平成十三年 - みる会図書館


検索対象: 馬と人、真実の物語 2
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1. 馬と人、真実の物語 2

永遠の血脈 ラムタラの娘を出産した後 : ・ 平成十一年に誕生したメジログリーンは、メジロライアンとの産駒だった。 「グリーンは、小島厩務員の″ライアンを付けてくださいよ″の一声で生まれたんです」 メジロラモーヌの母子だけでなく、小島はメジロライアンも担当していた。オーナープリーダー同 様、厩舎の夢も背負っているメジログリーンだった。平成十四年、三歳の現役馬は十一戦一勝を挙げ た。二着が四回と健闘も繰り返している。 平成十二年の仔も息子だった。プライアンズタイムの産駒で、二年後の十一月十九日にメジロべッ カムの名で美浦に入厩している。 ェアジハードとの産駒は不受胎に終わったけれど、平成十四年には三頭目の跡取り娘・エルコンド ルバサー産駒の牝馬を生んだ。 全十頭。それが十九歳になった時点でのメジロラモーヌの繁殖記録である。 紙に記された名牝の産駒成績を眺めながら、田中は言った。 「正直、母のラモーヌについて取材が来た時は不思議でした。どころか重賞を勝った仔もまだい ないから、何を話せばいいのかなって : しと田 5 っていた。 文字には見えない話はずっと胸にしまっておけばい、 「でも、記憶をたどればたどるほど、ラモーヌは僕ら生産者にいろんなことを教えてくれたと改めて

2. 馬と人、真実の物語 2

ナリタブライアン記念館にある石碑 ( 平成年撮影 ) ナリタブライアン 平成 3 年生牡黒鹿毛 父プライアンズタイム 母パシフィカス母父ノーザンダンサー 栗東・大久保正陽厩舎馬主 / 山路秀則 生産者 / 新冠・早田牧場 21 戦 12 勝、 2 着 3 回、 3 着 1 回 主な勝ち鞍 / 5 年朝日杯三歳 S ( GI ) 、 6 年皐月賞、ダービー、菊花賞、 有馬記念 ( 以上 GI ) 、 7 年・ 8 年阪神大賞典 (GII) 種牡馬通算成績 / 血統登録頭数 147 頭、出走頭数 67 頭、勝馬頭数 21 頭、入着頭数 15 頭 ( 平成 13 年 9 月 30 日現在 )

3. 馬と人、真実の物語 2

中央重賞 2 勝目 ( 平成年ュニコーン ) 左海誠ニ 昭和年生まれ長崎県出身 船橋・岡林光浩厩舎所属 初騎乗 / 平成 5 年 4 月 19 日船橋 3R マスターチーフ ( 2 着 ) 初勝利 / 5 年 4 月 20 日船橋 6R キャッスルムーン ( デビュー 5 戦目 ) 主な勝ち鞍 / 10 年ゴールド C ( 浦和 G Ⅲ ) 、 12 年グランドチャンピ オン 2 ( メ )0 ( 大井 GI ) 、 14 年フローラ S ( 中央 G Ⅱ ) 、ユ ニコーン S ( 中央 G Ⅲ ) 通算成績 / 地方 3101 戦 418 勝、中央 33 戦 2 勝 ( 平成 14 年 7 月 4 日現在 )

4. 馬と人、真実の物語 2

騎手時代の安田隆行氏とトウカイティオー トウカイティオー 昭和 63 年生牡鹿毛 父シンポリルドルフ 母トウカイナチュラル母父ナイスダンサー 栗東・松元省一厩舎馬主 / 内村正則 生産者 / 新冠・長浜牧場 12 戦 9 勝 主な勝ち鞍 / 平成 3 年皐月賞、ダービー ( 以上 GI ) 、 4 年産経大阪 杯 (G Ⅱ ) 、ジャパン C (G I ) 、 5 年有馬記念 (G I ) 安田隆行 昭和 28 年生まれ京都府出身 騎手成績 / 01 戦 0 勝 ( 昭和 47 年 3 月 ~ 平成 6 年 2 月 ) 重賞 13 勝 ( トウカイティオーく 3 年皐月賞、ダービー〉等 ) 調教師成績 / 1692 戦 165 勝 ( 7 年 3 月 ~ 14 年終了時点 ) 重賞 2 勝 ( シルヴァコクピットく 12 年きさらぎ賞、毎日杯〉 )

5. 馬と人、真実の物語 2

ば必ず見ていた。 歳月は流れて : : : 。平成五年の暮れは、六度目の調教師試験を受けていた。 前の年、五度目の不合格を知った時は、自信があった分、落ち込んだ。「あかん、やってられない わ」と一瞬あきらめる気になったが、平成三年の春を思い出せば心境は変わった。 「努力すれば絶対に受かる。ティオーと巡り合えて、ダービーを勝てたんだから : : : 。誰にでもチャ ンスはある」 大切な馬は、ずっと安田の胸にどっかりと座り続けていた。毎年、夏から始める試験勉強だったが、 , ハ度目の受験は不合格の日から毎日、それを欠かさなかった。 平成五年の十二月二十六日、トウカイティオーは一年の休養明けで有馬記念を優勝した。奇跡の復 活と呼ばれる o»--«勝ちだった。 「本当にすごい馬だなって、感動を通り越して頭が下がる思いだった」 安田は競馬中継をテレビで見ながら、素晴らしい名馬に騎乗できた誇りを感じていた。 トウカイティオーにとって、ラストランとなった有馬記念の二カ月後、安田も鞭を置いた。六度目 の調教師試験に合格した。 あの馬に出会ってから十二年が経って : 安田は栗東に厩舎を構えてから九年目が経った。平成十四年は管理馬で二十九勝を挙げて、関西の 215 20 年目のラストチャンス

6. 馬と人、真実の物語 2

倉見は、後ろの方を走る桜花賞馬だけをずっと見ていた。十八頭立ての十六着に負けてしまったが、 「着もなんも関係ない」。無事を確認すれば、ひたすら嬉しかった。 プリモディーネは平成十三年のエルム co で引退した。最後のレースも十一着に負けた。復帰してか ら勝てなかったが、 牧場の人々は晴れ晴れとした気持ちだった。 「もう一度、競馬場に戻すと誓って、責任はある程度果たせた気がする」 無事に繁殖に上がれたから、倉見は満足していた。 異国への旅立ち プリモディーネの馬運車は再び、門別町のサンシャイン牧場へ到着した。 今度は母馬になるから、繁殖を扱う本場へ帰ってきた。 て 出迎えたのは、総場長の三瓶で、誕生したプリモディーネを取り上げた男だった。 一一年前の夏、育成牧場へ帰ってきた頃、馬の診療に度々、三瓶も立ち会った。骨が沈下した蹄を見剤 生 の た時は、目の前が真っ暗になった。 ト ン 「あれの仔を生産するのが俺の夢だから : : : 」 セ サンシャイン牧場の開業以来、三瓶はオーナープリーダーの一員になって、生産一筋、馬で頑張っ てきた。無事に戻った桜花賞馬を見れば、倉見同様「奇跡だ」と思ったし、心底、嬉しかった。 プリモディーネが帰郷したのは平成十三年の九月 : : : 。生まれ育った門別町の牧場で過ごすのはわ

7. 馬と人、真実の物語 2

国本哲秀氏 ( 平成年高松宮記念 ) ショウナンカンプ 平成 10 年生牡鹿毛 父サクラバクシンオー 母ショウナングレイス母父ラッキーソプリン 美浦・大久保洋吉厩舎馬主 / 国本哲秀 生産者 / 浦河・大柳ファーム 14 戦 6 勝、 2 着 1 回、 3 着 2 回 主な勝ち鞍 / 14 年オーシャン S (OP) 、高松宮記念 (GI) ( 平成 14 年 7 月 7 日現在 )

8. 馬と人、真実の物語 2

シュンサクヨシコ ( ヒシミラクル母 ) ヒシミラクル 平成 11 年生牡芦毛 父サッカーポーイ母シュンサクヨシコ 栗東・佐山優厩舎馬主 / 阿部雅一郎生産者 / 三石・大塚牧場 19 戦 4 勝 2 着 2 回 3 着 3 回 ( 平成 15 年 3 月 24 日現在 ) 主な勝ち鞍 / 平成 14 年菊花賞 5 代母までの血統表 母 : シュンサクヨシコ ( 芦毛・ H4 年生・父シェイデイハイツ ) 2 代母 : シュンサクレディ ( 芦毛・ S54 年生・父ラナーク ) 3 代母 : ムーンフィニックス ( 黒鹿毛・ S45 年生・父フィダルゴ ) 4 代母 : ミチアサ ( 黒鹿毛・ S35 年生・父ヒンドスタン ) アカネテンリュウ ( S 菊花賞優勝・牡・黒鹿毛・ S41 年生・父チャイナロック ) サチノイマイ ( 牝・鹿毛・別 8 年生・父チャイナロック ) サチノワカバ ( 牝・鹿毛・ S55 年生・父フアバージ ) オサイチジョージ ( H2 宝塚記念優勝・牡・黒鹿毛・ S61 年生・父ミルジョージ ) カッラギハイデン ( S 阪神三歳 S 優勝・牡・鹿毛・ S58 年生・父ボールドリック ) 5 代母 : プレイガイドクイン ( 黒鹿毛・ S24 年生・父ダイオライト )

9. 馬と人、真実の物語 2

船橋の報知オールスターカップ、大井の東京シティ盃など、アローセプテンバーで重賞を七つも勝 った。平成十一年の秋には、マキバスナイバーで大井のⅡ・東京記念を制した。 六年目の勝利数は , ハ十五を数え、七年目も五十勝を挙げた。 北川の馬で重賞を走りながら、騎乗の勘が養われていった。 「きようは胸を張って帰れるな」 凛々しい顔で左海がコースから引き揚げた時は、北川は胸を張って待っていた。 「強かったな」 面と向かって褒めるようなことはないけれど、馬を讃える言葉を聞けば、騎手として嬉しかった。 「先生に文句言われるな、と思う時も言葉はいらなかった」 意志の疎通は、勝ち負けと関係なかった。先頭でゴールに入っても〃納得いかない ~ と弟子が思え 、ヒ 」川も渋い顔をしていた。 「暗黙の了解だった」 競馬も調教も : 。日々の生活で互いを信頼していた。 地方も中央も関係ない 平成十二年になって アローセプテンバーは中央のフエプラリー (f) に挑戦することになった。 101 天国の師匠への贈り物

10. 馬と人、真実の物語 2

帝王賞の日まで、左海は馬のことだけを思って、必死に仕上げた。最高の状態で本番を迎えたマキ ハスナイバーは、統一を優勝した。 平成十三年、「最大の俺の試練」を経験した左海は七十一勝を挙げた。デビュー以来、最多の勝ち 星の中には、帝王賞の後に勝ったマキバスナイバーの東京記念も数えられた。 かけがえのない人馬 平成十四年の四月になって : ・ 船橋の騎手に、中央の騎乗依頼が飛び込んだ。 「誠二、フローラでニシノハナグルマの鞍上を頼まれたよ」 岡林から報告を聞けば、返事をするまでもなく笑顔を見せる左海だった。 「なんか知らないけど、重賞に乗れるんだ」 物 指名の理由はどうでもよかった。ひたすら胸は高鳴っていた。 の フローラ ()n の日を迎えても、緊張はしなかった。 へ 匠 「楽しんでいこう」 師 騎手として中央の重賞を満喫したいと思った。気負いのない九番人気だったけれど、当然、勝ち負の 天 けは意識していた。 「三着までに来てよ」