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検索対象: 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇
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1. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

ハリスン・グレ を取りもどして、「 ・オーティス」の船体に、大穴がある、アルへシラス市長のスペイン人 なわばしご ・オーティス」の船腹の縄梯子に、しいた。このときの爆風によって、大きは、「オルテラーの一件を知ってびつ つかりとしがみついていた。 な金属片が操舵室にとびこみ、ジャン くり仰天し、イギリス軍が「オルテ しかし、同志たちがみな無事に帰投ノリにつきそっていた水兵が、重傷をラ」に乗り込んでくる前に、いそいで したことを、あらためてはっきりと感負った。 証拠を威しようと計「た。将来かな じた瞬間、彼は思わず声をあげて、助この水兵、ホレース・・ウエプスらずおこるにちがいない政治的いざこ けを求めた。その声を聞きつけた船員ターは、その後三週間、意識のないま ざを、未然に防ぐための配慮からだっ が驚いて駆けつけ、いそいで彼を船上ま病床についていた。彼は、当時の爆 へひきずり上げ、船長のもとへ連れて発事件については、なに一つ記憶がな しかし、彼の試みは、ほとんど徒労 いった。 かった ( 七年後の一九五〇年になって、 に終わった。というのは、すでにクラ 船長は、時を移さず巡視艇に信号を当時の攻撃記事を読み、やっとそれとプ大尉が乗りこんでいて、ほとんど完 送った。その艇には、当番巡視員のべ知ったほどであった ) 。 全に近い状態の、三隻分の人間魚雷の ル上等水兵が乗り組んでいた。その時それから一時間とたたないうちに、部品を、発見してしまったからであ 点では、弾頭が仕掛けられてから、はベルはクラブ大尉とともに海洋に潜る。 生 や二時間半が経過していた。 り、ほかにまだ弾頭が残っていないか 魚雷技術将校のマリム中佐と魚雷部誕 まさに爆発寸前だった。ジャンノリ と、探してまわった。 門の民間人技師長クラークの助けを借ア は、一人の水兵につきそわれて、巡視これをもって、イタリアのジプラル り、クラブ大尉は三隻の破壊された艇タ イ 艇の操舵室に移された。危険をもかえタル水中攻撃は、事実上幕を閉じた。 から部品を集めて、一隻の完全な二人 りみず、ベル上等水兵は、潜水の準備 暴かれた秘密乗り人間魚雷を再生した。 魚 をととのえた。 魚雷発進基地 そして、当時すでに兵曹に昇進して邸 彼が片足を船べりからさしだした瞬イタリア降伏後の一九四三年九月、いたベルとともに、この魚雷で、実験 間、弾頭が爆発し、「ハリノン・グレ かってカルメ一フ山荘を訪れたことのあ走行を数回行なった。彼らは、この魚

2. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

軍に合流することができたが、不幸に ないところを選んで上陸しようと、海きなり声をかけられた。 もローレンスは、ドイツ軍歩哨の投げ 「いよう、艇長 ! 」 岸沿いに進んでいった。 そのうち二人は、小さな人江を発見声の主はコーザーであった。そのまた手榴弾によって傷を負い、ついに捕 し、浅瀬まで乗りつけていって、艇かま二人は、コーザーとスミスが仲間人となってしまった。 二四時間後、コーザーとスミスも、 ら降りた。そのあと、ポンプを注水状りした、同じゲリラ隊の一党に加わっ 態にしたまま、弾頭を一一時間前後で爆た。コーザーとスミスは、その採石場イギリス軍の陣地を目の前にのぞみな がら、これまた、捕虜になったのであ 発するようにセットして、艇を沖へ向に、もう三日も前からきていたのだっ る。 けて送りだし、それから、岸のほうへた。 二人はきびしい訊問を受け、「ポル 四人は、ゲリラ隊といっしょになっ とぼとぼと歩いていった。 ツアーノ」撃沈の共謀者として、その 身につけていた潜水服を処分してかて、およそ六週間のあいだ戦ったが、 ら、二人は、また歩きはじめたが、そある小ぜりあいで、ゲリラの一党は、罪を負わされた。だが、二人とも頑固 の行先には、どんな危険が待ちかまえ壊滅的打撃を受けた。さいわい、イギに、その一件については、まったくな リス人四人は、みんな無事だったのにも知らぬ存ぜぬの一点張りで押し通 ているかわからなかった。 九死に一生で、イギリス軍の陣地のほうへ向かっ し、じつは、自分たちは大型潜水艦のれ を得た三人て、出発することにした。ス。 ( イとま生き残り乗組員である、と主張した。暴 つらい旅をつづけていたある日、二ちがえられないようにと、みんな、戦ドイツ軍の必死の努力も、ついに二人で の口からことの真相をひきだすことに中 人は親切なイタリア人たちと出会っ闘服を袋につめて持っていった。 た。このイタリア人たちは、二人を、 二組の乗員は、それぞれ二手に分かは、成功しなかった。 ゲリラの一団に紹介してくれた。こんれた。そのほうが、味方を発見する確 = 一人ともい「たんはドイツ国内の捕 どはゲリラたちが、二人を荒れ果てた率が高いと思ったからである。べリー 虜収容所に人れられていたが、進駐し てきた連合軍部隊の手によって、救い 採石場へ連れていった。そこへ到着すとローレンス組が先発した。アルノ川 るやいなや、べリーは、うしろからい流域地帯で、べリーはうまくイギリス出された。

3. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

い口あてに、馴れていなかったせいも 一、一九四二年十一一月一二日より一九開いていることを、確認することであ引 ありました。二人とも、もはや酸素が四三年一月七日までの間、本官はイタりました : : : それが終わってから、わ 切れたと思ったので、それからは艇の リアの人間魚雷に搭乗し、一四、五回れわれは母艇から発進しました。 上に立ちつづけて、水面上の新鮮な空の試走の結果、当該魚雷操作に関する超低速で前進しながら、本官は調節 気を、むさぼるように吸いこんだもの本官の能力に、絶大の自信を得まし。ホンプを用いて、水面が顎のあたりま でした。 た。この間、本官が当該魚雷についてでくる程度に、魚雷を沈めました。本 そうしながら、懸命に魚雷を救う努不安を感じたのは、わずか二回のみで官は独立防波堤と平行に針路を取っ 力をつづけたわけです」 ありました : て、操舵しておりました。 この場合は、彼らはやっとの思いで 二、七日夕刻、人間魚雷は英国空軍本官は、サリ。ハン少佐が水中呼吸装 魚雷を救うことができたが、その後、海難救助艇に積載され、港外の独立防置を、まったくなに不自由なく装着し クラブ大尉の心をひどく苦しめたとい波堤の南端から、約二五〇 ~ 三五〇メていることを、自ら確認した上で、短 われる、あるできごとがおきた。 ートルの地点まで、運搬されました。 時間、約二・五メートルほどの浅海潜 機械の欠陥が海面には、わずかなうねりがありまし水を試みました。それは、サリバン少 招いた事件 たが、それ以外は申し分ない天候でし佐に、さらに装具に馴れてもらうため その事件についての公式の報告書のた。 でした。 なかで、彼はこうのべている。この事三、十八時四十分頃、人間魚雷はな 浮上してみると、万事好調のようで 件の責任は、私自身の過失というよりんら不都合な衝撃を受けることなく、 したが、少佐は、服に少し水が人ると も、むしろ機械的な欠陥にある、と。海中に降下されました。そして本官が申しておりました。かかる漏水は、べ 「一九四四年一月七日。人間魚雷紛失指揮をとり、サリバン少佐が副手の位ル兵曹も本官も、ときおり経験してお に関する件。報告者、英国海軍義勇予置につきました。 り、たいして危険ではないことはわか 備隊、魚雷操縦員、大尉、・・本官の最初の任務は、船底弁を開っておりました。 ・クラブ。 き、かっ本官の外部空気筒の安全弁が 少佐は母艇へ帰投する意志はなかっ

4. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

イタリア戦線の戦闘に寄せられてい指揮官は、今度の作戦では一人たりと を元帥に告げた。なんのことはない、 うわさ た。というのは、連合軍上陸の噂が絶も特殊潜水航艇に乗って参加すること それは魚雷発射機能をもつ一人乗り潜 えずドイツ軍を背後から脅かしつづけまかりならぬ、というきつい達しを受 航艇だった。 けた。そうなると、クライグ自身も人 そこで元帥はこう説明を加えた。 ていたからである。 「なるほど、小人数の攻撃隊員で編成事実、ドイツ軍部隊は戦線を確保す間魚雷を操ってこんどの作戦には加わ した部隊を使った新しい方式の海戦思るだけでも大変な苦戦を強いられていれないことになるわけだ。 想が、今さかんにもてはやされてはいた。そのため、連合軍がほとんど無抵そのかわり彼は、一人乗り魚雷が作 るけれど、その完成にはまだ相当の日抗のままで上陸してくるのを撃退する戦参加可能になったあかっきには、す 時を要しそうだ。しかし、それまで待だけの余裕はなかった。そこで、連合ぐにでも結婚してよろしい、という嬉 っているだけの時間的余裕が今はな軍艦隊の侵攻を阻止するために、人間しい約束を元帥から取りつけた。 ェッケルフィヨルデの魚雷実験研究 い。この艇はなおまだ部分的には改良魚雷を使うことになったのである。 すべき点がいくつかあるが、それはエ 敵艦隊攻撃は一九四四年一二月十日と所に着いてからわずか二日とたたない ッケルフィヨルデの魚雷実験研究所できめられ、四日間にわたる攻撃に一人うちに、クライグは、性能試験の成功 やってくれるだろう」 乗り人間魚雷一〇隻が参加することにしたことと、艇が必要条件のすべてを 元帥はそこでまた言葉をついで、今なった。さしあたってのクライグの任充たしていることとを、ベルリンの元 ある原型を使ってクライグにその性能務は、その日までに必ず間に合うよう 帥のもとへ報告した。 試験をやってみてほしい、と伝えた。 に、必要と思われる性能試験一切を完 「ネーゲル」は、本当の意味での潜航 連合軍艦隊の撃了することであった。 艇ではなかった。この艇にはやや浮き 退に人間魚雷を イタリアでの戦闘準備を二週間以内気味なところがあった。魚雷を下に吊 このあとデーニツツ元帥は、この新に完了せよ、という命令がすでに一〇るして運んで行く場合には、上部艇の 兵器の使用目的などについてくわしく隻の人間魚雷に対して発せられてい操縦士の頭が水面から六〇センチ近く 自分の意見を述べた。彼の関心は特にた。クライグは元帥から、ポートの上へ出つばなしだった。

5. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

ス二〇時から夜明けにかけて、両艇 たたえられる「まりつづけた。 そして、その日の明け方とともに、は、それぞれの指定地点から海の方へ 艇」一隻の乗組員 ラムゼー提督の報告には、この二隻正確な位置から海の方 ( 向かって、懐向かって、色つきの光を点滅して送る の艇の果たした仗割が、次のように中電燈の合図の灯を送った。その光こことになっていた。その地点は、敵地 そ、集結中の侵攻用舟艇にとって、唯の沿岸から約五キロの沖合いだった。 説明されている。 戦車を運んできた先頭部隊は、戦車 一の道しるべとなった。 「部隊と—部隊に、海岸の上陸地点 の位置を知らせるために、一一隻の艇この、およびの乗組員たちをおろす地点を時間通り通過し、艇 を使うことにした。というのは、部の示した技術と忍耐力は、まさに偉大からの光信号によって、上陸地点は寸 隊は、あまり東の方へ寄りすぎないよなものだったといえよう。当時の行動分の誤差もなく確認できた。この侵攻 うにすることが重要だったし、また、について提出した彼らの報告書は、ま作戦を通じて、あらゆる上陸用舟艇 ことに謙虚に満ちた、すぐれた叙述とは、敵海岸を発見するのに、さしたる —部隊の受けもち上陸海岸は、輪郭が いってもいいほどだが、それを読む困難も感じなかった。 はっきりしていなかったからである。 ぜいじゃく これら一一隻の艇は、すでに六月一一と、とてもあの超小型で脆弱な潜航艇作戦時間七三時間のうち、じつに六 日から一二日にかけての夜出発し、途中に乗り組んで、戦時中の危険きわまり四時間の長きにわたって、潜水したま ない作戦を遂行した者の書いた航海日ま待機していた特殊潜航艇 >< および まで母艦が曳航して運んだ。 ところが六月五日午前一時、両艇は誌とは思えず、むしろ、平和時におけは、いまや戦車襲撃隊と 『侵攻作戦ハ二四時間延期サレタリ』る、潜水艦の水上航海日誌を思わせる部隊の上陸用舟艇に向かって、それ ぞれ上陸地点の位置を知らせる合図を ほど、淡々としたものであった」 という通告を受けとった。そのため、 ズベス大尉指送りつつあった。 彼らはさかまく潮の流れのただなかに真夜中近く、ケン・ハ きよら」う あって、潜水速度のにぶい小艇を、苦揮下の >< 幻とジョージ・オーナー大尉二隻の艇からの嚮導燈の光は、接 さんたん 心惨して操りながら、六月六日の夜指揮下の >< は、指定された任務位置近しつつある上陸用舟艇から、はっき 明けまで、敵地の海岸沖の地点にとどの近くにいた。ディには、・マイナりと見てとれた。

6. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

て、それがじわじわと溶けて、たえずる水域で、作戦に取りかからなくては ヨーロツ。ハ水域では、外洋や内湾の 周囲の海水のなかに流れだすようにし ならなかったので、軍当局に手紙を送水温は、当然のことながら、極東のそ ておく方法だった。 って、この残虐な生き物を、なんとかれとはくらべものにならないほど低か 第三の方法は、水をはじくある種のやつつけるいい方法はないものかと、 った。その水域で、水中作戦隊員が普 油脂を、体に塗っておくというもので助言を求めた。 通の装具をつけて活動できる温度の最 あった。 ところが、上層部からの返事には、低限度は、摂氏五・五度であった。こ 一般に隊員たちは、科学者たちのここう書いてあったのだ。 の温度では、肉体的にもたいへん苦痛 うした実験や厚意にたいしては、いち『作戦を開始する直前に、死んだ馬をで、一時的に指がまったく使えなくな おう感謝の気持ちはもっていたけれ数頭その海域へ投げこめ。そうすれることもままあった。 ど、その人たちが考えだした鮫撃退法ば、鮫どもは馬の屍体にかかりきり冷たい海中に潜った場合、最初の数 そのものは、とくにありがたいとも思で、人間を襲うひまはないだろう』」 分間は、前頭部や首のつけ根に、痛み っていなかった。 水中隊員たちは、おたがい連絡を取を感じることが、とくに多かった。前 この極東水域で、クエンティン・リ り合いながら、独自の方法を考えだし頭部の痛みは、最初の三分間が過ぎる ープスの発明した特殊潜航艇「眠れるて、鮫と闘った。隊員仲間で情報を交とほぼ消えたが、首のうしろの痛みは 美女」に乗って作戦に参加した、陸軍換しあい、実際の経験と観察から、彼いつまでもつづいた。 士官のデニス・リレーマン大尉は、こら自身で結論を導きだしていったので また、まるで氷のように冷たい水が んなことをいっている。 ある。 潜水服をとおしてしみこみ、首といわ 「鮫を追っ払う方法は、幾とおりか行 水中装具のず肩といわず、いちめんに濡れたよう なわれていたが、私個人としては、こ 実験、改良な感じがしたものだった。 うした方法を、まったく信用していな また極東作戦水域では、水中装具の 北方水域においては、手足はつねに 、刀学 / 実験と改良を、たえず重ねていく必要痛いほどたくなったが、こればかり あるとき、私は鮫のうようよしていがあった。 は防ぎようがなかった。とりわけ手の

7. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

リオット」は、時限信管を数時間後に いくのを待った。 それから、さらに一時間ほど浮上航爆発するようセットした爆薬を載せた 行したあと、一フーキンは考えた。こんまま、しかもポンプを開きっ放しにし な不具も同様の艇は、とても潜水作戦て、どんどん沖の方へ向かって、流れ などには使えない。かといって、防衛ていった。 それからラーキンとべリーは、自分 厳重な港に、しかも水上から攻撃をか たちの着ていた潜水服を切り裂いて、 ・けるなんて、とてもできないし、もし 試みたとしても、かえって、もう一つあとで証拠になるような品物といっし ょにひっくるめて、海へ沈め、海から イタリアの対戦車砲部隊陣地の艇の乗員たちの任務遂行の邪魔にな るばかりだ。こう結論した彼は、南へできるだけ遠くへ離れようと、トリポ リの町はずれの道を、横にそれていっ ラーキンは艇首を下げて、潜航しょ向きを変え、岸のほうへ進んでいっ た。二人はいくつかの監視所の傍を通 うとした。だが、そのときになって彼 ラーキンとべリーは、午前三時ごり抜けたが、さいわい見つからずにす は、いつのまにか水平舵がひどくやら れて、ぜんぜん使いものにならないころ、トリポリからちょっと西へ寄ったんだ。 れ 途中にあった水槽から、水筒に水を暴 とを発見した。おそらくは、潜水母艦ところで、大波に呑みこまれてしまっ から発進する際、なにかのはずみでやた。しかし悪いことに、そこは、イタみたし、その日は、残る時間を、道路で ざ・こう られたものにちがいない。 沿いに掘られた塹壕の中に、身を隠し中 リア軍の監視所とは、目と鼻の先だっ , 「リ . ホリ . , 刀 彼は、。ホンプでさらに注水して、水 て過ごした。この道路は、 面下に沈んだが、その際ポンプをでき べリーは、母艦を発進するときに起ら破損した兵器を搬出するために、あ航 るだけ使わないように心掛けて、艇をきた事故のために、酸素をすっかり使るいは、トリポリへ新しい物資を運び 水中に安定させ、小型護送船団が、一 い果たしてしまっていたので、岸にた込むために、使われているものだっ 〇〇メートルほど前方まで通り抜けてどりつくことさえ難しかった。「チャ

8. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

は知らなかった。ところが、いまや三 港だっこ。 ところが、午前六時、突如として一一隻の船が撃破され、その噂がが厳然た 一一七キロの高性能爆薬が、この「デンる事実であったことを、目のあたりに ビデール」の船底で炸裂した。底板は見せつけられたのである。 イギリス海軍省は、ただちに対策に まっ二つに裂け、船は二度と役にたた とりかかった。その結果、イギリス海 ぬ残骸と化してしまった。 港 数分後、港の外の湾内で、一万九〇軍内に新しく強力な襲撃部隊が編成さ 〇トンの貨物船「ダーラム」と、二四れた。僣水夫たちは、ジプラルタルの タ 四四トンの油槽船「フィオナ・シェ海底から、魚雷の形をした小型舟艇の ル」の船体に大揺れが起こり、まもな部品と、水中呼吸装置の完全なセット く沈みはじめた。「デンビデール」と二組を回収した。そして数時間のうち に、ロンドンの政府機関の専門家たち 同じような爆発によって、致命的な打 行 によって、これらの回収品は徹底的に 敢撃をうけたのである。 襲 イタリアの水中作戦部隊員は帰投す検討され、技術者や科学者たちも、調 生 奇 の ると、このイギリス船舶にたいする攻査のために召集された。 に イタリア軍によるこの襲撃の成功ア 最撃が、成功したことを報告した。 この新しい戦法は、イタリア側の報は、約七年にわたる研究が実を結んだタ イ ものだった。のちにわかるが、これが 復の一念に、端を発したものであっ 作 た。すでに、イギリス軍情報機関を通最初の攻撃ではなかった。今回の襲撃魚 中 水 じて、 " 人間魚雷。に関する警告が、にさきだって、何回も攻撃をくりかえ邸 それとなく流されてはいたが、だれしたが、その努力は、すべて水の泡と タ イ も、それ以上のくわしいことについてなっていたのである。 うわさ

9. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

二人が基地に帰投した翌朝、その艇つけてあった。 これは連合軍側がわざわざ「ゼーフ は海中から引き揚げられ、待機してい た修理班が両中尉の立ち会いのもとにント」の攻撃進路に街燈をつけて案内 検分にあたったが、その惨状を見て、してやっていたも同然で、うかっとい えばまことにうかつな話だった。 みんな自分たちの目を疑った。 「ゼーフント」はただその " 街路燈〃 艇の外枠は一部吹っ飛んでなくなっ ており、小型の艦橋は五センチほど艇の柱の陰にかくれてじっと待っていさ ) 、の胴体の中 ~ めり込んでいた。しかもえすればよか「た。待ち伏せするたび その胴体たるや、まるでいたずらっ子に獲物はしこたま手に人ったのであ がフットボール遊びによく使う古いある。 二月に人ってから、「ゼーフント」 き缶のような形になっていた。 成功した単独・戦隊の先任指揮官ラッシ、少佐に代わ 特定目標攻撃って、もとのポート指揮官、プラン 攻撃目標を選ぶにあたって、無線情ディ中佐がその職につくことになっ 報が部隊員にはたいへん役に立った。 え 無線局からは敵の護送船団の現在位置彼はドイツ軍の最高勲章であるダイ狙 の時間、航路、目的地などについて詳ヤモンド騎士十字章の受賞者であっ た。プ一フンディは、今後「ゼーフン送 細な情報が送られてきた。 これに加えて、イギリスのマーゲー ト」は単独出撃し、特定の目標を攻撃軍 トとベルギーのアントワープ間を結ぶすべきだと断を下した。 というのは、隊を組んで行くと、ど プ ~ 護送船団航路には標識のプイが点《と ポートに繋留される浮上した潜航艇設置され、各プイには点燈装置が取りうしても仲間を頼りがちになり、それ

10. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

そのうち、音響測定器からの合図にに降りて、夜明けを待った。こんどは しかし、およそ五〇メートルまで近よって、艇は、目下ジョホールの浅瀬指揮官が、三〇分ほど仮眠をとった。 づいてみると、それは一隻の漁船だつを通過して目標プイの西方へ向かいっ午前七時四十五分ごろになると、べ ンゼドリンは、てきめんにその効き目 つあることがわかった。深度九メート た。あわてて針路を変えたは、 その場から遠ざかっていった。 ルで、この特殊潜航艇は、ジョホールをあらわしてきた。乗員たちの士気 は、いやがうえにも高揚した。潜水員 午前四時一一十分、二隻の船影が見え海峡を這うようにして進んでいった。 た。一隻は油艚船で、もう一隻は護衛午前六時、指揮官、先任将校およびのマジェニス上等水兵は、すでに午前 艦らしかった。この二隻は、高速でこ機関技士は、眠気ざましに覚醒剤べン五時から機関室で眠っていたし、機関 リードは、べンゼドリンをのん ちらへ向かって近づいてきつつあったゼドリン錠をのんだ。この薬が効いて技士の ので、 3 はいそいで潜水し、二〇 くるまでは、ある程度の時間がかカ 、つでいたので、二人とも、もはや眠気は 分間海底にじっとしていた。 た。事実、先任将校などは、水平舵のもよおさなかった。 目標艦「高 だが運の悪いことに、この潜水は、操作につきながら、三〇分間も眠りこ 雄」を発見 なんの予告もなく行なわれたので、艇んでしまった。 3 は、深度一二メートレで、日 が海底に着いたはずみに、測定器が損指揮官は、機関室の中央に立って、 傷をうけてしまった。 六〇センチほど前後に体をゆり動かししながら進んでいった。ただ、潜望鏡 をのぞくときだけは、速力を落とし それから、艇は用心深く、浮力をひながら、予定の深度を保ちつづけた。 かえめにして、そっと水面にでてみこの運動によって、潜航艇の平衡を保た。午前十時一二十分、静かな、油のよ た。ところが驚いたことに、さっきのつに必要な角度に、徴妙な変化が生じうに凪いだ海のなか、 3 特殊潜航 二隻の船は、遠ざかっているどころるわけである。 艇は、まるで倒れかかったぼろ家のよ うに、ぽかんと口をあけつばなしの防 か、目の前に迫ってきつつあるではな 午前七時、艇の前方約八〇〇メート ルのところに、敵の防護柵があること護柵を、通りぬけていった。 いか。艇はまたもや潜水し、そのまま がわかった。は、ふたたび海底 そのうち彼らは、一隻のトロール船 の針路で走りつづけていった。 128