マドリーナの伯母の嘆くまいことか。しやがんで、馬車の下をのぞき込み、生首となった息子と 目が合うと、どなりつけた。「言ったでしよう、エルンストー 言ったでしよう、このたわけ者ー マドリーナは、まるで笑い声の大きさで相続人を決める気でいるように、子と孫びとりひとりと 目を合わせた。しかし、マドリーナ自身の笑みはしぼんでいき、やがてすっかり消えた。「食事に しましよ、つ」 細い声で言う。一同が玄関のほうへ顔を向けると、ミリーではなくクララが、しゃち こばった両手でエプロンを押さえ、沈んた表情で部屋をのぞき込んた。「ミリセントお嬢様抜きで 始めますよ、クララ」マドリーナの言葉は、クララよりミリー本人に向けられているようたった。 言ったでしよう、エルンスト、言ったでしよう、というせりふと同じ調子。 先祖の家々から引き継がれた、色あせた壁掛けや金錆の浮いた遺灰壺など、子どもたちの家に置 くには重々しすぎる手工品の前を通って、マドリーナは正餐室に入り、樫材の椅子数脚にいとおし げに手を触れながら、自分の席に向かった。 「あの子もすぐに来ますよ、マドリーナ」アリス伯母が言う。 「あの子の好きにすればいいのよーと、マドリーナ。 はるか末席にあたるわたしの位置から、センターピースが果てしなく伸び、その左右に並んた頭 の列と列が交わるところに、マドリーナの白い顔があった。マドリーナがささやくような声で食前 ぶどうしゅ の祈りを捧げると、一族全員がライン地方産の葡萄酒のグラスを高く掲げ、家長のために乾杯した。 蝦燭とシャンデリアの明かりを受けて、葡萄酒の赤が液体のルビーのように輝き、わたしは中世の 男爵となって、上位者の振る舞う酒を口に運んた。 708
「ためつ ! 」わたしの手からキャンディーをひったくって、ミリーがわっと泣きたす。今まで以上 に醜い顔で、当時のわたしには、それを見てかわいそうに思うたけの人生経験も分別もなかった。 「家には入らないから。ぜったいに ミリーが地団駄を踏み、その拍子に、キャンディーが膝に 当たって、雪の中に落ちる。 「わかったよ」わたしはそれをつかみ取った。 「たけど、おまえのせいで、何もかも台なしだぞ」 使命が失敗に終わったうれしさに、わたしは意気揚々と小道を駆け戻った。 家じゅうの窓から吐き出された光の束が、闇に奥行きを与え、飾り格子の模様をゆるやかな雪の タベストリーに織り込んでいた。光の呪文をかけられた家は、幼いころ森の奥にこしらえた秘密の 隠れ家みたいに 暖かく居心地よさそうに見えた。ドアに掛かったリースの柊の実は、絵に描かれ かずら た農夫の頬に似て赤くて丸く、葛で作った深緑の輪は、新大陸の冬そのもののように生気に満ちて いる。松の香の漂う室内では、将来の不安からもミリセントの戦争からも切り離された和やかな話 し声が飛び交っていた。 「うすのろミリーは、雪の中にキャンディーを落としちゃって、で、家には入らないんたってさ」 ロの中に残っていたキャンディーを飲み込みながら、わたしは報告した。 談話がとぎれ、全員の目がマドリーナのほうを向いて、裁定を仰ぐ。 「なんとまあ、おばかさんねーマドリーナは言った。 鈴を鳴らしてクララを呼ぶと、すぐに、 プランディとナツメグ入りのミルクを満たした銅鍋と、 くろくるみ 銀のマグをひと揃い持って現われた。暖炉のそばには、黒胡桃、白胡桃、ヘイゼルナツツなど、ナ 106
センターピース ホヘミアン・クリスタルも交じって ルド・グリーンと、色とりどりの精緻なアンティークの飾り。 : いて、マドリーナによると、それはもう製造されていない品らしい。「うすのろミリーはね、ドイ ッ式クリスマスには出たくないってさ」 チャールズ伯父がわたしを黙らせ、アリス伯母が前に進み出た。 「なんでもないんですよ、マドリーナ。伯母が言って、笑顔をこしらえる。 「何が ? 何がなんでもないの ? そんなふうに笑うのはおよしなさい、アリス。具合でも悪い 「ミリーは意地を張ってるんた」チャールズ伯父が言い、わたしの父がびくんとするのが見えた。 「そのうち入ってくるよ、マドリーナ」 「意地を張ってる ? この人は、まあ、何を言っているの ? , もう一度、柄付き眼鏡を目に当て、 詐欺師でも見るような視線を長男に向ける。「あの子はまたまた、何かに意地を張るような歳じゃ ありません」 ク何かに意地を張るクとびと款にまくしたてたので、まるでミリーが、チャールズ伯父と共謀して、 何か突拍子もない、やや不道徳でさえある行為に手を染めているかのようたった。 「どういうことなの、チャールズ ? 今すぐ、連れていらっしゃい」 「じきに来るよ、マドリーナ」わたしの父が言う。「つむじをびん曲げてるたけた」 「うすのろミリーはねわたしはかさにかかって言い、そのとたん、姉のポリーにたしなめられた。 ポリーは孫世代の中の最年長で、みずからお目付役をもって任じている。おかげで、マドリーナの ノ 03
たたそれたけの意味しかなく、ドイツ本国との関わりなど意識の隅にものぼらなかった。 マドリーナもわたしと同様、クリスマスと戦争の関係に頓着してはいないようたった。ドイツを おもむ 訪れたのは生涯に二度きりで、みたび赴こうとはしなかった。そのくせ、ニューヨーク生まれの身 でありながら、 ートリンゲン家の会食ばかりでなく、世 バイエルンのクリスマスの伝統、それもハ 界じゅうのドイツ人が共有するこのしきたりの美しさを、心の最初の数ベージにしつかり刻みつけ ていた。愑き出た泉の水がまた源へ落ちるように、マドリーナは長じるにつれて無意識に原点へ立 ち帰っていき、いっしか生粋のドイツ人を自称してコンコードの住人たちを驚かせるまでになった。 慣習の根城と化したその宇宙は、どんな砲弾にも脅かされないほど堅固たった。この年、祖国と戦 う兵士のために編み物をしたり、赤十字に献血を申し出てーー良質のドイツの血たと請け合ったの が災いしたのか , ーー断られ、賁慨したりしながらも、マドリーナは、直例のドイツ式クリスマスを 差し控えるべき根拠をどこにも見出せなかった。そもそも、そんな考えは頭に浮かびもしなかった。 親族の中の、そういう考えを頭に浮かべた面々は、コンコードからの中止の知らせをむなしく待ち、 やがて、反旗を翻す勇気を奮い起こせないままに、渋々クリスマス・イヴに寄り集まってきた。そ れが結局、一族で祝う最後のドイツ式クリスマスとなった。翌年の暮れ、マドリーナが亡くなった ス か、ら」。 みんなが寄り集まってきたと言ったが、十五歳になる従姉のミリセントだけは、頑として車から ン降りようとしなかった。 セ ミリセントは、学校ではクうすのろミリ , と呼ばれており、従弟の目で見るせいかもしれない きっすい 101
ートリンゲン家の大黒柱であり、一族の者からマドリーナと呼ばれた祖母は、当 一九四一年、 時わたしの知る誰よりもずっと年長で、自分でも「クリスマス・プレゼントなどという歳じゃあり ませんよ」と言っていた。泰然と老いを受け入れ、また早すぎる雪に窓を下ろすようにして齢を重 ねてきたが、頭の隅では、高い軒にかかるかすかな雪の重みを十二分に自覚しているようたった。 祖母と同じ屋根の下はおろか、同じコンコードの町に住む縁者もなかったが、一族の者はみんな、 寝室のテープルにきれいに並べられた写真の中で、ひとりずつ、あるいは二、三人ずつ笑顔をこし らえ、家じゅうに満ちあふれる種々さまざまな思い出の内に息づいていた。祖母の催すドイツ式ク リスマスには、親族のほば全員が顔を揃えたものた。来なかったのは、マドリーナよりひと足先に 土に還った者だけで、その欠席者たちもとうの昔に不義理を許され、寝室のテープルから追われる すみれ ことはも、な′、、 ジプシーか菫の花のように、人の世の無常を伝えるあえかな確証となった。 一九四一年のその暗い十二月、子や孫たちの中で、マドリーナの祝宴にまったく抵抗を感じてい なかったのは、わたしぐらいのものたろう。十四歳の少年にとって、ドイツ式クリスマスといえば、 半日早くプレゼントがもらえるので、クリスマス当日はたつぶりそのプレゼントで遊べるという、
が、不器量で、いささか腺病質なところがあった。親族の集まりがあるたび、この従姉は、まるで 人生そのものが自分に対する辱めであるかのように、お得意の陰気なたんまりを決め込み、誰がど んな懐柔の手を用いても、それに乗ろうとはしなかった。マドリーナにとって、ミリーは子や孫た ちのうちで、あからさまな反抗とは最も縁遠い存在だったし、両親であるチャールズ伯父とアリス 伯母も、ほかの親族たちと同様、きようのこの成り行きに面食らっていた。学校でたたびとり、ミ リーと心を通わせることのできる担任教師が、真珠湾攻撃で弟を亡くしたばかりで、そのうえ、ミ リーの善悪に対する意識の高さは、わたしとは比べものにならなかった。わたしはなにしろ、説得 のつもりで、日本式クリスマスよりましじゃないか、などとロ走るような子どもたったのた。 わたしたちは村の教会に寄り、クリスマス・キャロルを歌ったあとで、祖母の家へやってきた。 玄関の床を踏み鳴らす幾足もの靴の音がやみ、一同がまた頭に白い雪を載せたまま、居間に入って いって、マドリーナに表敬の言葉をかけたとき、叛徒を思い量る一瞬の沈黙が訪れた。 「いらっしゃい」マドリーナが言し糸し 、、田、鎖で衿に留めた柄付き眼鏡を目に当てて、員数の確認を した。この大柄な女家長の、ふつくりと落ち着いた面差しから受ける印象の強さは、今もわたしの 胸に残っている。そこに参集した数世代の親族の、誰にもない威厳があった。「いらっしゃい。待 ちかねましたよ。それで、ミリセントはどこ ? 」 とうび 「うすのろミリーはね」わたしはクリスマス・ツリーの陰から言った。唐檜の根元から暖炉の肩の 高さまで、円錐形に積まれたプレゼントの山から自分のぶん数個を選び出し、並べて順にあけよう としていたところだ。ツリーのできばえはみごとたった。赤の鑞燭、金や銀、ガーネットやエメラ 102
ツツ類を盛りつけたみごとな大鉢が置いてある。わたしはぬくぬくと椅子に坐って、おごった目の 隅に自分のプレゼントをとらえながら、ミリーへの侮蔑の念と、意固地な孫娘に手を焼くマドリー ナへの同情、いに、うっとりと浸った。 がまつるうめもどき マドリーナは、背後の花瓶に差したドライフラワーの蒲や蔓梅擬さながら、じっと辛抱強く花 柄の椅子に坐り、冬の樹にはじける鳥たちのさえずりのように、霊感の淡い律動に顔を輝かせて、 別の世紀の別のクリスマスの物語を聞かせてくれた。 ートリンゲン宀豕のク 遠い昔、ドイツにいたマドリーナの従兄エルンストが、母親といっしょにハ ンユヴァルツヴァルト リスマスに向かっていたときの話た。馬車が黒い森の近くに差しかかったところで、御者が乗客 たちに、そのころ間道によく出没した山賊について注意を呼びかけた。山賊の首領は高貴な血を引 く典雅の士で、抵抗しない相手はきわめて丁重に遇するが、歯向かう者に対してはまったく手心を たち 加えないという。エルンストはまさに歯向かう質の男で、そういう事態に柔軟に対処する才を持ち 合わせていなかったので、母親は、万一の場合に軽率な行動を慎むよう、強く息子を戒めた。その 言葉が終わるか終わらないかのうちに、馬車が急停止し、大柄なびげ面の紳士が母親を助け降ろし て、身に帯びた貴金属類のすべてをうやうやしく剥ぎ取った。たたし、代々伝わるプロ ] チたけは、 ス金品に換えがたい心の宝たからと、目こばししてもらった。そのとき、拳銃を振りかざしたエルン ストが馬車から飛び出し、マドリーナの辛辣な言い回しによると、意地を張ってみせたとたん、馬 ン に乗った手下の剣が一閃して、哀れエルンストの頭部は胴体と泣き別れ、ぶざまに馬車の下へ転が っていった。首領は大いなる遺憾の意を表明し、母親の手からプローチを取り上げた。 107
関心はわたしに移った。 「ヴォルフガング、ツリーの陰から出てきて、キャンディーを一個、従姉に持ってっておあげ 「ばくはヴォルフガングじゃないよ」ロ答えしながらも、祖母の前に出ていった。親からもらった 名前はウエンデルで、愛称はサンディーなのに、マドリーナがわたしをヴォルフガングと呼ぶよう になったのは、まったくの気まぐれからた。ドイツふうのその呼び名で、祖母はわたしの両親をい じめて楽しむというびねくれた諧謔心を満たしていたのではないたろうか。「どのキャンディー ? わたしはきいた。 「どのキャンディーかたって、マドリーナ」ポリーが取り次いた。やることがいちいち鼻につく 「どのキャンディーでもいいのよ」母が口をはさんた。「言われたとおりになさい、 「サンディーって呼んでよ」わたしはキャンディーを探しに食事室に駆け込み、使用人たちにあい さっしたが、たちまち、例年のとおり、食卓のみごとなセンターピースに目を奪われてしまった。 長さ五フィート、マホガニーと骨の台に、一軒の宿屋の前に立っ聖ニコラスと馴鹿を彫ったその手 工芸品は、毎年、雲母をちりばめた綿の雪をあしらわれて、晴れの舞台を務めてきた。百年の長き にわたってドイツ本国のハートリンゲン家のクリスマスに彩りを添える大役を果たしたのち、マド リーナの手に引き継がれたもので、一族全員にとって、クリスマスばかりでなく、過去をも象徴す ひいらぎ る品たった。松と柊の葉に縁取られた周囲には、銀器や数々の。ハーティー料理、マスカット・レー ズン、薄荷菓子、アーモンド、ワイン、クランべリー・ゼリー パターポールなどが、巨大な楕円 を描いて並んでいる。マドリ ] ナの美しい銀器には、先祖代々豚肉に林檎を添えて食べ、黄金のゴ はつか トナカイ ウエンデル」 ノ 04
センターピース ートリンゲン家の歴史が持っ風格と重みが感じられた。 プレットでワインを飲んできたハ わたしはミリーのために薄い薄荷菓子を確保したが、持っていく途中でべとべとに崩れ、暖炉に 捨てるようマドリーナに命じられた。「あの中からびとつお取りと、マドリ 1 ナの指が、サイド テ 1 プルに置かれたきらびやかな小箱を差す。守るようにその周りを囲んでいるのは、マイセン焼 きの踊る小立像の一団、象牙細工の白たち、そして、年代物の椅子に朽ちかけた体を載せたビス マルク五世という名のむつつり顔のダックスフント : 「ドイツのキャンディーでなきゃいいんたけど」 「ドイツの菓子が手に入るご時勢たと思っているの ? 」そう言って妙ちきりんな声で笑うマドリー ナを、わたしは振り返って見つめた。ミリーの抵抗の理由が明らかにされた今、祖母は部屋にいる 総勢十四名の親族を、結局この面々もほんとうの身内とは呼べないのかと言いたげに、うつろな目 で見回した。 わたしは気まずくなって、小箱の中から手早くいちばん大きな菓子を選び出し、降る雪の中、ミ リーのもとへ急いた。ミリーは車の後部ウインドーに鼻面を押しつけていて、わたしの姿を見ると びくりとあとずさったが、誰かが来てくれてほっとしているのがわかった。 「ほら、うすのろ」わたしは言った。 ミリ ] がわたしの手からキャンディーをたたき落とす。 「いやっ ! 」あえぐような声。「あの老いばれドイツ人 ! もう、大つきらい ! 」 ( くがもらうよ拾い上げながら、わたしは言った。 「じゃあ、このキャンディー 105
ふた皿めの料理が終わるころ、燭台が倒れて、センターピースに火がっき、炎がすさまじい勢い で輪を描いて、雪の部分を舐めた。叔父のびとりがとっさに、上から葡萄酒を注ぎかける。熔け ほくち 綿の中で、宿屋が火口と化し、鯨の骨でできた馴鹿は、橇の中でみまかった聖ニコラスから永遠の 自由を得て、誇らしげに卓上を飛び跳ねた。 動きと声が混然と行き交うなか、わたしはマドリ 1 ナを見た。ただびとり席を立たずに、滅びの 図絵を眺めている。錦の壁掛けや遺灰壺と同様、この時代がかった飾り物は、新大陸のハートリン ゲン家で務めを果たすには、あまりにも格式が高すぎ、あまりにも仰々しすぎるのたと唐ったよう 投げかけられる慰撫の言葉に応じることなく、祖母は両手を膝の上に組んたまま、黙って坐って いた。ようやく場が静まったとき、ロを開く。「 ミリーが勢いよくドアをあけて入ってきた。雪と涙で 戸口の向こうで待機していたかのように、 顔をくしやくしやにして、のめり気味に歩み寄ると、祖母の腕に飛び込み、大声で泣きじゃくる。 温かな光を放っその目が、 マドリーナも泣きながら、早ロでおざなりな叱責の言葉を浴びせたが、 言葉と裏腹な本心をあらわにしていた ス 「あたしが悪いの」ミリ ] が言う。「みんな、あたしが悪いの」 マドリ 1 ナは、ミリーの肩越しに黒焦げの聖ニコラスを見ながら、こう答えた。「おばかさんね。 ンわたしもあなたと同じ、アメリカ人よ。わたしたちはたた、クリスマス・イヴのお祝いをしている ミリ 1 を : : : ミリ 1 の顔が見たい」 そり 709