西ヨーロッパ - みる会図書館


検索対象: イギリス 伝統社会の断面
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1. イギリス 伝統社会の断面

Ⅲョーロッパ連合イギリス王国 国との関係改善をめざす東方政策を後顧の憂いなくすすめるため、イギリスの加盟による西ヨーロッ パ諸国の新たな団結を必要とした。 アメリカ国内で、アメリカ軍の西ヨーロッパ駐留に批判的な空気が強まり、駐留をいつまでも期待 できないことが予想されるようになった。 こうした情勢は、イギリスが将来を@O にかけざるを得ない立場に追いこんでいった。といって も、是が非でも@O に入らなければという世論の動きもなかったし、そのような国内要因の指摘が強 一旗くなされなか 0 たことはたしかであ る。七〇年六月からの第三回加盟交渉 の 諸でのイギリスの公式の立場は、「加盟 がイギリスの安全と繁栄のために役立 つものであり、満足のいく加盟条件が れ ナ得られるのなら入ればよいではない ッヾ こか、イギリスの加わらないヨーロ 前 共同体が、長期にわたって安全と繁栄 会 議 を維持することはむずかしい、イギリ ス スを人れた方がお得ですよ」というも ギ イ のだった。この出発点では、当時の労

2. イギリス 伝統社会の断面

一九七三年一月一日、イギリスは拡大された c-@ 0 、ヨーロッパ共同体の一員となっ 三度目の正直 た。二千年前にローマに征服された地方が、 O 設立についてのローマ条約の体制 に、二〇世紀も四分の三近く経過したところで、くりこまれることになった。 ヒース首相のいうように、への加入がイギリスにとって、平和時における最も重要な決定であ り、イギリスの次の一千年間の運命を決める可能性があることは、たしかである。 1 の町とドーバ しかし、一九七一年秋、下院が加盟を原則的に承認した夜、イギリスのドーバ ー海峡をへだてた対岸のフランスのカレーの町で、かがり火がたかれても、また一九七三年正月正式 加盟を記念して、「ヨーロッパのためのファンファーレ」と名付けられた行事が始まっても、今一つ 興奮の盛り上がりがなく、心なしか空しさが残るのは何故だろうか。 一一度の大戦で、数十万の死傷者を大陸で出した国がヨーロッパの一員となった、ヨーロッパ市民と なったと大騒ぎしなければならないところに問題がありそうである。イギリス人は、ヨーロッパ人と して生れたのではなく、ヨーロッパ人になろうとしている。むしろ仕立てあげられようとしていると ころに原因がある。イギリスがヨーロッパの一部であることは、昔も今も変らないが、イギリス人 拡大@0 加ス

3. イギリス 伝統社会の断面

ユダヤの世界参 78 。円 Ⅱヨーロッハ九つの顔伴野文夫 0830 円 食生活と文明。 95 。円 ・中東横断 . は、ニつの旗萩野弘巳・ 830 円 地中海人間和田勉・ 98 。円 メルポルン・ノート及川甲子男 0800 円 ) Ⅲ費の時代 0800 円 職人の世界・ 85 。円 アジアの自然中坪礼治・ー 4 。。円 2 ・イツとド′ 4 ツ人加藤雅彦・ 900 円 非浪費型 .950 円 工、不ルーー社会〈の道 角放南ベトナムい罸矩生・ 8 。。円 東ヨーロッパ版加藤雅彦・ 950 円 企業と社会 5 。円 イタリアとイタリア人柳沢修・ 800 円 z 「。 . 、特派員の国際体験〕本放送出版協会編・。。。円 乙ウィーンの東小林和男・ 8 。。円 アジアの民芸・ 9 。。円 ボルガを下る・ 90 。円 ・ 9 00 円 新・中国取材記—活 ・ 9 00 円 ・ミ ( 新・中国取材記Ⅱと 世界の鉄道。 85 。円 世界の遊園地・ 9 。。円 アメリカ・もう一つの報告・ 9 。。円 = ・ ' ・ " ュ、オーストラリア—・Ⅱ福島健次。各。。。円 ヒマ一フャ 400 キロ・ 95 。円 フ一フンス人」日本人萩野弘巳・ 750 円 一したたかな人間たち中谷和男・ 75 。円 ハルビン 瀋陽・ 900 円 、い、新・中国取材記Ⅱ 大連

4. イギリス 伝統社会の断面

は、島国であることを利用して、その事実に時々目をつぶって、ことをすませてきたのである。 イギリスが第二次大戦後、 0 の母体であるヨーロッパ石炭鉄鋼共同体などに加わらなかったの は、結局は、イギリスが戦争で国土を痛めつけられたとしても侵されたことはなく、都市も経済も他 の西ヨーロッパ諸国ほど損害をうけず、また主にアメリカの援助で勝った認識から、ヨーロッパ統合 の必要性も心理的にさほど強く意識しなかったためだった。諸国が戦後の復興に協力しようとしてい るときに、イギリスは国際収支の赤字と植民地の変化に心を奪われ、英連邦への義務から、単なる協 力関係を越えた結びつきを西ヨーロッパともっことをためらった。 イギリス人自身は、秘かにもしイギリスが最初から c-@ O に入っていたら、主導権をとっていただろ うと考えている。動揺の激しいラテン諸国と、不安をかきたてるゲルマン諸国の間に、「冷静で妥協 的な」イギリスが加わっていたら、諸国は、軍事、外交、経済の各分野で安定成長がもっと進ん 王でいただろうと考えている。もちろんこれは、イギリス人の自負心を示すだけのことであるが、故ド ス ゴール大統領が、六二年と六七年の二度にわたってイギリスの加盟申請を拒否したのも、イギリスの ギ 合当時の〃強さ〃を意識していた一面があったことは明らかであった。 しかし、イギリスが対岸から様子をながめている間に、フランス、西ドイツ、イタリアにオランダ、 ベルギー、ルクセイフルグが加わった o は、一九五八年一月 O 設立についてのローマ条約が発効 したのち、六九年までの過渡期間に経済を急速に発展させただけでなく、域内諸国間の関税を段階的 に引き下げ、撤廃し、対外関税を統一させ、共通農業政策を実施した。また労働の移動の自由など政

5. イギリス 伝統社会の断面

ただ問題は、経済政策の統合なしに通貨統合は不可能であろうし、通貨同盟の方向にすすむにつれ て、イギリスがポンドを時々切り下げることで経済を維持するのはむずかしくなってこよう。 西ヨーロッパのトップ企業二〇〇社の中には、イギリスの企業がおよそ五〇社含まれている。これ らの企業は、これまでヨーロッパの外に拡がることで規模を大きくしていたが、 O への加入で、今 後はヨーロツ。ハに進出することになる。多くは、ウォーカー通産相に指摘されたようにまだもよう眺 めの状態だが、進出を促進するかどうかは、各国共通の会社法や税制についての規則が今後どの ようにきまるかにもかかっている。この規則にからんで、西ドイツなどで行なわれている労働者の経 営参加制度がイギリスにも適用された場合、イギリスの労働組合は、目を白黒させることになろう。 西ドイツやオランダの例では、重役会のほかに株主や労働者が参加する監督理事会があって、会社の 解散や工場など一部施設の廃止、企業の急激な拡大あるいは縮小、組織の重要な変更、他の企業との 国 王協力関係の開始あるいは終了などについて意見をきく仕組みとなっている。このような制度は、斜陽 っ化したイギリスの産業労働者にとって経営者側との格好の話し合いの場をもたらすことになるはずだ 合が、反面これまで気にかけなかった経営責任への配慮が必要となってこよう。 O に入るということはイギリスの独自性を捨てることではなく、新たにヨーロッパ性をつけ加え ることであり、イギリス単独では得られないものを共同でつくり出すことなのだが、加入にあたっ て、国民的な合意が得られなかったために、発想の転換が十分なされていないのが目立っている。 101

6. イギリス 伝統社会の断面

治・社会面でも協力の実をあげ、一九八〇年を完成目標とする経済通貨同盟の創設に動き出していた。 イギリスが O 諸国に経済的にかなわないことは、だんだんはっきりした。フランス、西ドイツ、 ベルギー、オランダとイギリスの一人当たり国民所得は、五八年にはほば同じだったのが、六九年に は諸国はイギリスを二五バーセントないし五〇パーセント上廻り、イタリアがイギリスに追いっ た。各国の物価や社会保障の水準などからみて、イギリスになお暮らしよい面があるにせよ、 @O の 外にあるイギリスがおくれをとりつづけていることはたしかである。 一方英連邦は、イギリスを盟主とする効果的な政治・経済・軍事プロックに成長するというより は、政治的、経済的に独立した国々のゆるやかな結びつきといった性格にとどまることがはっきりし てきた。これらの国々を防衛するためイギリス軍を世界中に配置することは、政治的に正当化しにく く、財政的にますます困難となってきた。 伝統的な米英関係も、アメリカの地盤沈下とともに変質し、イギリスの地位を相対的に低くした。 イギリスがドゴール大統領から「よいヨーロッパ人ではない」ときめつけられたのは、いつも大西洋 の方を向いて、ヨーロッパ大陸の方をみない姿勢の悪さも原因の一つだったが、今やイギリス自体 が、アメリカ、ソビエト、中国や@O 、日本の影力の下に姿を埋没してしまう恐れがでてきた。 ール引退と前後して、フランスは西ドイツの経済力に圧倒され、西ドイ @O 内部も、六九年のドゴ ツの影響力を弱める均衡機能を求めた。そのためにイギリスがドゴール的なヨーロッパ像にある程度 忠誠を示せば加入を認めようという変化がでてきた。一方・フラント首相の西ドイツは、ソビエト圏諸

7. イギリス 伝統社会の断面

前回はこうした議論について、ウイルソン首相と労働組合の間にある種のコンセンサスができあが らないうちに、政変で所得政策そのものが吹き飛んでしまったが今度はどうなるか。少なくともヒー スと組合の間には共通の場はまだできていないようである。 ロンドンの繁華街オックスフォード・ストリートの東のはずれ、地下鉄トテナム・ 不動産投機 コート・ロードの駅を出ると、見上げるようにそびえたっ三二階建てのビルがある。 一九六五年に建てられた当時は、ロンドンでも最も高い建物として話題になったが、一階が銀行の支 店として使われているほか、人っ気はなかった。 七三年はじめになって、このセンター・ポイント・ビルの店子を求める大きな広告が、東京の新聞 にも掲載された。オフィス面積一万四、〇〇〇平方メートル、ショールーム二、五〇〇平方メートル、 一五〇台収容の駐車場、三六世帯分のア。ハート、 屋上レストラン、「この豪華な複合オフィス・ビル をイギリスの@ O 加盟を機会に、ロンドンあるいはヨーロッパ本部として使いたい組織に特別の条件 で提供します」と書かれてあった。 日本企業の西ヨーロッパ進出をあてこんだたくみな広告のようにみえるが、日本の新聞にまで広告 をださなければならなかったいきさつは次の通りである。 一九六五年にこのビルが建てられたとき、家賃は一平方フィートあたり一年三ポンド、建物の評価 額は六四〇万ポンドであった。七年たって大気の汚れのためにビルの窓わくもさびだした七二年、持 主が要求している家賃は一平方フィート六・五ポンド、評価額は二・七倍の一、七〇〇万ポンドとな 180

8. イギリス 伝統社会の断面

これまでの計画では、トンネルはイギリス側のフォークス トン郊外とフランス側のカレー郊外を結び、全長五〇キロあ まり、海底部分三〇キロあまり、建設費は七二年の価格で三 億七、〇〇〇万ポンド、キロあたりの建設費はロンドンの地 下鉄工事とほば同じと見積られている。トンネル通過時間は 四〇分あまりで、これまで連絡船を使うと七時間二〇分のロ ンドンⅡバリ間が、三時間短縮される。なおこのトンネル は、複線の鉄道トンネルで自動車も貨車で運ぶが、自動車が 走れる道路トンネルをつくる計画は、今後内部燃焼エンジン が発達してもない。観光客の増加と自動車の発達で、八〇年頃完成すれば、年間三五〇万人前後の人 と二二〇万台前後の自動車、五五〇万トン前後の貨物を運ぶことになるとみられている。トンネルの 工事自体は、ドーバ ーの白いがけにもみられる石灰岩を掘りすすむため、技術的にはそうむずかしい ものではない。 トンネルが完成した場合、イギリスとフランスの間、さらにはヨーロッパにどのような変化がもた らされるであろうか。海をへだてた偏見が減り、心理的な結びつきが拡がることはたしかであり、こ の傾向は、観光客の往来の増加で促進されよう。 観光客が増えるのは、トンネルが開通すればヨーロッパの観光旅行に、鉄道を活用する転機がやっ レ イ ( ハカ スい " 3 ストン 1 10

9. イギリス 伝統社会の断面

イギリスの QO 加盟で QO は大きくなった。反面はっきりしたのは、はこれで経済共同体とし ての安定期に入ろうとしているので、オランダなどの主張に反して、政治統合はおくれるということ である。これは国家の独自性をあくまで守り、プリ = ッセルにあるæo 委員会の権限を押さえようと するフランスのポンビドー大統領と、æo に入ることでイギリスの主権を喪失することを恐れるヒー ス首相の握手で、この拡大@0 が実現することになった事情による。 フランスのストラスプールにあるヨーロッパ議会を、現在のように各国議会の代表によるものでは なく、将来は普通選挙で選んで、 @0 の運営改善にあたらせよう、できれば数年以内に各国の国境を こえた政党をつくって比例代表制の議会をつくろう、という考え方が、ヨーロッパ主義者の間で熱っ ほく語られている。民主主義的な議会制度をつくりあげるという形で人類の文化に貢献したと自負し ているイギリスとして、当然推進しなければならないところだが、慎重論もある。それは特に言葉の 問題である。演説は同時通訳できるが、心をかよわせあう討論のニュアンスは同時通訳できない。近 くなったとはいえ、本当は相変らずお互い違う国なのだ。イギリスで小学校の三分の一がフランス語 を教えはじめたような段階で連邦などっくる可能性はまだない。国家連合がやっとのところだろうと いうわけである。 経済面その他では、七三年春に通貨協力基金、地域開発基金を発足させ、夏には共通の環境保護計 画、暮れに雇用、消費者保護など共通の社会政策をまとめ、七四年から経済通貨同盟が第二段階に入 り、八〇年に完成させるというプログラムがある。 20

10. イギリス 伝統社会の断面

分一人でやっていけるといういささか古めかしい考え方である。しかし彼の考え方は、現実政治家ら しく、国民のかなりの部分、特に労働者階級の考え方にそうもので、マスコミから叩かれた割には、 彼に対する支持率は減っていない。 ウイルソンの本音は、 #-ÄO 加盟の成果は当分期待できず、仮に成果があるとすれば、その果実は必 ず保守党のものになるという判断から、あえて党内主流の左派とたもとをわかってまで加盟賛成にま わることはない、たとえヨーロッパの友党たとえば西ドイツ社会民主党ののブラント首相を裏切る結 果となっても、世論に迎合し安易な道を選ぶ方がよいというところであろう。政権をとったら、 QO 諸国と交渉し直して、イギリスに有利な条件をからとると約東しているがどうなるか、ウイルソンの 泣き所は、大英帝国の過去を否定しながら、ヨーロッパに将来をかけるのも合せて否定し、国民に新 しい国家目標を与えていないことである。 国 王 @O 加盟問題についての上院での討議で、レザーランド卿が次のような質問をした。 ス変化の実態 イギリスの五ポンド紙幣の表に、女王の肖像がのっているのは当然として、裏側に ギ 合ウエリントン将軍がナポレオンのフランス軍を打ち破っているもようが画かれているのは、 O 加盟 を前におだやかでない、政府は裏側のデザインを改めるべきではないかというのである。政府側は直 ちにその意向のないことを明らかにした。このやりとりよ、 ~ いかにもイギリス風のユーモアたつぶり のものだが、イギリス政府が、æo 加盟による刺激、変化を求めながらも、加盟に批判的な世論を考 慮して現実生活の上ではなるべく波風を立てないようにつとめている表われの一つである。