働いているという。歳は : : : 四十過ぎくらいか。ま 「残念ながらーー先ほど遠童先生にも確認していた さに山男のような風貌だ だきましたが、 健爾さんに間違いはないと : : : 」 ああ : : : と笙子はため息とも悲鳴ともっかない声 「久蔵さん」 を上げた。 「 : : : はい」久蔵はその体格に似合わず、小さな声 くち′」 「一体、健爾の身に何が起こったんですか ? どうでポソボソとロ籠もるように返事をした。「何でし むご よ、つか : : : 」 してまたあんな惨いーー・」 「落ち着いてください」遠童は横から笙子に忠告す「あなたは事件当時、笙子さんとすっと一緒におら れたとか」 る。「また血圧が上がります」 ありがとうございます大丈夫です、と笙子は震え 「はい」と久蔵は忍田から視線を逸らせたまま答え : 一一階の部屋に、すっと連れのうて る。「奥様と : る手で遠童を制する。 おりましたが」 「でも、どうしてまたこんなことに 「お二人だけで ? 」 「お心当たりは、全く ? 」 いや : : : 途中まで、風見子お嬢さんもご一 「心当たりもなにも、そんなものは : : : 」 おお 緒に」 両手で顔を覆ってしまった。 振り向く忍田に、風見子が「ええ」と答えて身を 忍田は、そんな笙子の後ろにしっと影のように立 乗り出した。色白で小柄な女性だ。今年一一十歳にな ちつくしている大きな体格の男に目をやった。 はった この男は 八田久蔵だと聞いた。幼い頃に両親ったばかりと聞いたが、もっと大人びて見える。ス つや ーマをかけたように真っ直ぐで艶やかな を事故で亡くしてから、ずっとこの家に住み込みでトレートパ
「どこへ行かれるんですか ? グアム ? サイハ だっただけですよ。奈々さんにしては、随分と地味 だなあって思って」 「岡山のどこが地味だ。充分に派手だぞ。白桃、ピ いえ : : : 違うの」 「じゃあどこ ? イタリア ? オーネ、マスカットオプアレキサンドリア。岡山城 きびだんご 「そうしゃなくて 岡山」 に吉備団子に桃太郎だ」 「岡山 ? 岡山って : : : あの : : : 」 「 : : : すいぶん詳しいですね」 「ええ。晴れの国、岡山」 「以前に岡山、ンンフォニーホールまで『椿姫』を観 「あらま」 に「つたことかあるからね。それに、相原くんにあ 「お ! 」外嶋が口を挟んできた。「きみは今、岡山あだこうだと言われては、岡山の人たちの立場がな をバカにしたな」 いだろうと思って、何の義理もないばくが代弁して えいえ、と美緒は首を横に振った。 いるだけだ」 「別にそんなことも」 「でも私は、ああだこうだなんて言っていませんけ 「一言言わせてもらえればーー」 れど ! 」 一一一口どころか、さっきからすっと喋っているでは 「いや、放っておけば言い出しただろう。ばくはた ないか : だ先回りしただけだ」 「きみにバカにされなくてはならないような上地「べーっ、 は、この日本に一カ所たりともないぞ」 「お ! 何という反抗的態度 ! それが薬局長に対 「だから、バカにしていませんってば ! ただ意外する心構えの表れかっ」 しゃべ
ると、正面の拝殿右手に大きな杉の木が見えた。 描いていた。 奈々がじっと見上げていると、 「では」と桃田がくるりと振り向く。「時間の都合 「この平安杉は、樹齢千年といわれています」 上、摂社・末社は省略させていただいて、そろそろ 「幹回りは、五メートルもあるんです」 次に一丁きましよ、フ」 「一度火災で焼けそうになったんですが」 「吉備津神社まで歩きますー猫村もツアーガイドの 「どうにか燃え残って」 よ、フにきつばりと一一一一口、フ。「ここから一キロほどです」 一一人はロを揃えて説明してくれる。確かにこれな そして一一人は、先頭に立って歩き始めた。 らば崇がいなくても淋しくはない。というよりも、 「ねえねえお姉ちゃん」沙織が小声で奈々に囁く。 岡山の人 きっと崇よりも情報が偏ってないだろう。 「あの二人ってさ、異常に詳しくない ? などと奈々が思っていると、 って、みんなあんな感じなの ? 「さ。拝殿です。お参りしましよう」 「それは知らないけれど : ・ 。まあ、でも地一兀だか らね 猫村が皆を導いた。 一一礼、二拍手、一礼できちんとお参りして、改め「地元っていったってさ。じゃあお姉ちゃんは、自 け・いにい じんじゃぶつかく て境内を見回す。 分の地元の神社仏閣について詳しい ? 」 つるがおかはちまんぐう ぜにあらいべんてん なるほど、さっきの猫村の説明通り、確かに拝「ええ、詳しいわよ。鶴岡八幡宮でしよ、銭洗弁天 さいもん わたどの えのしま 殿・祭文殿・渡殿・本殿の四つの建物が、見事に一 でしよ、江島神社でしょ し 直線上に並んでいる。そして背後には吉備の中山「それって、この間行った所ばかりしゃないー ゆる りようせん が、青い空を背景にして緩やかに大きな緑の稜線をかもタタルさんと一緒に」
「そのままの意味です」 路を使ってないってことか ? それともどこかに 「じゃあ説明しろ」小松崎が横からロを出す。「タ まだ俺たちの知らない通路があるってことか」 タル、お前のせいで事件が動いた。ということは、 「さあ : : : 」 これを収束させる責任が発生したということだ。ま その場の全員が首を捻る。 さか : : : 病気を発見して知らせておきながら、あと 「しかしーー」忍田が崇を見た。「よく発見したな、 ー誰かにお任せしますなんて逃げる人間しゃないだ きみは」 いれこざいく 「いえ」と崇は表情も崩さない。「箱根の入子細工ろう、お前は。少なくとも、医療関係に身を置く人 間として」 のパズルのようなもんですよ。よくあります」 「熊っ崎 : : : 」 よくありはしないだろう、と奈々は思ったが黙っ 「なんだ ? ている。 たと 「それに、あなた方もいすれは必す発見されたでし「嫌な例えをする」 「それしや、何とかしろ」 よう」 どうしましよう、と尋ねる崇に向かって、 「そうだな。いっかは一旦閉めて、そして開けよう これでまた謎が元に戻「きみが協力してくれるのならば」と忍田は答え と試みるからな。だが る。「もちろん我々としても、受け入れるつもりは っちまったな。面倒なことだ」 かえ 「そうでもないでしよう」崇は言う。「却って単純あるよ」 「タタルさん ! 、沙織も言う。「早く片づけて美作 になったんじゃないですか ? 」 に行かなくちゃ ! 急いで急いで」 「どういうことた ? 」 204
オペラグラスも同しだ」 「その上、サントリーホールも開館十周年だしね。 「え ? 」 言念コンサートにも行かなくてはならない。ああそ 「そうすれば、左目では舞台のアップが、そして右 ういえば、来月の岡山でもあるね。こちらはペータ 目では舞台全体を見渡すことが出来るしゃないか」 シュライヤーだ。また来月、岡山に行ってきた 「オペラグラスって : : : 元々、そうやって見る物ならどうだい ? ああ、そ、つ言えば岡山はど、つだっ んですか ? た ? それこそ、新しい桃太郎の見方でも見つけら 「さあね」と外嶋はあっさり答える。「知らないが、れたかな」 ばくは、いつもそうやってる。だが見方なんて、個 えっ ? と奈々は振り返る。 人個人どうやったっていいじゃないか。別に規制さ「どうして , ーー分かったんですか ? 」 れるようなことではないしね そんなことより 「やはり何かあったか」 も、今年の秋は大変なんだよ。そのために、わざわ「だから、どうしてそんなことが ざ新しく買ってきたんだ」 「分かるかと訊かれても」外嶋は笑う。「ばくには、 それこそ説明がっかない」 「来月は東京文化会館があるからね。フィレンツェ 「 : : : どういうことですか ? 」 歌劇場のドニゼッテイだ。そして十月の東京芸術劇「そのままの意味だよ。きみも良くあるだろう。た 場は、かのエデイタ・グルべローヴァだぞ ! これとえば、さあ今からこの計算をしようと思って計算 は大変なことだよ、奈々くん」 式を見た瞬間に、その答えが頭の中に浮かんでしま っているよ、つ・なことか」 280
「今重要なのは、どうして健爾くんを殺害した犯人「 : : : 全く何も、思い当たらない」 そうですか、と答えて風見子は久蔵を見る。 は、あんな惨いことーーっまり、首の切断だけれど 「久蔵さんも ? 」 をしたのかということだ。その理由だ」 はあ、と久蔵は頷いた。そしていきなり、大粒の 「ねえ、巧実さん」 涙をばろばろとこばし始めた。こらえていた感情 「何ですか、風見子さん」 せき 「あなたは今『犯人』っておっしゃいましたけれが、堰を切ったように一気に吹き出したのだろう。 ど、その犯人って、今現在どこにいると思われます「健爾さんは、とってもええ方でした。わしが鶏を 絞めた時も、可哀相しやけん止めてくれって。ばく か ? 」 「どこに って」巧実は風見子をしっと見つめは一生鶏肉なんか食べなくってもいいんだから、許 してやってくれってーーー。生まれた時から、あの人 た。「言葉の意味をつかみかねますが はそういう優しい子しやった。それがどうしてこん つまり、と風見子は一一一一口う。 一体なんが起こったんしやろうか。誰か、 「この場合、兄を殺害する動機を持つような人間をな : ・ ご存しではないか 教えてもらえんじやろうか : : : 」 ′」うきゅ、つ 「健爾くんは こんな場所で改めて口にするのも久蔵は、ついに号泣する。 それにつられるように、明日香が、そして風見子 変だけれど とても好青年でしたよ。だから明日 香が彼と結婚することになって、ばくにも素晴らしがすすり泣き始めた。 い義弟ができたと喜んでいたんだ :
「え ? 」 たのだから、もっともっと昔の、古い時代の出来事 「だから、どうしてと改めて尋ねられても、かえっ だったのだろう : てその答えに詰まってしまうなーーー特にきみたちに そんな話も含めて外嶋に説明し終わると、 関しては。まあこれも、一種のばくの意識外にある「そうか」と外嶋は頷いた。「ということは、秀吉 タンパク質のなせる業なんだろうけれどもね」 の高松城攻めも、鬼ヶ島からの発想だったんだな」 何を言っているのか、よく分からない : 「えっ ? 」と聞き返す奈々に、外嶋は眼鏡をくいっ しかしとにかく奈々は、岡山土産を手渡して、そと上げて答えた。 してあの大変な一一日間の話をした。 「水の中の孤島は、まさに鬼ヶ島じゃないか。しか そ、ついえば も、孤立させておいて、城主の切腹ーー首を切り落 あの抜け穴は、誰かが改造していたようだと小松 としたんだ。そのままだね。確か、清水宗治だった 崎が言っていた。元々は、土蔵から寺への避難経路ったけか」 だったようなのだが、 あれでは余りにも不用心だと「よくご存しで : いうことでーー泥棒対策としてーー鐘楼側から外へ 「ああ。小学校四年の時に『まんが日本の歴史』で は出られないようにしたらしい 一度読んだからね」 だから、あの地下道で発見された骸骨は、その罠「外嶋さんは : : : 本当に記憶力が良いですね」 ロ にはまってしまった盗人の哀れな末路だったのかも「そうかね ? この間も言ったけれど、きみだってピ 知れないとのことだった。 同じはすだよ。見聞きした全てのものは、必す脳の とにかく、それら一連の事実を圭佑が知らなかっ どこかに仕舞われている。ただ、簡単にはそれを引 わざ
した。でも : : : 兄たちを呼んで、全員で扉を開けて 「それは ? 」 入ったら、床の真ん中に置かれていたんです ! 」 「第三の事件ーー圭佑さんの自殺に関してです , 「でもそれは : : : 気のせいでは ? 」 「あれの : : : どこがおかしい ? 」 しいえ、と明日香は首を横に振る。 「遺書です」 「あの大きなお釜の前だったんですから、気のせい 「遺書 ? しかしーー詳しくはまだ鑑定結果が出て ではありません ! 」 いないがーーおそらくは自筆で間違いないようだが 「しや、じゃあ : : : 一体ど、つい、つことだ ? ね。特に怪しそうな点も見つかっていない」 「ど、つい、フことでしよ、フね」崇はあっさりと答え 「内容ではありません。外見です。血塗れだったこ 「考えられる理由としては、七通りほどありまとが、おかしいと言ってるんです」 すが、これも後回しにしておきましよう。時間の無 「どうして ? 」 駄になります」 しいですか、と崇は忍田と片岡を見た。 「わ、分かった : ・ : 」忍田は素直に頷いた。「し、 「圭佑さんの前に置かれていたその遺書には、圭佑 しかしーーこれら一連の犯行は、圭佑さん一人で行さんの指の跡が付いていた。もちろん彼の血で。と いうことは、自分の胸を刺してから、遺書を取り出 ったものなのだろ、フかどう・思、フ ? 」 したとい、つことになるんしゃないでしよ、つか。もし 「基本的にそうでしようね」 「基本的に、というと ? きちんと、という言い方も変です z も彼が本当に 「全て単独でと考えると、一カ所だけおかしい所が がーー自殺するつもりだったならば、ます遺書を取 あるからです」 り出してから、胸を刺すのではないか : : : そう思い
飲んだ。そして、ふと奈々を見る。 緒の質問に、「それはねーーー」などと外嶋もいちい ち答えてあげていた。面倒臭そ、つではあったけれ「休憩ーー。といえば、そろそろ、フちも休みのシフト ど、でも懇切丁寧に答える。その他にも、ヒマラヤを組まなくてはならないな」 え ? のプルー・ポピーを見ただの、大麻を見ただの、栽 突然に話が回ってきた ! 培禁止のケシと普通のケシとの見分け方がどうした 「そ、そうですね」このチャンスをしつかりものに こ、つした : しなくてはならないと、奈々はあわてて首肯する。 やがてさすがに、 と外嶋は大きく嘆息して、イスの背「夏休みは、もうすぐですものね」 「ふうつ この休みは ? 」 「奈々くんはどうするんだい、 にもたれかかって伸びをした。「全く相原くんは、 奈々は、しめたとばかり一呼吸置いて、ゆっくり 変なところにばかり興味を持って : : : 。疲れたよ と答えた。 「そうですかあ ? でも一般人ならば、こういうと 「え、ええ。実は、今年は少し早めにいただきたい ころに一番興味を惹かれるというのが普遍的意見」 「きみの口から『普遍的』などという語句が飛び出んですけれどーー」 「はう。どこか旅行にでも ? 」 してくるとはね。きみが普遍的人種だとすると、今 っちか 妹たちと」 まで長い時間をかけて培ってきた生物学の理論が根「はい。 たちと という部分で、外嶋の耳がびくりと反 底からくつがえってしまいそうな気がするが : 応したけれど、あえて何も言わなかった。すると、 いや、本当に疲れた。少し休憩」 ほおづえ しいですねー、と美緒が頬杖をついて嘆息した。 外嶋は、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口 17 プロローグ
「はい・ 「ええ : ・ : 」笙子がゆらりと忍田を見上げた。「こ 「ではーー」忍田は視線を移す。「次に久蔵さんに のところ私は体調が余りすぐれなかったもので、一 この邸の庭の手入れは、あなたの仕 日中家におりましたけれど : : : でも、巧実さんは一お訊きしたい。 事と聞いていますが」 度もお見かけしませんでした : : : 」 「はあ、その通りですが : : : ー上目遣いのまま久蔵 圭佑も風見子も久蔵も、そして遠童医師までもが は頷いた。「それが、何か ? 」 コクリと頷く。 「ここ数日間、何も変わったことはなかったですか 「そうですかーー」 忍田は頷いたがーーーしかしこの中の誰かは、嘘をな ? 何か気づいたこととか ? 」 とい、つより・、も・ : ・ : 亠めの、つ、 それをど、つにか 「ええ、別に何も : ついているかも知れないのだ : して見極めなくてはならない。だが、そんな思いは警部さん」 チラリとも出さすに、忍田は目で合図を送り、片岡「何ですか ? 」 「気づいたことといっても、その : : : 裏の寺は、竹 はメモの準備をする。 「そこで皆さん、どんな些細なことでも結構ですの藪の向こうですから、何かあったとしても、ちっと で、何か気づいたり、おかしいと思ったことなどが気づかなかったんじゃねえかと思います : : : 」 「そりゃあそうですな、確かに」忍田は微笑んだ。 ありましたら、ここで教えていただきたいんですが 「地上はね」 ねーー。笙子さん、いかかでしようか ? 」 「・ : ・ : どういう意味ですか ? 」 「つまり 」と忍田は、ゆっくり全員を見回し 「全く何も ? 148