もこの不可避な風土の様態によって自らの人間的なあり方をぎ、防ごうとする。わが国の風土は夏季の湿潤な暑気がこと主体的に選ばれるのであり、様式の形成に関して芸術意欲 つれづれぐさ 根本から規定されている。たとえば、生まれ育った風土が温 に耐えがたく思われ、『徒然草』にも「家の作りゃうは、夏 (Kunst W011en ハイ ) という概念に注目する。歴史的にみて 暖であれば、そこに住む人間は環境をいたわり守りつつも、 をむねとすべし」とあるように、夏の湿気に受容的に対処し建築様式は、その時間的、空間的まとまりのゆえに、一面で ひさし はそれぞれの形態を古拙なものから洗練されたものへと展開 知的に建築化して支配する態度をとる。生気なく乾燥し、荒 て、床をあげて軽やかに、庇を深くしてほの暗く、間仕切り させる有効な働きをみせたが、他面、近・現代の建築家にと 涼とした風土であれば、外界に対し意志的、対抗的になる。 を自在にして風通しよく開放的につくる。これが古来から伝 く闘う攻撃目標でもあった。 っては、その概念から脱却すべ あるいは、日本のように夏の暑熱が湿潤と同時にあらわれる統の家屋様式として蓄積されてきた生活の知恵である。しか 一般に近代精神は、絶えず変革を求めて行為し続ける姿勢で 風土では、自然のみずみずしい恵みを豊かなままに受容し、 も、伝統の手法を受け継ぎながら、機械的な空気調和の手段 自然に抱かれたような住居をつくる。しかし、その湿潤は、や有効な素材など新技術を適宜導入して、将来へ向けて新しあるといえるが、その態度からすれば、建築における様式の おりあしくあれば暴風雨の猛威をも振るうから、ひたすらに 固定性、安定性が即保守性とみなされ、その拘束からの分離 い家屋様式を自由に創造する。 忍従する伝統的なあり方をも示す。この風土と人間、そして 要するに、人間存在は歴史的風土にいやおうなく投げ込ま運動こそ若々しい精神の発露であった。しかし、伝統的形態 建築の問題は、通常は自然科学的な見地から解明されてい れていて、それでこそ自覚的にさまざまなあり方で対応するを否定した没様式の裸の機能的形態が、地域的、風土的な個 はん て、建築技術においても、その立場での知識が、安全で健康のであり、建築物はこのあり方による具体化として形態に表別性を無視して汎国際的に近・現代建築の形態を生みはした で快適な効率よい空間構成のために不可欠である。一方で、現され、素材によって構成されたものである。構成の仕方のが、それはある意味ではかえって一面的でもあったから、歴 人間を取り巻く自然環境が地理学や気象学などの科学的方法最初の前提を見逃せば、建築はその本質的な意味を失う。建史的伝統の全面的否定は反省を求められるに至った。いすれ かの一面に偏することなく、伝統に根ざしつつ、真に歴史的 によって観察され、分析され、他方では、そこに生活する人築物は、あくまでもそれそれの場所固有の風土という光のな 間も、生物学や生理学あるいは心理学的方法で考察される。 かに映えて建てられるべきである。近年の建築の多くは、こ な態度で新たな建築の様式を創造しなければならない。 その結果、主体と客体との関係、相互作用の仕組みが、建築うした意味での風土性を見失い、土着性を欠いている。 〔空間構成としての建築〕近年、建築における空間への着目 が著しい。建築技術の諸原理の一つである形態原理あるいは にかかわる気温や湿度、日照、あるいは人体機構や器官に及〔建築の様式〕建築において、様式という概念はかならずし ばす汚染された大気、土壌、水、騒音の問題として解明さ も一義的に用いられているとはいえない。たとえば、住宅の配置原理からの展開として、建築の核心を端的に空間ー構成 生活様式に関するものとして、板の間での椅子式、畳の間でとしてとらえる見方であり、人間存在の洞察に基づいて建築 れ、建築技術によって改良される。 建築技術においては、これらの解明のほかに、むしろそれの座式を区別する際にいわれたりもするが、主要な意味では技術を基本的に見直そうとする立場にもよっている。建築物 は素材を形態づけることによって構成されているが、その形 以前に、より直接的、具体的な生活場面における生きた自建築の平面、立面、断面における細部や装飾上の型・形を、 然・人文環境、ありのままの風土現象の把握が重要である。芸術性の視点からとらえる場合に用いられる。ある時代、あ態の各部はつねに、こことかそことか、上とか下とかへの特 それは、自然科学というよりは、広義の人間学の立場でとらる地方の特定の民族、階級、グループ、作者の作風が、形態定の配置を規定されている。この位置の関係はあくまでも空 間の基本構造であるが、建築において空間をいう場合、空間 えるところの、生身の人間存在に密接にかかわる契機として に基づくなんらかの共通点を有し、しかもその共通点がある はんちゅう ます、建築物を構 の風土である。個人であり、しかも同時に共同生活を営むも期間存続するとき、それら作風が様式の範疇でとらえられは一義的に理解されているとはいえない。 のでもある人間は、当初から時間的歴史、空間的風土とのかる。音楽や絵画の分野で古典派、ロマン派、立体派などと称成する素材、石とかれんがとかが占める領域を物理的空間と いう場合があり、素材が占有するこの空間では、建築物は通 かわりのなかを生きている。歴史的風土にじかに宿り住ま , っする場合の派の概念に似ている。西洋の場合、古典ギリシ 常、空気の充満する内部空間をもち、そこに物体としての人 とき、人々は風土に浸された人間として自己を見つめる。やア、ローマ、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、マニエリ 山が立ち入り、運動する。一般に木造の内部空間は開放的 や漠然とした清調の漂う全体的場がそこに現象している。そスモ、バロック、ロココなどとよばれる建築様式、日本の住、ゝ すきや いんうつ こから、たとえば、さわやかな、すがすがしい、陰鬱な、宅建築の寝殿造、書院造、数寄屋造などの「造り」という区で、石造のそれは閉鎖的である。この意味での建築空間は、 たいてい各種の用途をもち、その領域に与えられた目的・機 寒々としたなどという様態の気分の場において、工芸品や土別も、こうした意味での様式に着目したものと考えられる。 まちゃ 能から事物的空間とも称される。劇場、礼拝堂の空間、事務 本構築物などと同じく、道具として有用な建築物がつくりだ民家、町屋などは比較的に類型的、固定的であるにしても、 される。人間は歴史的風土としての気分の場に生まれながらそれらがむしろ自然発生的であるために、一般に様式といわ空間など、各種の用途によって固有の空間形態が生じてい る。また、建築の空間は三次元の立体的構成の広がりであ に投げ込まれ、いわば宿命的にそれに拘束されて生きているれる場合は少ない 様式の発生・成立を説明する理論として、対立する二つのり、しばしば数学的・幾何学的空間次元としても考えられ、 が、それと同時に、場と対峙し、場を自由に選択して、建築 立場がある。その一は、ある時代、ある風土がもっ固有の材この意味での空間表象の公準、すなわち無限、連続、等質の 的な道具や作品を企画し、つくる。 2 、家屋の様式は、風土的な人間存在の具体化、事物化の型と料、生活目的、架構技術の三要素によって必然的に様式とし場での抽象的な三次元形態としてみる場合もある。建築物は かくすし この空間次元で立方体、直方体、角錐、角柱、円筒などの形 ての建築が生まれるとする。この立場にたてば民家も町屋も ちして、また伝統を担い、末来を切り開く客体化の型として、 まてんろうきり に限定されて抽象的に表象される。ピラミッドや摩天楼、切 ん人々の共同の営みによって共有物として形成されたものであ様式としてとらえられる。その二は、建築の形態は、こうし づま る。たとえば、日本において家屋をつくる場合、寒暑をしのた外的要因によってよりも、時代精神に根ざす作者の意志で妻屋根や現代建築の水平な屋根の形などがその例である。 4 引
形成されるが、それは一般にいう組織体ないし営の運営原理とすること。経営家族主義のもと臨時的決定は、経営体 経営にほかならない。協働システムのうち、意では、経営者は単に機能的な雇用・指揮監督者の設立、改組、合併、 え 、識的に調整された人間の活動や諸力を組織と いであるばかりでなく、家父長 ( 戸主 ) のように解散、系列、集団など し、組織を有効に稼働させる作用が管理であ絶対的権力者として物心両面にわたって従業員 に関する組成的決定 る。このような関連のもとに理論が展開され、 の個人の生活面にも介入し、その反面、家族庇と、主要役職者の選任 体系化されているが、広義の経営学は、対象の護の義務に相当するめんどうをみる。従業員は に関する最高人事決定 一般性のゆえに包括的、抽象的にならざるをえその庇護を当然の恩恵として受け取り、個人生である。経常的決定 ない宿命をもつ。 ーナードの理論もこの宿命活への介入を甘受するとともに、忠誠を捧げては、経営理念、経営目 を逃れられなかった。 生産に励むことになる。終身雇用制は日本的経標、経営戦略、長期経 他方、企業のみを研究対象とする狭義の経営営の基本的特徴であるといわれるが、それは、営計画の決定などを含 学では、少なくとも二つの部分体系が必要であ いったん身内となった者に終生の保護を与えるむ。評価的決定は、全 る。第一は、企業とは何かを問題にする企業理という思想を内包しており、経営家族主義を支体的業績の確定や成果 論であり、第二は、企業はいかに行動しているえる基盤になっている。経営家族主義では、人配分の決定などをい か ( 理論学派 ) 、あるいはいかに行動させるべ の和と人間的接触が重視される。従業員の採用う。これに対し、管理 きか ( 技術論派 ) を問題にする経営行動論ないでは、能力よりも集団的協調性が重視され、昇とは、経営によってな し広義の経営管理論である。企業理論について進や人事異動は年功主義により行われる。高齢された諸決定の枠内体 は、ミクロ経済学の企業理論をそのまま用いる化社会を迎え、能力主義の採用などによる終身で、経営体をもっともの ものもあるが、経営学の独自性の高いものとし雇用制の後退は、経営家族主義の基盤を弱めて効率的に稼働させる機管 て、制度派経営学の成果を応用しながら企業を 〈森本三男〉 能である。大規模経営営 けいえいかんり経営体の各種業務の場合、このような管 環境適応的発展システムとしてとらえる企業体経営管理 制論がある。このような企業観にたてば、企業の遂行が、経営目的に沿ってもっとも効果的に 理の内部において階層ナ 体制論に関連して、企業環境論、社会的責任達成されるよう、諸種の施策を体系的に講ずる分化がさらに進行すお 論、経営目的論が必要になる。企業は成長とと こと。経営管理という概念には二つの意味内容る。通常それは、全般 田工 もに社会的責任を負うようになり、また経営目 が含まれている。第一は経営体の管理という意的効率化を目ざす全般経 甲 ~ 的の設定と変更は、環境適応行動の出発点にな味であり、第二は「経営と管理」という意味で管理 general manage ・戔管 全 るからである。経営行動は、経営目的実現の動ある。経営体とは、統一的な意思のもとに一定 ment と、職能別、製工 全 的過程であるが、行動展開のためには、中心主の継続的施設を基礎にして、複数の人間が協働品別、地域別などの部理 体と行動の手段選択原理が明らかにされなけれするシステムをいう。したがって、国家、企分的経営体の効率化を管 ばならない。経営者論と経営戦略論がこれであ業、学校、家庭などは、すべて経営体である。 目ざす部門管理 de ・ 又土 経 り、これらは広義の経営管理論の冒頭部を構成第一の意味における管理は、このような経営体 partmental manage ・ する。これを受けて各種管理論が展開される。 をうまく運営するための施策全体をさすから、 ment に二分され、部門管理はさらに中間管理る。いま工業経営を例にしてその分化と体系化 財務管理、労務管理のような要素的管理論、購広義の管理であり、英語でいうマネジメントが middle management と作業管理 lower man ・ の内容を例一小しよう。第一に、主要過程別に財 買管理・生産管理・販売管理のような過程的管 これにあたる。第二の意味の「経営と管理」 agement に分けられ、管理機能自体が三層体務 ( 資本調達 ) 、人事、購買、製造、販売の各 理論など、各種の基準による体系が構成されは、このような広義の管理ないしマネジメント系をとるとされる。これら諸機能の具体的担当管理を体系化する。第二に、これら主要過程を る。また、以上の全領域を組織 ( 人間 ) と経済を階層的に機能分化してとらえた用法であり、 組織は、経営体の種類によってまったく異なる円滑に稼働させるための補助過程として、運 ( 資本 ) の側面からとらえる、経営組織論と経英語でも経営を administrative management が、企業を例にとれば、経営機能は取締役会と搬、在庫、品質、事務のような各業務部門が設 営経済論 ( ほとんどは経営費用論 ) が加えられとよび、管理を operative management とよ 社長によって、全般管理機能は社長、副社長、けられ、これらについて各管理を行う。第三 ることになる。↓経営経済学↓経営組織↓経んだりする用法があり、これに対応する。いず専務、常務などによって、部門管理は事業部に、生産資源の要素別に、資金、能力、資材、 営管理 ^ 森本三男〉れにせよ、経営という語には、経営体と経営機長、部長、課長、係長などによって担当されて設備、情報、エネルギー、廃棄物などの各管理 回森本三男著『経営学入門』 ( 一九会・同文舘出能の二つの内容が含まれ、管理には広狭二義が いる。なお、社長は、経営と管理を連結するかを体系化する。第四に、活動の場所別に、工場 版 ) ▽三戸公著『経営学』 ( 一九八一・同文舘出ある。 なめに位置し、そのゆえに強大な権力を保有す管理、事務所管理、倉庫管理などの体系をつく 版 ) ▽宮川公男編『経営学』 ( 一九〈一・青林書 〔階層体系〕前述のように、経営と管理に二大ることになる。 ることである。第五に、生産資源としての存在 院新社 ) ▽河野豊弘著『経営学原論』 ( 一九分される。経営とは、経営体の活動について、 〔部門管理の体系〕経営と全般管理の両機能を超えた、生活者、社会人、主体者としての人 七七・白桃書房 ) 全体的、基本的、戦略的、長期的、政策的意思 は、革新と効率化という中心課題の相違はあっ 間の問題を扱う労務管理 ( 人間関係管理、参加 けいえいかぞくしゅぎ man- 決定を行う機能であり、その中心は経営体の革ても、対象領域が経営体全体であるので、分化 経営家族主義 などを含む ) を設ける。第六に、諸種の利害者 agerial paternalism 家族制度における家父新である。具体的にいえば、意思決定は、臨時の体系を形成する余地はない。 これに対し、部集団との関係を調整する対境 ( 対環境 ) 問題管 長的温情主義を企業経営に持ち込み、それを経的、経常的、評価的決定の三種に分けられる。 門管理はまさにさまざまな部門体系に分化す理を設ける。第七に、以上の諸管理体系につい き一さ ひ 部門管理 財務管理 人事管理 購買管理 製造管理 販売管理 運搬管理 補助過程別管理在庫管理 品質管理 事務管理 工場管理 事務所管理 倉庫管理 資金管理 能力管理 資材管理 設備管理 情報管理 エネルギー管理 廃棄物管理 対境問題管理 主要過程別管理 組織的管理 実体的管理 場所別管理 計数的管理 利益管理 予算管理 原価管理 要素的管理
けんちく 建築設計 / 〔図 F 〕手術室プロックにおける看護婦の動き〔図 G 〕手術室プロックの平面型例 冫月しし トーユ「七 わち、第二次世界大戦の副産物といわれるオ。へであることに起因している。 や、室の大きさを案配した平面型の問題や、そ ち建築空間のモデル分析とは、建築空間と人間 レーションズリサーチとか、システムエンジニ このように設計行為に関する研究は社会的背生活とのかかわり合いを問題にしており、建築れが建物としてできあがったときの造形性の問 アリングの手法の適用が盛んに行われ、理論と景、研究的背景からその要請上、設計の手法的空間のどのような側面と人間生活のどのような題など、建築設計ではさまざまな側面から分析 しては集合論やグラフ理論、情報理論あるいは 追求から出発したが、結局は建築空間そのもの側面との対応関係を重視するかでモデルの構成し検討するのが建築空間のモデル分析の局面で が変わってくる。そして、建築空間と人間生活あるが、こうして個々の問題をそれそれに解決 人間の行為の心理学的モデルなどの適用が行わの性能を追求する一つのアプローチであったと しても、それが総合化される局面で矛盾がおこ れていた。しかし、このような学際的な設計方もいえる。たとえば先に例示した基本設計段階との対応関係としてモデルを設定するために設 ったりするのが普通である。たとえば、造形性 法に関する研究も、しだいに建築の分野では独の設計過程の概念図 ( 図 0) にもみられるよう 計条件が必要になると考えられる。さらにそう 自の発展を遂げていくことになる。というの した設計条件を整えるために与条件の整理を行を優先させれば使い勝手が悪くなるとか、使い に、設計行為はさまざまな展開をみせるが、設 勝手も形もよいが経済的に成り立たないなどの も、建築の場合、それ以外のものの設計とは若計の本質的な行為は建築空間のモデル分析の局うものと考えられよう。換言すれば、建築空間 干異質なもののあることが感じられてきたから面にあると考えられる。つまり、建築空間の価を評価する側面が設計者によってはっきり意識ことはおこりがちであり、それらを調整するの されていなければ、その設計にとって必要かつが建築設計の総合の局面といえる。つまり個々 である。それは結局、建築の問題にしている空値はさまざまに考えられるが、設計者が建築空 間が人間のあらゆる生活に関連することであ 間のあり方をどのような側面でとらえようとす十分な設計条件は不明であり、またそのために の問題をバランスよく解決したり、ある問題を 重視して他の問題の不都合さを許容したりする り、他の分野の設計対象と比較して格段に複雑るかで建築空間の分析の仕方が異なる。すなわどのような与条件を導いたらよいかわからなく なる。したがって設計者は、建築主から設計をが、この総合化の考え方も設計の一つの主張と 長室 依頼されるに際し、建築主からどのような要求なる。ここでは生活機能と建築の経済性との関 ェロ′ を確認しておけばよいか、またどのような情報係で平面型のモデルを検討した例を示す。 婦休置 麻 処 一般に建築の経済性を問題にする場合は、当 を整えておくべきかをあらかじめ知っていなけ 婦室 ればならない。そのためにチェックリストなど 初の建設に要する費用、いわゆるイニシアルコ 花 ` 自 5 看休 ストを問題にするのが普通であるが、さらに長 を使うが、これは、設計者が自ら設計条件を設 定するために必要な情報を収集するためのもの期の経済性を考える場合でも、維持費とかラン であり、医師が患者の症状を診断するための検ニングコストを問題とし、建築物そのものにか かる費用が対象となっている。しかし建築物を 査資料のようなものである。ただ設計の場合、 医師の診断と異なるところは、建築主の要求が 一つの生活空間としてそこで生活する人間の動 きを問題にし、施設の有効利用という観点から かならすしも類型化されにくいこと、また設計 者の建築空間に対する価値観にかならずしも普眺めると、また別の考え方も出てくる。たとえ ば、その建物で働く人間の人件費を指数として 遍性のないところから、チェックリストは、ど の設計者にも共通のものではないことである。建物の経済性を考えることもできる。ここに示 たとえば、建築空間と人間生活との対応関係のす例はイギリスで行われたものであるが、既存 モデルといっても、単に機能的な要求を満たすの病院の手術部における動線の実態調査から、 だけでなく、、い 理的な側面を重視することもあ新しく計画する際の平面型の分析を試みたもの れば、生産的あるいは経済的な側面がより問題である。図は一日の看護婦の動きを追跡した になることもある。 ものであり、ある箇所から他の箇所へ一度移動 いずれにしても、どのような価値基準に基づするごとに、その間を一本の直線によって結び 付けることによって得られる。こ , っした調査か いて建築空間のどのような側面を問題にし、ど れだけはっきりしたモデルをつくりうるかが設 ら、各所要空間ごとの結び付きの頻度を集計す 計の方法の体系化にかかわる。たとえば、人やる。次にこれから一日の標準頻度を設定し、他 物が移動する線を動線というが、動線の処理の職員についても同じような資料を作成する。 は、どのような建物にでも評価対象になりうるさらにこの標準頻度に各職員の給料の比率を乗 じて重みづけを行う。こうして他の空間との結 設計上の問題である。同じ種類の動線ならばな るべく短くなるようにし、異なる種類の動線なび付きの頻度のもっとも高い空間を出発点とし らば、なるべく交わらないようにするのが一般て、その空間に結び付く空間を次々に付加した 的な設計上のくふうである。とくに不特定多数プログラムを作成し、コンピュータに描かせた の人間が出入りする百貨店のような大規模な建のが図である。 こうした平面型は生活空間として内部機能も 物の場合には、非常時の避難のための群集処理 を考え、いかにわかりよい動線にするかなどが満足し、かっ建築における経済生についてもあ る条件を満足したことになり、一つの設計案を 問題になる。 このほか、建物の使いやすさを考えた室配置得られる。つまり、この場合は、建築空間にお 4 ロ 看護婦 ス・ション 医師休憩室 手術室 小手術室 麻酔室 月リ . 至 . 手洗 冫丿ルし 麻酔室 2 救 小手術室 回復室 婦長室 手術室 2 手術室 1 う肖毒室 〔図 F 〕はイギリスのある病院での手術部にお ける看護婦の 1 日の動きを追跡したもの。〔図 G 〕は〔図 F 〕の結果や , その他の資料 , 調査に よってフログラムを作成し , コンピュー 描かせた手術部の平面型例 作業 医師控室 看護婦控室 看護婦の動き 洋 : B. Whitehead and M. Z. EIders : An Approach t0 the Optimum Layout Of Single-storey Buildings "The 員尾 / ⅲ ( ℃カⅢ・〃〃 / " 1964.6.17 による
こうじよ 0 ・ 4 1 一 .0 0 -4 ・ -4 ・ 1 よ 0 0 4 ・ / 0 て世界的に普及した。 であるが、近代的オートメ工場での交替制によ に読む。式日は八月一一日であるが、まず八月 8 しよ、つな 1 一ん LO ワ】 11 0 ワ朝 1- ・ワ】ワ 1 0 11 っ朝 1 人 00 C) 4 二〇世紀中葉からは、 る二四時間操業 ( 夜間は男子労働者 ) でも、単一日に三局 ( 左・右弁官局、少納一一 = ロ局 ) でそれ 7 、うもん ちょうじよう 電子工業をはじめとす純労働における精度と低賃金の対象として女子それ考文の案をつくり、ついで一一日に長上 者 。 ) - LO 内 / -8- -0 1 ー CO ィー・つっ 0 っ 0 ) る科学・工学の発展を労働の大量採用がみられ、そこでの労働密度の の官人の考を定める。定の儀は、少納言が当年 禾数人、 4 / 【 0 1 ー 00 っ 0 【 0 00 - 抦 こうだい ・ 4 ・ CO 0 戸 0 ( 0 、 1 ワ】 従実 6 2 基礎に、自動制御装置強化は超近代工場における現代版女工哀史を生の考に預る者、預らない者、考第が中上以上の 国 の発展がみられ、まずみ出している。このはか、コンビナートにおけ者の人数を読みあげ、考を定め、終わって宴、 0 ーワ 1 C) 「 / 00 -4 ・ O 一 .0 0 (Z) / ばんじよう 合 0 8- 1 人 0- 0 《 0 CO 0 00 11 ワ」ワ】 O -8 0 っ′ワ朝 機械 ( とくに工作機る大気汚染、大量排水による河川・沿岸の水質音楽がある。翌一二日には番上の考を定める - 」 - 」うじよう る 〈渡辺直彦〉 械 ) の自動化が多軸自汚濁など、工場は高度に発展した物的生産の場 小定考がある。 較 -0- -8 -4- L.n フ′ -0 -0 0 -0 (Z) -0 00 ・ 4 LO っ乙 上数 こうじようい胃の生理的形状は、 X 11 1 っ 0 0 -0 0 -0 (Z) 4 ・ O フー 動盤や多軸ポール盤をでありながら、同時にまた、多様な社会問題の鉤状胃 場数 ワ 1 人 「 / 0 ワ】ワ朝ワ 1 ー -4 ・ 0 11 11 11 つ」、 1 ワ】 1 よ 【っ ) CO 11 生み、ついでトランス原点として、従来にもまして深刻な影響を社会線検査において立位でバリウムを多量に飲んだ 4 業 規工実 フー CO ぎゅうかく ファー ・マシン ( 加工 に与える存在となっている。↓機械制大工業 場 ときの所見から、伝統的に鉤状胃と牛角胃に 人人人上人人人上人人人上 工 表年 ↓オートメーション↓コンビナート↓ 工程順に配置された自 産業革分類されてきた。日本人の場合には従来、鉤状 -4- の 4 9 人 2 9 人 ~ 2 9 人統統 ↓マニュファクチュア 動機械をコンべャーそ命 〈殿村晋一〉胃から進んで下垂胃を示すものが多く、牛角胃 国 業国 -0 0 -0 -0 -0 -0 -0 尸 0 -0 -0 工和 の他の方法でつなぎ、回中岡哲郎著『エ場の哲学ーー組織と人間』 要 1 人一 -0 さらには横胄が多くみられる欧米人と対照的で 、 1 ワ】 11 u¯) 1 人ニ = ロ化・北 ( 主 製品が次々と自動的に ( 一九七一・平凡社 ) ▽同著『人間と労働の未あったが、栄養と体位の向上に伴い、最近では 国 加工されるシステム ) 来』 ( 中公新書 ) ▽同著『コンビナートの労牛角胃の頻度が高くなってきたと指摘されてい 省イ 月 表 合 が、一つの素材から完 働と社会』 ( 一九七四・平凡社 ) ▽司馬正次著る。機能的にみると、鉤状胃に比較して牛角胃 産び カ ぜんどう 年 商よ 成品までを自動的に加 『オートメーションと労働』 ( 一九六一・東洋経済は胃壁の緊張や蠕動などの運動機能のほか、胃 通お 場 メ 9 工することを可能にし 新報社 ) ▽森清著『町工場からの発想』 ( 講 工 ア た。しかもこの動き 談社文庫 ) くもん な機械化量産工場の諸工程は、特殊化され、高は、一部品の生産にとどまらす、全工場にトラ こうじよう古文書の一形式。公文と 公帖 ンスファー 能率化され、大能力を有する単能機械の作業を ・マシンを設備し、工場全体が自動もいう。室町時代、禅宗寺院のなかの官寺の住 単位として構成された。作業機と違って単能機的に動く自動工場を誕生させている。組立てエ持を任命する文書。室町幕府は、禅寺に五山・ じっさっ 械は、たとえば旋盤に代表されるように、作業業の多くでは産業用ロポットの導入によって自十刹・諸山の寺格の制を定め、公帖を出してそ 具の延長として生まれたものである。旋盤は熟動化率を高めている。化学工業は、加工工程のれらの住持を任命した。室町中期以降、幕府は 練労働者の「道具」であり、彼はなお機械の主主要部分が蒸留塔や反応缶などの装置で占めら 仏寺の造営修理などにあたって、その費用をつ 人である。この意味では、製鉄用高炉も、電気れ、原材料が流体であるため、装置相互間をバ くりだす方法として、官銭を納めさせて、実際 炉も、鍛造ハンマー装置も、熟練工の存在があイプで連絡した工程の連続化が可能で、オート には入寺しない名目上の住持を任命する売官制 って初めて本来の機能を発揮する。ただしそのメーションの導入が容易である。また、工程中度を盛んに利用した。このとき発給する公帖 〈百瀬今朝雄〉 熟練とは、手工業者の全人的熟練とは別の、特の諸中間生産物をパイプラインで諸工場に分配を、とくに坐公文といった。 こうじよう ( 七七九ー会 0 平安初期の 殊化された部分的熟練である。個々の熟練労働することによって相互に関連しあう工場群が成光定 かざはや 者の単能機械・装置、つまり部分工程への生涯立し、化学コンビナートが形成される。事務部天台宗の僧。伊予国 ( 愛媛県 ) 風早の出身。通 べっとう 門でも電算機利用によるビジネス・オートメー 的従属は、機械の進歩によって従来よりも強固 称、別当大師。俗姓は贄氏。早く両親を亡く ひえいざんさいちょう に固定化された。イギリスを先頭とする近代製ションの進展が著しい し、京都に学び、比叡山の最澄に師事した。 わんぶんどしゃ 鉄業においても、製鉄・錬鉄・圧延、とくにそ オートメーションの進展に伴い、新しい型の 八一〇年 ( 弘仁一 ) 天台宗の年分度者として宮 の加工諸工程において、熟練工の指揮のもと補高度な技能を有する技術者が必要となり、設計中で得度し、八一二年東大寺戒壇で受戒した。 ナいじん まさつかい かんじよ ) っ 助労働者の利用が一般的に行われている。ここ者、生産計画者、整備の熟練工、組織者、経営また深から替薩戒を、空海から密教の灌頂 ぎえん では人間の腕と勘がなお機械を駆使している。者が生産の中心部分を握る過程が進行 ( 知的労を受けた。八一四年、興福寺に赴き義延と対 わが国の町工場の発展を支えたのも、この種の働の拡大 ) する一方で、計測器の監視やカー 論。嵯峨天皇の信任厚く、勅により宮中に入 誇り高き職人的技能工の大量の存在である。 ド・バンチングなどにみられる精神的・肉体的り、八一八年以後は最澄の大乗菩薩戒壇建立運 〔オートメーションの進展とその問題点〕現代苦痛を伴う単純労働が増加する。オートメ化に 動を助け、朝廷との交渉に尽くした。最澄の没 の大量生産工場には、①自動車工業を典型とすよって人々が機械的反復労働から解放され、労後七日目にその勅許を得、一年後の八二二年に でんとう るコンべャー・システムによる組立て機械工業働者人格の全面的な発達が可能になるというよ これを実現させた。八三八年 ( 承和五 ) に伝燈 と、②鉄鋼業・化学工業を典型とする装置工業りは、逆に、多くの現場で、労働過程からの直大法師位に上る。著書に『伝述一心戒文』三巻 〈木内堯央〉 の二系統が存在する。二〇世紀初頭のテーラー 接労働者の遊離が引き起こす社会的病理現象のがある。 だいじようかん による科学的管理法とフォード・システムが出拡大の可能性が増大している。コンべャー・シ 定考 こうじよう太政官で官吏の執務成績状 発点となり、オートメ化は各組立て産業におい ステムのもとでの労働の非人間性は周知の事実を定める儀。定考と書いて「こうじよう」と逆鉤 胃 鉤状胃 牛角胃 下垂胃
新しい施設につくりかえられ、改良されるが、建築技術にお〔建築技術における素材・形態・目的・作者〕素材は、それ いては、一個の作品が人間の精神に訴えるかけがえのなさを自身は無意味な塊であるが、秩序ある形態として形成される 「総論〕一般的規定 / 総合技術としての建築 / 建築技術も有すると考えられるから、歴史的建造物が文化遺産として可能性を潜在させている。木、石、鉄、れんがは、それそれ に固有な形をとってこそ、その特性を十分に発揮する。木は における素材・形態・目的・作者 / 建築の芸術性と保存される場合のように安易には代替されず、こうした視点 柱梁の形式に架構され、石やれんがは壁状に積まれ、とくに 道具性 / 建築の種類 / 風土と建築 / 建築の様式 / 空からは両者は区別されてもいる。もっとも、土木技術におい ても、建築のもっこうした価値観に注目し始めており、そのれんが壁にアーチ状の開口が設けられるのは、その材料特性 間構成としての建築 にふさわしい 。しかし、現代建築に有用な鉄筋コンクリート 「西洋建築の歴史ーー理念と技術の変遷〕初期文明期の限りでは両者の関係はいっそう密になりつつある。 建築 / 古代のギリシアとローマ / キリスト教的中〔総合技術としての建築〕日本語の建築という語は、西欧のは、他の素材とは異なり、その特性が中性的であるがゆえ architecture に、どんな形態の要求に対しても従順であり、それゆえに没 、 Architektur イの訳語として、明冶初年 世 / 近世の建築芸術 / 近代から現代へ し に編まれた辞典で初めて用いられたという。現代西欧語から素材的なさまざまの形態の恣意的な選択を許容する。 論 このように没素材的であれば、形態は限定されるに際して の造語であった。この現代西欧語は、さかのばればギリシア の制約を失う。現代初期の建築思潮において、いわゆる機能 〔一般的規定〕建築とは、建築物をつくる人間の行為、ある語の architektoniké technéに由来する。建築家 architect えんげん 主義とか構造派と称する立場の主張では、形態の規定は、素 いはその行為によってつくりだされた建築物をいう。すなわなる語の淵源も architektön にある。 材とは別に機能・カ学的構造の要因に忠実に依拠すべきであ architektön とは始源・原理 archéを知る職人 tektön ち、一面では建築する行為の物的な所産であり、また一面で は建築物を産出する技術でもある。建築物は生活の場としてをさす。 archéは別に首位、上位、統合をも意味する。したると唱えられたが、古典建築における形態は、材料の潜在能 直接人間の生活にかかわり、その技術も人間の生活を究極のがって、 architektön とは物事の原理・原因を知る人、しか力に制御される必然性のみならす、形態それ自体のうちでも 目的とする行為である。したがって建築は、建築物をつくるも職人たちを統率・統合するエ匠、技術者をいう。建築物を制約を課されていた。それは形態の数的・量的な比例関係の ーモニーに関する原理としてである。 行為を通じて、生存し生活する人間存在のすべての局面にわっくるいわゆる建築家は単なる一技術者ではなく、原理をわ調和、ハ ローマ時代のウイトルウイウスはその著『建築十書』にお きまえた総合技術者として建築物をつくったのである。技術 たって、それらの全体に関与し責任をもつ、あくまでも人間 いて、シュンメトリア symmetria なる建築原理をとくに取 technéという語も本来は、普遍的に原因を知って物事を生 に密着した主体的行為としての技術である。 り上げた。それは、宇宙の大いなる調和につつましく参与す 建築物は、その場所における生活目的にかなうように、形み出すという意味である。今日いうところの、芸術ー技術と を与えられた素材によって架構され、歴史的に意味をもっ地分けられた狭義の技術ではなく、両者の区別以前の、制作る地上の建築物に枢要の原理と解され、西洋では歴史を通じ 上のある風土、ある場所に、固定した空間として構成され poiesis という意味合いの広義の技術であり、むしろ単に術て現代まで強い影響力を与えた。シュンメトリアとは「とも る。地震や風雪に長く耐えうるように、火災に際しても安全といってよいものであった。芸術ー技術が乖離し、原理を見に測る」という意味の語である。たとえば、ギリシア神殿に であるべく、しかも快適で、便利で、健康を保証する場であ失って混迷する現代建築の多様さの原尺度を求めて、建築を典型的にみられるように、建築物を構成する諸要素、基壇と るようにつくられる。加えて、美しい架構物、施設でなけれ正統的に知るためにも、古典における由緒正しい建築の総合か柱とか梁とか柱上帯とかの間に、あるいは柱自体のうちで も柱基、柱身、柱頭とかの間に、相互に簡単な整数比などの ばならず、それを見る人々、生活する人々の心情になんらか的概念を顧みる必要がある。 こうした建築の原理はいくつか数え上げられる。プラトン比例関係が設定され、それらがモデュルスとよばれて基準尺 の感動を与えるものであることも固有の価値の一つである。 は制作について、理性的な神なる創造者が原理としてのイデ度にされる柱身下部直径によって通約して測られるべきであ 建築物は都市や自然の広がりのなかに建てられるので、こ うした環境と調和したかかわりが必要である。建築は、建築アにのっとって、無秩序な素材に数的秩序を与える万有形成るとする原理をいう。シュンメトリアによって、建築の秩序 であるとした。アリストテレスはこの考え方を追って、制作 が保証される。数比的なこの原理は、われわれにとって理解 群や街並みの調和をつくりだすアーバンデザイン urban de ・ しにくいものかもしれないが、こうした建築観は、音楽にお sign ( 都市造型 ) といわれる技術や、都市全体を組織する都の諸原理をはっきり見定め、自然や技術などすべての生成・ 消滅する個々の事象には四つの原理・原因がかかわっているける秩序であるハーモニーを見習ってもいた。日本建築に 市計画の技術と関係が深い。庭園や公園を設計する造園技術 きわり こんとん も、書院造などの場合に、「木割」とよばれる、部材の寸法 と明言した。自然や人工の物が存在するのは、それが混沌と とも切り離しがたい。建築は、広域にわたる生活環境の巨視 とうりよう 関係を寸法比として調整する仕方が棟梁に伝わっている。 的な全体の脈絡を踏まえ、造形性、利便性、安全性、社会した〈素材〉から生成され、生成は起動する力に〈よって〉し 性、経済性などの多様な視点から計画するこうした諸技術とて、本質的な形態、原型に〈従い〉、秩序ある完成、よい終局これはむしろ約束的な伝承であり、シュンメトリアのように 相互に協力して行われる。土木技術とも密接に関係する。道の状態を〈目ざした〉からである。起動力 ( ここでは作者 ) 、数比的世界秩序にまでかかわる原理ではない。 きト ` うり当っ こうした形態統一の秩序は、端的に善きものであると考え 形態、目的、材料が個々の物の生成・存在に欠かせない四要 く路や橋梁、鉄道、港湾、河川や護岸堤などの土木的施設と られた。建築技術の目的として、その制作過程を導く価値は ち建築物とは、前者の規模が後者に比べて大きいという違いは因であるとした。建築は原理を知るエ匠の総合技術であるか ら、建築家は個々の建築物について、あるいは自ら携わる建包括的に善なるものであった。ギリシアでは一般に統一価値 んあるにしても、ともに地上に固定された物的架構物であると としての善がより積極的に主題化され、善きものとしての秩 4 いう意味で共通する。しかし、土木施設は、老朽化が進めば築技術について、この四原理を知り統合する技術者である。 建築けんちく い心、
在をいい、分散とは多様な状況に対応しつつデ欲を刺激し、経営活動への理解と支持を生み出 にはこのような考え方が主であった。企業戦略れる。部分組織のうち、もっとも広く用いられ ータバンクを利用 ( アクセス ) しながら現場です作用をもっことに着目した考え方をいう。経は、企業全体に関する戦略であり、具体的にる区分は、経営管理組織と作業組織に二分する 意思決定が行われることをいう。〈森本三男〉営成果はもともと理論的、抽象的概念であるは、事業分野の選択と組合せが中心になる製ものである。第二の要素は、多数の協働者すな けいえいしんりがく managerial が、今日それにもっとも近いものと考えられて品・市場戦略や多角化戦略である。事業分野やわち経営構成員が存在するようになると、彼ら 経営心理学 いるのは付加価値である。 製品には、ライフサイクルによる盛衰がかならのすべてが経営目的を主体的に理解し、協働を psychology 経営活動の人間的、社会的側面 を心理学的に研究する学問。広義には産業にお 今日の主要な経営成果分配制度には、利潤分ず生じるから、特定の事業分野や製品に永久に意欲的に行うとは限らなくなることにかかわっ 配制、ラッカー・プラン、スキャンロン・プラ固執することはできない。また、技術革新などている。むしろ多くの者は、賃金獲得などのや ける全分野を総称することもあり、この場合に ン、レーマン・プラン、カイザー・プランなどの環境変化も重大な影響を及ばす。これらを勘むをえぬ方策として、経営組織に入ってくる。 は産業心理学 industrial psychology と同一 このように経営目的とは別の個人目的を抱く、 がある。もっとも有名なラッカー・プランは、案しながら、製品開発、新製品採択、既存製品 になる。狭義には、経営活動のうち経営管理に 関係した人間関係問題だけに限定することもあアメリカの経営コンサルタント・・ラッカの改良、既存製品の生産中止、既存市場への浸多数の個人に協働を持続させるには、賃金に代 ーが提唱した付加価値分配方式である。その中透、新事業分野への参入、既存事業分野からの表される物的誘因や、地位・機会のような非物 る。経営心理学として多く問題にされる内容 は、次の諸点である。①経営管理に関係する人 心は、①全体経済の分析から得られた分配率を撤退などを組み合わせた企業活動の長期的枠組的誘因を多面的に準備・提供する必要がある。 間関係の解明。モチベーション ( 動機づけ ) や個別企業に適用する、②分配率は付加価値に対みを作成する。これが企業戦略である。企業戦第三の要素は、経営目的を各構成員に十分に周 適性の基礎になる人間の基本的欲求、対人関係する労務費の比率である、③成果分配を労使協略は、右のような内容とともに、それを展開す知させ、また各人が合理性の高い行動をするこ に伴う感情、パ ーソナリティの特性に由来する力のための刺激とみなすこと、の三点である。 るための、他企業の統合・合併、あるいは自企とができるよう、必要な情報を適切に与えるこ とをいう。それは、指揮命令、責任権限関係の 個人差などから、人間関係を解明する。個人関彼は、一八九九 ~ 一九二九年の製造工業統計か業の分割・再編のような基本方法をも含んでい 明確化、報告制度の整備、各種会議、経営情報 係の合計を越えて、動的統合関係としてとらえら三九・三九五 % という固定分配率を設定しる。事業戦略は、企業戦略によって設定された システムなどによって具体化される。 各事業分野ごとに設定される戦略である。ここ ることを目ざしている。⑦経営組織の集団力学た。実際の分配は、毎期の付加価値にこの分配 従来の伝統的な経営組織観はきわめて狭義の 才しでは、企業戦略で各事業分野ごとに策定された group dynamics に基づく解明。特定状況下率を乗じて分配総額を決定し、この額と既ム、 ものであった。すなわち、目的達成に必要とさ の特定組織構造の生産性、発展・衰退傾向、分賃金総額との差額を追加的に各従業員に対し分内容の展開に関する資源配分とタイミングが問 配する方法をとる。しかし、ラッカー自身は、題にされる。これを受けて、生産・販売・財れる各種の仕事 ( 職務、業務 ) を配分し、職位 割・統合作用などを、集団ないし組織の力学的 過程として分析し、法則化する。③経営者心理従業員個人への追加分配について具体的方法を務・労務などの各職能に関する職能戦略が策定や機関を設定し、それらの権限・責任関係を定 ↓ラッカー・プラン↓スキャン される。 めたシステム、すなわち組織構造のみを組織と の解明。経営者の行動動機、リーダーシップの示していない。 〈森本三男〉 ロン・プラン↓利潤分配制度 経営戦略を策定する際の要点は、長期的に企していた。それは、組織図に示される静態的機 心理的基盤、指揮・監督の際の注意力のような 業をどの方向にもっていこうとするのかという構である。しかし、このような組織構造は、組 心理的限界などを明らかにする。④顧客心理の回高田馨著『成果分配論』 ( 一九七一・丸善 ) 織の基礎ではあるがその一面でしかない。現実 けいえいせんりやく corporate 成長べクトルを明らかにすることと、シナジー 解明。消費者を代表とする顧客の購買動機の分経営戦略 析、広告効果の測定などを行う。これらについ strategy 経営目標を達成するための手段選 ( 諸資源の組合せの総合効果 ) を追求することの経営組織は、組織構造を基本にもちながら、 〈森本三男〉感情や性格を異にする生きた人間が職位を占 ては、市場調査の方法や、臨床心理学による深択の枠組みをいう。経営戦略は、経営目標と経である。 かっとう ・アンゾフ著、広田寿亮訳『企業戦略め、機関を構成し、協力と葛藤を反復しながら 層面接法の発展が大きな力となる。以上のほ営計画の中間に位置し、計画の策定と実施が目・ 活動している状態である。現在の組織観は、こ 論』 ( 一九六九・産業能率大学出版部 ) か、広義の経営心理学では、作業動作、知覚作標実現に有効に機能するよう媒介する。企業活 のようなものである。 用、疲労現象などの生理現象に伴う心理の研究動について経営戦略の必要が意識的に主張さ経営組織けいえいそしき business organi ・ zation 経営内に含まれている意識的に調整さ 組織構造を一小すものが組織形態である。その 〈森本三男〉れ、その体系化が図られるようになったのは、 が付加される。 一九五〇年代に入ってからのことである。それれた人間の活動や諸力のシステムをいう。それ基本は、組織の二大原理である秩序化 ( 規律保 経営成果分配制度けいえいせいかぶんばいせ いど企業の経営活動の成果すなわち経営成果までは、経営目標ー経営計画という体系が主ではまた、意識的・計画的に経営目的を共有・分持 ) と専門化をそれそれ前面に押し出す直系式 あったが、環境の流動・多様化により、目標を担する人々の協働するシステム、あるいは経営 ( 軍隊式、直線式ともいう ) と機能式である。 を、使用者と従業員、もしくは資本と労働の間 これらのみでは複雑な活動を展開できないか 目的達成のために意思決定の諸過程を配分さ ただちに計画に展開することがしだいに困難に で分配する制度の総称。経営成果のとらえ方と なってきた。そのため、経営目標ー経営方針れ、専門化して協働している人間の活動のシスら、普通、スタッフ ( 専門家もしくはその集団 分配方法によって多種のものがある。伝統的に テムということもできる。経営組織の要素は、 による経営者・管理者の補佐機関 ) ないし委員 は利潤が成果であり、それは基本的にはすべて ( 経営政策 ) ー経営計画という体系が現れたが、 資本に帰属するとされた。しかし、利潤をあげ経営方針の概念内容のあいまいさもあって定着経営目的、経営構成員の貢献意欲、コミュニケ会 ( 会議 ) の両制度によって補強する。現存す ーション ( 伝達 ) の三者である。第一の要素でるもっとも多い組織構造は、スタッフと委員会 るにも従業員 ( 労働 ) の協力が必要であるとのせず、短期間に構想が新しく改められて、経営 目標ー経営戦略ー経営計画という体系が出現しある経営目的には、抽象的・包括的な全体目的制によって補強された職能部門別直系式であ 考え方から、まず利潤分配制度が生まれ、続い ( たとえば存続・成長 ) から、具体的・個別的り、これを単にライン・アンド・スタッフ式と て利潤を内包する経営成果概念が生まれて、諸た。 いう。この場合、職能部門別直系式とは、図示 経営戦略は普通、階層的に企業戦略 corpo- な部分目的 ( たとえば原価の切下げ ) に至る連 種の分配制度が提唱されるようになった。成果 分配の根拠は公正性と刺激性の二つに求められ rate strategy 、事業戦略 business strategy 、鎖体系があり、経営組織はこの連鎖体系に対応の直系式の部門を、製造、販売などの職能 して、全体目的を追求する全体組織と、それを別に編成するものである。この部門を製品別も 一んる。公正性とは、成果形成に貢献した主体にそ職能戦略 functional 4 「 ategy の三種からな > れを公平に帰属させるべきであるとする考え方るとされる。経営戦略を狭義に解するときは、構成しそれに内包されながら部分目的を追求すしくは地域別とし、独自の製品・市場を与えて 独立採算制としたものが事業部制であり、多角 であり、刺激性とは、分配が被分配者の貢献意企業戦略のみをもって経営戦略とするが、初期る各種部分組織 ( 部課、事業所など ) に分けら
日本の場合、幼稚園・保育園や学校、会社な健の推進に不可欠な教育活動として位置づけら し、健康の成立を病因、宿主、環境という三つ窩、下部は広くて肩甲下窩とよぶ。肩甲棘の外ロ けんばう どにおいては、その施設の管理者が、また地域れている。狭義の健康教育は保健指導と保健学の条件から単純に解釈し、 =o の健康の定義側端の突出部は肩峰とよび、ここにある関節面 3 社会にあっては各地方自治体が健康診断という習を包括しているが、幼稚園や小学校低学年でを「単に健康を病気でない状態」としてだけと は鎖骨外側端との間で関節をつくっている。肩 は習慣形成を目的とする保健指導が中心にな ナ . 形式で医学的な検査を行い、疾病異常の発見に らえる考え方は修正されるべきで、むしろ、主峰の外側縁から肩甲棘後縁に移る部分にできる 努めることが義務づけられている ( 学校保健法り、小学校高学年では保健学習が付加される。体、環境、生活行動の三つの条件から考え、こ 突出部を肩甲角とよび、生体計測の標点となっ だっきゅう や労働基準法など ) 。しかしながら、健康は最さらに、中・高等学校では保健体育科という教れら三つの動的な相互関係として、健康を考えたり、肩関節脱臼の判定にもなっている。肩 終的には各個人の意識を高めて個人の責任にお科のなかで保健学習が実施され、大学では保健るほうが進歩的である。↓健康 甲骨の周囲は三辺からなり、上縁が最短で、内 いて保たれるものであり、学校における教育の理論として一単位を履習することになってい したがって、過去と現在の状態を踏まえ、変側縁が最長である。内側縁と外側縁とが合する - っ・ : っ みならず、生涯を通じての健康教育が重要とさ る。とくに保健認識を高めるためには、理科、 化する主体や環境の条件や相互関係を適確にと部分を外側角とよび、烏ロ突起と関節窩があ れる。最近では、健康を害してから医療に頼る家庭科、社会科との関連もあり、文部省の学習らえて、よい状態をつくりだしていく積極的態る。関節窩は上腕骨骨頭との間で肩関節をつく ことよりも、健康を害さないようにするために 指導要領でも具体的内容領域についてたび重な度が必要であり、このことにより健康的な生活っている。肩甲骨の皿状の骨体部分はきわめて 食物摂取や運動処方といった方面の研究やそのる改訂が行われてきている。 行動が確立されていく。生理的な立場から人間 薄いため、強く圧すれば骨折しやすいが、実際 実生活への応用が重要視されるようになり、各 教育基本法第一条、教育の目的には、「教育の特性を考えると、①開放系としての存在であ には厚い背筋で保護されており、骨折は比較的 地の健康増進センターや保健所、教育委員会が は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社る、②閉鎖循環系機能をもつ、③適応制御系と少ない。肩甲骨は俗に「かいがらばね」という けん・一う 中心になって、積極的に健康維持や増進に取り会の形成者として : : : 心身ともに健康な国民のして成立する、④有機系で全体性に貫かれてい が、従来用いられていた肩胛骨の「胛」に、 組むところが多くなっている。物資が豊富にな育成を期して行われなければならない」とある、⑤死に至る存在である、ことがあげられの意味があったためである。ギリシア語でも すき った現代社会においては、貧困による栄養障害る。これは、健康教育が軍国主義時代の体力づる。これらの基盤にたって人間の健康をただ個鋤、盾、亀の甲、羽などいろいろの形に似てい などは減少したものの、食品摂取の偏りやとり くりのように、単に筋骨隆々となり闘争力や運別な条件としてだけ考えるのでなく、社会的存ることから、それそれに関係した名称が与えら 過ぎ、精神的ストレスなどによって、精神面や社動適性のある人間を形成するのでなく、個人や在を前提として人体の認識が成立し、そのうえれている。ラテン語の解剖学名は scapula で 会的適応の問題が表面化している。このため、 社会の健康、幸福、平和を目ざして自己操作でで生体機能を考えることが妥当である。しかもあるが、これは「シャベル」の意味で、古代人 自分の意志で自分の行動をコントロールするカきる健全な人間形成をすることを示す。したがそれは発育、発達、成長、老化を踏まえた一連が土を掘るためにこの骨を使ったことからくる を養うことも、健康管理のうえからは、ますま って、学校における健康教育は、教科におけるの過程における健康を考え、さらにそうした習 と一い , っ 〈嶋井和世〉 すたいせつなこととなっている。〈小野三嗣〉保健中心の知識の獲得だけでは不十分であり、 慣、態度をどのように教育によって構成してい 元亨釈書げんこうしやくしょ鎌倉末期に成 こかんしれん くかが切実に問われなければならない 健康教育けんこうきよういく health educa ・個人ー家庭ー学校ー社会の関連における発展過 立した日本仏教史書。虎関師錬著。三〇巻。総 tion 現在ー将来にわたる健康生活の確立を目程のなかで健康の知識ー態度ー実践が不離一体 人間を疾病の側面から眺め研究した学問が医合的僧伝としては日本最初のもので、紀伝体の 標とし、それに必要な科学的認識を深め、健康となって統合された能力となる必要がある。こ 学であるのに対し、健康の側面から眺め研究し歴史書としても最初のものである。内容は、伝 的な生活行動が実践できる態度・能力を身につれらの基礎教育については学校教育に負うとこ た学問が衛生学である。また衛生学を人間を取 ( 僧伝 ) 、表 ( 資治表Ⅱ年表 ) 、志 ( 仏教文化誌 ) けるための教育活動を総称して、健康教育、保ろが大きい。 り巻く外側から考究するのが環境衛生学とすれの三部分からなり、巻一九までの僧伝は、中国 健教育という。アメリカでは一九一九年ころか 〔社会における健康教育〕一九四六年に ば、内側から考究するのが教育衛生学であり、 の高僧伝に倣って十科に分類する。一三〇七年 はんちゅう いっさんいちねい らこのことばが用いられ、第二次世界大戦後に ( 世界保健機関 World Health Organization) 教育学そのものを衛生学の範疇で考え健康教 ( 徳治一 I) 一山一寧に日本仏教についての無知 実施された日本の学制改革に伴って、わが国に が結成され、憲章を宣言している。この骨子に育を効果的に作用させるという生涯教育的な発を指摘されて発憤し、一三年 ( 元亨一 I) に完成 にゆうぞう 定着した。文部省側では健康教育とよび、厚生は、一国のエゴイズムよりも世界を一つとして想もある。↓保健体育科教育 〈佐藤裕〉した。虎関の寂後、入蔵 ( 大蔵経編入 ) が勅許 省側では衛生教育とよんだ。両者を保健教育とその健康を確立していこうという願いがある。回小泉明・田中巨男編著『人間と健康』 ( 一九 され、六四年 ( 正平一九・貞治三 ) より一四年 べんもう いう訳語で統一する提案が出された時期もあっ このなかで「健康とは単に疾病や傷害がないと 七一・大修館書店 ) ▽佐守信男著『人間の歴を費やし刊行された。注釈書に「和解』『便蒙』 たが、現在では文部省側が保健教育とよぶよう いうだけにとどまらす、身体的にも精神的に 史的自然』 ( 一九六五・六月社 ) 『微考』などがある。↓虎関師錬〈石川カ山〉 になった。したがって、公衆衛生分野では衛生も、また社会的にも安寧な状態をいう」と述肩甲骨けんこうこっ胸郭背面の上外側部に健康診断けんこうしんだんとくに病気や異 教育、学校教育分野では保健教育、健康教育とべ、「この健康の確立を図ることは、すべてのあり、体表からその外形にほば触れることがで常があるとは思っていない者に対し、健康状態 へんべい いうことばが用いられている。 国にとってもっとも大切な義務であり、かっ健きる三角形状の薄い扁平骨である。左右対称や、気づかずにいる疾病の有無を調べるために ろっこっ 〔学校における健康教育〕わが国では一八七一一康はあらゆる人々にとってその社会的な条件、 で、第二から第七肋骨間にわたって位置してい 行う診察や検査をいう。健康を維持するために 年 ( 明治五 ) から養生法という名称で学校制度政治的信条、宗教的区別、人種などの関わりなる。胸郭の他の骨格との直接の連絡はなく、主は、疾病・異常を早期に発見し、早期に治療す げんずい のなかに課せられ、教師用書として杉田玄瑞の く達成されなければならない生まれながらの権として筋肉によって胸郭背面に保持されてい ることが必要であり、自覚症状や他覚症状が出 『健全学』 ( 天六七 ) が用いられた。その後、小学利である」と述べている。これは、基本的人権る。前面は肋骨面とよび、全体として軽い凹面てからでは手遅れになるおそれもあるので、定 校では理科、家事科のなかで取り扱われ、中学としての健康は他から与えられるものでな、く、 ( くばみ ) を呈し、後面の背側面がそれに応じ期的に健康診断を受けることが勧められる。こ 校では博物のなかの生理衛生として取り扱われ自らかちとるものであり、そのための行動を支て後方に軽く凸面となっている。背側面で上方のため、自発的に医療機関を訪れて受ける個人 きよく ていたこともある。 えるさまざまな条件が国家的責任において整備三分の一あたりで、肩甲棘とよぶ細長い突起が的なもののほかに、国民全体の健康維持のため 戦後の教育改革では、広義の健康教育は、学されるべきものであることを示す。また健康を外上方に伸びている。この肩甲棘によって背側 に行政的に行われるものがあり、定期健康診断 じよ、つ 校教育の場全体として保健管理とともに学校保生活概念としてとらえた点に特徴がある。しか面は上下に分けられる。上部は狭小で肩甲上などとよばれている。行政的に実施を義務づけ かめ
八世紀に入ると、啓蒙主義思潮の影響を受け , フ原因となるものを徹底的に批判し破壊すること世の生活を消極的にとらえ、禁欲的な宗教的生ったのである。 もがそのまま真理の道へ通じるといった考えが、活を善とする考え方に対して、人間生活のある〔言語〕この時代を特色づけるものとして、言て、専制君主による近代化が強行された。典型 とりわけフランスの田 5 想家に、。ドルバック がままを大胆に肯定しようとする思想が生まれ語への注目があげられる。イギリスのロック著的にはプロイセンのフリードリヒ二世、オース トリアのヨーゼフ二世、ロシアのエカチェリー ナ . に代表される宗教批判、コンディャックらの形た。飲食や恋愛の世俗生活が積極的な価値とし『人間悟性論』における言語論の影響を無視す じじよう 而上学批判、デイドロやルソーにみられる強烈て主張され、現世における人間の幸福がいっさ ることはできないが、コンディャック、デイドナ二世のように、ポルテールなどの啓蒙主義者 な社会批判など、現存する既成の体制、固定的 いを判断する基準となった。その結果、認識論 ロ、ルソー、さらにはドイツのヘルダーに至るたちと交流し、専制政治を行った。オーストリ までの言語への強い関心は、なによりもます前 アのマリア・テレジア、レオポルト二世も含め なものを容赦なく批判し、流動化し、相対化し的には感覚的経験が重視され、倫理的には功利 たことが、彼ら自身の唯物論、感覚論などの積主義的な快楽主義がたてられ、これまでの神の述のような理性観の形成と結び付いている。言て、君主は社会契約論による「国家Ⅱ国民の従 極的な主張に劣らず重要である。 位置にかわって自然を存在論的原理とする唯物語として現れる理性は、もはや感覚経験から断僕」と考え、王家と国家を区別し、担税力のあ とはいっても、ポルテールやデイドロなどの論が前面に登場する。ドルバック、ラ・メトリ 絶したものではありえす、個々人の生活の具体る農民を封建的貴族から、手工業者をギルドか 思想家が、プロイセンのフリードリヒ二世 ( 在らの唯物論者たちは、人間的なものが宗教的彼的な次元と結び付くものとなる。それに対応し ら、住民を教会から解放する。しかし恩恵的な 位一七四 0 ~ 会 ) やロシアのエカチェリーナ二世岸のうちに組み入れられるのを拒否するためて啓蒙思想家たちは感情および芸術の問題に関君主には、国家と国民の区別、国民の基本的人 ( 在位一七六一一 ~ 九六 ) らの啓蒙君主と深い関係にあ に、精神を含めたいっさいをいったん自然Ⅱ肉心を集中した。、、 ノヤフッペリ、、 ノチソン、デ権が十分に意識されているわけではなかった。 ったことも、重要な事実として見逃すことはで体に還一兀し、一元論的な世界観を展開しようと ュ・ポス、レッシング、バウムガルテンなど各重商主義と、重農主義による農民保護、宗教か きない。 した。もちろん、啓蒙思想全体にはさまざまな国の思想家たちが、美的なものや感情の独自のらの寛容令などは啓蒙専制君主 ( 開明専制君主 〔否定の精神〕「太陽王」ルイ一四世 ( 在位一六潮流が存在したし、宗教的にはむしろ理神論的役割に注目した。と同時に彼らは、認識の形成ともいう ) にとって、それ以上には譲れない進 ~ 一七一五 ) 治世の末期から、戦争と宮廷の乱費な把握のほうが多かったといってもよいが、彼 にあたっても欲求や情念が不可欠な役割を果た歩的政策であった。 はたん による財政破綻、ナントの王令廃止による宗教らが人間理性と自然を基礎にした点では変わら しているという観点から、言語の発生の問題を しかし、伝統的な教会、封建的貴族、都市の 的不寛容が引き起こした社会的混乱などによ 提起していった。 身分制と対立する官僚的絶対主義権力の強化 り、フランス古典主義時代の栄華は崩壊し、従 このような自然の大胆な肯定は、当時、急速〔寛容〕啓蒙思想は、これまでの単一的価値観は、啓蒙政策によって教会から国民に及ぶ警察 来のあらゆる文化・政治支配が相対化され始めな発展を遂げた近代科学技術によって、・ヘーコや世界像を破壊して相対化し、従来理性的と考国家をつくりだす。産業の育成、農民保護Ⅱ解 た。すでこ、・ ヘールとフォントネルというデカ ンが提唱したような自然支配による人間の幸福 えられていたものも別の面からみれば反理性で放、信仰の自由などは、資本主義の発展にとっ ルトの合理主義精神を受け継いだ思想家が、彗の可能性がみえたからにほかならない。デイドあり、一方で善であるものも他方からみれば悪て上からの進歩的政策であり、プルジョア的宮 星をめぐる迷信や神託占いといった宗教的虚構ロ、ダランべールらによるこの時代の輝かしい であることを指摘した。ルソーやデイドロら廷文化の華を咲かせたが、基本的に反農民・反 に対して鋭い批判を投げかけ、近代的な科学的成果である『百科全書』が、「科学、技術、エは、近代社会がそれ自体にこのような矛盾をは労働者的であった。そこに啓蒙専制主義の限界 精神を主張していた。なかでも・ヘールは『歴史芸の合理的辞典」と名づけられているのはそのらんでいることを指摘し、カント、ヘーゲルら があり、市民革命によって命脈を断たれる理由 もあった。 〈進藤牧郎〉 批判辞典』の完成によって、従来の知識の誤象徴である。 のドイツ思想の先駆者となった。 びゅう 謬を容赦なく指摘して既存のイデオロギーの 〔進歩の観念〕科学技術の発展による自然支配 げいもんるいじゅう中国、唐初の また、このような相対化は、ヨーロッパにお芸文類聚 りえん 土台を揺さぶった。無神論者をも許容する宗教の拡大は、人間の歴史が時代を経れば経るほど ける寛容思想の成立と相応するものであった。類書 ( 一種の百科事典 ) 。一〇〇巻。唐の李淵 おうようじゅん 的寛容、その背景をなす懐疑の精神など、べ 進歩していくという考えを生み出していった。プロテスタントとカトリックの激しい争いを中が六二四年 ( 武徳七 ) に欧陽詢らに命じて、 ルはフランス啓蒙思想の実質的な出発点をなす一七世紀末、。 ヘローとボアローに端を発した 心とする絶えざる宗教的対立の過程を背景にし 二、三年で完成したもの。現存の類書中では ほくどうしよしよう 思想家であった。 「古代近代論争」、コンディャック、ルソーらにて、思想の寛容をめぐるさまざまな見解が出さ 『北堂書鈔』に次いで最古で、構成と内容から れた。・ ルイ一四世の死後、フランス社会は流動化における「言語起源論」などの一連の議論は、 ヘール、ロック、ポルテールらの寛容論後続した類書の模範とされた。その大綱は、 向かう。たとえばモンテスキューは、それまで人々に歴史の意識を植え付けるとともに、進歩は、近代民主主義のヨーロツ。ハ的跿格を示すも天、歳時、地、州、郡、山、水、符命、帝王、 ちよきゅう の統一志向に対して、時代と場所によって異な の観念を形成していった。 のとして興味深い 〈佐藤和夫〉后妃、儲宮、人、礼、楽、職官、封爵、治政、 った価値が存在することを主張した。『ベルシ とりわけて重要なのは、人間の発展の可能性回カント著、篠田英雄訳『啓蒙とは何か』 ( 岩刑法、雑文、武、軍器、居処、産業、衣冠、儀 ア人の手紙』ではフランス文化や社会が相対化 に対する確信である。人間は教育によって条件 波文庫 ) ▽シャトレ著、野沢協監訳『啓蒙飾、服飾、舟車、食物、雑器物、巧芸、方術、 され、『法の精神』では法のあり方が風土によを与えられるならば無限に完成への道程を歩 時代の哲学』 (r シャトレ哲学史Ⅳ』所収・一九内典、霊異、火、薬香草、宝玉、百穀、果、 り・れん ~ い ちゅうちずいしよう って異なりうることが示された。しかし、このみ、進歩していくものだと考えられるようにな 七六・白水社 ) ▽・ヴェントウーリ著、加本、鳥、獣、鱗介、虫豸、瑞祥、災異の四五 ってきた。実際、近代的な教育観は、コンドル 時代にもっとも重要な批判は宗教批判であり、 藤喜代志・水田洋訳『啓蒙のユートピアと改部とし、その下に一〇〇〇余項を配する。各項 革』 ( 一犬一・みすす書房 ) その代表者はドルバック、ラ・メトリらの唯物セ、ルソーらを始めとするこの期の思想家たち は総叙で概説し、関係典拠を列挙し、関係詩文 ぎまん けいもうせんせいしゅぎ en- を付する。進士制度確立のため必読書とされ、 論者たちであった。宗教が無知と欺瞞の産物で によって確立されたといってもよい。その思想啓蒙専制主義 イギ において重要なのは、人間理性が一七世紀的な あり、キリスト教は有害な道徳を教えるものだ lightened despotism aufgeklärter Des ・類書も続出した。内容精確、また引用書が逸書 みんひょうい とする彼らの批判は、啓蒙思想を代表するもの静止した固定的理性ではなくて、自らを形成し potismus 響啓蒙絶対主義 aufgeklärter Ab ・ となったため貴重である。明の馮惟編『古記 そう ッ であった。 つつ、発展する運動的理性としてとらえられて solutismus ト ともいう。近代化に遅れた諸紀』に収められた。宋の紹興一〇年 ( 一一四 0 ) みんかせい ばんれき 〔唯物論〕彼らの仮借ない現実批判は、かえっ いることである。理性は生活と結び付き、もは国、ドイツ諸領邦において君主を中心に啓蒙的版、明の嘉靖六年 ( 一五一一七 ) 版、万暦一五年 ( 一五 ンヤンハイ 諸政策を採用した絶対主義の一形態。ことに一 〈七 ) 版、上海中華書局版複製一六冊 ( 一九五九 ) が て現実生活の積極的肯定を前提としていた。現や環境と歴史を離れて存在するものではなくな すい 130
ター↓親和カ↓ファウスト↓ヘルマンとドその後も石油事業に積極的に投資を行い、支配 れる。一〇年『色彩論』が出、自伝『詩と真宇宙のなかに投げ出されて自己の無力を痛感さ 実』が書き進められる ( 第一 ~ 第三部は天二 ~ せられる。しかしそれは人間を絶望させはしな ロテーア↓若きウエルテルの悩み〈小栗浩〉権を拡大していったが、第二次世界大戦後はサ 一四、第四部は死後一ハ三三出版 ) 。これは自伝文学 ウジアラビアで巨大な石油の利権を手に入れ 。有限な人間が大自然と調和的に生きうるこ回登張正実他編『ゲーテ全集』一五巻・別巻一 の傑作であり、一八世紀ドイツの文化的状況をとを彼は信じていた。「巴索する人間のもっと ( 一九七九 ~ ・潮出版社 ) ▽『ゲーテ全集』全た。生涯に五度結婚し、二〇億ドルとも四〇億ドル 知るうえでも重要な記録である。一四 ~ 一五年も美しい幸福は、探究しうるものを探究し尽く 一二巻 ( 一九六 0 ~ 六一・人文書院 ) ▽ハイネマともいわれる企業の資産と数億ドルに上る美術品 に故郷のラインとマインの地方に旅したとき、 し、探究しえないものを静かに敬うことだ」と ン著、大野俊一訳『ゲーテ伝』全三冊 ( 岩波のコレクションを遺産とし、ロンドン郊外で死 マリアンネ・ウイレマーを知り、彼女との愛の いうのが彼の根本態度である。八〇年を超える 文庫 ) ▽小栗浩著『人間ゲーテ』 ( 岩波新去した。なお、一九七三年に起こったイタリア 交渉と、ベルシア詩人ハーフィズの影響とによ長い生涯で人生の暗い面を知り尽くした彼では 書 ) ▽ェッカーマン著、山下肇訳『ゲーテ人による孫の誘拐事件では、妥協は事件の再発 せいとう り、『西東詩集』 ( 天一九 ) が生まれた。一六年にあるが、ペシミズムに陥ることはなかった。無 を促すという理由で、一六〇〇万ドルの身代金を との対話』全三冊 ( 岩波文庫 ) 〈小林袈裟治〉 ー一九四五 ) 拒絶し、世間の注目を集めた。 妻クリスティアーネが死ぬ。一一三年からエッカカな人間が過ちを繰り返しながらもよりよい世ケーデ Wolfgang Gaede ( 天大 ーのプレマー 回鳥羽欽一郎著『世界のリッチマン物語』 ( 一九 ーマンがゲーテの協力者となる。彼は晩年のゲ界に向かって努力するさまを肯定的に描いたのドイツの実験物理学者。ハノー ーテの知恵を『ゲーテとの対話』 ( 天三六 ~ 哭 ) が彼の代表作『ファウスト』である。「生きる ーフェンの生まれ。一九一三年、フライプル 天・日本実業出版社 ) にまとめた。これは後世のゲーテ理解に資すること、それはよいことだ」というのが彼の究極ク大学助教授となり、一九 ~ 三四年カールスルケティカカズラ T 、ミミ。 s をこミミを s ・ こと甚大であった。二二年マリ ーエンバートでの信条である。 ーエ工科大学教授、以後、カールスルーエのカミ斗 s (Lindl. ) Lemaire var. 、 ~ sce とうはん 一八歳の少女ウルリーケ・フォン・レ。ヘッツォ 〔ゲーテ研究の動向〕今日のゲーテ研究では、 イザー・ウイルヘルム物理学研究所所長を務め Makino キョウチクトウ科の常緑藤本。つる ーを愛し、その悲劇的体験によって『マリ 一九 ~ 二〇世紀初頭の、ゲーテを理想化し ( へた。真空技術、真空ポンプの研究と改良に優れは地をはい、気根で他の樹木によじ登る。ティ ンバートのエレギー』 ( 一全三 ) が生まれる。『ウ ルマン・グリム ) 、あるいはゲーテを神話化すた業績を残した。一九〇五年「ゲーデ・ポンカカズラに似るが、若枝、葉の裏面、花序、花 イルヘルム・マイスターの遍歴時代』が二一年る ( グンドルフ ) 傾向に対して強く批判的であプ」とよばれる回転ポンプ、ついで一三年に分喉部に毛があり、萼裂片は花筒狭部と同じ長さ に脱稿し、補正のうえ二九年に刊行される。そり、ゲーテやシラーを中心とするワイマール古子ポンプ、一五年には拡散ポンプなどを発明 がある。東海、近畿地方以西の本州から九州、 こでは、個人が社会に奉仕するために特殊な職典主義が各時代の政治的イデオロギーによってし、工業的にも重要な真空技術の発展に寄与しおよび朝鮮半島と中国に分布する。〈小林義雄〉 能を身につけることが求められる。個の全面的歪曲され利用されていたことを指摘し、これた。 〈山崎俊雄〉ケティスパーグ Gettysburg アメリカ ていねん 展開ではなく ー一九七六 ) 、諦念の徳目が進められる。死のを本来の姿に戻そうという、受容史的あるいは 合衆国、ペンシルべニア州南部の町。人口七一 ケティ Jean Paul Getty ( 天九 = 直前に『ファウスト』第二部が完成する ( 天三一社会史的方法が著しくみられる。 アメリカの実業家、富豪。ミネアポリスの弁護九四 ( 一九〈 0 ) 。食品加工、靴製造業などの工業 完成、天三一一刊 ) 。三二年三月二二日、ゲーテは ゲーテ研究を推し進め、またその精神を顕揚士の家に生まれる。二一歳で石油事業に進出、 が盛んである。一七八〇年建設。南北戦争の激 ワイマールの自邸で八三年の多彩な生涯を終えすることによって一般文化に貢献するために、油田の売買により二年間で百万長者となった。戦地として有名な場所で、一 八六三年優勢にあ 故郷フランクフルト・アム・マイン ( ゲーテの ったリー将軍率いる南軍の北方進撃 〔生涯の課題ーー・自己形成〕彼の作品はすべて生家が残されている ) でゲーテ賞が設けられ、 を、ミード将軍率いる北軍がここで 「大きな告白の断片」である。その思索は文学一九二七年以降、ゲォルゲ、シュバイツアー 阻止し勝利に導いた。またリンカー のる だけでなく、自然科学、哲学などのあらゆる分フロイト、カロッサ、プランク、ヘッセ、ト ンの「ゲティスパーグの演説」でも名 野に及ぶが、いかにして己の個性を十全に展開マス・マンらに贈られている。またゲーテ研究 争れ高い。古戦場は現在ゲティスパーグ へ戦さ 北開国立軍公園として保存 ( 一瓮五指定 ) さ させるかがその生涯の最大の課題であった。者の協力によって、一八八五年ワイマールにゲ 南公 るがれ、国立墓地、国立博物館も一般公 「わが存在のピラミッドをあとう限り高く築き ーテ協会が設立され、世界のゲーテ研究の中心 〈作野和世〉 開されている。 上げよう」という願いが彼の一生を導く。そのとなっている。研究誌『ゲーテ年鑑』は一八八 わな 個性は、青年期には強烈な自己主張として現れ〇年以降刊行され、名前と形を変えながら現代 ゲティスパーグの演説 日の るが、年とともに調和的な人生観に深まってゆ に及んでいる。わが国でも日本ゲーテ協会と関 のえんぜっ Gettysburg Address 3 時 。当南北戦争中の一八六三年一一月一九 く小国ワイマールの宮廷で政治の責任ある地西ゲーテ協会があり、それそれ年鑑を発行して 園や 公碑日、最大の激戦地ペンシルべニア州 位にあった彼が、革命や戦乱を好まず、保守に ゲティスパーグにおける国有墓地の 傾いていたのは確かである。エンゲルスが、 〔日本への影響〕ゲーテの名が初めて日本に知 〈、 ) 立記 ちょうろう 国の 戦没者の慰霊の式典で、リンカーン 「ゲーテは時には反抗的な、嘲弄的な、世界をられたのは明治初年であるが、本格的なゲーテ クく 4 れつみルい けいべっ 一多によってなされたアメリカ史上もっ 軽蔑する天才だが、時には用心深い、おとなし受容は森鵐外によるゲーテの詩、とくに『ファ ス とも有名な演説の一つ。建国八七年 、了見の狭い俗物だ」といったのは間違いでウスト』の翻訳 (一九 (l) に始まる。ゲーテの本 イで テ地 にしての一大内戦により、「自由の 。しかし立ち後れたドイツの現実におい 格的研究書のなかでは本村謹治の『若きゲーテ ゲ戦 精神にはぐくまれ、すべての人は平 て、あれほど広く世界を見渡し、きたるべき産研究』 ( 一九三四刊 ) が出色であるが、そこにみら グ 等につくられているという信条に捧 す・業社会の問題性をもいち早く察知していたのはれるゲーテを偶像視する傾向は、一つは作品の げられた新しい国家が : : : 永続でき 内在的解釈の立場から、一つは社会史的な視点 、偉とすべきである。 ス るか否かの試練を受けており : : : 人 から批判され、ゲーテ像の見直しが進められて 一」ゲーテにとってすべての学問も芸術の営みも テ ケ 民の、人民による、人民のための政 2 しる。↓イタリア紀行↓ウイルヘルム・マイス いかに生きるべきかにつながる。人間は無限な わいきよく ・っ
回岩村登志夫著『日本人民戦線史序説』 ( 一九た。資源量は豊富で、南半球だけでも四〇万頭る。企業のもっこのような永続的 七一・校倉書房 ) 以上が生息する。図クジラ ^ 大隅清治〉独自性を、ゴーイング・コンサー ンといい、特定者への従属から離 小岩井農場 . 一いわいのうじよう岩手県中西後院ごいん内裏の本宮に対する予備的な 部、岩手郡雫石町と滝沢村にまたがる農場。御所。初めは皇太后や太皇太后に付属する後院れて自主化した状態と理解され なんろく すぎくいんれい 岩手山南麓に広がり、面積二六〇〇夕、民間 もあったが、平安哮代中ごろから、朱雀院、冷る。 〈森本三男〉 しよう 農場としては日本最大である。一八九一年 ( 明泉院などが「累代の後院」として、付属の荘 ごそく字義 コイン語族 みつびし えん 治二四 ) 日本鉄道会社の小野義真、三菱財閥の園とともに歴代天皇に伝領された。また後院が的にはホッテントット人の諸一一 = ロ語 やたろう 岩崎弥太郎、鉄道庁長官井上勝らによって大農天皇退位後の御所に充用される例が多くなり、 ( ナマ語など ) のことであるが、 場式牧場として創始され、三者の頭文字をとっ ことに江戸時代に上皇の御所が固定し、在位中内容的にはブッシュマンの諸一一一一口語 せんとう て小岩井と名づけられた。一九五〇年 ( 昭和一一は後院、退位後は仙洞御所とよぶようになってをもこれに含めるのが普通であ 五 ) までは競走馬の産地として知られたが、以 からは、両者を同一視する観念が一般化した。 る。コイサン語族ともいう。アン 彳は乳牛、肉牛、メンヨウ、シチメンチョウな 後院はまた財物、荘園をもち、経済的な機能も ゴラ、ポッワナ、ナミビア、南ア 1 ) いんのちょう どの飼育に重点が置かれ、とくにホルスタイン果たしたので、その管理機関として後院庁がフリカ共和国などに分布し、さら べっとうあずかり の種牛生産や採卵鶏として優秀なシェーバー種設けられ、別当、預などの後院司が任命され に、タンザニアで話されるサンダ ふらん の孵卵事業で知られる。牧歌的風景を背景に花たが、院政開始以後は執政の上皇が後院を管領ウェ語とハツア語を含めるのが一 壇、レストハウス、ジンギスカン料理などの諸したため、後院庁の設置は天皇親政の期間に限般的である。 施設をもった小岩井遊園地があり、盛岡市郊外られた。 〈橋本義彦〉 これらの諸一 = ロ語の共通点として の行楽地として訪れる人々が多い。〈川本忠平〉 ) は、吸着音 ( クリック ) とよばれ コーイング Helmut coing ( 一九一 = ー 、つばやしき 囮二万五千分の一地形図「姥屋敷」「小岩井農西ドイツの法学者。ツェレに生まれる。一九一一一る音が、通常の子音と同様に用い しのざき 場」「篠崎」「雫石」 九年『フランクフルトにおけるローマ法の継られるということがあげられる。 なんこうがい コイワサクラ「小岩桜〕 p 、ぎミ、受』によって教授資格を取得、フランクフル吸着音は、奥舌面を軟ロ蓋に密着 こ ~ Fr. et Sav. サクラソウ科の小形の多年 ト・アム・マインのゲーテ大学にて私講師、助させ、さらにその前のどこかで閉 草。凹凸のある円形の葉を根生し、春に一〇 教授を経て、四八年に教授となる。マックス・ 鎖を形成し、その間の空間の気圧 ほどの花茎を立て、一一 ~ 三の紅紫色の花を数プランク・ヨーロッパ法史研究所所長も務めを低めたのちに、その閉鎖箇所を 個開く。関東および中部地方の山地の岩場に生た。第二次世界大戦前は中世ローマ法の少壮学急速に開き、前方から空気を一気 える。変種としてクモイコザクラ、ミョウギイ者として知られたが、戦後、ナチズムへの反省 に流入させて発する音で、舌打ち 丘りラ河ち うがプ ワザクラ、オオミネコザクラが特定産地に自生に基づく再生自然法論の代表的論客として活躍の音などがそれであるが、こうした音を普通の 沿広ンる女 する。 〈鳥居恒夫〉した。主著『法の最高原理』 ( 一九四七 ) 、『法哲学子音同様に用いる一一一一口語は、アフリカ以外にはみ にかイいるる ー街コてすれ コイワシクジラ〔小鰮鯨〕 minke whale, 綱要』 ( 一九五 0 ) などを著し、法哲学者としての いだされていない。コイン諸語のなかで吸着音 ラゴ市をめ雀ら プ一旧上占洗見 piked whale 、、、」 B ミ ( ミミ 0 、き、 0 き s や 地位を確立した。法発展の内在的論理を発見の種類が多いものは、両唇音、歯音、歯茎硬ロ ほ冖」ゅ・つ・ ンデに頂がはが イン上の学に姿 哺乳綱クジラ目ナガスクジラ科のヒゲクジし、歴史的、経験的に自然法を基礎づけること蓋音、硬ロ蓋音、側面音の五種類を用いると報 コモ陵そ大原の ラ。ミンククジラともいう。体は紡錘形で、同を試みている。民法、経済法の領域でも業績が告されている。コイン諸語に隣接する若干のバ 科のなかの最小種であり、くちばしがとがってある。なお、八二年四月に来日、各大学で講演ントウー系一一一一口語にも吸着音を用いるものがあるコインプラ Coimbra ポルトガル中西部、 いる。背側が黒く、腹側が白いが、中間に特徴し、研究者とも交流した。 〈井上達夫〉が、これはコイン諸語の影響によるものと考え べイラ・リトラル地方の中心都市。モンデーゴ られる。コイン諸語の比較研究はまだ十分でな 川中流部に位置する。人口五万六五六 ある模様がみられる。北半球の系統は胸びれにゴーイング・コンサーン going con ・ めいりよう 白帯があるが、南半球の系統ではそれが明瞭 cern 継続企業と訳されることもある。特定 く、語族としてまとめてよいかどうか疑問であ (I)O 街の中心をコインプラ大学が占める。旧 でない 。くじらひげは黄白色で、外側に黒帯の者への従属から離れて自主化した状態にある企る。↓コイサン 〈湯川恭敏〉大学図書館や教会などの歴史的建造物が多く、 C0imbatore インド南文芸の都としてアテネやフィレンツェにも比べ みられる系統がある。出生体長は二・七で、業のもっ永続的な独自性をさす。現代の発展しコインバトール 成体の平均体長は系統と性によって差があるた大企業は、それを構成している人間 ( とくに 部、タミル・ナド州西部にあるコインバトール られる。市街北西部のサンタクルス修道院 ( 一 ・刀ノ . 、九であり、その体重は約六トンであ経営者 ) 、形式的所有者 ( 株主など ) 、その他の県の県都。人口七〇万〇九二七 (IR<I)O イン 二世紀創建 ) 付近は下町情緒にあふれ、大学の かつば る。氷海から熱帯の海まで広く分布し、小さな 利害関係者とは別個の実体を形成し、一定の社 ド半島南東部地域から西ガーツ山脈を越え、ア研究者が闊歩する旧市街とは対照をなす。近 付属海にもこの種がみられる。南極ではバック会的機能 ( 生産など ) を遂行する一種の制度と ラビア海沿岸地域とを結ぶ交通路の要衝に位置年、モンデーゴ川に沿って東西に産業地域が拡 アイス ( 流氷 ) の中にも侵入する。オキアミ類化している。それは、企業を構成する人間の意し、一〇世紀以降に重要性を増した。一、、、 大し、在来の出版業のほかに、繊維、製陶、食 を主とし、群集性魚類も好んで食べる。古くか 思とは別個の、それ自体の意思 ( 目的、理念、年に近代的綿紡績業がおこり、一九三〇年代に 品 ( ビール、バスタ ) など、工業の発達が著し ら世界の小型捕鯨の対象となっており、最近で準則など ) をもち、それを構成する人間の出入急成長を遂げた。その後、農機具、食用油製 〈田辺裕・柴田匡平〉 は南氷洋捕鯨の唯一の対象として、年間五〇〇りに関係のない、それ自体の生命をもって、制造、セメント工業などを集積し、重要な内陸型〔歴史〕ローマ時代のコインプラは、現在のリ 工業都市として発展している。 〈中山修一〉 〇 ~ 八〇〇〇頭ほどが捕獲されるようになっ度を維持、発展させる自己充実活動を営んでい スポンと。フラガを結ぶ街道の中継点として栄え ま寺、る るいだい だいり 1 544