家事がかりがやといぬしを , 好きになってしまった , きようは手をにぎってしまったなどとやといぬしの子にむ かって告げはじめたのは , それよりも一ねんあまりまえ , つまり住みこんでほんのまもないころのことだったが , む ろんそれはがっこうともだちが教員とか俳優とかを好きに なったと話すときのような , ふさわしいとりあわせかどう かをかんがえてみるまでもない空談としてだけ聞かれた . 親のふさわしい情人とは子も数ねんらいなじみであった し , ほかにもあこがれられることのめずらしい者でもな く , そういう者たちはたいていまず子への贈りものをした から , 馴れた使用人をうしなったあとの子の手まわりがな にやかや気のきいた品でおぎなわれないでもなかったこと の大半は , そうした遠まわしの求愛の余禄だったようであ かりはあった . 強してしまったについて , る . 0 3 3 4 みさんこ 親にも子にもまぬがれがたいぬ ではなく , それがとほうもないことではないかのように補 のほうでもたのしんでいるふんいきじたいは演技というの しかし , 家うちであからさまになっかれたのを初老の者
〈予習〉 おとなになったらふたりで異国をめぐろうという , 未来 の話などすることのなかった者のあとにもさきにもない未 来の話は , 九さい児には軽いとまどいでしかなくとっさに ははかばかしい反応も返せなかったかわりに , そのとき親 子が向かいあってそれぞれの書物をひろげていた卓にかし ぎおちていた秋日が , 異国の旅というものの連想にいつも あんずいろにさしいった . おとなになったことがなく十ねん生きたことのない者に たようでいて , けっきよく親子はそのときの語らいの中で もあと十ねんと子の年をかぞえるのはごくじっさい的だっ となにとっては , おいていくかつれていくかどちらにして 乱がおわってまた異国へも行けそうなと目路のひらけたお とっては地表の鳥かげのけはいだったとしても , 前年に戦 0 2 9 4 みさんこ とんど毎年のように会議出席などをかねた短い旅をくりか をひとつきほどあちこちする機会をもった者は , そのごほ しかつれだたなかった . 八ねんして四半せいきぶりの西欧
も子も気がるにわらっていた . 対等でないからは対等あっ かいするのはかんたんで深くはこだわられなかった . してあっさりととうとつに永久に親子の食卓は喪われた . だまされるというのが被害であるのなら , たしかに外来 者はしゅうし被害者であった . あるめんで対等とおもえれ ばべつのめんでは対等でないと示すこともあろうが , どん ないみででも対等でないとしかおもわれなかったからやす やすと対等がよそおわれたので , それをいんけんでごうま んだというのならたしかに親子はいんけんでごうまんであ り , 懲罰はさけがたかった . どんな者がくるとしても , いこ、こちがわるすぎないよう に適度な社交をこころがけようと十五さいはかまえはじめ ていた . その数しゅうかんの家事がかりのとだえは , もっ と繁忙の度のゆるやかだった一ねんまえ二ねんまえとくら べて十五さいにとっても五十三さいにとってもあまりにわ ずらわしく , いつぼうでは , おとなだからといってなかま たちいじようの測りしれなさをかかえているわけではない という見きわめも , じぶんたちとはことなるしゆるいの者 たちもあるという察しもつきだし , つまり , ひとりでい 0 2 0
から死んだほうの親のためにひきかえしてやりたかったの にということのようでもあった . 〈しるべ〉 どちらにしても死者があってのちに住みうつら のじろいものは , はじめのころ五つだったろうか六つだっ , たましいぐらいの涼しさをゆれたゆたわせた . そのほ のまからとりだされて , ちょうどたましいぐらいに半透明 ぐってくると , しるべにつるすしきたりのあかりいれが朝 死者が年に一ど帰ってくると言いったえる三昼夜がめ たろうか , 0 0 7 4 みさんこ ごくうすい絹だったか紙だったか , あるいは絹のも紙の りに掛けならべられた . 随させていた . あとはざしきとえんがわとのくぎりのあた なえる台のわきにおけるような , 組みたて式の吊り具を付 二つか三つは , 花やせんこうをそ くだったにちがいない よりは , 干すことをかねてあるだけつるすほうがかんりや は贈りぬしも新しく , どれとどれをつるすかを決めまよう れた小いえには過剰な数だったが , 死者が新しかったうち
ることがもっとも豊饒であるじぶんたち親子とはちがっ て , 話しかけられることのなさ , どうかすると買いものす るときいがいほとんどくちをきかないですんでしまうよう な日日を , もんくを言われたりせかされたりするいじよう にがまんしにくくかんじる者たちもあること , そのうつく つを賃金のたかでおぎなうような策をこうじられないのか こうじる気もおきないのかどちらにしても , せめて十五さ いがいくらかはしたしむそぶりでなだめておくほかないか ともさとりはじめていた . それでも , 日常のくらし , すな わちゃとわれた者の全しごとへの軽視が根底にあって , ど うやってもよろこぶでもなく , ただがまんしているだけと いったふんいきに長く耐える者はまれであろうが , 半ねん 一ねんでいいのだ , そうやって四にんか五にんでつなぐう ちにはおとなになってしまえるのだとも計測された . すこしまえの明るいおもいでもあだになったようであ る . 十三さい児と十ばかりしかちがわない者が住みこんで ことがあり , その婚姻までの一ねんほど , 楽器につい て話しあったり , 書いた詩を見せあったり , 別れを惜しん でいっしょにしやしんをとったりしたのだ . こんども年の 差が似たようなものなら , おもてむきそのときのしたしさ 4 みさんこ 0 2 1
ともが死んでしばらくたつまではほとんどたちあらわれな かった . 受像者が , あとから死んだほうの親とふたりだけ というじようきようでつくられたじぶんに淫しきってい そうだったのか , あけさえすればずっとこ た . 寝てはいたがいのちのあやういほど病んでいるという さきに死んだほうの親がふとんに寝てい さざめきでかざられるようになった者が , ゆめの小べやの 親がふたりとも死んで , さらに年をへて , 朝の帰着点が ぶん , きようだいがあったりするじぶんなど敵でしかない りがないというよりはむしろ , 親ふたりそろっていてのじ ないからはかかわりもないとかんじていたからか , かかわ て , それいじようさかのぼった未定などじぶんがじぶんで ふうではなく , 戸をあけると , とかんじていたカらカ 0 0 6 をゆめの受像者がじかにのそ。んでいるというよりは , あと ところまではひきかえしたということのようであり , それ なおるともなおらないともきまっていない わかっていた はいたが , さきに死んだほうの親がすでに病んでいるとも ゆめで , 親ふたりと子とがつれだって歩いていた . 歩いて かつなおもいこみをやすらかにあきれていた . またべつの こにいたのだったかとなっとくした者は , じぶんの長いう
早いうちに異議が表明されれば五わりがたの種族はすく えたか , 七わりがたまで修復できたかというようなことは いみをなせなくて , うたがわれたことのなかった所有感が うたがわれた日にぜんぶが非所有にうらがえった . 十ねん よろこびを汲ませてきた庭は , 食用のものたちを植えなく なっての六ねんに野性をつのらせ , 外来者の目にはたけだ けしすぎうっとうしすぎ , まったくなおざりにされている との誤認は当然だったかもしれない . しかしもしほんとう になおざりにされていたのだとしても , だからといって保 持権も関与権もないとあっかわれた者の驚愕は深すぎて , いっしゅんの総放棄しか反応されなかった . 必要とされ執 着されていたのは , 個別の微細なはしばしであるとどうじ に , それらの動きやまないせめぎたわみぜんたい , 見つく さなかった , いつまでも見つくせないだろう未完の盛衰ぜ んたいであって , ひとたびみだされればとりとめのこされ たものもすでにべつのものだった . 外来の観察者がゆるせなかったのは , なおざりそのこと というより , どんななおざりもかまわないとする野放図な 信頼だったのだろう . 半だ一すのきようだいでそだった者 は , 庭だろうと親だろうとかかわりを維持するためには相 0 6 0
んとつづいていく中で , 使いならしたあめいろのつやにひ そむその日の匂いが , まだ霜や雪にあわないまえのまあた らしい枯れ野の匂いが , そのときの支払い人のはしやぎに ちかい声とともに甘く返った . 親じしんのかせぎからすればどうという額ではないが , 翌月からと予定されていた子の収人にすれば一しゅうかん ぶんにはなる額を , おもいがけなくじぶんが出せたことを まっすぐにうれしがっていた者は , 家計管理人を通さずに 子のための大きな買いものをするのはずいぶんひさしぶり で , なければないですむ遠出のみやげのようなものでな く , ほんとうに欲求されているものをじかに贈れたのは五 ねん半ぶりぐらいだったかもしれない . 五ねん半というの は , 外来者が外来した年のうちにはまだ家計管理をまかす という愚行にはいたっていなかったし , 小さな町にはない が首都になら出まわりはじめているものもすくなくなかっ たころで , かばんだの楽譜だの木炭素描の用具だのが買い 帰られた . なにが最後であったかという記憶はだれにもな い . その交歓が大学にも人らないうち断たれる予想などあ りえなかったからた もっとまえ , 首都にさえ商品のとぼしかったころ , 小児 0 4 0
応の努力 , はた目にもわかるかたちの努力をしつづけなけ ればいけないとおしえこまれてきたのに , ただあるがまま で寵されて不安をしらないありようがとつぜん現前してそ の倫理をあざけったとかんじて逆上し , あるべきでないお ごりと義憤をそそられ , それでいてそのありようこそかっ てかんがえたこともなかったうらやむべきありようだと渇 望した . そして渇望したのがそのようなむじようけんの生 存承認であるにもかかわらず , しみついた習癖が相応性の ろやさしい者こそがその席にふさわしいとねっしんに信じ も , ねぎらいと助力とでむくいようとするけんそんで ' 秤量という観点をまぜもつれさせて , 横暴な忘恩者より 0 6 1 みさんこ ない活力と見えた . そう見えるとおもうことでいっそうこ ま , からだだけは重くみのり , もはやなんのささえも要し にいなおる鎧も謝恩を示す花かざりもととのえきれないま あまされ , 与えられたものをついやすいつぼうであること 定形は , ながめてたのしい生きものでないとみずからもて 反応をひきおこした . 未実現の混沌にもがく変態途上の不 あやうい間合いであったために , 測られたがわにも過大な 寵の根拠をそとから測るまなざしは , ちょうどきわめて
くし , だまってなめらかなその一まいは , おもいがけなく 晴朗なしあがりになった . 十ねんたって , その淡淡と押し並んだ六つの満月を想起 した者は , いささかあきれながら , かたちや大きさにいく らでも変化はつけられたろうにとか , 六さい当時名人芸に たっしていたはずのれ一すあみ状の雪輪の切りぬきをまぜ て部分的にかさねたらとか , さまざまのくふうをおもいう かべてみた . しかしけっきよく , そんなさかしらのいっさ ことが迫力になっていたのだろう . それはまた , が んこないつぼん調子 , 他者へのむかんしんでもあった . ばわれた色でどんなににぎやかな図がらが貼られたのかを 見ようなどともてんからかんがえおよばなかった者は , 手 もとにのこったものの少なさになげきもいじけもしなかっ たし , かといってその不利を逆手にだれよりもみごとに やってのけようなどということさらな気おいももたなかっ た . もはやその淡淡をうしなったとかんじていた十六さい 六つの満月はこうこうと遠くおもわれた . さらに四十ねんがすぎてふと想起されたときの満月たち には , ほのかにべにさした花ふぶきが舞いしきっていた が , それは , 群れの手にもともとどんな色があったのかな 4 みさんこ 0 4 7