彼は、酸素吸入器を調節するため ~ 、ら第に、ごく短時間、艦のすぐそばに浮上 《。、にした。その姿を、ソ連の歩哨がいちは 鬱やく発見した。だが、この歩哨は、そ の当座なんの行動にもでず、しばらく たってから、このことを上官に報告し ただけであった。 クラブは、ふたたび水中に潜った。 そして死んだ。 どうやら彼は酸素だけをたよりに、 あまりに深く潜りすぎたため、呼吸マ ル着 スクを失い、溺れ死んだというのが、 , ことの真相に近いようである。 首。マ 海軍情報部員のバーナード・スミス 3 は、いつまでたっても、クラブがもど 一ポキ ってこないので、蒼くなり、上地の警ア ガて。ニ ルせ【ゾ 察に自己の身分を明かしたうえで、警タ プ乗ル のをオ 官に至急、彼とクラブの宿泊していた 連記「 ソ書艦 ホテルに向かい、二人が泊っていたと魚 月第巡 いう証拠になるものい「さいを、滅 4 フ連 年ョソ してくれるようにたのんだ。 チた しかし、そうこうしているうちに、
嘉一本一第 重要な賓客なので、イギリス首相は特肥 別の指示を下し、ソ連の訪問客の心証 を害するようなことは、いっさい行な ってはならないと命じていた。 たとえば、彼らの宿舎に盗聴器を仕 掛けたり、その他の秘密工作を企んだ りすることを、ぜったいに禁止したの である。ところが、この首相通達は、 どうやら、イギリス海軍情報部の末端 までは、徹底しなかったらしい。 そこで、以前にも同じような仕事を して、成功したことのあるクラブが、 一〇〇ポンドの謝礼金で、今度の作業 をひきうけた。当時、彼はすでに四十 二歳で、そのうえ訓練不足で、体調も 一ー ~ ・を ) 、一、、じゅうぶんではなか 0 た。 彼は、ロンドンのある潜水機器会社 につとめている友人から、潜水服と酸 素吸人器一式を借りた。そして四月十 九日未明、。、 十ーツマス軍港の水中に潜 り、六〇メートルほど泳いで、ソ連の 三隻の艦にたどりついた。
0 人は、ヨーロツ。ハの戦雲が潜水部隊の隊長だったユー ジェニオ・ おさまるまで、ずっとクラ フォルク、それに、ス。ヘインのアルへ プの秘書として働きつづけシラス港で最初に「オルテラ」の管理 にあたっていた、ムスカテリ博士など クラブは、かっての敵隊も含まれていた。 員を集めて、人間魚雷処理クラブはべローニと協力して、一四 班を組織した。この班は、 カ月間にわたり、新型の呼吸装置をは 港湾のヘ ドロの底に潜っじめ、その他の水中装置の研究開発に て、不発のまま放置されてあたった。そして、その期間中に、深 いる機雷を探し出し、回収海の隠し場所から、最新式の人間魚雷 処理することが任務だっ七隻を発見回収し、それらを最上の作 た。だれでもあまりやりた動状態に修復した。 がらない仕事だ。 スパイ行為で べニスで、クラブは二人 致命的失敗 乗り人間魚雷課本部を接収 しかし、中佐にまで進級したクラブ したが、主要な人材は、そだったが、その最後には、一九五六年 のまま現職にとどめ、彼の四月におきた、世にも不思議なス。ハイ 一権限下におくことにした。 事件の立役者を演じる破目になったの ・そのなかには、イタリア軍である。 ″ガンマ〃グループが使っ 一九五六年四月、ソ連のプルガーニ ) た技術の考案者である、初ン首相と共産党第一書記 = キタ・フル ・・、当の紳士べローニ少佐や、シチ「フがつれだって、イギリス首相
1 くりかえされ、それ相応の貴重な情報 を得ていたので、事実上は、なんらの 損失も与えてはいなかった。 開発進む 人間魚雷 イタリアの敗戦とともに、クラブ大 尉は、巡回使節として、母国に派遣さ れた。その目的は、旧イタリア海軍第 9 小型戦隊の隊員を、探しだして集め ることであった。この戦隊が、人間魚 雷を使っていたことは、前からわかっ ていたので、できれば旧隊員たちにあ って、いろいろと協力や助言を求めた かったのである。 彼らを探しだすのに手間はかからな かった。クラブ大尉の到着を聞きつけ ると、彼らのほうから進んでやってき た。大尉は、ジプラルタル攻撃に参加 した隊員のほとんどに会い、双方のあ いだで、当時の思い出話に花を咲かせ ある一人の隊員の話に、みんなは思
たので、本官はそのまま航行をつづけ ました。 二度目の潜水のとき、中佐は少し両 ラ耳に痛みを感じると訴えました。われ ~ われは三・五 ~ 四メートルの深さにま で、潜水していました。少佐の耳痛 が、いつまでもつづくようでは困りま = えすので、い「たん引き返して、少佐を 母艇に乗船させるのが、最上の方法で あろうと決断いたしました。 本官が独立防波堤の南端を通過中、 探照燈の光が何本か照射されました。 出本官はわが母艇の燈識を、発見するこ とができませんでした。 そこで本官は少佐に向かって、ごく号 雷 「憔短時間、もう一度潜水してもよろしいア 人か、とたずねました。つまり、そうすタ 首れば、防波堤にいる監視兵たちも、わ 叫れわれを探すことによ「て、訓練の足魚 しにもなるし、同時にまた、少佐には邸 魚雷乗組員としての見地から、いろい オろなことを、見聞できるであろうと思
雷を″工 と命名した。 に、私たちは、港の人口に張りめぐらベルも私と同様、向こう側の網の目に 数年前、筆者たちは、これら一連のしてある、対潜網の周辺までの走行ひっかかって、文字どおり身動きもで 実験について、クラブ大尉と語りあつを、何度かやって見せることになったきないありさまでした。 たことがあるが、そのとき、彼はこんんです。 それでもなんとかして、あの貴重な な話をしてくれた。 ところが、潮の流れのため、私はいおもちゃだけは無事であってくれるよ 「はじめて港外にでて、あの魚雷を操きなりもんどりうって、頭からまとも うにと、気ばかりあせって、心配でた 縦したときには、わが生涯でも、最悪に、網の目に突っこんでしまったわけまらなかったのですが、そのうち二人 の数分間を経験しましたよ。さいわです。まったくどうしようもありませとも息苦しくなってきて、もはや窒息 い、ベル兵曹がお客さまとして、私のんでした。正直言って、こりゃなんと死するのではないかというところまで 傍にいてくれたんで、助かりましたが かしなくちゃいかんと思ったときにきました。 ね。 は、もう私の体は、半分網の目のなか それというのも、私たちは、水中呼 何人かの技術将校たちの参考のためにのめりこんでいたんです。見ると、吸装置についているイタリア式の柔か 4 0
ハリスン・グレ を取りもどして、「 ・オーティス」の船体に、大穴がある、アルへシラス市長のスペイン人 なわばしご ・オーティス」の船腹の縄梯子に、しいた。このときの爆風によって、大きは、「オルテラーの一件を知ってびつ つかりとしがみついていた。 な金属片が操舵室にとびこみ、ジャン くり仰天し、イギリス軍が「オルテ しかし、同志たちがみな無事に帰投ノリにつきそっていた水兵が、重傷をラ」に乗り込んでくる前に、いそいで したことを、あらためてはっきりと感負った。 証拠を威しようと計「た。将来かな じた瞬間、彼は思わず声をあげて、助この水兵、ホレース・・ウエプスらずおこるにちがいない政治的いざこ けを求めた。その声を聞きつけた船員ターは、その後三週間、意識のないま ざを、未然に防ぐための配慮からだっ が驚いて駆けつけ、いそいで彼を船上ま病床についていた。彼は、当時の爆 へひきずり上げ、船長のもとへ連れて発事件については、なに一つ記憶がな しかし、彼の試みは、ほとんど徒労 いった。 かった ( 七年後の一九五〇年になって、 に終わった。というのは、すでにクラ 船長は、時を移さず巡視艇に信号を当時の攻撃記事を読み、やっとそれとプ大尉が乗りこんでいて、ほとんど完 送った。その艇には、当番巡視員のべ知ったほどであった ) 。 全に近い状態の、三隻分の人間魚雷の ル上等水兵が乗り組んでいた。その時それから一時間とたたないうちに、部品を、発見してしまったからであ 点では、弾頭が仕掛けられてから、はベルはクラブ大尉とともに海洋に潜る。 生 や二時間半が経過していた。 り、ほかにまだ弾頭が残っていないか 魚雷技術将校のマリム中佐と魚雷部誕 まさに爆発寸前だった。ジャンノリ と、探してまわった。 門の民間人技師長クラークの助けを借ア は、一人の水兵につきそわれて、巡視これをもって、イタリアのジプラル り、クラブ大尉は三隻の破壊された艇タ イ 艇の操舵室に移された。危険をもかえタル水中攻撃は、事実上幕を閉じた。 から部品を集めて、一隻の完全な二人 りみず、ベル上等水兵は、潜水の準備 暴かれた秘密乗り人間魚雷を再生した。 魚 をととのえた。 魚雷発進基地 そして、当時すでに兵曹に昇進して邸 彼が片足を船べりからさしだした瞬イタリア降伏後の一九四三年九月、いたベルとともに、この魚雷で、実験 間、弾頭が爆発し、「ハリノン・グレ かってカルメ一フ山荘を訪れたことのあ走行を数回行なった。彼らは、この魚
恐るべきニ人乗り人間魚雷の発進 基地となった貨物船オルテラ」 0 ア転物第 4 イタリアの水中攻撃用装具類はすべて、 盗み出したイタリア外務省の公印を押し て、本国からスペインへ密輸された
しかし、気がついてみると、彼の艇 し、沈降しはじめた。ノタリは艇が三 た。しかし、発進寸前になって、ノタ リの副手が事故をおこしたため、代わ五メートルの深さに達するまで、しつは、もはや潜水不可能となっていた。 かりしがみついて離さなかった。そのこうなると、できることといえば、最 りをやや経験不足のジャンノリがっと めることになった。 うち、ノタリは息苦しくなり、操縦を大速カ ( およそ三ノット ) で、水上を この攻撃では、三隻の敵船を撃破しあやまってしまった。とたんに魚雷はつつ走る以外にはない。考えてみれば なんとも心細いものだった。 た。すなわち、七〇〇〇トンのリ・ハテ上昇しはじめた。だが、制御はきか そのとき、突如として彼のすぐそば ー型輸送船「ハリスン・グレー・オず、ただめくら滅法に浮上していくば で水しぶきがあがった。目をやると、 ーティス」、六〇〇〇トンのイギリスかりだった。 貨物船「スタンリッジ」、それに一万そのうちノタリは、たったいま弾頭この湾でよく見かけるイルカの一群 が、ぼっかりと姿を現した。ノタリが を仕掛けたばかりの船の底部にぶつか トンのノルウェー油槽船「トルショー って、首の骨を折ったような気がし逃走をつづけているあいだ中、この一 ディ」である。三隻の人間魚雷とも 「オルテラ」に帰投したが、乗組員はた。が、実際は船底からは一メートル群は、彼のまわりに寄り添うようにし 五人だけだった。ジャンノリの姿が見も離れていて、そのまま浮上していってついてきた。この一群が、彼の身を えなかったのである。 たのであ 0 た。水しぶきをあげて水面守る楯の役目をしてくれたおかげで、生 危ういところにでたとき、彼はなかば意識を失 0 て敵の監視の目から、完全にのがれるこ誕 ア とができた。 で幸運の女神いた。 だが、忘れてならないのは、幸運とタ ノタリとジャンノリの目標は、「ハ 彼は、いつなんどき敵に発見される イ かわからないと覚悟をきめていたが、いうものは、つねに勇者にのみ味方す リスン・グレー・オーティス」であっ たが、弾頭を船底に仕掛けている最中さいわいなにごともなかった。はっきる、ということである。 りと意識をとりもどした瞬間、彼はこ に、ジャンノリは酸素中毒をおこし、 ジプラルタル邸 攻撃終わる の現場から、なんとしてでも脱出しょ やむなく艇を離れた。 いつぼう、ジャンノリもまた、意識四 ところが、艇のほうも故障をおこうと決心した。
に、イギリス軍側の訊問官はだれも疑リノ将軍くらいのものであった。この れた。 カルメラ山荘のある位置は、ジプラル 第二の人間魚雷は機銃掃射をうけ、いをはさむ余地はなかった。 タルのイギリス海軍基地から、八〇〇 だが、イギリス軍こそ知らずにいた 副手が戦死した。残った操縦士チェラ が、捕舅の話は、嘘をかくすための単メートルと離れてはいなかった。 は、ただ一人で艇を操って帰投した。 しかし、じつをいうと、このもの静 なる絵そらごとにすぎなかった。じっ 第三の二人乗り魚雷には、ヴィンシ ンティニ大尉とマグロが乗っていたはその背後には、水中戦史上でもまれかなイタリア紳士は、そのような風流 にみる巧みさで仕組まれた、厚顔無恥人ではなかった。この男こそは、二人 が、前回と同様、グランド・ 乗り人間魚雷を使った、新しい水中攻 を守る防潜網を突破すべく 一路突進な陰謀が隠されていたのだった。 していった。だが今回は、雨のように 水中基地撃方法を編み出した元祖だったのであ 設営の準備る。 降りしきる爆雷攻撃にみまわれ、つい ヴィラ・カルメラは、スペインのプ潜水艦長をしていたヴァレリオ・ポ にそのうちの一発が命中し、この二人 エンテ・マホルガにある、美しい山荘ルゲーセは、みずからの苦い経験か の勇士たちは花と散った。 のちに二人の遺体は収容され、海軍だった。この家を、アントニオ・ラモら、敵の水域で母潜水艦から人間魚雷 栄誉礼をもって手厚く水葬された。彼ニーノという、イタリアから移り住んを発進させることが、いかに危険かと生 いうことを、よく知っていた。 らの武勇をたたえて、花環が湾の水面だ男が借りていた。 に そこで、彼は一フモニーノをスペインア に投げられた。その捧げ主は、ビル・ 彼は、見たところ無職で、せいぜい ザ・ロック べィリーと、″クラッビ ことクラ魚釣りをしたり、戦時イタリアの重苦に送りこんだ。目的は、あの岩山のかタ ィー しさに神経をやられ、回復に向かいっげの、安全な港に碇泊している敵艦を プの両大尉であった。 捕になった二人のイタリア軍兵士つある内気な妻コンキータの身のまわ攻撃するのに都合のいい基地を、ジプ魚 は、湾内で母潜水艦から発進したときりの世話をして、毎日を送っていた。 ラルタルの近くに設営することであっ邸 た。こうしてラモニーノは、カルメラ のありさまを、まことしやかに語っ たまに訪れる人がいても、近くのアル た。その目に浮かぶような話しぶりへシラス市長である、ス。ヘイン人のモ山荘を選んだのである。