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1. 日本大百科全書 7

らくよう な経済機構 ( 合理的経営資本主義 ) 、市民革命段階説である。それによると、停滞的農業社会川 ん金村古墓きんそんこば中国、河南省洛陽のすのに用いられる。近代化という場合には、普 に由来する政治形態としての民主主義、宗教改がしだいに工業化の準備を整え、産業革命を契 2 必に北東二〇キ。の金村に所在する戦国時代の韓の墳通には後者の意味で用いられることが多い。 墓。一九二八年ごろに盗掘を受け、以下のよう 〔歴史的近代化と普遍的近代化〕歴史的な意味革に由来する人間類型としての自律的、自覚的機として離陸 take ・を達成し、軽工業から ん な遺宝が出土した。墓は八基で、陪葬墓をもつでの近代化 ( 近代社会の成立過程 ) は、中世封個人は、もともと近代西欧社会に固有の現象で重工業への移行を完了したのちに高度産業社会 ものもある。墳丘はなく、地下に八角形の木槨建社会から近代資本主義社会への移行過程を意あるのに、歴史を超え体制を超えた普遍的典型 に突入していく過程は、伝統的社会↓先行条件 もっかん を設け、内部に木棺を置く。出土品に多量の青味する。封建制から資本主義へという意味でのとしての近代社会の構成要素となる。封建制か期↓離陸期↓成熟への前進期↓高度大衆消費時 たい - 一う 銅彝器・鏡・飾金具・帯鉤、玉器などがある近代化は、おもに経済の分野における近代化でら資本主義への歴史的移行過程ではなくて、末代の五段階に区分される。最終段階の高度大衆 ぞうがんりゅうきんかんせき が、これらの多くは金銀の象眼、鑒金、嵌石、あって、産業資本の形成と展開を基軸にする歴開から文明へ、前近代から近代への推移として消費時代では、重点は生産から消費、レジャ かんぎよく 嵌玉などで飾られ、逸品が多い。おもなもの史過程を意味し、小商品生産者 ( 中産的生産者近代化が現れる。確かに、資本主義がつくりだ ー、福祉の問題に移り、耐久消費財の普及、労 きんんさく じゅうかもん - 一 に金銀錯狩猟文鏡、金銀錯獣渦文壺、瑯璃・玉層 ) が局地的市場圏を拠点として領主や商人資した高度の生産、分業、交通のシステムまたは働力構成の変化、都市化の進展、などによって かんせきおうごんたいこう 背鏡、嵌石黄金帯鉤などがある。〈下條信行〉本による収奪を排し、封建的土地所有と共同体合理的な技術、機械、組織は、それ自体歴史や特徴づけられ、その点では先進産業社会は資本 キンダイ〔銀鯛〕硬骨魚綱スズキ目タイ的諸関係を打破し、都市の商工業を制圧して、体制の違いを超えた必然性であるから、それら主義、社会主義といった社会体制のいかんを問 科の海水魚であるアフリカチヌの商品名。ま民富 ( 産業資本 ) の形成と全機構的展開を実現は歴史貫通的に、また体制の別なく通用する。わず類似した状態にたどり着く、と主張され た、フェフキダイ科のメイチダイの一型で、ト した過程である。この過程は広義には産業化、政治形態としての民主主義、社会形態としてのる。↓経済発展段階説 ンキン湾、ペンガル湾に分布する種の俗称でも狭義には資本主義化の過程であるが、それは経都市的生活様式、文化形態としてのマス・コミ 〔近代化論の系譜と性格〕ロストウに代表され ある。↓アフリカチヌ 〈赤崎正人〉済の分野の近代化に限定されず、それに付随し ュ一一ヶーション、教育の普及なども、近代的生る近代化論は、前近代↓近代という一一段階を大 近代化 きんだいか modernization きわめて広く政治、社会、文化の近代化をもたらし活条件の一環である限り、それ自体として普遍きく区分し、体制の別なく高度産業社会として しゅうれん て包括的な概念でさまざまな意味内容を伴ってた。経済の近代化が政治や文化の近代化に先導性をもち、価値的に望ましいものと目される。 は類似した状態に収斂するという独特の歴史 いる。たとえば、農業の近代化、中小企業の近される場合も少なくない。たとえば、イギリス こうして、西欧、非西欧を問わず、先進国、観ないしは世界観をもち、とりわけマルクス主 代化、労使関係の近代化、政党の近代化、日本では市民革命 ( 政治構造のプルジョア的変革 ) 発展途上国の別なく、また資本主義、社会主義義への対抗という点で、ある種のイデオロギー の近代化などというときに、その意味内容はか は産業革命 ( 産業の近代化 ) に一世紀ほど先行を超えて、あらゆる社会が社会変動の結果とし的役割を果たしてきた。この種の史観は、古く は未開と文明を区別して富裕の体制としての市 ならずしも同じではない。農業の場合は農業生したし、またそれは宗教改革に由来する精神のて早晩到達すべき最終目標が近代であり、そこ おうか 産の機械化や合理的な経済計算に基づく農業経近代化に支えられていた。マックス・ウェーバ に至る普遍的社会過程が近代化である、とされ民社会を手放しで謳歌した < ・スミス、産業化 営が、中小企業の場合には生産工程の機械化に ーが唱えたように、産業資本の全機構的展開をるのである。その場合、近代化とは以上にあげを社会進歩の至上命令とみなし、産業主義に基 よる経営合理化が、労使関係の場合には前期担う主体的推進力は、プロテスタンティズムのた諸要素の変化を含む包括概念であり、それ自づいて社会の組織化と人間精神の改造を目ざし 的、身分的上下関係から自由で対等なバ ートナ倫理を骨肉化して自己の合理的、世俗内的禁欲体としては内容空疎な変動過程であるから、そたサン・シモンなどの立場にもみられるが、と ーシップへの移行が、政党の場合には資金の調倫理とし、これによって生活を合理的に規制の実質は科学、技術の進歩を起動力とし大量生 くに古典的社会学では社会の変動方向を前近代 達や人的つながりの合理化による機構や運営のし、勤労節約によって拡大再生産と資本蓄積を産と大量消費をもたらす工業化 ( または産業社会↓近代社会という二分法ないし二段階論的 整備、充実が、日本社会全体の場合には遅れた可能にした中産的生産者層であった。また同時化 ) industrialization 、それに伴って産業の中発想で定式化し、この方向を進歩または進化と 共同体的諸関係からの脱皮による生活の仕方や に、精神的に自立し自覚した人間を変革主体と 心地への人口の移動、集中、集積 ( Ⅱ都市の形 して肯定的に評価してきた。たとえば、メーン ものの考え方の変革、つまり、市民社会や市民することによって、対等同格の同市民関係 ( 市成 ) を引き起こし、生活様式の変化を招く都市の「身分から契約へ」という図式に沿って、ス 的人間の形成あるいは日本の西欧化といったこ民社会 ) やその政治的表現である近代民主制が 化 urbanization その他の変動過程によって担 ペンサーは軍事型社会 ( 身分的支配、集権的統 とが意味される。しかし、意味内容の多様性に 確立したのである。このように、近代西欧社会われることになる。そこで、近代化とは、工業制、強制的協働を特徴とする原始社会 ) から産 もかかわらす、政治、経済、文化などの社会生は宗教改革、市民革命、産業革命の産物として 化を基礎過程とし、都市化 ( 都市の形成と都市業型社会 ( 自由な契約、分権化、自発的協働に 活の機能的諸分野やそれらをひっくるめた社会成立した歴史的個体であり、合理的な生活原理的生活様式の一般化 ) やその他の社会文化的変よって特徴づけられる近代社会 ) への社会進化 によって隅々まで貫かれた世界である。ウェー 全体およびそこで生活する人間の意識や行動が 化 ( 交通・通信の発達、マス・コミュニケーシ の過程を賛美した。テンニエスはゲマインシャ 合理的、計画的、機能的、組織的な性質を強め バーはこれを、最高度の形式合理性 ( とくに合 ョンの浸透、教育の普及など ) を伴い、農業社フト ( 感情融合の共同社会 ) からゲゼルシャフ ていく過程が近代化であると考えてよい。その理的技術と合理的組織日官僚制 bureaucracy) 会から工業 ( 産業 ) 社会へ、農村的社会から都 ト ( 利害打算で結び付いた利益社会 ) への変動 際に、近代化には二つの意味があって、一つに によって彩られた世界であるとみた。 市的社会へ、伝統的社会から近代的社会へ、身方向を説き、またデュルケームは機械的連帯 は、 ( 近代西欧というように ) 時間と場所を限 これに対し、普遍的、抽象的な意味での近代分的社会から契約的社会へ推移することを表す ( 没個性的な成員間の類似に基づく連帯 ) から 定された歴史的個体としての近代社会 ( および 化の場合は、歴史的個体としての近代西欧社会わけである。 有機的連帯 ( 個性化した成員間の分業に基づく 近代人 ) の形成過程を示すのに用いられ、二つをモデルとしながらも、近代西欧という時間 こうして、工業化は機械生産の導入による産連帯 ) への発展図式を提示した。近代化とは、 には、ひとたび形成された近代西欧社会に特有的、場所的限定を離れて、それに固有な政治、業構造の高度化だけにとどまらず、政治、経デュルケームの場合、人間がますます自律化し な ( 合理的生活原理の浸透した ) 状態を時間 経済、文化 ( 精神 ) 構造の諸特質を抽出し、こ済、社会、文化全体および人間の生活構造の根個性化する半面において相互にますます緊密に 的、場所的限定から切り離して普遍的近代としれを普遍的近代として再構成することによっ本的な変動を引き起こしながら、最終的には共依存し補完しあう分業と連帯の拡大、深化の過 てとらえ直し、非近代的または前近代的な状態て、どの時代どの地域にも当てはまるような概通した性格をもっ産業社会へ到達することにな程にほかならなかった。 から普遍近代的な状態に到達する移行過程を一小 念に変質を遂げる。産業革命に由来する合理的る。この点を力説したのがロストウの経済成長 若干の例外を除き、古典的社会学の発展図式

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ぐんたい 軍隊 / 役割と機能軍隊の役割は , 1. 国防 , 2. 国家の統一保持 , 国家体制の転覆阻止 , 3 . 国の対外政策の効果的な達成にある。国家は軍隊を保有するこ とにより , また事態に応じて武力の威嚇的使用や武力を行使する ことによって , 前記目的の保持 , 達成を期している 二を新 ③チェコ事件で , フラハに侵攻したソ連車戦 車に抗議する市民たち ( 1968 年 8 月 ) 。ソ連は 自国の国家利益追求のために , 他国に対し軍 隊を投入した ①訓練中のスイス国民軍。永世中立を外交の基本方針 とするスイスだが , 国防のために車隊を保持している。 男子 ( 20 ~ 50 歳 ) はすべて兵役の義務がある ②光州事件 ( 1980 年 5 月 ) の際に , 決起した 市民を鎮圧する韓国車 兵士。国家体制の転覆 阻止の見地から内乱の 鎮圧に軍隊が出動する 事例は多い ④フォークランド紛争 ( 1982 年 ) の おり , アルゼンチン車の攻撃で大 破したサー・ギャラハッド号より 救助されるイギリス軍兵士。領土 紛争で , 外交による解決がなされ ないままに , 軍事的対決に発展し た例である ため、戦力は核戦力、通常戦力、特殊戦力に分けられるよう になり、核戦力は威嚇的に使用され、通常戦力なども段階的 に、地域的に限定して使用されるようになった。しかしなお 車隊は基本的に伝統的な役割と機能を保持したまま、新たな 要素を加えて戦力強化の一途をたどっている。 〔軍隊の多様化〕軍隊は各国の車事法制によって陸軍、海 軍、空車などとして建設、維持、管理されているが、核・ミ サイル兵器、航空・宇宙兵器、電子戦技術、精密誘導技術な どの軍事科学技術の発達は、軍制や軍隊の構造を大きく変え つつある。 軍事力の即応性と確実破壊の能力が著しく高まってきたた め、東西対立という政治的要因も加わって、先進国の軍隊は つねに即応戦力を保持し有事即応の態勢にある。この状況は 第二次大戦前にはなかった大きな特徴である。 さらに作戦規模が拡大し戦闘様相が複雑・立体化してきた ため、陸海空部隊の統合運用が必要となり、主要先進国では 陸海空三軍存置のまま作戦指揮体系を一元化し、地域別統合 軍や任務別の統合軍、特定軍、特殊部隊を常設するか、臨時 に編成するようになっている。また経費の節減、業務の効率 化を図るため、作戦部門以上に行政部門は統合化され、陸海 空各軍の行政関連機構の共通機関化が進んでいる。カナダで は作戦・行政両部門の統合化を徹底して、一九六八年二月に 陸海空三軍制をやめ一軍制の軍隊が発足している。 兵器体系が高度技術化・複合化して巨大化したため、軍隊 に占める直接戦闘部隊の比重は低下し、技術・事務部門の比 重が増大し、かって戦闘部隊に従属する地位にあった非戦闘 部隊が戦闘部隊の三倍以上を占めるようになった。その結 果、科学技術、補給管理、国防行政などの複雑多岐にわたる 高度の知識・技能を有する軍人の数が急増し、なかでも先進 国の軍隊では、「戦士集団」としてのイメージは過去のもの となった。 事たはる 軍しです 軍隊をめぐる諸問題 は拠国在 権占上存 政は途数 〔軍隊と政治〕先進国では、軍隊に対するシビリアン・コン デ真展多 ン写発が トロール ( 文民統制 ) は各種制度によって機構的には定着し ジた隊る ているが、ベトナム戦争にみられたアメリカのように、実質 アし軍 の壊るて は形骸化し、その内実が問題になってきている 丿崩すれ チり備か 戦争勝利戦略から平時を重視した戦争抑止戦略への転換 , よ警置 は、軍事戦略と対外政策の区別を不明確にさせ、戦略の外交 9 一邸下 年タ官権 化、外交の戦略化といわれるほど軍事と外交の一体化を不可 デ領政 一統事 従来、戦略は、狭義には軍事 8 ⑤ク大車避的にもたらすものとなった。 ,

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議論は一九五〇年代から盛んに行われるように または銀の魚形を位と同じ生地でつくった袋の機器・装置が高性能化し、それらを開発し、 は、現代科学の評価の問題として慎重な検討を ひも なり、ソ連の初の人工衛星打上げによるいわゆ要する。 に入れ、その紐の結び数で階級の上下を分けた製造し、維持・運転するのにより多くの人員と さめがわ が、のちには、鮫皮で包んだ小さな箱の表側に 費用を要するようになったことにある。すなわるスプートニク・ショックののち、宇宙開発予〔巨大科学の影響〕 big science という表現を よ 金または銀製の小さな魚の形六個、裏側に一個ち研究手段の大型化である。 算が急速に増大したため、議会は、宇宙開発の最初に用いたのは、アメリカの物理学者である を飾り、その上に紫か緋の組紐をつけた。金の 研究が大型化している代表的な分野に高エネ費用・効果を測定し政策的評価を確定するためワインバーグ Alvin M. Weinberg であると にテクノロジー・アセスメントの手法を導入す考えられている。彼は一九六一年の科学雑誌 魚袋は諸王および諸臣の三位以上、銀の魚袋は ルギー物理学や電波天文学などの分野がある。 四位、五位の者が用いた。 〈高田倭男〉高エネルギー物理学は、原子核を構成しているるようになってきている。しかし、科学研究の 『 S ミ e 』誌上で「大規模科学の合衆国への衝 原子力や宇宙開発素粒子に関する実験的研究を行う研究分野であ成果やその社会的影響をいかなる基準によって撃」について述べ、そのなかで巨大科学が科学 巨大科学きょだいかがく と科学者にもたらす弊害について警告してい のように、大規模な組織と管理のもとで、多くるが、素粒子の構造を研究するために、高いエ評価するかは、科学に対して社会がどのような の人材と多額の費用を投入して、国家政策としネルギーをもった粒子を衝突させるための粒子価値判断を行うかの問題であり、今後多くの検る。その一つは、科学を俗流化しようとする傾 討を要する課題である。 向が強まることである。巨大科学は巨額の国家 て遂行される科学研究をいう。 加速器を必要とする。この加速器のエネルギー 「巨大科学」は big science の訳語で、「大規は、一九三〇年に最初の加速器であるサイクロ 科学研究の大型化は科学の発展過程で避けら予算の投入なしには成立しないから、巨大科学 模科学」 science in large science と同じ意味 トロンが発明されてから、約五 ~ 六年で一〇倍れないことであり、その結果、科学研究に対すが成り立っためには、少なくとも国民の多数が で用いられることもあり、かならずしも定義が 化するスピードで高性能化している。現在運転る国としての政策化もまた避けられない過程でそれに反対しない状況 ( 積極的支持でないとし 確定しているわけではない しかし、「巨大科 されている最大級の加速器は、アメリカのフェある。しかし、科学政策が開始され、それが本ても ) を必要とする。そのために、巨大科学を 学」と「大規模科学」、あるいは科学の「巨大ルミ国立加速器研究所やヨーロッパ合同原子核格化していったのは単に科学が大型化して費用推進しようとする科学者や政治家は、科学がジ ちょうじ ャーナリズムによって寵児として扱われるよう 化」と「大規模化」は区別して理解したほうが物理研究所 (OQZZ) にあって、その大きさ が増大したということだけによるものではな よい。科学の一面が巨大科学として特徴づけら は直径二キロメートルに及んでいる。こうした巨 に仕向けようとする。その結果、科学の厳密な い。科学政策の本格的展開の直接の動機は第二 れるようになったのは、科学研究が大規模化し大な加速器の建設と維持のためには巨額の予算次世界大戦における軍事研究にある。さらに、方法に反する俗流化を招く傾向を生み出すこと たことにもよるが、それだけではない。第二次が必要であり、 OQXZ はヨーロッパ 一二か国戦後、米ソのいわゆる「冷戦」体制のもとで、 になる。また、資金を獲得する行政的あるいは 世界大戦後、政治・経済・軍事面における国家の共同出資によって維持されている。日本では軍事技術とそれに関連する産業技術の開発競争金銭上の手腕が科学研究上の能力にとってかわ 間の競争が激化し、国家的に重要とみなされる この分野の研究の共同研究所として一九七一年が激化し、それが国家間の政治・経済・軍事の って科学者の能力として重んじられる傾向を助 特定分野の研究が、国家資金によって政策的・ ( 昭和四六 ) 筑波研究学園都市に高エネルギー 各方面における競争にとって重大な位置を占め長する。また、こうした傾向が大学にまで及ぶ 組織的に推進されるようになったことによる。物理学研究所が設立された。 ることが明らかになるにつれて、先進諸国でことによって、思索と教育の場としての大学が したがって現代科学を巨大科学として特徴づけ 天文学の分野では、光学的な望遠鏡の口径をは、国と産業界が一体となって研究体制の拡脅かされることに対しても警告している。 このようにして科学が巨大化するにつれて、 るとき、そこには、科学研究が大規模化してい 大きくする大型化競争ののちに、現在の電波望大・強化の政策をとるようになった。原子力開 ることを端的に表現しようとする意図と、科学遠鏡、人工衛星、惑星間ロケットの使用へと観発と宇宙開発がその最も代表的な分野である。 科学は国民生活のありかたを左右する存在とな が国家的競争のための手段と化していることに 測装置の大型化は際限なく続いている。 第二次大戦中の原爆開発のためにアメリカが り、科学者には専門職としての高い倫理性が要 対する批判的意図とを含んでいる。 研究のために大規模で高価な機器や装置を必行った「マンハッタン計画」は、戦後における求されるようになってきている。一九四八年に 〔大規模化〕科学を全体としてみると、科学者要とするようになると、そうした研究手段を共科学の巨大化の歴史的原型となっている。戦「世界科学者連盟」が出した『科学者憲章』や 人口、科学的出版物などの量において、科学は同で使用するために共同研究が奨励されるよう 後、核兵器の開発は核弾頭、運搬手段としての七四年にユネスコが各国政府に対して出した 比較的短期間で倍増するような急速な成長を遂 になり、さらに研究手段を効率的に利用するた ミサイル、通信・制御のためのコンピュータ、 『科学研究者の地位に関する勧告』、八〇年に日 げてきている。・・プライスの研究によるめに、研究は計画的で組織的なものになってい エレクトロニクスの技術開発と一体的に進めら本学術会議が出した『科学者憲章』などはこう と、科学者や科学的出版物の量はこれまで一〇 く。たとえば、は、年間約一一〇〇〇人れ、先進諸国は国際的な技術開発競争に勝ち抜したことに関する社会的な理解を高め、科学者 年から一五年の期間で倍加している。科学の成の研究者が研究所を利用し、その研究を支えるくために国家体制を整えていった。アメリカに の自覚を促し、あるいは政府の責任を明らかに 長がこのように急速であるために、科学の成長ために、技術者や職員を含めて全体で約四〇〇おける原子力委員会、航空宇宙局 (Z<T<) しようとしたものである。 につれて社会が受ける利益が増大するととも〇人の人たちが働く大組織を構成している。 はそうした経過で設置されている。 他方では科学研究が政策化されるようになっ に、研究の成果の利用の仕方や資材や経費の割〔政策化〕こうした大型化した研究手段による 日本では一九五五年 ( 昭和三〇 ) の原子力基たことによって、人間の福祉を増進し、人間生 当てにおいて、社会的に無視しえないさまざま研究は、国家資金の投入なしには成立しない。 本法の制定とともにこうした体制作りが進めら存の諸条件を拡大するための国民的課題を科学 な影響が生じている。しかも科学研究の規模がその結果、限られた資金の配分方法がそのままれ、原子力委員会を中心として日本原子力研究研究に反映させる可能性もまた大きくなってい 全体として拡大するにつれて、個々の研究にお個々の研究分野の盛衰を左右する傾向さえ生み所、動力炉・核燃料開発事業団などの研究・開る。しかし、巨大科学の現実の姿は前述のよう 。こしつつある。そのために国家資金をどれだ いてもその規模は拡大しつつある。科学研究のオ 発機関が設立され、七六年の資料によると、原 に、軍事技術やそれに関連の強い分野に研究が 進歩とともに相互の関連が豊富になり、より多け、どの分野に投入するかを確定すること、ま子力予算の約七五 % が上記の二つの研究・開発集中する傾向を強めており、長期的、短期的に くの科学者が相互に連携しながら研究するよう た投入することの意義や研究の成果ならびに社機関に集中的に投入されている。研究費と研究人間福祉に不可欠な課題に対して研究努力を差 になる。その結果、その規模は必然的に大きく 会的影響を事前にあるいは事後的に評価するこ手段を集中化することによって研究・開発の方し向けることを阻害する結果を生んでいる。ま なっていく。しかし、とくに規模の拡大が注目 とが国家政策上の重要な課題として論議される向を政策的に規制しようとするところに巨大科 た、研究体制が大規模化し、集中化することに されるようになった直接の要因は、研究のためようになってきている。アメリカではこうした学の重要な特徴がある。その特徴に対する評価 よって、その現実に対する社会的監視が行き届

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戦略を意味し、広義には政治、軍事、外交、経済、心理、思 能・腐敗の政権を倒したが、従来のように一時的な秩序維持 いる。かっては軍事的脅威の性格の判定、ついでその対応策 た想の全分野にわたる総合戦略を意味するものであったが、今者としてではなく、長期的な政権を目ざしている点が特徴的の決定という順序で軍事支出の増額が決められてきたが、今 日イトよ、。、 ノランス論的にます軍事支出の増額を決定、ついで ん日では後者のみを意味するようになり、軍事戦略はその一部であった。 とみなされるようになった。 調達兵器が決定されるという傾向が顕著となっている。 途上国の工業化はこうして推進されたが、急激な工業化に 一九七〇年代から急増した米ソなど先進国による第三世界 このため軍事力のプレゼンス ( 存在 ) と政治、外交などと よる伝統的な社会システムの変容からくる社会紛争を、国家 の緊密化・統合調整の必要から、軍首脳部の政策関与が制度安全保障と社会安定の名のもとに抑圧するなかで軍隊の比重への兵器輸出を媒介として、軍拡競争は、その政治的要因は 的に保障され、安全保障政策の決定や計画の立案といった政は高まり、それを基盤に軍の主導下で工業化、軍事力の近代違うが第三世界の底辺にまで広がり、欧米型、ソ連型とも異 治的領域で軍が重要な役割を演じるようになった。一方、外化が進められた。工業化、軍事力の近代化は同時に、先進国なる第三世界固有の国家と軍と産業が一体化した軍産複合体 が、先進国の多国籍企業を産婆役に形成されるに至ってい 交、政治などとの一体化に加えて、軍事技術の高度化、マネの経済的、軍事的援助をてこにした影響力の維持・拡大をも ージメント理論の発達が多くのシビリアンを軍事的領域に進 たらし、二重の抑圧体制下に置かれた民衆の反乱を引き起こる。第三世界の軍事費の絶対額は小さいが、世界全体の軍事 出させ、国防のトップにあるシビリアンが軍事的な戦略・戦す。これがまた軍の強化を必要とさせる。この過程で国家と支出に占める比率は急上昇し、軍事クーデター以前に比べ発 展途上国の軍事支出は三 ~ 六倍に増えている。政府予算に占 術計画の策定だけでなく、実動部隊の運用にまで関与するな軍の一体化が進行し、軍部主導型の政治体制が固められてい ど、軍事的領域で重要な役割を果たすようになった。 った。なかには、制度的改革と軍主導型政党の形成などによめる軍事支出の比率は先進国のそれをはるかに超え、それが このような政府機構の変容は「国防国家」、軍を含む全政り、軍事政権的色彩を薄めた国もあるが、実質は軍隊が権力経済発展をゆがめ、累積債務の増大や飢餓状況を造出してい の重要な基盤となっている。 る。膨大な飢餓人口を抱える「飢餓大国」は、アフリカをは 府機構の軍事化と指摘されている。資本主義先進大国では、 はたん こうした軍事化と工業化との相互連動の歴史によって、途じめアジア、中南米に広がっている。 破綻してきた抑止戦略の補完策として重視されだした危機管 理戦略のもとで、この傾向に拍車がかかりつつある。ソ連に上国を離陸しつつある中進国でさえ、ほとんどが、人権や福 このような軍拡の世界構造化は、国連の各種調査報告書そ おいてもほば同様で、共産党の管理下にあるとはいえ、軍の祉よりも、強い国家を目ざす強権的統治体制下にある。 の他で軍事支出が経済に及ばす悪影響が指摘されているにも 政治、外交に占める地位と発一言権は相対的にいっそう強まり〔軍隊と経済〕第二次世界大戦までは、軍事経済は、戦争のかかわらす、軍縮をますます困難にしつつある。一九七〇年 つつある。 ための直接的準備期と戦争中の短期間だけ大きな割合を占め代の国連「軍縮の一〇年」は完全に失敗した。 軍事技術の高度化による軍事力の技術集約型軍事力への変 こうした状況のなかで、文民統制については、その概念をたにすぎず、平時の国民経済ではわずかな割合しか占めてい 拡大発展させ、単に軍隊だけでなく広く軍需産業なども含めなかった。第二次大戦後は政治的、軍事的理由から、平時に質は、軍需産業を変質させ、いまや軍需産業は重化学機械工 た全車事機構に対する国民的統制の必要が論議されるようにおいても膨大な軍隊が保有・整備されるようになったため、業を中心としたものから、先端ミサイル電子部門を軸とした なった。さらに民主主義の根幹にかかわる問題として、こう戦時・平時を問わず軍隊に装備を供給する軍需産業が大規模産業に変わっている。鉄鋼、非鉄金属、自動車、化学など、 かって軍需と密接な関係にあった基幹民需産業は軍需とはと した動きに対し、、ゝ に常備され、軍事経済は日常的存在と化している。それはま し力に個人の自由、人権を守るかが問題と なりつつある。 た軍と大企業との癒着を進行させ、軍産複合体とよばれる近んど無縁の産業となり、軍需関連産業ではなくなっている。 発展途上国では、後進国はもとより中進国といわれる国々代兵器の研究・生産・輸出の維持・拡大に利益を共有する権このため、一九七〇年代のアメリカに顕著にみられたよう さえ、そのはとんどが、政治的性格は異なるが、軍政下か、益集団の形成をもたらした。ソ連でも欧米型とは違うが、軍に、軍事支出を増大し軍需に力を入れれば入れるほど、基幹 もしくは軍の強い影響下に置かれている。 と経済・技術官僚部門を中心とする軍産複合体が形成されて民需産業部門での投資が立ち後れ、巨額の財政赤字を累積さ せながら、基幹民需産業の生産性と国際競争力の低下、失業 各国の軍隊成立の過程はそれそれの歴史的事情によって異 なるが、国家が育成にもっとも力を投入した軍隊は、途上国 戦争抑止戦略は、軍事的優位を維持することによって相手者の増大をもたらす結果となる。同盟国と第三世界にしわ寄 にあっては近代化の早い官僚集団であり、そこには特権階級の侵略的意図を抑止しようとするものであるため、同戦略へせしながら、軍拡経済のもとで経済の一定の活性化を図った 八〇年代のアメリカが ゝ、にもかかわらず対外収支の赤字幅が 以外の社会層出身の優れた分子が吸収された。その結果、車の転換は車拡競争を必然的にした。こうして軍拡競争は、軍 隊が国内統一と独立国の主権を守るため、その政治的比重を産複合体の存在とも相まって、米ソを頂点に止めどなく進行史上最高を記録し続けていることに示されているように、今 増大させるなかで、軍隊内に軍事的エリート集団が成長・発し、さらに軍事技術の発達と高度化が相乗的に作用して、軍日の軍事力と軍需産業の構造的特質は、アメリカでさえ、軍 拡によっては経済の構造的停滞を脱却できないものにしてい 展した。一九六〇年代に入って以降、アジア、アフリカ、ラ事支出は平時にもかかわらず増大一途の傾向にある。一九八 テンアメリカにおいて、相次いでクーデターによる新しいタ〇年代に入って、アメリカの軍事支出の増加率は、朝鮮戦るのである。 〔軍隊と社会〕軍隊と社会の関係について、これまでは、軍 イプの軍事政権が誕生した。国によって政治的性格は異なる争、ベトナム戦争中と同じとなった。 が、その担い手はこれらの軍事的集団である。本格的な国家 肥大化した軍産複合体の圧力は強大かっ多岐にわたって社隊・車人を一般社会から切り離された特別のものとみなし、 建設や近代化の過程で生じた政治的、経済的、社会的、文化会全体に及び、国家財政が大幅な赤字にもかかわらず、他の軍隊は社会から孤立しても戦闘効率を高めるために必要な軍 的な摩擦や衝突、それらを背景とする反乱に対し、彼らは無国家計画を犠牲にしてまで軍事支出の維持・増大が図られて独特の価値観を保持し続けるべきである、軍隊を活力ある組

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段階論とは異なり、その逆に、独立の喪失、西 を待てず、プロイセン改革やイタリアのリソル くに注目されているところであり、たとえば、 な特徴をもっていた。第一に、経済的には、資 ジメントやロシアの農奴解放のような、いわゆ欧とくにイギリスによる植民地化・従属化、そ 本・賃労働関係に基づく生産様式としての資本一九世紀イギリスの近代社会がそのインド支配 してそれに対する抵抗およびそこに生ずる矛盾 主義が支配的となり、それに伴って工業化や都といかなる関係にあったか、という問題がさらる上からの改革によるほかはなかったから、ド もとより、西洋ィッ東部のユンカー経営やイタリア中・南部のである。 に検討されなければならない 市化が進行し、規則的な経済成長が実現される 西欧史においては、近代が封建制の否定、内 月作制度やロシアの雇役制のような、非資本主 ことになる。第二に、社会的には、個人の自由近代社会の構造とその非西洋諸地域に対する支 と平等が承認されることになるが、それは、資配との関連については、なおかならずしも定説義的土地制度を残したまま、農業の犠牲のうえ発的な資本主義の誕生、進歩、富の増大 ( 産業 化 ) 、民主主義、民族国家の独立などを意味す 工業化を強行することになった。こ , っして、 本主義が、労働力という商品をも含めて商品所をみるに至っていない。ただ、少なくとも、わに 有者が相互に平等な立場で自由に商品を交換すれわれは、西洋近代社会を各国別にではなく世西洋近代社会の諸類型は、イギリスからロシアるのに対して、アジア史においては近代とは従 まで、自国の内部にどの程度まで非資本主義的属、後退、貧困の開始などを意味し、それに対 ることを前提としているからである。近代以前 界的な観点から検討すべきであり、その観点 ( 非近代的 ) 要素を内包しているか、その程度する抵抗という主体的な契機を重視する。 には、特権をもった諸身分や地域的・職能的な は、次に述べる西洋近代社会の諸類型の検討に ここから、近代と現代とを区別する考え方が の差として現れてくるが、その差異は、各国が 団体 ( 貴族身分・特権都市・ギルドなど ) が存も生かされなければならない。 在したが、近代では自由かっ平等な個人 ( 市〔近代社会の諸類型〕近代社会の経済的基礎を資本主義的世界体制のなかで占める地位と不可出てくる。中国史の場合でいえば、アヘン戦争 なす資本主義という生産様式は、本来、国境の分の関係にあった。そして、国内を完全に近代から五・四運動まで ( 天四 0 ~ 一九一九 ) 、あるいは 民 ) が社会を構成することになるから、そうし 化しえたイギリスが、実は、アイルランドから最近では新中国の成立 ( 一九四九 ) までを近代と た身分や団体は消滅し、かわって、資本家 ( プ枠を越えて世界的に拡大していく性質をもって ルジョアジー ) と労働者 ( プロレタリアート ) いた。一七世紀後半にいち早く近代社会を成立インドまで広大な支配地における非近代的低開し、解放の主体が形成された以降を現代として という二大階級が社会を区分することになる。 せしめたイギリスは、一八世紀のうちにオラン発状態のうえに国内の近代社会を樹立せしめて区別している。世界との関連においてはロシア いたことを考えるならば、西洋近代社会は、け革命 ( 一九一七 ) を画期として従属諸国の解放が現 近代社会が身分制社会にかわる市民社会であダやフランスをしのいで東西両洋に進出し、そ っして近代一色に塗られているのではなく、国実化し始める時期と考え、それ以降を現代とよ り、プルジョア社会であるといわれるのはその の世界市場制覇を背景として産業革命を遂行し ためである。そこで、第三に、政治的には、自 たから、その他の諸国は、イギリス資本主義に内の近代的要素 ( とくに資本主義的工業 ) と国んでいる。 〔近代の総合的把握の試み〕近代の語義が西欧 由かっ平等な個人の基本的人権を承認して彼ら対抗するためにも、それそれの仕方で自国の社内・国外の非近代的要素との複雑な結合のうえ 史とアジア史などでは大きく異なっており、こ に成り立っていたといえるのであろう。 の意志を政治に反映させるような近代民主主義会の近代化を達成しつつ、イギリスに続いて非 〔近代社会の変質〕一九世紀末の帝国主義時代れらを総合的に把握する理論はまだないといっ が、少なくとも原理的には承認されることにな西洋諸地域に多かれ少なかれ進出していった。 以降、西洋近代社会はしだいに変質を始めるてよい。筆者は次の四つの異なる体制を分類 り、立憲政治・議会政治が樹立されるが、実質こうして、一九世紀後半には、イギリスを頂点 的にはプルジョアジーの政治的支配が行われとし、その他の西洋諸国をその下に置き、従属が、それは、前記のピラミッド状の資本主義的し、その総体を近代と考えてみたい。 る。また、近代以前の身分や団体が消滅した結国や植民地を底辺とする。ヒラミッド状の体制世界体制が変質し解体していくのに伴うもので①資本主義・宗主国イギリス、オランダ、ア 果、国民的統一が完成して近代国民国家が成立が、いわば資本主義的世界体制として成立しあった。とくに、ロシア革命以後、社会主義圏メリカなど し、一元化された国家権力の支配は官僚行政機た。そして、西洋近代社会の諸類型、つまり各が資本主義的世界体制から離脱し、さらに、第②植民地インド、シンガポール、インドネシ 二次世界大戦以後、植民地・従属国が独立するア、アフリカの大部分の国、および南米、カナ 構を通じて行われることになる。そして、以上国の近代社会の類型的差異は、それそれの国が ようになると、それに伴って、西洋諸国の資本ダ、オーストラリアなどの白人の移民植民地 どのような仕方で自国の社会の近代化を達成し のような経済、社会、政治の面での近代化は、 しわゆる大衆社会化状③敗戦条約国 ( 半植民地 ) 中国 いずれも、旧来の伝統や権威にとらわれない科 たかによって決定されると同時に、それそれの主義のあり方も変化し、、 学的・合理的精神によって達成されたものであ国がこの資本主義的世界体制のなかでどのよう況が現れ、福祉国家のもとでの管理社会という④交渉条約国日本、タイ この四つの体制は全体としては一九世紀中葉 ったから、第四に、思想の面での近代社会の特な地位を与えられたかによっても決定されたの新しい状況も生まれつつある。そのような意味 にできあがり、一九四五年にほば全体として崩 で、現代の西洋は近代社会の変質途上にあると 徴は、人間の理性を信頼する科学的合理主義である。 〈遅塚忠躬〉壊する。このうち②③④においては、いすれも い , んよ , っ まず、ピラミッドの頂点にたっ最先進国イギ と、人類の無限の進歩を信じる進歩思想とであ 従属化が近代であり、内発的な変革というより リス ( アイルランドを除く ) は、最先進国なる った。近代科学を生産過程に応用することによ アジア 外圧によって近代が始まった。その従属化の程 って確立した資本主義が規則的な経済成長を実がゆえに、農業を含めた全産業部門を資本主義 〔近代の起点〕近代の起点および特質をどう考度によって三つが区別される。②においては統 化し、国内の近代化をもっとも徹底させること 現しえていた限り、飢餓や疾病から解放された ができた。次に、アメリカ合衆国とフランス えるべきか。アジア史においては、多くの場治権が全面的に①の宗主国によって掌握される 人々は、核戦争や公害の脅威が現れるまで、科 は、イギリスと同様に・フルジョア革命 ( 市民革合、西欧近代との出会い ( 世界史の矛盾 ) に近から、立法・司法・行政の三権のすべてを喪失 学的合理主義と進歩思想とをもち続けることが できたのである。 命 ) によって近代化を達成しえたが、イギリス代の開始を置くことによって、各国史と世界史する。 これに対して③と④は、行政権の一部である に比べて相対的後進国の地位に置かれたがゆえとの統一的理解を求める。中国史ではアヘン戦 なお、以上のような特徴をもっ西洋近代社会 外交権・通商権と司法権の一部が条約によって 、合衆国南部のプランテーションやフランス争 ( 天四 0 ~ 四一 D を、朝鮮史では一八六〇年代ま は、非西洋諸地域に対する西洋の支配のうえに 樹立されており、一六世紀以降の西洋の近代化中・南部の零細土地所有農民のような非資本主たは一八七六年の開国を、インド史では一八世制限される。従来は③と④とは一括して不平等 紀後半のイギリスによる植民地化の開始あたり条約とよばれ、両者の区別があいまいであった 、の過程は、非西洋諸地域の植民地・従属国化お義的要素を国内に抱え込むことになった。そし て、ドイツやイタリアやロシアなどは、さらにを、それそれ近代の起点に置く考え方が一般的が、両者の従属性には決定的な相違がある。③ オよびそこでの低開発状態の進展の過程と表裏一 においては、条約の発生する根拠が戦争であ ん体をなすものであった。この点は、近年、いわ遅れた後進国の地位を与えられ、西欧に対抗しである。ここで含意されているのは、封建制の ぼっ一につ キ、ゆる第三世界の諸問題が重視されるにつれてとて自国を近代化するためには、プルジョア革命否定、資本主義の勃興など西欧史における発展り、敗戦した側には「懲罰」としての賠償金の 2

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生体内でのクロロフィルの合成は、途中のポ 3 から、非常に結晶化しやすいタイプ ( 接着剤を防ぐために、褐色の瓶に入れ冷暗所に保存す 。 CO る。水道水の殺菌の際に塩素を用いると水中の ルフィリン環の生成まではチトクロムなどの呼 用 ) まである。電線被覆、耐熱・耐油性のホー 度 日皿 スやベルト、合成ゴム接着剤の代表としての用有機物 ( フミン質 ) との反応によりクロロホル 吸色素やヘモグロビンと共通の経路で行われ はつがん ン O 定 -4- ′ 0 〈福田和吉〉 途がある。↓合成ゴム ムが生成するので、近年その発癌性が問題とな る。ただし、動物や微生物ではアミノ酸のグリ 9 則〃 レ 0 O O 圏一 〈広田穣〉 っている。 シンとコハク酸がクロロフィル合成の出発物質プ クロロべンゼン chlorobenzene べンゼ じん ロ 率 ル式量 〔医薬用〕歴史的な吸入麻酔薬で、心臓、腎 として用いられ、高等植物ではグルタミン酸が ン置換体の一つ。クロロべンゾールともいう。 ロ ぞう おしんおうと o 子子点点重折 出発物質になるといわれている。植物を暗い所 臟、肝臟を障害するほか、麻酔後の悪心や嘔吐 ク分分融沸比屈 8 で生育させるとクロロフィルが形成されないで も多く、ほかによい吸入麻酔薬が出現したこと 度 2 ークロロー 1 ・ 3 ーフタ 黄白化するが、これは、細胞内でプロトクロロ から現在では麻酔にほとんど使用されず、抽出 ン 5 ^ 0 フィルの状態で存在し、これがクロロフィルに ジェンという。揮発性ゼ 用溶媒や分析試薬として用いられるにすぎな ℃囲定 とうつ・つ ワ」・ 4 ・ワ 11 ・ " リ ン 0 1 転換する過程が光に依存するためである。針葉 の無色液体。工業的製 い。なお、イギリスでは癌性疼痛の緩和用に使 べ ロ 樹の幼植物は暗所で育てた場合も緑色になる われるコカイン・モルヒネ混液 C フロンプトン 9 法としては、プタジェ 式量 率 子子点点重折 が、この植物では暗所でもクロロフィルを合成 ミクスチャー ) にクロロホルム水として使用さ ンから合成する方法 十 分分融沸比屈 〈幸保文治〉 れている。 する酵素系が存在しているためである。 0 と、アセチレンから合 薬用にするクロロフィリンは、クロロフィル 去 z 成する方法があるが、 独特のにおいのする無色の液体。鉄片、塩化鉄クロロマイセチン 0 クロラムフェニコ 十 、レ ン を温和な条件でアルカリ加水分解したもので、 + 後者は現在では行われを触媒として塩素によりべンゼンの水素原子一 工 ハロアル 水によく溶ける暗緑色の結晶性粉末として得ら ていない。プタジェン個を塩素原子で置換することにより合成する。クロロメタン chloromethane ン O O れる。普通、銅または鉄クロロフィリン製剤あタ 0 法では、、、フタジェンを置換塩素化がさらに進むとジクロロ。ヘンゼンもカン ( ハロゲン化アルキル ) の一つ。メタンの るいはカリウム塩として用いる。造血薬として 三〇〇度 0 で塩素化し生成するが、冷やすと結晶化するので除くこと 水素原子一個を塩素原子で置換したもの。塩化 力しし - っ 貧血に利用するほか、切り傷、火傷、潰瘍、皮法 たのち銅塩触媒により ができる。銅を触媒として高温・高圧でアンモ 膚炎などに内外用する。組織細胞に対して成長 異生化させて得た 3 ・ ニアと反応させるとアニリンを生成し、水酸化 の o 促進作用があるため、傷口の清浄化、肉芽の増 4 ージクロロー 1 ープテナトリウムと反応させるとフェノールとなる。 ℃℃度 ワ (. 0 生、表皮の形成を促進する。毒性ははとんど認 ンを、水酸化ナトリウ多くの有機薬品、主要な染料中間体の原料とし 温。 3 5 7 3 0 定 められない。 このはか、歯みがきの着色料や防 ム水溶液で脱塩化水素て用いられるほか、溶媒としても利用されてい 則〃 タ・ 9 2 0 ロ 0 5 〈吉田精一〉 〈谷利陸平〉 臭、脱臭にも広く用いられる。 することにより製造する。 メ る。 クロロフェノー ル chlorophenol フェ クロロホルム chloroform 脂肪族塩素ロ式量 ロ子子点点重振 ノールの一つ。フェノールのべンゼン環に結合 光、熱、酸素により容易に重合する。乳化重化合物の一種で、トリクロロメタンともいう。 ク分分融沸比屈 している水素一個を塩素で置換したもの。置換合して得た重合体は耐熱性、耐薬品性、耐老化 ォルト C) 6 位置により三種の異性体がある。。体は無色液性、難燃性をもち、ネオプレンの商品名で知ら メチルともいう。常温・常圧で無色気体。圧縮 れる合成ゴムとして利用され、またゴム系接着 すると液化する。工業的には、塩素によりメタ レ 日皿 尸 0 、、イ 5 0 0 〈谷利陸平〉 剤としても用いられている。 ンの水素原子一個を三五〇 ~ 四〇〇度 0 で塩素 O ℃ & ム 3 囲定 ワっ 0 t'•-—、 1 11 レ 則〃 5 っ 0 -4 ・ 11 ワ」ワ 3 原子と置換する方法か、塩化亜鉛触媒下一二〇 クロロ。フレンコム chloroprene rubber 工 O クロロプレンを原料として過硫酸カリウムなど 一五〇度 0 で塩化水素によりメタノール ( メ 1 0 襯力。襯カ フ 0 率 ロ o 子点点重折 ロ チルアルコール ) を塩素化する方法により製造 のラジカル開始剤を用いた乳化重合によって製 式量 ク 分融沸比屈 子子点 する。冷凍機の冷媒、低温での溶媒、種々の有 造され、トランスー 1 ・ 4 結合八〇 % 以上を含む ク 分分融 ポリクロロプレンからなる合成ゴムである。 O エタノール ( エチルアルコール ) とさらし粉と機化合物にメチル基 -CH3 を導入するメチル メタ 体、供力体は無色固体。いずれも、対応する と略称。アメリカのデュポン社の商品名ネオの反応、アセトンと次亜塩素酸カルシウムとの化剤として用いられる。有害である。〈谷利陸平〉 クロロアニリンをジアゾ化したあと加水分解しプレンが一般に知られている。酸化マグネシウ反応によって得られるが、工業的にはメタンのクロワッサン croissant 発酵生地に 合成する。力体はフェノールを塩化スルフリル ムや酸化亜鉛 ( 亜鉛華 ) などの金属酸化物によ塩素化により合成している。甘い芳香をもっ無 ハターを畳み込んだものを、のして三角形に切 により塩素化しても合成できる。いずれも弱い って加硫し、ゴム製品とする。天然ゴムや色の液体で揮発性がある。液体のクロロホルムり、底辺から巻き上げて三日月形に整形して焼 はんよう いたパン。プリオッシュ ( バターと卵を等量に 酸性を示し、アルカリ水溶液には塩となって溶などの汎用ゴムでは得がたい特性をもった準は不燃性であるが、蒸気は燃える。空気中で光 ける。カークロロフェノールは殺菌消毒剤とな汎用特殊ゴムである。耐候性、耐オゾン性、耐により徐々に分解して猛毒なホスゲン COC12 たくさん混入した。ハン ) と並んで、バターのお いしさを仕込んだフランスのパンの代表であ り、また硫酸存在下で無水フタル酸と反応させ熱老化性、耐油性、耐薬品性などが優れ、難燃を生成する。 2CHC13 十 30 ー↓ H20 + 2COC12 十 C12 つることによりアントラキノン系染料中間体キ一一性であり、ゴム糊としたときの接着力が強い。 る。一七世紀末、オーストリアのウィーンに侵 わザリンの合成に用いられる。 〈谷利陸平〉また、トランスー 1 ・ 4 結合が多いため結晶化し この反応はエタノールにより防止できるので、 入したトルコ軍を撃退したとき、これに協力し っクロロプレン chlorop 「 ene ハロアルケやすい。結晶化のしやすさは重合条件によって市販のクロロホルムには通常〇・五 ~ 一 % のエた製パン業者の功績を記念して、トルコの国章 の三日月をかたどってつくられたのが始まり ン ( ハロゲン化アルケニル ) の一つ。正しくは変化し、常温ではほとんど結晶化しないタイプタノールが添加されている。光による酸化分解 点 鴛 , 0 773

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よ糧獲得の重要な手段となるのは、ヨーロッパでてゆき、加工面でも土佐節とよばれるかつお節 の製法が考案され、カツォ一本釣り漁業も盛ん も旧石器時代後の中石器時代に入ってからのこ ひび になった。また篌を用いたカキやノリの養殖が とであるとみられ、日本においても縄文時代に よ なってからといわれる。日本の貝塚を構成する広島湾、江戸の浅草で始まった。乾海参、乾 あわびふかひれ しん 貝類も、地域、年代により異なるが、ハマグ鮑、鱶鰭の三品をはじめ水産物の清国への輸 アサリ、カキ、ハイガイなど多様であり、 出が、長崎から行われるようになったのもこの 河口などではシジミ主体の貝塚も発見されてい 時代であった。このような漁業の発展は、一方 る。貝塚や低地遺跡からはスズキ、クロダイ、 で各地の漁村や漁業者間で漁場利用をめぐる紛 移 マダイ、マグロ、サメなど多種の魚骨やイル争を引き起こした。幕府は一七四二年 ( 寛保 いそっきねつき 力、アシカの骨も出土しており、縄文時代に、 量類 一 l) に、磯付根付の魚貝藻類は地元漁村の占有の 今日われわれが食用とする沿岸性の水産資源のとし、沖合いでの操業は勝手とする海面利用の量獲シ類類ロ 漁ワラバグ ほとんどの種類を利用するに至ったとみられ原則となる御触書を出すが、これによっても漁産 総イタサマ もり る。漁具、漁法としては、弓矢、やす、銛、法、漁業の発展につれて紛争は後を断たなかっ つりは 2 り 鉤、網が用いられ、網以外の漁具の素材は、 た。こうしたなかで日本漁業は幕末には、無動種 石、鹿の角、獣・魚骨、竹・木などであった。力の小型漁船を使用する沿岸漁業としては限界魚 他 網の素材には植物繊維が用いられたものとみら に達する生産力的発展を遂げたのである。 の そ れるが、どのような漁網が用いられたかは明ら 漁業は世界各地で中石器時代以降多様な発展 業業業 立ロ かではない。 を遂げてきたが、すでに『旧約聖書』にも釣り 業 洋合岸殖 古代・中世にかけて漁具、漁法の発展が徐々および網漁業の記述がみいだされる。その網の 漁遠沖沿養 に遂げられてくる。骨角製の鉤、銛から鉄製の形状は明らかではないが、素材としては麻が用本 いられており、小型の地引網であったとみられ日 それに変わり、舟を利用した魚貝藻類の採取活 動の範囲は広がり、塩蔵、乾燥等の加工、保存ている。ヨーロッパにおいて漁業が盛んになる 業 技術もくふうされてくるが、なお漁網の発達はのは近世初頭からで、その主要な漁業の一つは 漁 ニシン漁業であった。ニシン漁には麻製の流し 十分ではなかった。しかし、日本では中世末に は地引網が広く使用されるよ , つになり、地域に 刺網が用いられ、塩蔵、薫製、酢漬けなどの加 よっては手繰網が用いられてきた。網の素材はエ技術の発展によって市場が拡大され、漁船、 かずらふじわらなわ トロール漁業が最初に試みられたのは一八七八 るものであり、素材も麻から綿へと転換した。 漁網の規模も徐々に大きくなっていく。延縄に 葛、藤、藁縄であったとみられる。 しなやかで精巧な綿網は漁獲能力を大きく向上年イギリスにおいてであり、これはヨーロッパ 近世に入ると漁業は急速な発達をみた。江戸よるタラ漁も盛んになり、タラは塩蔵、乾燥加 させ、漁網の商品化を促進した。規模の大きな各国に急速に普及した。漁船の動力化、高馬力 幕府の成立によって関東の沿岸各地に漁業がお工されて販路を拡大し、また一八世紀後半から 化、大型化は遠洋出漁を可能とし、一九世紀末 漁網を用いるには漁船も大型化しなければなら こり、江戸中期以降には東北、北海道沿岸の漁帆船によるトロール漁業も広まってくる。 。しかし、一八世紀、また一九世紀前半に には航海日数が三週間に及ぶものが現れた。こ なおオランダのグロテイウスは、大航海時代ない 業も盛んになった。こうした漁業の発達の要因 としては、城下町など都市における魚貝類の食を迎え、またバルト海、北海における漁業の発おいてもスコットランドのニシン漁業では、廡の長期の航海において漁獲物の腐敗を防ぐには 大量の氷を必要とするが、それを可能としたの 料としての需要ばかりではなく、魚類を肥料と展を背景にして、一六〇九年「海洋自由論』を港施設が整っていなかったために、漁船を浜に 公刊して、公海自由の原則を唱えた。一国の領 引き揚げなければならなかった。それによっては製氷技術の開発であった。トロール漁法は漏 して用いるという農業面からの需要が増大した こともあげられる。これらの需要が相まって魚土とみなされる領海の範囲外を公海と規定し漁船の大型化が制約されたばかりか、短いニシ斗状の袋網を船で引いて漁獲するものである うおいちば が、網口を開くには長い丸太を用いており、そ 類の商品化を促したのである。魚市場が江戸のて、そこにおける航海、漁業等海面利用を自由ン漁期に、少しでも天候が悪いと出漁すること のような網では丸太の長さによって網の大きさ としたのである。この原則はイギリスをはじめさえできなかったのである。また、大型漁船の 日本橋に幕府の許可を得て開設されるのが一六 一〇年 ( 慶長一五 ) であり、魚問屋は京都・大とする大国にとって有利な理論であり、歴史的入港しうる港では、漁船数の増加から、漁獲物も制限されることになる。その網口を改良した 坂をはじめ各地に成立してくる。肥料にはモには一九七〇年代後半までの海洋利用秩序の基水揚げに長時間待たなければならない状態であオッター・トロールは一八八五年にイギリスで こしん った。漁業生産と流通の結節点の役割を果たす試みられ、その改良が各国で進められ、一八九 鰯、干等が用いられ、これの漁獲のために大本となった。 だいまう 規模な地引網あるいは敷網、大課網などの定置〔近代漁業の展開〕産業革命の進展につれて、漁港の修築は水産業発展の鍵であった。一九世五年にデンマーク船で成功を収めた。これによ 紀には、おもに政府・地方自治体からの補助金り網の大規模化が可能となると同時に、その網 網の発達が促された。網の素材も、江戸中期以漁業生産も飛躍的な発展を遂げてくる。まず漁 によって、ときには漁業関連者、鉄道業者等のを汽船動力を用いて引き揚げる揚網機も開発さ 降には藁縄にかわって細くて強い麻糸が各種の業の発展は、その主要な生産用具である漁網の 網や定置の袋網に使用されるようになった。対需要を増大させた。一七七八年にイギリスで編出資によって漁港修築がヨーロッパ各地で進めれ、トロール漁業における機械化大量生産技術 られてくるのである。 が確立する。群をつくって回遊するイワシ等の 象魚類の習性に応じた精巧な漁網が各地で考案網機械の特許が取得されたが、実用に耐えうる 綿網の使用と並んで漁業生産を革新したのが魚類に対しては、大きな網で魚群を取り囲んで 編網機が開発されるのは一八三五年のことであ され、漁網の種類も増加した。一七世紀後半に は網取り法による捕鯨業がおこって盛況を呈しる。この機械化は近代綿工業の発展を基礎とす漁船の動力化とそれによる大型化である。汽船漁獲する旋網漁法がアメリカで発展した。さら 800 700 600 500 400 300 200 1 980 年 1970 1960 1950 1 9 1 0 1 930 1940 1900 1920 注 : 農林水産省「漁業養殖業生産統計年報』 ( 1984 年版 ) による

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きんこう 銀行行動理論 せいがくイ ~ い 資本主義経済の初期においては市場機構が円以政学斎。一八八〇年修信使として来日、中国 D8 一一主Ⅱ圧滝 A ー主 行動をとるのではなく、預金シェアの維持ない こうじゅんけん し貸出高極大化行動をとるとする説や、横並び滑に作用し、価格の自動調整機能により完全雇人黄遵憲の『朝鮮策略』を朝鮮に紹介して開 で示される。貸出収入とは、貸出額と貸出金利 ヒ政策を主張し、複雑な国際情勢のなかで、 〈村本孜〉用の維持・達成ができ、政府の介入をとくに必イ との積で示され、預金費用は預金額と預金金利意識を強調する説などもある。 じんご 、いもつほ の積と固定費用 ( 経費、税金など ) の和として回鈴木淑夫著『金融』 ( 日経文庫 ) ▽呉文二著要としなかった。このような状況下では、財政二年の壬午軍乱後の済物浦条約の締結などに優 『金融政策』 ( 一九七三・東洋経済新報社 ) ▽山の役割は資源の効率的配分と所得の再分配に限れた外交手腕を発揮した。九四年甲午農民戦 示される。したがって、通常の企業理論の場合 につしん 下邦男・石黒直文・村本孜著『銀行論』 ( 一九定され、積極的に黒字ないし赤字財政で経済の争、日清戦争が勃発し、朝弉への日本の影響力 と同じように、銀行の利潤極大条件を求めるこ 安定を図る必要はなく、逆に予算は収支均衡すが強まると、日本に依拠して内閣を組織し、自 とが可能となる。たとえば、図のように収入曲 七五・青林書院新社 ) 線を ( 上に凸なのは、貸出量が多くなると貸銀行国有化ぎんこうこくゆうか銀行の資本べきであると考えられた。これが古典派的「均ら総理大臣として急進的改革である甲午改革を 倒れの危険が増すため ) 、費用曲線をとすれ金の全額を政府の所有に移すこと。この場合、衡予算の原則」である。均衡予算を維持する限行った。しかし、断髪令施行や、九五年の日本 びんひ による閔妃殺害を契機に民心を失い、九六年、 ば、点で利潤は極大となる。 政府がその銀行の経営まで行えば銀行の国営化 り、租税の徴収額がコストになり、非効率な資 ロシアの勢力が増大して、国王高宗がロシア公 これに対して、古典的な信用創造理論も銀行ということになる。しかし、銀行国有化という源移転を阻止する制約となる。この均衡予算の の貸出行動についての理論であり、銀行行動を場合には通常、銀行を政府が所有するが、経営原則が崩れると、浪費的な経費の増大、公債の使館に移り親ロシア内閣が成立すると、失脚し 説明する。単純化すると、支払準備率を气本については政府が直接行わず、しかるべき機関累積に基づく後世負担の発生、財政の硬直化、捕らえられ惨殺された。著書に『以政学斎日 〈山内弘一〉 にゆだねる形をいう。社会主義国の多くの銀行インフレーションおよびクラウディング・アウ録』がある。 源的預金 ( 現金預け入れによる預金 ) をと すれば貸出んは、 や資本主義国の政府金融機関は国有化されたう ト ( 民間資金需要の締め出し ) の懸念という弊銀行主義ぎんこうしゆき banking princi ・ ple 一八三〇 ~ 四〇年代にイギリスで行われ えで国営でもある。 害が発生することになる。 ところが資本主義経済が発達して、価格や賃た通貨論争に際して通貨主義と対立した考え 銀行国有化の典型とされるのは、イギリスの 方。トウック、フラートン、ウイルソン、ニュ 金に硬直性が発生し市場機構が有効に働かなく で示される。これは銀行の貸出可能額を示すも労働党政府による中央銀行であるイングランド ーマーチらによって主張された。銀行券の手形 のである。 なると、完全雇用均衡は自動的には達成できな 銀行の国有化 ( 一九四六 ) と、フランスの共産党・ くなった。そこで均衡予算の原則にかわり、景性を認識しつつ、通貨の量は物価の状態によっ また、貸し手分析 ( アベイラビリティ理論 ) 、社会党・人民共和派の連立政権による中央銀行 資産選択理論による銀行行動分析もある。資産であるフランス銀行およびソシェテ・ジェネ一フ気の状態に応じて積極的に赤字・黒字予算を採て左右されると考え、発券規制は有害無益と説 〈鈴木芳徳〉 いた。↓通貨論争 用するケインズ的「裁量的財政政策」が支持さ 選択理論によれば、銀行の資産保有行動につい ルなど四大預金銀行の国有化 ( 一九四五 ) である。 きんこうしよう金を採掘の対象とし、 ての説明が与えられ、安全資産 ( 現金、預け金イギリスの場合は、イングランド銀行の全株式れるようになった。 金鉱床 しかし財政を安定政策に用いる場合、経済的金鉱石を産する鉱床。地殻中に金は〇・〇〇四 など ) と収益資産 ( 貸出、有価証券投資 ) とのを政府の所有とし、総裁以下の役員を国王が任 組合せ、さらに収益資産の組合せについても、命するほか、大蔵省は同行総裁と協議のうえ公有効性に関してだけでなく、それが民主主義的含まれ、金のみを採掘対象とする鉱山の 収益率と危険度の観点から種々の保有形態を説共の利益のために必要と考える指令を同行に与議会制度の下で行われると、財政赤字、インフ金品位は一〇程度である。金の鉱石鉱物 はほとんどが自然金である。金の熱水鉱床は、 明することができる。 えることができる。フランスの場合も、フラン レーション、政府部門の膨張につながるという これらの理論に基づいて、わが国の銀行行動ス銀行および四大預金銀行の株式を全額政府所再批判がある。つまり、人々は赤字予算によっ石英を主に、方解石、氷長石、粘土鉱物などを についても多くの分析が行われている。たとえ有とし、主要な役員は政府任命となった。まて直接的に利益を得る一方、政治家は代表議会脈石鉱物とする鉱脈、あるいは火山岩を交代し よしお ば鈴木淑夫は図の考え方を用い、都市銀行とそた、銀行監督委員会が設けられ、以前の株主総制度の下で投票の最大化を求めて行動するためた鉱床で、しばしば銀鉱物を伴う。金は斑岩銅 の他の銀行について利潤が極大となる点を求め会の権限を行使している。なお、四大預金銀行黒字予算を拒み、結局国全体としては赤字予算鉱床や黒鉱鉱床の副産物としても回収される。 ている。また、わが国の銀行は単に利潤極大化 は、国有化されていない他の大銀行と同じく利 に偏った財政連営とならざるをえない。また赤これらの初生鉱床が風化、流出し、自然金が河 たいせき 川や海峡に堆積した漂砂鉱床からは、砂金とし 潤追求の経営を行って互いに競争しており、こ字予算は人々に財政錯覚をもたらし、公共財の 預れらの銀行の債務については、政府は普通の株価格を低下させ、政府部門を拡大させる傾向がて採掘される。南アフリカ共和国のウイトワ れき ーテルスランド地方に分布する含金礫岩は、先 主のように保有する株式の限度までしか責任をある。その結果、最近では「均衡予算の原則」 出 カン・フリア時代の漂砂鉱床である。一九八〇年 がふたたび見直されつつある。↓財政政策 貸負わない。 の全世界の金の産出量は一二〇〇トンで、そのう ちなみに、わが国の中央銀行である日本銀行赤字財政↓フィスカル・ポリシー〈藤野次雄〉 においては、政府はその株式の五五 % を所有し金甲山きんこうざん岡山県南部、児島半島ち五六 % にあたる六七〇ト、一が南アフリカ共和国 ているにすぎないが、役員の任免権、監督権、の光南台山塊の主峰。標高四〇三。瀬戸内海で採掘された。日本では約〇・三 % の四トンが採 国立公園に含まれ、瀬戸内海、児島湾干拓地、掘されている。↓金↓漂砂鉱床 ^ 正路徹也〉 必要な業務の施行を命ずる権限などをもってい ることなどからみて、実質的には国有化されて岡山市を望む絶好の展望台。山頂には、銀鉱床ぎんこうしよう銀を採掘の対象とし、 しるといえよ、つ。 〈原司郎〉山陽放送、岡山放送などのテレビ中継塔があ銀鉱石を産する鉱床。銀鉱床の鉱石鉱物は自然 ぜい きんこうざいせい中央政府や地方り、岡山、玉野両市からドライプウェーが通じ銀輝銀鉱が主で、脆銀鉱、濃紅銀鉱なども産す 均衡財政 りよう 〈由比浜省吾〉る。脈石鉱物は石英、方解石、菱マンガン鉱、 政府の予算において、経常収入 ( 租税、印紙収る。↓光南台 はちはま 粘土鉱物などである。自然金が共存する場合が 入など ) が経常支出 ( 最終消費支出、移転支出地〕二万五千分の一地形図「八浜」 きんこうしゅう ( 天四一一ー九六 ) 朝鮮、多く、これらは金銀鉱脈として採掘される。銀 3 など ) と、換言すれば政府貯蓄が政府投資と、金弘集 りちょ - っ 相等しい状態をいう。 李朝末期、開化派の政治家。初名は宏集。号はあるいは金銀鉱脈は、下部で鉛・亜鉛鉱脈に移四 収入・費用 利潤 O ばつばっ

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高めた弾丸が実用化し、砲兵は一九世紀初頭の に応用されて軍備競争が激化し、人類の生存さ 相互に与えるものである。「日米相互協力及び争の理論をも提起している。これがエンゲル もうたくと - っ 安全保障条約」も、このような共同措置を定めス、レーニン、さらに毛沢東の人民戦争論などえ脅かしていることにある。軍事技術開発は現ナポレオン戦争時には、フランス軍によってき ている。第二次世界大戦後は、平時から同盟 に吸収され発展させられている。クラウゼウィ在では、米ソを中心に世界の全研究開発費の約わめて効果的に使われる。 大砲の登場は、一四世紀には一方では鉄砲 国、友好国に対し兵器装備、軍用技術、軍事顧 ツツは軍事学の対象には、戦闘手段の建設とそ四〇 % 、科学技術者の約二五 % を吸収し、レー 問団を提供することが多くなった。米ソ冷戦激の運用 ( 用兵 ) の二つの部門があると考え、 ザーなど新しい物理学原理を応用した新兵器の ( 小銃 ) の発達を促している。最初は砲を小型 化したもので、ハンド・ガン ( 手砲 ) などとよ 化のなかでアメリカは一九四八年、西ヨーロッ 『戦争論』では主として用兵について述べてい 研究開発それ自体が、大国間のヘゲモニー争い ばれ、操作に二人を要したが、一六世紀には撃 ハ諸国に対するマーシャル・プランによる復興る。この用兵理論を兵学とよび、軍事学の「表のますます大きな手段になっているだけでな 援助を始めた。続いて五一年には相互安全保障 芸」とするものが多い。軍人とくに高級将校でく、第三世界向けの武器輸出にも拍車をかけ発装置をもっ火縄銃がつくられる。火縄銃で 法 Mutual Security Act を定め、軍事援助 にある指揮官にとっては、作戦用兵が表芸となるて、世界の安全保障を著しく損なっている。現は、銃身の横に導火孔があって、火縄に点火す 重点を移した。日米間にも五四年相互防衛援助からである。 代の軍事技術は、平和目的の技術とますます区ると、火が導火孔を伝わって薬包を発火させ しにくくなっているのも特徴である。 て、弾丸を発射する。 協定が結ばれ、六〇年代まで五七六四億円の無 だが生産力と兵器の発達は、戦争の規模を広別 たわがしま 軍事技術は大別して、攻撃・防御の兵器その 火縄銃は一五四三年 ( 天文一一 l) には種子島 償援助が提供され、防衛力増強を促進した。六げ激しさを強めてきた。第一次、第二次の世界 に伝わり、戦国時代後半の戦いに大きな変化を 一一年以降アメリカは先進国に対する無償援助を大戦は、国家の全力をあげて戦う総力戦となっ ものに関する技術と、戦術、戦略、情報、通信 など、兵器を運用するための技術に分けられもたらしている。織田信長の戦国統一も、銃砲 打ち切り、有償軍事援助に切り替えた。ここから軍事学の対象は、戦闘手段の建設 た。七〇年代になると第三世界に対しても ( 軍政 ) はもちろん、国家総動員など、政治、 る。前者も弾頭とその運搬手段に分けられるの優位の結果とされる。 が、現代では弾頭の大型化というよりむしろ連〔近代兵器の発達〕軍事技術は、一八世紀から を中心とするに至った。ソ連も同様に兵器輸経済、文化などの領域にまで拡大された。第二 出を重点としながら、その呼び水として軍事援次大戦で核兵器が出現し、それが運搬手段とし搬手段が高性能化して、軍事的安定を損なっての産業革命によっては直接の影響は受けなかっ 助を活用し、対外援助総額の四分の三を軍事にてのミサイルと結合するに至って軍事学は新た いるのが特徴である。その例としてミサイルのた。産業革命の原動力になったのは動力技術で 振り向けている。 ( 多弾頭誘導弾 ) 化による「核先制攻あったし、当時の西欧がことのほか平和であっ 〈藤井治夫〉な段階を迎えた。一方では多様な核戦略理論の たためである。しかし一九世紀の中期には、科 ぐんじがく military science 軍事展開にみられるように、軍事学は最高の発展段撃症候群」がある。 軍事学 を対象とする科学をいう。武力闘争とその遂行階に到達した。だが他方では、戦争をなくすこ 〔軍事技術の歴史〕軍事技術の歴史は古く、石学技術の発展の加速化に伴って、兵器、とくに 手段 ( 軍隊と兵器、軍需産業など ) をめぐる法とを目ざす軍事研究が広がり、平和学として確器、銅器、鉄器時代にさかのばり、そのそれぞ運搬手段が急速な発達を遂げるようになる。火 おのやり 則性の解明を課題とする。その領域は自然科立されるに至った。↓戦争論 〈藤井治夫〉れで斧や槍、刀剣類がつくられたが、それと並砲は、アメリカの南北戦争時には、内部に旋条 militant ぐんじがたしやかい んで注目されるのが、投石に始まって、早い時を施して精度を高め、射程を伸ばしたものに変 学、社会科学、哲学などに広がり、総合性をも軍事型社会 っ学問になってきている。科学としての軍事 type of society イギリスの社会学者・ス期に弓矢などの飛び道具 ( ミサイル ) が現れてわり、一八八〇年代には高性能爆薬の いることである。紀元前数世紀には早くも石弓導入で、殺傷力がさらに高まる。火砲はその後 学が出現したのは一九世紀初めである。戦略ペンサーの用語。彼は、社会を支配的な社会活 strategy という語がギリシア語の strategus 動の差異に従って軍事型社会と産業型社会 in- や動力投石機がつくられている。有名な万里のは、無反動化などによって軽量化され、一方で ( 将軍の術策 ) から出たといわれるように、 dustrial type of society に類別し、前者から長城の構築で知られる中国では、その後一一世は機関銃も実用化される。重砲の射程は、二〇 八世紀までは謀略偽計が戦略の中心であった。 後者への進化を説いた。軍事型社会の典型は原紀ごろになって火薬が発明され、焼夷兵器や、世紀初めには二〇ないし三〇キ。メートルに達し かせん ている。 いまでいうロケットの火箭に応用されている。 だがプロイセンの軍人クラウゼウィッツ ( 一大 0 始社会にあるとされ、それは自給自足的な社 興味が深いのは、中世に入って少なくとも最〔第一次世界大戦〕軍事技術は二度にわたる大 一盒一 ) によって、戦争に科学の光があてられ会、外部社会とは不断に攻撃・防衛の関係に置 た。その主著『戦争論』 (l<lllll) は、戦争の性 かれた社会であるから、軍事的活動が支配的初は、この種の攻撃的な軍事技術思想が後退戦で非常な発展を遂げ、戦争の性格を基本的に 質と用兵 ( 戦略・戦術 ) の理論を体系化し、今で、それが政治的統制をも絶対化する。すなわし、あるいは放棄されたことである。戦略や戦変えるとともに、その他の技術革新に対しても 術も、それまでのような大軍を使うやり方から大きな刺激を与えている。第一次世界大戦で 日に至るまで大きな影響を与えている。クラウち、対内的規律は「強制的協同」であり、公的 ゼウィッツと同時代のジョミ一一 ( ロシア軍陸軍組織が全体を支配し、私的組織は排除され、全転じて、専守防衛的な封建領主の城郭や少数のは、西部戦線で手詰まりを突破するのに初めて 大将 ) は、軍隊の運用、とくに戦術論を追究し体の諸権利がすべてであって、成員の私的な諸騎士によるものに変わっている。この戦術、戦戦車が使われ、海では巨砲を搭載した戦艦が覇 を競い始める。第一次大戦ではまた、初歩的な た。一九世紀末にはアメリカ海軍軍人であった権利はすべて無である。それは、個々の有機体略も、のちに火砲が現れて崩壊するが、中世に がら航空機が偵察や空戦、爆撃に投入され、内 マハンの『海上権力史論』 The 7 ミミ ce 。、が主要な神経中枢に支配されているように、個入って攻撃的な技術が後退したことは、軍縮と Sea PO ミ e 、 0 ミ、 00 7660 ~ 7 783 ( 天 いう点で興味深い 燃機関を使った潜水艦も登場して、ドイツの潜 人は社会に服従するものとされ、動物有機体に 九 0 ) が発表された。これは、アメリカ海軍の建近い。その対極に、より進化した産業型社会が 〔火砲の登場〕一三世紀中期にはヨーロッパで水艦が連合軍の艦船に対して海上破壊を展開し も火薬がつくられるようになり、それが中世のている。 設と海外に向けての運用に理論的基礎を与えた置かれ、ここでは諸個人の「自発的協同」、私 第一次大戦はまた「化学者の戦争」ともいわ もので、その後、他の帝国主義諸国の海軍によ的組織の復権、国家による個人の権利の擁護と重要な技術革新である鋳造技術の発達と相まっ れ、いまでいう化学兵器の毒ガスも初めて使わ いう「超有機体」の社会となる。↓産業型社会て一四世紀前半の大砲の発明へと導いている。 っても取り入れられた。 〈田原音和〉 ↓社会発展段階説 キ、資本主義の成長期に生まれたクラウゼウィッ 最初は鉄や青銅で鋳造した砲身から鉄や石の弾れている。化学兵器は一九二五年に「ジュネー ぐんじぎじゅっ軍備や兵器の開丸を撃ち出したわけで、砲は一四一五年にイギ。フ議定書」で禁止されたにもかかわらす、その じツの理論は、マルクス主義の軍事学にも多大の軍事技術 後もしばしば使われ、いまでは二元神経ガスさ リスで初めて城壁を攻撃するのに使われてい ん影響を与えた。「戦争論』は攻撃と防御を弁証発、使用、戦争遂行のための技術。現代の中心 み、法的に統一してとらえ、また人民武装、人民戦的問題の一つは、科学技術が組織的に破壊目的る。一六世紀には内部に火薬を詰めて破壊力をえつくられている。

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では、近代化はより望ましい状態、より価値あの代で、甲斐 ( 山梨県 ) の猿橋や中国の『西湖し、わが国では、第二次世界大戦後のおおよそマルクス経済学者で占められる結果となった。 しかし、少数派ではあったが、非マルクス系の る状態への進歩または発展として産業主義の立志』の六橋にヒントを得て、創案されたといわ一九五〇年代のなかばごろに、近代経済学とい 場から評イ 襾され、肯定されてきたといってよれる。橋の長さは橋面に沿って二一〇、幅五う語の特殊な用語法が定着した。すなわち、経済学の体系的研究は、とりわけワルラスの経 やすま 、橋台の高さ五で、木材を組み合わせ、巻「一八七〇年代初頭におこった限界革命から今済学を中心に、高田保馬、中山伊知郎、安井琢 。このような立場は、第二次世界大戦後の国 き金とかすがいのほか一本の釘も使わず、力学日に至るまでの、歴史学派と制度学派とを除磨らによってしだいに進められていた。戦後開 際情勢 ( 社会主義と資本主義の冷戦と平和共 花する近代経済学の基礎は、少なくとも昭和初 く、非マルクス系の経済学ほば全体を、一口に 存、南北問題とくに発展途上地域の開発問題、的にも優れた構造をもっ美しい橋である。武家 にしみ 日本の急激な近代化の成功など ) を背景に、資屋敷のある横山と城下町の錦見を結ぶ城門橋で近代経済学と呼ぶ」 ( 早坂忠「『近代経済学』と期には、ひそかに培われていたのである。 戦時下には、神がかり的な国粋主義経済学が は何か」 ) のである。 本主義体制の擁護とへゲモニーの維持を目ざすあった。二〇年置きに架け替えられていたが、 ちょ、つりよう 跳梁した。戦後、近代経済学のもとに結集し 今日、近代経済学のこの特殊な用語法は、 一九五〇年 ( 昭和二五 ) のキジア台風の大洪水 世界戦略の一環として、新たな装いのもとに登 で流失し、現在の橋は五三年に再建された。復「近経」という略称で親しまれ、「近経」と「マた経済学者たちが抱いた理念は、イデオロギー 場してきた。これが近代化論である。それは、 戦後のアメリカ ( 西側諸国 ) の世界戦略を理論原された横山城天守閣や錦川の鵜飼とともに山ル経」 ( マルクス系の経済学の略称 ) という一一や怪しげな形而上学から自由な、経験科学とし 口県の代表的観光地。↓岩国 ( 市 ) 〈三浦肇〉つの経済学の観念は、大学の経済学のカリキュての経済学のそれであった。 的、実践的に正当づける目的で編み出された社 戦後、「近代経済学」という語の普及に、杉 ぶんがく ラムに二つの講義を併置するという形で、また 会変動論の一種であり、産業主義の論理と社会近代ギリシア文学きんだいーー 本栄一のベストセラー『近代経済学の解明』 一四五三年のビザンティン帝国の崩壊から現代学会も二つの学会が設立されるという形で、 発展論に立脚し、社会主義国家群の形成と第三 ( 一九五 0 ) は大いに貢献した。しかし、皮肉なこ わば制度化されている。 に至るギリシア語を用いた文学。 世界の台頭に即応して従来の西欧中心主義的歴 もっとも、このたぐいの先駆というべきものとに、杉本の定義した「近代経済学」は、「古 オスマン帝国支配の時代 ( 一四五三 ~ 史観に若干の修正を加え、かっ唯物史観に挑戦 して社会主義に対抗しようとする新型の理論では、みるべき作品はなく、わずかにベネチア支が、すでに一九二七年 ( 昭和一 l) に、東京商科典学派の解体ののちに成立した、年代的にいっ あるといわれる。おもに社会主義陣営側からの配下のクレタ島で民謡、戯曲などが盛んになつ大学 ( 現一橋大学 ) の「経済原論」の講義にあて、一八六〇、七〇年代に成立した諸々の経済 学」の総称であり、マルクス経済学を含めたも 批判点を羅列すれば、①資本主義も社会主義たにすぎない。一九世紀に入ると民族独立の気った ( 福田徳三と大塚金之助による並行講義 ) 。 のであった。 しかし、わが国において、マルクス経済学に も、それが機械化された工場生産を軸とする巨運が高まるとともに、文学活動も活発になっ ところで、「近代経済学」という語によって、 大な分業、交通システムである限り、これを一た。しかしギリシアでは、古典に範を仰ぐ文章対抗するものとして、「近代経済学」 ( 当初は、 括して産業社会に含め、資本主義から社会主義語と日常の話しことばとの差が極端に開いておむしろ「近代経済理論」という語が用いられ限界革命以降の非マルクス系の経済学を包括し た ) という語が文献のうえで使われ始めたのて考えることの意義はどこにあるか。もとよ への移行、階級闘争の激化、国家の死滅などをり、文学者の多くはロ語を文学一一一口語に高めるた は、オスカー・ランゲの論文「マルクス経済り、限界革命によって近代経済学の基礎が築か 否定していること、②技術進歩による生産性のめに苦闘しなければならなかった。一九世紀に 学と近代経済理論」 Marxian Economics and れた、ということである。限界革命が革命であ 向上、経済の繁栄、富裕化を高く評価し、高度は、まずイオニア派の詩人ソロモス ( 一七九ハ ったか否かは異論のあるところであるが、イギ 毛 ) が『自由の賛歌』 ( 一全三 ) で新しい時代の M0dern Economic Theory ( R ミ斗ミ、 Eco- 産業社会としての資本主義の現状を美化してい リスの・ TJ ・ジェポンズ ( 天七一 ) 、オースト ミ 0 、 c S ごミ誉 s , June 1935 ) 以後のことである ること、③産業化の進展に伴い両体制は類似し開幕を告げ、新アテネ派の詩人バラマス ( 一会九 リアの O ・メンガー ( 天七 I) 、およびスイス・ ー一九四三 ) は韻文を哲学的なものに高めた。それといわれている。なお、このランゲの論文は、 た状態に到達するから、体制変革 ( 革命 ) は無 ローザンヌの *-2 ・ワルラス ( 天七四 ) の三人が、 に続く詩人ではシケリアノス Angelos Sikelia ・柴田敬の論文「マルクスの資本主義分析とロー 意味であるとしていること、などの論点があげ nos ( 一会四ー一九五一 ) がもっとも重要で、アレクザンヌ学派の一般均衡理論」 Ma 「 x's Analysis それそれ独立に成し遂げた偉業、すなわち、古 られる。↓官僚制↓近代社会↓工業化 of Capitalism and the General Equilibrium 典学派の生産費価値論を退け、それにとってか 〈濱島朗〉サンドリアで活動したカバフィス ( 一会三ー 会変動↓都市化 しし。しかない。その後の詩人 Theory 0 ( the Lausanne Sch001 (The K ・わる効用価値論を展開し、その後の経済分析の E)ä・ウィーナー編、上林良一・竹前栄治訳三三 ) も逸するわナこま、 、 0 U: ミ、 Ec をを斗 R ミ JulY 1933 ) 発展にもたらした革新によって、近代経済学の ではセフェリス ( 一九 00 ー七一 ) とエリティス ( 一九 「近代化の理論』 ( 一九天・法政大学出版局 ) ービソン に刺激されて書かれたものであり、早坂忠が指基礎が築かれた、ということには異論はなかろ ) が第一一次世界大戦後にノーベル文学賞 他著、川田寿訳『インダストリアリズム』を受賞している。散文では、一九三〇年代にロ摘したように、「『近代経済学』という語は発う。限界革命は、「古典派の経済学が供給、生 産および分配を中心に考えていたものを、むし 語を基礎とした文章語がほば確立し、注目すべ生的にも極めて日本と密着していた」 ( 一九六三・東洋経済新報社 ) ▽富永健一著『社 ー一九六九 ) とベネ 戦後のわが国に「近代経済学」という語の特ろ需要と消費といった主観的な要素を強調する き作家としてミリビリス ( 天九一一 会変動の理論』 ( 一九六五・岩波書店 ) ▽・ ) が第一次大戦殊な用語法が成立するについては、遠近さまざ方に、経済理論の焦点を大きく移動させたばか z ・ペラー著、堀一郎・池田昭訳『日本近代ジス llias Venezis ( 一九 0 四ー まの要因が働いたものと思われる。戦前わが国りでなく、競争的価格理論の精緻化、価値、生 とその後の戦争の体験を描いて反響をよんだ。 化と宗教倫理』 ( 一九六一一・末来社 ) ▽・・ ー一九五七 ) には欧米のいろいろな経済学が導入されたが、産および分配理論の統合、経済論理の洗練、お ロストウ著、木村健康・久保まち子・村上泰詩人として名高いカザンザキス ( 天、 よび分析の数学的方法の拡張を含めて、経済学 / 説およびェッセイによってギリシアの枠わが国の土壌に定着した外国経済学の唯一は、 亮訳『増補経済成長の諸段階』 ( 一九七四・ダは、ト の主題の包括的体系化のための基礎を築いた」 を超えて世界的な名声を博した。〈森安達也〉大正の初期から中期にかけて定着したマルクス イヤモンド社 ) ・・コーツ ) 。しかし、革新を開いた三人 しき、し、刀ノ、 きんだいナ ) 近代経済経済学であり、その影響は今日にまで及ぶとい 錦帯橋きんたいきよう山口県南東部、岩国近代経済学 の業績を一括するには、それぞれの業績は、 > 市の錦川 ( 岩国川 ) に架けられた橋。五個の反学という語に対応する英語は modern econom- われている。いろいろな学派の非マルクス系の 「単に形式においてばかりでなく、本質的な内 ics であるが、欧米にはこの語に、近代の経済経済学も導入されたが、部分的になりがちで、 オり橋からなる木造橋で、日本三奇橋の一つとし 学あるいは現代の経済学という、通常の意味以マルクス経済学に比べ体系性に欠けるうらみが容と意図についても大変重要な違いがあった」 んて知られ、国の名勝にも指定されている。橋の 創建は一六七三年 ( 延宝一 ) 岩国藩主吉川広嘉外の特殊な意味をもたせる用語法はない。しかあった。そのため、わが国経済学界の多数派は・ジャッフェ ) 。したがって、近代経済学に さる くぎ 271