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検索対象: 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇
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1. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

操縦桿を″徴速前進〃に、水平舵をに乗りこんで待機しているのを思い出ど叩きつけられた。これはちょっと意 " 最上昇〃に切り換えると、艇は前進したので、私は彼らの方に向かって、外なできごとだったが、われながら、 しながら、急角度で浮上していった。安心するように手を振ってみせた。そいささかおかしかった。 私は、その角度を持続しつづけ、ついれから、再び潜水に移り、艇を水平に緑の細かい藻が、私の水中眼鏡の前 に、太陽の光のさんさんと降りそそ保ちながら、″全速〃にスイッチを人をものすごい勢いで、走り抜けていっ ぐ、水面へでた : : : 」 れた。 た。私は、頭をぐっと下へ向けたま 「万事うまく 艇はちょっと揺れて、前方へつんのま、計器盤から目を離さないように、 めった。そのため、前からおし寄せて背を丸めた。この時すでに、艇は予定 「 : : : この艇の建造にあたった人たちきた波を、もろにかぶって、私の体の針路からはずれていた。 が、試航の成果を案じながら、快速艇は、操縦席の背もたれにいやというほ そこで私は、上方を見あげて、太陽 の位置を探し求めた。それが大失敗と なった ! 水中で、急に体を動かした ため、波が水中眼鏡をさらっていって しまった。 瞬間、水が人るのを防ぐために、両 眼を閉じたが、しばらくは盲目も同然 だった。私は手さぐりで艇を操作し、 やっとの思いで浮上した。 快速艇が駆けつけてきた。私は彼ら と二、三言葉をかわしたあと、別の水 中眼鏡を借りた。そして、近くで艇の 操作をしているあいだは、快速艇のエ

2. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

「チャリオット」 クに空気は送らず、その場で艇の姿勢て、体をささえていなくてはならなか 海底に死す を立て直してから浮上を開始し、敵船 「 : : : 敵の船底から完全に離れるま しかし、そうした事態になっても、 の左舷の深度約六メートルのところま でやってきた。その船の影の真下まで私はいたって楽な気持ちでいられた。で、ウールコットは艇内に人ってこ きたとき、私は。ハラスト・タンクに空すくなくとも息だけはできたからだ。ず、外側にしがみついていた。そのま とにかく、はやく弾頭を運んできて、まで帰路についた艇は、二五メートル 気を送った。 敵の船底にとりついたとき、艇の上ゥールコットがそれを敵船底に取りつばかり敵船から遠ざかっていった。 さらに四〇メートルまで離れたと に取りつけてある金属の手すり棒のおけるのに、手をかしてやらなくてはな バッテリき、私は、副手ゥールコットから四番 かげで、ずいぶん助かった。さっそくらなかったので、私は船尾の 合図ーー浮上せよーーーをうけとった。 ーを始動させた。 副手のウールコットは、艇内から外へ でて、前方へ向かっていった。弾頭と彼は弾頭を艇からはずすと、それをその合図を送ってくるからには、なに 船底竜骨部とのあいだの距離が、まだ抱えて進んでいき、その強力な爆薬か理由があるにちがいないと察した私 だいぶ離れていることがわかったのを、二つの留め金で竜骨部にびたりとは、敵船から五〇メートル離れた水面 に浮上した。 で、彼は私の方に向かって、艇をもう取りつけた。 それから、港外へ脱出すべく、緩速 その作業ぶりは、おどろくほどはや すこし前へだすようにと、合図を送っ てよこした。 かった。彼は、弾頭を船底にしつかりで水中走行に移った。そのときも私戦 と固定したあと、時限信管を午前零時は、ぜったいに敵からは発見されない日 私が主モーターを始動させた瞬間、 手すり棒がもろに私の水中眼鏡にぶつ四十五分にセットした。この弾頭取りという自信をもっていたが、さいわいで の かり、体をうしろへ突き飛ばした。そっけ操作が終わるやいなや、ウールコにも、そのとおりにうまくいった。 のために、私は艇の片側にしがみつ ットは艇 ( もどってきた。私たちは操数分後、わが副手は、またも合図を極 き、たったいまとりついたばかりの巨縦室のうえで固く握手をかわしたあ送ってよこした。万事 0 、空気がう 船の船底に、両手をつつかい棒にしと、脱出すべく発進していった : : : 」まい。無理もない。

3. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

そこのアメリカ海軍当局と、最終的なが正しいことを、私に納得させたうえ イギリスにおいても、わが潜水艦関 話し合いをしたいと申し出ると、提督で、こうのべた。 係者たちはみな、ジェームズ・ファイ はいやいやながらも許可をくれた。こ 『いまとなってはもう手遅れだね』 フをよく理解し、愛し、そして彼から のときの空の旅は、まったくやりきれ しかし、このときから提督と私との多くのことを学んだ : : : 」 ないものであったが、それでも四日後あいだに、友情が芽生えた。そして、 アメリカ海軍 には、フィリピンのスビック湾で、アそのあと数カ月にわたって、提督と会 ファイフ提督 メリカ海軍のジェームズ・ファイフ提う機会があったが、そのたびに、この 「 : : : 疲れ果て、意気消沈してシドニ 督との会見にまで、こぎつけることが人物にますます心をひかれ、もっとも へもどってきた私は、さっそく、フ できた。 誠実で飾り気のない、しかも有能な男レーザー提督のもとへ顔を出した。彼 私は提督の家のべランダに、彼と差に出会ったのだ、という感じをますまは私の立場に、同情はしてくれたが、 し向かいに腰をおろして、コーヒーをす強くしていった。 かといってなんの希望をもあたえては 飲みながら、わが >< 艇の利用価値につ アメリカが参戦する以前、ジェームくれなかった。 いて、あらゆる一言葉をつかって、できズ・ファイフは、イングランドでしば それからほどなく、あるちょっとし うるかぎりの説明をした。提督は、そらく暮らし、イギリス潜水艦に乗り組た機会から、ファイフ提督の友人に会 の私のことばに、何時間にもわたつんで、しばしば危険な哨戒の任務につ った際、彼の話から、マレー、中国と て、じっと耳を傾けていた。 いていた。彼は、わがイギリス海軍を日本のあいだを結ぶ電信連絡網を切断 この会談の最後になって、彼は、私よく理解し、ほめたたえ、かっ尊敬しする必要のあることを教えられた。 のそれまでの発一一一「内容にたいして、驚ていた。だが同時に、その限界をも見そこで、私は、ただちに司令長官に けいがん くほどの深い理解を示してくれた。そぬく慧眼の持ち主だったので、アメリ 会い、そのあと、プリスペーンにおい して、私の心に、なるべく打撃を与え力潜水艦隊も、この限界に突き当たらてあった私の船へ飛んで帰り、その船 ないように、慎重にことばをえらびな ないようにと、たえず研究をおこたらをグレート・ リアー環礁内の秘密碇 がら、なおかっ彼の言わんとすること 4 な , かつみ」。 泊地へ隠した。 140

4. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

幻のた。私たちがそのドックの方へこっそに、『・ハレンフェルス』のマストがう 攻撃りと近づいていくにつれて、水路はしつった。かって″マキシー 「このウエスト・ バイフィヨルドの水だいにせまくなり、船舶の往来も混雑が、その最後の攻撃で血祭りにあげ 域一帯は、機雷がいちめんに敷設されをきわめてきた。私は、潜望鏡をピスた、あの商船だ。水面にでたそのマス ランザム トには、 "Lansam Fahren" という注 ていたので、私は、まるで大の川端歩トン運動のようにだしたりひっこめた りしながら、浮きドックのまわりをう意書きがあったつつまり、″徐行せよ〃 きよろしく、あっちへよろよろ、こっ という意味だ。結構だとも。私は、わ ちへよろよろしながら、艇を操っていろうろしていた。 まさにこの瞬間、まるで″いたずらずか二・五ノットの速度で進んでいた できることなら、きまった水路をそ株式会社〃でも考えだしそうな、たちのだから。 のまま進みたかったが、あたりは船のの悪い事件が突発したのである。あま午前九時三十分頃、浮きドックの後 住き来でごったがえしていたので、い り潜望鏡のだしいれが激しかったた部の下に潜水して、最初の爆薬を仕掛 つのまにやら、予定のコースのはるかめ、機械が熱をもち、ついに煙を吐きけた。そのあいだ私は、ドックが動か 北方まで押しやられていた。 だしはじめたのだ。私たちは、あわてないように海底に固定させておいた。破 それが終わると、こんどはドックの下 いろいろな理由から、私は潜望鏡のて修理した。 を 頭だけは水面上にだしておき、数秒お われわれは、かなり浮きドックに近を通りぬけて前部 ( 向かい、そこでもん きに、すこしでも覗いてみるようにしづいていた。見たところ、防潜網も目う一つの爆薬を投下した。この作業が た。とうとうブッデフィヨルドの湾口に人らなかった。だが、なんたること終わったのは、午前十時十五分だっ ぞ、ドックの中はからつぼではないた。 が、視界に広がって見えはじめた。 か。ただ、その傍に一一隻の小型舟艇が いまや身軽になった艇を、一〇〇メ艦 まず私たちは、監視所、寺院といっ たような、二、三の建物の確認にとりいるだけだった。 ートルほど走らせたところで、現在位 かかった。 浮きドックまであと一〇〇メートル置を確認し、艇首を下げて潜水、あと ハイフィ 午前九時、私は浮きドックを目撃しという地点まできたとき、ふと私の目は競走馬よろしくウエスト・・

5. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

雷を″工 と命名した。 に、私たちは、港の人口に張りめぐらベルも私と同様、向こう側の網の目に 数年前、筆者たちは、これら一連のしてある、対潜網の周辺までの走行ひっかかって、文字どおり身動きもで 実験について、クラブ大尉と語りあつを、何度かやって見せることになったきないありさまでした。 たことがあるが、そのとき、彼はこんんです。 それでもなんとかして、あの貴重な な話をしてくれた。 ところが、潮の流れのため、私はいおもちゃだけは無事であってくれるよ 「はじめて港外にでて、あの魚雷を操きなりもんどりうって、頭からまとも うにと、気ばかりあせって、心配でた 縦したときには、わが生涯でも、最悪に、網の目に突っこんでしまったわけまらなかったのですが、そのうち二人 の数分間を経験しましたよ。さいわです。まったくどうしようもありませとも息苦しくなってきて、もはや窒息 い、ベル兵曹がお客さまとして、私のんでした。正直言って、こりゃなんと死するのではないかというところまで 傍にいてくれたんで、助かりましたが かしなくちゃいかんと思ったときにきました。 ね。 は、もう私の体は、半分網の目のなか それというのも、私たちは、水中呼 何人かの技術将校たちの参考のためにのめりこんでいたんです。見ると、吸装置についているイタリア式の柔か 4 0

6. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

敷設してあるから、注意せよとのこと上した。月は沖天にこうこうと照り、で、たいへん助かった。 こっこ 0 発進時刻、午後十時十分。 申しぶんのない夜だった。『チャリオ ト』の操縦士たちは、そこで艦橋に『前部ハノチ開けーー僣水隊員上へ』 だが私たちは、うまく機雷を避けて その時点までに、私たちはすでに、 とおり、港から約七キロ沖合いの地点でて、もう一度、港の人口のほうを偵 自分たちの操縦席にゆったりとすわっ に到達した。そこで潜望鏡をのぞい察してみた。 こちらから標的船を見るのには、まていた。潜水艦長は艦首を下げ、いっ て、攻撃目標の船の様子をさぐってみ ことに視界良好だったので、このぶんでも潜水できる態勢をとっていた。私 たところ、一一隻とも、おたがいに寄り なら、攻撃を終えて潜水艦に帰投するたちの酸素吸人口は、水中に人る前か 添うようにして碇泊していた。 のにも好都合だと思ったが、そのじら呼吸していたため、その熱で、焼け 『チャリオット』の乗員たちはみな、 目標船の姿と、陸上の目じるしになるつ、私たちは、敵船の近くからこちらっかんばかりになっていた : : : 」 月明かりで ものをとっくりと見ておくことができを監視されていたことには、すこしも 敵船を発見 た。これが、あとになって、ひじよう気づいていなかったのである。 「 : : : 私たちは、最後の指令を航海士 たいへん豪華なタ食を終えたあと、 に役に立った。 なぎ 海はべた凪で、このぶんだと夜も晴午後九時に、私たちは装具を身につけからうけとった。彼は、外殻タンクま れて、視界もじゅうぶんなことは、まはじめた。この潜水装具をつけたままで降りてくると、私たちのコースを、 ずまちがいないと予想されたので、 で、 " ゼロ・アワー。 ( 発進時刻 ) ま次のように指示した。。ハケット港潜人戦 『トレンチャント』の艦長は、はじめで、じっと待っていたのでは、気がいまで、針路北簡西の方角に一〇・五キ扣 の計画どおりに、われわれをあまり敵らいらして、とても不愉快だったにちロ。。ハケット脱出の際は、針路南簡東で の の近くで降ろすと、危険であると判断がいないが、さいわいにして、潜水艦の方角に一一・三キロ。 の乗組員たちが、通気装置を使って、 午後十時十五分までに、全艇員そろ極 って、つつがなく母艦から発進してい ゴムの。ハイプで、たえず風を私たちの 『トレンチャント』は、午後七時ご ろコー・ドルクマイの南方海面に浮マスクのなかへ送りこんでくれたの

7. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

敵船底に弾頭の取りつけ作業をして いよいよ、旅路の終わりが近づいた 第二艇のスミス兵曹も、たったいま いるあいだ中、彼の片方の酸素袋は水ところで、私はかねて打ち合わせてあ帰投してきたばかりで、艦内にひきあ 中に浮きつばなしだったため、吸人官 った合図の信号を、懐中電燈の光で三げられるところだった。副手ゥールコ がよじれ、呼吸がたいへん苦しそうだ回送った。やがて、私たちを出迎えに ットと私も、いそいで艦内にひきずり った。それがなによりもつらかったこやってくる″ (—〃ポートの姿が見えて入れられた。それは、付近に一隻の魚 きた。 とは、私にもよくわかっていた。 雷艇がいるのを探知したという報告 港の人口を完全に離れてから、私た潜水艦に艇を横づけしようと近づいが、人っていたからである。 ちは浮上した。主バラスト・タンクにていくと、おびただしい赤い光で、艇このために私たちは、艇の装備類は 空気を送りこみ、ゴ ー・ドルクマイをを前面から照らしつけられた。どうやなに一つ、たとえば、懐中電燈一本す 目ざして、第四速で進んでいった。少ら艦の乗員たちは、私たちがそのままら持ちだすことができず、いや、艇そ ノ し向かい波をうけたが、このときの走いきすぎてしまうものと、感ちがいしのものの救助、 ノテリーの通気官の たらしい。 行は、快適であった。 取りはずしさえも、できなくなってし まった。 の不メ 員 二隻の『チャリオット』は注水さ 耙離乗 れ、主・ハラスト・タンクの空気は抜か 艇 : 度続幅ル れ、永遠に海底深く葬り去られてしま 航装速航全ト 潜武 ったのであるし メ 殊発トル 特ン 2 スミスとプラウ 型ト薬ノ一 爆 6 メ ンの波乱な体験 / ル 水 ト 5 : 吃 の スミスとその副手プラウンは、エル ス 一長 量トで全ル 5 ドリッジ組よりも、さらに波乱にみち ギ水マカト た体験をした。彼らが潜水したとき、 イ排ア馬詳一 4

8. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

魚雷隊員のつけこ新しい装備 品を視察するジョージ六世国 王と W ・ R ・フェル司令官 の水中姿勢を調べてみた。緑色の水藻 の細かい切れはしが、いくつか私の水 中眼鏡にまつわりついていた。 私は体をのりだして、下の方をのぞ きこんでみた。艇は完全に停止してお り、徴動だにしなかった。まるで、固 型ガラスの中にでも、閉じこめられて いるかのような感じだった。 ところが、それに見とれていたあま り、私自身の体が、いつの間にかまる で重力を失ったかのように、水中に浮 き上がっているのだった。あわてて下 へ潜ろうとしたが、その努力もむなし かった。私は運動の自由を失ったこと に、大きな驚きを感じたので、艇に戻完 ったあとで、改めてこの奇妙な現象に準 ついて、あれこれ考えてみた。 そのうちふと気がついてみると、あ たりは真っ暗で、おまけに、両耳には軍 げしい痛みを感じた。艇は、相当の深 度にまで潜水しており、浮上にとりか からなくてはならなかった。

9. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

その後、艇によって海底ケープル始した。このために、私はオーストラあの偉大な攻撃作戦に、勇躍乗り出し リアへのとんぼがえり旅行をくりかえて行くことはなかったであろう。 を発見し、切断できることが実証され しこ。 ジェームズ・ファイフについては、 はしたが、悲しいかな、その成功のか どんな飛行機でも、片つばしから利書くべきことがまだたくさんあるし、 げには、もっとも勇敢な隊員が、二人 まで命をおとしたのである。かって彼用した。飛行場がジャングルにおおわ将来は、もっと多くのことが、彼につ らと出会い、ともに働いてきたことれているような島を除いて、激戦中のいて語られるであろう。しかしいま 島や末占領の島など、延べ六四〇〇キは、彼の名は、アメリカ海軍のなかに を、私は今でも名誉に思っている。 口にわたる、島から島への、長い空ののみ、とどめておくのが妥当かもしれ それから私は、ニューギニアを経て ない。 フィリピンへ飛んだ。そこで私は、興旅をつづけた。 奮に顔をかがやかしたファイフ提督の失望のどん底にありながらも、作戦アメリカ海軍全員は、いまや、その 出迎えをうけた。その参謀たちに、さ計画をたて、訓練にうつり、そして最尊敬の念に輝きみちた顔を、そろって っそく、艇の作戦計画を練るよう指後の実地演習にこぎつけるまで、二カ提督のほうへ向けているのである。私 は部下として彼に仕えたこと、そし 示が下された。また、提督自身も過密月近くかかった もしあのとき、ファイフ提督の援助て、私の人生において、もっとも意気 な日程のなかから時間をさいて、われ われの努力にたいし、協力と助言と指や、わが司令長官の信頼がなかったなあがったあの二週間を通じて、彼の司 らば、そしてまた、第潜水戦隊全員令旗を、わがイギリス海軍潜水母艦戦 針をあたえてくれた。 われわれはそのあと、使い古しのケの忠誠心と、活力と勇気がなかったな『ポナヴ , ンチャー』艦内に掲げるこ扣 とのできたことを、いまさらながら、で ープルを群生した珊瑚や、海底の古いらば、フレーザー、ウエストマコノ ト、シーン、およびスマートたちは、誇りに思うものである」 の 泥のなかに深く埋めこんで、訓練を開 東

10. 必殺! 人間魚雷 日栄独伊・恐怖の特殊潜航艇

かんべき を避けるために、二人乗り人間魚雷のほど走ってみたが、艇の操縦性は、まて、様子を見た。潜水時の姿勢は完璧 " 騎手〃たちが使うにふさわしい、特ことにすばらしく、流線型の船体は、だった。 殊な水中呼吸装置の使用法にも、情通さざなみ一つ立てず、なめらかに進ん そこでいよいよ、始動を開始した。 していた。 でいった。水槽の向こう側まで行きっ私は体中の筋肉を緊張させ、櫂を漕ぐ 設計者自身くと、艇を止め、艇首をかえして太陽ように、手で水をかきわけながら、太 が試験走行の方へ向けてから、 " 万事みのサ陽の真っ正面に向かうように、艇首を この艇の初めての水中試験に関すインを送り、自由注水口のバルプを開まわした。ついで、水平舵を " 潜水〃 る、彼自身の報告書には、今さら何もいた。艇は潜水し始めた。 の状態にして、 " 徴速前進″に移った。 つけ加える点はない。彼はこの艇の、 水がデッキの上を洗いはじめたと艇は、まるで大魚のようになめらか そもそもの発案者であったばかりでなき、自分の浮力をほどよく調整するたに、水面から滑降していった。操縦桿 く、その設計者でもあり、しかも、最め、私は操縦室の外側に手をかけて、を通常の位置に固定して、水平舵の平 初の試験走行のときには、みずから操艇から外へ脱け出し、さらに艇の底を衡を保った。これで潜降が止まり、艇 縦桿をにぎっていたからだ。 泳ぎ抜けて、また反対側から乗り込は滑るように前進していった。 「貯水槽は、一五〇〇メートル四方ぐみ、そこでしばらく休んだ。それか水中を通して、火の玉のような太陽 らいの広さで、水面は穏やかであつら、注水バルプをふたたび開くと、艇の姿が、目の前に浮かんで見えた。私 。青空からは、太陽が照りつけていはぶくぶくと音を立てながら、潜水しは操縦桿を下へ押して、少し浮上する たが、水中で忙しく作業をしているとていった。 と、その場で艇を水平に保った。それ きには、この太陽が、コン。ハス代わり艇が完全に水中に沈むのを待って、は、まったくばかばかしいほど簡単な をしてくれるので、好都合だと思っ 私はその上に、直立の姿勢で立ち、水操作だった。この操作をくりかえして た。まず私は、太陽の方向へ向かつ中眼鏡が水面すれすれのところにでるいくうちに、しだいに自信をもち、気 て、水中航行をしようと考えた。 程度に、頭を水から出した。すべての持ちの上で余裕もできてきた。 貯水槽の水面を、約三〇〇メートル ・ハルプの栓を締め、艇を揺り動かし 私は、電源のスイッチを切って、艇 かい