たアブドウル・ラフマーン一世がイベリア半島 2 るには、それそれ法定代理人 ( 親権者など ) 、江陰こういん / チャンイン中国、江蘇省南一六日にインド洋のレュニオン島で降った一八 シャンハイナンキン 保佐人の同意が必要であり、また禁治産者は自部にある県。上海と南京のほば中間に位置し、七〇ミリを最大とするが、日本では、一九七六年 に渡り、七五六年に建国した。首都はコルド ようすこう ひ ら法律行為をすることができず、これらの者が 。史料では「アル・アンダルス ( イベリア半 北は揚子江に臨む。交通上の要地で、付近は ( 昭和五一 ) 九月一一日徳島県那賀郡木頭村日 わさ それそれ単独で法律行為をしてもあとから取り米、綿花の生産が多く、綿糸・綿織物工業が盛早で降った一一一四、リが最大である。時間雨量島におけるイスラム教徒の領地 ) のウマイヤ ちょう - ) う きよう しん 消すことができる。 〈淡路剛久〉んである。県政府所在地は澄江鎮。秦の曁陽では、一九八二年 ( 昭和五七 ) 七月二三日に長朝」または「コルドバのウマイヤ朝」とよばれ りよう びりよう にしそのぎ 勾引 こういん裁判所が被告人を一定の場郡、漢の毘陵県の地で、南朝梁代に江陰県が置崎県西彼杵郡長与で降った一八七 : リが日本の最る。支配層はアラブ人と・ヘルベル人から構成さ みん 所に引致する強制処分をいう。裁判所は、①被かれた。明の有名な地理学家である徐霞客の墓大記録である。豪雨は前線または台風に伴ってれたが、少数のアラブ人が多数のベルベル人よ 告人が定まった住居を有しないとき、②被告人がある。 〈林和生〉降ることが多い。↓気象災害 〈安藤隆夫〉り政治的、経済的に優位にたっていた。土着の しん こうう ( 前一一三一一 こうーーざいウイルス感染スペイン人とユダヤ教徒は被支配層を形成した が、正当な理由なく、召喚に応じないとき、ま項羽 ー前一一 0 一 l) 中国、秦・抗ウイルス剤 おそれ たは応じない虞のあるとき ( 刑事訴訟法五八 漢交替期に現れた群雄の一人。名は籍、羽は症に対する化学療法剤。ウイルスの増殖を特異が、前者のうちイスラムへの改宗者はムサー あざなそ 条 ) 、③被告人が、正当な理由なく、裁判所が字。楚の将軍の家柄を引く貴族的階層に属す的に抑制する薬剤であるが、現在ウイルス感染ム、生まれながらのムスリム ( イスラム教徒 ) ′一うりよう 必要があるとして、指定の場所に出頭または同るといえよう。羽は叔父の項梁に教育を受け、症に対する治療法はワクチンによる免疫療法が はムワッラド、キリスト教徒のままでアラブ化 こうそ ちんしよう した者はモサラ・ヘとよばれた。このような構成 行を命じたが、これに応じないときは、被告人会稽郡 ( 江蘇省 ) に居住していたが、陳渉の主で、トラコーマ、第四性病といったクラミジ をその場所に勾引することができる ( 同法六八 反乱に乗じて秦に背いた。梁の戦死後、羽は諸ア ( 大型ウイルス ) による感染症はテトラサイ民族と宗教の多様さは、建国の初めから治安を しようかん 条 ) 。 将のリーダーとなり、秦の章邯を破って関中クリン、クロラムフェニコールが有効であり、 乱す要因であった。この問題に対し、代々のア しえい かんよう 勾引した被告人は、裁判所に引致したときか に入り、秦の王、子嬰を殺して咸陽を焼いた。 そのほかのウイルス性疾患ではヘルベス角膜炎 ミールまたはカリフは自己の権力強化のために すいたい ら二四時間以内にこれを釈放しなければならなやがて楚の懐王を推戴して義帝とし、自らは西 に対する ( イドクスウリジン ) 点眼剤がスラブ人やフランク人の奴隷兵 ( サカーリバ い。ただしその時間内に勾留状が発せられたと楚の覇王と称した。このとき部下一八名を王にあり、アマンタジンはインフルエンザ < 型ウイを重用し、また国内の不満を外に向けて国内統 きは、この限りでない ( 同法五九条、なお六八 封じている。封建体制の復活である。漢の高祖 ルスに対して予防効果があることが認められて一と安定を得るために、北方のキリスト教徒地 りゆつは」、つ 条参照 ) 。被告人の勾引は、勾引状を発してこ 劉邦は王に封ぜられず、不満を抱いて羽に反 いる。最近、単純ヘルベス脳炎、免疫抑制患者域への聖戦 ( ジハード ) を行った。国内統一と は」っーし・れ れをしなければならない ( 同法六二条、なお六旗を翻した。双方の戦闘はしばしば繰り返され における帯状疱疹に有効なピダラビンやアシク繁栄の基礎が築かれたアブドウル・ラフマーン 四条・六六条・六七条・六九条 ~ 七六条参照 ) 。たが、義帝を擁立し、つごうで殺した項羽に大口ビルが開発され、新しい抗ウイルス剤として二世の時代 ( 全一一 ~ <fll) と、彼の死後の混乱期 勾引された被告人は、公訴事実の要旨および弁義名分が失われたので、しだいに高祖が優勢と話題になっている。また、インターフェロンはを経て、ア・フドウル・ラフマーン三世の時代 護人選任権の告知を受け、貧困その他の事由に なった。もっとも高祖の部下の王陵の批評に、 ウイルス感染症に対してもっとも有望視されて ( 九一一一 ~ 九六 l) に最盛期に達した。チュニジアの より自ら弁護人を選任することができないとき項羽は礼儀正しいが功臣に褒賞をやるのを渋 いる薬剤であるが、目下治験中で有用性が検討ファーティマ朝に対抗してカリフを名のるよう 〈幸保文治〉 は弁護人の選任を請求することができ ( 同法七り、高祖は無礼だが物惜しみをしないといってされている。 になったのも、彼の治世からである。王朝の経 六条 ) 、弁護人等との接見交通権を有する ( 同 雨量や雨の強さなどを測済的基礎は、北方のキリスト教国や北アフリカ いる。こんなところに項羽の敗北の遠因があっ降雨計 たかもしれない 法三九条・八〇条 ) 。証人が、①召喚に応じな 。この覇権争奪は郡県か封建か る器械を、いろいろ組み合わせた複合測器。自や東方イスラム地域との交易活動、織物、金銀 いとき、②正当な理由がなく同行に応じないとをめぐる争いであり、羽の敗北は歴史上一つの記雨量計と降雨強度計と感雨器を一組みにしたや革細工、陶器などの手工業、オレンジやサト きも、これを勾引することができる ( 同法一五画期となった。羽は保守的立場にあったが、 伝降雨計がよく用いられる。気象庁型の降雨計でウキビやワタなどを栽培する農業にあった。中 二条・一六二条、なお一五三条参照 ) 。↓強制えられる悲劇の英雄像は民衆の封建制に対するは〇・五ミリメートル刻みで記録する自記雨量計央行政はアミール ( カリフ ) の絶対的権限下 ばんか 者ルし 処分 〈内田一郎〉挽歌ともいえよう。最後の決戦となった垓下のを使用する。降雨強度計は雨水を細い管を通し ージプ ( 侍従の意。権能は大宰相 ) を中 だいそう こういん中国の韻書。五巻。「大宋敗北ののち死んだ項羽よ、、 心に複数のワジール ( 宰相 ) が担当した。二〇 、。しまだ三一歳であって落下させ、水滴の大きさが降水量で〇・〇〇 広韻 ちんほうねんきゅうよう じゅうしゅ、つ′」ういん ・ : つも・れ 八三 = 、リメートルになるよう設計されている。一余の県 ( クーラ ) はそれぞれワーリー ( 長官 ) 重修広韻」の略称。北宋の陳彭年、邱雍ら た。↓垓下の戦い↓鴻門の会 〈好並隆司〉 へんさん ごうう比較的短い時間に、多量に降分間に滴下した水滴の数をカウントし、一時間 によって統治された。 が勅命により編纂し、一〇〇八年 ( 大中祥符豪雨 文化面では、アッパース朝との政治的対立に 一 ) 成書、科挙で作詩を課する際の押韻基準をる雨。なかでも局地的な範囲のものを集中豪雨当りの降水量に引き直した値が記録される。感 ずい もかかわらず、つねに東方イスラム世界の影響 ということがある。豪雨は暖候期 ( だいたい六雨器は、絶縁物でつくった板の上に〇・五ミリメ 示すものとして朝廷から印刷頒布された。隋・ ートルくらいの間隔で線状の電極を並べたものを受け、歌手のジルャープ穴五七没 ) や学者の 唐以来の切韻系韻書に基づき、それを大幅に増月から九月まで ) に降り、また低緯度に多く ア。フー・アリ ・アル・カー これは気温が高いほど空気である。雨滴や雪片で電極間がショートするこ 高緯度では少ない。 ( 九六五没 ) な 補したもので、二万六〇〇〇余字を二〇六韻に どがバグダードから来住した。しかし王朝後期 分け、各字の注解には類書 ( 中国風の百科事中の水分が多いためである。このため暖地と寒とで降雨の有無が検知できる。板は、雨水がた はんせつ まらないよう傾斜をもたせ、また、落下した水 こま、『アル・イクドル・ファリード 』 ( 無類の 典 ) 的内容を盛ったが、反切は宋代の発音にあ地とではその量が異なるので、年降水量 ( おも くび に雨量と雪量 ) の約一割の日量をもって、その滴を速やかに蒸発させるため電気ヒーターで加頸飾り ) の著者であるイプン・ア。フド・ラッビ わせて改めることをせず、『切韻』での姿をか ーニウ ( 九七三没 ) らの なりよく保存した。亡逸した『切韻』にかわる土地の豪雨とすることもあるが、普通、南西日熱する。寒地での使用に耐えられるよう、くふヒ ( 九四 0 没 ) やイプン・ しん 〈篠原武次〉 うが加えられている。↓雨量計 アル・アンダルス出身の著名な詩人が出現し 隋唐音研究の基本資料として清朝以来重視され本では日量一一〇〇ミリ、北東日本では一〇〇ミリ以 こうーーちょうイベリア半た。法学では、ハカム一世がマーリキー学派を ており、とくにその反切が詳しく研究されてい 上をそれそれ豪雨としている。また時間雨量で後ウマイヤ朝 る。 〈平山久雄〉は三〇ミリくらいから豪雨といえる。 島にあったイスラム王国 ( 七五六 ~ 一 0 三 l) 。アッパ 公認してから同派が主流になった。建築では、 日雨量の世界記録は、一九五二年三月一五 ~ ース朝によるウマイヤ家一族の虐殺の難を逃れ四〇万冊を収めていたといわれる図書館 ( ハカ 回藤堂明保著『中国語音韻論』 ( 一 0 ・光生館 )
げんし 置 1 、ワ】っ 0 ワ一ワ ~ ワ 3 ワつ」ワワ」ワ】ワワ】ワ朝ワワ朝ワ 3 つ」ワ」ワワ】ワ】ワワ】ワ朝ワ」ワワ」っっ乙つんワっっ 3 ワ」ワ」ワ 3 ワ」ワ 3 ワ」ワ」っ朝ワ」ワ」ワ」ワ】ワ】ワんワ】ワ」ワ」 子殻道素号 電 子 子号 1 人っ 00 -4 ・ - -0 っー -8- -0 ・ 1 ・・ワ」っ 0 -4 ・ 8 1 人ワ -4 0 《 0 / 8 0 、 1 ワ 00 4 ・、 .0 / -8 -0 1 よワ】 00 -4 ・戸 0 「 / -0- 1 人ワ 0 -4 ・ 原 原番 11 11 、ー人 1 ーよ 11 、ー人 1 ・人 1 ー てんば り、原子核エネルギーとよぶのが正しい。原子 堀健夫訳『原子スペクトルと原子構造』 ( 一九本の額をあわせ ( 欠損の填補 ) 、これにより将 八一四年 ( 弘仁五 ) 嵯峨天皇が皇子に源姓を与 のエネルギーはむしろ化学反応のエネルギーに 六四・丸善 ) 来の利益配当を可能にする目的で行う場合 ( 名えて臣籍に降下させたことに始まる。これが嵯 じゅんな にんめいもんとくせいわよう 近い。↓核分裂 原紙げんし raw paper, base paper コ義上または計算上の減資 ) とがあり、後者の場峨源氏で、以後、淳和、仁明、文徳、清和、陽 うだだいご むらかみかざん 原子のいちばん外側にある電子を原子の外に ーティング ( 塗工 ) 、含浸、張りなどの加工合が普通である。物的会社の場合、資本は会社成、宇多、醍醐、村上、花山などの諸源氏が生 取り去るのに要するエネルギーは最小イオン化をするときに生地となる紙の総称。用途が多岐信用の基礎をなすから、みだりにこれを減少すまれた。歴史上よく知られているのは清和源氏 エネルギーとよばれる。いちばん大きな値をも にわたるため種類が多く、①コート紙の原紙の べきではないが ( 資本不変の原則 ) 、実際上必である。 つものはヘリウムで二四・五八電子ポルト、い ように化学パルプと機械パルプから製造し、一要がある場合に、法はきわめて厳重な手続のも〔清和源氏〕清和天皇の皇子のうちで貞固、貞 もとさだずみさだかずさだぎね ちはん小さしイ。 、直まセシウムの三・九電子ポルト 般の印刷用紙と変わらないもの、②べークライ とで許容している。株式会社では株主総会の特元、貞純、貞数、貞真の各親王の子孫はみな源 である。ここで電子ポルトは、素電荷をもっ粒ト原紙のように主として精製した木綿繊維を原別決議と債権者に対する異議の申立ての催告姓を賜ったが、そのうちで貞純親王の子孫がも つねもと じよ・つへい 子が一ポルトの電位差で加速されるとき獲得す料として製造したもの、③謄写版原紙のように ( 商法三七五条以下 ) を要し、これにより株主っとも栄えた。貞純親王の男経基王は承平・ てんぎよう るエネルギーで、約 1.6 x 10 こ。ジューレこ目 丿し本ガンピやミツマタなどを用いた薄葉紙、④ルー や債権者の利益を保護している。また、有限会天慶の乱の鎮定に活躍、九六一年 ( 応和一 ) せつこう みつなか ただ 当する。 フィング原紙、石膏ポード原紙などのように古社では定款変更の決議を必要とする。なお、減 に源姓を与えられた。その子満仲は摂津国多田 かわにし 原子内電子のうちいちばん大きなエネルギー 紙を大量に配合して製造した板紙などの建材原資の方法には、株金額の減少による方法 ( 払戻 ( 兵庫県川西市 ) に土着して多田院を創立した。 よりみつ で束縛されているのは最内殻殻 ) の電子で紙、⑤その他多数、がある。 〈御田昭雄〉し・切捨て ) 、株式数の減少による方法 ( 消満仲の子頼光の一族はこの地にあって摂津源氏 やま ある。天然元素ではウランの殻電子のエネル減資げんし株式会社、有限会社において却・併合 ) 、および両者の併用による方法がああるいは多田源氏とよばれた。そのほか、大 と かわちみの おわり ギーが最大で、この値は約一一万六〇〇〇電子資本の総額を減少すること。資本減少の略称。るが、無額面株式には株金額がなく、また株金和、河内、美濃、尾張、三河などの各地にこの かんむへいし ポルトである。このような内殻準位のエネルギ減資には、会社が事業を縮小したために過剰に総額Ⅱ資本という関係がないから、単純に資本一族は繁栄し、桓武平氏と並び称される有力武 ーに関する知識は、元素の特性 X 線や X 線光電なった会社財産を社員 ( 株主 ) に返還する目的額のみを減少することも可能である。↓株式会家へと発展した。これらのうち、のちに初めて 子スペクトルの測定から得られる。〈鈴木洋〉で行う場合 ( 実質上の減資 ) と、損失を被った . 社 - 〈戸田修三〉武家政権を樹立したのは、河内源氏の流れをく よりのぶ ただつね 回「量子力学的世界像』 (r 朝永振一郎著作集 8 』 会社が現在の資本のままでは利益配当の見込み源氏げんじ皇族賜姓 ( 皇族を臣籍に下すむ一族である。満仲の子頼信は平忠常の乱に功 みなもと よしいえ 一九〈 = ・みすす書房 ) ▽・ヘルツベルク著、がないとき、すでに減少している会社財産に資ときに与える姓 ) の一つの源姓をもっ氏族。があり、その子頼義、孫義家は前九年・後三年 0 5s 5p 5d 最小イオン化 エネルギー eV 4s 4p 4d 4f 3s 3p 3d 2s 2p 13.595 24 . 581 5 . 390 9 . 320 8 .296 11 . 256 14 . 53 13 . 614 17 .418 21 . 559 5 . 138 7 . 644 5 . 984 8 . 149 10.484 10.357 13 . 01 15 .755 4 . 339 6 . 111 6 . 54 6 . 82 6 . 74 6 . 764 7 . 432 7 . 87 7 .86 7 .633 7 . 724 9 . 391 6 . 00 7 . 88 9 . 81 9 .75 11 .84 13 . 996 4 .176 5 .692 6 . 38 6 . 84 6 . 88 7 . 10 7 . 28 7 . 364 7 . 46 8 . 33 7 . 574 8 . 991 5 . 785 7 . 342 8 . 639 9 . 01 10 . 454 12 . 127 1 人ワ】ワ】ワ」っワ】っつんワ】ワ】ワ 3 ワ】ワ」ワワ」ワワワ】っワ」ワ」ワ】ワ】ワワ】ワ」っ乙ワ」ワ】ワ】ワ】ワ朝っ 0 ワ」ワ」ワワ】ワ】ワ」っワ 3 っ 0 ワ 3 ワ】ワ」ワ」ワ」ワ」ワ」 1 よっっワ」ワ」ワ」っワ】ワりワ】ワ 3 ワ】ワ】ワ」ワ】ワ 3 ワ】ワ】ワ】ワ 3 ワ 3 っ 3 ワ」っワ」ワ」ワ」ワ 3 ワワ」ワっ 0 ワ】ワ】ワ」ワ」ワ」ワ 3 ワ」ワ】ワ】ワ 1 ー人 1 ー・、ー人、ー - 、ーよ 11 1 よ 1 ・人、ー・ 11 っっ乙っ 3 ワ」 11 ワ】ワ】ワ 3 ワ】 1 人っつ」ワ】ワ 3 ワ」ワワ】ワ 3 ワ】っ朝ワ」ワ」ワ」ワ】ワ】ワ】ワワ 3 ワ朝ワ】つっ」ワ】 1 宀ワっ 0 -4 1 人ワ 3 っワ 3 1 宀 1 よワ 3 、 1 1 人 -0- 1 人ワ】ワ】ワワ 3 ワワ】ワ」 よりよし さだかたさだ 330
名に付く。現在では、公的な文書にほば限られめしあがる〔召し上がる〕飲み、食う意。 「ご存じだ」「ご存じです」の形でも用いられようございます」「佐藤先生」 「粗菓ですが、どうそ召し上がって下さい」 る。「ご存じのとおりです」「よくご存じですそちら〔其方〕その人の意。第三者をさしてる。「図書館長殿」 ね」 いう。また、相手をさしてもいう。「そちら様」とのがた〔殿方〕男性をさしていう。女性めす〔召す〕呼び寄せる・飲み、食う・着 る・ ( 風邪を ) 引く・ ( 気に ) 入る・ ( 年を ) と こちら〔此方〕この人の意。第三者をさしてのはうが敬意が高い。「そちらから先にご案内が用いる。「殿方はどうそお先にいらして下さ るなどの意。「和服を召した方」「お風邪を召し いう。「こちら様」のほうが敬意が高い。「こちして下さい」「そちら様はなんとおっしゃいま ませんよ、つに」 ないしつ△〔内室〕 ( 他人の ) 妻の意。多く ら田中さんです」「こちら様をお通しして下さすか」 「ご内室」「ご内室様」の形で用いる。 らいが△〔来駕〕来訪の意。多く「ご来駕」 そのかた〔其の方〕その人の意。第三者を なさるする意。「お ( ご ) ーなさる」「動詞の形で用いる。 このかた〔此の方〕この人の意。第三者をさしていう。「そのお方」のほうが敬意が高い 連用形 + なさる」の形で、補助動詞としても用らいりん△〔来臨〕ある場所へ来ることの さしていう。「このお方」のほうが敬意が高い 「その方なら、よく存じ上げております」 いられる。命令形「なさい」は他の活用形より意。多く「ご来臨」の形で用いる。「ご来臨賜 「この方をご案内して下さい」 そんー△「尊ー〕 ( 接頭語 ) 敬うべき人やその ごらん〔御覧〕見ることの意。「ご覧遊ばす」人に属する事物を表す漢語に付く。上に「ご敬意が低い。「毎朝、お散歩をなさるそうですれば幸甚に存じます」 ーられる上一段活用・下一段活用・カ行変 ね」「そこにお掛けなさい」「あとの問いに答え 「ご覧になる」「ご覧なさる」「ご覧下さる」「ご ー」が付くことが多い 格活用の動詞の末然形に付く。軽い敬意を表 ュなき、い」 覧に入れる」などの形でも用いられる。軽い命そんえい△〔尊詠〕 ( 相手の ) 詩歌の意。 令を表す「ご覧」は「ご覧なさい」の省略形。そんか△「尊家〕 ( 相手の ) 家の意。「ご尊家にいさん〔兄さん〕兄の意。また、若い男す。受身や可能などと紛らわしく、話しことば 性を呼ぶのに用いる。「兄さんとはよくテニスではあまり用いられない。「五月から海外に出 なお、「ーてご覧 ( 遊ばす・になる・なさる・ のご繁栄をお祈りいたします」 下さる ) 」の形で、補助動詞としても用いられそんかん△〔尊翰〕 ( 相手の ) 手紙の意。「尊をしましたね」「そこの兄さん、ひとつどうでかけられる予定です」 はい . し、まら・ 〔令ー〕 ( 接頭語 ) 人を表す漢語に付 すか」 る。「ご覧のとおりです」「どうそご覧下さい」翰拝誦いたしました」 , 亠にこー・」が付 / 、ことが多一い 「これをご覧」「読んでご覧になりましたか」 そんがん△〔尊顔〕 ( 相手の ) 顔の意。「ご尊ねえさん〔姉さん・姐さん〕姉の意。また、 〔令兄〕 ( 他人の ) 兄の意。「ご令 若い女性、料亭の仲居などを呼ぶのに用いる。れいけい△ こんしょ△〔懇書〕手紙の意。多く「ご懇顔を拝し、光栄に存じます」 〔尊兄〕 ( 相手の ) 兄の意。相手「姉さんは何を編んでいるのですか」「ねえさ兄のお世話になりました」 そんけい△ 書」の形で用いられる。 ちょうし 〔令閨〕 ( 他人の ) 妻の意。 れ - いけい△ ん、お銚子一本」 ーさま〔ー様〕 ( 敬称 ) 人の氏 ( 名 ) や人を表をさしていうのにも用いられる。 ははうえ△〔母上〕母の意。「お母上」は他れいしつ△〔令室〕 ( 他人の ) 妻の意。 おか、けき、士」 すことばに付く。敬意が高い。「 そんさっ△〔尊札〕 ( 相手の ) 手紙の意。 あいさっ れいじよう△〔令嬢〕 ( 他人の ) 娘の意。 人の母にいう。 「お疲れさま」「ご苦労さま」などの形で、挨拶そんしょ△〔尊書〕 ( 相手の ) 手紙の意。 〔尊台〕相手をさしていう。 ひりん△〔賁臨〕来訪の意。多く「ご賁臨」れいそく△〔令息〕 ( 他人の ) 息子の意。 ことばとして用いられることもある。「秋山様そんだい△ れいそん△〔令孫〕 ( 他人の ) 孫の意。 ですか。田中様がお待ちです」「お客様がいらそんどう△〔尊堂〕 ( 相手の ) 家の意。相手の形で用いる。 〔令弟〕 ( 他人の ) 弟の意。 れいてい をさしていうのにも用いられる。 へいか〔陛下〕天皇・皇后などをさしてい っしゃい亠ました」 う。敬称としても用いられる。「ただいまよりれいふじん△〔令夫人〕 ( 他人の ) 妻の意。 ーさん ( 敬称 ) 「ー様」より敬意が低い。「おそんぶ△〔尊父〕 ( 相手の ) 父の意。「ご尊父 あいさっ 〔令妹〕 ( 他人の ) 妹の意。 れいまい 陛下のおことばがございます」「皇后陛下」 疲れさん」「ご苦労さん」などの形で、挨拶こ様によろしくご伝声下さい」 ほ一つ 「芳ー〕 ( 接頭語 ) 敬うべき人に属す ーれる五段活用・サ行変格活用の動詞の末 そんめい△「尊名〕 ( 相手の ) 名前の意。「ご とばとして用いられることもある。「恵子さん、 然形に付く。軽い敬意を表す。受身や可能など る事物を表す漢語に付く。上に「ごー」が付く 尊名はかねがね承っておりました」 ちょっと待っていて下さい」「駅員さんに聞い と紛らわしく、話しことばではあまり用いられ ナ ! し 「大兄〕相手をさしていう。男同ことが多い てみま 1 レよ , つ」 よい。「大学に合格されたそうですね」 ほうさっ△〔芳札〕手紙の意。 士で用いる。 ーし△〔ー氏〕 ( 敬称 ) 男性の氏 ( 名 ) に付く。 ほうし△〔芳志〕心遣いの意。「ご芳志、かた たまう〔賜う・給う〕くれる意。動詞連用形 また、一度あげた人の氏名を再度いうかわりに 謙譲語 に付き、補助動詞としても用いられる。現在じけなく存じます」 も用いられる。「鈴木一郎氏」「氏は明日帰国の ほうしょ△〔芳書〕手紙の意。 あがる〔上がる〕訪問する意。「明日お宅に は、後者の命令形「ーたまえ」以外はほとんど 予定」 上がって、お話を伺います」 ほうじよう△〔芳情〕心遣いの意。 用いられず、この場合は敬意が低い。「おこと 「ー姉〕 ( 敬称 ) 女性の ( 氏 ) 名に付く。 あげる〔上げる〕与える意。「さしあげる」 ほうめい△〔芳名〕名前の意。 ばを賜う」「遊びに来たまえ」 「山田花子姉」 のほうが敬意が高い。「花に水をあげる」など ーじよう《〔ー嬢〕 ( 敬称 ) 末婚女性の ( 氏 ) ちちうえ〔父上〕父の意。「お父上」は他ほっちゃん〔坊っちゃん〕他人の息子の意。 の表現が多くなっていることから、美化語化し また、男の子をさしていう。「お宅の坊っちゃ 人の父にいう。 名に付く。「春子嬢」 〔諸兄〕多くの男性をさしていう。でんか〔殿下〕天皇・皇后以外の皇族をさしんはもう学校ですか」「坊っちゃん、風船をあているともいえる。「ーてあげる」の形で、補 助動詞としても用いられる。また、「祈り上げ ていう。敬称としても用いられる。「殿下がおげましよう」 しよし△〔諸氏〕多くの人をさしていう。 る」「存じ上げる」なども「上げる」を補助的 ほどう△「母堂〕 ( 他人の ) 母の意。多く「ご 見えになりました」「皇太子殿下」 しよし△〔諸姉〕多くの女性をさしていう。 に用いたものである。「音楽会の切符をあげま せいゅう、〔清遊〕 ( 相手の ) 遊びや旅行のどちら〔何方〕だれの意。名を知らない人を母堂様」の形で用いる。 しよう」「絵本を読んであげましよう」 さしていう。多く「どちら様」の形で用いる。みえる〔見える〕来る意。「先生が見えまし 意。多く「ご清遊」の形で用いられる。「当地 いたす「致す〕する意。「お ( ご ) ーいたす」 「失礼ですがどちら様でしようか」 にご清遊のほどお待ちいたします」 せいらん、〔清覧〕 ( 相手が ) 見ることの意。どなた〔何方〕だれの意。名を知らない人をみなさま〔皆様〕ある範囲内のすべての人の形で、補助動詞としても用いられる。「北海 をさしていう。「皆さん」より敬意が高い。「皆道旅行をいたしました」「お荷物をお持ちいた さしていう。「どなた様」のはうが敬意が高い。 多く「ご清覧【一の形で用いられる。 1 しまー ) よ , つ」 様のおいでをお待ちいたしております」 せんせい〔先生〕教師・医師などをさして「どなたですか」 いただく〔戴く・頂く〕①もらう意。「お ーどの△ 〔ー殿〕 ( 敬称 ) 人の氏 ( 名 ) や官職みやさま〔宮様〕皇族をさしていう。 ナ . 敬いう。敬称としても用いられる。「先生、おは - = ロ
こと、専業農家と兼業農家との生産性の格差がの確保や生産性の向上に対して、兼業農家のあの他に収められて伝存する脚本は、作者不詳の に取り出すと、その反応がおこった結果とし よ り方は大きな鍵を握っているといえよう。↓専ものも含めて約一五〇種に達する。元雑劇は通て、電極の近傍には反応生成物が蓄積し、引き キ、相対的に小さいこと、などが指摘される。今日 とうすう 〈嘉田良平〉常は四つの套数 ( 四折 ) の歌唱で一劇 ( 一本 ) 続き反応がおこるのを妨げる分極 ( 逆起電力 ) んの兼業農家は、兼業収入のために高い農家所得業農家 回石橋俊治・御園喜博著『兼業農業の構造』 が構成され、必要に応じて短い序あるいはつなを生ずる。したがって、連続して電流を取り出 、ナ . を維持し、農村での安定層として滞留してい せっし る。しかし、わが国の農業政策の観点からは、 ( 一九七五・東京大学出版会 ) ▽編、栗ぎの場 ( 楔子 ) が加えられる。役柄は院本に比すためには、こういう反応生成物を絶えす取り 資源配分 ( 低い土地利用率 ) や農業構造の面で 原源太監訳『兼業農家』 ( 一 0 ・中央大学出べて多様化しているが、一劇の歌唱は男女いす除かなければならない。そのために加える物質 ふん せいばっ 望ましくない問題を発生させている。兼業農家 版部 ) ▽日本農業経済学会編『農業経済研れかの主役人物に扮する俳優 ( 正末Ⅱ立役、あを減極剤または復極剤といい 、この過程を減極 せいたんたておやま の農業労働力構成がしだいに女性化、老齢化し 究第五四巻二号兼業農家問題特集号』 ( 一九るいは正旦Ⅱ立女形 ) が一人で歌い通すのが原または復極という。たとえば、二酸化マンガン てきている点を考えれば、わが国農業の自給カ 全・岩波書店 ) 則で、他の俳優は台詞はあっても歌うことがな乾電池の場合、正極 ( 炭素 ) 、負極 ( 亜鉛 ) で げんきよく中国、一兀代 。この点は、南曲の戯文がどの役柄もみな歌おこる基本反応は、 元曲 -. 0 8 ワ】っ 0 00 11 -4- -0 1 人・ 4 1 よ CO ぎつげき 、 1 ワ朝《 0 ワ」 1 ー - 0 1 人 11 1 人ワ】 の演劇である元雑劇のことを一般 い、通例数十套の長編構成をとるのと異なり、 正極 2H + 十 2e ・。ー↓ H2 には元曲とよんでいる。直接にはやや窮屈な制約とも受け取られそうであるが、 負極 Zn ーー↓ Zn2 + + 2e きん いんほんしよきゅうちょう き一 11 00 《 0 《 0 ^. 0 ワ 0 0 、 1 0 金代の院本や諸宮調 ( 語り物 ) 主役に描写を集中して、その心理を深く掘り下であるが、正極で発生する水素をそのままにし ・ 0- -8 ー「 / りん -0 ワワ 3 ワ】 11 11 そう っ -4 ・ 1 人 Ln 4 ・ 11 1 ー 4 出 を土台として、唐・宋の詞や曲、 げて性格の鮮明な人物をつくりだすのにかえっておけば、反応を妨げ起電力を低下させるの さらに民間の諸演芸を広く吸収して有効であったとも考えられる。元雑劇のことで、二酸化マンガンを炭素電極の周りに置いて はくわ てつくられた本格的な演劇で、そばは当時のロ語を写した白話である。歌詞 ( 曲酸化し水にする。この場合、二酸化マンガンが しんじ の脚本は中国文学史に初めて戯曲文 ) も、拍子にのせない字あまり ( 襯字 ) が許減極剤である。また負極には、生成してくる はつらっ ワ朝 -4 C•O -8 ワ】 c.D 8 00 -4 文学の開花をもたらした。中国の容されるもので、そのため剌としたロ語表現 Zn2 + を除去するための減極剤として塩化アン 《 0 8 《 0 ワ -0 11 ワー LO 戸 0 / / ワ】 11 ・ 1 ワんワっ 0 ・ 4 4 伝統演劇の主流は、俳優の歌唱をの韻文が可能になった。 モニウムをベースト状にして用いる。それそれ ワ】 4 8 0 ワ せりふ 、 1 1 人、 1 ワワ】 軸に、台詞、しぐさ、立回りを組 元雑劇の文学の特長は、なによりもまず元代の反応は、 ワ -4- ゥー 0 》 -0 8 11 -8 ー 1 人 1 人 11 み合わせて一種の歌劇の形態をとの社会と人間の生活を幅広く写しているところ H2 十 2Mn02 ーー Mn203 ・ H20 ワ】 LO 8 「 / 《 0 -8 つん , 1 0 ワ】 - -0 11 -4 ・《 0 -0 ーワ 0 ーっ 0 -4 ・ 0 《 0 C-O っ / CO 「 / 0 0 1 人 るが、同時期に南方でおこった南にある。作家の大半は不遇な下層の知識人で、 Zn2 + 十 2NH4Cl ーー Zn (NH4)2C12 、 1 つんっ 0 CO 00 00 宋戯文が南方の音楽 ( 南曲 ) によ 〈戸田源治郎〉 ときには俳優たち自身が作家である。彼らは観である。 8 0 0 0 ^ 0 《 0 0 《 0 ( 0 8 ワ】っ るものであるのに対して、元雑劇客である市民階層に近く、その接触する庶民の 元曲選げんきよくせん中国、元代の演劇で C-D 、 1 -0 8 0 0 -4 ワ】ワ】、 1 一つげき ばちえん かんきゅうしゅう 0- 、 .0 0 -. 0 11 る 《 .0 ワ】 1 よ 11 11 は北方のものであり、北方の音楽生活がそのまま芝居のなかに描き出された。小 ある元雑劇の脚本選集。馬致遠の『漢宮秋』 すいこでん -4 っ・】 0 11 - -0 00 1 よ 8 《 0 8 0 を用いて北曲雑劇ともいわれる。商人や農夫から『水滸伝』の豪傑たちに至るまを巻頭に、元雑劇の名作の大半を含む一〇〇種 したいふ -4 ・ 1 人 -0 -4 ・ -1 -4- ワ】 11 -0 -0 聿日 「 / ワ 0 LO -8 00 ワ】 告金代末期にすでに誕生していたとで、士大夫の詩文の文学には取り上げられるこ の脚本を集めて、別名を『元人百種曲』ともい りん 11 みん 報 も考えられるが、元が金を滅ばし とのまれであった新しい主人公たちが、大量に 査 うが、一部に明初の作家の作品も混入してい ぞううじゅんあぎなしんしゆく ワ】 8 0 ーワ編 -8 1 よ 8 4 戸 0 疆 い雇 業 た ( 一一一三四 ) のち、戦乱が治まって登場し、たとえ歴史的な題材を扱っていても、 る。編者は明の臧懋循 ( 字、晋叔。 ?ーー六 lll) ・ 4 -4 4 CO 8 ー CO 00 0 / LO 1 人 11 11 雇時 7 4 3 0 4 4 農 日臨 安定が回復すると急速に発達しそこにあるのはまぎれもない元代の市民階層ので、一六一六年 ( 万暦四四 ) の刊行。脚本の多 しょ た。初め平陽地方 ( 山西省中・南意識である。官吏の不法や汚職を責め、貴族有 くは臧氏の校訂の手が入っているとみられる 1 CO -0 ワ】 1 人 -4 ーっん 0 お L.0 11 11 ワ C-O ・ 4 -4 -0 1 人 -8 家常務 部 ) から広がって、まもなく都の産者の暴虐に憤り、庶民の抵抗の知恵を活写し が、この種のものではとかく軽視されてきた 「 / ・ 4 ・ワ】 CO ワ】 11 14 11 1 人、 1 曲辰百一カ せりふ 苗一一 -8 -8 ー戸 0 -. 0 っ 0 業 サ大都 ( 北京 ) に出て隆盛期を迎て、とりわけ大都時代の興隆期の作品が現実主台詞やト書も整っており、音注も付されてよく かんかんけい ばちえんはく おうじつば ン 兼 セ え、関漢卿、王実甫、馬致遠、白義を主調とする優れた文学となっている。元一整理されたテキストになっている。すでに北曲 業 数 樸など優れた作家が輩出して、代を代表する文学であるだけでなく、戯曲文学雑劇が舞台の上からは消えて、もつばら読んで とうがえん せいそうき かんきゅうしゅう 農 の第総 『竇娥冤』『西廂記』『漢宮秋』 の歴史のうえにも高い位置を占めて、後続の演楽しむものとなっていた時代の要求が生み出し ちょうし・一じ 」と、つう りきふけい 数 生が 『趙氏孤児』『梧桐雨』『李逵負荊』 劇と戯曲文学に多大な影響を与えた。 子ロ家 た本といえる。読みやすいこともあって、元雑 男人農 家 -4 4 林 などの傑作がつくられた。南宋が なお、元曲というのは、本来は宋詞を継ぐ新劇のテキストとしては従来もっとも広く流布し へいどん ちょうちゅうかん 農 農年な う産 元に併呑されたのちは南方にも広しい韻文である元代の曲を総称する語であるかてきたものである。絵入りの雕虫館原刊本が さんきよく まり、一四世紀に入って流行の中ら、雑劇の曲とともに散曲のそれも含めてい わが国にも若干部舶載されている。近代以降の - 一うしゅう 8 8 1 人《 0 - -0 -4 11 0 ワ CO 「ー 11 11 つん 0 っ 0 ワ】 1 よ 1 、 11 11 へ凸 心は南宋の都であった杭州に移う語である。↓散曲 〈伝田章〉元雑劇の研究も、一般にはまずこのテキストを 業数 -0 ワ】 -8 を みん 専 ワ】 11 県 ったが、明代に入るとようやく伝回田中謙二編『中国古典文学大系戯曲集 基本資料として進められてきた。 〈伝田章〉 業 奇の流行に押されて、中葉に至っ 上』 ( 一九七 0 ・平凡社 ) ▽吉川幸次郎著『元雑言語四種論げんぎよししゅろん品詞分類の -0- 戸 0 -0 一 -0 0 -4 ・ O LO -0 一 -0 0 -4 0 「 / っー -8 -8 《 0 -8 8 ~ 則 てまったく衰退する。 劇研究』 ( 一九哭・岩波書店 ) 書。鈴木朖 ( 一七六四ー天三七 ) 著。一八二四年 ( 文 1 人 11 , ー人 11 11 11 家 年 文献に記録されている金末から減極剤げんきよくざい depolanizer 電極政七 ) 刊。雅語の品詞分類を説いたもの。「体 農 アリカタ 明初にかけての雑劇作家の数は一 における分極を減少させる物質を減極剤とい 業 ノ詞 ( 「ことば」と読む。名詞 ) 」、「形状ノ詞 数戸 成 シワザ 実 兼 注 構 二〇人ほどになり、『元曲選』そう。電池反応 ( 化学反応の一種 ) で電流を外部 ( 用言のうち終止形がイ段で終わるもの ) ・作用 第 2 種兼業農家 恒常的日雇い・ 出稼ぎ自営総数 勤務臨時雇い 263.6 395.1 522.9 540.8 442.5 372 . 4 4 . 4 10 . 9 公心 2 036.3 2 080.7 1 801 . 8 1 258.7 1 002.3 689 . 2 3 3 . 6 36 . 7 33 . 7 25 . 4 21 . 5 15 . 4 169 . 2 196 . 0 214 . 3 かぎ だいと あきら 302
ち高知 ( 県 ) こうち 〔自然〕地形 / 気候 % % 人人人人 2 4 ・ -8- E 亠 1 人 (. 0 ′ 4 ー マ円 〔歴史〕先史・古代 / 中世 / 近世 / 近代 ・人 ワ 1 よ 人人の . のの 〔産業〕農林業 / 水産業 / 鉱工業 . 国 国 2 国 ウ ⅱ全 1 全引全 〔交通〕 1 人 / ー、 11 ワ】 / ( ・ワ】 1 人 7 ( 8 ( 男女男女 モスチ 章 年 年 年年年年年市モセロ象 県〔社会・文化〕教育文化 / 生活文化 / 文化財 -0- ワ朝 知マナイ 〔伝説〕 四四高ャヤャ の 市 地 むろとギ、きあしずりみさき 度 得在 四国南半部を占める県。南部は室戸岬と足摺岬の間に土 数 密 所所 帯 民庁花木鳥 佐湾を抱き、北部は四国山地で愛媛・徳島両県と接する。東積ロ 県県県県県 あき かんのうら すくも 人 世 面人 端の安芸郡東洋町甲浦から南西端の宿毛市沖ノ島まで、経度 差約二度、直線距離で約二〇〇キロに及ぶ。土佐湾岸から北部 高知市に県人口の四〇 % 近くが集中する一方、県域の大部分 の愛媛・徳島両県境までの幅は三〇 ~ 四〇キロで、北東ー南西を占める山間部は、人口減少傾向が続き、過疎地帯となって いる。旧城下町で、一八八九年 ( 明治二一 l) に市制施行した 方向に細長い。面積七一〇六 ノ八二平方キ。は、四国四県のう すさき なんこく 高知市以外の室戸、安芸、南国、土佐、須崎、中村、宿毛、 ち最大で、四国の約三八 % を占める。 とさしみず ずれも昭和三〇年前後に町村合併して 県の北部を四国山地が占めるため、他県への交通が不便で土佐清水の八市は、い あり、四国四県のなかでも、もっとも隔絶性が高く、近代工市制施行をみたもので、人口五万人に達するものもなく、中 業の発達も遅れ、第一次産業に依存する度合いも大きい経済 心市街地も小さく、人口集中地区 ( — ) 人口も一、二万 構造をもつ。 人規模である。一九八六年一月現在、九市七郡二五町一九村水 人口は八三万一二七五人。人口密度一一七人は全都道府県からなる。なお、古代には、県域は土佐一国で、南海道に属降 中でも五指に入る低さである。明治初頭の人口は約五〇万人した。 であ 0 たが、人口増加率は低く、一九五五年 ( 昭和三〇 ) よ〔自然〕〔地形〕県域の大部分は四国山地で占められ、平野気 かめもり 土 うやくピークの八八万人となったが、六〇年代の経済高度成に乏しい。四国山地は、県内最高峰の瓶ケ森 ( 天九六 ) をは県 じめ一五〇〇を超える峰々が県境を形成、中央構造線に並 長期には人口流出が著しく、七〇年には七八万人台となり、 みかぶぶつぞう 行して走る御荷鉾、仏像などの構造線の影響を受けて、幾重 その後は漸増傾向に転じ、七五年に八〇万人台を回復した。 にも東西方向の山脈を連ね、南に向かってしだいに高度を低 自然公園には、四国南端部にあり豪壮な断崖をみせる足摺 県人口の半数は県央の高知平野とその周辺に集中、なかでも はた たっくしみのこし め、東部では安芸山地、西部では幡多山地が県東西両翼の半岬や、隆起海食台の竜串・見残の景観が中心の足摺宇和海国 人 男女 万 島部を形づくる。四国山地中央部で吉野川上流部が縦谷を形立公園、四国南東端にあり足摺岬と相対する室戸岬を中心と によど しまんと なはり 成するほか、四万十川、仁淀川、物部川、奈半利川などの主する室戸阿南海岸国定公園があるほかに、四国山地の東部の 年 しらがやま つるぎさん 要河川の流域は、はとんどこれらの山地帯に含まれ、曲流峡白髪山一帯は剣山国定公園の一部に、県央部の瓶ケ森一帯 いりの 谷をなす部分も多く、吉野川以外はいずれも土佐湾に流入し は石鎚国定公園の一部に含まれる。また県内には入野、奥物 かがみ ていすみよしょこくらやまよこなみおきっ ている。物部川、国分川、鏡川、仁淀川の各下流低地の総称部、白髪山、宿毛、手結住吉、横倉山、横浪、興津、須崎湾、 っる なかっ りゅうがどうやす である広義の高知平野以外には、四万十川下流の中村平野、中津渓谷、竜河洞、安居渓谷、四国力ルスト、北山、梶ケ もりゃなせわしおやま くいしやまじんもり 年 安芸川下流の安芸平野など、 いくつかの狭小な低地があるに 森、魚梁瀬、鷲尾山、エ石山陣ケ森の県立自然公園がある。 すぎない。六八〇キロに及ぶ長い海岸線をもつが、一般に、単〔気候〕足摺、室戸両岬沖を黒潮が流れ、冬の北西季節風が いそ 調な砂浜、磯の海岸が大部分を占め、沈水性の屈曲に富む海東西に連なる四国山地によって防がれるので、土佐湾岸部 れ は、冬温暖で積雪もほとんどみられない。一月の平均気温は 人数勢岸は、土佐湾中央部の浦戸、浦ノ内、須崎、久礼などの湾、 総国 位国 県東端の東洋町甲浦港、南西部の宿毛湾などに限られてい 足摺岬で八度 0 、高知市で五・二度 0 であるが、晴天が多 単全注 る。室戸、足摺両岬を中心とする海岸段丘の発達も知られてく、日最高気温は真冬でも平均一二、三度 0 となる。一方、 八月の平均気温は二七度 0 前後であるが、真夏日 ( 三〇度 O 成 ロ男女 男年 第 o 年 っ / っ / ( 0 (. 0 L-n L.n 4- 月 4- っ 0 つ」っこ 0 L-n O L.n 0 0 【う ) 0 L.n 0 L.n 0 (C) ) 0 (X) 「 / 「 / ( 0 (. 0 LC¯) Ln 4 っつ」っ」 100 歳以上の人口 い 980 年 ) やまなみ ものべ O 冖う ) O (C) ( Ⅱ ) ス ) O 仄 0 0 0 ( 日 ) O - Ⅱ ) O C) E - ℃ ) っ -) っ乙つ」 1 ー 1 ー 1 ー一つ」っ 0 44- / ノ 24 。、 2 。 24 。 室戸山 1 2 3 4 5 6 7 8 9 1011 12 月 0 等温線 ( ℃ ) 年降水量 2 月 4000mm 以上 8 月 3200—4000 月平均気温 匚こ」 2800 ~ 3200 —月平均降水量 気象官署 [ ここ ] 2400 ¯2800 緯度 / 経度 所在地匚こ〕 2400m 。。未満 1985 年版「理科年表」による だんがい 年平均気温 16.3 ℃ 年降水量 2666mm 33 。 33N / 133 。 32 ' E 1 .9m 0 じ 828
けいこ りつつあり、これは上述の流れのなかの現象と さる」「くださる」など ) 、②普通の語に敬語的存在 ( 神 ) に対する敬避の表現に発したものと退、③相対的用法の拡大などがあげられる。 成分を付加するもの ( 9 前接「お顔」「ご本」思われ、古くは文字どおり敬いの気持ちを表すや②は敬語簡素化の方向としてとらえられるしてとらえることができる。↓敬称〈辻村敏樹〉 が、とくに①の原因としては、人を上下関係に回時枝誠記著『国語学原論』「第五章敬語論」 ものが中心であった。しかし今日では、そうい など、 @後接「息子さん」「行かれる」など、 ( 一九四一・岩波書店 ) ▽金田一京助著『日本の かかわりなくみようとする現代社会の一般的風 う意識で用いられることもないではないが、 前後接「お医者様」「ご研究になる」など ) の 敬語』 ( 一九五九・角川書店 ) ▽辻村敏樹著『現 潮をあげることができよう。なぜなら、尊敬語 にの両方を用いて「お人関係における上下・親疎などの認識に基づく 二つがある。ただし、① ) 代の敬語』 ( 一九六七・共文社 ) ▽同著『敬語の ものがその基調となっている。すなわち、①上や謙譲語は、本来、上下関係を反映するものと 見えになる」「お伺いする」などの形にするこ 史的研究』 ( 一九穴・東京堂出版 ) ▽同編『敬 してできたものであるのに対し、美化語や対者 ともある。 下関係の認識によるもの ( 上役・年上・先輩な 語史』 ( 一九七一・大修館書店 ) ▽宮地裕著『文 〔敬語表現の手順と対人関係〕敬語の使用にあどに対する敬語 ) 、②親疎関係の認識によるも敬語はそういう性格のものではなく、自己の品 論』「敬語論」 ( 一九七一・明治書院 ) ▽林四 たっては、話し手、聞き手、話題の人物それその ( 初対面の人や面識の薄い人に対する敬語 ) 、位を保っとか、聞き手のみへの敬意を示すとい 郎・南不二男編『敬語講座』全一〇巻 ( 一九七三 ③恩恵的関係の認識によるもの ( 商人の客に対ったものとなっているからである。また、相対 れの関係に応じて、上記各種のことばを使い分 ~ 七四・明治書院 ) ▽大野晋・柴田武編『岩 けたり、組み合わせたりする必要があるが、動する敬語や、患者の医者に対する敬語など ) 、的用法とは、相手によって敬語の使い方を変え 波講座日本語 4 敬語』 ( 一九七七・岩波書店 ) は優劣関係によるもの ( 役人・代議士などに対ることで、これは、古く神や天皇が上位者とし 作の表現では、原則として、①話題の人物相互 ▽宮地裕編『敬語史』 ( 一久一・明治書院 ) ▽ ⑤公的立場の認識によるもの ( 放ての意識のもとに、自分自身に敬語を用いた絶 の関係による敬語、②話し手と話題の人物の関する敬語 ) 、 国立国語研究所編『企業の中の敬語』 ( 一九 係による敬語、③話し手と聞き手の関係による送・講演などの際の敬語 ) などいろいろある。対的用法 ( 類例は近世の大名などにもある ) と 全・三省堂 ) ▽同編『敬語と敬語意識 敬語の順、たとえば、「 << さんがさんに本をそのほか、自己の品位を保とうとの意識から用対照的なものといえる。なお、絶対的用法から かいぎやく 岡崎における年前との比較』 ( 一九会・三省 相対的用法へというのが敬語の一つの流れであ いる場合や、親愛・諧謔の意の表現のため自 ざしあげ ( られ ( ます。」のように表現される。 堂 ) ▽桜井光昭著『敬語論隼ー・ー古代と現 るが、現代では自分の身内はもちろん、勤務先 このことは、逆に、敬語表現の型から人と人と分自身に用いる場合もある。 代』 ( 一九〈三・明治書院 ) ▽大石初太郎著『現 の上司のことを外部の人に話すにも、自身のこ 〔現代敬語の傾向〕現代敬語の傾向としては、 の関係を探りうることを示す。 代敬語研究』 ( 一九〈三・筑摩書房 ) に特定語形の衰とをいう場合と同様な話し方をする傾向が広ま 美化語や対者敬語への傾斜、 ) 〔敬語と敬語意識〕敬語は、もと人力を超えた っておいで」 しても用いられる。「夏にはどこかへいらっし 紙」の項を参照されたい。 敬語小辞典 ゃいましたか」「お遊びにいらして下さい」「長おおせ〔仰せ〕命令・ことばの意。敬意が高 〈辻村敏樹・川岸敬子〉 現在あまり用いられない。「仰せに従い 年外国にいらしたそうですね」「ピアノを弾い 敬語とは、話し手 ( 書き手 ) が、聞き手 ( 読 尊敬語 さっそく手配いたします」「せつかくの仰せで ていらっしゃいます」「小林先生でいらっしゃ み手 ) あるいは話題の人物に対する敬意に基づ いますか」「いらっしゃい。奥さん、今日は何は。こ、いますが、 いて用いる特定の言語形式であるが、それは次あがる〔上がる〕飲食する意。「召し上がる」 おかあさま〔御母様〕母の意。敬意が高い。 に , し士オ・・か」 のはうが一般的。「お昼は外であがることが多 のように分類することができる。 「お母様、お手伝いいたしましよう」「お母様に おー〔御ー〕 ( 接頭語 ) ①敬うべき人に属す しようです」 ①素材敬語・ : 表現素材について用いられるも あそばす〔遊ばす〕する意。「お ( ご ) ー遊る事物や、敬うべき人を表す体言に付く。②どうそよろしくお伝え下さい」 の。 「おー遊ばす」「おーになる」「おーなさる」「おおかあさん〔御母さん〕母の意。「お母様」 尊敬語 : ・相手 ( Ⅱ聞き手・読み手 ) や第一一一ばす」の形で、補助動詞としても用いられる。 ー下さる」「おーだ」などの形で敬うべき人のより敬意が低い。「おかあさん、行ってきます」 者 ( Ⅱ話題の人物 ) の動作・状態・所属物敬意が高く、現在あまり用いられない。「いか 「おかあさんはお留守ですか」 動作を表す動詞の連用形に付く。軽い命令を表 が遊ばしましたか」「どうそお掛け遊ばせ」 などを高めていうもの。 謙譲語 = ・自分 ( Ⅱ話し手・書き手 ) 、またあちらあの人の意。「あちら様」のはうが敬す「お + 動詞連用形」は、「おーなさい」の省おかくれになる〔御隠れになる〕死ぬ意。 は自分側の者の動作・状態・所属物などを意が高い。「あちらどなたかしら」「あちら様を略形。③敬うべき人の属性・状態を表す形容詞身分の高い人について用いられる。一般には 「お亡くなりになる」などが使用される。「明台 などに付く。④「おーさま ( さん ) 」の形で、 ご案内して下さい」 低めていうもの。 あなた〔貴方〕相手をさしていう。近年は敬動詞の連用形などに付き、同情やねぎらいを表天皇がお隠れになったときのことを覚えており の美化語 : ・表現素材を美化していうもの。 ます」 ②対者敬語 ( 日丁寧語 ) : ・相手に対し、直接敬意が下がり、目上に対しては使えない。「あなす。「お荷物はこちらですか」「お二人でお出か 0 0 0 け下さい」「お美しい方です」「お疲れさまでしおかげ〔御陰〕神仏の助けや人のカ添えによ た様」のほうが敬意が高い。「あなたはどうな あいさっ 意を表していうもの。 る恩恵の意。「おかげさま」の形で、挨拶こと なお、一般には右の美化語と対者敬語を一括さるおつもりですか」「あなた様におわびを申た」 ばとして用いられることも多い。「これも皆さ おいで〔御出で〕行くこと、来ること、いる し上げなければなりません」 して丁寧語とよんでいる。 ことの意。「おいで遊ばす」「おいでになる」んのおかげです」「おかげさまで、この春卒業 あのかた〔彼の方〕あの人の意。第三者を 以下、右のそれそれに属する現代敬語を五十 いたしました」 「おいでなさる」「おいで下さる」「おいでだ」 さしていう。「あのお方」のほうが敬意が高い 音順に配列し、意味・用例を示す。手紙など、 などの形で用いられることが多い。軽い命令をおかた〔御方〕人の意。敬意が高い。「ごり 「あの方のお名前をご存じですか」 文章に限って用いられる敬語 ( 「貴ー」など ) つばなお方でいらっしゃいます」 いらっしやる行く・来る・いる意。「ーて表す「おいで」は、「おいでなさい」の省略形。 。。△印を付し、用例中の当該語には傍線、当 また、「ーておいで ( 遊ばす・になる・なさおくさま〔奥様〕 ( 他人の ) 妻の意。敬意が いらっしやる」「ーでいらっしやる」の形で、 該語を含んで一つの敬語形式をなしているもの る・下さる・だ ) 」の形で、補助動詞としても高い。「奥様でいらっしゃいますか」 補助動詞としても用いられる。命令形「いらっ の他の部分に、は。印を付した ( 「お掛け遊ば しゃ い」は他の活用形よりも敬意が低い。な用いられる。「おいでをお待ちしております」おくさん〔奥さん〕 ( 他人の ) 妻の意。「奥 せ」など ) 。また、手紙の頭語 ( 「拝啓」な ど ) 、結語 ( 「敬具」など ) 、脇付 ( 宛名のわきお、「いら 0 しゃい」や「いらっしゃいませ「同窓会においでだそうですね」「あの方が先ほ様」より敬意が低い。「奥さん、どうもご馳走 どから待っておいでになります」「その箱を持さまでした」 に添えて敬意を表す語。「侍史」など ) は、「手 ( まし ) 」は、歓迎の気持ちを表す挨ことばと 0 0 0
けい くださる〔下さる〕くれる意。「ーて下さ おこさま〔御子様〕 ( 他人の ) 子供の意。敬おとうさん〔御父さん〕父の意。「お父様」下さる」「お休みいただく」などの形でも用い 意が高い。「お子様のお手を引いて、エスカレ より敬意が低い。「お父さん、お帰りなさい」 られる。なお、「お休みなさい」の省略形のる」「お ( ご ) ー下さる」の形で、補助動詞と あいさっ ーターにお乗り下さい」 「お休み」は、就寝のときの挨拶ことばとしてしても用いられる。「先生がご本を下さいまし 「お父さんはお勤めですか」 も用いられる。「もうお休みの時間ではありま た」「ここに記入して下さい」「案内書をお送り おこさん〔御子さん〕 ( 他人の ) 子供の意。おにいさま〔御兄様〕兄の意。敬意が高い 「お子様」より敬意が低い。「きのうお子さんに 「お兄様、お父様がお呼びです」「お兄様とは大せんか」「先生がお休みになったので、今日の下さい」 お会いしました」 〔兄〕相手をさしていう。男同士で、 学でごいっしょでした」 授業は休講です」「あしたは朝が早いから、早けい△ くお休み」 親しい人や目上の人に用いる。また敬称として おこし〔御越し〕行くこと、来ることの意。おにいさん〔御兄さん〕兄の意。また、若 「お越し遊ばす」「お越しになる」「お越し下さ い男性をさしていう。前者の場合、「お兄様」おんー△〔御ー〕 ( 接頭語 ) 敬うべき人に属すも用いられる。「兄の御健闘を祈る」「高田兄」 けいとう△〔恵投〕物を送ってくれることの る」「お越しいただく」などの形でも用いられより敬意が低い。「お兄さん、この本を見せてる事物を表す体言に付く。「御地の台風はいか る。「当地にお越しの節は、お立ち寄り下さい」下さい」「ちょっとそこのお兄さん、手を貸し がでしたか」 意。多く「ご恵投」の形で用いられる。「ご恵 「どうそお越し下さい」 てくれませんか」 投のお品、ありがたくいただきました」 かた〔方〕人の意。「お方」より敬意が低い 人を数える接尾語としても用いられる。「ご親 ごー〔御ー〕 ( 接頭語 ) ①敬うべき人に属 おさと〔御里〕郷里・実家の意。「お里は静おねえさま〔御姉様〕姉の意。敬意が高い 岡だと伺いましたが、 「お姉様、そのお洋服、すてきですね」「お姉様切な方です」「お三方が見えました」 する事物や、敬うべき人を表す漢語に付く。 おじいさま〔御祖父様〕祖父の意。敬意が はこの春ご結婚なさったそうですね」 ーになる」「ごーなさる」 ーがた〔ー方〕 ( 接尾語 ) 人を表す体言に付②「ごー遊ばす」「ご 高い。「おじい様、このご本を拝見してよろし 「ごー下さる」「ごーだ」などの形で、敬うべき おねえさん〔御姉さん〕姉の意。また、若き、複数を示す。「先生方もご出席下さいまし いですか」「おじい様にはたいへんお世話にな い女性をさしていう。前者の場合、「お姉様」た」 人の動作を表す漢語に付く。③敬うべき人の属 り : ました」 ー一し 〔学兄〕学問上の先輩をさしてい 性・状態を表す漢語に付く。④「ごーさま ( さ より敬意が低い。「明日、お姉さんの家に遊びが おじいさん〔御祖父さん〕祖父、男性の老に行こうかしら」「お姉さん、お冷やを一杯」 う。敬称としても用いられる。「学兄のお元気ん ) 」の形で漢語に付き、相手への同情やねぎ おもむき 人の意。前者の場合、「おじい様」より敬意がおばあさま〔御祖母様〕祖母の意。敬意が な御活躍の趣、なによりに存じます」 らいを表す。「ご本人に直接お話し申し上げま 低い。「おじいさん、庭のバラが咲きましたよ」高い。「おばあ様の編んで下さったセーター 〔貴ー〕 ( 接頭語 ) 相手または相手に属す」「毎度ご来店下さいまして、ありがとうご 「おじいさん、どこからいらしたのですか」 暖かですよ」「おばあ様は、お元気でいらっしする事物を表す漢語に付く。「近日貴校に参上ざいます」「ご無事でなによりでございました」 おじさま〔伯父様・叔父様・小父様〕伯父、 ゃいオ ( す・か」 いたします」 「どうもご苦労さま」⑤漢語のほか、まれに こ 7 わ計・ / 、。「、デゆ・つノ \ 「ゆっくり」などの和語し 〔ー貴〕 ( 接尾語 ) 人を表す体言に付く。 叔父、中年以上の男性の意。敬意が高い。なおばあさん〔御祖母さん〕祖母、老女の意。 り、おくつろぎ下さい」 お、「小父様」は、若い女性のことば。「お父様前者の場合、「おばあ様」より敬意が低い。「お親愛の意を含む。「兄貴」「伯父貴」など。 とおじ様は、 きし くっ違いですか」「鈴本のおじ ばあさん、肩をたたきましようか」「もしもし、 〔貴意〕 ( 相手の ) 考えの意。「この件 ーご〔ー御〕 ( 接尾語 ) 人を表す体言に付く。 様にお願いしてあります」 おばあさん、そこを渡ると危ないですよ」 につき、貴意を得たく存じます」 敬意が低い。「母御」「姉御」など。 おじさん〔伯父さん・叔父さん・小父さん〕おばさま〔伯母様・叔母様・小母様〕伯母、きか△〔貴下〕相手をさしていう。 〔高ー〕 ( 接頭語 ) 敬うべき人に属す 伯父、叔父の意。また、中年以上の男性をい 叔母、中年以上の女性の意。「おば様、よくおきけい△ 〔貴兄〕相手をさしていう。男同士る事物を表す漢語に付く。上に「ごー」の付く う。「おじ様」よりも敬意が低い。「おじさん、 ことが多一い いで下さいました」「お隣のおば様から果物をで、同等または目上の人に用いる。 僕も散歩に連れて行って」「隣のおじさんに駅 いただきました」 きさっ△〔貴札〕 ( 相手の ) 手紙の意。「貴札 こうおん△〔高恩〕恩の意。 で会いました」 おばさん〔伯母さん・叔母さん・小母さん〕拝見つかまつりました」 こうけん△〔高見〕意見の意。「ご高見承り おじようさま〔御嬢様〕 ( 他人の ) 娘の意。伯母、叔母の意。また、中年以上の女性をい きだい△ 〔貴台〕相手をさしていう。 たく存じます」 敬意が高い。「お嬢様は、お着物がよくお似合 う。「おば様」より敬意が低い。「おばさんま。、 。ノきでん△〔貴殿〕相手をさしていう。 こうさっ△〔高察〕推察の意。「ご高察、恐 いでいらっしゃいますね」 ハの妹でしよ」「おばさん、ポール取らせて下きほう△〔貴方〕相手をさしていう。 れ入ります」 き、し」 きめい△〔貴名〕 ( 相手の ) 名前の意。「貴名、 こうちょ△〔高著〕著書の意。 おじようさん〔御嬢さん〕 ( 他人の ) 娘の 意。また、未婚の、あるいは若い女性をさしておほしめし〔思召〕考え・喜捨などの意。先方までお知らせ下さい」 こ一つはい△ 〔高配〕心配りの意。「ご高配の いう。前者の場合、「お嬢様」より敬意が低い 「そこから先は神様のおばしめしです」「おばしぎよー△ 〔御ー〕 ( 接頭語 ) 敬うべき人に属すほど、お願い申し上げます」 「お宅のお嬢さんは、もう高校生ですか」「お嬢めしをありがたくちょうだいいたします」 る事物を表す漢語に付く。敬意が高い。 こうひょう△〔高評〕批評の意。「ご高評賜 さん、ハンカチが落ちましたよ」 ぎよい△ おほしめす〔思し召す〕思う・考える意。 〔御意〕考え・命令の意。「御意に召れば幸甚でございます」 現在ではあまり用いられない。「、 : : おたく〔御宅〕①家・家庭の意。「お宅の前 しカカおばしせば幸甚でございます」 こ一つめい 〔高名〕名前の意。「ご高名はか に車を置かせて下さい」「お宅のご家族は何人めしますか」 〔玉ー〕 ( 接頭語 ) 敬うべき人にねがね承っております」 ですか」②相手をさしていう。「お宅はどうなおみあし〔御御足〕足の意。「こちらの靴は属する事物を表す漢語に付く。敬意が高い こうらい 〔光来〕来訪の意。多く、「ご光 さいますか」。「お宅様」のほうが敬意が高い。 おみ足にびったりでございますね」 ぎよくあん△〔玉案〕机の意。「玉案下」の来」の形で用いられる。「ご光来のほどお待ち わ等らけ おっしやる〔仰しやる〕いう意。「ご親切に おみき〔御神酒〕神前に供える酒の意。「正形で、手紙の脇付の語として用いられる。 申し上げます」 おっしやっていただき、ありがと , っ」、いま 月には、神棚にお神酒をお供えします」 きよくえい 〔玉詠〕 ( 相手の ) 詩歌の意。 こうらん△〔高覧〕見ることの意。 みやげ す」「鈴木さんとおっしやる方からお電話です」おもたせ〔御持たせ〕手土産の意。「お持たぎよっこう△〔玉稿〕 ( 相手の ) 原稿の意。 こうりん△〔光臨〕来訪の意。多く「ご光 せで失礼ですが、召し上がって下さい」 おとうさま〔御父様〕父の意。敬意が高い。 「玉稿ちょうだいいたしました」 臨」の形で用いられる。 「お父様、新聞が参りました」「お父様にどうそおやすみ〔御休み〕寝ること、欠勤などのきらん△〔貴覧〕 ( 相手が ) 見ることの意。 ごしんぶ△〔御親父〕 ( 他人の ) 父の意。 意。「お休み遊ばす」「お休みになる」「お休み よろしくお伝え下さい」 「近日貴覧に供したく存じます」 ごぞんじ〔御存じ〕知っていることの意。 △
げん フ匸 ル人が任命され、それ以外で宰相になった者は ある。公示相場は、対象通貨の中国の対外貿易た。 , 彼の後を継いだ第三子オゴタイ・ハン ( 太ウ ( 海都 ) の乱であった。元朝は、その後も宗 に占める比重と国際市場における変動幅を考慮宗 ) は、南宋と結んで金を挟撃してこれを滅ば主国の地位にはあったけれども、諸ハン国への元朝を通じてわずか三人にすぎなかった。地方 して調整されている模様である。〈平野勝洋〉し ( 一 = 三四 ) 、華北全域を掌中に収めた。彼は父支配権は及ばず、いよいよモンゴリアと中国と行政では伝統的な州県制を継承するとともに、 州のうえに路を置き、都市には特別に市内行政 回金融制度調査会編『中国の金融制度』 ( 一九 の遺業を継いで統治組織を固め、駅伝の制を定を支配する中国王朝の性格を強めることになっ ろくじし 六 0 ・日本評論新社 ) め、紙幣を発行し、税法を整え、カラコルムた。一時中断した南宋征討は、周到な準備を経を行う録事司を設けた。畿内を意味する腹裏 ~ 一三六 0 。モンゴ ( 和林 ) に都城を建設した。とくに漢地の経営て一二六八年に再開され、七六年正月には都の ( 河北、山西、山東 ) は中書省の直轄であった 元げん中国の王朝 ( 一 = 七一 きんなんそう - 」うしゅう やりっそざい が、その他の地域には行中書省が設けられた。 ル族が金と南宋を滅ばし、異民族として初めてでは、チンギス ・ハン以来の重臣、耶律楚材を臨安 ( 杭州 ) を陥落させた。南宋はこのとき ぶんてんしよう 中国全土を支配した、いわゆる征服王朝であ重用し、その献策に負うところが大きかった。 事実上滅亡した。なおも抵抗を続ける文天祥これは、初め中書省の出張所として臨時に置か えききよう る。元 ( 大元 ) という国号は、『易経』の「大 最後に残った南宋の攻略は、第四代モンケ・ らを追撃して、七九年になって完全に南宋を征れたものであるが、のちには皇帝に直属する常 ・、うらい かんげん なるかな乾元」に基づく ハン ( 憲宗 ) のときに始められた。 , 。 彼ま、漢地 服した。その勢いに乗じて、高麗を服属させ、置の地方官庁となった。略して行省といい、 〔建国過程〕外モンゴリアのオノン、ケルレン大総督に任命して漢地の統治をゆだねていた弟さらに、日本にも遠征軍を二度にわたり派遣現在の行政区画「省」はこれに由来する。河南 せんせい かんしゆくりようよう こうせつ げんこう 両川の上流地域に台頭したモンゴル部の部族長のフビライと力をあわせ、三方面から南宋に侵 ( 元寇 ) したが、失敗した。また南方には安南、江北、陜西、四川、甘粛、遼陽、江浙、江西、 れいほく しせん テムジンは、周辺の諸部族を平定し、一二〇六攻したが、合州 ( 四川 ) の陣中で病没した。そビルマ、ジャワに遠征して、ジャワを除く東南湖広、雲南、嶺北の一〇行省が置かれ、それそ れ地方行政全般に広い権限をもった。もとよ 年クリルタイ ( 大集会 ) において大ハン位に推こでフビライは一時停戦して急いで北帰し、開アジア諸国を従属国にした。 り、各長官はモンゴル人を任命するのが原則で 挙され、チンギス・ハンとなった。中国側では平 ( 上都、ドロンノール ) に彼の支持者だけを〔統治体制〕異民族が中国に入って支配者とな った場合、しだいに中国の高い文化に同化されあった。また路以下の官庁には、ダルガチ ( 達 この年を元の太祖 ( チンギス・ハン ) 即位年と集め、独断でクリルタイを開き、大ハン位につ いた。すなわち、元の世祖である。中国風に年ることが多かったが、元朝は中国統治に際し魯花赤 ) とよぶ独特の官が置かれた。これは断 する。彼は強力な軍隊を編成して、東は金領に て、モンゴル人に政治的、社会的特権を与え事官とも訳され、地方行政全般について決定権 侵入して黄河以北の河北、山東の地を獲得し、号をつくって中統元年 ( 一 = 六 0 ) とし、大都 ( 北 西は中央アジアから南ロシアまで制覇し、アジ 京 ) を国都に定め、上都を副都にして夏季はこて、支配者の地位を保証する体制をつくり、民をもっ最高責任者であり、次官以下の漢人官僚 ア、ヨーロッパにまたがる空前の大帝国、モン こに避暑した。さらに一二七一年に国号を大一兀族固有文化の保持を図った。これをモンゴル至を監視する目付役でもあった。 せいか と称し、ここに彼は中国流の天子になったので上主義という。それを示すものが民族別の身分 元朝は伝統の官吏登用試験である科挙を廃止 ゴル帝国を築いた。一二二七年、西夏を滅ば しきもく おんいん して、高級官僚の任用は世襲、恩蔭、推挙制な し、金の討伐に向かったが、その途上で病没しある。これに対して本地の王族たちは、フビ一フ制度であって、モンゴル人、色目人 ( ウイグル イ・ハンを承認せず、別にクリル人、イラン人など ) 、漢人 ( 旧金領下の漢人、どの門閥主義によった。門閥といっても貴族社 タイをカラコルムに開いて、末弟契丹人など ) 、南人 ( 旧南宋治下の住民 ) の四会のそれとは異なり、朝廷と特別な関係をもっ すいたい アリク・ブハを大ハンに推戴し階級に分けられた。そのうちモンゴル人が政治ているかどうかが基準となった。それ以外に官 しより た。そのため両者の間に相続争い の要職を独占してあらゆる特権を享受し、色目吏になる道は胥吏 ( 事務員 ) から昇進すること したいふ が起こったが、経済力に勝るフビ人はモンゴル人の不得意な財政などを担当しであったから、知識人たちは従来の士大夫的教 けいべっ ライ・ハンが勝利を収めた。 て、やはり支配者の列に加えられた。数のうえ養を捨てて、低級な仕事と軽蔑してきた吏学を 当時、中央アジアには、チンギでは圧倒的に多い漢人と南人とが被支配者の地学んで胥吏となった。しかし科挙の復活を望む ス・ハンの諸子分封に由来する四位に置かれ、政治の中枢に参画できす、法律上声が士大夫の間に強く、そこで仁宗の一三一四 ハン国が存在していたが、元朝がでも著しい差別があった。 年、初めて実施されたが、合格者の数は少な 成立すると、それそれ分離独立し 中央政府は宋代に始まる君主独裁制を継承し く、官制上に大きな意義はもたなかった。 ぎよしだい たん ていった。モンゴル帝国の分裂をて、中書省 ( 行政 ) 、御史台 ( 監察、司法 ) 、枢 人民はすべて職業によって軍、站、匠、民を 決定的なものにしたのは、一二六密院 ( 軍事 ) を分立し、各長官の合議で国務をはじめ、僧、道、儒、医などのいずれかの戸籍 に登録され、それぞれの職能に応じて各種の負 八年以来三〇年にわたったハイド 決定した。それそれの長官にはおおむねモンゴ 元 / 略系図 晋王ー泰定帝 ( エスンテムール ) ー天順帝 ( アスキバ ) 皇太子チンキン成宗 ( テムール ) 明宗 ( クシャラ ) ( 一元四ー一三 ) ( 一一三八ー元 ) ダルマバラ 安西王マンガラー安西王 ′ 0 し カル 嶺北行省 チャガタイ・ハン 甘一行省 ー、・甘州 / ・も ( 開城 ) 高 元の範囲 ・国都 主都 省界、 運河 ) 現在名、 モンケ軍進路 ーーやフビライ軍進路、 - ーー ーーやウリャンハタイ軍進路 河南、「北ⅱ・ ' 女 西 都 揚子注 0 0 慶 交 ) 人 500 1000km 世祖 ( フビライ ) ( 三六 0 ー九四 ) 青数字は即位順 ( ) 内数字は在位年 フビライに関してはモンゴル皇帝となってから きったん みつ 武宗 ( ハイシャン ) ( 一三 0 七ー二 ) 文宗 ( トプテムール ) 寧宗 ( ィリンチパン ) ( 一三元、三一 l) 仁宗 ( アユールヾリバトラ ) ー英宗 ( シュドバラ ) すう 順帝 ( トガンテムール ) ( 一三三三ーと ) (ーーーー三 ll) 283
けいくじ ① ⑥ 2 Die' 万 wegen rob ⑦ ⑥朝鮮の習。重罪を犯し , 脱走のおそれのある者に用 は・ % 物いられた。 19 世紀韓国水 ま帑竹ええ原民俗村 み ・、イえ守⑦鋸挽晒。江戸時代 , 主君 や父を殺した大罪人に科せ られた極刑。引廻しののち , 晒場の穴晒箱に入れて杭に つなぎ , 首械をかけ , 釘打ち をし , 両肩に切りきずを加え , その血を竹鋸に塗り人々の見 せしめにし , また望む者があれ ば挽かせた。「刑罪大秘録』 ⑧絞柱と懸錘。明治初めの 絞首刑用の刑具。踏板に囚 あしかーー 人をのせ , 腰縄 , 鉄鐐で身 体を固定し , 首に巻いた絞 縄を滑車に通し , 鉄錘 ( 分 銅 ) の重さを利用して絞首 する。新律綱領 ⑦⑧とも明治大学刑事博物 館 鉢・大 ④・ ③ を物をレ ⑤ 構災面表 当 ゅうきよくくちかせ ズ・プライドルとよばれる有棘のロ械がある。 そのはか、晒のための刑具に、罪人が座った 状態で手械・足械をかけるストック、立ったま まで首と手を板の穴に通すピラリーなどの械が あり、中国の首械は有名である。日本でも、律 りしま - っ はんか 令時代には、徒刑の加重手段として盤枷 ( 首 械 ) 、 ( 足械 ) があり、江戸時代には手鎖が あった。釞は、一九〇八年 ( 明治四一 ) の監獄 法制定まで獄具としても用いられた。 〔拷問具・獄具〕拷問は日本では一八七九年 ( 明治一 (l) の太政官布告で廃止されたが、そ 一「」れ以前は法律上も認められていた。拷問具に = 一は、打具のほか、縛具、圧迫具、有棘具、火や 水などが用いられた。縛具には縄を用い、江戸 ろうもん あげなわわりびし したまわし 時代の牢問として十文字、上縄、割菱、下廻、 たか しめおいずる 返し鷹の羽、注連、笈摺などの縄打が行われた えびぜめ が、とくに厳しい吟味のためには、海老責、釣 するがどい り責、駿河問があった。ヨーロッパにもこれに 類するものが多く、特異なものとしては、ロン ドン塔に陳列されている「道路掃除人の娘」と ひざ いわれる縛具があり、これは膝と胸を締め合わ せ、足を尻に引き寄せる拷問具であった。圧迫 そろばんぜめ オなた うた博 具には、日本で江戸時代に用いられた算盤責が イき立よれ罪 さんばん 大にるさ ある。算板に人を正座させ、板状の伊豆石を膝 首。台か押世 重たし晒わか中 の上に重ねて行われる。ヨーロッパには、親指 と日ク , られれ焼ル を圧迫するサムスクリュー、頭部を圧迫する鉄 さそにプ 用通に額ン 輪の「ポンメルンの帽子」などがあった。 つにがちはテ 有棘具としては、脚部を圧迫し、とげで傷つ ニ子首ツの の女手イ , るロ ける「スペインの長靴」、とげのある椅子に締 上「婦にドはあも し穴 れ め付ける拷問椅子、とげのある器物内に人を入 ン悪な紀人しッす たる のさ世罪すイい れる「有棘樽」などがある。人型の容器の内部 ふた 、重首ト オ業 に針をつけ、人を入れて蓋を閉じると、その身 首た印背紀⑤ 首ンにれ焼 , 世④館体を刺し、蓋を開くと中の人が下の堀割に落ち ④リ穴さ⑤にⅱ③物 るようになっている「鉄の処女」は、ドイツ中 世の刑具として有名であるが、その使用目的、 を人転ンミ 使用の有無は明らかでない 量のイれ あぶりか′、すまき るれド 2 火・水を用いるものには炙籠・簀巻がある。 じわ 、くかんば - 一 なお、搾汗箱は、獄具として懲罰に用いられた 檻れ館館も 物集蓋と ものではあるが、小さな息穴をつけた鉄製の めれ 1 専 収てめ 「鉄の処女」のような筒中に人を入れ、直射日 の一 ) け」物け・こ、よ 刑檻受刷つのは 光の下や火熱の傍らに置くもので、イギリスの 水 , を中を嚇で 針威かオーストラリア流刑地や、アメリカのジョージ る屋るレ レ側も明 ア州で用いられた。 〈須々木主一〉 対、尢タ内とは 。たど回滝川政次郎著『日本行刑史』 ( 一九六一・青蛙房 ) けいくじゃくいし並日一 ~ は潜日 屋→ 珪くじゃく石 , 市のり目 てう 質で、たんばく石様ないし土状の塊として産す 具 ②つよはノ鉄よ用 刑①偽の①ラ③に使 るが、ごくまれに微細な針状結晶が放射状に集
こうくう ー -4- 4 戸 0 、 1 -8 《 0 11 LO っー -0 8 ワ」 - -0 行ー 8 ワー 8 0 ワ朝 をみると ( 表 2 ) 、生産機数では二割ないし数 / 1 人 8 ーワ、 1 ー、 1 c-D 8 0 8 《 0 -4 ・ 00 戸 0 ー 移需 ) 、 1 11 録 、 1 ワ、 1 11 、 1 11 ワ】ワ 1 つんワ朝ワ】 1 % にすぎない軍用機が、金額では八割ないし五 6 の 割を占め、当然のことながら軍需依存体質を明 っ 0 ワ 0 ーっ 0 00 ワ朝イ 1 0 11 (. 0 -0 8 0 8 っ 0 -4 〃 1 ム 4 、 1 -8 -8 -9 、 -4 《 0 -8 00 ワ】 8 0 8 -. 0 -4 -. 0 ん . ワ】 11 戸 0 一 4 ・つ朝 0 つん 1 よ 00 《 0 0 -4 ・、 .0 LO 8 (. 0 11 -4- 8 -8 、 1 らかにしている。輸出入をみると一九八三年の 需む計 民含合 需 0 アメリカは、輸出が一六一億ドル ( 約三・七兆 ^ 0 ワ】 -. 0 0 ・ -1 0 -4 ワ 1 行 / ワ朝 0 00 ワ】 -4 8 8 9 、 円 ) で、生産額に対する輸出比率は一一一 % を占 戸 0 8 「ー / っ 0 -0 -0 -8 4 -4 ・ -8 っ 0 11 内 / 1 よ -4 ・《 0 ワ】 11 、 1 0 -. 0 4 8 4 ・ -4 ・ 0 ワ】 11 00 1 人っ 0 ・ 1 8 「ー「ー 8 9 、「 / ームム る数需 め、輸出入差は一二六億ドルの出超。フランス、 ワ】 1 よ 1 よ、 1 ワ】ワ】 4 ・ -4 00 っ 0 ワワ 0 ・ 1 11 1 人 1 人 機軍 お イギリス、カナダは、それそれ三四億ドル、一七 11 っー -8 -0 ( 0 「ー LO -0 -4 ・ 4 「ー戸 0 -0 0 11 億ドル、四億ドルの出超に対し、西ドイツは九億 需率 タ -8 8 -8 【 / 0 0.0 -4- 【 r¯J 【 0 -4 ・ 4 っ 0 っ 00 -4 ・ 4 00 っ 0 っ 0 LO -4 ・ ~ 航 イ レ 日本も一八億ドルの入超である。ここでもア 生 本 《 0 8 - -0 ^ りーー 8 1 よ 0 戸 0 C-D - -0 8 1 人ワ -4- ワ」ー L-n メ メリカの出超は抜群である。 を レ 4 ・ -. 0 00 《 0 り 0 00 00 っ 0 8 -. 0 っ 0 1 人戸 0 ワ・ー・ワ 11 ー 11 4 ・ 倍 ~ ダ っ 0 LO ・ 4 0 一 4 ・ー , 1 ワん -4- 【 0 ワワ】 8 11 1 よ -0 ワ】ーア . 空 需む計 アメリカの航空宇宙工業関係の輸出額が全ア ナ L.n -4 ・ 00 ・ 4 4 ー 8 行ー t-—《 0 ーー 8 8 1 人 00 1 人ー 8 11 1 よ 11 ワ】、 1 1-- ~ 2 航万民含合 イカ と メリカ輸出額に占める地位をみると、一九八三 カ と一 4 / 0 -4- ^ 0 、 1 00 0 ー 1 よ -4 ワ・ 4 -4 ・ -0 -4 戸 0 -8 年で八・二 % を占める。八三年の日本の鉄鋼輸 -8 11 ー -8 「ー尸 0 ーーワ 0 -4 ・ワ】ーっ編、 .0 「 / 1 よ 4 ・ 0 0- っ -4 ・ 8 8 0 8 -0 -4 ・ -8 ワ -0 ワ 0 11 / 00 ・ 4 -4 0 ~ 衣ん」 メ産需 移 4 ワ 4 00 ワ 1 っ -4 ・ 00 っ 0 っ 0 り編っ 0 ワ 1 ワ朝 00 -4 ・ 4 ・ 4 -. 0 《 0 8 8 9 、 出は一二八億ドルで日本の全輸出に占める比率は ア生軍 ・七 % 、自動車は一一六一億ドルで一七・八 % で の 表 ワ」っ 0 4 ・ (C) (. 0 「ー 8 0 ) 0 4 ー - っムっ¯) 「、 つ」っ 0 4 ・ (C) (. 0 7 ー 8 0 ・ ) 0 あるから、いかにアメリカ航空宇宙工業の輸出 表 上 の比重が高いかが知れよう。とくに貿易収支で ン 産圏諸国を除く ) 、圧倒的規模であるみれば ( 表 3 ) 、アメリカの全貿易収支が、八 の ラ 入 移 業 フ ( 表 1 ) 。ヨーロッパ四か国 ( イギリ三年に六〇七億ドルの大幅赤字のなかで、航空宇 工 の ス、フランス、西ドイツ、イタリア ) 宙工業の貿易収支は一二六億ドルの大幅黒字であ ス 支 ワ・ 0 4 -8 1 人 -8 戸 0 べ の合計売上高、従業員数はアメリカのり、農産物と軍事産業のみが黒字という、アメ 収 L.n - -0 つん一 4- 0.0 -8 ワ調 内出 空ギ 、 1 ワ】 00 戸 0 8 ームエ リカ貿易収支の体質を如実に示している。 三〇 ~ 三五 % 程度であり、日本の規模 工 の関 〔日本の現状〕第二次大戦後の日本の航空機工 は一九八二年 ( 昭和五七 ) で、アメリ 国 宙 ゥー 0 ・ 0 0 0 -. 0 / 0 8 ワ 4 0 係宙支 各機 力の約四 % 、二六・三億ドル ( 約六二〇業は、一九五二年 ( 昭和二七 ) 在日米軍機のオ 0 -8 4 0 00 関宀 ~ 。ロ人 00 【 0 -4 ・《 0 【 -0 ワ】 -0 00 00 1 《 空 1 よ 1 人っ CO 4 / ー 0 11 11 ワ」 9 3 9 6 1 3 貶航宙空易 〇億円 ) となっている。 ーホールから出発した。五四年に防衛庁が 1 ー 4 11 1 人 11 1 よ 航 1 1 1 2 3 3 3 4 本卓・航貿 日 表ち アメリカの航空宇宙工業は一九六〇設置されてからは、防衛庁機のライセンス生産 空 ′ 0 -4 4 ・ 1 よワ】 00 0 《 0 0 1 人ワ《 0 11 ワ朝 0 航 定 カ 、「ーっ 0 ワ戸 0 ワっ 0 -8 / -4- t•-— CO -. 0 8 1 年代に入り、アポロ計画とベトナム特へと移行した ( 表 4 ) 。ついでしだいに国産の カ宙 レっ 0 -8 -8 0 っ 0 ー - -0 ワ c-0 0 1 よっー旭 ワ】一 4 1 0 1 業 ′ 0 ワ】ワ】、 1 ワー 8 っ 0 0 行ー 0 0 ス需で六八年に一一六〇億ドルのピークに達防衛庁機や民間機の生産に進んだ ( 表 5 ) 。国 「ー戸 0 っ 0 ワ 1 「 / 工 メ . 収万 メ メ空 4 4 1 4 2 3 6 5 ▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽イ ワワ】っ -4 -0 " 0 ー数 ア易百 したが、その後アポロ計画の縮小 ( 一九産最初の量産機は六〇年の自衛隊の中間ジェッ ア マ 内 全貿 ( 七一一終了 ) 、ベトナム和平で減少に転じ ト練習機ー 1 であり、民間機ではーⅡで、 ▽ っこ CC) O l-n O ィーっ乙っ 4 L.n (. 0 「 / 8 O つ」っ ") 0 っ 0 ( ー 0 0 ー ) 0 空 後者は当時としては世界水準の輸送機として、 表 た。その後、石油危機に伴うインフレ 年 航年 で名目規模は上昇したが、実質では増七三年に生産が打ち切られるまで延べ一八二機 よっこ。 第二次大戦後の世界の航空機工業は、ジェッ 大しなかった。七八年以後は民間輸送機の好況の量産を行い、注目された。 航空機工業は、一九〇三年アメリカのライト トエンジンによる大型化、高速化が目覚ましで持ち直し、八二年以降はレーガン政権の軍備 日本の宇宙工業の売上げ規模は、一九七九年 く、また宇宙開発も、一九四二年のドイツの > 増強計画により、車用機の売上げが急増し、さ 兄弟が最初の飛行を行って以来、第一次、第二 の一〇三二億円から八二年には一六八六億円へ 次世界大戦を経て軍用機を中心に飛躍的な発展 2 号ロケットの完成を基礎とし、戦後は米ソのらに宇宙関係国防費の急増で、八三年には七五と着実に伸びている。そのうち、ロケットおよ ひしよう を遂げた。第二次大戦末期の各国の従業員数ミサイル開発に引き継がれ、五七年一〇月、ソ七・六億ドル ( 約一七・六兆円 ) の巨額に達してび人工衛星を主とする飛翔体が過半を占め、つ は、アメリカ、イギリス、ソ連が各約二〇〇万連が世界最初の人工衛星スプートニク一号を打 いる。この規模の巨大さは、たとえば、日本の いで地上設備が約四割、ソフトウェアが約一割 人、ドイツ、日本が約一〇〇万人、また大戦中ち上げて画期をなした。その後アメリカがアポ同年の電気機械工業合計 ( 重電、軽電、電子のとなっている。約一七〇〇億円という規模は大 ロ計画に取り組み、六九年七月にはアポロ一一総合計 ) の工場生産金額が一六・八丿 円、輸送きくはないが、衛星通信に欠かせない地上局の の製造機総数は、アメリカ約三〇万機、イギリ ス約一二万機、ソ連、ドイツ、日本はそれそれ号により人類史上初めて人間を月面に降り立た機械合計 ( 自動車、オートバイ、自転車、産業設備を日本は世界各地に輸出し、大きなシェア 車両、航空機の合計で、船舶を除く ) が一六 を占めている。これは、民需用のラジオ、テレ 約一〇万機に上った。各国に比べ遅れて出発しせるなど、世界の航空宇宙開発は目覚ましく、 ・二兆円 ( 通産省ビ、電話などのマイクロ波中継技術での日本電 た日本も、第二次大戦中は、質・量ともに世界日本はふたたび、技術的、産業的に大きく遅れ七兆円、自動車のみで一二 「生産動態統計」による ) であることをみても気 (ZQO) などの技術の蓄積のうえに開花し 的水準にほば近づいていた。しかし、第二次大をとるに至ったのである。 〔世界の現状〕世界の航空宇宙工業の売上高のわかろう。 たものである。つまり、飛翔体は軍事費の制約 戦後「平和憲法」で「軍備を放棄」した「たて うちで、アメリカは約七五 % を占め ( 不明の共 アメリカ航空機生産における軍需比率の推移で遅れ、その多くは輸入に依存しているが、地 まえ」の日本の航空機工業の復興は遅れた。 日本 航空宇宙うち航空機 3.0 11 . 7 13 . 5 13 . 3 19 . 1 19 . 2 「ー《 0 1 人ワ朝クー り朝 -4 っ 0 8 1 よ、 1 11 ・ 1 1 つワ 6 . 0 15 . 8 19 . 5 21 . 5 25 . 1 ( 28.9 ) 15 . 3 21 . 2 41 . 8 46.1 51 . 1 53 . 6 48.2 13 . 5 23 . 1 40 . 0 68 . 7 77 . 9 76 . 1 76 . 3 67 . 6 12 . 0 16 . 0 19 . 7 18 . 8 26 . 3 61 年 159 308 373 565 782 745 747 576 731 943 1 624 3 554 4 500 4 568 3 446 1 726 1 618 3 405 4 203 3 795 5 142 7 095 7 792 7 843 7 581 10 001 11 747 15 506 17 634 15 603 16 065