った ( イギリスでは地方議会の与党幹部が行政各部門の監督責任者になる ) 。 プラマー氏としては、彼女の魅力とセンスで再開発に対する批判をかわそうとしたのであろう。彼 女も期待にこたえて活動を開始した。得意のサイン入りの印刷物が各戸に配られた。 「コペント・ガーデンのあとを放っておけば、オフィスとホテルと家賃の高いアパートしかできな いでしよう。地域住民の要求を入れさせるために業者とある程度の取引きをすることは必要です。計 桜や草花を植えることです。違ったアイディアをもって 画の重点はこの地区にもっと公園をつくり、 いる人、何か心配のある人は私に手紙を下さるか電話して下さい」 ロールス・ロイスをのりまわす銀行家の夫をもち、小学校にいく娘のいる彼女は、住民の家を一戸 一戸夜たずねて説得にあたるわけにいかないため、市庁舎での昼食会にまとめて招待すると、親子代 々コペント・ガーデンに住む貧乏人達はおっかなびつくり、ろくにロもきけなかった。しかし住民の 話をきけばきくほど彼女にはその不満がもっともなように思われ、オフィスやホテル、商店街より、 ・センターを重視し、歴史的な建物を保存するよう計画を修正することをはか 住宅、公園、レジャー った。しかしこの考え方は、大口ンドン市の保守党内部および業者からみれば、再開発計画を内部か らこわす裏切り行為ということになり、彼女は庁内で孤立した。切羽つまった彼女は、住宅の割合を 多くするため、政府の環境省の介入を求めようとしたが、この案も再開発委員会で七対六で否決さ れ、彼女はプラマー市長に辞職の手紙を書いた。 「ロンドンの歴史的な遺産に対して、不必要でとり返しのつかない損害を与えることになる計画の 210
ために働くことはできません。われわれの計画は時代おくれであり、個性のないコンクリートのジャ ングルをつくろうとするものです」 市長も直ちに彼女に手紙を書いて反論した。 「われわれは、業者の身勝手さをおさえる力をもっているはすです。住民の意見もかなえているで はありませんか」 しかしこの勝負は、プラマー市長の都市政策、ロンドンの未来像が時代からずれていることを示し たものだった。七三年はじめ政府は大口ンドン市の計画を原則的に承認したが、条件として、この地 区の二五〇の歴史的な建築物は残すこと、住宅の建築戸数を、一 ( 三〇〇から四、〇〇〇戸に増やすこ とを命じた。計画をねり直すために住民と協議することも勧告した。 ソーホー界隈で捕ったエロ事師や暴力団員が出廷するボウ・ストリートの簡易裁判所や警察署、由 緒あるいくつかのレストランなどが保存を要する建物に指定され、彼女のかっての同僚達、歴史的建 築物委員会を喜ばせた。 もらろんこれで事態が解決されるわけではない。古いレストランを保存する結果として、トラファ ン ルガー広場周辺の車の混雑を緩和するはずだったバイバス道路の建設は中止になったし、この地区の ン四分の三を買い占めた開発グループがどう出るか、また民間の開発部分を減らすと再開発の資金調達 はどうなるか、低い収入の住民に安い家賃の住宅を供給することができるか、問題は復雑である。し かしコペント・ガーデンの教訓は、再開発にあたっても、地域の性格と空間を残さなければ、計画は
して、近くに一、五〇 0 台まで収容できる無料駐車場をつ くった。このセンターの周囲に市役所をはじめ公共の建物 があり、レクリエーションの施設は、住民全体に便利なよ ジうに町の中央を北から西にかけて帯状に並べた。工場地区 ネ プは鉄道の線路をはさんで町の東の端に配置し、住宅と完全 テに切りはなされている。ショッビングは中央のセンターの ス ショッビング・センタ ほか、六つの地区にそれぞれミニ・ ン ウ ーがある。 々 / さて住民は、ステイプネジの市民となると、市役所から ジのハンドブックを渡される。町ができたいきさ つに始まって、公共機関の場所、病院、学校、教会、映画 ーリング場、政党の支部から老人クラブ、盲人のた めの庭園、この地方の霜よけの注意までかきこんだ便利帳 である。 住民の半分近くが職をもっているが、ロンドンに通勤しているのは、一〇パーセントにすぎない。 これは、ここで働いている人に優先的に入居資格が与えられるためである。市議会は夜七時半から始 まる。 ュ 238
Ⅳ北アイルランド残酷物語 聖マシ = ーズ教会の暗闇の銃撃戦から一年半、北アイルランドの事態は大きく変わっていた。まず 七〇年秋、自治政府は非合法デモの参加者あるいは警官隊や軍との突への参加者全員を逮捕でき、 最高六カ月の刑に処すことのできる治安立法を行ない、施行後三カ月籐に二七〇人を逮捕した。警察側 は、これでは逮捕者が多くなりすぎるとして、悲隝をあげ、政府に改正を申し人れたほどであった。 側は、これに対してゲリラ戦術を次第に強化した ため、七一年七月には、特別権限法にもとづく予防拘禁が 信実施された。この制度は、当局が不隠分子と認める者を裁 判なしで拘留するもので、実施第一日に逮捕されたおよそ 五〇〇人の中に、—のガンマンらしき者は暫定派、正 軍統派合せて一三〇人程度で、残りはシン。ハあるいは公民権 の運動の指導者など、何故逮捕されたのかわからない人も多 街かった。 スカトリック住民は、あげて憤激、ガンジーの不服従連動 アにならって、固定資産税、電気、ガス料金、公営住宅の家 フ 賃などを支払わない運動がはじまった。 暫定派は無差別の爆破作戦を強化し、ベルファー の中心部の商店などは軒なみに被害 スト、ロンドンデリー 3
つきりしてきた。このため七一年四月、政府はカプリントンを断念して、ファウルネスに新空港を建 設することを発表、住民が驚喜したという次第である。 この決定に対して航空会社側は、たとえロンドンとファウルネスの閭に高速道路が敷かれても遠す ぎるという事実には変りはなく、どこまで利用されるかわからない、むしろバ 1 ミンガム発パリ行き とか、マンチェスター発フランクフルト行きといった国際線の分散がすすむのではないかといった悲 観的な見通しを示して、新空港の建設を白い眼でみつめている。またファウルネス地区の住民は、空 港施設が主に海岸の埋め立てや、空軍の射撃場の転用でつくられ、関係住民が少ないことから、声が 小さいきらいはあるが、貴重な海鳥の生息地が失なわれると反対している。 しかし、この決定の意義は、内陸部での空港の建設で経済的に何が得られるかということより、そ の結果何が失なわれるかということを重くみる先例がつくられた、いわば発想の転換があったことに ある。 この決定と前後して、イギリスでは空港周辺の騒音防止や損害の補償にいくつかの進展がみられた。 ロンドン、ガトウィック空港の第二滑走路建設は不許可となり、現在の滑走路を三〇〇メートル延 長する工事は、その結果附近の住宅に二五〇メートル近づくことになるとして、騒音を消すために高 さ七メートルのコンクリートの壁をつくることが義務づけられた。ルトン空港では、周辺の五万人が 影響をうけているとして、固定資産税を減額する措置がとられた。イギリス空港公社は、騒音の大き い旅客機に対して、懲罰的な追加使用料を課することを検討しはじめた。 232
は道路建設にあてられ、徹底した歩道と車道の分離が行なわれた。この金額はカンバ ーノードの人口 が将来七万人となることが計画されているので、現在および将来の住民に一人当たりおよそ一〇万円 2 をかけたことになる。ステイプネジでも、自転車のための道路が一部別につくられたりしているが、 ここでは、歩道が車道を横切るということはなく、すべて歩道橋かトンネルを使う立体交差となって いる。このため六二年から六四年までの三年間は、交通事故による死者はゼロを記録し、その後も交 通事故によるけが人は全国平均の四分の一で、イギリスで最も安全な町といわれる。 もう一つは、駐車のための施設で、自動車の発達への配慮が足りなかったスティブネジの経験を生 かして、現在は各家庭の三分の二しか車をもっていないが、あらかじめ全戸にガレージをつくった。 また五軒に一軒は来客か配達などで車による訪問者があると想定して、そのための駐車のスペースを とった。 一九六九年に住民の意向調査を行なったところでは、八四パーセントがこの町に満足し、七五バ セントはグラスゴーなど前に住んでいたところより生活条件はよくなったと答えている。 ミルトン・ケインズ、ロンドンとバ ーミンガムの中間、高速道路ー一号線のそばにつくられるこ のニュータウンは、一九六九年に基本計画ができたばかりの青写真の町である。八一年に人口八万人 程度、九〇年に一五万人になることを考えている。現在このニュータウンのセンターとなるべきとこ ろにあるのは、七一年から授業をはじめた放送大学の本部だけである。
いは、その建設で地域の生活のレベル、質はよくならなければならない、地域の環境を生かし高める ものでなければならないということである。そのためには、大都市の人口緩和をめざすという第一の 目的が十分果せなくても止むを得ないし、それは当然だという考え方である。第一号のステイプネジ で、人口は当初の計画が一四万人であったのを八万人を限度にし、その後は第二世代が世帯をもつよ うな時だけ、住宅の建築を認めるというきびしい態度をとるようになったのは、この現われである。 重点はあくまで住民のための内容の豊かな生活の実現である。 ここでは、三つのニュータウンを訪れようと思うが、その前にニュータウン建設で中心的な役割を 果している開発公社の機能だけを説明しておこう。 開発公社は、役所でも民間のディベロッパ ーでもない。 ニュータウンの建設予定地域は、いくつか の町村にまたがり、しかもそれらの自治体には都市計画をすすめる能力も人員もないために、開発に ついて独自の権限をもった公社を設立して計画を推進し、町づくりがある程度すすんだ段階で、町村 を合併して新たにできるニュータウン当局の計画および開発部門として吸収させるという仕組みとな っている。 したがって公社は、ニュータウン建設の基本計画をつくり、 環境省などと協議する一方、公聴会、 説明会を通じて、関係者や地元住民の意見をきく。政府から正式に建設許可がおりると、契約および 収用で用地を取得し、一切の工事を行なうのである。公社には理事会と計画専門家の専務理事のもと に事務局がおかれる。理事会の構成を一番新しい中部ランカシャー地区に建設予定のニュータウンに
これに対して保守党政府は、国民投票に付する方式は、イギリスの議会制民主主義の原則に反する としてこれをしりぞけた。それでは七三年三月北アイルランドの将来を決める住民投票を行なったの は何故か、北アイルランドは、本来イギリスの一部ではないということなのか。本当の理由は、世論 調査の動向からみて、勝利をおさめる自信がなかったこと、投票が行なわれる場合、加盟の賛否をめ ぐる保守、労働両党の内部分裂が表面化するのを恐れたことが考えられる。 しかし、愛国的なイギリス人のこと、もし国民投票が行なわれていれば、あるいは総選挙が行なわ れていれば、たとえわずかの差でも加盟支持が反対を上廻り、加盟をめぐってもやもやしている国民 になんらかの刺激を与える結果をもたらしたことであろう。 @(-) 加盟は、そうしたハプニングもなく 実現し、国民は腕ぐみをして政府のお手並拝見と、もよう眺めをきめこんでいるわけである。 @0 加盟法案が上院で審議されたとき、上院に議席をもつ前労働党首ゲイッケル氏の未亡人は、 「第一回の加盟申請当時、夫は加盟に反対していましたが、もし生きていたら、今度の加盟に賛成し たと思います」とのべた。これに対して、ゲイッケル氏の死で労働党首となると直ちに彼女を上院議 員に推せんしたウイルソンの方は、首相だった七〇年に三度目の加盟の申請をしながら、交渉がまと まると反対にまわった無節操で無原則な政治家であるとしてマスコミから袋だたきに会った。そして 加盟賛成を貫き通し、副党首の地位もすてたジェンキンズ前蔵相は政治家の鑑であるかのように 賞揚された。 ウイルソンの反対論は、先にもふれたように、悪い条件でまで加入することはない、イギリスは十
この基本計画の策定にあたって問題となったのは、第一にニ、ータウンがはじまって二〇年あまり の経験を最大限に生かすということと、第二にこの町が完成する二〇世紀の終りには、住民の収入も 現在の倍にふえて、生活が物心ともに豊かとなり、レジャーを創造的にすごす必要にこたえなければ ならないことであった。 この結果でてきたのが、住民に住宅を与えるのではない、環境を与え、将来さまぎまな欲望に従っ て自由に活用させるのだという考え方であった。現在予定地内にある木は切らない、むしろ今から木 を植えておくべきだということで、数十万本の苗木が植樹された。さきに述べたようにガプリントン にロンドンの第三国際空港がつくられるようになった場合は、このニ、ータウンの予定地をかなり削 りとられることになったのだが、開発公社は、ニ = ータウン建設の目標と空港の建設は矛盾し、現在 および将来のこの地域の環境を破壊することになるとして、反対の意見を具申した。 基本計画によると、総工費は九五年まで二五年間に七億ポンド、このうち半分は公社が国庫からの 借人金 ( 六〇年償還 ) で調達、四分の一は自治体が負担、残りの四分の一は民間の資金が使われる。民 間の資金がこれほど多く利用されるのは、ミルトン・ケインズがはじめてである。これは、ニ 1 タ る 守ウンの建設が十分ペイする事業であることが次第に認識されてきたからであるが、もう一つは、日本 ーのふところに人ってしまう開発による土地の評価差益が、そのまま開 境では普通民間のディベロッパ 環 発公社に人ってくるため、償還が確実であることがはっきりしているからでもある。つまり開発公社 は、建設予定地で独占的な地位をもっているので、市街予定地やリクリエーション施設の予定地など 241
が行なわれたという話はきかないのである。その代りに行なわれたのは、まず王立諮問委員会をつく って石炭ストープを無煙炭を使うように改造したり、石油、ガス、電気を使うストープに転換するコ幻 ストを計算し、大気汚染防止法を制定する答申を三年かけてまとめることであった。 イギリスの公害対策は、大気汚染、汚水、騒音といった個々の問題の規制の内容あるいは基準の決 定などで、常に世界を一歩先んじているというわけではない。むしろイギリスがあまりポロを出さな いのは、むしろ個々の対策を包含した広い意味の開発政策の運営の妙にあるといってよい。 都市計画や土地の開発の規制について政府および地方自治体は強力な権限をもっている。土地は地 主のものであっても、地上権は女王のものといわれる。例えば、一九七二年のはじめ・フリストル郊外 にある世界有数の鉛および亜鉛の溶解工場で、設備の欠陥から生産過程で鉛の粉じんがもれて従業員 に鉛中毒を起こし、二カ月間操業を停止するという不祥事件があった。しかしこの事件の処理はさて おいて、この工場の風下に住宅団地をつくる計画があったのを、地元の町当局が万一の場合を考慮し て、住宅建設を認めなかったために、一般住民に直接の被害が及ぶのは未然に防がれたことはあまり 知られていない。またこの逆の場合、もし住宅があるところにこの工場を建てようとしても、自治体 は工場の建設を認めなかったであろう。 わが国にとって適切でない例かも知れないが、ロンドン郊外ケント州のショートランズ・ゴルフ・ コースが経営難のため売りに出され、これを買取った不動産会社が、そこに三〇〇戸の住宅を建てる 計画を自治体当局に提出したが却下され、環境省に不服の申立てをしたが、再びしりぞけられた。却