ところが、そこまで来てから気が付いたことに、その建物のすぐ手前で、一本の川が海に 注いでいるのであった。長雨で水が増したせいもあろうが、川はタミエの町から送り出され るどの川よりも、ずっと幅広く深く見える。 もう一度道路まで引返して橋を渡ればいいのだと知りながら、タミエはなんとなくそのま ま川に近寄って行った。何日もなかったことに、暑い日射しが雲を割る。照らされながら疲 れきって、タミエは放心した。 川岸はとても危い。海辺の川岸はまるで粘りのない砂の、草も生えず、始終水の位置が動 くために決して固まらず、思いも掛けないところから崩れ落ちてしまう。こんなに雨続きの 時は却って水嵩が溢れ出ているからそんな危険はないが、一旦こうして深く刳られたあとで 水が減ると、岸は切立って下を水で削り取られ、なんとも脆く子供の一蹴りでなだれ、その 余勢で次々と驚くほど長い距離が落ち続ける。承知で戯れに崩してみる時はいいけれど、迂 闊に近付きすぎて急に崩れられると大人でも転落しかねないし、川口の渦に巻込まれでもし たらことである。タミエは自分の町の川でさんざん見聞きし、用心しいしい崩して遊ぶこと もよくあったので、ぼんやりしながらもかなり離れたところで立ち止まった。それでも川口 の黒っぽい水の、底の方で揉み合っているような揺れ方はつぶさに見えた。 川は烈しく流れ込もうとし、海は強情に己れの差引を繰返している。その執拗な暗闘の果 に流れ人った川の水は、一瞬後には海そのものとなり、流れ込む力に抗って再び川へ逆流す四五 あらが 虹
る。一見無益に蕩尽される莫大な力の量が、黙々と、精魂こめて押し合い、川口で溢れて、 水は広く浜を覆った。波頭が遥か遠くまで川面を這い上がって行ったかと思うと、また思い 切りよく引いてしまう。けれど、その冗談のようなやりとりは、底の果たし合いの真剣さ の、せめてもの偽装のようでもある。 かなりの間、タミエは川口に見人っていたが、やがて動く水の旧さが我曼できなくなって 来て顔を上げた。 と、タミエは息を呑んだ。虹が出ていた。大きな虹であった。さっきからタミエが目指し て来たペンキ塗の風景の真上に、虹は闊達に華麗に架かっていた。 そして突然、タミエは思い出した。ごく幼い、二歳半か三歳ぐらいのタミエが、この川に 突落して殺した、一人の赤児のことを。カッチャン、といった。そうだ、カッチャンという 呼名のその赤児は、タミエの弟なのであった。事故ではなかった。過失ではなかった。殺し たいと思って殺した。生温い柔かい生き物は、タミエに押しまくられながら少し暴れた。で もいやがってではなくて、面白がっていたにちがいない。うしろざまに水に落ちて一瞬鋭く 叫ぶまで、赤児は泣かずにいたのだから。タミエも笑顔でいたようだ。あやすように。でも 随分力が要った。そしてその真昼、この川の向うに、まさにこの川の向うに、美しいものが 見えていた。 そうだった。タミエは虹を見たことがあったのである。今、遠路の果、忌避と牽引との暗
みてもどうってことはない、と思うことはできても、虹なんか、とは思えない。確かに虹 は、見る値打のあるものに違いない。虹は七色だという。淡く明るく天空に弧を描く、ゼ ーみたいに澄んだ色。しかも仄かにぼかされて、優しくて溶けるようで、爽やかで暖か で。壮麗な虹がひとつ、タミエの奥に架かっていた。 タミエにはときどき、天啓のようなエ合に、今日は学校に行くのをやめよう、と思う日が ある。梅雨晴れの或る日、タミエはそれで朝から海辺にいた。 明け方まで降っていたために、砂浜はどこも濡れていて、タミエはいつものようにやたら に腰を下ろすわけには行かなかった。それに、降り続いたあとのことでせつかちに晴天を喜 んだものの、又いっ降り出すかわからない雲の多い空で、タミエはちょっと落着かない気持 で湿った砂を踏んで行った。遠く張出した陸地が霞んでいる。道からは幾つも砂丘を越えて 来た広い浜で、その遠景と足もとの波の寄せ返しとを一緒に視界に収めながら歩いている と、何か現ない目眩のために時折足を掬われかける。遠い陸地の張出しはじっと動かず、水 の去来する線は刻々に移る。 動く水というものの怕さは、いっそれが汀のタミエを包み込んでしまうかもしれないとこ ろにあった。いっかずっと前、嵐のあと、浜がまるで半分ほどに狭くなって、いつもタミエ が歩いていると思われるあたりは、タミエの背丈の何倍かというほどに暗く澱んでいた。水 が攻めて来たという感じであった。まだまだいくらでも来そうな怕さであった。格別嵐など こわ 虹
でなくても、今タミエのいるところなど、満ち潮になれば日々深々と浸されているのだ。思 わず遊び過ごしたタ刻、寄せる波が確実に陸を浸蝕して来るのに気付くのは怕いものだ。一 つ前のよりも次のが、目に見えて深く襲って来る。 またもっと前、タミエの生れない頃のことだというが、大津波があって、海はこの広い浜 を悉く覆い、防風林を洗い、舖装路を浸して、道に近い家々を流し去ったと聞く。その頃こ まば の辺はまだまだ開けていなくて、疎らに漁師の家があった程度らしい。今はずらりと旅館や 商店が並び、すぐその裏から街並が始まっているのだから、もし大津波などあろうものなら どんな惨状を呈することだろう。タミエはその話を聞いたあと、何日も脅えていた。タミエ の感じでは、火事や地震は逃げられる。津波だけは駄目だ。大火事も大地震もタミエは知ら ず、そして大津波も知りはしなかったが、水の嵩と力とには深く納得が行くのである。津波 なんてことでなくても、いっ海が帰るのをやめないとも限らない、そう思うこともあった。 また浜にいて急に曇ったり、爛れた内臓のような醜いタ焼になったりすると、今にも水が空 高く巻上がって激しくのめって来そうに思われた。そんな夢もみた。日の落ちたあと俄かに 冷えて行く酷薄さ、見詰める者を引摺り込む魔の色の波、まっすぐ歩いているつもり、同じ ところにいるつもりを、いつのまにか愕くほど外らしてしまう惑しの風の陰険さ、そのくせ タミエは海が好きなのだ。 大勢連立ってしか遊ばない子供らにとって海はそんなに怕いものではない。近くに住んで かさ 四〇
くやわらかい檻〉 へやの中のへやのようなやわらかい檻は , かゆみをもた らす小虫の飛来からねむりをまもるために , 寝どこ二つが ちょうどおさまる大きさで四すみをひもでつられた . ぶど うからくさの浮き彫られたきんいろの吊り輪がさすらいの 踊り手の足かざりのように鳴るのは , まだ涼しいもう涼し いという朝夕のよろこびだった . つりはじめる宵は , きっかけがわずらわしい飛来であっ ても , 白が茶ばみ , 水いろのぼかしもあせ , ところどころ つくろわれてさえいても , やはり祝祭だった . 夏がしのぎ いい土地がらのせいも , 長い休暇をひかえているせいも あったろうか , ねむるには小児にもまだまだまのあるうち から中に人り , 粗い目の織りものごしにすこし昏んだあか りで本を読んだり , あおむけになったまま両脚をはねあげ て , なかごろでたわみたれているやさしいてんじようにつ まさきをさわらせようとしたりする . どうかするとおとな のほうも , 早いうちから本や筆記具をもちこんでくる . 小 0 3 4
ていた . らんぶやゆりいす , 円卓や戸棚などを配してあそ ぶために , しようめん手まえはまったくあいているのだ が , むろんそこには壁と窓が , いちばんゆずってかんがえ てもがらす戸のなんまいかがあるはずだったから , にん ぎようたちの出人りはかならずひさしつきの開口部からで なければならなかった . 比率としてはいくぶん大きすぎる 犬小屋が配されるときには , そこから出ていった大が出人 りぐちでないところから室内にふみこんではにんぎように しかられていた . もっとも , その家に見あう身たけのにん 街のかざりまどですばらしく大きな三階だてのにんぎょ れるのは犬ではなくて水いろの熊であった . 手ざわりをおもんじる気ぶんになっている日には , ちな木彫りのすこっちてりあしかいなかったので , ぎようにとりあわせられる大としては , 軽すぎてころびが しから 幼児が 0 4 2 ろうものの細部について , すこしあっけにとられて聞いて れるのなどはじめての者は , そのついに見ることのないだ もたらされない贈りものについてわざわざ話さ とだった . は , じっさいに三階だての家に住んでいたおわりごろのこ えなくてとてもざんねんだったと五さい児が聞かされたの うの家を見つけたのに , 売りものではないとゆずってもら
もあったのか , 卵がたのも球にちかいのも , 淡い水いろを おびたのもそうでないのも , 上下の木わくが黒く塗られた のも白木に小菊がえがかれたのも , おもりにさがるかざり ぶさは紫のぼかし青のぼかし , もしかしたらぜんぶ白いの も記憶をぬけおちたべつの色のもあったかどうか , その欠 落はだれかがわすれたというのではなくて , それら夏の宵 そのときにもだれにも見さだめられないままであった . そ のならわしがくりかえされなくなる夏がくることに , ひら どこかすこしよごれてどこかすこしつぶれた厚がみ の箱が高い戸棚のおくからおろされて , しぜんにたたみこ まれる構造のきわめて軽いつつ状のうつろがかすかな前年 の夏の匂いとともに身を起こすことのない夏がくること に , だれもがまったくうかつであって , そのときぜひ見さ だめつくさなければとはおもいおよばれなかったからだ . それぞれにちがったはずの花の絵がらもまるでおぼろ で , 秋くさなのだからと似ていないではない配置がおもい えがかれても , 木わくとのれんかんもつかないばかりか , 夏ぶとんの染めもよう , 掛け軸の筆はこび , はてはずっと のちになって店さきで見かけただけのうちわの絵やだれか がだれかからうけとったようなうけとらないような絵はが 0 0 8
このんでその道を通りならわしていた小児は , やがて石も 穴も足うらがおぼえて , その道の空の色 , その道の鳥の 声 , その道の十時の匂い十一時の匂いとなじみおぼれた . 宵やみによろめくことなくひといきに走りぬけるあそび , 足もとからひかりにげる青い虹のような小爬虫類との出あ いの回数を予見するあそび , その土地にはごくまれな積雪 の日 , 枯れてかさのへった草たちをひれふさせて土もみぞ も白一色なのを , 道のさそう目かくしあそびと応じもし ほかからもまわれる出ぐちのむこうになにかがあるから というのではなくて , その道を通る者にその道を通る想念 をくぐらせてその道はあった . しかし , あるとき両がわの あき地と延べたらに均らされて家が並び , ごくあたりまえ のはばのあたりまえの道になった . それでも , たえだえの かよいじを足うらに知っていた者がさしかかると , ふとあ の通りがての草の道の空の色の亡霊 , 十一時の匂いの亡霊 がかすめることがあった . いつか , 灯したてられてにぎわ いどよめく雑踏の底と変わっても , あの草の亡霊は天をさ すか , よごれた水のおもてのよごれないタあかねの亡霊は かがよいたゆたうか , ついに道でさえもなくなり , あたり 0 5 8
たりに白い花冠をともしているのや , 使うのをやめてひさ しい戸外での煮炊き装置にさしかけられた仮屋根の , いっ の秋からともしれない朽ち葉の積もりなどとめぐりあっ 家かげのせまい通路だが , うらの家とのさかいの垣に そってひとならび食用草本が植わっていた四季もあり , そ れらをまびいたりそえ木にゆわえたりする者に小児はまっ わって , 早朝の防砂林でいっしょにひろいあつめた枯れ松 葉や松かさをふろがまにくべてはそのはぜるさざめかしさ と芳香と炎の色とを愛し , あそびのとちゅうでだいどころ ぐちから水をのみにかけこむこともあれば , たてつけがく るって小児のちからではあかない物おきのひき戸がひかれ て割り木や切り炭の匂いたつのをたのしみにもした . ふりだしの家からついてきて , うらがわをきもちよくと りしきっていた者が十さい児を去ると , そこの事物はいっ こうかんしんをひかなくなったが , かといってかくべっこ だわりももたれず , ときにはおもてでなくうらであそんで みたり , たんねんな杉綾状の掃き目をつけてみたり , 花た ちのためじようろをみたしにゆききしたりはしぜんにつづ いていた . 4 みさんこ 0 2 3
番駄目だ。 提案が斥けられてタミエはちょっと気分を悪くした。それでもなんだか、男の頭の上の空 に、ひどく混み入った地図みたいなものが浮かんでいるような気がした。 別に従いて来いと言われたわけではなかったが、そのまま二人は連れ立って歩くことに なった。山はうららかで花だらけであった。並の散策者にとっては、十か、せいぜい十五ほ どの種類の花が咲いているだけであるのだろう。しかしタミエのまわりは延べつに花であっ た。男もそうだった。そして花の呼名をタミエに訊くので、タミエは遠い工場のサイレンが 鳴るまでに、ざっと三十ばかりの名前を考え出した。もちろんそのほかに、スイカズラとか ノビルとかドクダミ、ニガナ、カヤツリグサ、スズメノヤリ、シモッケ、サギゴケなどのよ うなちゃんとした名も答えたし、さすがに詰まってしまって男から教えられた花もあった。 そんなエ合だったからタミエは、いつのまにかあの花のことを忘れてしまっていた。 正午のサイレンが聞こえた時、二人はちょっと木が途切れた、草ばかりの平らな一すみに 来ていた。そこからまた急な斜面になっているきわまで行くと、どこからどう伝って来たの か細い水の、光りながらくねくねと下へおりて行くのが見えた。その辺は、秋にはミゾソバ でいつばいになるのであった。 秋にはミゾソバが咲くだろうな、と男が言った。その時遠いサイレンが聞こえたので、男 は顔を上げてそれから腕時計を見た。おひるか。そして気がついてタミエに言った。うちは