太平洋 - みる会図書館


検索対象: 日本大百科全書 4
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1. 日本大百科全書 4

鮮暖流、津軽海峡から東へ流れる津軽海 ( 暖 ) 流、宗谷海峡部分だけ季節別 ( 夏季・冬季 ) の図を示すのが普通となっては、観測例が少ないため、わかっていないことが多い。しか いる。アフリカのソマリ沖を流れるソマリ海流は、西岸境界し世界の海の深層水循環については、ストンメルが理論的考 から東へ流れる宗谷海 ( 暖 ) 流と分岐をする。黒潮の最強流 速は三・五ノット ( 秒速約一 ) ぐらいで、流れの幅は流の一例である。なお、南半球の南極大陸の周りには、南極察から次のようなモデルを提唱している。深層水発現地は北 大西洋のグリーンランド沖と南極ウェッデル海で、浅層から わりあい狭く、二ノット以上の強流帯の幅は三〇海里 ( 約五を一周する ( 周 ) 南極海流が東流している。↓インド洋 深層へと海水の沈降がおこる。これらの海域で沈降した海水 〔表層の海流〕海面下一〇〇 ~ 二〇〇の層では海面とまっ 五キロメートル ) 程度しかない。全流量は毎時二〇〇立方キ。メ ートルである。親潮 ( 千島海流 ) は千島列島の東沿いに南西たく様相を異にする海流の存在が明らかになっている。そのはそれそれ大西洋を南下、北上し、アフリカ南端沖から一部 うちもっとも特徴的な海流は、海面とまったく流向の逆の潜はアフリカ東岸沖を北に流れ、大部分はインド洋を横断して に向かって流れ、北海道南東岸から東北地方沖 ( 三陸沖 ) に りゅう 達している。その流速は小さく、最高で一ノット ( 秒速約流である。なかでも有名な潜流が、太平洋で一九五四年にオーストラリアの南を通って南太平洋に入り、ニュージーラ 〇・五 ) 程度である。親潮は北方から低温で栄養塩に富む発見された赤道潜流である。これは、飛行機事故で死去したンドの東岸沖を北に向かう。このような大勢は、全般的に検 海水をもたらし、黒潮と衝突する三陸沖は、このため世界有アメリカの海洋学者クロムウエル T. Cromwell の名を冠証されたわけではないが、北上する湾流の下では直接測定で しクロムウエル海流ともよばれる。赤道潜流はちょうど赤道秒速一〇垰一メートル程度の南下流の存在がすでに報じられて 数の漁場になっている。黒潮と親潮との境には黒潮前線、親 いる。このような深層流の全容を解明することは、これから 潮前線がある。また黒潮の一部は台湾の東方沖で亜熱帯反流直下の北緯二度、南緯二度の狭い範囲を、深さ一〇〇 ~ 二〇 となって分岐して東方に向かい 、この北方に亜熱帯収束線が〇で東へ向かって流れる海流で、海面を流れる南赤道海流の海洋学に課せられた大きなテーマの一つといえよう。 の西流とはまったく逆の流向である。最高流速は三ノット以〔湧昇流〕海流はおもに水平方向の海水の連動であるが、海 あることが一九六〇年代の観測や理論的研究で明らかになっ ゅうしようりゅう 水は垂直にも動いている。このうち上昇するものを湧昇流 てきた。南太平洋の環流を形成するものは、南赤道海流、東上で、全流量は毎時一四〇立方キ。メートル以上に達すること オーストラリア海流、西風海 ( 皮 ) 流、ベルー海流 ( フンポがある。その水平方向の範囲はニューギニア北方からエクア ( 上昇流 ) という。湧昇の速度は水平運動に比べはるかに小 ドル沖合いへと、太平洋をほば横断して流れている。この雄さく、大きくとも一日約一程度である。海面下から冷たい ルト海流 ) である。北太平洋と南太平洋の環流系の間、赤道 大な海流は、海洋学における二〇世紀最大の発見といわれ栄養塩に富む水を上昇させるため、生物の繁殖を助け、好漁 無風帯内の北緯三 ~ 八度には赤道反流があって東へ流れてい た。同種の海流は大西洋でも発見され、ロモノソフ海流とも場の形成に寄与する。東太平洋の赤道付近、アメリカのカリ る。つまり、赤道近くでは西に向かう南・北赤道海流の間 いわれる。構造は太平洋の赤道潜 に、東へ向かう赤道反流が流れているわけである。↓黒潮 流とほば同じで、ブラジル北岸沖 ↓親潮↓太平洋 〔大西洋の海流〕日本近海の黒潮に相当するものはガルフスからアフリカ西岸のギニア湾まで トリームである。北大西洋の環流系は、北赤道海流、ガルフ達し、海面下約五〇の深さを東 ストリーム、北大西洋海流、ポルトガル海流、カナリー海流流している。インド洋でも同様の である。ガルフストリームは北赤道海流がアンチレス海流と赤道潜流が少なくとも北東李節風 の吹く一一月 ~ 三月に存在するこ なり、フロリダ海峡を通ってアメリカ東岸沖を北上し、 とが報告されている。このような テラス岬付近から離岸してグランド・バンクス付近に達し、 太平 赤道潜流ほど強くはないが、 北大西洋海流へと続いている。流速は最強部で三 ~ 四ノット ( 秒速約一・五 ~ 二・〇 ) に達し、黒潮とよく似た性質を洋の東岸のごく岸寄りの所に、表 もっ世界の強大海流の一つである。南大西洋の環流系は、南層の赤道へ向かう向きとは逆の、 極向きの潜流の存在が近年明らか 赤道海流、プラジル海流、西風海 ( 皮 ) 流、・ヘンゲラ海法、 にされた。北半球の潜流は中央ア ギニア海流である。太平洋の場合と同じく南・北両環流系の メリカから北アメリカまで、南半 間には、東流する赤道反流がある。↓大西洋↓ガルフスト 球ではベルー、チリに至り、ペレ ・チリ潜流とよばれている。大流 〔インド洋の海流〕インド洋の海流のもっとも大きな特徴 毎 は、季節によりその様相、とくに流向が一変することであ西洋にも同種の潜流がアフリカの 面 る。北半球の冬である一一月 ~ 三月には、太平洋、大西洋の西岸沿いにあり、表層の赤道に向表 ゅ - 環流系と同じような海流の北東季節風 ( モンスーン ) 海流、かうべンゲラ海流とは逆の向きで毎 り・赤道反流、南赤道海流がある。しかし南西の季節風の発達す流れていると考えられている。 本 日 、る五 ~ 九月には、南西季節風が卓越するため、南西季節風海〔深層の海流〕海面下一〇〇〇 ~ カ流が強化される。したがって世界の海流図では、インド洋の二〇〇〇の海流 ( 系 ) の様相 初し 宗谷暖しノ 親潮 せん 黒潮 子冗カル 毎暖忝 亜熱帯反流 北赤道海流 743

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知られていなかったのであるが、最近、トラッ ・歴史・人種・文化▽石川栄吉著『原始共目される。たとえば、バプア・ニューギニアで 入超で、他地域との大きな相違を示す。輸出入 ともオーストラリアとニュージーランドで九〇 同体ーー民族学的研究』 ( 一九七 0 ・日本評論社 ) は、搗奏水太鼓は精霊の体現とみなされている ク、ポナベからも発見された。ポリネシアでも 先史時代のサモアやマルケサスに土器が存在し % 以上を占め、太平洋諸島は九 % に満たず、日 ▽同著『南太平洋の民族学』 ( 一九天・角川選し、割れ目太鼓や竹製横笛の音は祖先霊の声と 書 ) ▽同著『南太平洋ーー民族学的研究』して認識されている。こうした楽器には、通 ていたことが考古学的に判明し、土器をつくる本からみればオセアニアにおける太平洋諸島の ( 一九七九・角川書店 ) ▽高山純著『ミクロネシ例、精巧な装飾や彫刻が施され、ほとんどの場 粘土がないためポリネシアやミクロネシアの大地位は低い。しかし、オセアニアの各国 ( 末独 合その演奏は成人男性だけに限られている。ま アの先史文化』 ( 一九ハ三・海鳴社 ) 部分の地域でその製作技術が消滅したとする見立の島も含む ) にとって日本は重要な貿易相手 おんがくメラネシたソロモン諸島には、三 ~ 一二台の異なる大き 解は成立しがたいものとなった。とはいっても国である。日本の輸出先はパプア・ニューギニオセアニア音楽 さの割れ目太鼓 ( それそれ二本の棒で横たたき 土器の製作がどうして中止され、地炉による蒸ア、フィジー、グアム、ニュー・カレドニアの ア、ミクロネシア、ポリネシアの三地域の音 いかだ し焼き料理法が一般的になったのかという理由順で、輸入先は。ハプア・ニューギニア、ニュ楽。西洋文明の移入およびキリスト教の布教活する ) による複雑なポリリズム合奏や、筏型 ( 一列、二列 ) や円環型の多種多様な。ハン。ハイ は明らかでない。液体を入れる容器としてはヤ ・カレドニア、フィジー、ソロモン諸島、ナ動により、とくに二〇世紀に入って、オセアニ アの音楽慣習は大きく変化した。たとえば、西プを、さまざまな奏法 ( 構え方や息の吹き込み シの殻やヒョウタンが代用されたと思われる。 ウルの順となっている。パプア・ニューギニア ミクロネシアとポリネシアの文化の間には共 は日本にとって太平洋諸島第一の貿易国で、 洋風の賛美歌歌唱が多くの地域で取り入れら方など ) を組み合わせて吹奏するデリケートな 通点もあるが差異もある。ともに漁労が農耕に銅、木材、コプラなどを輸出している。ニュれ、その歌唱様式は世俗的な歌唱にも影響を与合奏形態が存在する。 歌唱と楽器演奏が行われるとき、しばしば踊 えてきた。また、欧米の大衆音楽の要素と各地 劣らずしばしば重要な生業となっている。しか ・カレドニアはニッケル、ナウルは燐鉱、ソ し、航洋カヌーについていえば、ミクロネシア ロモンは木材を輸出して、いすれも原料輸出地域固有の音楽の要素とを融合させ、ギター、ウりも同時に生起する。踊りは集団的で、集団全 クレレ、 ーモニカ、竹筒などの伴奏で歌われ体が行進したり円運動したりするのが特徴であ では、風向きの変化に応じすばやく位置の変え の特色を示し、日本の入超となっている。ソロ ハシフィック・ る。各踊り手は多彩な身体装飾を施し、おもに られる三角帆が発明されたのに対し、ポ丿不ノ モンには日本の漁業資本が進出し、冷凍カッる世俗歌のジャンルは、。ハン・ アでは積載量はあっても船足の遅いダブル・カオ、かつお節を輸出している。フィジーは木ポップと総称され、オセアニア全体でとくに若胴と脚とをリズミカルに動かすが、その際、手 足や腰につけた木の実飾りなどの発する音も音 ヌーしかなかった。メラネシアとともにミクロ材、貝殻などを輸出しているが、日本からの輸 い世代に人気を博している。 びんろうか 楽の一部を構成する。 音楽文化のこうした大きな変容のもとで、 ネシアの西縁諸島には檳榔噛みの風習がある入額のはうが大きい。 メラネシアにおける特異な楽器や演奏形態と ミクロネシアのカロ が、ホリネシアにはない。 日本はまた、ソロモンへの漁業訓練船や冷凍まなお存続するオセアニア伝統音楽に共通の特 のン諸島には、メラネシアの一部とともに、織船の無償供与をはじめ、フィジーへは医科大学徴としてあげられるのは、器楽より声楽が優勢して、パプア・ニューギニアでは、二人の男性 が竹製横笛 ( 指穴なし ) をベアで吹き交替的に 機 ( 織布の材料はバナナやハイビスカスの繊の医療機器の供与、トンガへの真珠貝の開発協であること、楽器のなかでは体鳴楽器の種類が 力など、太平洋諸島への経済援助や技術協力、多く弦鳴楽器が少ないこと、音楽や楽器と踊り音表出を行うもの、カプトムシの羽音を口の中 維 ) があるが、ポリネシアには見当たらない。 指導を鋭意進めている。日本人観光客でにぎわとが密接なかかわりをもっこと、身体打奏が多で増幅させ倍音を得るもの ( 原理的にはロ琴と 社会組織や宗教についてもミクロネシアとポリ 同じ ) 、五人の男性が腰を振って、ペニスケー ネシアの間にはかなり著しい差異が認められうグアムへは日本の観光資本が進出している。用されること、などである。 る。 スの先端を腹部につけた木の実に当て、ポリ丿 〔メラネシアの音楽〕メラネシアは、三地域の 〈高山純〉鹿児島ーナウル間には一九七二年 ( 昭和四七 ) これ なかで、民族、言語、音楽がもっとも多様であズムを生み出しながら五声部歌唱を行い から航空路が開かれ、日本ーフィジー間にも計 〔日本とオセアニア〕第一次世界大戦後、ミク に、やはり五人の男性が木製トランペットをポ り、社会の組織化のうえでいまなお音楽が重要 ロネシアのいわゆる「南洋群島」は日本の委任画されている。日本の人工衛星の追跡基地がク リフォニックに吹いて伴奏するもの、などがあ リスマス島 ( キリバス ) に置かれているのは特 な機能を果たしている例が多いなど、伝統的脈 糸治領となり、日本主導型の開発が行われた。 げられる。ソロモン諸島には、一人の奏者が片 絡のなかでの音楽演奏慣習が比較的多く保持さ 第二次大戦中、日本はメラネシアはもとよりポ異なものの一つである。 南太平洋フォーラムで二〇〇海里れている。歌唱は、朗唱的な独唱から五声部歌手に四本すっ、片足に一本すっ、合計一〇本の リネシアの一部まで支配し、その飛び石的な島 嶼は戦略上重要な意味をもった。戦後、日本は宣一言が出されて以来、日本と各島嶼国との間で唱まで多様な様式が存在するが、なかでも、一竹筒を指の間に挟み、それらを地面上に置いた 経済的な発展に伴って国際社会で重要な役割を漁業協定が締結されつつある。また、低レベル人の先導者とコーラスの間での応唱的な集団歌石にリズミカルにたたきつけてポリフォニック な音構成を行うという独特な搗奏様式がある。 唱が顕著にみられる様式である。伝統楽器に 果たすようになり、現在ではこれら島嶼の平和放射性廃棄物の海洋投棄をめぐって現地との間 とうそう あつれき ハヌアッ ( ニュー ・ヘブリデス ) は、割れ目太 は、割れ目太鼓、搗奏水太鼓、搗奏竹筒、ロ に軋轢があるが、誠意ある対応が望まれてい と発展に寄与すべく、南太平洋委員会の会議に オブザー ーとして参加している。また、日本る。鉱産資源のみならす、林産、水産資源をも琴、木琴、がらがら、擦奏板、相互打奏棒、砂鼓の種類が多いことで知られるが、とくに大形 いちげんきん 提唱の環太平洋連帯構想は、政治抜きで経済、つ太平洋諸島への南東航路は、マラッカ航路、時計型・円筒型片面太鼓、一絃琴、楽弓、竹製の直立割れ目太鼓 ( 先端に彫刻をもっ ) は、所 きずな バンパイプ、巻き有者の権威を表すものとして高く評価されてい 北太平洋航路と並んで日本のたいせつな資源輸横笛と縦笛 ( 鼻笛もある ) 、 社会、文化関係の絆を深め、連帯を保つことが 目的で、一九八〇年に日本、アメリカ、オース送路となっており、今後いっそう重要性を増し貝トランペット、木製トランペット、拡声用竹る。フィジーには、踊り、歌、器楽伴奏、身体 トラリア、東南アジア諸国連合 (<T)Q<Z) てくるであろう。↓ポリネシア↓メラネシア筒、オカリナ、プルローラー、ダブルリード気打奏を組み合わせたメケとよばれる集団パフォ ↓ミクロネシア ーマンスがあり、そこにはメラネシア音楽とポ 〈浅黄谷剛寛〉 鳴楽器、シングルリード気鳴楽器など、多くの など一三か国の代表によって第一回会合がオー リネシア音楽の両要素が盛り込まれている。 ストラリアのキャンべラで開かれた。日本の貿回・地理▽木内信藏編『世界地理オセア種類があるが、部族単位で用いられている楽器 〔ミクロネシアの音楽〕伝統的ミクロネシア音 ニア』 ( 一九七七・朝倉書店 ) ▽石川栄吉編『世の種類は少ない 易相手地域としてのオセアニアの地位は、輸出 あ メラネシアでは、声楽だけでなく楽器や楽器楽は、声楽が圧倒的に優勢で、独唱やユニゾ 界地誌ゼミナールⅧオセアニア』 ( 一九七七・ は三・四 % 、輸入は六・三 % を占める。金額で ン、オクター。フ、多声による集団歌唱など、さ 大明堂 ) ▽カンバ ーランド著、石田寛・浅音自体にも特別な価値が置かれていることや、 は、日本の輸出は四四億七一〇〇万ドル、輸入は せ 黄谷剛寛訳『南西太平洋』 ( 一九七 = ・朝倉書店 ) 非常に精緻な器楽合奏が発達していることが注まざまなスタイルをとる。楽器は伝統的に重要 2 お八四億五一〇〇万誌 ( 一九〈 0 ) とわが国の大幅な

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おすとろ オーストロネシア系諸族 / 民族分布 ハワイ諸島 中国 ス、 彡マリアナ諸 ~ 、ベトナム フィリピン ャップ島 パラオ諸島 ミンダナオ島 カロリン諸島 チモ - ル島 パリ島スン島 ・彡々ルケサス諸島 % 彡・・ツアモッ諸 彡彡。ッパル マーシャル諸島 マレをシア オーストロネシア系諸族の分布地域 ビンロウジ噛み ヒ、ンロウジはヤシ科の植物 で , その未熟な種子を石灰 などとともにキンマの葉で 包み , これを噛む カバ飲料 コショウ科の植物カバの根 からっくられる飲料。アル カロイドが含まれ , 陶酔感 や幻覚などを引き起こす インドを起源とするヒ・ンロウジ噛みの習 慣は東南アジア暠部よりメラネシアに 至る広範な地域に広がっているが , ロネシアの中・東部とポリネシアには達 していない。一方 , ポリネシアではカノヾ 飲科がさかんに用いられた。これらの習 慣の分布は , オーストロネシア系諸族内 部の他の文化領域区分とも多く一致して おり , 民族移動の経路との関連が以前か ら指摘されている クサイエ島 キー′、ス 赤道 スマトラ島 アイ島 ジャワ島 オ -- ストラリア マダガスカル ニュージーランド 2000km 1000 クロネシアにも位階システムが存在するが、こ ちらでは母系制が主流であった。東南アジアの オーストロネシア系諸族は、水田または陸稲の 稲作を営む点で太平洋地域と異なるが、一部で はアワやヒ工、ヤムイモなどもっくられてお り、過去における太平洋地域の根茎栽培との関 連を思わせる。この地域はインド、中国にみら れるようなアジア高文化の影響がとても強く、 ・ ) 太平洋にはなかった文字文化が成立し、 もの王朝が存在した。マダガスカル島において も同じく稲作が営まれている。 〔民族移動〕形質上の細かな差異が民族移動に ツ一よって生成されたとする過去の人類学では、人 種・文化の異なる民族移動がこの地域にいくっ も生起したと想定されていたが、最近ではそれ ほど複雑な過程があったとは考えられていな オーストラロイドが約三万年前にオースト ラリアとニューギニア島に住み始めたが、その 後、およそ五〇〇〇年前にアジア大陸南部から モンゴロイド系のオーストロネシア族が移動を 開始し、紀元一〇〇〇年ごろまでの約四〇〇〇 年間にゆっくりと現在の領域へと拡散していっ た。彼らの移動経路や今日の文化からみて、オ ーストロネシア族が優れた航海術をもっていた ことは明らかである。またそのなかでも太平洋 に移住した人々については、根栽作物に基づく 農耕文化の担い手で、土器製作の技術をもって いたことが知られている。ただし、今日のポリ ネシア全域およびミクロネシアのほとんどで、 土器製作の技術はもはや失われている。↓オー 〈山本真鳥〉 ストロネシア語族 回石川栄吉著『南太平洋ーー・・民族学的研究』 ( 一九七九・角川書店 ) ▽同著『南太平洋の民族 学』 ( 一九天・角川選書 ) ▽同編『民族の世界 史オセアニア世界の伝統と変貌』 ( 一九 会・山川出版社 ) ▽大林太良編『民族の世 界史 6 東南アジアの民族と歴史』 ( 一九会・ 山川出版社 ) ごそく西は オーストロネシア語族 アフリカ大陸南東洋上のマダガスカル島 ( マラ ガシー民主共和国 ) のマラガシー語から、東は 南アメリカのチリ領ィースター島のラバヌイ語 こうぎん まで、北は台湾の高山族諸語、アメリカ合衆国 ハワイ州のパワイ語から、南はニュージーラン ドのマオリ語まで広い地域に行われる現地諸言 語の系統的総称。マライ・ポリネシア語族 ( 南 9 島語族 ) ともいわれ、その総数は約一〇〇〇に 2

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かいりゆ 世界の海流分布 ( 夏季 ) / 8 C ・一← れ、電流が流れる。その電流による電圧降下を、観測船から 引いているセンサーで測定し、海流の速さを求める測器であ る。電磁海流計の出現以来、ガルフストリームや黒潮のシノ プティック ( 総観的 ) な様相がしだいに明らかになった。ま た人工衛星から海面の温度分布を知ることができるが、これ から海流のようす、とくに黒潮のようにはっきりした暖流の 流れ方のようすがとらえられるようになってきた。 〔間接法〕原始的ではあるが、航行する船舶で、航行の際の 偏位から海流を測ることがある。洋上の船で、その進行方位 海海 ド去乢ド ム と自船の速さとから、一定時間後、自船が到達するはずの位 流ン海ン流 海ラ一ラ海流流リ海流海 流置と、実際に測定された位置 ( 天測や電波航法などによる ) 一ンガンル海海トル海ス流流流流流海海 エ一ン一ド洋ダスガ一レ海海海流海海ル流ラ との差から海流を求める方法である。この方法は帆船時代盛 ウ リミリラ西リフトリチ道ブナ反ア道ジ海ゲ ルグルグプ大口ルルナン赤リア道ニ赤ランんに用いられ、今日われわれのもっ世界の表面海流の知見 ノ東イ西ラ北フガポカア北カギ赤ギ南プ西べ は、おおむねこの方法によって得られた資料が基礎になって 0 1 ーっ′っ 0 ′ 4- LO 00 「′ー 0 ) CD 2 っ 4 ・ 5 (D 7 0 ) いる。海中の密度分布から、さらに圧力分布を知り、海流を 求める方法は、力学計算の手法といわれる。海洋の各層観測 を行って、水温、塩分の分布から、密度、圧力の分布を計算 し海流を知るものである。海水の密度はほとんどの場所で塩 分よりも水温に支配されているので、水温の分布からだけで も海流の大勢を知ることができる。日本の近海では二〇〇 層の水温の水平分布から海流の大勢、たとえば黒潮の流れ方 の様相をかなりよく知ることができる。↓海洋観測 〔世界のおもな海流〕〔暖流と寒流〕海流の相対的な性質を 表すのに暖流と寒流ということばがある。海洋学的に厳密な 定義があるわけではないが、周囲より温かい ( 高い ) 水温の 海水が流れているものを暖流、その逆を寒流という。暖流は おおむね赤道地方から極、高緯度地方に向かって流れ、その 逆が寒流とされている。世界のおもな海流には、黒潮、東オ ーストラリア海流など固有の名称でよばれているものが多 い。なお、海流の流れ方を示す場合、「東流」とは「東へ向 かって流れていく海流」を意味する。気象の「東風」は「東 の方から吹いてくる風」である。 〔太平洋の海流〕北太平洋 ( 時計回り ) 、南太平洋 ( 反時計 回り ) と、その環流系は回り方が逆である。この環流を形成 する海流は、北赤道海流、黒潮 ( 日本海流 ) 、黒潮続流、北 太平洋海流、カリフォルニア海流である。黒潮はフィリピン 群島の東方に発し、台湾東方から台湾と石垣島の間を通り、 や あまみ 東シナ海大陸棚の外縁に沿って北東に進む。屋久島と奄美大 いめばう ) き 島との間を通り日本南岸沖を流れ、犬吠埼付近から離岸して 東方に流れ去る。黒潮の一部は沖縄西方で主流から分岐し、 九州西方を北上し日本海に入り、対馬海流となる。これは東 21 フォークランド海流 22 ホーン岬海流 23 ウェッデノレ海流 24 周南極海流 25 南西季節風海流 26 ソマリ海流 27 モサンビーク海流 28 アガラス海流 29 西オーストラリア海流 30 アラスカ海流 31 アリューシャン海流 32 親潮 33 黒潮 34 黒潮続流 35 北太平洋海流 36 カリフォルニア海流 37 赤道海流 38 東オーストラリア海流 39 ベルー海流 深層流分布 9 4 ノ , ーー→深層流 匚こ ] 深層水海域 っしま

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かいよう 一八三八・モールス ( 影 ) 、電信機発明 一八四一一■エーメ ( ) 、転倒温度計発明、地中海で観測 一八五三■初の海洋・海上気象の国際会議開催 一八五五■モー ( 影 ) 、『海洋の自然地理学』出版。 イロット・チャート作成 一八七二・チャレンジャー号 ( ) の世界周航探検 ( 、七六 ) 一八七六■ストークス ( ) 、深海波の位相速度法則発見 一八七八・ノルデンシェルド ( (\) 、北水洋経由の北東航 路啓開、翌七九年 ( 明治一一 l) 日本に到達 一八八四■ディット マー ( ) 、海塩組成の一定性を発表 ■ヘンゼン ( 響 ) 、プランクトンネット考案 一八八五■アルべール一世 ( 一ナ ) 、地中海・太平洋調査開始 一八八六■マカロフ ( 穹 ) の世界周航海洋大探検 ( ー八九 ) 一八八九■ヘンゼン ( ン ドイ ) 、北大西洋プランクトン調査 一八九三■和田雄治、海流瓶で日本近海調査 ( ー九五 ) / レウ、 ・ナンセン (H い ) フラム号で北水洋漂流 ( ー九六 ) 一九〇一・クヌーッセン ( に「 ) 、『海洋常数表』刊行 一九〇二■ェクマン ( 【 ) 、吹送流偏差の論文発表 ・クヌーッセン ( に「 ) 、「標準海水」をつくる 一九〇三■アムンゼン 0 ノ 3 ウ ) 、北西航路啓開 ( 50 六 ) ■ェクマン ( 三吹送流理論発表、流速計発明 一九〇七■オールス ( 影 ) 、べーム ( 響 ) 、音響測深機発明 一九〇八■本多光太郎、寺田寅彦ら、日本港湾の副振動調 代 査。本多式検潮機考案 検一九〇九ー農商務省水産局の漁業基本調査 ( 、一七 ) 探 ■カーネギー号 ( ) の世界観測調査。非磁気工ン ジンを搭載、磁気測量 ( ー 研 一九一二・ウェゲナー ( イ ) 、大陸移動説発表。『大陸と海 洋の起源』刊行 一九一六■ヘラン・ ハンゼン ( ) 3 ウ ) 、水塊分析にーダイ ャグラム提唱 一九二〇■デーナ号 ( デ一「 ) の大西洋調査、シュミット 0 ン「 がウナギの故郷を発見 一九一一一一ー和田雄治、『日本環流調査業績』出版 一九二四・ジェフリーズ ( ) 、風浪発生の理論発表 一九二五■測量艦満州、西太平洋観測。満州海淵発見 ・メテオール号 ( 響 ) の大西洋精密観測開始 一 . 九二八・デファント ( 臀 0 、海洋成層・対流圏理論提唱 ) 潜水艇ノーチラス号で北 一九三一・ウイルキンス ( ラ , ア 水洋観測、北緯八一度五一分に達す 一九三三・水産試験所主体の北西太平洋一斉調査 ( ー四一 ) 一九三四秋より熊野灘沖に大冷水塊出現、黒潮異変 一九三八・海軍水路部、低緯度地域に手る西太平洋同時的 海洋観測挙行 ( 5 四四 ) 一九四一一・スペルドラップ ( ) 3 ウ ) はか、『海洋ーーーその物 理・科学・生物』刊行 一九四七・ペテルソン ( 」、アルバトロス号により世 界周航海洋探検 ( ー四八 ) ■スペルドラップ ( ) 3 ウ ) ・ムンク ( ) 、波浪予想法提唱 ■スペルドラップ ( ) 3 ウ ) 、風成海流理論発表 オースト、 チャレンジャー報告チャレンジャー万 の世界周航探検の結果をまとめた報告書 チャレンジャー号船長ナーレスと隊長 トムソンの指揮による世界周航の海洋大 探検 ( 1872 ~ 76 ) に使用された 年より二七年 ( 昭和一 l) 、西太平洋の赤道に至る大観測を実 かいえん 施し、マリアナ海溝の満州海淵を発見している。二五年から 二七年のイギリスのディスカバリー号が行った南極海調査の 『ディスカバリー報告』は、チャレンジャー号、メテオール 号の報告と並ぶ権威をもつ。 第一次大戦で植民地を失い、インフレに悩むドイツが行っ たメテオール号の大西洋大探検は特筆すべきである。企画者 で隊長だったメルツ Alfred Merz ( 一公 0 ー一九一一五 ) は中途、 南アメリカで客死したが、シュピース、テファントが指揮し て探検を完成させた。メルツの学説である海洋の水平・鉛直 大循環のモデルの験証のため、一九二五年から二年三か月に わたり、南大西洋を一四回も横断、六万七五三五海里を航海 一し、三一〇の観測点で、表面から深層までの精密な海洋物理 学的観測を行った。メテオール号の大探検は、第二次大戦に よって中断するまで数次にわたっているが、最新の科学的測 器を用い、厳密な計画のもとに組織的に進められた近代的海 洋観測の初めといえよう。『メテオール報告』は第二次大戦 を挟んで刊行され、高い評価を得ている。第二次大戦までの おもな探検には、イギリスのウィリアム・スコレスビー号に よる二六 ~ 三八年の南極海、オランダのスネリウス号による 二九 ~ 三一年のインドネシア近海などがある。 日本の第二次大戦までの海洋探究は、農林省の水産漁業調 査、旧海軍の作戦目的の観測、海洋気象台の純学術的探究が 大きな柱であった。農林省では北原多作らの一九〇九年 ( 明 治四一 l) からの漁業基本調査、三三 ~ 四一年 ( 昭和八 ~ 一 六 ) の北西太平洋一斉調査がある。旧海軍水路部では三八年 から四四年、西太平洋の赤道域に至る広範な大観測を行っ た。戦前・戦中であまり知られなかったが、多数の艦船を動 員しての総観的な海洋調査で、第二次大戦後アメリカで実施 した「オペレーション・キャポット」に先んじていた。二〇 年 ( 大正九 ) 海洋気象台の創設に始まった探究は、二七年の りようふ、つ 所属観測船春風丸の就航、三七年には中央気象台の凌風丸 れ閉 の完成へと発展し、須田晥次、日高孝次ら日本海洋学の指導 用氷 者を輩出した。 二〇世紀に入り、海洋の理論的解明は急速に発展する。海 、極ペ漂 流理論も進歩の著しい一分野である。一八九三年ナンセンの ン間とフラム号による北氷洋漂流で、海流に起源する氷の動きが風 セ年と ン 3 野 に対して二〇 ~ 四〇度右に偏ることが発見された。この現象 ナ約氷 ら の究明を師の > ・ビャークネスに課せられたエクマンは、一 号かれ ムら九〇一一年に数理的証明を発表した。この論文は発展、拡張さ らせん フ込れ、エクマンの螺旋、エクマン輸送の概念を含んで〇五年に川 R E P ( ) R T VOYAGli ( ル日 . M. S. CHALLF..NGER N 、】Ⅲみ 1 Ⅳ「一 VO れ かんじ

6. 日本大百科全書 4

かいてい 90 3 3 0 0 4 2 6 7 0 0 - うツもみ 8 9 2 〆 23 ・ 24 ・ 第乙 4 3 0 9 20 28 29 9 2 4 0 、、 38 42 44 & 49 6 32 35 36 40 39 44 29 48 4 別刷「海底」名称一覧 大西洋 南ニュー・ヘフリデス海溝 トンガ海溝 44 45 ケルマデック海溝 46 タスマン深海平原 47 マックオーリー海嶺 48 キャンペ丿い毎台 49 チャタム海膨 50 スコット断裂帯 51 南西太平洋海盆 52 ウージンチェフ断裂帯 53 太平洋・南極海嶺 54 南東太平洋海盆 55 サープ断裂帯 56 ヒーゼン断裂帯 57 メナード断裂帯 58 チリ海膨 59 チリ ( アタカマ ) 海溝 60 ナスカ海嶺 6 1 ペ丿レー毎盆 62 べ丿レー毎う冓 63 東太平洋海膨 64 カーネギー海嶺 65 ココス毎苓資 66 中央アメリカ海溝 1 北極中央海嶺 2 マカロフ海盆 3 メンデレーフ海嶺 4 カナダ海盆 1 1 小笠原海嶺 1 2 四国海盆 1 3 九州・バラオ海嶺 14 南西諸島 ( 琉球 ) 海溝 フィリビン海溝 1 5 1 6 バラオ海溝 1 7 ャッブ海溝 1 8 マリアナ海溝 19 中央太平洋海山群 20 ハワイ海嶺 21 北東太平洋海盆 22 メンドシノ断裂帯 23 プラット海山 24 ノヾーカー海山 25 バイオニア断裂帯 26 マーレー断裂帯 27 モロカイ断裂帯 28 クラリオン断裂帯 29 クリッパートン断裂帯 30 ガラパゴス断裂帯 31 マルケサス断裂帯 32 ィースター断裂帯 33 クリスマス海嶺 へス・ギョー 34 35 中央太平洋海盆 36 西メラネシア海溝 37 北ソロモン ( プーゲンビル ) 海溝 38 南ソロモン ( サン・クリストバル ) 海溝 ・フリテン海溝 40 グレート・バリア・リーフ 41 北ニュー・ヘブリデス海溝 42 サンタ・クルーズ海溝 10 中央インド洋海盆 1 1 中央インド洋海嶺 1 2 セイシェル・モーリシャス海ロ 1 3 アミラント海溝 1 4 モザンビーク海嶺 1 5 マダガスカル海盆 16 南西インド洋海嶺 1 7 クローゼー海盆 レナ・ギョー 1 8 1 9 ケルゲレン海台 20 アムステルダム断裂帯 21 西オーストラリア海盆 22 プロークン海嶺 23 オービー海溝 24 ナチュラリスト海台 25 ディアマンティナ断裂帯 26 南オーストラリア海盆 27 タスマン冫毋下頁 28 南東インド洋海嶺 29 南インド洋海盆 シーラ深海平原 31 32 ロマンシェ断裂帯 33 ギニア海盆 / ヾフィン冫毋 . 皿 . 34 アセンション断裂帯 2 ラフラドル海盆 アンコラう毎「盆 35 3 ナンセン断裂帯 フラジ丿レラ毎盆 4 グリーンランド断裂帯 36 37 サントス海台 5 ノノレウ工ー冫毋 nn.. 6 ャンマイエン断裂帯 38 リオ・グランデ冫毋ロ 7 39 リオ・グランデ断裂帯 ャンマイエン毋下頁 8 レイキャネス海嶺 40 ウォルビス海嶺 41 ケーブ海盆 9 ルーシイ堆 1 0 ポーキュバイ堆 42 アガラス毋ロ 1 1 ギブス断裂帯 43 大西洋・インド洋海嶺 1 2 ニューファンドランド海盆 44 フォークランド断裂帯 13 大西洋中央海嶺 アルゼンチン海盆 45 1 4 西ヨーロッノ新毎盆 46 フォークランド海膨 15 オーシャノグラファー断裂帯 47 サウス・サンドイッチ海溝 1 6 ホースシュー海山群 48 大西洋・インド洋海盆 17 アトランティス断裂帯 49 ノヾレアレス海盆 18 ソーム深海平原 50 イオニア海盆 1 9 ケルビン海山群 51 地中海海嶺 20 ハッテラス深海平原 インド洋 21 レームダ海膨 紅海裂谷 1 22 フレーク海台 2 インダス扇状地 23 カイマン舟状海盆 3 ペンガル扇状地 24 コロンヒアラ毎盆 アラビア海盆 4 25 プエルト・ リコ海溝 5 カールスペルク海嶺 26 北アメリカ海盆 チャゴス・ラッカディフ海嶺 6 27 ケーン断裂帯 7 チャゴス海溝 28 カナリア海盆 8 東経九十度海嶺 29 カーポペ丿レデ毎ロ 9 ジャワ海溝 ( スンダ海淵 ) 30 ビーマ断裂帯 太平洋 カムチャッカ海盆 2 アリューシャン海冓 天皇海山列 3 4 千島・カムチャッカ海溝 5 千島海盆 6 北西太平洋海膨 7 日本海溝 8 日本海盆 9 北西太平洋海盆 10 伊豆・小笠原海溝 北極海 660

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かいよう 海洋生物 / 垂直分布 る。一般に深度により特有の生物が分布するが , この図 この図は沿岸域と外洋域の生物の概念的な垂直分布を , 日本周辺産のものを中心に描いたものである。海洋におではその関係は厳密なものではない。また , 各生物の大 ける生物の密度は潮間帯から大陸棚 ( 水深約 200m ) に至きさも一定の比率では描いていない。海洋生物は 0m ~ る層で , 種 , 量ともに多く , 深度が増すにつれて減少す 1 万 m 以上までのあらゆる環境に対応して生活している 沿岸域 カサガイ イガイ フジッポ イ朝 ーマテガイ チョウチョウウォ カタクチイワシ イソギンヤク コンフ ハマグリ アサリ 植物 プランクトン スズメダイ イワガニ カサゴ アワビ トラフグ ホンダワラ マダイ イセ工ビ クルマエビ ゴカイ スルメイカ マポヤ ムラサキウニ 200E ・ 11 イソバナ ニッポンウミシダ マダコ イトマキヒトデ ヒラメ オキナ工ビスガイ タカアシガニ シオマネキ イタチウォ コウモリダコ ホウライエソ ツメタガイ トビハゼー ヒオドシェビ サケガシラ ウナギ フクロウナギ アマモ 1 000 m 工ポシナマコ ワタッミソデガイ である。すなわち南北太平洋、南北大西洋には それぞれ独立した大きな循環が存在する。北太 平洋の大循環は、北赤道海流、黒潮、黒潮続 充、北太平洋海流、カリフォルニア海流よりな る時計回りのものである。南太平洋では、南赤 道海流、東オーストラリア海流、西風皮流、ペ ルー海流 ( フンポルト海流 ) からなる反時計回 りのものである。北大西洋の循環は、北赤道海 流、アンティル海充、フロリダ海流、ガルフス トリーム ( 湾流、メキシコ湾流ともいう ) 、北 大西洋海流、ポルトガル海流、カナリー海流か らなる時計回りのものである。南大西洋では、 南赤道海流、プラジル海流、西風皮流、・ヘンゲ ラ海流からなる反時計回りのものである。イン ド洋北部の海洋循環は季節風の影響を受け、北 半球の夏と冬とでまったくその様相を異にし、 冬季にはおおむね西流である北東李節風海流 が、夏季には東流である南西季節風海流が卓越 する。 海洋大循環をおこす原因は、海上の卓越風系 ( 偏西風、貿易風、季節風 ) による応力、地球 自転の転向力、太陽の放射の緯度による違い、 などの要因が複雑に絡み合っているものと考え られている。海洋大循環による大きな環流は、 しばしばジャイル ( ジャイアル ) gyre とよば れる。 深層水の大循環については、観測が少なく、 はっきりしたことはまだよくわかっていない おもむき しかし表層の大循環とは著しくその趣を異に することを、ストンメルはその深層水循環の理 ^ 半澤正男〉 論で提唱している。↓海流 かいようたんけん 0 海洋 海洋探検 かいようちかく海洋地域のとくに 海洋地殻 深海部における地殻のこと。その厚さは、海水 層を除くとどこでもほとんど一様で、わずか六 キ。メートル程度しかない。大陸の地殻に比べて きわめて薄いことは、アイソスタシー isosta- sy などから想像されていたが、人工地震の観 測によって実際に確かめられたのは一九五〇年 ころである。厚さが一様なのは、海洋プレート の一部として中央海嶺で形成される機構に関係 があるとされている。海洋地殻の主要部分はい わゆる玄武岩質層からなり、花崗岩質層を欠く まくらじよう たいせき のが特徴であるが、堆積層のすぐ下は枕状溶 岩の層であることが「グローマー・チャレンジ ャー号」による深海掘削で確かめられている。 ↓アイソスタシー 〈吉井敏尅〉 7 かいれ モンスーン

8. 日本大百科全書 4

て北上し、妊娠雌を先頭ソ連は、陸上で商業的に捕獲されるオットセイ刃 に繁殖島を目ざす。 の獣皮の各総数のうち一五 % をそれそれ日本お 2 密生する綿毛のため、 よびカナダに引き渡すこととしている。そのほ 毛皮獣資源として一九世か、当事国がオットセイ資源の保存のために必 紀から利用され、生息数要な科学調査において協力すべきこと、およ は激減したが、一九一一 び、当事国の調査計画を調整し、当事国に適当 年、日本、イギリス ( 五な保存措置を勧告する北太平洋オットセイ委員 七年からの条約ではかわ会 ( 各当事国一名の委員で構成 ) の設置などを りにカナダが加盟 ) 、ア定めている。 〈水上千之〉 ちょうびじゅっ一〇 メリカ、ロシアの四か国オットー朝美術 により、オットセイ条約世紀の終わり三分の一から一一世紀の初め三分 が結ばれ保護された。その一までの東フランク王国の美術様式をいう。 の結果、現在約一三〇万この時期に、、、 サクセン家のオットーを名のる三 頭が生息し、毎年約一〇人の王たち、とくにカール大帝の偉業を慕うオ 子 万頭が捕獲され、毛皮と ー一世 ( 在位九三六 ~ 九七三 ) によって古代学芸 雌地る して供給されている。 の復興、キリスト教の布教が積極的に進められ の殖す 別属のミナミオットセた ( オットー朝ルネサンス ) 。今日のドイツの イは、南半球に分布し、 地を基盤とし、当初はカロリング朝美術の復古 碎 ' ・・・・・・一体形はオットセイに似るの形で進められ、ついでビザンティン文化を摂 が、吻がややとがってい 取し、やがてロマネスクの最初の波に洗われな よ実ら 〈和田一雄〉がら、ドイツ美術が独自の第一歩を形成してい 大遮 った時期として意義がある。 オットセイ保護条 方を ほ。こじよ、つやく 建築では、この時期におよそ一〇〇〇にのば ナ約 lnterim Convention るドームが建てられたとされるが、それによっ on Conservation Of てゴシックの初めまで通用する教会建築のタイ North Pacific Fur プが決定された。その代表的な遺構は、オット Seals 一九五七年にカ ー一世の弟、大司教プルーノによって建てられ ナダ、日本、ソ連およびたケルンの聖。ハンターレオン修道院 ( 九〈 0 献堂 ) ビ或す アメリカの間で締結されと、オットー三世当時ヒルデスハイムの司教べ 回 た「北太平洋のオットセルンバルトによって建てられた聖ミヒャエル修 レと期諸 イの保存に関する暫定条道院である。前者はカロリング朝の「西構え」 ~ : 7 地繁キ 約」をいう。一九一一年の発想を集中的に発展させて双塔式フアサード のオットセイ保護条約をを完成した点で、後者は後の平面再構成図によ 引き継ぐもので、北太平ると、一一つの内陣と側面入口を備え左右対称の 洋におけるオットセイ資徹底化が図られているのが特徴で、ともに後世 最 〆源の最大の持続的生産性への影響が強い。 の達成を目的とする。 彫刻、絵画では、聖ミヒャエル修道院の地下 オットセイの捕獲に関祭室のためにつくらせた『司教ベルンバルトの ちょうし いにハレムは崩壊する。雌と雄はしだいに索餌下し、銚子沖にまで達する。食物はイカ類、 しては、従来から、その繁殖島を有するアメリ 青銅扉』 ( 一 0 一五。ヒルデスハイム大聖堂 ) 、ケル たつけい のため海上へ出て、南下する。最後に子が一一ダカイワシ類、スケトウダラ、マサ・ハ、サンマカとソ連は、自国で繁殖した公海上のオットセン大聖堂にある「大司教ゲロのキリスト磔刑 など、いずれも普通にみられるが、とくに両水 月ごろ繁殖島を離れる。この時期が発育期のな イに対しても管轄権を主張し、日本、カナダは像』 ( 九七五 ~ 一 000 こし、およびコンスタンツ湖上 かでもっとも高い死亡率を示す。プリビロフ系塊の潮境に密に分布する種類で、それらの濃密公海上における捕獲を主張していたが、この条の島ライヒナウ修道院で制作された彩飾写本 はカリフォルニア沖へ、コマンドルスキー系と群を追いつつ南下する。雄は繁殖島と同緯度の約は、海上捕獲の禁止と陸上捕獲の一定分の配 『オットー三世の福音書』 ( 一 000 こ ミュンへ ロ・ヘン系はそれぞれ北太平洋と日本海へ、アシ 北辺水域に、子は沿岸域にとどまっている。こ分という形で利害を調整した。すなわち、この ン、バイエルン国立図書館 ) が有名である。こ カ科のなかでもっとも長大な回遊をする。先頭のように海上では、繁殖島における社会構造と条約は、・ ヘーリング海、オホーック海、およびれらの作例で注目されるのは、新しい造形空間 は高年齢の雌が占め、北西太平洋では一二月上はまったく異なるルーズな個体間関係を示す。日本海を含む北緯三〇度以北におけるオットセの開拓と内面的な人間像の出現である。『青銅 くしろ 旬に釧路沖に現れ、親潮の張り出しとともに南四月ごろから黒潮の勢力が強くなるのと並行し イの商業的海上捕獲を禁止し、アメリカおよび扉』の一面に高浮彫りされた『神に叱られるア ミナミオットセイ ー繁殖地 北アメリカ プリビロフ諸島 アフリカ 南アメリカ オーストラリア 南極大陸 千島列島 ,

9. 日本大百科全書 4

かいてい 、刀ーし一にし には、相模湾および東京湾口に多くの海底地す子の大きさによる分類がある。この場合は礫、 ーーふせっせを船上で接続し、海底に沈める。 海底ケープル敷設船 従来海底ケープル作業はこのようにして海底べりが発生し、海底電線を切断した。海底地す砂、泥 ( シルトと粘土 ) に分けられる。生成環 ん海底に海底ケープルを敷設したり、修理す るための船。ケープルシップともいう。外形上面に敷設されて置かれたままであった。近年はべりは陸上の地すべりと比べて、緩い斜面でも境を陸からの距離で分けると、沿岸・近海・半 沿岸の漁業活動などにより、ケープルをひっか発生し、すべり落ちた物質は非常に広範囲に及遠洋・遠洋堆積物となる。水深で分けると、海 の特徴は、海底ケープルを出し入れする大きな 船首車輪、船尾からケープルを敷設する船尾シけるおそれがあるため、原則的に大陸棚までのぶ。海底に沿って泥を含んだ密度の高い水が流浜・浅海・中深海・深海堆積物となる。堆積物 れて、乱泥流 ( 混濁流 ) に転化することも多粒子の起源を基準とすれば、岩圏起源・生物圏 浅海部分は海底下に埋設する方法をとってい ュートをもっことである。また、船倉には長い 〈勝又護〉起源・水圏起源・宇宙起源堆積物に分けられ 海底ケープルを格納するケープルタンクがある。現在日本では、丸 ( 国際電信電話会 しゅんせつ えんすい かいていせん浚渫船が採取した泥、る。これらを組み合わせると、陸源堆積物 り、ケープルを円錐形の軸に巻き付けて積載す社 ) 、光洋丸・黒潮丸 ( 日本電信電話会社 ) な 開底船 ( 礫、砂、泥、青泥、赤泥、緑泥、タービダイ 〈定金丈夫〉土、砂利を運搬し、捨てるための船。ホッパー どが稼働中である。 る。海底ケープルを敷設するには、まず沖合い ト、氷河堆積物、遠洋粘土 ) 、化学源堆積物 ジ hopper barge ともいう。船倉は横方 かいていこく submarme canyon から海底ケープル陸揚局に向けケープルの陸揚海底谷 げ作業を行う。陸揚げ作業では、ケープルは船河状に続く海底地形のうち、断面が > 字状のも向に隔壁 ( 仕切りの壁 ) でいくつかの区画に仕 ( マンガン団塊、リン酸塩団塊、パラゴナイト、 フィリップ石、重晶石など ) 、生物源堆積物と 切られ、各区画の底部に二枚ずつの扉がある。 の。海底谷は、大陸棚上の陸上河川の延長上に 首車輪を通して繰り出し、損傷を防ぐためいっ たんバルンプイで海中に浮かしたのち、このプも、大陸斜面より深い所にもある。大陸棚の海この船底扉は下方の水中へ開くようになっておして石灰質堆積物 ( 有孔虫軟泥、翼足虫軟泥、 イを切りケープルを海底に沈める。次に敷設船底谷は、海面が今日よりも低下していた氷河期り、投棄場所でこれを開いて土砂を捨てる。扉ココリス軟泥、サンゴ堆積物など ) と珪質堆積 は一八〇度方向を転換し、船尾シュートより沖に河川で侵食された峡谷が、間氷期になって海を開いても十分な浮力をもつよう、船倉の両舩物 ( 放散虫軟泥・珪藻軟泥 ) などに分けられる。 そく 運搬経路あるいは形成過程によって、河川 側の部分は浮カ用の大きいタンクになってい 合いに向けてケープルを敷設する。同様にして面の上昇とともに水面下に没したものである。 たいせき 〈森田知治〉海流、風、氷河、氷山、混濁流、生物遺骸、無 他方の陸揚局からもケープルを敷設し、両者を大陸斜面以深のものは、陸性の堆積物が海水とる。↓土運船 かいていたいせきぶつ海水によ機的沈殿、風化などを指標に分けることもでき 敷設船上で接続し、海底に沈め、敷設作業を完混じって流下する混濁流による侵食によってで海底堆積物 了する。海底ケープルの修理を行うには、まずきると考えられている。↓海底〈安井正〉り運搬され沈積した堆積物。何を基準にとるかる。一般的にみると大陸棚では陸源の砕屑物、 かいようしげん により多様な分類法がある。河川から搬入され火山堆積物、サンゴ堆積物が多く、大陸斜面と かいていしげん 0 海洋資源 陸揚局から測定した障害点付近に敷設船を回航海底資源 し、錨によりケープルを探線する。錨にひっか 海底地震かいていじしん海溝付近から島弧た堆積物は、海水に懸濁し溶解し、あるいは海その沖合いにはタービダイトが多い。大洋底で や大陸の下に潜り込む海洋プレートの動きと関底を移動する。この海水流動の指標として、粒はプランクトン遺骸 ( 有孔虫軟泥、ココリス軟 かったケープルは、船上に引き揚げて切断し、 連した地震活動。太平洋の周縁部は地震活動が 一方の端にプイをつけ海底に沈めておく。次に 一ャ : 島 もう一方の障害部分を取り除き、修理用ケー・フとくに活発で、環太平洋地震帯とよばれてい 西太平洋海盆 提 ~ を 0 ルを継ぎ足して先ほどの。フィに向け敷設、両者る。地震の発生する深さは、沈み込むプレート 毎ダ・・後第 毎 に従い、海溝付近から大陸側に向かってしだい をと 千ホ に深くなり、大陸の下では六〇〇 ~ 七〇〇キ。メ 星こ ートルに達する。日本列島の太平洋側は、太平 衛る 工す 1 人殳約洋プレートやフィリピン海プレートと、日本列 敷 載島の属するアジア大陸側のプレートとが押し合 造積 う地域にあたるので、地震活動が非常に活発 年→プ で、大規模な地震も多い。このため、日本は大 ケ一 きな地震災害を繰り返し受けている。また、海 丸置 位銘底地震に伴う津波の災害も多い。大規模な海底 員地震は、沈み込む海洋プレートに引きずり込ま 確且 正剰れ、長期間 ( 一〇〇年程度 ) にわたって沈降を 続けていた陸側のプレートが、一気に跳ね返る ル定 0 ことによりおこると考えられている。 一方、大洋の中央部には、海嶺の中軸谷やト 数 ン ランスフォーム断層に沿って比較的幅の狭い地 向 震帯が連続しているが、震源は三〇 ~ 四〇キ。メ 外よ ートル以下と浅く、大規模な地震は少ない 船置 8 〈勝又護〉 海洋底拡大説↓地震 設装 3 敷定ⅱ 海底地すべりかいていじすべり海底斜面上 ル測長 ニプ、位全の堆積物が急激にすべり落ちる現象。原因はい 一船 ケたるろいろあるが、地震を引き金とすることが多 底しき 海用で 一九二三年 ( 大正一 (l) の関東大地震の際 R D D A R U ノ たいせき かいれ、 海底堆積物 / 日本近海 匚こコ岩盤または礫匚こ」砂 石灰質堆積物匚こ」粘土 皿ⅡⅧ』火成堆積物ロ泥 珪質堆積物 さがみ 北見大和 北海道 日本海 ハし 0 ・佐 本州 州 伊、、 小原海台 0 南 東 海南大東 沖大東島・東海 オ 0 0 さいせつ 500km れき 667

10. 日本大百科全書 4

きよう やすよし とになった。海軍の象徴も、戦艦から航空母艦という役割によってなのである。 んは、アメリカ海車の空母機動部隊と両用戦能力訓練に乗り出した。勝安芳 ( 初代海軍卿 ) 、ー なかむた へ、そして今日では戦略ミサイルを搭載した原 が日本海軍の戦艦主力の決戦艦隊を消耗戦に引 村純義 ( 同一一代 ) 、榎本武揚 ( 同三代 ) 、中牟田 アメリカ海軍は太平洋艦隊 ( 第一艦隊、第一一一 5 くらのすけ きすり込み、打ち破った。とくにガダルカナル倉之助 ( 初代海軍軍令部長 ) らの人材が同伝習子力潜水艦へと移っている。戦略原潜の使命艦隊、第七艦隊 ) と大西洋艦隊 ( 第二艦隊、第 とうしょ 八六〇年 ( 万延一 ) 、 戦以後定型となった島嶼基地争奪戦ー航空基地所から巣立ってゆく。一 。いうまでもなく敵国の政治・軍事中枢の戦六艦隊 ) とからなり、空母一四隻、攻撃型潜水 かんりん 建設ー制空権獲得ー制海権確保ー戦線前進の戦勝海舟を指揮官とする咸臨丸が太平洋を横断し略的破壊にある。在来型海軍の筆頭任務が「敵艦九五隻、戦闘艦艇総計五四七隻、作戦機約一 闘方式と、それに適合させるべく建造された大てアメリカへ航海し、ここに近代海軍の礎石が艦隊の撃滅」「制海権の確保」に置かれていた四五〇機、兵員五六万九〇〇〇人 ( 『ミリタリ 量の両用艦艇 ( 典型的にはⅡ戦車揚陸築かれた。 ことを考えると、この変化は革命的である。米 ハランス』一九盒 ~ 会 ) を保有、第七艦隊お だじようかん 艦 ) は、航空機とともに太平洋戦域の主役とも 明治維新後、新政府は太政官の官制中に ソ両海軍はこの種潜水艦を三四隻と八〇隻 ( 一よび第六艦隊を有事即応力として洋上に常時展 いうべき働きをした。こうして第一次と第二次「海陸軍総務総督」を設けて海軍育成を開始、九八四年末現在 ) 就役させ、相手国の陸上重要開している。ソ連海軍のほうはバルト海艦隊、 の世界大戦は、海上における戦艦どうしの決戦一八六九年 ( 明治一 l) 、東京・築地に海軍操練拠点を海からの射程に収めている。双方が保有 北洋艦隊、太平洋艦隊、黒海艦隊、カスビ海艦 が戦争に決着をつけるサラミスの海戦以来の長所 ( 後の海軍兵学校 ) 、また七一年に横須賀造する戦略核弾頭の数はアメリカ九六六五発、ソ隊に分かれ、国土の地形上独立性の強い各艦隊 ・一うしよう の運用がなされている。兵員四六万人、攻撃型 い海軍の伝統に決別し、その存在価値は規模と船所 ( 後の海軍工廠 ) を完成させるなど、海連八八八〇発 ( 一九八三年九月末 ) だが、この てん しては最高度に発揮されながらも、使用領域か主陸従の国防政策を実施した。六八年、大阪天うちアメリカは五・三割、ソ連は一一・六割を戦潜水艦一九八隻、戦闘艦艇総計一七五九隻。隻 ばうざん らみると船団護衛や対潜作戦、あるいはノルマ保山沖で行われた最初の観艦式の参加艦艇はわ略潜水艦に搭載して海洋に展開させている。 数ではソ連が勝るが、個艦能力と総合戦力では これら艦隊は、 ンディー上陸作戦や沖縄戦に典型的に現れてい ずか六隻、排水量合計二四五〇トンにすぎなかっ この一事をとっても核時代における海洋と海アメリカ海車優位は動かない るように、渡洋侵攻、両用戦、他兵種との連合 たが、七八年には国産の鋼鉄艦「清輝」 ( 八九軍の意味が理解できる。現代海軍は、この海洋戦略原潜の作戦待機海域 ( 地中海、北大西洋、 作戦など、独立性と独自性を低下させる戦争で トン ) を完成させ、ヨーロツ。ハ諸国へ初の遠洋に移動した戦略核を軸に、したがって核大国でインド洋北西部、北西太平洋 ) において自国戦 あったということができる。海車と海洋とがそ航海を成し遂げるまでに成長した。明治海軍のある米ソ両国を中心に再編され動いているので略原潜の保護および支援 ( プロ任務と れ自体一つの世界たりえた時代は終わったので創建期は、木造帆船から鋼鉄動力船への移行とある。かって七つの海に覇を唱えたイギリス海よばれる ) 、敵国戦略原潜の監視と有事撃破 ある。 いう、世界史的な技術転換期とも合致していた軍は、いまでは大西洋の局地勢力にすぎない。 ( アンチ U)U)22Z 任務 ) を達成することが第一 〔日本海軍の歴史〕江戸時代の国防は、鎖国のため、各国ともおおむね同一条件にあり日本海アメリカ海軍の任務は、①ソ連に対する戦略的の役割である。米ソだけでなく、戦略原潜を保 徹底化による孤立・隔離政策に置かれていたた軍は急速に列国海軍中に頭角を現す存在となっ抑止、②海洋の管制、③陸上への戦力投入、④有する英・仏海軍にあっても、やはり同様な任 め、江戸期以降二〇〇年余り、日本には海軍な た。印清・日露の両戦争では、海軍の制海、輸存在の誇示の四つであり、最大任務は「均衡と務の転換が行われている。したがって核時代の る軍事力は存在しなかった。しかし一九世紀に 送両面にわたる活動が大きく寄与した。日本海抑止」の維持と、それが破れた場合、敵国内の海軍は、もはや洋上決戦の花形や船団護衛の主 入って、西欧各国の軍船が開国を求めてわが国軍はこの両戦争に備え、常備艦隊、連合艦隊と戦略的破壊だとされる。一方、ソ連の海軍総司兵という側面より、核抑止戦略の一部門の色彩 に出没するようになると、にわかに海軍創設の いう近代的艦隊編制を確立、同時に陸軍と対等令官ゴルシコフ元帥もその著書 ( 『国家の海洋のほうが強い。 声が高まった。海防論の先駆者としては林子の統帥上の地位を獲得した。清国とロシアの海カ』一九七六刊 ) のなかで、海軍の主任務を「敵の だが一方で、第二次大戦後の国際関係を特徴 りようま しようなん しようざん 平、佐久間象山、横井小楠、坂本龍馬らの名軍力を打倒した以後、仮想敵はアメリカ海軍、陸上戦略目標を戦略ミサイル潜水艦によって破づける主権国家の急激な増加と、それに伴う海 があげられる。 想定戦場は西太平洋における艦隊決戦として描壊すること」と述べている。一九八一年一一洋ナショナリズム、海洋主権拡大の潮流は、中 月、第一艦が就役したアメリカ海軍の戦略原潜 小国や第三世界の海車に新たな登場を促す契機 幕府はペリー艦隊来航二年後の一八五五年かれるようになる。 ( 安政一 l) 、長崎に海軍伝習所を設立、オランダ 大正から昭和初期の間、日本は世界の「三大「オハイオ」 ( 水中排水量一万八七〇〇トン ) は、 ともなった。一九六七年一〇月、第三次中東戦 ながと やま おうか 人を師に、航海術、造船学、砲術などの習得、海軍国」の地位を謳歌した。戦艦「長門」、「大潜水艦発射弾道弾トライデント—型 O ー 4 二四争のさなか、エジプト海軍がソ連供与のミサイ 和」に代表される大艦巨砲時代の絶頂期であ基を艦内に格納しており、射程は七四〇〇キ。 ル「スティックス」 (T) U)-Z-N ) を用いてイ る。しかし同時にアメリカ海軍との均衡を求め各ミサイルには ( 独立個別目標誘導弾スラエル駆逐艦「エイラート」 ( 二三〇〇トン ) を寸 佐佐佐寸寸 原厚尉 つつも、陸軍主導の大陸進出政策によって対米頭 ) が組み込まれているので、最大一九二か所を撃沈した事実は、ミサイル海軍時代の始まり 海海海 関係が悪化し、アメリカ海車の増強に直面せねの陸上目標を核攻撃しうる能力をもつ。これに として各国海軍に大きな衝撃を与えた。八二年 ばならない時代環境でもあった。一九四一年対しソ連が開発中の「タイフーン級」戦略原潜のフォークランド紛争においては、当初問題な ( 昭和一六 ) 一二月の真珠湾奇襲は、この勢力は水中排水量二・五万トン、ミサイル射出装置一一 く劣勢とみられていたアルゼンチン側が、対艦 比逆転を図る作戦であったが、結果的には、日〇基を有し、八三〇〇キ。離れた水中からアメリ ミサイル「エグゾセ」 ( フランス製 ) を駆使し 本海軍が長年温めてきた太平洋上における艦隊カ本土を攻撃可能と推定されている ( アメリカて、イギリス駆逐艦「シェフィールド」 ( 四一 きようカく 決戦の機はついに訪れず、戦況は空母機動部隊政府発表の『ソ連の軍事力』一九会 ) 。つまり、〇〇トン ) など三隻を撃沈、世界を驚愕させた。 とうしょ による制空権獲得と南・中部太平洋での島嶼基核抑止戦略の主体が残存能力の高い戦略潜水艦使用された六発の「エグゾセ」中、四発までが 地争奪戦が主軸となり、三年余の戦いのすえ、 に移された ( 初期は戦略爆撃機、ついで地上発目標に命中したといわれる。この事実は、空母 射の— O だった ) ことにより、海軍はしだ 日本海軍は壊滅した。↓日本海車 など巨大水上艦の生き残り能力に深刻な疑問を いに国家安全保障における中心的な軍事力にな提示するとともに、中小国であっても小型・安 〔現代の海軍〕核兵器の出現と戦略核兵器が海 洋に主要な活動舞台を求めたことにより、海軍ろうとしているのは確かだが、しかしそれは在価・操作簡便な ( 精密誘導兵器 ) を装備 の目的と任務は第二次大戦後さらに変転するこ来型の海軍とはまったく違った、核による抑止することで、大国海軍と渡り合えるという教訓 海軍武官の階級呼称 旧日本海軍アメリカ・イギリス Fleet Admiral 元帥 Admiral 大将 Vice-Admiral 中将 Rear-AdmiraI 少将 Commodore (lst and 2nd Class) 大佐 Captain 中佐 Commander 少佐 Lieutenant Commander 大尉 Lieutenant 中尉 Lieutenant Junior Grade Ensign 少尉 こっしん つきじ マ プ