かった ) この " 大釜 ~ によってあくまギリス軍を撃破してトプルクをついがない。トプルクけ六月一一十一日、ロ で抵抗することにした。 た。狼狽したイギリス軍は、機甲師団ンメルの手におちた。 この危機にあたって、ロンメルのかを急派、反撃したが、これもたちまち 〔この日ヒトラ 1 は、ロンメルを元 すかな希望は、イギリス軍戦車がドイ撃破されてしまった。 帥にした。ときに五〇歳、ドイツ軍 ッ機甲師団の八八ミリ砲を攻撃して自 トプル では最年少の元帥であった〕 滅してくれることであった。対戦車砲 ク占領 一九四二年六月一二十日、ドイツ機甲 の力にたよるしか、この危機をきりぬ このロンメル機甲師団の戦術は、模師団は、英軍がながらく防備していた ける方法はなかったのである。 範的な攻勢防御である。戦車部隊と対マルサマトルーの陣地から、ほとんど ロンメルは、一時は飲料水の欠乏の戦車砲部隊を、敵にとって致命的な地無抵抗の英軍を駆逐した。 ため、不名誉ながら降伏もやむをえな点に前進させる。この地点には、対戦っぎに英軍のふみとどまれるところ いのではないかと、真剣にかんがえた車砲による防御幕がはられ、その後方は、アレキサンドリアの手前ではエル ほど戦局は悪化していた。 に戦車機動部隊がまちうける。攻撃をアラメインの防御地帯しかなかった。 八八ミリ砲を中心とする対戦車砲隊しかけてくる敵軍は、これに引きよせ マルサマトルーをおとしたドイツ軍 は、ロンメルの期待にこたえた。英軍られ撃破されてしまうのである。 は、敗走するイギリス軍とほとんどま は " 大釜。陣地に猛攻をかけたが、戦こうしてイギリス軍戦車部隊は、ガじりあうようにして、エルアラメイン 車部隊は射すくめられて、いたずらにザラでみずから壊滅してしまった。イに殺到した。双方の将兵ともみなクタ 損害をだすばかりであった。ドイツ機ギリス軍の戦車部隊は戦闘開始のときクタにつかれきっていた。 甲師団はビクともしなかった。 は数の上では優勢だったが、こうなっ ドイツ軍の戦車兵力は五〇両ほどに 数日後には、アフリカ軍団は攻勢にてはトプルクの歩兵を支援することなってしまい、補給品も輸送車両も、 でるにたる戦力の蓄積ができた。ロン も、エジプト国境で、機動的防御もでまた火砲のかなりの部分も、イギリス メルは、ただらに " 大釜。から出撃しきないほどに〈ってしまった。機甲部軍から捕獲したものであった。 た。主導権をにぎったドイツ軍は、イ隊がなくては砂漠での作戦は救いよう じっさい、このつかれはてたアフリ
ドイツ軍指揮官たちは、部隊の先頭にた。短期間で完全な勝利をうるのでな ここでもまた、ロシア戦線における と同様に、ドイツ軍の将兵は、逆境にたって戦場をかけめぐり、勇敢に戦っければ、アフリカ軍団はついに圧倒さ た。戦闘中に第一線でたおれた指揮官れてしまうであろう、ということを、 あっても、勇敢かっ巧妙に戦った。こ かれは知っていたのである。 の敗北にもかかわらず、アフリカ軍団もすくなくなかった。 英軍資材奪取 ロンメル将軍の新攻勢は成功をおさ 将兵の自信や、その指揮官にたいする 作戦ならず めた。一月のおわりまでには、イギリ 信頼はゆるがなかった。 ここでロンメルは、ガザラのイギリ 退却のとちゅう、かれらは追撃するス軍はべンガジを追われ、その前線地 イギリス軍に敢然と反撃をくわえ、そ帯にあったほとんどの部隊は、イタリス軍を撃破し、トプルクを占領し、そ のつど、自軍の何倍もの打撃をあたえア軍の助力をうけないドイツ軍独力のれから長駆、東にむかってエジプトに 突進し、スエズ運河の基地を占領し、 た。そして撤退線までさがると、すぐ攻撃で撃破されてしまった。 北アフリカからイギリスの勢力を永久 攻勢を準備しはじめたのである。 イギリス軍主力は壊走し、トプルク ロンメルの再にある前線基地を援護する、ガザラのに駆逐しようという計画をたてた。 一九四二年五月二十六日、ロンメル 攻撃は大成功陣地にむかって退却したのである。 明けて一九四二年の一月下旬には、 ロンメル将軍の考えは、砂漠の戦闘将軍は攻勢を開始した。イギリス軍機団 アフリカ軍団は、ふたたび東に進撃をは、これまでのように、ながくつづけ甲部隊はまえにくらべて強力でもないル 開始したが、このとき戦車と対戦車砲ていくことはできない、アフリカ軍団し、指揮もすぐれていないと判断したメ ロンメルは、機甲師団の先制攻撃をも口 との協同作戦は、かってみられなかっ があげていた局部的な成功は、ただイ け たほど、みごとなものであった。 ギリス軍の回復をおくらせているだけって大・ハクチにでたのである。 ロンメルは、英軍が海岸からビルハを このドイツ軍の攻勢が大成功をおさである、というものだった。 めたのは、あらたな局面にたいし、機ロンメルは、アメリカやイギリス本ケイムまで、歩兵の陣地帯と地雷原と砂 甲部隊がその能力をぞんぶんに発揮し土からアフリカにおくりこまれていをまぜあわせた陣地をつくっているの たからである。ロンメル将軍をはじめる、大量の軍需資材のことを知っていを知って、機甲師団を英軍陣地帯の南