薄いゴムの潜水服の下に、彼は厚手 の潜水用毛織物を着込んだ。ゴムの潜チ 水服は、首と手首と足首のところがあ雷 けてあった。のちにこの潜水服は、 " 干満自在服″として有名になった。 服の中に流れこんだ海水は、体も毛 織物もぐっしよりと濡らしてしまう が、そのうちこの海水は体温で温めらス リ′ート . れ、外部の水温よりも温くなって、潜ギ 水員の体は、外部の寒気の影響を受け なくてすむのである。 この実験によって、潜水員の水中防 寒具と安全呼吸器に関する問題は、あ らかた解決がついた。 航行中のイギリス海軍 X 艇 49 英海車水中作戦、準備完了
・ : ツ X 艇で水平舵操作中のロビンソン大尉
まもなく酸素中毒の最初の兆候があらわれようとしている には致命傷を負った者もある ) 、訓練 に耐えることができず、ついに脱落し ていった者も何人かでた。 残った者たちは、こんどはスコット 一フンドの西岸、ケープ・ロースの南方 約五〇キロのところにある、細い人江 に碇泊中の「ポナベンチュア」に転属 させられた。ここでも、訓練は以前に もましてきびしく、さらにまた、何人 かの死傷者がでた。 ゥールコットから聞いた話によれ ば、そのなかには、自分の危険手当に かかる所得税を払うのを、拒否した男 もいたそうである。 危険手当は、訓練中一日につき四シ リング六ペンスという高率で支払われ準 ていた。当時の米貨に換算して、八〇戦 セントだった。 この地で、生き残りの志願兵たち車 は、訓練の最後の仕上げをした。彼ら皹 が次にやる仕事は、実際に敵と戦うこ とであった。
発進準備中のビ ーベノし」 163 連合重護送団を狙え ,
魚雷隊員のつけこ新しい装備 品を視察するジョージ六世国 王と W ・ R ・フェル司令官 の水中姿勢を調べてみた。緑色の水藻 の細かい切れはしが、いくつか私の水 中眼鏡にまつわりついていた。 私は体をのりだして、下の方をのぞ きこんでみた。艇は完全に停止してお り、徴動だにしなかった。まるで、固 型ガラスの中にでも、閉じこめられて いるかのような感じだった。 ところが、それに見とれていたあま り、私自身の体が、いつの間にかまる で重力を失ったかのように、水中に浮 き上がっているのだった。あわてて下 へ潜ろうとしたが、その努力もむなし かった。私は運動の自由を失ったこと に、大きな驚きを感じたので、艇に戻完 ったあとで、改めてこの奇妙な現象に準 ついて、あれこれ考えてみた。 そのうちふと気がついてみると、あ たりは真っ暗で、おまけに、両耳には軍 げしい痛みを感じた。艇は、相当の深 度にまで潜水しており、浮上にとりか からなくてはならなかった。
「眠れる美女」に自ら乗った考案者のクエンティン・リープス 訓練中の電動式潜水力ヌー
そこでイギリス海軍は、この「チャ くらいだったが、分離弾頭を取りつけとができた。二つのポンプ用レ。ハーの チャリオティア リオット」のほかに、四人の攻撃隊員 ていた。これに二人の″騎手″がまうち、一つは、艇の前後のバ一フスト・ を乗せる、通称″艇〃と呼ばれる、 たがって、上手にあやつりながら進んタンク中の全水量を同時に調節でき、 でいったのである。艇長は前部座席にもう一つは、前部タンクの水を後部タ特殊潜航艇の生産に、早くもとりかか 坐って、もつばら艇の操縦と航行にあンクへ、あるいはその逆の操作もでった。艇は全長一三・七メートル で、最大直径は、普通の体格の人間 たり、副手は艇長のすぐうしろの後部き、浮上も潜水も意のままだった。 さらに、メイン・タンクの開閉レヾ が、まっすぐ立っていられる潜望鏡下 座席に坐って、防潜網を切り破った ーや、浮上中に重大な計画変更がおきは別として、一・七メートルであっ り、弾頭を目標艦の船底に仕掛けたり あっさく た。重さは、全装備で約四〇トン。 た場合に、排水用の圧搾空気の量を減 する任務にあたった。 敵艦への弾頭の取りつけは、磁石をらす、制御バルプもついていた。こう艇内は四つに区分けされていた。前 用いるか、または弾頭の先についていした機器類を巧みに操作しながら、艇部区画は、ポンプや補助機関の作動、 かん る環に結びつけてある鋼線の一方の端長はみごとに魚雷を潜水させ、あとは炊事や照明、また潜水中の艇の駆動の を、骨部に留め金で止めておき、時水平舵と方向だけを頼りにして、酸素ために、必要な電力を供給する蓄電池 限信管つき弾頭を、艦底の水中にぶら呼吸器使用限度ぎりぎりの深度にま室であるとともに、貯蔵室でもあり、 了 潜水員たちゃその潜水服、水中呼吸装完 下げておくような方法をとった。場合で、到達できたのである。 小型潜水艇具なども、そこにつめこまれていた。準 によっては、やや小型の機雷を船底に をさらに開発これらいっさいが積み込まれると、乗戦 付着させることもあった。 中 「チャリオット」の仕組みは、いた この″ジープ″艇は、原理的にもた組員たちの寝る場所さえなかった。 って簡単だった。駆 動は、電気モータいへんよくできていて、実戦訓練にお第二の区画は、一般に & 、つま車 ーによった。小型の操縦桿を左右に動いても、ほとんど常時、実によく働いり干満区画と呼ばれるもので、大型潜 こ。しかしこの艇には、どこか気まぐ水艦の場合の、デービス式脱出室の原 かし、方向舵を前後に動かせば、水平オ 理にもとづいて、作られたものだっ 舵 ( 潜水、浮上用の舵 ) を操作するこれなところがあった。
らめいた閃光によって、彼が獲物を仕 止めたことはもはや明らかだった。 この作戦終了後、損益勘定方式にも とづいて、情勢全般にわたる綿密な検 討が行なわれた。 まず収益からいえば、哨戒艇二隻、 、を 一外海において撃沈もしくは大破。湾 巡船一隻、港内にて撃沈。ただし、い のうちでは何か手応えを期待しながずれの件にも、その攻撃に当たった艇 水中に降下中の「ビーベル および乗員の氏名はいっさい秘密にさ ら、魚雷をぶっ放す隊員もいた。 人ってみて、彼らのこれまでの旅が全ところがここにただ一人、ベルゲルれた。操縦士たちは、艇そのものも立 一等兵だけは、孤独な狩人のように獲派に操った。発進した一七隻のうち九 く徒労だったことに気づいた。 ここでもまた、敵船は一隻も発見で物を求めて決然と外海へ出ていった。隻が攻撃水域に到達した。 ッ 攻撃員たちが戦果をあげられなかっ きなかった。このことは彼らの気持ちまもなく彼は、一隻の哨戒艇が走って イ・ た原因は、ただ攻撃目標の不在による いるのを発見した。 を二重にがっかりさせた。 る というのは、湾内に攻撃目標が一隻しかし、もともと「ネーゲル」は動ものだった。操縦士のうちの何人かはけ もいなかったことはさておくとしていている目標を攻撃するようにはできその帰途、上陸から基地への帰投までに も、このまま基地に帰投してみたとこていなかった。水面から照準装置も使数日を要した。その中の一人、ベトケル ろで、「ネーゲル」はとても人の手だわずに魚雷を発射することは、きわめ ( 例の″〃のもう一人の仲間 ) は、一 、不 気がついたときにはすでに連合軍側の けでは浜に引き上げることは不可能だて無謀な試みだった。 ったからである。そこで、中には海岸にもかかわらず、ベルゲルはこの攻占領地域内に上陸していたが、たくみ の方へ向けてめくら滅法に、しかし心撃を敢行した。衝撃とともに。ハッとひに敵の捜査をのがれ、みごとに基地へ 157
ジプラルタル港碇泊中のイギリス艦船攻撃作戦のためにイタリア軍が陸上基地 として利用したヴィラ・カルメラ ジプラルタルの岩山を背景にヴィラ・カルメラの庭に坐るコンキータ・ラモニーノ ・いック 26
り引用したので、読者もさぞや面くら それはともかく、従来好戦的であっ としては、永久にこれを放棄する。 われたことと思うが、これにはこの本た日本国民の中にも、戦後、大きな意前項の目的を達するため、陸海空軍 の筆者の立場としてやむを得ない理由識の転換が見られるようだ。事実、日その他の戦力は、これを保持しない。 があった。 本国憲法第九条にはこうしるされてい国の交戦権は、これを認めない」 実は、これまで何度も日本の関係当る。 この結果として、現在の海上自衛隊 局に、戦時中の特殊僣航艇についての 「日本国民は、正義と秩序を基調とすの定員数は三万八〇〇〇人と推定され 情報を教えてくれと頼んできたのだる国際平和を誠実に希求し、国権の発ている。海上自衛隊は四つの護衛艦 が、当局者自身からは何一つ答えをも動たる戦争と、武力による威嚇又は武隊、二つの掃海艇隊、それに潜水戦 らえなかったためである。 力の行使は、国際紛争を解決する手段隊、上陸用舟艇分隊各一個、加えて訓 人間魚雷「回天の発進実験 ( 安芸灘で ) 186