ドージマファイターのすごさを教えてやると思った。 「勝つってことは強い。負けるわけがない 手塚は、心底あの馬にれ込んでいた。道中、何番手に付けようカ歹 ゞ、曵り一五〇メートルを過ぎる と、自分でハミを取って勝ちに行く馬だった。 「ドージマは勝ちパターンを知っている」 賢い管理馬を信じながら、身を削るような思いで " 無傷 ~ を守ってきた。それは戦歴だけでなく、 心身も同様だった。

4. 馬と人、真実の物語 2

廩重に徹する競馬を以前にも増して肝に銘じるようになったし、 " あいっ頑張ってるな ~ と思って くれる人の期待に応えたいと強く願うようになった。競馬だけでなく調教も精力的にまたがる安田は、 べテランと呼ばれるようになっても〃努力″を胸に生きた。 それから数年が経って : ・ 安田といえば〃小倉男″と呼ばれるようになっていた。いずれ四十五 週連続勝利の記録を樹立するほど、ホームグラウンドと呼べる場所だった。 「があっても小倉へ行くようなスタンスがありました。それくらい〃小倉男″の名前をもらった ことに誇りがあった」 馬にたくさん乗せてもらえるだけで幸せだったし、ローカル競馬での活躍に自負があった。 ーズプーケで重賞を二勝した。 平成元年には小倉一二歳 co のハギノハイタッチとサファイヤのリリ 八十一二勝を挙げた平成二年は、小倉記念のスノージェット、スワンのナルシスノワールでも勝っ トウカイティオーに初めて出会ったのは、そんな年だった。 しよ、ついち あの馬が入厩した松元省一厩舎といえば、昔から調教も手伝ってきた。今思えば、本当に縁が深 かった。左足の骨折をした時も松元厩舎の馬だったし、十年以上も前から管理馬で勝たせてもらった。 馬に対しては人一倍、慎重で妥協を許さない調教師を生真面目な安田は信頼していた。 トウカイティオーを初めて視界に入れた時のことはよく覚えている。 「貴公子だなあ」 りん 背中の感触を確かめる前から凛とした相貌にひかれた。

5. 馬と人、真実の物語 2

われた。 昭和五十 , ハ年の暮れ、調教中に落馬した。何かの拍子で馬銜が折れた。すぐに下へ落ちればよかっ あぶみ たが、左足だけが鐙に引っ掛かった。「左足が太ももからもぎとられる」衝撃だった。 骨は砕けて、安田の膝と踵は大手術を施された。 「悔しいより、早く馬に乗りたかった」 焦るのも無理はなかった。三勝しか挙げられなかった、この昭和五十七年は九カ月も競馬に乗れな かった。結婚した妻の優子との間には、四歳になる長男の景一郎と生後まもない次男の翔伍を授かっ ていた。 「あの頃はクラシックうんぬんの気持ちはなかった。ダービ】を勝つどころじゃなく馬に乗りたくて たまらなかった」 必死で復帰だけを考えた。複雑骨折の後遺症で左足をひきずるようになったが、馬の背中に乗れば 騎手の手腕に変わりはなかった。 競馬場に戻ったのは秋だが、その年は八十の乗り鞍をこなした。 「もうすっかりええんやな」 努力する安田の背中を知っているのか、騎乗の声をかけてくれる調教師もいた。 「ありがとうございます」 深く頭を下げながら、感謝の念は尽きなかった。 「今思えば、蚤我をしてよかった」 かかと 197 20 年目のラストチャンス

6. 馬と人、真実の物語 2

本は初めて繁殖牝馬を持った。 時には、調教師と酒を酌み交わしながら、初年度の配合に思いを巡らせた。 ショウナングレイスといえば、大久保が管理したメジロファントム、メジロハイネの活躍馬と同じ 牝系だった。 「先生、やつばりいっかクラシックを取りたいよね」 二人の夢は尽きなかった。 たねうま 「トニービンはすごい種馬だから付けたいけど、万が一、受胎しなかったらなあーと大久保は思案す るよ、つに一一一一口った。 あの頃のトニービンといえば、初年度産駒のウイニングチケットがダービーを勝ち、牝馬のベガも 桜花賞、オークスを優勝していた。当時の種付け料は一千万円だから、不受胎や流産の場合、リスク 、も , 入 (J い 「トニービンでいきましよう」 国本は力強く言った。 「馬が稼いでくれた賞金は馬に返す」 ぜんや 日本競馬を代表する社台の吉田善哉も、メジロの北野豊吉、シンボリの和田共弘も、競馬への情熱 はすさまじかった。国本もそれに感銘してきたから、経済的な投資を惜しまなかった。 さんく 翌年、トニービン産駒の牡馬が生まれた。初仔だが、品のよいアカ抜けた馬体だった。二番仔はフ ジキセキ産駒の牡馬だった。

7. 馬と人、真実の物語 2

「頑張ろうな」と佐々木は思った。生産頭数は二世代で百五十一頭。 賢いのが余計にせつなかったが、 数が少ないのはつらいけれど、いい仔が出来ているし、期待は日に日に大きくなった。 馬を好きだったファンはスタリオンを訪ねて、佐々木の話をなっかしそうに聞いた。 " ナリタブラ ィアン新聞〃を作って、産駒の入厩情報を毎週、ファックスで流してくれる人もいた。 「プライアンの子供がレースに出てもらわなきや困るよ。出れなかったら清水の舞台からパラシ ュートをつけて飛び下りなきや」 " ナリタブライアンと約束だ ~ とようやく笑えるようになった佐々木がいた。心底、自分の種馬を信 じていたし、夢は日々、育っていた。 平成十三年の夏が来て、二年目の産駒がデビューした。 「お前の仔が勝ったぞ」 「残念ながら負けたよ」 前の年から佐々木の報告は続いている。雨の日も雪の日も : ・ 「きようも取材が来たよ。マイネヴィータが札幌二歳に出るんだぞ」 ナリタブライアンの仔が重賞に出るから、テレビや雑誌が取材へやってきた。さすが、いつまでも 華のある名馬だった。 「親父なみに走れっていってもゆるくない話だけど、プライアンの仔は牡馬も牝馬も、どの馬も頑張 128

8. 馬と人、真実の物語 2

「勝つ自信はある」 連勝の日本記録に並ぶ執念はすさまじかった。 右前脚の限界 早朝の厩舎街は、思いがけず人の出入りが多くなっていた。 洗い場に繋がれた馬をレンズに収めて、カメラマンは盛んにシャッターを切っている。取材記者は 調教師を囲んでいた。 「食いもいいしね。調子は万全ですよ」 手塚は、温和な笑顔で記者の質問に応じた。 たくま カイバ桶に顔を突っ込む勢いも豪快で、五四〇キロの体はすこぶる逞しい。手塚の言うとおり、 誰が見ても文句のないデキだった。 平成十年の秋、ドージマファイタ 1 は字都宮の古賀志山特別に出走が決まっていた。 % 連勝に向け て、周辺はにぎやかになっていた。 「勝つ自信はあるよ。負けたら記録にならないからね」 普段と変わらず、調教師の目は優しく細められた。傍から見れば、不安とは無縁に見える手塚だが、 その実、執念はすさまじかった。 「負けるわけがない。勝たなきやだめだ」 77 29 連勝への道

9. 馬と人、真実の物語 2

「 " リストラ ~ じゃないよ。中央で無事に走っていれば、当然、準オープンまでは出世していた馬で 質問をされる度、手塚は柔らかい笑顔で説明した。 「うちへ来る前から能力のあった馬なんです」 調教師は何度も言った。 三歳の秋に管骨を故障しなければ、未勝利戦を勝ち上がっていたと手塚は確信していた。連勝する 姿を見れば、中央での出世は容易に想像できた。 その頃、美浦の佐藤全弘と親類の結婚式で会う機会があった。手塚は親子で出席していた。 「ドージマに、ぜひ記録を達成させてやってくれよ。名前がずっと残るから。佐藤先生も大きな人だ から、喜んでくれてるよ」 貴久は父に言った。 「そうだな」 ほほ笑んでうなずきながら、内心、こんなに勝たせてもらって・ : ・ : と謙虚な気持ちになっていた。 手塚は、恐縮する思いで調教師の佐藤に声をかけた。 「そちらでも準オープンまで行ける馬なんだから、うちで走って当たり前です、 すると、佐藤は顔をくしやくしやにした。 「そんなことないよ。ドージマは足利の水に合ったんですよ。頑張って下さい」 「佐藤さん、ありがとう。これからも勝たせてもらいます」 乃 29 連勝への道

10. 馬と人、真実の物語 2

「ボロもおしつこもしないんじゃないかと思うくらい気品を感じた」 長めの前髪からのぞく涼しげな眼は、一一歳馬とは思えなかった。実際、またがれば無類の柔軟性が 安田の尻に伝わってきた。 「ゴムまりみたいにやわいけど、乗っててしつかりしている」 新馬は勝つなと直感した。 「安田、この馬に乗ってくれるか」と松元が伝えるまでもなく、「ティオーがデビューする時はぜひ、 どこへでも行きます」と言った。 来年はティオー一本だ 中京競馬場の調整ルームに戻ったその日は、ビールや高級な酒を大量に購入した。 ス 翌日の日曜日も競馬の開催がある。当然、宴を開く気楽な夜ではないが、安田は御祝儀の代わりに ン ャ 騎手仲間に差し入れをした。 チ 「好きな時に好きなだけ飲んでください」 ス 平成二年十二月一日の土曜日、中京競馬で騎乗した安田は〃六勝〃を挙げた。″ ローカル男〃と呼ラ 目 ばれてきたべテラン騎手は、得意の中京で当時の一日最多勝利の Y--E< 記録を更新した。 年 普段は少量の酒ですぐに眠くなるけれど、床に就いても昼間の興奮が何度も浮かんでは消えた。腕 はよいと言われてきたが、小倉や中京での活躍は華やかな感じではない。三十七歳の騎手は、一つで叨