手塚佳彦調教師 ( 連勝を達成。花束をスタンドへ : 〈撮影・前田祥久〉 ドージマファイター全成績 四歳未勝利 ( 福島ダⅢ刈不良 ) 8 着 H 7 . 7 / 22 四歳未勝利 ( 福島芝 128 良 ) 8 着 8 / 6 四歳未勝利 ( 新潟芝 188 良 ) 6 着 8 / 26 四歳未勝利 ( 中山芝 168 良 ) 2 着 9 / 10 四歳未勝利 ( 中山芝 168 良 ) 3 着 9 / 30 C4 チ C5 イ ( 足利ダ 148 良 ) 1 着 H 8 . 2 / 7 ニ ( 宇都宮ダ 148 良 ) 1 着 2 / 23 C4 ( 宇都宮ダ 148 不良 ) 1 着 3 / 22 C2 ロ C3 イ ( 字都宮ダ 14 開良 ) 1 着 4 / 8 C3 ( 足利ダ 148 良 ) 1 着 5 / 26 C3 ( 足利ダ 148 良 ) 1 着 6 / 8 C4 へ ( 足利ダ 148 良 ) 1 着 12 / 11 C4 ( 宇都宮ダ 148 良 ) 1 着 12 / 30 C4 ( 宇都宮ダ 148 良 ) 1 着 H 9 . 1 / 18 C3 ( 足利ダ 148 良 ) 1 着 1 / 31 C3 ( 宇都宮ダ 1 ) 稍重 ) 1 着 2 / 17 3 / 2 C3 ( 足利ダ 148 良 ) 1 着 若菜特別 C ( 宇都宮ダ嶽稍重 ) 1 着 3 / 15 れんげ草特別 B2 ( 宇都宮ダ 1 ) 良 ) 1 着 4 / 18 すずらん特別 B ( 宇都宮ダ 1 ) 良 ) 1 着 5 / 3 パール特別 B ( 宇都宮ダ刈良 ) 1 着 6 / 21 CI ( 宇都宮ダ 148 良 ) 1 着 H 10. 1 / 7 アメジスト特別 C ( 宇都宮ダ 1 用良 ) 1 着 2 / 4 CI ( 宇都宮ダ刈稍重 ) 1 着 2 / 19 チューリップ特別 B2B3 ( 宇都宮ダ 1 鼠稍重 ) 1 着 3 / 14 カンナ特別田 CI ( 宇都宮ダ 1 ) 重 ) 1 着 7 / 25 ふじばかま特別 BI ( 字都宮ダ 148 稍重 ) 1 着 8 / 13 ウチョウラン特別 B ( 足利ダ 188 不良 ) 1 着 8 / 30 9 / 24 かわせみ特別 BI ( 足利ダ 188 不良 ) 1 着 みのり特別 BI ( 宇都宮ダ 1 Ⅸ刈重 ) 1 着 10 / 6 古賀志山特別 BI ( 宇都宮ダ刈重 ) 1 着 10 / 幻 春りんどう特別 B2 田 ( 足利ダは刈不良 ) 1 着 H 11.4 / 25 とき草特別 B2 ( 宇都宮ダ 1 ) 良 ) 1 着 H 12.4 / 9 ひいらぎ特別 BI ( 宇都宮ダ嶽刈稍重 ) 1 着 11 / 19 ※通算成績 / 戦四勝 ( 中央 5 戦 0 勝 )
足利へ来てまもなく : ・ 調教は順調に積まれていた。能力試験は好時計で突破した。中央時代は未勝利で獲得賞金もわずか だから、の下級条件が初戦に決まった。 丁寧に馬を磨く米山に、手塚は言った。 「なら、楽勝するかもしれない」 べテラン・高橋和宏を背に、ドージマファイターは足利で一勝目を挙げた。圧勝ではなかったが、 と知っているようだった。 完勝だった。賢い馬だから、〃勝てばいし / 入厩から半年が経てば、六連勝していた。 「スピードなら、プライアンズロマンに負けないんじゃないか」 しずれ勝の日本 手塚は胸の内で、栃木のオープン馬と比較した。プライアンズロマンといえば、、 最多勝記録を達成することになる″怪物″だった。 潜在能力に興奮する一方、不安が頭をもたげたのもこの頃だった。 ひづめ たしか三戦目を使った後だった。管骨に異常はなかったが、蹄に変化が表れた。 「いくらか突き上げがあるな」 さわ 手塚が馬の蹄に触れば、ほんの少し熱を帯びていた。前後の蹄鉄が接触して、血まめのような状態の れってい になっている。裂蹄の前ぶれだった。このままいくと蹄が裂けてしまう。馬体重は五四〇キロを超え勝 ていてい 連 るほど成長していたから、〃屋根〃の重さも蹄底に負担をあたえた。普通の馬なら日にち薬で治る程 度だが、ドージマファイターの場合、生来、ツメが弱かった。
競馬をやりたくても : ・ 喉から手が出るほど馬房が : 一膳の茶碗 馬体をふいたタオル 四百五十五頭の行き先ア 無ロなジョッキ】と大雪開催 第四章一一十九連勝への道、〃リストラの星〃ドージマファイターと足利の老伯楽、 俺が家族を守んなきや 血統は二の次でいし 十枚の毛布 結果で教えてやる刀 右前脚の限界万 渡良瀬川のうねり 北海道の愛馬 第五章天国の師匠への贈り物、船橋競馬騎手・左海誠一一の中央勝利、 馬のおじちゃん
「 " リストラ ~ じゃないよ。中央で無事に走っていれば、当然、準オープンまでは出世していた馬で 質問をされる度、手塚は柔らかい笑顔で説明した。 「うちへ来る前から能力のあった馬なんです」 調教師は何度も言った。 三歳の秋に管骨を故障しなければ、未勝利戦を勝ち上がっていたと手塚は確信していた。連勝する 姿を見れば、中央での出世は容易に想像できた。 その頃、美浦の佐藤全弘と親類の結婚式で会う機会があった。手塚は親子で出席していた。 「ドージマに、ぜひ記録を達成させてやってくれよ。名前がずっと残るから。佐藤先生も大きな人だ から、喜んでくれてるよ」 貴久は父に言った。 「そうだな」 ほほ笑んでうなずきながら、内心、こんなに勝たせてもらって・ : ・ : と謙虚な気持ちになっていた。 手塚は、恐縮する思いで調教師の佐藤に声をかけた。 「そちらでも準オープンまで行ける馬なんだから、うちで走って当たり前です、 すると、佐藤は顔をくしやくしやにした。 「そんなことないよ。ドージマは足利の水に合ったんですよ。頑張って下さい」 「佐藤さん、ありがとう。これからも勝たせてもらいます」 乃 29 連勝への道
一年ぶりに競馬場の雰囲気に触れた馬は、走る気になってイレ込んでいた。 「連勝したいという野心は、馬も人もありましたが : : : 」 挨拶をすれば、声が震えていた。最後の別れだと思うと、もう涙はこらえきれなかった。 思えば、平成七年の暮れに牡馬が足利へやってきて、六年が過ぎていた。あの頃、調教助手だった 息子の貴久が、今は美浦の調教師として頑張っているように、馬と暮らした月日は長かった。 「無理をしなかったから、ここまで走れた」 六度の長期休養を経て、連勝を目指した思い出は数え切れなかった。 気の優しい馬は利ロだったし、いつまでも馬体の若さを失わなかった。蹄にしても、ずいぶんと勉 強させてもらった。勝ちに行く興奮も、負けられない重圧も、あの馬が改めて教えてくれた。 引退式から半年が過ぎて、ドージマファイターは、北海道の「にいかつぶホロシリ乗馬クラブ」で 暮らしている。道営の門別競馬場へ " 四連勝の馬 ~ としてお披露目にも呼ばれた。 「素晴らしい名馬に巡り合えて、調教師冥利に尽きるね」 優しく笑う手塚は、それを愛馬に伝えようと思っている。 にいかつぶ しいっかドージマファイターを訪ねて : 新冠の乗馬クラブこ、
第四章一一十九連勝への道 〃リストラの星〃ドージマファイターと足利の老伯楽
「ドージマも連勝を願ってるよな。できれば、永遠に名前を残してやれたら : 手塚は、蹄の回復に望みをつないで、三度目の放牧を決断した。 休養先から足利に戻って : 完治はしなかったが、ツメの状態は以前より回復していた。 「脚元に狂いがこない調教をしないと 大型馬だから、〃屋根 ~ の重さを思い、贅肉のつかない飼料に変えた。 かつば 「馬に合羽を着せよう」 三周のキャンターで、四周を回った効果を促すために汗とりの工夫もした。 渡良瀬川のうねり 平成十一年の春、連勝目を狙う競走は、足利の春りんどう特別に決まった。 目の前に目標が見えて興奮したが、身を削る思いに変わりはなかった。 早朝、日の出の頃になると、自然と太陽に手を合わせていた。出先で神社を見つければ、車を停め て願をかけた。静寂の中で目をつぶれば、亡き両親や祖母の顔が浮かんだ。 「どうか無事に勝たせてやってくださいー 神仏にすがるとはこのことだと思った。 一方、厩舎へ行けば、手塚は不安を見せなかった。
手入れの行き届いた庭同様、七十歳を迎えた調教師は丁寧な仕事を信条にしてきた。 中央から足利へ転厩して : ・ 。ドージマファイターの四連勝も、慎重な男が守ってきた。 俺が家族を守んなきや 二十歳で騎手になって、三十七歳で調教師になって : : : 。足利で生きるようになって、知らない間 に半世紀が過ぎていた。 手塚の長男・貴久は、中央の美浦で調教師になった。親子二代、いかにも競馬の世界に縁があるけ れど、生まれ育ったのは〃焼き物〃が有名な土地だった。 ましこまち 昭和六年、手塚は栃木県の益子町で生まれた。実家は農家で、七人兄弟の長男だった。小さな頃は 騎手という職業も知らなかった。 明治生まれの父・文吾は働き者で、田植えの時期は朝の四時すぎから仕事に出ていた。 「親が田んほ仕事で忙しかったから、祖母の手伝いで農耕馬の飼い付けをしてたね」 大でも小鳥でも、気の優しい手塚は生き物が好きだった。小学校に上がれば、弟と妹の面倒を見る おもやむね ように、一人前に馬の世話をした。厩舎は母屋の棟つづきにあったから、家族同然の生活だった。 「佳彦、馬は自分でご飯を食べられないからね。ちゃんとエサをやってから、自分のご飯を食べるん だよ」 祖母のくらは言った。 たかひさ 63 29 連勝への道
春の雨は、絹糸のように細く降っていた。 雨に濡れた庭の草木は匂い立ち、赤紫のつつじは色を鮮やかにしている。 「そういえば、連勝した時は前の日から大雨が降ってたね」 あるじ 庭の主は、窓の外を見やりながら、明朗な感じで笑った。 よしひこ 四月の末に降った雨は、手塚佳彦をなっかしい気持ちにさせていた。 「馬場は田んばみたいに水が流れてたよ」 ソファーに腰かける背後には、馬の彫像や写真が飾られている。どれも同じ馬だった。 なりわい 手塚は、栃木県の足利で調教師を生業としている。 三年前の今ごろ、手塚は管理馬のドージマファイターを足利競馬で使っていた。 平成十一年四月二十五日の春りんどう特別は、前夜からの大雨で不良馬場だった。地元の競馬場か わたらせ ら見える渡良瀬川も、穏やかな流れを忘れて、うねりを強くしていた。 「勝つ自信はあったけど : 一番苦しかったレースだね」 後ろをふり向いた調教師は、馬の写真に声をかけるふうにも見えた。 ぬかるんだ馬場に脚をとられた。道中、落鉄もしながら、ドージマファイターは連勝の日本記録 を達成した。引退を迎える頃、それは四連勝になった。 「毎日、苦しみと楽しみの両方だった。どっちかっていうと苦しみの方が多かったかな」 相変わらず、屈託のない手塚だった。温和な人柄は、みじんの苦労も感じさせなかったけれど、馬 はツメが丈亠大じゃなかった。
6 W 1 ろ 5 9 \ 版 3 出 4 5 ズ本 2 0 9 0 ア定 馬と人、真実の物語 の サスフレッドが枩てる " 営みあ歌 【第一章】万感の引退レース 5 ナリタトップロードと厩務員・東康博 5 【第一一章】十七年目の初勝利 5 ショウナンカンプと馬主・国本哲秀の縁 5 【第三章】馬に捧げた一一一十七年の誇り 5 新潟県競馬廃止と調教師・赤間松次の闘い 5 【第四章】二十九連勝への道 5 " リストラの星ージマフターと足利の老伯楽 5 【第五章】天国の師匠 ~ の贈り物 5 船橋競馬騎手・左海誠一の中央勝利 5 【第六章】亡き一一一冠馬と過ごした日々 5 ナリタブライアンと早田牧場の七年四カ月 5 ーセントの生存に賭け 15 プリ西ーネとサンシャイン牧場の闘病生活 5 【第七章】一。ハ 【第八章】母の″血″に込めた情熱 5 メジロラモーヌと獣医師由中秀俊、十六年の出産記録 5 【第九章】二十年目のラストナャンス 5 トウカイ一彳オーと安田隆行のダービー挑戦 5 【最終章】五十年目の春 5 アカネテンリュウ、オサイチジョージヒシミラクル : : : 大塚牧場と子孫繁栄の営み 5 物 【本書に登場する人たち】 赤間松次潟県競馬調教師 大塚信太郎比シミラクル生産牧場 国本晢秀→ョウナンカンプ馬主 ー倉 . 見イ旁プリモディーネ育成担当 左海誠二橋競馬騎手 ー左々オくリ 'J ナリタブライアン種馬所 ) 甑 ~ 告プリモディーネ生産牧場 田中秀俊ジロラモーヌ獣医師 手塚佳彦圷→マファイター調教師 早田光一郎”リタブライアン生産牧場 ー東 . 康ー専ナリタトップロード厩務員 安田隆行圷ゥカイティオー騎手 弓田末光リモディーネ装蹄師 ( 敬称略五十音順 ) : 人、塚美を ( おおっか・みな ) 1 973 年千葉県生まれ。和洋女子大学卒。 競馬ノンフィクション・ライター 89 年、オグリキャップとイナリワンが死 闘を演じた毎日王冠をきっかけに、競馬に 強く惹かれる。以降、毎週競馬場に足を運 ぶようになり、大学時代には、北海道・白 老町で牧場のアルバイトを経験する。 95 年、競馬雑誌「週刊 Ga 阨 p 」の門を叩 き、取材・執筆活動を始める。 G I 馬の故 郷や日高の名馬を訪ねる記事などにより、 馬産地で暮らすサラブレッドのありのまま の姿を読者に伝え、好評を博す。 2001 年、同誌にて、競走馬の現場に携わ る人たちを題材とした「馬と人、真実の物 語」を連載開始。生産者、厩務員、調教師、 騎手など、競馬界の裏舞台で地道な努力を 重ねるホースマンの " 背中 " を描き、その 飾らない、奥行きある文体により、大反響 を巻き起こす。 著作に、「馬と人、真実の物語」 ( アールズ 出版 ) 、「 Mamas&Papas 種牡馬の巻」 ( 扶 桑社 ) がある。 、一三ロ 大塚美奈 アールズ出版 アールズ出版