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検索対象: 日本大百科全書 7
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1. 日本大百科全書 7

きりん 行ったものとしては、イギリスにおいては・フレ ーナリストの壮絶な最期であった。〈春原昭彦〉 国を表す。現在、ロシア語、・フルガリア語、セ背は、肩から腰にかけて急に低くなり、体重は ーク提督らによって戦闘中の各艦の間で行う信回太田雅夫編『桐生悠々自伝』 ( 一九七三・現代ジ ルビア語、マケドニア語などのスラブ諸語で用前軅に偏っている。尾には毛の房があり三〇 号などを規定した一六五三年の文献などが残っ いられている。↓ロシア語 〈長嶋善郎〉 に及ぶ剛毛が生えている。角は雌雄ともにあ ャーナリズム出版会 ) ▽井手孫六著『抵抗 ている。フランスにも同様の文献が一六九六年 の新聞人桐生悠々』 ( 岩波新書 ) り、有毛の皮膚で覆われ、数は二 ~ 五本と亜種 キリレンコ flaBJ10BHH KHPHRH- によって差異がある。角の生える部位は、頭頂 きりよくがん diabase 玄武岩に相 K0/Andrey Pavlovich Kirilenk0 ( 一九 0 六ー のものとして残っている。日本では近代的な旗輝緑岩 旒信号に関する国際的な参加は一八九七年 ( 明当する化学組成をもち、おもに斜長石と輝石か ) ソ連の政治家。ポロネジ州に生まれる。部に一対、その前方正面に一本、後頭部に一対 へんさん 治三〇 ) の万国船舶信号書の編纂以後であるらなる火成石。粗粒 ~ 細粒 ( ガラスを含まな 一九三一年以来の共産党員。各地の地方党機構である。目は大きく左右に位置し、唇は可動性 に富み、五〇弩に及ぶ長い舌がある。体色は黄 が、これはイギリスで編纂されたものを各国が い ) でオフィチック組織 ( 輝石の大きな結晶 で活動したのち、五六年党中央委員、同ロシア 任意翻訳したものである。しかし本格的に国際に、斜長石の短冊状の結晶が部分的にまたは完 共和国ビューロー員となる。五七年には党幹部白色の地肌に、栗色、砂色、赤褐色などの大小 かくじようはん 的取決めが世界七〇余か国の会議によってなさ全に囲まれている配列の仕方 ) が特徴的な岩石会員候補、六二年には幹部会員 ( のち政治局員さまざまの角状斑や星形斑があり、このため れたのは、一九二八年から三〇年までの間ワシである。斜長石と輝石のほかに磁鉄鉱、チタンと改称 ) 、さらに六六年には書記局員をも兼ね黄白色の線が網目状にみえる。皮膚は厚さ約一 ちみつ り・れ、い ントンにおいてであった。 であるが、緻密で硬く傷つきにく、 鉄鉱、燐灰石をわずかに伴うのが普通である。 るなど順調な昇進を遂げた。このような昇進の かんらん かくせん くろうんも 現在使用されている国際信号書は一九六九年ときには橄欖石、石英、角閃石、黒雲母などを背後には、プレジネフとの密接な関係があった 〔生態〕樹木のまばらな草原地帯や半砂漠地帯 に生息し、成長した雄と二、三匹の雌、および 四月一日から使用され始めたもので、これは六 含むことがある。現在アメリカでは、時代に関といわれている。長らくプレジネフ、コスイギ 一年の政府間海事協議機関 (*>000 現、国係なく、前述の特徴をもつ、岩脈や岩床をなすン、スースロフ、ポドゴルヌイと並んでソ連共その子からなる小群を形成する。アカシアの葉 際海事機関 ) の第二回会議で、従来の国際通信岩石の呼称に用いられている。イギリスでは第産党の最高指導者の一人に数えられ、一時はプなどを、長い舌と可動性の唇を利用して採食す 書 ( 一九三二年採択のもの ) の全面改正の計画 三紀以前の粗粒玄武岩のなかで、もとの斜長石レジネフの有力な後継者候補とさえうわさされるが、低木の枝葉、草なども食べ、水は前肢を が承認され数年後に完成したものである。ただ が曹長石に、輝石が角閃石に、チタン鉄鉱がリ たが、八二年には健康を害し、同年一一月プレ大きく左右に開いて頸を下げて飲む。視覚、聴 〈塩川伸明〉覚に優れているが、キリン自体ははとんど声を し信号旗については在来のものを継承したもの ューコキシン + 磁鉄鉱に変化した岩石を輝緑岩 ジネフの死の直前に引退した。 である。↓国際信号旗 〈茂在寅男〉 出さない。出産のときや幼時に、まれに発声す とよんでいる。アメリカで輝緑岩といっているキリロス 0 コンスタンティノス ることがあるが、ウシの鳴き声に似た「モオ きりゅうゆうゆう ( 天七三 岩石はイギリスでは粗粒玄武岩とよばれる。日 キリロフ KHpHm0BZKirillov ソ連、ロ 桐生悠々 新聞記者。本名は政次。明治六年五月二〇日金本ではイギリスと同じ意味に用いられることが シア共和国北西部、ポログダ州の都市。人口約 ー」という低く幅広い声である。走法は、いわ 〈千葉とき子〉 沢生まれ。一八九九年 ( 明治三一 l) 東京帝国大多い 六〇〇〇。チェレポべツの北東一一〇キ。、シベゆる「ペーシング」とよばれるもので、片側す しもつけ きりよくはつでん火力発電の一種。ルスコ工湖とドルゴ工湖の岸辺にある。一四世つの前後肢を同時に動かし、時速五〇キ。ほどで 学法科卒業。博文館、下野新聞社、大阪毎日新汽力発電 聞社、大阪朝日新聞社などを転々としたのち、構造としてはポイラー、蒸気タービン、発電機紀に、キリロ・・ヘロゼルスキー修道院の門前集走る。繁殖期はとくになく、およそ一か月の発 しなの 一九一〇年 ( 明治四三 ) 「信濃毎日新聞』主筆などで構成される。ポイラーで重・原油、天然落から始まり、一七七五年に市となった。現情周期を繰り返す。妊娠期間は約四五〇日で、 一産一子。新生子は出産後三〇 ~ 六〇分ほどで となる。一二年 ( 大正一 ) 九月、乃木将軍の殉ガスなどの燃料を燃焼させ、水を高温・高圧の在、修道院は歴史的建築・芸術博物館となり、 ろうしゅう 〈中村泰三〉起立し、すぐに哺乳する。子の体重は約七〇 死を陋習として社説で批判し、非難攻撃を受蒸気に変える。発生した高温・高圧の蒸気で蒸保存が図られている。 、頭頂高は一・七 ~ 一・九である。哺乳期 ける。一四年『新愛知』の主筆として名古屋へ気タービンを回転させ、蒸気タービンに直結し キリン〔麒麟〕 giraffe/8Giraffa きミ ? ほ・ - ゅ・つ″、・つて、い 間はおよそ六か月であるが、五か月過ぎから草 た発電機によって電気を発生させる。 を、斗哺綱偶蹄目キリン科の動物。別名 行くが、二四年退社。二八年 ( 昭和三 ) ふたた び『信濃毎日』に主筆として迎えられるが、三 なお、原子力発電も原子炉で発生した蒸気を ジラフ。元来「麒麟」は中国における想像上のや木の葉を若干食べるようになる。繁殖可能年 三年八月一一日付けの社説「関東防空大演習を蒸気タービンに送り、それに直結した発電機に 動物で、実在種のキリンの中国名は「長頸鹿」齢は三、四歳からで、東京都の多摩動物公園で わら 嗤ふ」が軍関係者の間で問題化し一〇月退社。 よって電気を発生させるが、普通、汽力発電にである。シカ類と共通の祖先から分化したものは二〇歳を過ぎてもなお繁殖した例がある。寿 ↓火力発電 命は通常二〇 ~ 二五年。 3 図 & 〈中川志郎〉 以後、名古屋郊外守山町に移り、名古屋読書会は含めない。 〈道上勉〉と考えられ、近い系統にオカピ 0 、 0 〒 S 、 0 ミ i 、の、い「 0 きりん中国古代の想像上の動物。単 を組織、かたわら個人雑誌『他山の石』を毎月キリル 0 コンスタンティノス 麒麟 キリンは生自 5 地によって変異が多く、学者に に麟ともよぶ。またとくに雄を麒、雌を麟とい もじ K = をこ一ニ a \ K 一 r 一三・ 発行して時局批判、軍部攻撃を続ける。発禁をキリル文字 かめ ・ : っとうがん ほ・つ」れ・つ・ うともいわれ、竜、鳳凰、亀とともに四霊獣の 受ける回数が増えるとともに喉頭癌が悪化、四 tsa 古代・フルガリア語 ( 古代教会スラブ語 ) のより五 ~ 一三亜種に分けるが、代表的なものと 一つとされた。初めは鹿に似た一角獣であった 一年 ( 昭和一六 ) 八月「廃刊の辞」を友人、読表記に用いられた文字。紀元後九世紀、サロ一一して、アミメキリン G. c. 、き c ミミ、マサイ が、しだいに神秘的な要素を加えて複雑怪奇な 者に発送したのち、九月一〇日死亡。反軍ジャカ ( ギリシア ) の伝道僧キリロス ( 別名コンスタキリン G. c. 、 ~ 、を、 c ミ、ヌビアキリン G. ひすめ ンティノス ) とメトディオスの兄弟が、ギリシ c. ミ e ミ d 享 s 、ウガンダキリン G. c. き・姿になった。牛の尾、馬の蹄、五色で彩られた ふくいん sc ミ ~ ・などが有名である。分布はスーダン、体をもっ麒麟は、翼を広げてよく飛び、武器で ア正教の布教のためにギリシア語の福音書をこ ソマリアから、南は南アフリカ共和国、西はナあるその角は先端が肉で覆われているため、 の一 = ロ語に翻訳したが、その際キリロスがギリシ 手を傷つけることがないとされた。そのため ア字母の大文字の形に基づいてつくったといわイジェリア北部までである。 じんじゅう すなわ れる。すこし古い形としてギリシア字母の小文〔形態〕陸生哺乳類中もっとも背の高い動物「麟は仁獣なり、王者あれば則ち至る」といわ ずいじゅう ・六、頭頂高五 ~ 五・五に達すれ、聖天子の治世に限って出現する瑞獣とさ 字に基づくグラゴル文字がある。キリル文字でで、肩高三 は、当時のギリシア字母の音価を反映して、たる。体重は雄で八〇〇 ~ 九〇〇キ。、雌で五五〇れた。この麒麟像の形成には、西方世界からの 3 影響があったとされるが、普通キリンとよばれ キ。程度である。頸と前肢の長さはほば同じで、 とえば 22 は、 ( ギリシア字母のから ) は 桐生悠々 ー一九四 l) くび

2. 日本大百科全書 7

せっしようふ の折衝府は中央の衛府の統轄下にあったが、 が美男で勇敢な武将クンペーンとの、幼なじみた甲賀郡中惣は、隣接して自らと同様な構成を南のケルト人の神話的モチーフを表し、ケルト いカつ・ : 、 日本の軍団は衛府とは直接の統属関係がなく、 の美女ワントーンをめぐる確執が大筋で、当時もっ伊賀惣国一揆と同盟関係にあったことが知人の製作したものが、なんらかの理由で北方ゲ 地方行政官としての国司の管理下にあった。八 の風俗習慣をよく伝えている。拍子木をたた られる。このような在地領主層の地域的連合 ルマンの地に伝わり、奉納品とされたものであ やまと さわあきやまよしの 〈前田潮〉 世紀後半以降、農民の階層分化の進行に伴ってき、音楽の伴奏を加えるなどして詠唱のように は、大和国 ( 奈良県 ) 宇陀郡の沢・秋山・芳野る。↓ケルト人 ぐんない きない 兵士は弱体化し、唐の衰退に伴う東アジアの政語る、一種の恋愛説話といえよう。〈岩城雄次郎〉氏らが結んだ郡内一揆など、畿内近国の例が多クンデラ Milan Kundera ( 一九 = 九ー くまあし く知られているが、肥後 ( 熊本県 ) の求摩・芦チェコスロパキアの小説家、詩人。プルノの音 治的緊張の緩和とも関連して、七九一一年 ( 延暦郡中ぐんちゅう愛媛県中北部、伊予市の でわさど だぎい おおず きたやっしろ ィ一がら 一一 ) 、陸奥、出羽、佐渡、大宰管内諸国を除中心地区。旧郡中町。江戸初期、大洲、松山両 北・八代三郡でも、相良氏権力を規制する郡単楽学者の息子で幼時から作曲を学んだが、のち おとな おかえ いて軍団・兵士は廃止、かわりに国衙守備兵と藩で領地を交換し、大洲藩領となった地を御替位の老者を代表とする組織の存在が指摘されてプラハの音楽芸術大学映画科を卒業。同大学で こんでい ち しての健児が設置された。↓衛士↓防人 地と称した。その後大洲藩の在来領を郡内とよ いる。したがって郡中惣は、上級権力や下部村世界文学を講する一方、実作にも取り組み、各 健児 〈笹山晴生〉ぶのに対し、御替地を郡中とよんだ。大洲藩の落との関係などで地域的多様性・特色をもちな ジャンルにわたって優れた作品を書いた。一九 回笹山晴生著『古代国家と軍隊』 ( 中公新書 ) 外港があった。↓伊予 ( 市 ) 六八年のいわゆる「プラハの春」前後し。 がらも、戦国期、広範囲に存在したものと考え ぐんらく 〈久留島典子〉 エコ作家同盟の書記長として、改革運動に積極 群団ぐんだん 0 群落 軍忠状ぐんちゅうじよう中世の武士が合戦られる。 やっしろ 郡築ぐんちく熊本県八代市の北西端にあ における自分の功績を書き上げ、上申した文クンンエヒチョバ Maria Kuncewiczo- 的に参加。その結果、七〇年には本国での作品 wa ( 天究ー る地区。旧郡築村。明治後期の干拓で造成され書。上申された文書には軍事統率者 ( 侍大将、 ) ポーランドの女流作家。発表を禁止され、七五年にはフランスに移住、 いく一ぶぎよう た新開地。潮止め工事の完成は一九〇四年 ( 明軍奉行 ) が証判を加え、差出人に返却した。 フランスのナンシー、ポーランドのクラクフ、大学の教職につきながら創作活動を続けてい うけたまわりおわんめ いつけんしおわんめ 治三七 ) であるが、村立ては球磨川右岸からの証判は「承了」または「一見了」と記 ワルシャワの各大学で一一 = ロ語・文学を学び、第一一る。したがって七〇年代以降の作品は国外で発 か」わっ 用水路開削の完成後の〇九年と遅い。地名が一小して花押を加えた簡単なものである。差出人は次世界大戦中にヨーロッパからアメリカへ移っ表されているが、原稿はすべてチェコ語で書か すように、干拓造成の動機は、郡制施行に伴う この証判が与えられた軍忠状をもって、後日、 た。ポーランド人としての豊富な生活体験のなれ、作者の立場は一貫してチェコ人である。叙 あんど 八代郡民全体の財産づくりと福利増進にあっ 恩賞や所領安堵を請求した。 かから、人間の心理を伝統的な手法で繊細に解情詩人として出発したが、その作品の多くは、 た。一〇六三タ余の造成地への入植者は、郡 軍忠状は蒙古襲来のあった翌一二八二年 ( 弘明している。一九七三年帰国。代表作に『異国現代の社会体制下での人間性のゆがみや理想と しんらっ 費にあてる徳米の負担を前提に公募された。郡安五 ) のものを初見とするが、多くみられるよの女』 ( 一九四 0 、『 森番』 ( 一九五七 ) 、『オリープの現実の相克を、愛と性を焦点にして辛辣に描き けんむ 築村民すべて小作人である状況のなかで、二一 うになるのは一三三三年 ( 元弘三 ) 建武新政前林』 ( 一九六一 ) 、『トリスタン四六』 ( 一九六七 ) などが出している。 〈吉上昭三〉 詩集『人間、広き庭園』 ( 一九五三 ) 、『モノロー 年 ( 大正一〇 ) 郡制が廃止され、徳米負担の根 からである。軍忠状の形式はさまざまであるある。 うけぶみちゅうしん ) 」んじよう めやす 拠が崩れたことが公益事業組合という法人「地 が、書状、請文、注進状、言上状、目安状のクンツ石ーーせき kunzite 薄紫色透明のグ』 ( 一九五七 ) 、評論『小説の技法』 ( 一九六 0 ) 、戯曲 カき リシア輝石で、宝石となるものをいう。色の原『鍵の所有者』 ( 一九六三 ) 、短編集『おかしな愛』 主」と、村民である小作人との対立を生み、郡体裁をとるものが多く、記載される軍忠の内容 ( 一九六一 (l) などのほか、長編『冗談』 ( 一九六七 ) は最 築小作争議 ( 一九一一四 ~ 三 l) の舞台になった。他も、一回の戦闘分のみを記すものと、数回の軍因はクロムによる。花崗岩ペグマタイト中に、 しろうんも 方、土地利用面では、大正末に導入された水稲 忠を一括して記すものとがあった。〈服部英雄〉石英、長石、白雲母またはリシウムを含む鉱物大の傑作として国外でも大きな賞賛を得た。国 とともに産する。アメリカのカリフォルニア内発表禁止後も、外国文学の最優秀作としてメ 晩化栽培法がイグサ栽培だけでなく、カボチャ郡中惣ぐんちゅうそう戦国時代に出現した 、一くじん アフガニスタン、マダガスカル島などが主ディシス賞を受けた長編『生は彼方に』 ( 一九 やタマネギの産地形成を容易にした。現在は、在地領主層 ( 国人、小領主 ) の地域的結合体の 米作、野菜栽培のはか、トマト、キュウリ、イ 連合の一種で、ほば郡規模で成立したもの。対産地。アメリカの鉱物・宝石学者クンツ G. 七三 ) 、『別れのワルツ』 ( 一九七六 ) 、『笑いと忘却の F. Kunz にちなみ命名された。 〈松原聰〉書』 ( 一九七九 ) 、『存在の耐え難い軽さ』 ( 一九会 ) な チゴ、プリンスメロンの施設園芸地帯となって外的危機への対処と同時に、百姓などに対する 八代 ( 市 ) ぐんて手袋の一種。軍用手袋の略どの話題作を生んでいる。↓冗談〈飯島周〉 〈山口守人〉在地支配を目的とする。その代表的事例である軍手 おうみ 一地〕二万五千分の一地形図「八代」 近江国 ( 滋賀県 ) 甲賀郡中惣の場合、地頭職、称。現代では大衆化して、労働、登山などに使回西永良成訳『生は彼方に』 ( 一九大・早川書房 ) しようかん かじしとくぶん 荘官職に基づく所領をもち、加地子得分権を用される実用品である。木綿の白無地のメリャグンデル gender ジャワおよびバリ島の クンチャーン・クンペーン物語 ものがたり Khunchaang Khunphaen タイ集積していた在地領主層が、戦国期になると一 ス編み製品で、軍足とともに左右表裏の別なくガムラン音楽に用いられる体鳴楽器。一四 ~ 一 どうみよう ツ」、つーし 八枚の青銅製の薄い音板を、竹あるいは金属製 使用されるところから利用範囲は広い。 の古典文学中もっとも親しまれている長編物語族や被官を中心に「同名中」を結び、さらに ひも けんばん やまなか げんろく ばんみの の共鳴筒の上に紐で鍵盤状に吊って並べたもの の一つ。中部のスパンプリー地方に伝わる民話近隣の同名中相互で、たとえば山中・伴・美濃た形式で現存する最古のものは、元禄時代 ( 一六 さんば - っ はちろうえもん / ノ を、セー ~ 一七 0 四 ) の初代三井八郎右衛門所用のものでで、縁に布を巻いた円盤形の木製桴によって演 ーとよぶ六 ~ 九言律の詩形式にした部三氏の「三方」のような連合を形成するよう ひしがた になっていた。郡中惣はこのようなより小規模ある。これは甲にあたる部分に菱形の模様が編奏され、柔らかく澄んだ音色をもつ。主として もの。この物語の詩文はアユタヤ時代 ( 一三五 0 ~ いっき 一七六七 ) に完成していたといわれるが、アユタヤの一揆的結合を前提、中核として、それらが連み出されているのが特色である。〈遠藤武〉旋律を装飾する役割をもち、ジャワではペロッ 王朝の壊滅とともに焼失。一九世紀になってラ 合することによって、戦国期の緊迫した政治状グンデストウルップ Gundestrup デグ音階用に二種 ( バランと。フム ) 、スレンドロ ーマ二世 ( 在位天 0 九 ~ 一一四 ) がスントーン・プー 況下で結成されたものである。これらの一揆結ンマークのユトランド半島北部にある泥炭地遺音階用に一種、それそれ高音用 ( パヌルス ) と その他の詩人に命じて分担執筆させ、国王自身合は、単に軍事的同盟というだけでなく、独自 跡。鉄器時代前半 ( 前一 00 ころ ) に属する銀製の低音用 ( バルン ) をもち、計六種となる。 んも加わり共同制作したものである。 の法や裁判制度によって、村落・百姓支配を行大鉢が発見されている。この大鉢は、直径七〇ではスレンドロ音階用のみで、影絵芝居の伴奏 p 物語は、アユタヤ王朝のラーマティボディー 、、相互の平和を維持する組織であったこと 弩あり、器の上半部は、神像や動物像などを打音楽に用いられ、グンデル・ワャンとよばれ ん二世の時代 ( 在位一咒一 ~ 一当〈 ) を背景に、醜男が、同名中や三方の掟書、あるいは在地紛争ち出した方形の銀製プレートを表裏貯り合わせる。↓ガムラン 〈中川真〉 9 くんどく くんてん 0 訓読 だが心優しい金持ちのクンチャーンと、貧乏だの内部的解決を示す裁定状などからわかる。まて横につないでつくっている。これらの像は、 むつ っ

3. 日本大百科全書 7

ナ . 隊の構成要素になる。最近はその担当範囲が大工夫略集』四冊として伝えられる。記事は義堂 く , っこ , っ al rpo rt 第一種、第二種、第三種の順に小さくなる。ま 6 た、国際民間航空機構 (—0<0) が、滑走路 3 、フ気圏外にまで拡大され、人工衛星を使った弾道誕生の一三二五年 ( 正中一 D から死去の八八年 ミサイル早期警戒・探知、相手の偵察衛星に対 ( 元中五・嘉慶一 l) に及ぶが、日記らしい体裁 〔空港の分類と設置条件〕分類 / 設置条件 について < から—までの基準を定めており、空 する追跡、衛星や弾道ミサイル要撃などの機能を備えているのは六七年 ( 正平二二・貞治六 ) 〔空港の設備〕運航関係 / 整備関係 / 旅客港の規模は滑走路の数とこの基準で判断するこ ももっている。アメリカ空軍では一九六八年に 三月からであり、それ以前と死去直前の部分 取扱い関係 / 貨物・郵便物関係 とができる。空港の設置・管理の方式は国によ 従来の防空軍団を宇宙航空防空軍団に改組し、 は、年譜作成のためになされた追記であろう。 〔世界の空港〕日本の空港 / アメリカの空って多少異なるが、日本はほばアメリカの方式 もと す - 一う あしかがよしみつ かんれい 七七年にこれが解体されたとき、有人機防空機崇光上皇はじめ将軍足利義満、関東管領足利基 港 / ヨーロッパの空港 に倣っている。 うじうじみつ にじようよしもと 能を戦術航空軍団に、宇宙監視防衛機能を戦略氏・氏満また一一条良基、斯波義将など、広く 〔展望と問題点〕貨物輸送量の増大と大型 〔設置条件〕航空輸送の必要が新たに生じた 航空軍団に移し、おのおの独立の司令部をつく 公武の要人と交わりがあり、禅宗史のみなら 化 / 空港内の動線の効率化 / 空港と環り、輸送量の増大に現用空港が応じられなくな って機能の強化を図っている。 す、政治・社会・文化に関する貴重な史料で、 境 / 航空機の進歩 ったり、設備が旧式化して新しい技術や機種に 空輸部隊は、指揮・管理機構を一元化し、輸ことに鎌倉の模様を伝える史料として重要であ 適合しなくなると、新空港の設置が必要にな 送機の能力を最大限に発揮させようとするのがる。また彼の該博な学識を表す内外典の記事 民間の航空輸送のために公共に開放されてい る。候補地の選定にあたっては、次の諸条件を 各国の傾向で、空軍、陸軍、海軍の全部隊の輸は、当時の五山禅僧の教養の最高水準を示してる飛行場。日本では空港整備法第二条に「空港満たすことが望ましい。①周囲、ことに滑走路 送支援を一括担当する第四軍的な性格をもたせ いる。刊本として辻善之助編『空華日用工夫略とは、主として航空運送の用に供する公共用飛の延長上に、障害となる地形や建造物がないこ ており、陸・海車や戦域部隊への分属は最小限集』 ( 一九三九・太洋社 ) 。↓義堂周信〈田中博美〉行場」と規定されている。飛行場としての機能 と。②霧・雨・雪などがなるべく少なく、風向 にとどめている。このため、アメリカの緊急展回玉村竹二著『日本禅宗史論集下之一』 ( 一九 のほかに、旅客の乗降や乗り継ぎとその手続、も年間を通じてほば一定していること。③気温 開軍の空輸とか、戦略物資や補給物 七九・思文閣出版 ) 手荷物・郵便物の取扱い、航空機の整備・燃料と標高が低く、航空機の浮力が得やすいこと。 くうこう物理学では次の二通りの意補給、交通管制などの施設や、旅客・空港勤務④近接する主要都市との交通が便利であるこ 品の空輸、ソ連を含む各国の陸軍に所属する空空孔 挺部隊の輸送などは、すべて空軍の空輸部隊の味に使われる。 者のための地上交通機関・サービス施設の整備と。⑤既存の空港・飛行場や航空路に対し、離 担任になっている。 〈青木日出雄〉 ①原子空孔結晶では、原子が規則正しく配列 も必要である。現代の空港は、旅客輸送の面で陸・上昇・待機・進入・着陸の各段階での飛行 りつりよう 律令制下における郡の役所。している。この配列を空間格子と、 郡家 しい、この格は、とくに国際的規模の広域輸送における唯一経路や空域に十分な余裕があること。⑥人口密 ぐんが 「ぐんけ」とも読み、また郡衙ともいう。律令子で、原子がたまたま欠けている場所を空格子の窓口といってよく、貨物の流通面でも同様集地帯から距離があって、騒音・大気汚染など 用語は郡家。古くは「こおりのみやけ」と読ん点という。空格子点が二個集まると、これを空で、海上・地上と並ぶ、その国の経済・政治・ の影響を最小限度にとどめられること。⑦広大 だ。六四六年 ( 大化一 l) に郡 ( 実は評 ) 制が施格子対といい、さらに多数集まって結晶中にで文化の門戸である。↓飛行場 な用地を必要とするので、その入手が容易であ ′、・つげ等一 ること。 行されたとき、郡家の成立は、従来の豪族の居きた空隙を原子空孔、または単に空孔 void と 空港の分類と設置条件 館を改めて官衙とした場合、ミャケなどのごと いう。↓空間格子 しかし、この条件には互いに矛盾するものも く以前から公的性格をもっ建物を転用した場 反粒子としての空孔電子に関するデイラッ 〔分類〕日本では空港整備法の規定により、三あり、すべてを満足させることは困難である。 合、新たに設置した場合の三ケースが想定されク方程式の解として、正の運動エネルギーをも種類に分けられている。 利用者にとって大都市との交通の便は欠かせな ひたち ふどき ている。『常陸国風土記』に建郡を「郡家を建つ電子と同様に負の運動エネルギーをもっ電子 ①第一種空港国際航空路線に必要な飛行場。 いが、大都市近郊では必然的に公害問題が発生 てた」と記すのは、郡家が行政の拠点を意味すも存在することが示される。もし、これが本当国つまり運輸大臣が設置して管理を行う。東する。 じんしん るからである。また「日本書紀』に、壬申の乱であれば、電子はなるべく負のエネルギーの状京、大阪の両国際空港、成田の新東京国際空港 日本の第一種空港である東京、新東京、大阪 おおあまのおうじ み ( 六七一 I) に際し大海人皇子が伊勢 ( 三重県 ) 、美態に落ち込むことになる。しかし現実に、負の の三つがあるが、新東京国際空港だけは特例との三国際空港は、騒音問題によりすべて午後一 濃 ( 岐阜県 ) 国内の郡家に立ち寄ったと記すの運動エネルギーをもっ電子は観測されていな して新東京国際空港公団が設置と管理にあたっ〇時以後の発着が行えす、新設が決定している も有名。郡家の規模は方二、三町、土塁や溝で この点を説明するために、デイラックによている。 関西新空港も、大阪湾上の造成を計画せざるを 囲まれ、その内部には、正殿などのある郡庁、り次のような考えが提案された。それによれ ②第二種空港主要な国内航空路線に必要な飛えない状態である。これは日本だけではなく、 くりやしようそ・つ 付属の官舎、厨家、正倉などが設置された。 ば、負のエネルギー状態は、ひとっ残らす電子行場。原則として設置や管理は運輸大臣が行う各国の現存の空港を総合評価すると、一長一短 常陸国 ( 茨城県 ) 新治郡家址とみなされる古郡 に占領されていて、外界にはなんの作用も表さ が、適切と認めた地方公共団体に設置と管理をがあって、理想的な空港はまずないといってよ 遺跡は、発掘によって右の構造を裏づけたが、 ない。真空と考えられているものは、実はこのゆだねることができる。仙台、名古屋、福岡な く、どの空港も、航空機や航法機器の進歩、旅 - つずけ 『上野国交替実録帳』 ( 一 0 三 0 ) は、平安時代なか完全に電子で占められた負のエネルギー状態でど二四の空港がある。 客サービスの質の向上、公害規制の強化などの ばの郡家の構造やその実態を文献のうえからうある。この状態の電子にエネルギーを与えて、 ③第三種空港地方的な航空輸送を確保するた現実のなかに、暗中模索を続けているのが実情 かがわせる好資料である。 〈米田雄介〉正のエネルギー状態に励起すると、電子の抜けめに必要な飛行場。政令で定める関係地方公共 であるが、第一次、第二次と相次いだ石油ショ 空華日工集 くうげにつくしゅう南北朝時代たあとに空孔が残る。この空孔が電子の反粒団体の協議によって決められた地方公共団体が ック以降、航空旅客の伸びは鈍化して、一九七 ぎどうしゅうしん あさひかわ あまみ の五山僧義堂周信の日記。義堂自らは、日々子、すなわち陽電子であると考えることができ 設置と管理にあたる。旭川、鳥取、奄美など〇年代までのような急成長は当分期待できそう ・ - ちょうくふうしゅう の自省を込めて「日用工夫集」「日工集」と称る。これを空孔理論とよんでいる。しかし、こ四二の空港がこれに該当する。 もないことから、空港の新設、拡張は一段落し していたが、これに彼の別号空華道人にちなむの理論では説明が困難な問題もあり、現在では 空港の規模、つまり広さや滑走路の長さなど たといってよい。しかし、定時性、安全性、快 二字が冠せられたものである。全体で四八冊あ場の量子論によって、よりよい説明が与えられは、直接この分類には関係ないが、第一種空港適性を確保するための技術的な改良は、空港の 〈野口精一郎〉 ったが、早く散逸し、現在は抄出本『空華日用ている。 には当然大型機が多数発着するので、事実上、使命ともいえる。↓航空機騒音 の 空港 イカオ

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が、これは月の上弦、下弦と同様である。外惑 ( 一九六 0 ) などがあり、新たな詩法の展開をみせ ら約三〇〇の高さでそそり立 ーしレっ 星の太陽に対する位置は、合、下矩、衝、上矩かけていた六八年六月一四日、旅行先のナポリ っ白色のエル・カビタンで、 3 じ の順に変化する。 〈村山定男〉で急逝した。↓来る日も来る日も〈河島英昭〉 その北方に同州最高峰グアダル あ ープ山 ( 一一六六七 ) がそびえる。 クアジーモド Salvatore Quasimod0 回『ノー。ヘル賞文学全集幻ミストラル・エリ し 成 オット・クワジーモド』 ( 一九七一一・主婦の友社 ) 多くの自然景観美はいうまでも ( 一九 0 一ー六 0 イタリアの詩人。八月二〇日、シ て チリア島のモディカに生まれる。父親が国鉄に なく、最大の特徴は、ベルム紀 グアダラハラ Guadala 」 ara スペイン中 っ ーしトっ カ 勤めていたため、同島東南岸沿いの諸都市に移央部、新カスティーリヤ地方グアダラハラ県の ( 二畳紀 ) の化石礁が多くみら れることである。なかでも力。ヒ り住む。ラグーザ、シラクーザ、ジェーラ、ア県都。人口六万八五七一 ( 一九公 l) 。マドリード 年 タンリーフは世界最大の規模を グリジェント、メッシーナなど、いずれも古代の東方約五五キ。、エナレス川の左岸、標高六 ら 誇り、地質学研究に大いに貢献 ギリシアの植民市として栄えた土地である。祖五の高原に位置する。ローマ時代に植民都市 年る 母はパトラッソ出身のギリシア人で、南イタリ している。また高度により三つ アリアッカ Arriaca として存在したが衰え、 さんろく . ネ第 アのギリシア的風土と古代ギリシア人の生き残その後イスラム教徒が占領し、 Uad-el-Ha 」 arah ての気候帯を有し、植生は山麓部 りといわれるシチリア人の気質とが、幼少のこ ( 石の小川 ) とよんだ。一〇八五年スペインが 既しのリュウゼッランからマツ、モ ラ交 ミに移り、山頂部では高山植物 ろから彼を詩に親しませたという。長じて発表奪回、一五 ~ 一七世紀にはインファンタド公の テ入が生育する。 〈作野和世〉 した現代イタリア語訳『ギリシア叙情詩選』宮殿を中心に栄えた。一九三六 ~ 三九年のスペ カか ( 一九四 0 ) はクアジーモドの大きな業績の一つに イン内戦時には戦禍を被り宮殿も焼失したが、 る式グアダルーベ・イダルゴ あ様 に築 Guadalupe Hidalgo メキシ 数えられている。パレルモやメッシーナの工業現在は完全に再建されている。マドリードー 部建 コ市の北東にある郊外都市で、 専門学校を卒業し、一九一九年にはシチリア島ルセロナ間の鉄道が通り、マドリードの衛星都 一五三一年、インディオに聖母 を離れ、ローマ大学の工学部に進んだが、経済市として発展しつつある。鉄道の修理工場、セ のざ 市ま 的理由から中退、政府土木局に勤めながらイタ 〈田辺裕・滝沢由美子〉 が出現した奇跡を記念して、グ メント工場がある。 さ アダルーベ聖母教会が建てられ コ グアダラハ一フ Guadala 」 a 「 a メキシコ中 シ 西部、 ハリスコ州の州都。メキシコ中央高原西 キ部た。奇跡の聖母像の肌は暗褐色 メ 部の標高一五六七、サンティアゴ川上流域に ( ので髪は黒く、アステカの母神ト ラ物 位置する。メキシコ第二の都市で、人口一九〇 ナンティンと聖母マリアの習合 万六一四五 ( 一九七九推計 ) 。太平洋岸への交通の ラめを示している。一七五四年、ヌ エバ・イスパニアの守護聖人と 要衝で機械・金属・繊維工業が発達し、周辺の モ グそ 農業地域の中心地でもある。一五四二年に建設 公認され、一八一〇年の独立連 され、今日も植民地時代の寺院、広場、市場、エラ峠 ( 一四四 0 ) 、グアダラマ峠 ( 一五二 ) な動の指導者イダルゴ神父がこの聖母を旗印とし ア ク 公園が多く残り、「西部の真珠」の美称がある。 どによって北側の旧カスティーリヤ地方と結ばて戦ったのにちなんで、この市名が生まれた。 〈田辺裕・滝沢由美子〉 リア各地を転々とした。二三年からギリシア、市内には、スペインの画家ムリリョの名作『聖れる。 一八四八年、アメリカ合衆国とメキシコとの戦 がわ Guadalquiv- 争終結の条約 ( グアダルーベ・イダルゴ条約 ) ラテンの古典研究に打ち込み、同時にシチリア母マリアの昇天』のあるカテドラル、メキシコグアタルキビル川 の風土と古代ギリシアの神話の世界を叙情詩に の画家オロスコの有名な壁画のある政庁とカバ ir スペイン南部、アンダルシア地方最大の河はここで調印された。一九〇四年、教皇ピウス 歌い上げていったそのころ、親交があり、妹ニャス孤児院、メキシコ最大のデゴリャード劇 べティカ山系西部のポゾ山およびカゾルラ 一〇世がこの聖母をメキシコの最高の守護聖人 の結婚した相手でもあり、同じくシチリア島出場などがある。また、マリアッチ広場では民族山に源を発し、シェラ・モレナ山脈との間の構としたが、現在ではラテンアメリカ全域で崇敬 、こ・れ 1 〕い 身であった小説家ビットリーニに勧められて、 音楽マリアッチの演奏が一日中聞ける。近郊に 造谷を西流してコルドバに至り、南西流してセされ、毎年数百万の巡礼者が参詣する聖地とな ノラメダ っている。 『ソラーリア』誌上に詩を発表し始め、処女詩集は、マリアッチ発祥の地といわれ、陶器・手吹ビーリヤを経て、サンルカル・ドウ・ヾ 「水と土』 ( 一九三 0 ) を刊行した。このような叙情きガラスなどの手工芸品で有名なトラケバケで大西洋に注ぐ。全長六五七キ。、流域面積五万 市はメキシコ市の衛星住宅都市 ( メキシコ連 詩は、第二次世界大戦の惨禍と反ファシズム抗 Tlaquepaque 、トナラ焼き ( 陶器 ) で知られ七〇〇〇平方キ。。中・下流には広大なアンダル 邦区に含まれる ) で、正称はグスタボ・ア・マ とつは・つ んなーれみ、い ひょく 争の苦悩のなかで、硬い相貌をとって生まれ変るトナラ Tonalå、テキーラ酒の産地のテキー シア低地が開け、整った灌漑施設を有する肥沃デロ。印刷、金属細工、織物、化学などの工業 わった。激動する時代のなかですべてのエルメ 一フ Tequila などの観光地がある。〈高本秀樹〉 な農耕地を形成する。上流は水力発電に利用さ も行われる。人口約六万七〇〇〇。〈藤田富雄〉 そ・一う とう lsla de Gua- ティズモ ( 錬金術主義 ) の詩人たちが沈黙したとグアダラマ山脈ー・・さんみやく Sie 「 ra れる。河口から数十キ。上流まで外航船が遡行すグアダルーベ島 き、クアジーモドは叙情詩とも抵抗詩とも名づ de Guadarrama スペイン中央部を東北東かる。 〈田辺裕・滝沢由美子〉 dalupe メキシコ北西部、カリフォルニア半 けがたい詩集「来る日も来る日も』 ( 一九四七 ) 、ら西南西に走る山脈で、中央山系の東部をなクアダループ・マウンティンズ国立島西方二九〇キ。の太平洋上に浮かぶ孤島。面積 「人生は夢でない』 ( 一九四九 ) などを書き続け、五す。長さ約二〇〇キ。。最高峰ペニャララ山 ( 一一四 二〇七平方キ。。南北に長い台地形の島で、最高 こくりつこうえん Guadalupe Moun- 公園 九年にノーベル文学賞を受賞。また初期の詩の 三 0 ) 。地塁性の山脈で全体的に水平な古生層 tains NationaI Park アメリカ合衆国、テキ点は一三七二岩。乾燥性でサポテンが多い。一 集成に「そしてすぐに日は暮れる』 ( 一九四一 l) 、詩 からなる。西はグレドス山脈、ガータ山脈に連サス州西部にある国立公園。面積三〇九平方九三二年以来、ゾウアザラシ保護のため禁猟区 へいたん 人の社会的責務を論じた評論集「詩人と政治家』なり、メセタ ( 内陸高原 ) を二分する。ソモシ 〈高本秀樹〉 一九六六年制定。公園の中心部は平坦地か に指定されている。 十 4 41

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闘争を開始した。また同年六月に西部地方でギ リシア民主国民連盟がゲリラ活動 を始めた。イギリス軍の仲介の努力にもかかわ らず、四三年には T) ととの間に 内戦が発生した。四四年一〇月にドイツ軍がギ リシアからの撤収を開始、中東で結成されたギ 丿シア連合政権がイギリス軍とともにアテネに 復帰したときには、一四万人を超える がほとんど全土を支配していた。イギリス軍司 令部はの解散を要求、激戦ののち、四 五年二月一二日のバルキーザ協定により、国体 問題に関する国民投票と立憲議会選挙とを条件 に、の解体を実現させた。〈木戸蓊〉 てつがく「哲学」を意味 ギリシア哲学 する語フイロソフィアー philosophia がもと は「愛知」を意味するギリシア語であったよう に、ヨーロッパ哲学は、紀元前六世紀から紀元 後六世紀までギリシア本土を中心とする地中海 の沿岸諸域に展開された古代ギリシア哲学にそ えんげん の淵源をもっている。ギリシア文明に先だっ工 ジプトやバビロニアの文明において農耕、航 海、建築などの技術はすでに高度の発展を遂げ ていたが、技術の成立する構造・仕組みを尋 ね、これを成り立たしめているもっとも単純な 要素 stoicheion ・原理 arche から理解しょ うとしたのはギリシア人であった。ここに測量 術は幾何学 geometria となり、占星術は天文 学 astronomia となって、いろいろの学問が 成立した。これは、事物をすぐに利用しようと する実用の態度ではなく、事物を事物がそれ自 身でもっている形と成り立ちにおいて眺めるこ とを楽しむ観照 ( テオーリアー theöriä) の態 度によって生まれることであり、ここにギリシ ア人のロゴス logos 的な態度がある。 事物のそれ自身の真実 ( アレーティア ale ・ theia) の姿を尋ねる、このテオーリアーの態 度によって、およそ存在する限りのすべてのも のについて、第一の原理を尋ねていく哲学 ( 愛 知 ) の道が生まれた。 ギリシア哲学の歴史は、前古典期、古典期、 後期古代の三期に分けられるが、プラトン、ア リストテレス、プロティノスを除いて、この時 代の哲学者の主要な著作はほとんど失われてい あるため、後代の伝承に基づいて再構成された資 し料が多い り・〔前古典期 ( ソクラテス以前の哲学 ) 〕ギリシ キ、アにおける哲学的思索は、先進文明国であるア ギリシア哲学 / 系統図 ー影響関係を表す キニコス派 アンティステネス ディオゲネス ( シノベの ) キレネ派 アリスティッホス メガラ派 エウクレイデス スティルホン セネカ エピクテトス マルクス・アウレリウス ーキケロ ルクレテイウス ストア派 ゼノン ( キティオンの ) クレアンテス クリシッホス ( 大儒 ) イオニア派 タレス アナクシマンドロス アナクシメネス 票泊者たち ( ミレトス ) ソフィスト プロタゴラス ゴルギアス 工ヒ。クロス派 エピクロス 懐疑派 ヒ。ュロン ティモン アイネシデモス アカデメイアの懐疑論 アルケシラオス カルネアデス 小ソクラテス派 セクストス・ホ・エンペイリコス クセノノヾネス ピタゴラス ( ピタゴラス派 ) ヘラクレイトス プラトン学派 ( アカデメイア ) スペウシッポス クセノクラテス エウドクソス プノレタノレコス プラトン ソクラテス エレア派 ( イタリア ) ノヾノレメニデス ゼノン メリッソス 多元論者 工ンペドクレス アナクサゴラス デモクリトス ( 原子論 ) 新プラトン学派 プロティノス ポルフィリオス ャンプリコス プロクロス シンプリキオス アンドロニコス アリストテレス学派 テオフラストス ストラトン アリストテレス ( べリノヾトス ) 作成 : 神崎繁 ジアの諸国との接触が密接であった小アジアの イオニア植民市において、前六世紀のころに始 まった。この時代の哲学者は、存在する事物の 原理を、生成し消滅する存在者がそこから成り 立っている第一の原理に求め、これを自然 ( フ イシス physis 只ナトウラ natura 一冖テ ) とよ んだ。自然とは、生成する事物がそのように生 成するものとして、われわれの目の前にありあ りと現れている場合に、その「現れ」としての 存在がそれに基づいて成り立っている、事物の 「生まれ」であり「成り立ち」である。これに よって事物は、われわれに隠された神秘な由来 に基づいて、「神々からのもの」として理解さ れること ( 神学的・神秘的説明 ) をやめ、われ われにとって明白な存在においてその根拠を開 示されるもの ( 哲学的・合理的説明 ) となっ た。タレス ( 前六一西 ', 。ー前五四六ころ ) はこの万物の 「成り立ち」である自然を「水」であるとし、 ノろーを アナクシマンドロス ( 前六一 0 ころ 「無限なもの」、アナクシメネス ( 前大五こ 五一一〈こしは「空気」とした。これらは、万物が そこから生まれ出るという意味で万物の「生ま れ」なのであった。 これらの人々はミレトスの人なので、ミレト ス派とよばれる。ピタゴラス派では、万物の「成 り立ち」は事物を構成する形式的な原理である 数に求められる。世界は相反する諸性質の間に 生まれる数的な調和 ( Ⅱ比例、ロゴス ) である。 ヘラクレイトスは、生成し消滅する存在者をそ の生成し消滅する過程の全体においてとらえよ うとした。それゆえ、存在者を成り立たせるも のは同時にその反対の非存在でもあり、世界は きっこう 相拮抗する相反者の間に成り立っ動的な調和と してとらえられる。これが世界の「ロゴス ( こ とば、構造 ) 」である。 エレアのパルメニデス ( 前五一五ころ ー前四四五こし は、これまでの哲学者のように存在を感覚にお いて現象するものとして把握するのをやめ、感 覚的な現象の背後にその根拠として不変不動な 存在が理性に対して示現していることを明らか にした。これこそが存在の真実性であり、感覚 ここに、感覚に現象 的現象は虚像にすぎない する生成・消滅する事物の「成り立ち」として の「自然」を求めた最初の哲学者たち、すなわ ち自然学者 ( フィシオロゴイ physiologoi) と とんぎ よばれる人々の思索は頓挫し、哲学は新たな端 緒を求める。 川 5

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くろす どが著名である。模型実験にはのレースとなり倒れる選手が続出したため、以 材料として適切な粘土を用い 後中止となった。 けみがわ 大きい地殻変形を小さい模型で 日本では千葉市の検見川、奈良公園などでレ 再現した。模型実験の結果や小 ースが行われているが、マラソンや駅伝などの 界 世ビ 構造に着目した岩石変形の研究 ロードレースのほうに人気が集まり、外国はど たン ろ は、構造地質学の現代化に貢献盛んではない。なお、スキーの距離競技はトラ わオた と 〈木村敏雄〉 ックにあたるものがなく、すべてスキーのクロ る でスな スカントリ クロス gross ー競技といえる。 〈加藤博夫〉 ンルと て ) ポゼ位 し ( つまり 12X12 Ⅱ 144 ) をいう。 グロースグロックナー山ーーさん 出 サが び 一二グロスを大グロス great Großglockner オーストリア南部、アルプ ロ を gross r-\ ャも ) いし 、また一〇ダー ス東部のホーエ・タウエルン山脈中央部にある 3 はガ 土 スを小グロス small gross とオーストリアの最高峰。標高三七九七。氷河 ド一年でト もいう。語源はラテン語 g 「。を周囲に巡らし、東側に美しい景色で知られる・論、 : 嶽 の 「ー ) 第、皐 . ズげ で、大きい量を意味している。 グロースグロックナー・ホッホ・アルペン街道 4 〕ト : ス子ス ス広 なお、フランスでは、グロスが通る。一八〇〇年オーストリアのホーラッシ レ ロ を・ , ク巣 ス者 gross という質量単位が用いら ュらにより初登頂された。西側にグロースベネ リレ優れたことがあり、地方によってディガー Großvenediger 山 ( 一一一六六 ()X ) が連成虫は形態的に酷似するので、しばしば本種と トのン なる。 リで用いられた 違っていた。パ 〈徳久球雄〉混同される。わが国の食用昆虫としても有名 一第を ( ・ン会ソ 、カ大ラグロスは八分の一オンスであクロスジギンヤンマ〔黒筋銀蜻蜒〕で、とくに長野、岐阜、群馬の各県下では、秋 ャ 1 尹ス権マ さなはち 、グラこ目山ヨーして、 ロ手のり、約三・ ゝこき s ミ s 昆虫綱トンポ目ャンマ に巣を掘り出して、幼虫や蛹を蜂の子とよんで ク選ク る。 〈小泉袈裟勝〉科に属する昆虫。体長約七三ミリ、後翅長四八 食用に供し、缶詰としても市販される。衛生害 レース cross- クロス Charles Frederick Cross ( 天五五クロスカントリー 近縁のギンヤンマに似ているが、本種は胸虫として、人家周辺の巣では刺傷が問題となる ー一九三五 ) イギリスの有機化学者。・フレントフ country race 陸上競技の一種目。近代五種 側に二本の黒条が走り、雄の腹背に青色紋が発こともある。↓スズメバチ 〈松浦誠〉 オールドの生まれ。ロンドンのキングズカレッ 競技の一種目でもある。競技場のトラックを離達する。幼虫は森林に囲まれた池沼に生息し、クロス・セクション分析ーーぶんせき おうだんめんぶんせき ジ、チューリヒ大学、チューリヒ工科大学に学れ、森、野原、丘などを走る長距離競走で、断成虫は四 ~ 六月の間に羽化する。日本では本州 0 横断面分析 び、一八七八年ロンドン大学を卒業。繊維の漂郊競走ともいう。欧米ではトラックのオフシー から九州にかけて分布するが、中国大陸、朝鮮グロスター Gloucester イギリス、イン 白、セルロース、リグニンなどに関する研究をズンに長距離選手のトレーニングの一助として半島、台湾、さらにネパールにも及ぶ。↓ギングランド南西部、グロスターシャー県の県都。 行った。九二年べバン Edward John Bevan 行われるばかりでなく、一般の人の走る楽しみャンマ 〈朝比奈正二郎〉人口九万二一三三 ( 一 I) 。セバーン川の渡河 ( 天五六ー一九一一 0 ) とともにビスコース繊維を発見、として非常に盛んである。 クロスズメバチ〔黒胡蜂〕 Japanese 地点に設けられたローマ時代の駐屯地から発展 製造の特許を得た。さらにセルロースエステル 距離はとくに限定されず、地形にあわせて適 yellowjacket/8VesPula ミ ) 昆虫綱した古い町で、現在も市内には、ローマ時代の まくし を発見した。バルプ、製紙業界の化学的指導を当にとることができるが、一般的には男子は七膜翅目スズメバチ科に属する昆虫。日本全土の 遺構、七世紀の修道院、そのほか、歴史的な建 、レーヨン工業の技術的基礎をつくった。 ~ 一四キ。、女子は二 ~ 五キ。が基準となってい 平地から山地にかけて普通にみられ、ジバチ、 造物が多い。中世には商業中心地として栄え、 一九一六年に「著しい化学工業に対する貢献」る。コースはなるべく道路を避け、野原、草原スガレなどともよばれる。体は光沢のある黒色その後一時沈滞したが、一九世紀になって工業 おうはん に対し化学工業協会からリサーチメダルを贈らを中心に選ぶ。走路には、一二五の遠方からで、白色の横斑がある。土中に営巣し、巣はほ が盛んになり、現在は航空機工業、重化学工 れ、一八年には染色家色彩専門家協会 Society でも見えるように左側に赤旗、右側に白旗を立ば球形、直径二〇 ~ 三〇垰一で、一〇 ~ 一二巣盤業、製材業、農業機械工業などが中心になって 〈井内昇〉 of Dyers and Colourists のメダルを受賞。さてる。レースは個人戦と団体戦があり、団体戦が縦に重ねられ、外側をフットボール状の外被 らに化学工業協会から応用化学分野で産業の進は各競技者の順位を得点に換算、チームの合計 が覆っている。各巣盤は六角形の育児室からなグロスターシャー Gloucestershire イ 展に功績のあった在米科学者に贈られる。ハーキで勝敗を争う。コースによって条件が違うた り、全部で一、二万の幼虫が育てられる。雄バ ギリス、イングランド南西部のカウンティ ンメダルを二三年に受賞した。 〈川野辺渉〉め、記録は公認されない チと新女王バチは晩秋にのみ出現し、交尾した ( 県 ) 。面積二六四三平方キ。、人口四九万九三五 クロース Hans Cloos ( 一犬五ー一九五 l) ド 一九世紀後半、イギリスの子供の追いかけつ新女王バチは土中などに潜り込んで単独で越冬 一 ( 一九ハ I)O 県都グロスター。地勢上はコツツ ーチェイス paper chase ィッの構造地質学者。フライ。フルク大学を卒業この一つであるべー し、翌春に新しい巣をつくる。典型的な肉食性ウォールド丘陵、セバーン川流域およびディー して石油技師となり、のちにポン大学教授とな にヒントを得て始まったといわれ、一八七七年のハチで、各種の昆虫、クモなどを狩り幼虫の ン森林地帯からなり、エイボン川、ワイ川も る。多方面にわたる研究のうち、粘土材料を用 に第一回のイギリス選手権大会が開かれ、一九食物とする。漁村では干した魚やイカの肉をかれている。古代ローマ人の遺跡が多く、道路 いての地溝形成の模型実験、小構造による地層〇三年には国際クロスカントリー連盟が設立さ じり取って巣へ運ぶこともある。近縁種にシダ町村にもその影響が残っている。一九世紀以前 しゅうきよく クロスズメバチミ sh ミミ、ツヤクロスズメバ 褶曲の解析、流動組織や小断層・節理に着目れた。オリンピックでも一二年の第五回ストッ はイングランドの羊毛工業の中心地で、現在は かんにゆう してのドラツへンフェルス火山岩の貫入機構クホルム大会から陸上種目となり、二四年の第チミき、キオビクロスズメバチ「ミ・皮革、ガラス製品、航空機などの工業のほか、 の解明、および花崗岩底盤の形成機構の研究な 八回バリ大会まで続いたが、バリ大会が炎天下斗などがあり、いずれも土中に営巣するが、酪農、果樹栽培などがみられる。〈井内昇〉 、冫月し 736

7. 日本大百科全書 7

につくられた法律である。 れはヨーロッパにおける初めての薬学書であり、長い間、薬ニン、イヌサフランの球根からコルヒチン、コーヒー豆から す・向採血及び供血あっせん業取締法 ( 昭和三一年法律一六〇物学、生薬学の典拠とされた。この古代ローマ帝政時代にガカフェイン、タバコの葉からニコチン、セメンシナからサン / 、号 ) 血液製剤に関連した、いわゆる血液銀行に対する規定レノスが出て、古代医学は大成された。 トニン、アヘンからナルセイン、コディン、テパイン である。↓血液センター べリン、べラドンナからアトロピンとヒョスチアミン、コカ 中世に入ると、ヨーロッパは戦乱と伝染病で荒廃したが、 ⑥日本薬局方主要な医薬品の規格を統一して品質を保証すアラビアでは宗教的、政治的統一が成し遂げられ、文化は隆の葉からコカインが次々と取り出された。一 八二八年にドイ るための公定書である。もともと不良医薬品の取締りから発盛を極めた。薬学に著しい発展を招いた錬金術の研究も盛んツの化学者ウェーラーが尿素を合成し、このときから有機化 生したもので、収載品目には、繁用される原薬たる医薬品、 に行われた。卑金属を貴金属に変えることを目的とした錬金学が急速に発展した。そしてフランスの医学者マジャンディ 術は、紀元前後にエジプトのアレクサンドリアで発達したも とその門下のクロード・。ヘルナールは実験薬理学、実験生理 繁用される基礎的製剤、繁用されな」がとく治療上必要な 医薬品、天然の動植物から生産された医薬ロ ( 主として生ので、古代エジプトの化学技術を基礎としている。実験に重学の分野の開拓で先駆的役割を果たした。この時代には、バ 薬 ) 、製剤化のために必要な物質 ( 医薬品添加剤 ) 、その他衛きを置き、実用に結び付いた研究で、現代の化学技術の基礎スツール、コッホによる細菌学の確立、亜酸化窒素 ( 笑気 ) 、 生材料などが選ばれる。↓薬局方 をつくりあげた。錬金術は薬剤の化学的調製法を教え、化学 エーテルのもっ麻酔作用の発見、ゼンメルワイス、リスター 者である薬剤師という職業を独立させるのに役だったといえ による消毒法の発見もなされた。また、薬理学の父といわれ 薬の歴史 る。バグダードでは七五四年ごろ、政府の監督下に私設独立るシュミーデベルクによる『薬理学の基礎』 ( 一公三 ) が著さ 薬の歴史は人類の歴史とともにある。病気の原因がまった薬局が存在していたという。ヨーロッパではドイツ皇帝フリ れ、薬物、毒物とその作用が明らかとなった。そして有機合 くわからなかった時代に、草根木皮などの天然物の投与によ ードリヒ二世が、無秩序な医療方法を改善するため、アラビ成化学と薬理学との発展が相まって、ヨーロツ。ハにおける目 る治療が、経験的に、しかも宗教と結び付いてなされてい アの医薬制度を取り入れ、一二四〇年に医薬法を制定した。覚ましい合成医薬品の開発となったわけである。一 八六八年 た。薬のもっとも古い記録は、メソボタミア、エジプト、中これは医師と薬剤師の資格を定め、職務分担を厳しく規制し に狭心症の治療薬として亜硝酸アミルが、翌年には睡眠薬と 国にみられる。そして東洋ではそのまま進歩して「漢方薬」たもので、この制度は徐々にヨーロッパ全土に広まった。 して抱水クロラールが発見された。また、解熱薬としてャナ と称する形となり、ヨーロッパでは、錬金術の発達に伴い化 人間性を尊重し、宗教的因襲を否定するルネサンスと宗教ギ属の植物が古くから用いられていたが、これからサリシン 学技術が進歩し、薬用植物からの有効成分の抽出、そして合改革の運動は、社会のあらゆる分野に大きな影響を与え、科 が分離され、サリシンがサリチル酸の誘導体であることがっ 成薬品へと発展していった。 学もまた例外ではなかった。。 ) ヾ ノトノ大学教授べサリウスは人きとめられ、サリチル酸の解熱作用を利用したアスピリンが 〔メソボタミア・エジプト〕薬についての最古の記録は、メ イ角部を盛んに行い、 一五四三年「人体の構造について ( フ つくられた。一八九九年のことである。そのほか、アセトア タブレット ソボタミアの粘土板にみられる。メソボタミアでは医師は司アプリカ ) 』を発表し、近代解剖学の基礎を築いた。一五四ニリド、フエナセチン、アミノピリンなどの解熱薬が次々と じゅじゅっ 祭をも兼ねた。医術は呪術と結び付いており、薬もこれに 六年にはドイツ人バレリウス・コルドス ( 一五一五ー四四 ) によるつくりだされ、睡眠薬ではスルホナール、バルビッール酸類 く一び 従って用いられた。粘土板には数多くの動植物性の薬が楔薬方書がニュルンベルクで印刷された。これは公定の薬局方がつくられた。ヨーロッパでは、このようにして天然の草根 がた 形文字で記されている。エジプトでも医師は司祭を兼ねた。 の初めであり、以後ヨーロッパ各地で薬局方が制定された。木皮そのものから有効成分の抽出となり、さらに石炭タール 医術と薬の記録は紀元前一七〇〇年ごろの「エーベルス・ 新大陸の「発見」以来、ヨーロッパに種々の植物が持ち込まを原料とする合成薬品へと進んでいった。 ピルス」 ( 収集者であるドイツの考古学者・エーベルスにれたが、一七世紀には南アメリカのベルーからキナ皮が伝え 〔中国・日本〕いま一方の人類文化の発祥地である中国で しんのう ちなみ、この名がある ) に残されている。ここには約八〇〇られた。キナ皮はもともとベルーの現地人が薬用に使用しては、黄氏、神農氏が百草をなめて民に薬の根本を教えたとい 4 つようちゅうけい しようかん 種の薬の処方、約七〇〇種の動植物性、鉱物性の薬が載っており、インカにおいて古くからコカの葉、トコン、べラドン う伝承がある。三世紀初頭には張仲景によって『傷寒論』 きんき いる。このなかには現在使用されている生薬もある。 ナなどとともに用いられていたものである。キナ皮は解熱効『金匱要略』が著されたという。このなかには生薬を組み合 〔ヨーロッパ〕ギリシアでは合理的、経験的な知識が重んじ果が絶大であったため珍重され、ヨーロッパ全土に広まつわせた処方による治療について述べられており、漢薬処方の ′ ) かん られ、論理的、体系的医学が発達した。ギリシア医学の代表た。しかし、この時代は ) しすれも天然物を取り扱っており、典拠となっている。古代中国の薬に関する知識は、後漢から しんのうほんそうきよう としてはヒボクラテスをあげることができる。ギリシアの医製剤化はまだ研究段階にすぎなかった。 三国時代にかけてできた『神農本草経』 ( 三世紀ごろ ) に集 レ」、つ・ : 「・キ第い しっちゅう 学はローマに移り、ヨーロッパ全体へと広がっていった。そ 近代薬学の誕生は、一九世紀まで待たねばならなかった。約されている。その内容は陶弘の『神農本草経集註』に して古代ヨーロッパの薬についての知識は、シチリア生まれ一八世紀後半に始まったイギリスの産業革命以降、工業とと よって知ることができる。そこでは三六五種の薬物を上中下 にんじんかんそう じおう のギリシア人ディオスコリデスによって『マテリア・メディ もに科学も著しい発達を遂げた。一九世紀になると、薬用植に分類している。上薬は不老長寿の薬で、人参、甘草、地黄 かっ カ ( 薬物学 ) 』ミミミ e きとして集大成された。ディ物から、有効成分が次々と抽出された。その端緒を開いたのなどがあげられている。中薬は病気の予防と体力増強で、葛 - 一んと・つき しやくやく はんげ オスコリデスはローマ皇帝ネロの時代の軍医で、遠征先の国は、ドイツの薬剤師ゼルチュルナーによるアヘンからのモル 根、当帰、芍薬などを含み、下薬は治療を主とし、半夏、 ききょ・つ か ) 」そう の薬用植物・動物・鉱物を研究し、これを前記の著作にまと ヒネの単離であった ( 天 0 三 ) 。以後、フジウッポ科イグナチ桔梗、夏枯草などがあげられ、それそれの気味と薬効、異名 めた。この著書には約六〇〇種の薬物が収載されている。こアの種子からストリキニーネ、キナ皮からキニーネとシンコが記されている。

8. 日本大百科全書 7

生体内でのクロロフィルの合成は、途中のポ 3 から、非常に結晶化しやすいタイプ ( 接着剤を防ぐために、褐色の瓶に入れ冷暗所に保存す 。 CO る。水道水の殺菌の際に塩素を用いると水中の ルフィリン環の生成まではチトクロムなどの呼 用 ) まである。電線被覆、耐熱・耐油性のホー 度 日皿 スやベルト、合成ゴム接着剤の代表としての用有機物 ( フミン質 ) との反応によりクロロホル 吸色素やヘモグロビンと共通の経路で行われ はつがん ン O 定 -4- ′ 0 〈福田和吉〉 途がある。↓合成ゴム ムが生成するので、近年その発癌性が問題とな る。ただし、動物や微生物ではアミノ酸のグリ 9 則〃 レ 0 O O 圏一 〈広田穣〉 っている。 シンとコハク酸がクロロフィル合成の出発物質プ クロロべンゼン chlorobenzene べンゼ じん ロ 率 ル式量 〔医薬用〕歴史的な吸入麻酔薬で、心臓、腎 として用いられ、高等植物ではグルタミン酸が ン置換体の一つ。クロロべンゾールともいう。 ロ ぞう おしんおうと o 子子点点重折 出発物質になるといわれている。植物を暗い所 臟、肝臟を障害するほか、麻酔後の悪心や嘔吐 ク分分融沸比屈 8 で生育させるとクロロフィルが形成されないで も多く、ほかによい吸入麻酔薬が出現したこと 度 2 ークロロー 1 ・ 3 ーフタ 黄白化するが、これは、細胞内でプロトクロロ から現在では麻酔にほとんど使用されず、抽出 ン 5 ^ 0 フィルの状態で存在し、これがクロロフィルに ジェンという。揮発性ゼ 用溶媒や分析試薬として用いられるにすぎな ℃囲定 とうつ・つ ワ」・ 4 ・ワ 11 ・ " リ ン 0 1 転換する過程が光に依存するためである。針葉 の無色液体。工業的製 い。なお、イギリスでは癌性疼痛の緩和用に使 べ ロ 樹の幼植物は暗所で育てた場合も緑色になる われるコカイン・モルヒネ混液 C フロンプトン 9 法としては、プタジェ 式量 率 子子点点重折 が、この植物では暗所でもクロロフィルを合成 ミクスチャー ) にクロロホルム水として使用さ ンから合成する方法 十 分分融沸比屈 〈幸保文治〉 れている。 する酵素系が存在しているためである。 0 と、アセチレンから合 薬用にするクロロフィリンは、クロロフィル 去 z 成する方法があるが、 独特のにおいのする無色の液体。鉄片、塩化鉄クロロマイセチン 0 クロラムフェニコ 十 、レ ン を温和な条件でアルカリ加水分解したもので、 + 後者は現在では行われを触媒として塩素によりべンゼンの水素原子一 工 ハロアル 水によく溶ける暗緑色の結晶性粉末として得ら ていない。プタジェン個を塩素原子で置換することにより合成する。クロロメタン chloromethane ン O O れる。普通、銅または鉄クロロフィリン製剤あタ 0 法では、、、フタジェンを置換塩素化がさらに進むとジクロロ。ヘンゼンもカン ( ハロゲン化アルキル ) の一つ。メタンの るいはカリウム塩として用いる。造血薬として 三〇〇度 0 で塩素化し生成するが、冷やすと結晶化するので除くこと 水素原子一個を塩素原子で置換したもの。塩化 力しし - っ 貧血に利用するほか、切り傷、火傷、潰瘍、皮法 たのち銅塩触媒により ができる。銅を触媒として高温・高圧でアンモ 膚炎などに内外用する。組織細胞に対して成長 異生化させて得た 3 ・ ニアと反応させるとアニリンを生成し、水酸化 の o 促進作用があるため、傷口の清浄化、肉芽の増 4 ージクロロー 1 ープテナトリウムと反応させるとフェノールとなる。 ℃℃度 ワ (. 0 生、表皮の形成を促進する。毒性ははとんど認 ンを、水酸化ナトリウ多くの有機薬品、主要な染料中間体の原料とし 温。 3 5 7 3 0 定 められない。 このはか、歯みがきの着色料や防 ム水溶液で脱塩化水素て用いられるほか、溶媒としても利用されてい 則〃 タ・ 9 2 0 ロ 0 5 〈吉田精一〉 〈谷利陸平〉 臭、脱臭にも広く用いられる。 することにより製造する。 メ る。 クロロフェノー ル chlorophenol フェ クロロホルム chloroform 脂肪族塩素ロ式量 ロ子子点点重振 ノールの一つ。フェノールのべンゼン環に結合 光、熱、酸素により容易に重合する。乳化重化合物の一種で、トリクロロメタンともいう。 ク分分融沸比屈 している水素一個を塩素で置換したもの。置換合して得た重合体は耐熱性、耐薬品性、耐老化 ォルト C) 6 位置により三種の異性体がある。。体は無色液性、難燃性をもち、ネオプレンの商品名で知ら メチルともいう。常温・常圧で無色気体。圧縮 れる合成ゴムとして利用され、またゴム系接着 すると液化する。工業的には、塩素によりメタ レ 日皿 尸 0 、、イ 5 0 0 〈谷利陸平〉 剤としても用いられている。 ンの水素原子一個を三五〇 ~ 四〇〇度 0 で塩素 O ℃ & ム 3 囲定 ワっ 0 t'•-—、 1 11 レ 則〃 5 っ 0 -4 ・ 11 ワ」ワ 3 原子と置換する方法か、塩化亜鉛触媒下一二〇 クロロ。フレンコム chloroprene rubber 工 O クロロプレンを原料として過硫酸カリウムなど 一五〇度 0 で塩化水素によりメタノール ( メ 1 0 襯力。襯カ フ 0 率 ロ o 子点点重折 ロ チルアルコール ) を塩素化する方法により製造 のラジカル開始剤を用いた乳化重合によって製 式量 ク 分融沸比屈 子子点 する。冷凍機の冷媒、低温での溶媒、種々の有 造され、トランスー 1 ・ 4 結合八〇 % 以上を含む ク 分分融 ポリクロロプレンからなる合成ゴムである。 O エタノール ( エチルアルコール ) とさらし粉と機化合物にメチル基 -CH3 を導入するメチル メタ 体、供力体は無色固体。いずれも、対応する と略称。アメリカのデュポン社の商品名ネオの反応、アセトンと次亜塩素酸カルシウムとの化剤として用いられる。有害である。〈谷利陸平〉 クロロアニリンをジアゾ化したあと加水分解しプレンが一般に知られている。酸化マグネシウ反応によって得られるが、工業的にはメタンのクロワッサン croissant 発酵生地に 合成する。力体はフェノールを塩化スルフリル ムや酸化亜鉛 ( 亜鉛華 ) などの金属酸化物によ塩素化により合成している。甘い芳香をもっ無 ハターを畳み込んだものを、のして三角形に切 により塩素化しても合成できる。いずれも弱い って加硫し、ゴム製品とする。天然ゴムや色の液体で揮発性がある。液体のクロロホルムり、底辺から巻き上げて三日月形に整形して焼 はんよう いたパン。プリオッシュ ( バターと卵を等量に 酸性を示し、アルカリ水溶液には塩となって溶などの汎用ゴムでは得がたい特性をもった準は不燃性であるが、蒸気は燃える。空気中で光 ける。カークロロフェノールは殺菌消毒剤とな汎用特殊ゴムである。耐候性、耐オゾン性、耐により徐々に分解して猛毒なホスゲン COC12 たくさん混入した。ハン ) と並んで、バターのお いしさを仕込んだフランスのパンの代表であ り、また硫酸存在下で無水フタル酸と反応させ熱老化性、耐油性、耐薬品性などが優れ、難燃を生成する。 2CHC13 十 30 ー↓ H20 + 2COC12 十 C12 つることによりアントラキノン系染料中間体キ一一性であり、ゴム糊としたときの接着力が強い。 る。一七世紀末、オーストリアのウィーンに侵 わザリンの合成に用いられる。 〈谷利陸平〉また、トランスー 1 ・ 4 結合が多いため結晶化し この反応はエタノールにより防止できるので、 入したトルコ軍を撃退したとき、これに協力し っクロロプレン chlorop 「 ene ハロアルケやすい。結晶化のしやすさは重合条件によって市販のクロロホルムには通常〇・五 ~ 一 % のエた製パン業者の功績を記念して、トルコの国章 の三日月をかたどってつくられたのが始まり ン ( ハロゲン化アルケニル ) の一つ。正しくは変化し、常温ではほとんど結晶化しないタイプタノールが添加されている。光による酸化分解 点 鴛 , 0 773

9. 日本大百科全書 7

だえん んクエクエ Kwekwe 南部アフリカ、ジンが渦巻銀河と楕円銀河のどちらに属しているの傾向であ 0 た時代に、自国の年 パ・フェ中央部にある鉱・商業都市。首都ハラー か、いまのところ決着がついていないが、電波代記や中世叙事詩など、国民生活 ルロ レ ( 旧ソールズベー ー ) ープラワョ間の鉄道の の弱いものは渦巻銀河で、電波のとくに強いも からモチーフを取り入れた先駆者 え 一フか 中間に位置する。人口五万二〇〇〇 ( 一九含推のは楕円銀河の可能性が大きい。 で、古典的主題の『アヤックス・ ビれ テラモン』『ビルヒニアの死』、国 計 ) 。クエクエ川にちなんで命名された。二〇 クエーサーの空間分布は遠方になるほど大き マ 世紀初め付近のグロープ・フェニックス鉱山の 遠いということはそれだけ昔を見ているこ民的主題の「王、ドン・サンチョ 一る 開発とともに発展し、ヨーロッパ人農場の農畜とになるので、現在の宇宙に比べ、昔はたくさ の死』『ララの七人の王子』など、 画覚っ 産物の集散地としても知られる。〈林晃史〉んのクエーサーが存在していたことになる。と全一四編のコメデイや悲劇 ( いず 井 - R ころがさらに遠くを調べた結果によると、クエれも一五八八年発表 ) を残してい 天のを クエーサー Quasar 見かけは星状に見え か火 る。また、ドン・ファンの原型と る天体であるが、強くて幅の広い輝線をもち、 ーサーは極端に少なくなっており、クエーサー コるロ の その輝線の波長が赤いほうに大きくずれているの存在しなくなる果てが見えていると考えられもいえる主人公が登場する『侮辱 レてそ フつは 天体。恒星状天体 quasi-stellar object (CT) ている。 〈田原博人〉家』は前者に属する興味あるコメ カロロ 年上作 かんしよう 0 クウェ O) 、準星ともよばれるが、いわゆる恒星とは ディで、小説的性格が導入されて クエゼリン環礁 かんしよう 2 いの 〈菅愛子〉 別物である。一九六三年に電波源二七三が ジェリン環礁 くえびこ①日本神 ジェットを伴う一三等級の天体に同定され、大クエッタ Quetta パキスタン西部、バル 久延毘古 空あ きな赤方偏移〇・一五八をもっことがわかった ーチスターン州の州都。人口二八万五〇〇〇話の神。『古事記』で、海上を寄ャ かで じよ、つ ラ ち領 のがクエーサーの最初の発見で、現在では二〇 ( 一九〈一 ) 。地名はバシュトー語のカワター ( 城り来る神の名がわからなかったと ロ すくなひこなの おおくにめしのみこと ウ 物の 〇〇個近いクエーサーが確認されている。赤方塞の意 ) に由来する。標高約一六〇〇の乾燥き、大国主命に、それは少彦名 やまだのそ みこと 人画 一一ヘム 偏移の大きさも、〇・一から三 命であると答えた神。山田之曽 ・八にわたってした高原上に位置する。北のアフガニスタン、 ノ当的 西のイランからインダス川の河谷に至る交通路富騰ともし 、、、「ロ儿は一打か、、ど 7 も、 一本覚 こと 1 一と チ幻 輝線のすれを宇宙の膨張に伴うドップラー効の交点にあり、軍事上、交易上の要衝を占めて尽に天の下の事を知れる神な ルシの ェビク 果とすると、ずれのもっとも大きいクエーサー きた。周辺はブドウ、ザクロなどの果樹園が多り」とも語られている。 クドッ 幻田に立っ案山子のこと。風雨に 二〇〇〇ー三三〇の場合、光速の九三 % く、 食品、化学、繊維などの工業も立地する。 びこ さらされた姿を崩え彦 ( 男 ) と見立てたものをい められる。二五年以降には、ほかの仕事も手が で後退している宇宙の果てにある天体というこ南東方のデーガリには炭田がある。〈応地利明〉 ー画一」ゅっ ン ) になつつ。 グエノン guenon 乳綱霊長目オナガザう。長野県では旧暦一〇月一〇日の刈上げ祭をけながらポローニヤのサン・ベトロニオ聖堂正 もち クエーサーのなかには、光だけでなく強い電ル科オナガザル属に含まれる動物の総称。この「案山子ひき」といい、案山子に餅などを供え田面の装飾に没頭し、聖母子や旧約物語の傑作を 〈濱谷勝也〉 波や x 線を出しているものもある。放射エネル属 Ce ~ 導ミ、 s の分類に定説はないが、一一 の神を山に送るが、案山子は稲の生育を見守る残し、同地で世を去った。 よりしろ ギーは毎秒一〇の四七乗エルグに達し、われわ種に分類する立場と、約二〇種近くに細分する田の神の依代である。その一本足も、男根をもっ グエルチーノ Guercino ( 一五九一ー ギ一は」・つ れ銀河系が放出するエネルギーの一〇〇倍を超立場とがある。アフリカ産で、多くの種は熱帯て象徴される隻脚王シバの坐法であり、地母イタリアの画家。本名ジョバンニ・フランチェ じゅほう スコ・・ハル、ビエリ・ Giovanni Francesco Barbi ・ 多雨林とその周囲の疎開林に分布し、樹上生活を身ごもらせる呪法かといわれる。〈吉井巖〉 えるものも珍しくない。これらのなかには時間 eri 。通称グエルチーノは「やぶにらみ」の意。 変動を示すものもあり、きわめて小さい領域かを送っているが、ただ一種サバンナモンキー クエルチア Jacopo della Quercia ( 一三 C. ミ、 s はサバンナに進出している。森林七四 / 七五ー一四三 0 イタリアの彫刻家。シエナ近フェッラーラ近郊チェントの生まれ。最初同地 ら膨大なエネルギーを放出していることがわか くのクエルチア・グロッサに生まれる。彼の名の師に学ぶが、初期の作品には北イタリアおよ る。この膨大なエネルギー源の説明として、銀性の種の分布域は互いに大幅に重複し、野生状 河中心核に太陽の一〇〇〇万から一〇億倍の質態で種間の混血の例が知られている。体つきは前が美術史上に初めて現れるのは、一四〇一年びベネチアの影響がみられ、ロドビコ・カラッ もんび はっそりとしており、体長四〇 ~ 七〇弩、尾長のフィレンツェ洗礼堂北側門扉の有名なコンテチの作品に感化を受ける。一六一六年生地の聖 量をもっ超巨大。フラックホールが存在し、そこ ストに参加したときであるが、応募作品は残さ アゴスティーノ聖堂の祭壇画「聖母子と四聖 にガスが落ち込む際、重力エネルギーが解放さ 六〇 ~ 一〇〇娉のものが多い。頬、のど、鼻な どに明色の毛が局所的に生え、そのバターンがれていない。確実にクエルチアの手になる最初人』を制作して以後、イタリア各地で祭壇画制 れたとする考えが有力である。 最近、光学観測の技術が向上したため、クエ種ごとに異なっている。植物性食物を中心としの作品は、ルッカ大聖堂にあるイラリア・デ作に携わる。二一年ポローニヤ出身の教皇グレ ーサーの周囲に広がった星雲状の構造が確認さ た雑食性で昆虫も食べる。一〇 ~ 五〇頭の複雄ル・カレットの墓碑 ( 一四 0 六ころ ) である。彼の彫ゴリウス一五世就任を機にローマに赴き、その ひご れ、クエーサーも銀河の一種で、中心核が爆発群をつくる例もあるが、カメルーンの森林での法に北ヨーロッパのゴシック彫刻の影響を指摘庇護のもと『聖女ベトロニッラ』 ( ローマ、カピ している天体であることがわかった。超長基線 調査報告によれば、ただ一頭の雄を含む小形のする研究者が少なくないが、たとえばシエナのトリーノ美術館 ) 、ルドビシ家別荘の天井画 『アウロラ』を制作したが、二三年教皇死去に 干渉計の観測によると、光の速度単雄群をつくる種が多いという。群れは通常 『ガイアの噴水盤』 ( 一四一四 ~ 一九 ) の浮彫りにはそ を超える連動が確認されているが、これは、中一、二平方キ。の遊動域をもち、その中で生活しの形跡がある程度うかがわれる。一七 ~ 三〇年伴い帰郷。四二年ポローニヤ派の指導者グイ 〈川中健二〉 にシエナのサン・ジョバンニ洗礼堂に制作した ド・レニ亡きあとのポローニヤに移り住み同派 心核から光速に近い速さでガスが放出されたたている。↓オナガザル め生する見かけ上のものとみられている。 洗礼盤の浮彫り「神殿のザカリア島には、同じを率いる。晩年はレニの作風の影響を受け、古 クエー バ Juan de la Cueva ( 一五き ? きようえん ハ三好徹〉 クエーサーに類似した天体として BL Lac 一六一 0 ? ) スペインの劇作家。セビーリヤ出身、洗礼盤のドナテッ口による「ヘロデの饗宴。〔典主義的な枠内にとどまった。 型天体やセイファート銀河がある。クエーサー 同地で没。作品の主題を古典に求めるのが文壇 ( 一四 = 七 ) にみる絵画的空間表現からの影響が認クエルナバカ Cuernavaca メキシコ中 ほお せつきやく かりあ 374

10. 日本大百科全書 7

きんじさ 線をそれだけ早く通過して西にあることであ七巻など多くの著書を残した。儒教と仏教の精似値は三・一四などである。 近似値と真の値の差 り、負ということは、正午にまだ太陽は東にあ神をあわせもっ思想家、また優れた名文家とし , か・つ・ひ 展 〈尹学準〉 ( 言 ) ー ( 0 言 ) って南中していないことである。〈渡辺敏夫〉て一世を風靡した。↓金鰲新話 0 下の きんしそく一般に担子菌類によってを誤差という。近似値が真の値より大きいとき 回渡辺敏夫著『数理天文学』 ( 一九七七・恒星社厚菌糸束 下以一 ュ十 7 は、誤差は正の数となり、近似値が真の値より キノコをつくる前段階として地中や樹皮下に形 生閣 ) 例 戸 0 / - 一ア 小さいときは、」誤差が負となる。近似値が真の 近似式きんじしき approximation formu ・成されるもので、白色ないし褐色、黒色で、直 の ・差は 3 れ 径数リの紐状、糸状あるいは根状であり、根状値により近いということは、誤差の絶対値がよ la 厳密な値になるべく近い値を算出する式の 式 0 誤て 十 7 ス 8 4 2 5 こと。数値計算に関数を用いるとき、筆算の場菌糸束ともいわれる。菌糸束は菌糸によって構り小さいということである。また、誤差を考え ・用 一囲関 2 て 合には数表またはグラフの形で扱うのが普通で成されているが、各菌糸は個性を失い、働きのる際に真の値との割合が重要になる場合があ よ十囲 4 範こ十 1 あるが、コンピュータで計算する場合には、詳区分を示す菌糸組織をつくっている。これは繊る。そのとき、 単 7 の 9 1 ち 9 VII 善 ん日ー 11 ( 0 言 ) + ( D 言 ) しい数表を記憶させたりグラフを扱ったりする維菌糸組織と異型菌糸組織に二大別される。菌 0 工工 を相対誤差ということがある。誤差三 % といっ ことが困難なので、近似式を用いる。 糸束の中央部の髄は繊維菌糸組織で、これは、 1 工 2 工Ⅲ 数表のかわりに用いる近似式は、①一定の精多少平行した結合の緩い菌糸で構成され、そのたりするのはこの意味である。この場合、割る 似 4 一 を 近 髄の外側の皮層の部分は異数を近似値で代用しても差し支えない。誤差の 度を保証できること、②適用範囲が広いこと、菌糸細胞は細長い。 ③少ない手間で計算できること、が必要である型菌糸組織で、これはだいたい一様な直径の球絶対値を絶対誤差という。場合によっては、真 くつかの式を併用してもよ 状ないし多角体状の細胞が密に詰まっていて菌の値がわからないことがある。そのようなとき 腹部にかけて黄金色の毛で覆われているのでこ ( ②については、い は、近似値を定めても、誤差はわからないこと の名がある。中国南西部の森林に分布し、古来 い ) 。このような近似式を作成する方法はすで糸らしくない。菌糸束は先端成長を行い、互い になるので、誤差の絶対値がけっして超えない に隣接すると結合する。不適当な環境になると 中国ではこの毛皮が貴ばれ乱獲されたが、現在に詳しく研究され、主要な関数については優れ 成長を止め、条件がよくなるとふたたび成長す値を決める。これを誤差の限界という。普通、 ではパンダと並ぶ珍獣として保護されている。 た近似式ができている。 なるべく小さく、しかも簡単な値にする。たと ↓シシバナザル 〈川中健二〉 る。根状菌糸束は、スッポンタケでは白、ナラ たとえば、対数関数の近似式をつくるには、 タケでは黒褐色。ナミダタケの根状菌糸束は地えば、円周率の近似値を 3. 】 4 とするときの誤 均時差きんじさ視太陽時と平均太陽時の時ぎ g っ + もの無限級数展開 X X 暑 中で直径数、長さ一に達し、白から灰・褐差の限界は P002 である。測定などで得られ 刻差。いいかえると、視太陽の赤経と平均太陽 一 og ( 1 十Ⅱ x ーー十ー 2 3 4 5 〈寺川博典〉 た値を、たとえば、長さ 230m とするとき、 色になる。 の赤経の差であり、時差とも時差率ともいう。 メートルの位まで信頼できるのであれば、 2 、 均時差が初めて導入されたときは、日時計などを適当な項数で打ち切って 菌糸組織きんしそしき菌糸によって形成さ しのう 3 、 0 は有意義な数字であり、もし川 E の位ま れる組織で、担子菌類や子嚢菌類でみられる。 によって得られる視太陽時から平均太陽時を得 一 og ( 1 十暑 ) 北参一 og ( 1 + も北ー 2 成長した栄養体 ( 菌糸体 ) から分岐した菌糸ので信頼できるのであれば、 2 、 3 は有意義であ るために視太陽時に補正する量として定義され けたすう たが、現在では天文観測によって得られる恒星とする方法がまず考えられるが、の絶対値が先端が他の菌糸の側面に接すると、接触部で菌るが、 0 は桁数を表すにすぎない。有意義な数 小さくないと、これではよい近似値が得られな糸壁が連結して細胞内容が連絡する。この菌糸を有効数字という。有効数字がどれかがわかる 時から換算して平均太陽時が得られるので、一 2.3 x 19 のよ , っ 結合と菌糸の分岐が非常に盛んに繰り返されるようにするため、 2.30X10 。 適用範囲がもっと広い改良された公式、た 九二五年以来、平均太陽時に補正して視太陽時 に、整数部分が一桁の小数と、川の累乗の積の とごん、は と、種々の菌糸組織が発達する。その簡単なも を得るための補正量と定義されている。したが 〈三輪辰郎〉 形に表す方法が用いられる。 のは、基物内の菌糸体から生じた気生菌糸によ log 北 0.9974442R ー 0.4712839 を って、一九二五年前と後ではその正負の符号を 十 0.225668 印 3 ー 0.0587527 を り形成される菌糸層 ( マット ) である。これよ金七十きんしちじゅうろんインド六派哲 異にする。 りも菌糸が密に詰まって基物の表面を覆うもの学サーンキャ学派の基本的教科書である「サー 均時差は二つの部分から成り立っている。一を用いれば、 0 橋暑橋 1 の範囲で誤差 8X10 ふ すろんげ ンキャ・カーリカー』 ( 数論偈。ィーシュバラ に薄皮 ( ペリクル ) があり、さらに厚くて硬い 以下の近似値を得ることができる。〈戸川隼人〉 つは視太陽が赤道に傾斜する黄道上にあること からおこる「赤道引直し」といわれる部分と、回一松信著『初等関数の数値計算』 ( 一九七四・教ものを硬殻 ( クラスト ) という。よく発達してクリシュナ著 ) の注釈書。五四六年に中国に渡 しんだい だえん こよって漢訳された。本書は、現在 分化した菌糸組織は、繊維菌糸組織と異型菌糸来した真諦し 育出版 ) 他の一つは太陽が楕円軌道を運行することから 生ずる中心差とよばれる部分から成り立つ。均金時習きんじしゅう ( 一四 = 五ー九三 ) 朝鮮、李組織に二大別される。前者は菌糸束や菌核の髄知られている同種の注釈書類のなかで、比較的 あぎなえっきよう に古く、年代も明らかであり、重要な文献であ 時差がゼロとなるとき、いいかえれば平均太陽朝初期の文章家。字は悦卿、号は梅月堂。李の部分でみられる結合の緩い菌糸組織であり、 と真太陽の示す時刻が一致するときは、およそ朝第七代王の世祖が幼い甥の端宗を殺して王位後者は皮層の部分でみられる一様な直径の球なる。類書のなかでは『マータラ・プリッテイ』 いしは多角体状の細胞が密に詰まった菌糸組織と内容的に似ている。わが国では江戸中期以来 四月一七日ころ、六月一六日ころ、九月二日こを奪ったのを怒り、僧となった「生六臣」の一 この書について盛んに研究されてきたが、暁 人。幼時から天才の誉れが高かったが、科挙にである。子実体であるキノコや地衣体も分化し ろ、一二月二五日ころの四回である。この中間 はうじゅう おう きん ) う ー一天五 ) の「金七十論備考』や法住の た菌糸組織によって形成される。〈寺川博典〉応 ( ? では均時差が最大および最小になるときがあ応ぜず、放浪の一生を送った。のちに金鰲山に きんし きんしたい 0 菌糸 「金七十論疏』 ( 一七六三 ) などが著名である。↓イ る。二月一三日ころに負一四・四分、五月一五入り山房を建ててこもり、朝鮮文学史上初めて菌糸体 シュバラクリシュナ 〈村上真完〉 日ころに正三・八分、七月二七日ころに負六 の漢文小説集『金鰲新話』を書いた。現在完本近似値きんじち真の直こ近、直を、 ちよほ 四分、一一月六日ころに正一六・四分に達すは伝えられないが、現存する『万福寺樗蒲記』定や近似計算によって得られる。たとえば一五回金倉圓照著金七十論疏』国訳一切経和 りせいきしよ、つ 漢撰述部論疏部し所収・一九五〈・大東出 る。ここに正ということは、時計が地方時で正「李生窺墻伝』など五編は朝鮮の小説の嚆矢と度 0 の空気中の音の速さの近似値は毎秒三四〇 げんぞく 版社 ) 、分数 173 の近似値は〇・三三、円周率の近 いわれている。四七歳で還俗。『梅月堂集』一 午を示したときに、太陽はすでにその地の子午 十 十 COS 工 = 1 ちょ、つ 5 2 ひも キ一しっ 242