彼女は板きれを振りまわした。男たちは、飛びのくようにして彼女の通り道を開けた。彼女は カウンターに置かれた酒を叩き落とし、椅子をひっくり返した。彼女を避けようとする男たちの 背中や足を叩いて、荒れ狂っている。 みんな入口の方へ逃げだし、ロぐちに文句を言っていたが、それも浮かれ半分で楽しげだった。 スティーヴン、ニック、マイケル、アクセルの四人はいっしょになって外へ逃げだし、舞い落 ちる雪のなかに立っていた。 「これでいいんだ」スティーヴンが言った。「こうでなきや。さあ、やるそ ! 」 ニックが笑った。「おふくろさんに追い出されるくらいでちょうどいいんだ。あんまり気楽に 構えすぎるのもどうかしてるからな」 「そのとおりだ」アクセルが酒に酔った妙な口調で合づちを打った。 スティーヴンの母親が、顔を赤らめて出てきた。まだ板きれを手にしている。スティーヴンの 顔を見つめると、板きれを握る手をゆるめて地面に落とし、泣きはじめた。 「この子ったら。まったく : : : 見も知らない女に : : : おなかの大きい女に : : : 自分の母親を置い ていくなんて ! 」彼女はスティーヴンに駆け寄って、その腕のなかへ身を投げだした。 「母さん : : : 」 「自分の母親に、一日も休まずに毎日二回もミサに通ってきたこの私に、こんな仕打ちをするほ
「あいつらめ ! あの女郎ー タイヤの空気を全部 : : : 」 彼は大振りのパンチを外し、からだを泳がせるようにして床へ倒れた。ロのなかでは、わけの わからないことをつぶやいている。 リンダの頬を涙が流れた。 , 彼女は、泣きながらその場にじっと立ちつくしていた。 「女郎め。きさまら全部だ ! 」父親はカーベットに向かって早口にロばしった。 リンダはその部屋を出、自分の部屋へ入ってクロゼットからスーツケースを取り出した。 マイケル、ニック、スティーヴン、アクセルの四人がカウンターにのりだすようによりかかり、 その反対側からはジョン・ウエルシュが顔を突き出している。みんな、ジュークポックスでかか っているドリー ートンの歌にハモらせてうたおうとしているのだ。うまくハモっているのは きれいな声をしたジョンだけなのだが、みんな音程の違いなどわからないくらいに酔い、それそ れに十分楽しんでいた。 スタンは、玉突き台を使う順番のことで、太ったトラック運転手と言い合いをしている。口論 はだんだん激しくなっていった。 店はあいかわらず騒々しい男たちであふれている。 奥の部屋から金切り声が聞こえてきた。
マイケルが口を拭った。「おい、狩りをするなら行こうぜ」 彼らはビールの罐を置き、車を降りた。アクセルがトランクを蹴とばして開ける。空をピンク に染める夜明けは、つかのまの命た。空はまた雲におおわれてどんよりした灰色になり、谷間を 抜ける冷たい風が吹きはじめている。彼らのよれよれになったタキシードを、刺すように吹き抜 けてゆく。みんながそれそれの荷を開けて装備を取り出し、フェンダーに掛け、シートに積んだ。 着替えるのだ。 「おー寒い ! 」ノ、 。、ノッ一枚になったジョンが言い、大急ぎでズボンを引きあげた。 ニックがちちこまっている。「ちくしようー 凍りついちまうぜ」 「まったくだ ! 」 「マイク」スタンが呼びかけた。「おい、マイク、余分な厚手のソックスをもってないか ? 」 マイケルは、すでに装備を整えている。彼は車から数歩離れてしやがみこみ、頭上にそびえ立 っ山腹の地形を調べていた。 スタンは、ごちやごちゃになった自分の荷物をひっかきまわしている。「おっと。もう、 マイク。あったよ・ : プーツはどこへいっちまったんだ ? その辺に俺のプーツはないか ? 」彼 はトランクをひっかぎまわした。「俺のプーツをとったのは誰だ ? 」 彼はうしろの座席へまわり、空になったソーセージの袋やビールの罐を投げ捨て、他の者の道
「さて、ボウリングはもう十分だと思うけどな」スタンが言った。「みんな、何したい」 「猟に行こうかと思ってたんたが」アクセルが答えた。 「誰がおまえに訊いた ? 」スタンが言った。 「俺はマイクに言ったんだ」アクセルが答えた。「奴なら行くさ。だが、女はだめだ」 「そう、マイクなら行くよ」ジョンが合づちを打った。 ュなっマイク ? 」 マイケルはためらって、 リンダに目を向けた。ふたりはしばらく見つめ合っていたが、やがて リンダがレーンから歩き去っていった。マイケルは、彼女のうしろ姿を見つめていた。 「行くさ」彼が答えた。 アクセルが自分の腿を叩いた。「当然だ ! 」 スタンがびよんびよん跳びはねている。「むかしみたいだな ! ええ、マイク ? そうだろ ? 」 「まったくだ ! 」マイケル、アクセル、ジョンの三人が、声をそろえて言った。 年 風がマイケルの頬を刺して赤らめ、雪を運んで山の高い尾根を吹きぬけてゆく。すでに二時間 前に夜は明けているのだが、空は灰色で薄暗い。葉を落とした木々は銀色の氷に覆われ、唸りを郷 あげる風が枝をきしませ、その折れ目が氷に包まれて見え隠れしている。 マイケルは一対の足跡を追っていた。足跡の穴のまえに数インチ、足を引きずった跡がついて
かりだ , ーー不慣れな玄関にまで漂ってくる実家とはちがった匂い、自分のからだにはなじみのな いクッション。とにかく、すべてが違っていた。まったく未知の物ばかりなのだ。しかも、彼女 は妊娠している。アンジェラはおどおどし、動転し、混乱していた。 彼女はすでにウェディング・ドレスに身を包んでいる。ヴェールを手にとって頭につけ、ドレ ッサーの上に二本の棒でつけられている鏡のところへ行った。 きれいかしら ? 彼女はスティーヴンの目、彼の母親の目、彼の友達の目で、自分を見ようとした。 わからないわ。 そして、すでにはっきりとした丸味をおびている腹を平らに見せようと、息を吸い込んだ。効 果はなかった。 「困ったわ、どうしよう」彼女がつぶやいた。 彼女は腹から視線を外し、自分の目に見入った。 「しかたないわ」ごまかしを捨てて、彼女は言った。 頭を振り、しつかりと目を閉じ、やがてその目を開いた。 「しかたないわ」決心したようにつぶやいた。 顔をしかめた。 29 山脈 1968 年
部屋が静まり返った。見物人がテープルのまわりに寄った。うしろの方に、身をこわばらせ、 こみあげる緊張を抑え、平然とした顔をした男が立っている。マイケルだ。 男が、最後の賭け率をポードに書きこんだ。あいさつの意味で、ポトルとグラスがかかげられ た。その中国人のレフェリーが、銃を高くあげて一同に示し、弾倉に弾丸を一発だけこめた。 ニックはじっと目をこらして見つめた。 「一発の弾丸で」レフェリーが言った。「勝負を決します。一分を過ぎたら権利を失います」 彼は、ふたりのヴェトナム人のあいだに銃を置いた。 ニックはジュリアンの脇を離れ、人をかきわけてテープルへ向かった。 , 。 彼よプレーヤーのひと りをつかまえると、椅子から放り出した。その椅子にすわった彼は、バーのカウンターにすわっ て酒を注文する男のようにテー・フルにひじをつき、銃を取った。 マイケルは思わす目をしばたき、物想いから覚め、頭を振ってもう一度見つめた。つまったよ うな叫び声が出た。 見物人が呆気にとられているあいだに、 ニックは弾倉をまわし、撃鉄を起こし、銃口を自分の こめかみに押しつけた。見張りの男たちが、人々を押しのけてテープルへ向かった。 マイケルも、人々を押しやって前へ進んだ。「ニック、やめろ ! 」 ニックが顔をあげた。そして穏やかな、しかも鋭い目をマイケルに向け、引き金を引いた。 142
番に解放されていく。巨大な建物の中に作られた狭い通路では、壁にずらりと並んだタイムレコ ーダーのまえに、すすけた顔をし、汗ににじんだ作業衣を着た男たちの長い列ができている。大 ミまとんどが大きく逞 部分の者はまだヘルメットをつけ、ひさしの上にゴーグルをつけたままた。を しい男ばかりで、彼らの口から出る冗談も大声で品がない。 マイケルはタイムレコーダーを最初に押した。 / 。 彼ま中肉中背だが、均整のとれた逞しい若者だ。 その真っ黒な髪は短く、顔も浅黒い。顔だちは地味だが、穏やかな感じはハンサムとさえいえる。 表情はものやさしく内気で、ときにはひっこみ思案にもみえる。 彼のうしろには、自分のカードを手にしたスティーヴンが並んでいる。となりのタイムレコー ダーでは、彼と同時にニックがカードを押した。 ふたりともマイケルと同じ年頃で、背丈はいくらか高く、からだっきも大きい。張り出した頬 骨やしつかりした顎をみると、マイケルよりはスラブ系の特徴が目につく。彼らはいっしょにハ イ・スクールを卒業し、クレアトンの他の若者同様、すぐにその製鋼所へ働きに出たのだった。 年 彼らを見ると、もうかなり長いことそこで働いているようにみえる。そこには、小さな町の工場 労働者がもつアメリカニズム、あの退屈さと愛国心が見てとれるのだ。両親や祖父母は、自分た脈 山 ちが幼かったころの抑圧と貧困をいまだに忘れず、自分たちの新しい土地に対しては熱狂的な忠 ういう小さな鉄鋼の町。そうしたことすべてが、徴兵の理由になっているのだ。 誠を誓う、そ
動、あるいは最初の行動のやり直しの行動は、すべてを無にしてしまう。 二発目の弾丸を撃たないということは、自分の存在そのものが一発目の弾丸に左右されるとい うことだ。だからといって、撃たずにいることは許されない。そこには、あくまでも冷静な判断 力や自制、決断力、それに伴う実践への行動力が要求される。こうしたマイケルの信念は、自分 の置かれた状況が正気であろうと狂気であろうと、常に一貫している。そして、そういう彼だけ が、あらゆる状況をのり越えて肉体的にも精神的にも生きることを許されるのだ。 なお、この作品はユナイトの手で映画化され ( 一九七九年三月公開 ) 、このあとがきを書いてい る時点では、ゴールデン・グローブ賞主要六部門にノミネートされている。マイケルを演じるの あなたは、鹿を仕止めるのに何発の弾丸を撃つだろう ? 一九七九年二月 真崎義博 2 2 2
3 んっ ? リンダは真面目な顔をして首をたてに振った。 「本当かい ? 」彼はリンダの答えにもびつくりしたが、それよりも、自分がそのロで結婚を申し 込んだことに驚いていたのだ。「つまり、俺が言ったのは、もし俺たちが帰れたら : : : つまり、 俺たちが帰ってきたときに」彼は頭を振った。「何を言ってるんだか、ちくしよう、自分でもわ からなくなっちまった」 「たぶん、心にあったものが口から出てきたのよ」 く放り投げた。ドラムのロールをバックに、それはリンダの手に落ちた。 , 彼女がそれを受けとめ ると、ドラマーがシンバルを打ち鳴らした。 スティーヴンの母親がステージにあがった。両手に、なみなみとワインを注いだ、ステムの長 いワイン・グラスをもっている。彼女がふたりにそれぞれそのグラスを渡した。 「一滴もこぼさなければ」彼女が言った。「一生の幸運のしるしよ」 スティーヴンとアンジェラが、グラスを高々とさしあげて飲みほした。 人ごみのなかで、ニックがリンダに顔を向け、唐突に言った。「結婚してくれないか ? 」 リンダが顔を赤らめた。しばらくして、彼女は振り返ってニックの顔を見あげ、こう言った、
きどきな、おまえがホモ野郎に違いないと思うことがあるんだ ! 」 「おい、スタン、よせ」 スタンが拳で自分の手の平を叩いた。「先週だってそうだ ! ボウラドロームの新らしい赤毛 のウェイトレスを、ものにできるところだったのに。奴ときたら、だいなしにしちまったんだ。 奴がどうしたと思う ? 手も出さないんだぜ ! わかるか ? 」 「スタンー ジョノが、 / 冫。 彼こよめずらしく怒ってかみついた。「黙れ ! 」 マイケルはスタンを睨んでいる。無表情な顔をしているが、目つきはきびしく、輝いている。 その視線はちらりとも揺るがない。 ニックも、じっとマイケルを見つめた。 他の三人は、その張りつめた空気のなかでゆっくり後ずさりをはじめた。 ジョンが大きな手を振った。 「なんてことだ。おい、スタン、俺がブーツを貸してやるよ。俺 は車に残ってラジオでも聴いてるさ」 マイケルが遊底を動かして、弾丸を薬室へ送りこんだ。「俺は、だめだと言ったはずだ」 彼の声は、夜明けの山の静けさに、ムチの音のように響いた。 ジョンが身をこわばらせた。顔からは血の気が失せている。彼は自分の背後に立っているアク セルをちらりと見やると、あとのふたりも後ずさりした。