毬 - みる会図書館


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1. abさんご

きの睫毛の長い眠り人形だの、螺子で跳び歩く兎の縫いぐるみなどのある大きな店で、もち ろん毬も、大きいのや小さいのや色つきのや網袋入のやらが沢山あった。タミエはちょっと 立ち止まってみたが、又歩き出してしまった。いろんな店があった。十軒位過ぎると又毬が 見えた。文具店なのだが、学童相手に野球や卓球の道具も置いていて、はやりの毬も仕入れ たと見える。でもタミエはそこも通り過ぎた。店通りはなかなか尽きない。日が傾き、気早 な店には灯が入った。やがて街灯が一斉に明るんだ。次の次ので必らず手に人れよう、とタ ミエは決めた。 ひとけ 次の次のは手狭な構えの、人気のない店で、毬は道のきわに、値段の順に積まれていた。 タミエは弾むことをやめたポケットの毬を出して左手に持ち、右手で真白な新しいのを一つ 持って、大きさを比べるようにして立っていた。毬はちょうど同じ位の大きさである。安い 方から二番目の仕切りに入っていたのだが、タミエは絵なんかついた大きすぎるのよりも、 小粋で手頃なこの毬がほしい。もし店の人が出て来たら、ちょっと小首を傾げてみせて、ほ しいけど今お金を持って来なかった、という風に毬を戻せばいいのである。 奥の居間との仕切りの障子はなかなか開かない。タミエの後を行く人たちも滅法忙しそう で振り向きもしない。タミエはふいに右手をポケットに人れ、その上から左手の毬も人れ こ 0 極めてゆっくり、タミエは店の前を過ぎた。けれど少し行って曲がり角を曲がってから 毬

2. abさんご

毬は黒光りして硬く、タミエの掌のくぼみにきっちり嵌りに昇って来た。何度だって昇っ て来た。強く打ちつければ強く、毬は撥ね上がってタミエの掌に戻った。 タミエは、みんなと毬で遊ぶとすればどうしてもしなければならないあれこれの芸当に関 しては、そのうちの一番易しいのでさえ、なんとも見ていられないほど下手で、というよ り、滅多にできたことなんかないのであった。でも、ただ突いているというだけならいくら でも続く。毬を突く、ということはこういうことなんだとタミエは一人で合点し、そして大 いしだたみ 抵一人で突いた。街並から奥まった庭の広い邸の、常には開けられることのない表門の甃 などで。タミエの家だったらその門構えの中に、そっくり一軒建ったろう。白っぽく、広々 と閑かで、毬の音は世界中を充たすように響く。その遠い木霊を聴きながら、鈍く光る毬の 上下するのに見入っていると、気が遠くなりそうな、続けることが哀しく、続けないことは なお哀しく、いたたまれない快と不快のごちゃまぜに縛りつけられ、そんな時ふと吹き通る 四

3. abさんご

おもちゃ よく弾む毬が。タミエの毬が。毬はどこにあるか。勿論玩具屋にあるのだ。タミエは、毬 を、新しい裂けていない毬を手に入れようと心に決めたが、タミエが無一文であるからに は、手に入れるということは買うこととは違うことだった。 玩具屋はタミエの家の近くにもあった。鯛焼屋と兼業で、菓子と玩具のあいのこのよう な、食べるような遊ぶような極彩色のあれこれ、それからその時々のはやりの玩具、今なら 毬と、男の子がはやらせている銀色の拳銃が山のようにある。でもそこでタミエが毬を「手 に入れる」ことはできそうにないので、タミエの足は隣街に向いていた。 隣街へは、一度だけ紛れ込んだことがある。やたらに歩くうち偶然に賑やかな店通りへ出 てしまって、なんだか慌てて引き返したことがある。でもちょっと見ただけでも店通りは随 分立派で、玩具屋だって二軒も三軒も、ことによったら十軒位もありそうであった。 長いことかかって、それでもまだ日のあるうちに、タミエは見覚えのある角まで来てい た。その細い道の向うを、せわしいタ刻の人の往き交いが見えていた。そこに来るまでタミ 工は、「手に入れる」ことについては何も考えず、ただ一心に道筋の記憶を追ったり、次の 角までに大に出喰わすかどうかという賭をやったりして来たのだが、いよいよもう表通りの 賑わしさは近づいた。右へも左へも途切れ目のわからない遠くまで店並は続いていたが、そ れまでに出会った猫の毛色による占いだと、タミエは右へ行くべきであった。 二、三軒目にすぐ玩具屋があった。きちんと箱に入ったママゴトのセットだの、着換え付

4. abさんご

ぐ、タミエの膨れたポケットに向いていた。欲しければ上げるよ。ちょうど取りに来たとこ ろだ。男は手にした花鋏をタミエに突きつけるようにした。タミエはポケットから毬を二つ 出して見せようかとちょっと思案したが、その毬のいかがわしいことにかけては、果実を取 り出してみせることより大してましとも思えなかった。 男は一つ切ってタミエにくれ、又上げるからね、黙って取るんじゃないぞ、と云った。た くさん貰ってどうもありがとう、とタミエは云ったものである。曲がって、男の家が見えな くなってから、タミエは皮に爪を立てた。タ闇の道で、果実は高く香った。歩きながら食べ た。熱心に食べた。 私は本当は、タミエがその強い酸味と芳香とに感動してしまって、もう一度取って返し、 男の立ち去ったあとの果樹の根本に、真白な毬をーータミエにとってほんとうに欲しかった 大切なものの方をーーこっそり置いて去るという風に書きたかったのだが、タミエはそんな ことをしなかったのだから仕方がない。 タミエがあの暮れおちた川の覗き口に捨てたのは、裂け掛けた古い毬と、思いがけない取 得物であった柑橘類の食べ殻の方であって、タミエのポケットには、そこらの泥で巧みによ ごしたよく弾む毬がちゃんと人っていたのである。そして誰一人その秘かないきさつに気づ いた者はなかったのであるが、又しても例のうろんさは、その宵のタミエに沁みていた芳香 性の柑橘類の残り香と共に、不確かに甘酸つばく匂って止まなかった。 毬 一五

5. abさんご

の距離を進んだ者が勝である。道で、あらかじめ決めておいた所まで着いたら又逆に戻って 来る、という風にするのだが、それでも日が落ちるともう互いの出した手の形が読めないほ ど離れてしまって、大声で自分の出したのがなんであるか叫び合うことがある。するとタミ 工は、勝っているのにわざと違うのを云ったりする。得にならない嘘というものが考え及ば ないたちの仲間は、もちろんタミエが他の者の出した手を知った後で自分の負け手を報告す る場合の真偽については疑ってみたことがないのであるが、それでもなにがなし又例のうろ んさが匂って、実際はタミエがその惨敗よりも更に輪を掛けて負けるべきだったのだという 気持になるのである。 毬は孤りでも突けるので、タミエはこの遊びがはやったことに感謝してよかった。タミエ の毬は大きく立派ではないし、黄色いチョッキに蝶ネクタイなんかのおどけた動物の絵がっ いているわけでもないが、硬く張り切っていて、タミエの掌にちょうどよくて、忠実で丸く て光っていた。 ところが、きよう、さっきから、毬はなんとなく弾み方を弱めて来ていた。初めのうちそ れは、柔かすぎる砂地で突く時のような手応えだったから、タミエは場所を変えてみたり、 力を人れて突いたりしてごまかしていたのだが、毬はだんだん変な音を立て始め、妙に軟か な手触りになり出した。もしタミエが真相を見究めることの好きなたちであったなら、強く 押しながら表面をもう片方の掌で軽く覆ってみることによって、既にかすかながら空気の洩九 毬

6. abさんご

側は竹林が水の際までを囲い、唯一の途切れ目である道と溝との幅は、その間際で俄かに崩 れたようなエ合に終っていて、朽ちかけた杭に錆びた有刺鉄線が絡んでいるあたりはもう川 ごみ 泥の、なかば塵芥捨場の、危なくて汚なくて降りては行けない。でもここはタミエの気に人 りの場所の一つで、歩き疲れるとよくここで長いことしやがんでいた。いつも日の差してい る明るい向う岸を見るのが好きだった。いつも左から右へゆっくり動く、僅かばかりの川に 雲が映るのを見るのが好きだった。とりわけタ焼が綺麗だった。けれど今日はやはりポケッ トが気になって落ち着かず、タミエはタ焼には間のある川を離れて引き返した。 毬を突こうかな。努めてさりげなく、タミエは思った。横道を出てからさっきとは逆へ曲 がった。少し行くと四つ角に出る。その一角は松に野藤の絡んだ暗い林で、いっかその奥 に、とても大きな鶏位もある鳥が思いがけないほど低い枝に止まっているのを、タミエは見 た。タミエが話しても誰も本当にしなかったけれど、本当に鳥はいて、タミエの方をじっと 見たのだ。でもタミエだって二度とは見たことがない。雉みたいな顔つきの鳥だったが。今 はグミの花ざかり。いつだってタミエはこんな風だ。 毬については、もう今度は疑いようがなかった。哀れな音で弱々しく二つ三つ弾んだあ と、毬はあらぬ方へ転がってしまい、拾ったタミエはその裂目を見つけないわけに行かな かった。タミエはそれを空へ投げては受け止めながら、せっせと歩いた。 二度とは買ってやらないと、きびしく云い渡されていた。でも、毬はなければならない。 毬

7. abさんご

風に花の匂いがしたりすると、タミエは怒ったように毬を叩きつけた。それでも毬は光って 丸く硬く、タミエの掌のくぼみにちょうどいい大きさで忠実に返った。 タミエは時々小声で歌った。でたらめに。山鳩が、寝呆けた声で啼いたので、どこにいる かと探していたら、山鳩いなくて百合の花、藪の中には百合の花、大きな大きな百合の花 タミエの友だちの歌う、本当の毬唄はこういうのだ 一リットラ、一コーシ、シラホケ キヨーノ、タカチホョ、ジョーテンカ。 タミエには何の事だかさつばりわからない。でもみんなとてもよくわかっているような 顔をしているから訊いてみるわけにもいかない。終りのところがジョーテンカではなくて リヨーテンカだと云い張ったサアちゃんと松ちゃんの大喧嘩の時には、タミエさえも意見を 求められた。普段はタミエなんかどうせものの数には入らないのだが、リヨーテンカの支持 者があんまり少なかったものだからサアちゃんは躍起になって、とうとうタミエにまで持ち 掛けたのだ。ねえ、タミちゃんもそう思うでしよう ? ジョーテンカなんて変よ。リヨーテ ンカよ。ね、絶対よね。もちろんタミエはサアちゃんの勢いにたじたじとなって逆わずにい たものの、どっちみち全然わからないし、何語だかも定かでない。ホケキヨーとかタカチホ とかいうところはどうやら日本語のようでもあるが、それだって勝手にそう聞き取った者の こじつけた発音かもしれない。ともかくわかっていることは、これが一リットラから十リッ 毬 五

8. abさんご

れる状態になっている箇所を発見したことだろう。しかしタミエはそういうたちでは全然な いので、その不吉な軟かさが絶望的にまでならないうちに、ひとまず突くのを中止してし まった。毬が弾まなくなるなどというあり得べからざる成行きは無視するのが一番賢明だと いう風にタミエは思う。さっきから毬の手応えがおかしくなって来たなどということは「な かったこと」にしてしまえばいい、そしてすっかりそんな兆しを忘れ尽してから、さて何事 もなかったとして突いてみれば、きっと毬は元通りよく弾むだろう。タミエの掌のくぼみ に、きっちりと硬く撥ね返って来るだろう。 そこでタミエは毬をポケットに人れて歩き出した。ポケットはいつも通り丸く膨んだ。邸 の高い石垣に沿って、日の差すことの少ない横道へ外れる。石垣に沿って、といっても、石 垣と道との間には、かなりの幅の溝がある。雨でないかぎり殆んど水はなくて、底に芹なん か生え、小蟹がたくさん歩いていたりする。その溝の更に下に、太い土管が埋まっているら しい。そしてそれは、この道の行き止まりから見える濁った大きな川へと注いでいるのであ る。向う岸は畑であった。いつもいつばいに陽が当っていて、山羊がいたりした。タミエは 川の向うへ行ったことがなく、こっち側もここしか知らない。なぜなら川のこちら側は、少 なくともタミエの歩く範囲内では皆家の蔭になっていて、その川に接したところの地所に住 いわゆる む者でなくては川岸に出られないもののようであった。第一、所謂川岸という風な、小石の ある砂地や草土手などはまるつきりない様子で、この道のはずれにしても、片側は石垣、片

9. abさんご

トラまで続いて、次には一リットランラン、一コーシッシ、シラホケキヨーノッノ、タカチ ホョッョ、ジョーテンカ。という風になって、つまり、節のくぎり目でする曲突きを、二 度ずつ続けてやるのを又十リットランランまでやって、その又次は左手で一リットラから : というエ合の、タミエには限りもなく長く思われる遊びの順序と、それから、一コーシ の「コー というところでひどく高い音になるのでタミエは声を出すのをやめる、というこ とである。別にタミエの声帯が、並の女の子と違っているわけはないのだが、どうも高すぎ る節まわしだと感じると、タミエは声を止めてしまうのである。全体を低い調子で歌ってい たって、やつばり「コー」というところは声を出さない。順番を待っている者はみんな歌っ ているので、タミエ一人がいつもそこで、ロだけその形にして声を出していないという事情 は誰にも正確には知れないのだが、それでもなんとなくタミエがいんちきをしているという 印象は漂うのである。そういう感じのために、タミエは決して信用されなかった。これは 嘘、それはいんちきだと指摘できないからこそ、うろんさはいよいよ確かなのである。 一リットラは右脚を上げて毬をまたぐ。二リットラは右脚の外側から右手を差し入れて突 く。三リットラは爪先で突く。四リットラは右膝で軽く上へ突き上げる。五リットラは、足 は地面から離さないまま、右脚の膝を巧みに曲げて、毬を前から後へくぐらす。六リットラ はそれを左脚で。七リットラは再び右側の、今後は後から前へ。八リットラはそれを左側 で。九リットラは両足を上げて毬の上を横へ跳び越す。十リットラは高く弾ませておく

10. abさんご

に、自分がその場でくるりとまわる。そこまで行くとお続けというのをやる。それまでの技 巧を一度ずつ並べるのだ。もちろんタミエはそんなところまでなんか行ったことはない。一 番進めた時でも五リットラで日が暮れる。なぜならタミエは一度も五リットラの突き方に成 功した例しがないのだから、そこまで来ればもう、何度でもその失敗を繰返しているほかな いのである。 みんなは大抵、一気にオッヅケ位まで行ってしまって疲れて来て手許が狂って番が変わ る。だから遊び始める前に、十リットランランの時は毬が二つ弾んでもいいことにしようと か、左手の十リットラは廻るのも左廻りね、などと、タミエには全く無縁な掟を取り決め る。オノバシナシ、というのもタミエにだけは免除された。タミエにだけ規則が緩やかだと いうことはつまりタミエが競争相手として一人前でないことに誰も異議がないからである。 かす こういう恩典の保持者はオミソと呼ばれる。味噌っ滓の略である。お延ばしとは、曲突きを する前の弾みが適当でなかったり、運悪く石に当って方向が外れたりした時に、二つ三つ普 通の突き方でつなぐことであるが、タミエの足はなかなか持ち上がらなくて二つ三つどころ ではなく、みんなは、トオオオ : : : とかコオオオ : : : とか長いこと延ばして、息も詰まりそ うになって、やっとラとかシとか云えるのだった。気短かな仲間のいる時は、タミちゃんい い加減にしてよ、と叱られたし、いくらオノバシアリだって、十以上は差し止めようとかい うことになるのであるが、実際のところタミエが突いている時間といったら極く僅かで、一 毬 七