聞い - みる会図書館


検索対象: 黄泉の河にて
191件見つかりました。

1. 黄泉の河にて

薄墨色の夜明け り、物を壊したりし始め、それがある意味で抑圧の解放となって、やがては病院全体に広がった。 疫病みたいにね」 「アーニーは今、どこにいるんでしよう ? 」アンは小声できいた 「フェイハルビタールを投与したわ」看護婦のひとりが事務的な口調で言う。「今は、上の集中治 療室にいる。でも、すぐに重度障害者病棟へ移されるはずよ」 ハリーが畳みかけた。 「そして、ずっとそこにいることになるだろう」 故意にーソーベル博士 「自傷行為を起こしたからね。理由はわからないが、彼は自分を傷つけた。 「たぶん、取り返しはつかない は、くすんた色をした小さな指の先でこめかみを軽くたたいた 本人には、もう話したよ」 「誰かほかの人を傷つけたんでしようか ? 」 「いや」ハリー・マーヴィンがすかさず割って入る。「単に、ほかの患者を死なせる原因を作った たけさ。きみも知るとおり、あの男は正常すぎて、人を傷つけることなどできないからな」 アンはそのあ いい加減にしなさいーマックが言った。立ち上がって、部屋を出てい に会いたいんです、マック」 マックが励ますようにうなすく。 「気がすまないでしようからね。会ってらっしゃい。さっき聞いたように、集中治療室にいるから。 かわいそうな坊やーマックは備品室へ入っていって、荒つばくドアを閉めた。 217

2. 黄泉の河にて

てから、白い貝殻を敷いた道を、事務所のほうへ歩いてい 「しかし、あなたには、逮捕の権限がーー」 判事は肩越しに振り返った。「ないと思われるですかね ? 保安官とは電話一本で話せやすし、 向こうは何も口出しせんですよ。この町のことについちゃあね」戻ってきて、大きな手を突き出し、 身をすくませたバーケットから魚を取りあげる。 「預かっておきやしよう。部屋へ入って、奥さんとおしゃべりしておいでなさい。 とにかく、楽し むこってす。今晩、タベの祈りとビンゴの集いがあって、誰でも出られるです。場所は、第一バブ テスト教会」また微笑んたが、その笑みはこわばっていた。「あんたがた、きっと、きようが日曜 たっちゅうことも忘れておったじゃないですかな」 ーケットは見送った。半ズボンをはくには歳を取りすぎた、もう二度とこの不恰好なズボンは 穿くまい と自分に一一一口い聞かせる。 アリスが部屋の窓から一部始終を見ていた。「わたし、食堂へ行ったの」泣きそうになりながら、 小声で言う。「誰も告発しないっていうあなたの言葉が頭にあって、もしかすると、あの人がゆう べ、酔っ払ってあそこに置き忘れたんじゃないかって思ったから。あの人の名前は、出さなかった わよ ! 」夫の表情を見て、あわてて言い添えた。「あなたが忘れ物をしなかったかって尋ねたのー ーケットは何も言わなかった。ト / 屋へ入ってみると、荷作りがすんでいた。 その日の午後、 ーケットが出立しようとしなかったので ( 「たって、目当ての魚を釣りあげた

3. 黄泉の河にて

方向に。 「かもしれないが、犬がよく一言うことを聞いてる。それに、銃の腕もなかなかた」 ペントランドが気色ばんた。「あの男は まるでわたしがうつかり犬を撃ってしまったみたいに やつが鳥を撃ち損じるところを見た覚えはないが、 たてに二十年、密猟をやってたわけじゃない それがなんたっていうんた。このジョ ・ペントランド様がいなかったら、やつは今ごろ、豚箱の 中た。ここいら三つの州のお尋ね者で、密猟をやってないときは酒浸り。イエス様も匙を投げちま い、たちの悪い酔っぱらいたー 真っ赤な顔をして、わたしをにらみつける。わたしは何も言わなかった。 「ぐでんぐでんになった日には、とんでもないことをしでかす ! あんなやつは森にこもって、け たものと暮らしてればいいんた、まったく。蛇よりあくどい」 びとりの男のことで、しかも部外者の前で、こんなにいきりたてるものたろうか。「他人がロ出 しできるようなことじゃないな」わたしは言った。「わたしはたた、あの男の大のあしらいかたが 気に入ったたけだ」 わたち 轍の刻まれた道を、フロイドがゆっくりと馬のほうへ歩いていき、黒んばたちが別の二頭の大を 荷台から出した。 「なんでまた、あんなことをさせるんた ? ーベントランドがわめき、放されたばかりの犬に向かっ イて手を振り回す。「おれがパディーとテックスを単独で放って、このウエプスターさんに見ていた セ たくつもりでいることは、よくわかってるたろう」

4. 黄泉の河にて

セイディ 「犬ども、ちょっくらデューイの旦那んとこ、寄ったたけたっち」おびえた顔でバスターがささや いたあと、フロイドがバスターとペントランドのあいたに虧を乗り入れた。 いいから虧車に戻ってろ」そう言って、フロイドがバスターの馬の尻を鞭でばしっと 「、、ハスター 叩くと、バスターは手足をばたっかせ、鞍革をはためかせながら、全速力で木立を抜け、畑を横切 っていった。 なんというふるまいだろう。常に低い声でゆっくり話し、犬や黒んぼには底なしに優しくて、な のにいきなり、ああやって馬を乱暴にひつばたく。 フロイドはペントランドには目もくれず、わたしのほうへ戻ってきて、すれ違いざま、少なにや け顔で言った。「あの黒んぼの駆けつぶりを見なせえ、ウエプスターさん、あの駆けつぶりを」 それから、茂った草に鞭を振るいながら、速歩で遠ざかっていき、犬たちがすぐあとに続く。 ペントランドが銃を鞍のホルスターに突っ込んた。ひと言も口をきかない。わたしが来た道を戻 り始めると、すぐに追いついてきた。何か言えとすごむような目で、わたしをにらむ。 「ほかにも何頭か、見せてもらいたいんたが」わたしは言った。 そのあとの時間は、たいしたごたごたもなく過ぎ、わたしは両方の荷馬車の犬を全部見せてもら った。フロイドとジョ ペントランドほど犬の扱いがうまいふたり組には、お目にかかったこと がない。ふたりのあいたに大きな差はなく、たた犬の走らせかたが違うたけたった。密猟をやって いたせいか、フロイドは一帯の地理を自分の体の一部みたいによく知っていて、鳥の居場所をいっ もびたりと言い当てる。びとりで森に住んた経験のある人間にしかできない芸当た。

5. 黄泉の河にて

関心はわたしに移った。 「ヴォルフガング、ツリーの陰から出てきて、キャンディーを一個、従姉に持ってっておあげ 「ばくはヴォルフガングじゃないよ」ロ答えしながらも、祖母の前に出ていった。親からもらった 名前はウエンデルで、愛称はサンディーなのに、マドリーナがわたしをヴォルフガングと呼ぶよう になったのは、まったくの気まぐれからた。ドイツふうのその呼び名で、祖母はわたしの両親をい じめて楽しむというびねくれた諧謔心を満たしていたのではないたろうか。「どのキャンディー ? わたしはきいた。 「どのキャンディーかたって、マドリーナ」ポリーが取り次いた。やることがいちいち鼻につく 「どのキャンディーでもいいのよ」母が口をはさんた。「言われたとおりになさい、 「サンディーって呼んでよ」わたしはキャンディーを探しに食事室に駆け込み、使用人たちにあい さっしたが、たちまち、例年のとおり、食卓のみごとなセンターピースに目を奪われてしまった。 長さ五フィート、マホガニーと骨の台に、一軒の宿屋の前に立っ聖ニコラスと馴鹿を彫ったその手 工芸品は、毎年、雲母をちりばめた綿の雪をあしらわれて、晴れの舞台を務めてきた。百年の長き にわたってドイツ本国のハートリンゲン家のクリスマスに彩りを添える大役を果たしたのち、マド リーナの手に引き継がれたもので、一族全員にとって、クリスマスばかりでなく、過去をも象徴す ひいらぎ る品たった。松と柊の葉に縁取られた周囲には、銀器や数々の。ハーティー料理、マスカット・レー ズン、薄荷菓子、アーモンド、ワイン、クランべリー・ゼリー パターポールなどが、巨大な楕円 を描いて並んでいる。マドリ ] ナの美しい銀器には、先祖代々豚肉に林檎を添えて食べ、黄金のゴ はつか トナカイ ウエンデル」 ノ 04

6. 黄泉の河にて

ルムンパは生きている / 川を渡り、上り勾配の牧草地を横切る。 少年時代の小道を探しながら、林を抜け、ト 木々のあいたから、ポールを打っ音やポールが跳ねる音、人の叫び声が聞こえてくる。 。、ドル・テニスのコートのせいで、 月川が涸れ、岩や藪のあいたにびと筋の影を残すばかりとな っている。突然現われた険悪な雰囲気の男にーー・あるいは、よそ者らしいその服装や田舎の週末に 、問いかける。何か、ご用で ふさわしくないその靴にーーープレーヤーたちは警戒心をかきたてられ , もワ・ 男は、、 ークネス邸を探しているのたと答える。 「誰の家たって ? 」びとりが言う。 「ハークネス ! 」と、木立の中から叫び返す。自分の名前を自分の声で聞くことに、滑稽さを覚え るとともに、よろいをはがれた気分になって、瞬間的な置りが声ににじむ。この世間知らずで軟弱 俺は人生を見失ってしまったのた。 な連中がテニスに興じているあいだに、 どうにか笑みをこしらえるが、相手は警戒を解かない。互いに顔を見合わせてから、またこちら を見る。プレーが再開される気配はない。 「ハークネスか」ようやくびとりが、首をかしげながら言う。「たいぶ昔たけど、じいさんからお たくのお父さんの話を聞いたことがありますよ」 ちえつ。それが俺の名前たなんて、誰が言ったー ポールを打っ音がして、軽いラリーが始まる。プレーヤーたちの視線を感じながら、コートのヘ

7. 黄泉の河にて

流れ人 「死ぬ前に言っとくことはねえのか ? 命乞いはどうした ? それとも、もう死んじまってんの か ? 、白人にまたがったトラヴァーは、ふと不安になり、腰を浮かして、ナイフの切っ先で喉もと をつついた。「死んだふりなんかするんじゃねえ ! ばかにしやがると、ぶつ殺すぞ ! 聞いてん のか ? 」 無音の世界に響き渡る自分の声に初めて気づき、トラヴァーははっとして、周囲を見回した。樫 の梢の上に、陽は赤々と輝き、けれど、湿原には静寂が霧のように垂れ込めている。目の隅から、 猜疑のまなざしを白人に注いでみたが、相手はびくりともしなかった。 死んでる : トラヴァーはおののいた。おれが殺しちまった。 見開かれたままの男の目から視線をそらして、トラヴァーはライフルを拾い上げ、まじまじと見 た。そして、副葬品を置くように、それをくさむらに戻す。ナイフを手にあとずさり、爪先で男の 体をつついてみた。 「立てったら ! と叫び、また自分の声にびるむ。「たいした怪我じゃねえぞ、大将。目が回った たけだろ。返事をしろったら。なあ、聞いてんのかー しかし、狩人は動かなかった。かすかに開いたロの端から、ひと筋のよたれが流れ落ちる。出血 したこめかみのそばの草に、蠅が一匹とまった。トラヴァーはかがみ込んで、男の両腕を取り、細 い胸の上で十字を組ませてやった。 「この世でいちばん古い手に引っかかりやがって」弔辞のようにつぶやき、首を左右に振る。「て めえが悪いんだぜ」心底おびえた自分を、しゃべることで励ましながら、おどおどと平地の周りに

8. 黄泉の河にて

く。ここからは、線路をはさんで、川面や向こう岸の断崖が望める。崖を彩るあの黄色い砂糖楓や 赤いヒッコリーが、四世紀前には、河を遡ってきたヘンリー ハドソンを迎えたのたろう。そのこ ろは、この灰色の流れーーー当時は青かった に魚がきらきらと群れをなしていたはずた。 父がいつも話していたカノ 、ドソンの船の前部甲板には、インドの王にまみえることを想定して、 貢ぎ物にするための象が繋がれていた。狭くなるばかりの川幅に、ついに北西航路開拓の望みを絶 たれた彼は、毎日十五個から二十個の大ぐそーーー懸命に仲間意識をかきたてようとする父の言葉づ かいに、驚きとうれしさを覚えたーーーで甲板を重くしている動物のため、毎日二百ポンドのかいば をかき集める作業にうんざりして、現在のパキプシのあたりで象を下ろすよう命令した。森いつば いに嗅跡をばらまき、堅い松に向かってバオパプの木が恋しいと吠えたてたこの巨大獣は、アルゴ ンキン族の伝説に揺るぎない地位を占めることとなった。 続きをせがむ息子の笑みを読み違えて、父は自分の話を振り返り、不機嫌なため息とともに立ち 上がった。《アングロサクソンの勇壮な一一一一口葉を、にやにやしながら聞くものじゃない。おまえもそ れぐらいわかっていい歳たぞ》誤解を正すいとまもなく 、父は部屋を出ていった。 かすみ 上流のほう、霞のかかった木々の向こうに、タリータウンがある。誰か、あそこに逗留していた のかしら ? 母がすました口調で父にきいた。父がその問いに微笑んたのが、不思議に思えた。タ リータウンからは、河をはさんで、リップ・ヴァン・ウインクルが二十年間眠り続けた崖が見える。 . 東の嵐からも北西風からも守られた深く暖かい岩穴を、子どものころよく想像したものた。あの

9. 黄泉の河にて

季節はずれ ていることをにおわせる笑いかたたった。フランクの顔を見て、はっと後悔したが、すまないとい う気持ちは湧かなかった。フランクは復讐の天才で、シシイなら当然のように頭に血がのぼるはず の状況でも、冷徹に構えて仕返しをするほうをはるかに好む。夫のそういう部分が、今では身にし みてわかっていた 亀はステーション・ワゴンの後部へもぞもぞと歩いていき、背板に鼻づらを押しつけた。思いも しなかった運命の変転におびえて、猫が爪を立てるように金属の床を手で引っ掻く 「放してあげましよう、フランク」シシイは不安になって言った。 「いや、いや」フランクは譲らない。「サイラスがきっと見たがるだろう」 家の中では、亀は倍ぐらいの大きさに見えた。サイラス・ジョーンズの息子ジャッキーは、こう いうものを見るのが初めてらしく、台所の隅に亀を追い詰めて、ビー玉をしきりに頭に落とした。 シシイは見かねて、やめるように言った。綿のプリント地の服から細い腕をのぞかせたジョーンズ 夫人が、息子のところへ飛んでいき、びしやりと平手で打って、エイヴリ 1 夫人への礼儀を示した。 サイラスがわびを入れるようなしぐさで、シシイのほうへこくんとうなずき、それから妻に向か って言った。「ちゃんと言って聞かせてからでなきや、ここ、 ナナしてもあんまり意味はねえぞ。犬っこ ろじゃあるめえし」 「ご迷惑をおかけするわけにやいかねえからー反論きみに言いながら、夫人はこんろの前に戻った。 サイラス・ジョーンズはそれに答えず、シシイに向かって言う。「お父様から電話がありまして な、シシイお嬢さん、あしたおいでになるそうで」 777

10. 黄泉の河にて

セイディ もまねをして顎をしやくったが、わたしと目が合うと、にやにやしながら視線を落とし、プーツの ほこりを払った。どうやらおろしたてらしい フロイドが空いた手で煙草を巻いていた。「ポニーに鞍のつけるから、この道をついてきなさる ペントランドさんはビニーの教会墓地んとこで、おれと荷馬車を待ってる。そっから猟を 始めんたよ」 フロイドがペントランドをクさんク付けで呼ぶのを聞いて、黒んばがにやにやする。フロイドは ぎろっとにらんた。 「こいつあ、バスターた」と、ようやく紹介する。「こいつがポニ 1 の用意して、あんたを墓地ま でつれてく。気に入りの犬がいたら、ペントランドさんに言えばいい」 石を一個、鞭で叩くと、デューイ・フロイドはたるそうに体を壁からもぎ離し、のろのろと庭を 横切っていった。ひょろりとした長身に白の野戦ジャケットを羽織り、薄汚れたカーキ色のズボン をプーツにたくし込んで、膝のあたりでたぶつかせている。話しぶりと同じで、その身ごなしには それと、猫の尻尾みたい どこか妙なところがあった。ゃんわりして、もの静かで、手応えがない に、びよいびよいと左右に揺れ動くあの鞭。 - っ土亠や パスターが馬を二頭挽いて、厩から出てきた。わたしはその一頭にまたがり、フロイドに続い すぐあとからパスターが来て、黒んばたちに道を空けろとどなる。 赤土の道を跳ね回りながら、パスターは呆けたようににやついた。「デューイの旦那、おらに、 お客さんをビニーの墓場まで連れてけっち」