アフリカ / 独立国一 国内 一人当り 通貨単位 独立年月 旧宗主国 総生産 国内総生産 1980 1980 米ドル 百万米ドル 39 870 22 970 7 190 7 300 17 940 32 090 国名 貿易 面積 人口 主要言語 人口 密度 (km2) 1980 年央 ( 人 /km2) 推計 , 千人 主要輸出産品 首都 ( 1980 , 百万米ドル ) 輸出 輸入 アルジェリア民主人民共和国 2 144 ディナール 8 アラビア語 , 1962 ・ フランス語 7 アルジェ フランス エジプト・アラブ共和国 42 アラビア語 546 エジプト・ホンド カイロ 1922 ・ 2 イギリス スーダン・ホンド スーダン民主共和国 385 7 アラヒ、ア語 , 英語 1956 ・ 1 イギリス ノ、ルトゥーム チュニジア共和国 115 39 アラビア語 , フランス語 1956 ・ 3 チュニス フランス ィ - たーーノレ モロッコ王国 45 アラビア語 , 1956 ・ 3 886 ディル / 、ム フランス語 ラ / ヾト フランス リヒ・ア・テ・イナ 社会主義人民リビア 2 アラビア語 トリポリ 10 779 1951 ・ 12 イタリア オートボルタ共和国 ワガドゥーグー 142 CFA フラン 25 フランス語 1960 ・ 274 200 8 フランス ガーナ共和国 アクラ イギリス 1 344 セディ 238 537 48 1957 ・ 3 と日ロ , アシャン丁日ロ カーポ / 、′レテ・・ ポルトガル語 プライア カーポベルデ共和国 80 ポルトガル 4 033 1975 ・ 7 ェスクード ガンビア共和国 53 英語 , マンディンコロ ダラシ イギリス (e) 256 11 295 / ヾンジュノレ 1965 ・ 2 ギニア共和国 コナクリ 20 フランス語 333 シリ 245 857 1958 ・ 10 フランス ギニア・ピサオ・ ポルトガル語 ギニア・ビサオ共和国 16 ポルトガル ピサオ 3 208 36 125 1973 ・ (b) コートジボアール共和国 25 フランス語 アヒ・ジャン 322 463 882 CFA フラン 1960 ・ 8 フランス シェラレオネ共和国 48 英語 , メンデ語 イギリス レオネ 71 740 フリータウン 268 1961 ・ 4 セネガル共和国 29 フランス語 , ウォロフ語 196 192 ダ、カール 468 CFA フラン 1960 ・ 8 フランス トーゴ共和国 56 785 48 フランス語 393 CFA フラン ロメ 1960 ・ 4 フランス 英 : 言吾 , ′、ウサ言吾 , ヨノレ . ′ヾ ラゴス ナイジェリア連邦共和国 イギリス ナイラ 923 768 1960 ・ 10 1 182 吾 , イボ言吾 ニジェール共和国 1 267 000 4 フランス語 , ハウサ語 ニアメ 1960 ・ 8 フランス 356 CFA フラン ポルト・ノボ ペナン人民共和国 32 フランス語 112 622 266 CFA フラン 1960 ・ 8 フランス マリ共和国 1 240 000 6 フランス語 1960 ・ 9 フランス 204 - リ・フラン モーリタニア・イスラム共和国 1 030 700 2 アラヒ・ア語 , フランス語 ヌアクショット ウギア 1960 ・ 11 300 フランス リペリア共和国 17 英語 111 369 モンロピア アメリカ リべリア・ドル 1847 ・ 7 555 ガポン共和国 2 フランス言吾 リープルヒ、ル 2 925 (f) 5 417 CFA フラン 1960 ・ 8 フランス (f) カメルーン連合共和国 英語 中部アフリカ 18 フランス語 , ャウンデ 6 010 707 CFA フラン 1960 ・ 1 フランス コンゴ人民共和国 CFA フラン 4 フランス語 プラザピル 1 750 1 139 1960 ・ 8 フランス ザイール共和国 12 フランス語 キコンゴ語 キンシャサ ザイール 6 ーヾノレギー 6 160 1960 ・ 218 サントメ・プリンシベ民主共和国 ポルトガル語 88 サントメ ホルトガル ドプラ 1975 ・ 7 赤道ギニア共和国 13 スペイン語 , プヒ・語 スペイン ェクプウエレ マラボ (b) 1968 ・ 10 257 チャド共和国 4 フランス言吾 , シャノ、ン加 工ンジャメナ 1960 ・ フランス 111 CFA フラン 8 中央アフリカ共和国 4 フランス語 , サンゴ語 ノヾンキ・ 1960 ・ 351 CFA フラン 8 フランス プルンジ共和国 フランス言吾 , キノレンジ言吾 プジュンプラ 162 1962 ・ 7 , ヾノレギー フフレンジ・フラン 175 フランス言吾 , キニ六 , ノレワ ルワンダ共和国 キガリ 192 1962 ・ 7 , ヾノレギー ルワンダ・フラン 222 (f) ンダ言吾 吾 , スワヒリ言吾 , フ・ガ ウガンダ、・シリ ウガンダ共和国 イギリス 12 790 56 カン / ヾラ 969 309 ンダ言吾 ング 工チオビア 三五 - ”・三五 27 アムノ、フⅱロ , 央 3 690 プル アディス 113 418 英語 , スワヒリ語 ケニア共和国 28 ナイロヒ・ イギリス 5 990 1963 ・ 12 ケニア・シリング 365 1 299 コモロ・イスラム連邦共和国 コモロ語 , フランス語 154 (b) 1975 ・ 7 フランス 229 CFA フラン 9 モロニ (d) ザンビア共和国 ルサカ イギリス 1964 ・ 10 3 790 643 クワチャ (f) 1 377 ジプチ共和国 5 フランス語 , アラヒ、ア語 ジプチ (d) 1977 ・ 6 90 ジプチ・フラン フランス 809 (a) 36 英語 , ショナ語 , マタベ ジンバブエ共和国 ノ、ラーレ 1980 ・ イギリス 3 640 ジン / ヾフ工・ドノレ 4 495 1 194 (f) 英 , フランス語 , クレ セイシェノレ・ / レ セイシェル共和国 ビクトリア 232 1976 ・ 6 (d) 63 フランス (d) 1 052 オ - ーーノレ言吾 ピー ソマリ言吾 , 吾 , イタリ ソ - ~ リア・シリ ソマリア民主共和国 モガディシオ イタリア 6 1960 ・ 7 1 130 310 ング ア言吾 , アラヒ・ア言吾 タンサ・ニア・シ タンザニア連合共和国 スワヒリ語 , 英語 ダルエス・サラーム 1961 ・ 12 イギリス (f) 4 564 254 リング フランス高吾 , ー ~ ダ、ガスカ マダガスカノレ・ マダガスカル民主共和国 15 アンタナナリポ 3 260 1960 ・ 6 フランス 373 ノレ言吾 フラン マラウイ共和国 50 英語 , チチュワ語 イギリス 1 420 リロングウェ 1964 ・ 7 クワチャ 238 : 英言吾 , フランス言吾 , クレ モーーリシャス ポート・ルイス 468 イギリス 1 066 1968 ・ 3 モーリシャス (f) (f) 1 171 - ーーノレ言喬 ノレピー ポルトガル語 アンゴラ人民共和国 6 1 246 700 ポルトガル 7 078 2 500 ルアンダ 1975 ・ 11 クワンザ 353 スワジランド王国 32 央語 , スワジ語 南部アフリカ 17 363 547 1968 ・ 9 イキ・リス 347 リランシェ = ・・ ムノヾノヾ不 (b) (b) 707 ポッワナ共和国 600 372 1 英語 , ッワナ語 821 イギリス 606 プラ ハポローネ 1966 ・ 9 (e) (e) 830 24 Y@語 , アフリカ ン・第ス、吾 南アフリカ共和国 1 221 037 29 285 プレトリア イギリス 74 660 5 ラント 1910 ・ 2 549 ノヾン・トウー一員ロ 13 ポルトガル語 モザンビーク人民共和国 801 590 10 473 マプート 1975 ・ 6 ホルトガル 2 360 225 メティカル 44 英語 , セスト語 30 355 1 339 イギリス レソト王国 250 1966 ・ 10 ・ ~ セノレ マロチ 187 注 . 「国連世界統計年鑑』 ( 1979 ~ 80 ) 「国連世界人口年鑑』 ( 1980 ) 「世界の国一覧表』 ( 1983 ) 「アフリカ便覧く外務省〉』「中近東・北アフリカ諸国便覧く外務省わ「世界銀行 世界開発報告』 ( 1982 ) に基つ・き作成。 * 1984 年 8 月 , オートボルタ共和国は国名をプルキナ・フアソ民主人民共和国に変史 ( a ) 1974 年 ( b ) 1975 年 ( c ) 1976 年 ( d ) 1977 年 ( e ) 1978 年 ( f ) 1979 年 チュニジア 石油類 , 食料品 (f) 8 537 3 837 原油 , 石油製品 , 綿花 綿花 , ゴマ , ラッカセイ 1 616 原油 , オリープ油 , 過燐酸肥料 3 536 燐鉱石 , 食科品 4 185 原油 , 石油化学品 , 天然ガス (f) 5 311 綿花 , 家畜 , ラッカセイ 593 カカオ豆 , ココア , 木材 , 金 993 44 鮮魚 , 岳入り魚 , バナナ ラッカセイ , 魚類 126 ポーキサイト , アルミナ 32 工ビ , ラッカセイ , パーム核 (d) ココア , 木材 (f) 2 493 コーヒー 鉱物 , コーヒー (f) 297 ココア 魚類 , 石油製品 , 燐鉱石 942 燐鉱石 , ココア , コーヒー 518 原油 , カカオ豆 (f) 12 399 ウラン , 野菜 , 家畜 (c) 127 綿花 , カカオ豆 , パーム製品 (e) 267 綿花 , 家畜 , ラッカセイ (f) 367 鉄鉱石 , 魚類 253 鉄鉱石 , ゴム , 木材 640 石油製品 , 木材 , マンガン鉱 804 原油 , コーヒー (f) 1 271 ココア 石油 , 木材 , 宝石 (d) 184 銅 , コバルト , ダイヤモンド 725 14 ココア , コフラ , / 、一ム核 ココア , 木材 綿花 , 家畜 , 肉 118 ダ、イヤモンド , 木材 70 コーヒー ーヒー , 茶 , 綿花 コ 168 コーヒー , 錫石 , 茶 102 コーヒー , 綿花 , 紅茶 167 コーヒー , 皮革 , 豆類 567 石油製品 , コーヒー , 紅茶 2 305 バニラ , 香科・香油 18 銅 , コバルト , 亜鉛 755 食料品 , 繊維 134 , 石綿 タバコ , フェロアロイ 940 石油 , コプラ , 魚類 家畜 , バナナ , 皮革 287 コーヒー , 綿花 , 鉱産物 1 258 コーヒー チョウジ , バー 641 ーーフ , 砂糖 , 紅茶 418 タノヾコ 砂糖 , 衣類 , 電気製品 609 石油 , コーヒー , ダイヤモンド 625 砂糖 , パルプ , 木材 ダイヤモンド , 銅・ニッケル塊 貴金属 , 鉱産物 , 卑金属 (f) 8 336 カシューナツツ , エピ , 砂糖 (d) 278 ダイヤモンド , 羊毛・モヘア 2 381 741 1 001 449 2 505 813 163 610 446 550 アラブ国 1 759 540 12 407 3 046 543 2 201 2 403 (f) 16 085 18 594 41 995 18 691 6 363 20 242 2 977 工 ジ レ + 、ノア ロ 北アフリカ ジ 工 リビア 西サノラ「 ④ - ( ー、叫 ) ナイジェリア ィ ( ) カメ [ ガポジいコ / ゴ / ザイール タンザニア モザ、 ビー \ / ヾフェ ミビアー、 ポッワナ、 - 南アフリカし 第い カーポ ペ丿レテ・ 980 15 390 6 908 11 450 324 601 5 014 573 7 973 3 474 5 661 2 699 77 082 5 305 3 567 6 906 1 634 1 873 43 1 096 (e) (e) 2 (f) (e) (e) ーシェー丿レ ~ ′チャド ' / ースーダン ′中央アフリカ、、 ジプチ 西アフリカ ーコ = ソマリ丿 くエチオヒ。ア = ・ ) ケニアに ウガンダ ルワンダ フ・丿レンジ 0 マラウイ コモロ 146 1 670 110 7 030 930 2 650 1 060 91 130 1 890 950 1 410 490 1 040 2 3 (d) (f) 2 515 205 (f) 414 (f) 218 (f) 18 073 134 26 (e) 152 194 601 プリンシベ 赤道 ①セネガル ②ガンビア ③ギニア・ビサオ ④キア ⑤シェラレオネ ⑥リペリア ⑦コートジボアール ⑧オートボルタ ⑨ガーナ トーゴ ⑩ ⑩ペナ / 0 0 セイ シェ丿レ 0 モーリ 丿レ シャス マダ・ス スワジランド レソト 267 667 475 442 342 000 2 345 409 964 28 051 1 284 000 622 984 27 834 26 338 551 8 503 1 537 28 291 85 363 4 524 2 221 4 512 5 046 (f) 1 477 1 129 (f) (d ) 180 1 639 2000km 1000 0 (d) (d) 82 500 780 790 1 120 (b) (c) (f) (c) (f) 236 036 13 201 1 221 900 32 601 582 646 16 402 2 171 335 752 614 5 834 22 000 119 390 580 7 360 280 65 637 657 3 645 945 087 (e) 17 528 587 041 8 742 118 484 5 968 2 045 957 1962 ・ 10 東アフリカ (d) (f) (a) (f) (d) (f) 111 508 115 317 429 1 227 (a) (a) 9 618 (f) 129 (d)
政策がとられていた。一九六〇年代、七〇年代 いる国が増えている ( 表 4 ) 。 アフリカ共和国で採掘されている。コバルトは工業、雑業部門 ( インフォーマル・セクター ) にも大部分の一次産品価格は低迷していたが、 諸外国の公的開発援助額は、一九七九年の 銅鉱石に混在するが、ザイールで世界の二分のが共存している。 共同体 ) とアフリカ諸 「サハラ以南アフリカ」全域の平均では一人当七五年 O ( ヨーロッパ、 工業開発に関連して、各国ともに外国資本・ 一近くを産出している。ウランは世界の約三分 の一を占め、南アフリカ共和国とナミビアとで援助を受け入れると同時に、企業の国有化、あり一七・一誌であるが、一〇〇ド、を超えている国との間に結ばれたロメ協定によって、特定産 アフリカの約半分を生産し、ニジェール、ガポるいはアフリカ人化政策を進めている。社会主国 ( ポッワナ、モーリタニア ) もあるし、公的品の輸出収入減少に対し、が補償融資する ンからも産出している。これらの鉱業開発は、義的政策をとっているタンザニア、エチオピア援助の流入なしには円滑に運営しがたい経済的制度 ( スタベックス ) がつくられている。 〔交通〕アフリカの交通体系は、植民地時代 植民地期には宗主国の投資・技術によって進めでは全面的な国有化政策をとり、ザンビア、ザ脆弱国が多い に、宗主国経済に直結し、また宗主国の戦略的 られ、独立後は、アフリカ各国政府と外国の資ィー 、ガーナ、ギニアでは大規模鉱業の国有〔貿易〕アフリカの輸出総額は世界の輸出総額 の四・二 % を占めるにすぎないし、アフリカの意図によって、鉱産・農産・林産資源の開発・ 本協力ならびに技術協力によって進められてい 化を進め、自由主義的政策をとるナイジェリア るものが多い でも石油の国有化、全般にわたるナイジェリア輸出の八二 % は先進諸国に向けられ、アジア、搬出に適合するように整備された。各国植民地 中東への輸出は一 % にすぎない ( 表 5 ) 。アフ政府は個別に自国領の鉄道網を建設し、近隣諸 〔工業〕工業開発は、白人入植国である南アフ人化政策をとっている。 リカの貿易の特徴は、①一次産品 ( 農産品、鉱国との関連性は考慮されなかった。鉄道は貨物 リカ共和国、ならびに、地理的にヨーロッパ市〔投資・援助〕一九六〇年代、七〇年代におけ 場に近く有利である北アフリカ地域 ( とくにエる対アフリカ外国民間投資は、産業部門別にみ産品 ) を先進国 ( ヨーロッパ、アメリカ、日の運搬を主としており、現在でも総輸送量の約 ジプト、アルジェリア ) 以外はほとんど進んでれば、石油関係が約四〇 % 、鉱業・精錬業が約本 ) に輸出し、先進国から、機械、輸送機器、四分の三は輸出貨物である。アフリカの鉄道の いない。「サハラ以南アフリカ」地域の主要な 二〇 % を占め、比重が高い。したがって、国別電気機器、繊維製品、化学工業製品を輸入する総延長は約七万五〇〇〇キ。であるが、その三〇 工業は、輸入代替と結び付く消費財工業ならび には、石油産出国であるナイジェリア、アルジという開発途上型をとり、②貿易相手国として % は南アフリカ共和国にあり、全鉄道収入の半 に輸出農産物・鉱産物の一次加工業である。植エリア、リビアに対する投資が約三分の一を占は、輸出入ともに旧宗主国が占める比率が高 L.O っ戸 0 -0- 戸 0 ワ」 く③輸出産品の交易条件の悪化・停滞、輸入 民地時代には工業開発は等閑視され、独立後にめている。これらの投資の大半は、旧宗主国資 ようやくエ業化政策が進められたが、各国とも本が旧植民地に流入したもので、旧宗主国とア原油価格高騰によって、貿易収支は慢性的に赤 字となっており、④域内貿易の比率がきわめて に国内市場がきわめて狭小であるため、設立さ フリカ諸国との経済的連環性は断ち切られてい 低い、ことである。 れた工業も全般的に小規模である。コートジボない 表 6 に示されるようにアフリカ諸国の輸出 アール、ナイジェリア、ガーナ、セネガルなど 一九七〇年代の二次にわたる石油価格急騰、 は、いずれの国も少数の産品に限定され、それ では、衣料・繊維、飲料、たばこ、セメントなそれに伴う先進資本主義諸国の景気停滞によっ らは国際市場価格の変動に対してきわめて脆弱 どを生産し、自動車、電気機器の組立て生産をて、アフリカ諸国の国際収支は悪化し、各国と もに対外公的債務は増大し、商品・サービス輸な商品である。植民地時代には、政府・政府機 始めている。アフリカの諸都市には、組織化さ れた近代工業部門とともに、きわめて零細な手出総額に対する債務返済比率が二〇 % を超えて関による買付け価格統制によって、価格安定化 表こ 0 - ( うつっ 0 -4 ・、ー 4 つ -0- -0 ・《 0 -0- 11 一血 - 【 / 1 よ 1 亠 -0- ュ - 一 -0 戸 0 -0- 11 一 -0 1 よ《 0 1 よ 1 よ -9 、ワ朝 -4 ・「 / 発 年 日骭 U ーエ -9 ~ っ 0 ワ」ワ」 - ュ・ワワ」一 -0 ^. 0 《 0 ワ」 LO っ 0 一 .0 11 4- 4 ・戸 0 00 っ 0 -0- 「ー -. っ、 1 -0- 、 1 -8 一 一〕的 - かる 11 1 よワ朝、 1 っ 0 11 、ー 1-1 公額め 純助占っ 助 的額 援 発取 開当受い 人助′ 的 1 爰 公 務 11 11 -0- 1 人 -0- ワ」 債い目 的外賄品 公総が入 ビ対済 「 / -0- イ 1 ・ 1 人 -. 0 CO おサ額務 % 1 ー人、ー 1 ・ 1 品輸る率 国商スす比 諸 南 以 。り・サ ふ あ 国名 ヴー CO 戸 0 -9 、ハ 0 戸 0 、 1 -4 ・ t— -4 ・ -0- -0 ・ -9 ~ -9 、 1 ・ 4 ワ」【 / ( う【 / - -0 4 ・ - ト一【 / ワ】ワ」っ 3 「 / 11 1 人ワ」 -0- CO 11 ワ」 C'¯) 、 1 4 ・ 4 ・ワ」ワ】 11 -. 0 -4 ・ C-O 11 っ 0 1 よ ワ朝っ , 1 ・血・ワ】っ 0 -. 0 -0- 1 よ 、ー 0 ワ」ワ」ワ」ワ】、 1 1 11 、 1 ・ 4 ・、 1 低所得国 乾燥低所得国 チャド ソマリア オートボルタ ガンビア ジェーーノレ モーリタニア 32 . 4 その他の低所得国 12 . 4 ェチオヒア キ、ニア・ヒ、サオ 59 . 0 フツレンジ マラウイ ルワンダ、 ペナン モサンビーク シェラレオネ タンサニア サイール ギニア 中リとアフリカ マダ、なスカル ウガンタ、・ スーダン 中所得石油輸入国 セネ力、・ル ン : ンノヾフ工 . リべリア サンピア カメルーン スワジランド ポッワナ モーリシャス コートジボアール 中所得石油輸出国 アンゴラ コンコ・ ナイジェリア なポン サハラ以南アフリカ諸国 全世界低所得国 10 . 8 4 . 2 全世界中所得国 14 . 2 注 : " A ( て℃な川んわに尾ん第川に厩ⅲ S 励、立 / 襯襯〃。 4 万ゾ翩 ' : ・〃〃面 . ん。 4 ( 万 0 〃 " "The は初盟ノ B 〃〃た " ( 1981 ) による。 ( . ) は 0.1 % の半分以下 CC - 血・ -0- っ 0 11 -. LO 、 1 っ 0 ・ -0- t--— 11 11 -0- 11 1 よワ」 -0 ワ」、 1 ぜいじゃく 1 -4 ・ 15 . 2 「 / 11 11 っ 0 〔表 5 〕世界とアフリカの輸出額比較 輸出額成長率総輸出額に占める比率 ( 10 億ドル ) 先進国開発途上国 世界 ラテンアメリ カ , カリプアフリカ中東アジア 5 . 3 共産圏 界 世 1966 ~ 71 年平均 1977 年 1972 ~ 77 年平均 アフリカ 1966 ~ 71 年平均 10 . 2 12 . 0 1977 年 46 . 0 1972 ~ 77 年平均 32 . 6 24 . 8 注 : 、 'T 厖朝川房剏に E 雇 ) 'C ん加市 4 ツ・ 4 所が ' ( 1981 ) による -0 ・ 1 画ワ」 11 っ 0 ワ」ワ」 1 1 人 -0- ワ」イは・ 11 11 11 ワ」 ・ 4 ワ - ト 戸 0 -0- 00 《 0 CO -0- ワ】 1 よ ( ト ) -0- CO ワ】 ( 0 ワ」 11 1 よ ワ」 -0- 11 ワ】ワ」 , 1 1 ー - 、ーよ 11 487
あじあ が二種以上あわさったとき、味が飛躍的に強く 感じられることをいう。うま味、甘味成分など にある。抑制作用は、ある味が、ほかの味を加 えることで、味の感度の低下することをいう。 11 / 1 よー 8 ー 酸味、苦味に対する甘味などがそれである。 -8 -4 《 0 / -4 4 -8 「 / - -0 -4 〔温度と味〕味は、温度により感じ方に差があ る。甘味は、食物が体温近くの温度であるとき レ ン もっとも強く感じ、塩味は温度が下がるほど強 レ ン ワ く感じる。苦味は体温程度の温度より下で、急 ン トス ムド ・ガ レ一ンツア一カラマン一 ルペボク一 ポンマプ ルダ ルプレチ 速に苦味を増し、酸味はほばどの温度でも感じ レ ン ンンカンガコグラダ・イ プ・アンサダラカハシェドスカ一マル的 一ンマラカン ロー「スツイレ 一プヌデルグへス一コウヤマンナンイ 方は一定である。ただし、酢のように酢酸を含 都 ~ 星ウ ~ ョラ ヤノンンンニンリノア工 国 テマドニクリダアマアベ 首東ソ北ピウジフシ ラマバスハクビデコカイダテマカアサア工 むものは、温度が高くなると酢酸の蒸発により ム レ 弓い刺激が出て、酸味が強いといった感じに受 五ロ サ 1 三ロ 五ロ 五い コ 三一い け取られやすい。このように、四原味それそれ 工 レ レ 五ロ 英語英 五ロ に温度による感覚が異なるので、ある温度でバ 英語 , 英 首 五ロ 五ロ吾 の , 英 ア語英ミ 三一口 1 三 1 三ロ ランスのとれた味に感じた食物も、温度が変わ 五ロ五ロ五ロ 五ロ 五ロ 五ロ 五ロ 1 三い 一三い 1 三ロ二 = ロ 二 = ロ 、ンア , タ 二一 1 ロ , 一吾五ロ五ロ五ロ五ロ五ロ五ロ五ロ五ロ五ロ五ロ五ロ五ロ 111 一口 一語一 工 レ 五ロ ネジ語 ニ = ロ 五ロノ。ム五ロ五ロ ィリルルウル語ヒトアアアアイアアアアアアアア語アアア ると大幅に味が変わる。↓味わう〈河野友美〉 あんじ 五ロ五ロ五ロ五ロゴ ュシピピピラピシビピシビピピコピピピス ドボ一諡語マピ一語ナ一スデ ( 一一ドガカべ 按司あじ 0 按司 要本鮮国鮮ン ンンレ国・ 4 ルリレ国トレオンンミ パルンンイ、ンルラララブラルララリラララルララライ きた 主 ( ペアアアヘアベアアギアアアトアアア 日朝中朝モイカマ中タビピマ中べマラヒシタネウべゾデ 庵治 ( 町 ) あじ ( ちょう ) 香川県中部木田郡 ス サ にある町。高松市の北東に位置し、一九六八年 ン 度 0 -0- 00 -4 0 8 -4 -8 8 i-n -4 - ・ 8 0 1-- ワ】 LO 0 《 0 -8 ー 8 0 0 ワ】 11 CO 11 、 .0 1 よ CO 8 ワ朝 -4 - -0 -8 ワ 0 0 セ 1 8 0 4 0 ワ】 0 -0 14 ワ -4 11 0 00 -4 、 1 1 、 1 ワ】ワ 11 、 1 《 0 ( 昭和四三 ) 町制施行。丘陵性山地の庵治半島 年 ごけんぎん 人叺 の五剣山以北と瀬戸内海の大島などの島々から ン なる。耕地は狭く、漁業、水産養殖、水産加工 うんもか - 一う ロ位 タ 業が盛ん。庵治石とよばれる細粒の黒雲母花崗 ス 人順 岩を産し、石材業者は一〇〇を超え、墓石、灯 0 《 0 0 1 よ・ 4 「 / 、 1 -0 《 0 「 / 《 0 -4 0 1 よ ワ】ー 8 4 ろう -4 ワ朝《 0 t•-— -8 -4 ワ ) ワ】 -. 0 《 0 ー -0 《 0 フ 8 -4 1 人 籠を県内外に出荷する。最近は原石が不足し、 ー 8 0 -4 -8 ワ 0 c-O っ 0 00 、 1 1 人ア ロ人 7 1 8 9 6 00 戸 0 11 っ 0 っ 11 8 8 0 1- っ 人阡 6 8 6 7 1 外国からかなり輸入している。源平の合戦のと 推 き平家が船を隠したといわれる船隠湾にはマリ 年 ンパークなどがある。竹居観音、庵治温泉など 面順 観光施設は多いが、高松市から離れているた / -0 -0 -8- -0- -4 -0 戸 / 0 11 -8 0 0 ワ】 0 0 (¯) -0 0 《 0 / ワ】 0 戸 0 0 戸 0 11 -8 ワ」 -4 -0 ー八 め、観光の地元への貢献はあまり大きくない。 -4 -0 「 / 0 ・ 4 0 っ -8 1 、 / 4 る 【 / 00 ワ 0 ・ 4 8 ワ】、 1 戸 0 0 / 0 〈新見治〉 人口七九一四。 、 1 -4- -8 -8 -4 ・ -8 っ 0 ワっ 0 -4 ・ 1 よ 1 よ ト李 11 っ 0 -4 ワ】 -1 ・ 11 ー 回『庵治町史』 ( 一九七四・庵治町 ) 囮五万分の一地形図「高松」 国 年 アジア Asia 和国 国 国国 共和国 人 国 国 国 界 〔総説〕 和ム国 義共和 和国国 世 国 王 共 一和国 、王ム共 共和和 〔アジアの概念の変遷〕 テ 会 ラ民 主共共 共 国和 共国国国義ラ共和 ム 民和 社ス人 民邦プ民 王共 和主国サ義共 〔古代文明とアジア〕 ラ 国アプ シ国は 国人共共共 主イユ国ン連ラ人 会和ル主 主 レ 〔中世世界の成立〕 ビラ国 和義民ア 民国・シ国和タ国ア主国ス 社共ダ会民 共主人シア カ王ンデ王共ス長・民ル和イ 共トラア和ン・共人 一邦ン・社ア民 〔植民地支配下のアジア〕重商主義の時覧 ンルス一 国民主ル ネジボ国連ビイムシ人 ンルタランプニ首ンンエ共 ドボガ王マリネナ一スドラ一スグタジガプメメラクン一 民人民ゴ 一口エジアコレダノ面 代 / 産業資本主義の時代 / 帝国主義の 国名本韓華鮮ン ノ フラエエスララマタフウウリル一ルバ ンンンイルイルトレオン 時代 ョレ在 プモアアイイイイイオカキクサシト・ 日大中朝モイカシタビフプペマライスネ ノ 立国 月 〔独立と革命の時代の幕開き〕独立運動の独 年 高揚の背景 / 植民地体制の崩壊 ア 〔今日のアジアの諸問題〕 南 ア 東 「アジアと日本〕 と、つ 国連加盟 年月 1956 ・ 12 非加盟 1945 ・ 10 非加盟 1961 ・ 10 独立 年月 東ノンノ 372 313 98 484 9 596 961 120 538 1 565 000 00 1 LO 11 っ ・ 4 11 1 よ 4 0 11 っ 0 1948 ・ 8 1948 ・ 9 ートル 1950 ・ 9 1955 ・ 12 1965 ・ 9 1946 ・ 12 1948 ・ 4 1945 ・ 10 1 ム 8 CO -8 -8 -8 0 ワ】ワ】 1 904 569 181 035 581 514 000 676 552 300 000 5 765 329 556 329 749 236 800 1945 ・ 8 1953 ・ 11 1965 ・ 8 151 894 8 872 2 391 46 455 35 289 48 400 191 52 299 13 436 3 721 -4 ワ】 8 11 「 / 、 .0 戸 0 8 ワ】 11 11 1 1 よ 11 1977 ・ 9 1957 ・ 9 1955 ・ 12 南アジア 1945 ・ 10 1955 ・ 12 1955 ・ 12 1947 ・ 9 1974 ・ 9 1971 ・ 9 1965 ・ 9 663 596 14 738 14 010 82 441 88 656 1 298 148 3 287 590 65 610 140 797 803 943 143 998 47 000 298 1947 ・ 8 1948 ・ 2 ワ《 0 「ー 0 戸 0 ワ】 1 ・ 4 11 っ 0 ワ】ワ ワ】 00 00 1947 ・ 8 1971 ・ 3 1965 ・ 7 -. 0 -4 CO -4 ・ワ」っ 0 「ー戸 0 1 よワ】 0 0 C-D 、 .0 11 ワ】ワ】ワ】 11 1 よワ 0 00 っ 0 っ・】ワ】 1 よ 00 つんワ編 0 8 0 4 、 1 ワ】 Ln 0 ワ】 00 11 8 ー -4 14 ワワ】 1 よ 11 14 っ 0 っ 0 00 っワ 1 CO 西アジア 1946 ・ 11 1971 ・ 12 1947 ・ 9 1967 ・ 12 1949 ・ 5 1945 ・ 12 1945 ・ 10 1971 ・ 10 1971 ・ 9 1960 ・ 9 1963 ・ 5 1945 ・ 10 1945 ・ 10 1945 ・ 10 1971 ・ 9 1955 ・ 12 1945 ・ 10 1971 ・ 12 1967 ・ 11 1948 ・ 5 8 ^ 0 1 ・ - -0 1 よ 、ーよ 11 1- 1946 ・ 4 1971 ・ 8 1946 ・ 3 1943 ・ 11 273
に加わり、あるいは国連貿易開発会議 (DZO どによって、急速な資本主義の発展を目ざし 6 あ建の革命の推進力として登場してきたことも大民族解放運動にも影響を与えた。また、中国、 朝鮮、ベトナムなど民族解放闘争で共産党が指の七七か国グループに参加して、経済た。これに伴い、維新前後の「興亜論」 ( 中国、 2 じきな影響を与えた。 あ一九三〇年代の世界経済恐慌のしわ寄せがア導的役割を果たした国々では、民族民主革命の的自立、公正、平等な新しい国際経済秩序の樹朝鮮などと連携して欧米にあたる ) は「脱亜 論」 ( 福沢諭吉 ) にとってかわられた。こうし ジアの植民地、半植民地人民のうえにのしかか勝利後、この革命がさらに社会主義革命に発展立を、先進国側に要求する国々が多くなってき につしん るなかで、やがて、日本帝国主義の侵略戦争が し、社会主義体制が確立された。その結果、世ている。要約すれば、植民地時代からの悪しきて、日本は日清、日露両戦争によって台湾、朝 東アジア、東南アジアに拡大されるに及んで、界の社会主義陣営と資本主義陣営の力関係にも遺産である後れた社会経済構造の改革と同じ鮮を奪い、植民地化し、急速に帝国主義国の列 に加わった。さらに、第一次世界大戦を経て一 、独立前からの対外経済従属に加えて、アメ 反ファシズムと民族解放の課題はしだいに結合大きな変化が生じた。 リカを先頭とする先進諸国政府の、いわゆる新九三〇年代に入ると、世界経済恐慌による打撃 〔今日のアジアの諸問題〕このように、第二次 して、民族解放連動の深化、発展をもたらすに 至った。 大戦後アジアは大きく変わった。しかし、植民植民地主義の軍事、政治、経済、科学技術政策や国内社会の矛盾の克服のため、軍国主義と対 〔独立と革命の時代の幕開き〕〔独立運動の高地時代の後遺症ともいうべき問題ばかりでなや多国籍企業の浸透、支配の結果として生じた外侵略に向かって突進した。「大東亜共栄圏」 揚の背景〕アジアの植民地、従属国の民族解放 く、戦後新たに生じてきた問題も含めて、アジ新たな経済的従属からの脱却、経済的自立の達の構想は、実は日本帝国主義が欧米列強にかわ ってアジア諸民族を支配し、自国の富強と繁栄 運動の高揚は、他の大陸のそれよりも早く、第アは多くの重要問題を抱えている。戦後のアジ成が依然として重大な課題となっている。アジ 一一次大戦が終わると同時に始まり、一九四〇年ア諸国を政治権力の性格を基準にして分類するアの新興独立諸国は、第二次大戦後まもなくイを図る構想にほかならなかった。 一九四五年の敗戦の結果、日本帝国主義、軍 代末までには相次いで独立を獲得した。その条と、①社会主義国家 ( 中国、朝鮮民主主義人民ンド首相ネルーの提唱で、アジア関係会議を開 国主義は崩壊し、連合国、実際はアメリカの占 件としては第一に、太平洋戦争初期に日本帝国共和国、・ヘトナム、モンゴル、アジア地域に属催して連帯の方向を探求したが ( 一九四七、ニュー 領下に置かれることになった。他方、アジア諸 ー ) 、ついで東南アジア五か国首脳会議 主義がアメリカ、イギリス、フランス、オランするソ連の諸共和国 ) 、②資本主義が高度に発デリ ダ各帝国主義に軍事的に勝利し、それらの植民達した日本、③資本主義世界体制に含まれる民 ( 一九五四、スリランカのコロンポおよびインドネ民族は前述のように独立し、新しいアジアが誕 シアのボゴール ) を契機にアジア・アフリカ会生した。対日講和条約の成立 ( 一九五一 l) 後も、同 地統治制度を枌砕したこと、帝国主義国どうし族主義国家、の三つのタイプに分けられるが、 大部分は③のタイプに属する。戦後の米ソ両陣議 ( 一九五五、インドネシアのバンドン ) を開催し時に結ばれた日米安全保障条約および新安保条 の軍事的対決で互いに弱めあったこと、最後に 「バンドン一〇原則」を確立するに至った。約 ( 一九六 0 改定 ) のもとで、日本はアメリカに対 日本帝国主義が敗退した結果、帝国主義支配に営の対立のなかで、これらのうち大韓民国、タ 空白が生じたことがあげられる。第二に国際情イ、フィリピン、イラン ( パフラビー王制崩壊その後、ネルー、ナセル、チトー、スカルノ、する軍事、経済従属を脱却できず、現在なお、 勢に対するソ連の影響力が増大し、欧米帝国主前の ) など若干の国々は、アメリカ主導下の軍エンクルマの呼びかけで、一九六一年第一回非アメリカの核戦略体制下に置かれている。一九 義を牽制したこと、第三に、反ファッショ ( 抗事プロック、に組み同盟諸国首脳会議が開かれ非同盟連動が発足し五〇年代なかば以降、日本の経済的復興と異例 な高度経済成長により、日本は経済大国の列に 日 ) 民族解放戦争遂行のための民族解放統一戦込まれ、またアメリカとの軍事同盟を結んで軍たが、アジアの非同盟運動参加国は二八か国と 事基地国家となったが、他の多くの国々は非同一組織 ( 日パレスチナ解放機構 ) に及ぶ入ったが、日本の対外公的援助の大半はアジア 線が結成されたこと ( 中国、ベトナム、フィリ に集中し、また、その多国籍企業も東アジア、 ( 一九盒、第七回首脳会議時 ) 。このように、アジ ピンなどでは共産党の指導下で ) などがある。盟の立場をとり非同盟運動に加わっている。 アの大半の国々は、非同盟連動および七七か国東南アジアの資源、市場、低賃金労働力の略 次に経済面からみると、③の国々はすべてい このような客観的、主体的条件が反ファッショ あらし グループを介して、核軍縮や新国際経済秩序の取、収奪を指向している。そして、これらが全 戦争の勝利のもとで結び付き、嵐のような民族わゆる発展途上国で、前近代的な経済構造 ( と くに農業における封建的生産関係 ) の残存、先実現を強く要求し、国際社会における無視しえ体として、アメリカの新植民地主義的アジア戦 解放連動の爆発と勝利をもたらしたのである。 略の枠組みのなかで、補完的役割を果たしてい 〔植民地体制の崩壊〕まず、太平洋戦争の終戦進諸国への経済的従属、低い生産力水準と低所ない勢力を構成している。 〔アジアと日本〕いうまでもなく日本はアジアる。このような状況のなかで、アジア諸国が 得、低生活水準などが共通の特徴である。独立 直後の一九四五年、ベトナム、ラオス、インド 後の経済建設などにより農業生産の向上、工業の一員であり、日本人はアジア人種に属するば「大東亜共栄圏」の再現と日本車国主義の復活 ネシアが独立を宣言し、翌四六年にはフィリピ かりでなく、アジア文化圏のなかで数千年来、を恐れ、日本人を「エコノミック・アニマル」、 化の進展もある程度みられたが、農業の場合に ン、四七年にはインド、パキスタン、四八年に 「イエロー・ヤンキー」と蔑視するようなこと は徹底的な土地改革が遂行されなかったため中国、朝鮮、インドなどの諸文化の影響を強く はビルマ、セイロン ( スリランカ ) 、四九年に に、また、工業化も主として先進国の政府、民受け、またそれらを吸収しながら独自の文化をも生じている。 はカンポジアが独立、同年には中国革命が勝利 明治以降、日本がアジア諸民族に対してとっ 間の援助ないしは多国籍企業の進出によって進発展させてきた。一九世紀になって前述のよう して中華人民共和国が樹立された。また四八 にアジアの諸民族は欧米列強に侵略され、相次た誤った行動を深く反省し、アジア諸国民との 年、朝民主主義人民共和国と大韓民国も成立められたために、真の経済的自立と経済的発展 いで植民地化されたが、日本は明治維新によっ真の友好、連帯と対等・平等な相互協力の実現 にはほど遠い。逆に、多年にわたる援助の導入 した。西アジアの民族解放運動は一歩遅れた こそ、アジアのなかの日本が進むべき道であ てこの植民地化の危機を乗り越えた。これは、 の結果、韓国、インド、インドネシアなど、一 が、五二年のエジプト革命を起点として、イラ 〈岡倉古志郎〉 ク革命 ( 一九五 0 などが続いた。しかし、これら〇〇億ドル以上の累積債務を抱える国々を筆頭明治維新の指導者たちや民衆の反植民地化、反る。 に、ほとんどの国々が対外債務の重圧下にあ封建の闘いによるのはもちろんだが、中国の太回松田壽男著『市民大学叢書幻アジア 新興独立諸国は、インドシナ戦争、インドネシ の歴史』 ( 一九七一・日本放送出版協会 ) ▽歴史 り、他方、資源、産業など経済動脈を多国籍企平天国の乱、インドの大反乱など、アジア諸民 ア戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争な 学研究会編『アジア現代史』全五巻 ( 一一・ ど、欧米列強の直接間接の軍事干渉に直面せざ業に掌握され、資本主義世界経済の国際分業体族の反植民地主義の闘争が、欧米列強に打撃を 青木書店 ) ▽土生長穂他著「第三世界への るをえなかった。しかし、戦後わすか五年間で制の歯車に組み込まれている国が多い。また農与えたことのおかげでもあった。 視点』 ( 一九全・大月書店 ) ▽岡倉古志郎著 しかし明治維新後、日本は欧米列強に追い付 十数億の人口を含むアジアの大部分の地域で植業国でありながら食糧援助に依存せざるをえな 『アジア・アフリカ問題入門』第二版 ( 岩波 くべく近代化の道を踏み出し、近隣諸国への進 くなり、飢餓に直面している国も少なくない。 民地体制が崩壊したことは、世界史的できごと 新書 ) であり、それは、アフリカ、ラテンアメリカの こうして、アジアの発展途上国は非同盟運動出、勢力圏の拡充、市場、原料、資源の獲得な けんせい シアト
前八五三年のアッシリアの碑文においてであブ連盟に加入している国は一三である。それぞ復に置いたのに対して、はより幅広よびチモール海に囲まれ、東西約一三〇〇キ。 、共通の経済的基盤を築こうとするものであ南北約六〇〇キ。、面積約六五万平方キ。。大陸棚 る。シャルマナサル三世に対して反乱を起こしれの国家の利益は、アラ。フ民族主義と相いれな の浅い海域で、ニューギニア島とオーストラリ い場合もあるが、全体としては、国民としてのり、またのちには石油輸出国ではないシリア、 た王子たちに、「アラブ」のギンデイプと称す ア大陸とをつなぐ陸地が、後氷期の海進で海と エジプトが加わったことからも、政治的色彩の る者が一〇〇〇頭のラクダを与えたと記されて意識よりも、アラブはすべて兄弟であるという なった。水深五〇 ~ 八〇の部分が多い。浅瀬 濃い機構といえよう。 いる。前六世紀ぐらいまでのアッシリアやバビ意識のほうが強い が多く、トレス海峡とともに海難の原因となっ は、一九七〇年以来共同事業など ロニアの碑文には、「アラブ」ということばが 第二次世界大戦前後に発見された石油によっ ーレーンに二五万トン級タンカている。名称は、自由人 ( アル諸島人を形容 ) しばしば使われている。この「アラブ」は、アて、アラブ産油国は目覚ましい経済発展を遂にも取り組み、 ーの修理用ドックをつくり、さらに石油化学合を意味する古いポルトガル語に由来する。一九 ラビア半島北部のシリア砂漠に住む遊牧民のこ げ、一九七三年には石油戦略を発動して世界の 耳目を集めた。しかし、産油国と非産油国の格弁事業、バイプラインの共同所有などを進めて三一年から、日本船がシロチョウガイ ( ボタン とをさしていると推定される。 いる。しかし、最近の石油価格の低下は、この用 ) を採取し、最高時三八四〇トン ( 一九三七 ) を採 当のアラブ人が、自分たちをさして「アラ差の問題、イスラエルへの態度の差異、それに もかかわらずアラブとしての強い民族意識の存ような合弁事業などの進行を遅らせるのではな取したが第二次世界大戦によって中断した。戦 プ」ということばを使い出した記録は、北アラ 〈清水嘉治〉後、五三年に再開されたが、大陸棚資源の主権 いかといわれている。 ビアのはうでは、のちに正統古典アラビア語に在などが絡まり合い、アラ。フ世界は複雑な様相 なった北アラビア語で書かれたナマーラの墓誌をみせているのが現状である。〈片倉もとこ〉 荒船山あらふねやま群馬県南西部、長野県を主張するオーストラリアとの交渉が難航し、 に出てくるものがもっとも古い。南アラビアのアラブ石油輸出国機構 , ー・せきゅゅしゆっ境に接する火山。標高一四二三。第三紀層の紛争となった。採取量も九六七ト、 , ( 一九五三 ) から 〈谷内達〉 古代碑文は年代のはっきりしないものが多い こくきこう Organization of Arab Petrole- 上に、安山岩や凝灰岩があり、山頂は南北約一減少し、六一一年に中止された。 へいたん あらぶるかみ神威が激烈なあまり、 が、おそらく紀元前末期から紀元後初期のもの 四〇〇、東西約四〇〇の平坦な玄武岩の溶荒振神 たかまがはら 岩台地で、台地の北端は約一七〇の絶壁にな人々に災いをもたらす邪悪な神の意。高天原で 一九六八年一月九日にクウェート、サウジアラ であろうと推定される。ここでも「アラブ」は 寺、ばえ すさのおのみこと っている。この台地上に荒船山神社がある。形素戔嗚尊が暴れたことによって狭蠅なすごと ビア、リビアの三か国によってアラブ産油国の 遊牧民をさしている。 はたるび コーランに出てくる「アラブ」は、町の人間 利益を守るために設立された機構。その後加盟がひときわ目だち、荒海を行く船の形にみえるくわき出た悪神、『日本書紀』神代巻に「蛍火 おうみ のように輝く」と描かれている邪神、また近江 ではない者、砂漠の遊牧民という意味で用いら国は増加し、八二年末現在、アラ。フ首長国連のでこの名がついたという。長野県では砥石に ぶきのやまやまとたけるのみこと とやま みようぎ 例えて砥山という。妙義荒船佐久高原国定公園国 ( 滋賀県 ) 膽吹山で日本武尊をひどく悩ま れており、メッカやメディナの町の住民は「ア邦、アルジェリア、イラク、エジプト、カター しもこた に属し、高崎から上信電鉄下仁田駅下車、バスした荒神などがその代表である。〈大原康男〉 ル、クウェート、サウジアラビア、シリア、チ ラブ」とよばれていない。ムハンマド ( マホメ ュニジア、 ーレーン、リビアの一一か国で構と徒歩による好適のハイキングコース。北方に アラブ連合共和国ーれんごうきようわこく ット ) の死後、アラビア語を携えたイスラムの ・ : つづ 〈村木定雄〉 United Arab Republic 一九五八年、エジ 征服活動において、「アラブ」ということばは、成されている。本部はクウェートに置かれ、主神津牧場がある。 中央アジアから中東、北アフリカを横断して大要機関として総会、理事会、事務局が設けられ回佐川栄次郎著『荒船火山地質調査報文』 ( 天プト、シリア両国が結成した連合共和国。一九 五二年エジプト王制を倒し、翌年共和制を宣一言 ・震災予防調査会 ) ている。 西洋まで響き渡るものとなった。このとき、 したナセル ( 一九五六年に大統領に就任 ) は、 当初の設立目的は、「アラ。フ産油国における五万分の一地形図「御代田」 「アラブ」は、砂漠の遊牧民のことではなく、 アラブ統一を悲願としていたが、五八年二月、 ヨーロッパ共同体のようなものであり、石油おアラフラオオ一一シ Australian trum ・ 征服者とか支配者という意味になり、ベルシア エジプトはシリアと合併しアラブ連合共和国を 人、シリア人、エジプト人などの被征服民と区よびその他の関係ある経済分野で、あらゆる種 pe ( \ こミミミ、ミ s 軟体動物門腹足綱テ 結成した。この合併は両国の主権を否定し、両 ングニシ科の巻き貝。大形種で、オーストラリ 別するために用いられた。しかし、一〇世紀に類の合弁事業を行う」ことにあった。だが ア東岸から、北岸のアラフラ海を経て、インド国はエジプト州、シリア州となり、ナセルの一 設立の直接の動機は、一九六七年のイス なると、この征服者としてのアラブも、征服さ ラエルとエジプトの「六日戦争」 ( 第三次中東ネシアの一部にかけて分布し、水深二〇 ~ 五〇連の進歩的土地経済改革がシリア側にも適用さ れアラブ化した非アラブも、ともにオスマン・ の泥底にすむ。巻き貝では世界最大となり、れるという結束度の高い国家統合を目ざしてい トルコ帝国の支配下に置かれ、両者を区別する戦争 ) の際にアラブ産油国がとった石油禁輸措 おうとう 殻高七〇、殻径三五に達する。殻は黄橙色た。しかし、六一年九月のシリアにおけるクー 必要はなくなった。オスマン・トルコの支配者置の失敗にある。すなわち、六日戦争のとき、 りトっん ~ / 、 デターで同国が脱退し、連合共和国は三年余り たちは、アラブの遊牧民のみを「アラブ」と称アメリカ、イギリス、西ドイツがイスラエルをの太い紡錘形で、肩と底部周縁に稜角があり、 し、アラビア語を話す都市の住民と農民を「ア支援したとして、アラブ産油国はこれらの国へその間ははとんど平らである。殻表は黄褐色ので幕を閉じた。しかし、その後もエジプトは、 ビロード状をした殻皮に覆われ、殻ロは広く水ナセル大統領の死後の一九七一年九月まで、ア の石油輸出を禁止するという強硬措置をとった ラ。フの息子たち」とよんだ。 ラブ連合共和国の名称を国名として使用した。 近代におけるアジア、アフリカの民族主義勃が、イラン、ベネズエラなど非アラブ産油国が管溝は長い。蓋は角質の葉状形。殻表を磨いた ↓エジプト ^ 勝俣誠〉 興のなかで、都市民も遊牧民も、ともにアラブ増産してアラブが禁輸措置をとった国への輸出り彫刻を施したりして置物などにする。和名 民族としての意識をもつようになった。現在を増大したため、アラブの禁輸政策は失敗に帰は、第二次世界大戦後アラフラ海の真珠貝 ( シアラブ連盟 - ・ーれんめい Arab League オこうした苦い経験から、アラブ産油国ロチョウガイ ) 採取船が持ち帰ったことに由来一九四五年三月二二日、一九世紀末以来アラブ 「アラブ」とよばれている人たちは多種多様でしこ。 〈奥谷喬司〉民族主義の宿願であったアラブの統一を目ざ は、石油政策ならびにそれに関係する経済分野する。 あり、明確に定義することはむずかしい。さま ル。し Arafura Sea オー し、エジプト、イラク、サウジアラビア、シリ で団結と統一を強化するためにを結アラフラ海 ざまな定義がなされているが、「イスラム文化 ア、レバノン、イエメン、ヨルダンの七か国を ストラリアとインドネシアとの間の海域。オー れを誇りとし、アラビア語を愛する者がアラ。フで成したのである。このことは、アラ。フ産油国の 、ふある」という点でおおかたは一致している。ア石油資源の自主管理を意味した。石油輸出国機ストラリア北岸 ( アーネム・ランド ) 、カーベ原加盟国として発足。年二回の閣僚級理事会の 、らラ。フの人々は、中東のみならず多くの国に散在構が世界の主要な石油輸出国で結ンタリア湾、トレス海峡、ニューギニア島 ( 西もとに、政治、経済、軍事、人権など一一の常 あしているが、国家としてアラブを自認し、ア一フ成され、その目的を原油の公一小価格の維持・回ィリアン ) 南岸、アル諸島、タニンバル諸島お任委員会をもつほか、中央事務局が統轄するイ 7 ばっ ふた
あふりか 〔表 3 〕主要鉱産品生産量 (-) 「ー -0 0 1 人・ ) 1 よワ朝 00 0 ) " 4 《 .0 、 .0 -0- 0 ・ ) 《 0 8 0 ・ ) 00 ( 11 0 ー 0 ) 4 0 0 0- ) ・ 0 0 -0 0 0 0 0 ・ ) ワ」 0 っ . 】 -4 0- ) 【 / 「 / っワ】「 / 0 ー ) 0- -0 -0 -0 -0 ・ー・つ 0 -8 -8 -0- 当ー戸 0 - -0 ワ -8 1 ー「 / ワ】 -4 1 よ、 1 11 、 1 -8 ワ C-D 8 ワ】「 / -8 、 .0 、 1 一 11 (. 0 り・ 1 00 ハ 0 っ 0 ワ】 0 0 ) 11 ワ】っ 0 ワ】 ワ】 - -0 -4 LO -4- CO 1 よ CO ワ朝ワ朝 0- ワっワワ】 11 「ー 00 ワ】 -4 、 1 ・ー 4 8 11 / 1 (. 0 ワ】 4 ワ】ワ】 -4 ・、 1 -8 -8- っ 0 CO 11 ワ朝っ 0 11 11 11 ワ 11 、 1 00 っ 1 よ 11 00 -0- 、 1 11 《 0 《 0 り 0 、 1 ポーキサイト ( T ・ t) 世界 アフリカ キ、ニア シェラレオネ クロム鉱 ( 千 t) 世界 アフリカ 南ア共和国 シンノヾフ 1 工 . コノヾ丿レト (t) 世界 アフリカ サイール ザンヒ、ア 銅鉱石 ( 千 t ) 世界 アフリカ ザンビア サイール 南ア共和国 ダイヤモンド ( 千カラット ) 世界 アフリカ サイール 南ア共和国 ポッワナ 1980 92 004.0 14 254.0 13 311 . 0 746 . 0 197 . 0 1979 4 383 . 2 1 772 . 9 1 450 . 7 260.2 1979 31 775 . 0 19 423.0 15 000.0 3 271.0 1980 7 839.9 1 364.1 595.8 460.0 214.7 1979 39 706 . 0 28 120.0 11 160.0 7 640.0 3 340.0 1979 1 202 404.0 729 614.0 703 473 . 0 11 093.0 12 006.0 1980 541 880.0 60 380.0 25 800.0 18 250.0 8 940.0 3 450.0 1979 9 672.2 3 665.2 2 290.6 1 173.0 130.6 1979 130 919.0 35 490.0 21 706.0 4 184.0 2 916.0 ( 不詳 ) 1980 199 500.0 11 900.0 3 159.0 2 527.0 2 434.0 1 600.0 鉱業 アフリカ大陸は豊 富な地下資源を埋 蔵している。ザイ ールの鉱山都市コ ルウエジの露天掘 り銅鉱床 鉱産物 ◎黒 アノレジェリア 璽ー ~ 画回 モロ、コ回 ーエジプト 戸ーナイジェリアノ、 アンゴラ第」 Sn Cr Au 金 (kg) 世界 アフリカ 南ア共和国 ガーナ シンノヾフ . 工、 鉄鉱石 ( 千 t) 世界 アフリカ 南ア共和国 リべリア モーリタニア アルジェリア マンガン鉱 ( 千 t ) 世界 アフリカ 南ア共和国 ガポン 燐鉱石 ( 千 t ) 世界 アフリカ モロッコ チュニジア 南ア共和国 0 ナ リべリア シェラレオネ 0 ー 1 0 丿レワンダ Sn 回ポーキサイト @ クロム鉱 コバルト 銅鉱石 0 ダイヤモンド 原油 色燐鉱石 ◎鉄鉱石 マンガン鉱 ⑨ウラン 錫 回ニッケル 石炭 0 Co ーザンビアみ . Ni 向に六ッワナ / ー。 0 南ア , ラッカ , 原油 ( 千 t ) 世界 アフリカ リビア ナイジェリア アルジェリア エジフト がポン アンゴラ Cr 0 川 00k Ⅲ ー -8 11 ハ 0 -0- 11 -0 ・「 / っ - ュ - 【 / っ 0 -4 (. 0 ワ -0- 一 -0 ワ」 11 -0- ワ」 1 人 8 ー「 / ・ー 4 -8 一 4 っ 0 っ 0 11 , 1 1978 ウラン (t) 世界 33 990.0 9 740.0 アフリカ 南ア共和国 3 960.0 ナミビア 2 700.0 2 060.0 ジェーノレ 1 020.0 ガポン 注 : 〔表 3 〕は万元な S 可〃尾立んのが ( 1982 ~ 83 年 ) に 1 LO っ 0 -. っ ) LO LO っワ】・ 4 -4 一 4 -0- ワ】ワ」 11 ワ」 11 11 錫 (t) 世界 アフリカ サイール ナイジェリア 南ア共和国 ルワンダ よる 486
あめりか 摩天楼 1920 年代の経済繁栄が築きあげた超高層建築群。 アメリカ資本主義を象徴する世界のメトロポリスである ニューヨークは , 今衆家西なと 由え のと西償あ政 確本 ' とち べ制 年齢別人口構成 たアい っ 訳い いア ノ、 日 国と部かはにた大えメ基相洋のつ治同メ 。か土 海 、に地語る 五 き 80 歳ー 1979 年 - 男 ではし太ば表拡合西るリ 礎まの安た的時リま には洋そ感理もが で連 75 ー 79 もまて平ま裏大衆洋 。力をつ存全。そにカず広アにれ じ 的妥 、年あ邦 70 ー 74 アず完洋で し国に 文なて在保合しア大大 いラ囲がる位 当連のろ制 65 ー 69 メ農成岸に体えはよ 明 、こ障衆てメ陸西 し ま の置性邦 大 日 っ の がス 60 ー 64 リ 業すし 、をオ と 、アそ国文 、カれ西はづを制米 。下 っ リに洋 55 ー 59 カ国る達東な 。広て いまメ、をは化カ移はそをて洋 、けもと和わし 50 ー 54 。す部すそ大ョ ったリョ享建的大植ヨの除い は家 つい親があ 、ア 45 ー 49 る大 。のなー 意ョカー受国影陸す一 ァてう条国る 本いる 太メ 40 ー 44 界農の巨西事 . 点アロ 識 ーのロで以響をるロ土て メい観約に こ平 リ 35 ー 39 一民広大洋実 のロいッき来かョ通ツ もと洋カ る点以お リ と メッ 30 ー 34 のの大な岸 、孤リバ 背 ッわバた 入力 。か来いは 日で 25 ー 29 景パゆにの大遮ロで人囲本あそ衆の 農国な版の合立カ列 ら合て十 20 ー 24 を文るおで西断ツもとのろし国地 業と大図と独衆主大強 は衆は分 1 5 ー 1 9 な明孤けあ洋すバあそ海約うての図 国し陸を立国義陸よ 合国 、留 1 0 ー 1 4 るの。の洋 でてをも はとにり しと立るると 州と U 意 。北国を い空た文も 一膨比隔 ては主勢 合極土見 国訳 S し つ間事が明ま倍衆海のて 900 万人り展景大州九張較絶 い異義カこ とさ A て 900 600 300 に陸か世主的さ たな外均の 、と たあ国と広た いれはお で 合国ら紀義自れ 、、まを広 1980 年「世界人口年鑑」による とる交衡大無も りのいさだ うて く フれ成等空会こ 史 . 点る世い平払のに保よ術達 ラま もと 洋両本家っ間な中契な A 外世のげるれ媒農でた フを功間はうンり 、ア歴和い脅ア障りのに第戦国ととたでる国機り にし を の界確た にい 、介村あ独 ン拡と平を、しス 、始て除あは封メ史 、威メ 、発よ 争はのな 、 T 国一保ア 。は 。大に と地る立 ク大い等背封て革合まの ろそ建リ的の世のリをア達り次と妥関り く かな海陸合事 外のにメの 九 し帯と自 リ再う主景建近命衆っ植 うれ制力特維界下カ享メ、ア世い協係 な 、くく洋に衆実マ市生はリよ 世てはい営 ン生ア義に的代よ国た民ら 。ら、史質持各には受リこメ界うとはま 、はも国九ハ場産敏カう 紀 し っ農 ファ は産メ 、身社り建と地 つを絶のに地 、す力とリ大破対、たて進 、経は八ンに力感工に末 メ南て民 独分会以国い時 ヨ対特建腐に安自るはにカ戦局立対ア 、出合済海年なもをで業国ア リ北も が 八えカ自立制と前に っ代ア り ー主質国心軍全己こか大を後にと立ジ日の衆的洋のど注もあは内メカ戦よあ 世た的自のとに連てをメ 、ロ義は以せ隊保がとつ陸囲、向ををア露航国、国アに目つる、市リ 工争い る 紀のな兄兄営障も起なよ含リ悠 ッ体、来ざを障最はて間む交か重は大戦路に心家メよすア。今場力業 アで価争壁に るいめカ久パ制 る派に初での弾空通うねら陸争帯と理、リるるメ 日をはの / 、 あ値省宿を : 二て合な 0 = を一〇を遣強 0 = き道間 。つむへ後をつ的太カ海にリ八に土世市査あア 力。系由主に。たリ八、国ンいたリ年な、関用くにサ狭技 、う進同味いか洋ス進っ経〇いに と 3 大リ 樊たき第 , 。無、り。 ー 1 心化なー 1 ィま術 つに出じすまか国ペ出た済年て高のし 。は代も度工て供大人 いなをくるやわ家イ論 で命中近そアた。会とっメ予たた償の、著 、大メ でえ成 にり期太こ遮るとンが海西、国成業内陸 そばしそ機なリ ぁ葉代のンとたがいたリ算核。の開車し は、す平と断よォ戦盛軍半い内長国包鉄穴理 太日る洋にのう争ん士球ま市をに化道南想 、う。力と兵こ安発事い し会土カ にと前のい の B 才・そて均地社ゑフ始と身歴うあ中短のを器こ全に技発 平米日国な空に 、をに官以や場遂なさを日、像 617 600 300
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発展途上地域の調査研究を通じてこれら地 8 ジア競技会」が母体である。国際オリンピック キ、するために設立された国際的な地域金融機関。 工カフェ 域との貿易の拡大や経済協力の推進に寄与する 2 一九六三年の 0 ( アジア極東経済委員委員会 ( — 0 0 ) 委員ソンディー ( インド ) の ことを目的として設立された研究機関。一九五 じ会 ) 閣僚会議で設立構想が具体的に打ち出され発案で、アジアオリンピック評議会 八年 ( 昭和三一一 l) に通商産業省所管の財団法人 たもので、六五年一二月フィリピンのマニラでが大会を主催し、競技は—00 協賛のもと、す あ として発足し、六〇年にアジア経済研究所法の 設立協定が採択され、六六年一二月に業務を開べてオリンピック精神に即して行われる。 制定により特殊法人に改組された。アジア地域 第一回大会は一九五一年インドのニューデリ 始した。本部所在地はマニラで、八二年末の加 をはじめ、発展途上地域全般にわたって経済お ーで開催。アフガニスタン、ビルマ、インド、 盟国は四五か国 ( 域内三一、域外一四 ) であ よびその関連諸事情についての基礎的、総合的 ハキスタン、フィリピン、スリランカ ( 当時セ る。開発資金の融資、域内各国の経済計画の調 な調査研究を行うとともに、これらの地域に関 整、国連などの国際機関との開発協力、技術援イロン ) 、インドネシア、ネパール、タイ、シ する基本文献、資料、統計データなどの収集、 ンガポール、イラン、シリア、イスラエル、日 助、および域内の公私の資本による開発投資の 整備に努め、発展途上国に関する資料センター 促進などを行う。資金は、加盟国からの拠出資本の一四か国、五一二人の選手、役員が参加。 としての役割も果たしている。また、国連大学 ハスケットボール、ウ 本金と借入金とからなる通常資金と、各国の払陸上、水泳、サッカー 一受託調査、海外客員研究員の受け入れ、国際シ 込資本金の一〇 % と特別拠出金による特別基金ェイトリフティング、自転車の六競技が行われ ンポジウムの開催など、国際的な調査協力や研 ( アジア開発基金、技術援助特別基金 ) とに大た。第二回大会は五四年フィリピンのマニラで 〈秋山憲治〉 究交流も行っている。 ロ尸開かれ、以後四年に一回、オリンピックの中間 別される。融資は公共投資の比重が高く、部 アジアゴー ルデンキャット Tem ・ 的には農業、エネルギー、運輸・通信などが多年開催と決まった。第三回大会は、オリンピッ minck's golden cat, Asiatic golden cat 〈秋山憲治〉 ク招致を意図していた東京で開催され、五八年 は」 , 一ゅ・つ P き、 e ミミぎ c ミ哺乳綱食肉目ネコ科 きようぎたいかい ( 昭和三一一 D 二〇か国が参加し、新装の国立競 アジア競技大会 4 、ヾール、中国南部からスマトラ島の の動物。、イノ 一三競技が展開された。六二年 Asian Games 第二次世界大戦後、アジア諸技場を中、いに、 森林に生息。体長七五 ~ 一〇五、尾長四〇 ~ 国の友好と平和促進を目的として生まれたスポの第四回ジャカルタ大会は、主催国インドネシ「 ↓ゴール一丁ンキャット 〈今泉忠明〉 五五。 アが政治的、宗教的理由から台湾 ( 現在は退 ーツ大会。戦前の「極東選手権大会」と「西ア しきのうぎようアジアの 会 T アジア式農業 会 ) とイスラエルの参加を拒否したことから紛 ロ 農業について、欧米人などの理解している農業 糾し、国際陸上競技連盟、国際ウェイトリフテ 9 他 一生産様式の一つ。水田農業と畑作農業とに分け イング連盟が同大会をポイコット、—OO は開 の そ られるが、両者とも手労働中心、労働多投、零 催国停止処分を宣した。しかし、インドネシア 細規模、低い労働生産性と土地生産性、自給的 11 ワ」 は翌六三年三月、別にガネフォ ((-5 < Z ン 生産などの諸点を特色とする。このうちアジア O 、新興国競技大会 ) を結成、アジア大会に対 イ ラ国国ンイイ国国国 式米作農業は、東アジアおよび東南アジアのモ 抗したが、スカルノ大統領の失脚によりガネフ れ ンスーン地帯の低平な沖積平野を中心に展開す オは消滅、インドネシアは—OO 復権が認めら 0 - 血・ 11 ワ」、 11 【 / るが、人口密度が高く、水利に恵まれた場合に れ、アジアのスポーツ界は安定を取り戻した。 ア 3 〉第行は、日本、ジャワ島、フィリ。ヒンのように山地 第五回 ( 一九六六 ) はタイのバンコクで平静裏に たなだ ヒヒ、不 に棚田が造成されることもある。米作は土壌的 開催。第六回 ( 一九七 0 ) はソウル開催を決定して ン 式 数 ンイイン国国ラ国本 には許容範囲は広いが、気候的には生育期間の 日寸 いたが、韓国の国内事清により返上、ふたたび 会絵 イフフィ韓韓イ中日 「大毒 獲 三 ~ 四か月が少なくとも月平均気温二〇度 0 以 ハンコクで開催された。第七回 ( 一九七四 ) はイラ 年上であること、かっ理想的には一八〇〇ミリ近く ンのテヘランで開かれ、この大会では一九五二 。 8 メ本本本本本本本本国 の降雨があることが必要である。アジア式畑作 年以来国際スポーツ界から遠ざかっていた中国 ア 農業は、米作農業地域の周辺で年降水量が三〇 の初参加が注目を浴びた。参加選手団も二五か 国 c:x -4 -0- -0- 、ー 0 00 0 「ーっ 〇 = 、リ以上、または作物生育期間五か月の月平均 アジア大会は EVER ONWARD ( 限りない 国約三〇〇〇人に膨れ上がった。アジア大会と 十ん 11 、 1 ワ」ワ」 1 人 1 よワ」ワ」っ 0 気温が一〇度 0 以上の範囲に分布する。主要分 前進 ) の標語を掲げており、大会メーンスタジ いえば日本のひとり舞台の感があったが、この 大会では、初参加中国と地元イラン勢の活躍がアムにはアジア競技大会旗と並んで、オリン。ヒ布地域と栽培作物は、中国華北 ( 小麦、コウリ ックの五輪旗も翻る。五輪旗は、この大会がオヤン、アワ、綿花 ) 、中国東北 ( コウリャン、 目だち話題をまいた。第八回 ( 一九七 0 はシンガ リンピック地域大会としての性格をもっことを大豆 ) 、デカン高原 ( 小麦、綿花 ) 、パンジャー ポール開催に決定後、同国の財政上の理由で返 〈深川長郎〉 。フ地方 ( 小麦、綿花 ) などである。〈新井鎭久〉 上、パキスタンのイスラマバードが引き受けた示すものである。 キ、よ / 、と : っ十 - 、 回グリッグ著、飯沼一一郎他訳『世界農業の形成 あと、これも国内事情から返上、結局、参加国アジア極東経済委員会 過程』 ( 一九七七・大明堂 ) ; 分担金負担ということで、三たびバンコクでざいいいんかい 0 工カフェ 、しやかいと , っ力しキ、 アジア社会党会議 開催。第九回 ( 一九〈一 D はニューデリーで開催。アジアクロクマ 0 ッキノワグマ けいざいけんきゅうじ Asian Socialist Parties Conterence イン アジア経済研究所 八六年はソウルでの開催が決定されている。 アジア競技大会 回開催年開催都市 1951 ニューデリ 2 1954 マニラ 1958 東京 3 4 ジャカルタ 1962 5 1966 ノヾンコク 6 1970 / ヾンコク 7 1974 テヘラン 8 / ヾンコク 1978 ューーテ。リ 9 1982 10 1986 ソウル 1990 1994 4 よ
あふりか 〔表 1 〕主要農産品生産量 ( 単位 : 千 t) 生産地域 1977 ~ 78 世界 1 509 アフリカ 938 コートジボアール 304 271 ナイジェリア 202 カメルーン 108 1979 4 929 1 147 275 198 120 112 1979 4 563 1 310 675 170 132 「 = ミ第ツな 「い一第ー物ノ 1978 ~ 79 ③ 1 496 887 312 265 150 108 いこ 1980 4 680 1 107 270 293 120 117 1980 5 063 1 351 675 170 167 ココア ロロ 農業・畜産 タバコ , 綿花はアフリカ諸国の重 要な輸出収入源の一つである ①タバコの収穫 ( ジンバブエ ) ②ウガンダの綿花農場 ③モロッコのアトラス山麓 2000 m の高地イミルチルに家畜の市が立 つ。北アフリカの各地から商人や こった返す 少数部族が集まり , 世界 アフリカ コートジボアール 工チオヒア ウガンダ カメルーン 生コーヒー かんばっ かっての世界一生産国ガーナを追い越した。コであったナイジェリアの生産は干魃のための不 ーヒーは、世界の約四分の一をアフリカで産出作で激減し、七〇年代後半期には輸入せざるを し、ロ。フスタ種コーヒーを産出するコートジボえなくなった。セネガルのラッカセイ輸出収入 アールがもっとも大量に輸出している。ウガン はその総輸出額の約四五 % を占め、いまだに重 ダのコーヒー輸出額は同国の総輸出額の九〇 % 要な輸出品目である。マーガリン、せつけん、 以上を占め、エチオピアの場合には約七〇 % を洗剤の原料となるパーム油は、アフリカで世界 占めている。ラッカセイ生産では、アフリカはの約四分の一が生産され、ナイジェリア、ザイ 世界の四分の一強を占め、スーダン、セネガル ール、コートジボアールが主要産出国である。 が大産出国である。しかし、かって主要輸出国サイザル麻は、アフリカで世界の約五分の二を 生産し、その約半分はタンザニアで産出されて アフリカの人口の約五 % は遊牧民である。表 2 に示すように、サヘル地帯一帯に広がって遊 牧している。一九七〇年代初頭ならびに末期に も発生した干魃は、これらの遊牧民に大きな打 撃を与えたし、その後も「砂漠化」の進行はと エコロジカル・システム どめられず、環境の破壊は本来の生態学的体系 を壊している。 〔鉱業〕アフリカ大陸は、、ダイヤモンド、金、 ウラン、クロム、マンガン、銅、コバルト、石 油などの重要な鉱産物を理蔵している。鉄鉱 りん すず 石、燐鉱石、錫、ポーキサイトの埋蔵・採掘量 も多い。金は世界の総生産 ( ただしソ連、中国 を除く ) の約七四 % を産出し、その大半は南ア フリカ共和国で産出され、ジンパ・フェ、ガーナ にも産出する。ダイヤモンドは世界の約四分の 三を占め、ザイール、南アフリカ共和国、ポッ ワナが主要産出国である。世界の約五分の一を 産出する銅はザンビア、ザイール、ならびに南 「ト一ワ」 4 ・ワ」 -0 1 人 一 -0 、 1 C•O / ワ】 11 ロ率 人比 公心る ロ人・ -0 0- -0 -0- 0- 00 00 0- -0- -0- -0 0 -0 11 -0 0- -0 ) -0 、 1 ワ】 0 8 尸 0 尸 0 -8 っ 0 「 / - -0 ( 0 LO / 1 よ一 4 ワ朝 人千 尸 0 11 1 よ , ー人 11 1 人 1 ー人 5 7 〃 1 0 タア エトコンジ ボタ一ル ラナヒアニ ジプアッダニ 工ガゴワオアリサ ルジピロ一ユ ンツチニマン 人国アエリモスチチオマモニセアポエケソタ 十ー十ー カ リ′ tn ア部 ア部 也北 西中 東南 世界 アフリカ ナイジェリア サイール コートジボアール ノヾーム由 一イロ 11 ・ 4 ・ 11 ワ」 11 二一一卩 二一一卩 二 = 卩ニ = ロ 公む 485