そんむき キ、面電車とは違ったものとして「軽快電車」と名た。かくて前漢の学は今文学で官学であり、天孫无忌の上表で奉っている。宋にかけて完結すを提案する活動」を示し、政府計画Ⅱ公共計画跖 づけられた。↓路面電車 〈西尾源太郎〉人相関や陰陽災異の思想を含み、政治性が強かる『十三経注疏』の核心をなし、初唐に陸徳明の課題を、職能領域、行政基準、順位づけ、作 こうそんこう けいてんしやくもん 経過規定 けいかきてい法令の制定改廃に際った。武帝の召しに赴く公孫弘は、「学を曲げの『経典釈文』ができている。 業方針の四類型に分け、またそれを「立法構 もっ おもわ まくそうていこうてい し、従来の法律状態から新しい法律状態へ円滑て以て世に阿ることなかれ」と『詩』の老学者〔宋の新注〕北宋の程顥・程頤、二程子の道学想」と、法律の授権の範囲内において行政府の えんこ しゆき ちゅう に移行されるのに必要な経過措置を定めた規轅固に戒められている。前漢末、紀元元年に近を受け、南宋に朱熹 ( 朱子 ) が「大学」「中判断で計画される「行政計画」に分かっ考え方 もうし 定。たとえば、日本国憲法施行後、参議院が成 いころ、中国最初の書目解題「叙録」や図書分庸」に章句を、『論語』『孟子』に集注を、いわが提示されている ( 西尾勝 ) 。行政府による計 りゅうきようりゅうきん 立するまでの間、衆議院に国会としての権限を類「七略」をつくった劉向・劉歌父子の、劉ゆる『四書集注』をつくる。『論語集注』で画化は、古くは一九世紀の都市計画などにさか すうせい 与え ( 憲法一〇一条 ) 、最初の参議院議員のう歌は古文学を提唱した。古文とは、先に武帝の「川上の嘆」を孔子が道体の理を悟ったものとのばりうるが、それが現代行政の一般的趨勢と ろきよう こうきゅう ち、その半数の任期を三年とし ( 憲法一〇一一とき魯の恭王が孔子 ( 孔止 ) の旧宅を壊すと、解くなど、道学の面目である。これが新注で、 なったのは、第一次世界大戦、第二次大戦、と 条 ) 、憲法施行の際在職していた公務員は憲法壁中から『尚書』や『論語』などが出て、みな宋明の学は五経よりも四書の学となり、明の くに後者をきっかけとしてである。 かきょ 施行により当然にはその地位を失うことはない 古文であったというように、漢以前の文字であ「五経大全』「四書大全』は科挙受験の便益であ 戦後の日本では国土総合開発法 ( 一九五 0 ) 、新 ちゅうぶんだいてん ( 憲法一〇三条 ) とした。このほか、新法施行る籀文や大篆などのことで、古文とよばれる った。しかし朱熹の経学そのものはもとより、長期経済計画 ( 一九毛 ) を経て、一九六〇年代以 おうおうりん こんがくきぶん 前の行為に対する罰則の適用についてはなお旧文字で書かれた経書が、民間に伝承されてい 宋末の王応麟の『困学紀聞』など、後の清朝の降、国民所得倍増計画 ( 一九六 0 ) 、全国総合開発 法の例によるとか、旧法に基づく許認可は新法た。今文の経書と比べると字句に異同があるの 学者たちからも敬意を集める。 計画 ( 旧全総、一九六一 l) 、経済社会発展計画 ( 一九 ひょうばう によってなされたものとみなすとか、一定期間 はもとより、解釈上の相違もあって、今古文学〔清朝経学〕清朝経学が漢学を標榜するのは、 六七 ) 、新全国総合開発計画 ( 新全総、一九六 0 な は旧法が効力を有するとか、義務を加重する場の論争が激しかった。紀元一〇〇年に完成した 漢代の学は聖人の世に近く、仏老思想の混入も どが策定された。これらの経済・社会開発計画 ぎよしん せつもん 合一定期間は新法を適用しないとかするのがそ許慎の「説文解字』は、訓詁学の成果の結集でなく純であると考えてであって、陽明学の末流 は、初めは経済の高度成長の誘導を基本としつ じ上うげん ほてん の例である。通常、新法の最後の附則、補則にあり、後漢の巨匠鄭玄が、今日も存する『詩』 の無学で空論にふける傾向を排し、広範な読書 つ、のちになるとそれによる負の影響を補填す せん しんえん 規定される。 〈阿部泰隆〉の箋や三礼の注をはじめ五経・『論語』にあま による博学のゆえにこそ深淵である学力に、科 る意義をもった。 〈田口富久治〉 ーし、刀 / 、・け・いギ、い けいがく中国古典学。中国におけるねく注し、今古文学を折衷した。 経学 planned econo- 学の実証精神をあわせて培われた高い見識をも計画経済 けんか 聶 Planwirtschaft 経書すなわち儒家古典の解釈学。経書には古代〔老荘思想の混入ーー魏晋南北朝〕魏の学者で って、漢学を超えた経学として、乾嘉の学が結 economie pla ・ おうしゆく きんていし の聖人・賢人の心が込められていると信じ、そ「孔子家語』を偽作したといわれる王粛は、事実した。いわゆる清朝考証学である。『欽定四 nifiée 11JIaHOBOe X03flHCTBO 、 \ 、 planovoe こうせいけい力し れをとらえることを終局の目標とするのが経学ごとに鄭玄に対して異説をたてた。たとえば、庫全書総目』および『皇清経解』について、そ hozyaystvo 穹本来的には、経済発展が自 ぎらい しぐれい であって、中国哲学・中国文学の根底をなす。三年の喪の期間は、『儀礼』士虞礼の「中月に の核心をうかがうことができる。↓経書↓漢然成長的に行われるのではなく、社会の側から たん まっ 小学とよばれる古代一一一一口語研究、広くいえば中国して禪 ( 除服の祀り ) す」の中月をひと月置い 学↓宋学↓考証学 〈近藤光男〉の「意識的制御」のもとに置かれているような ひっす 学が、経学研究に必須の学としてある。古聖てと読む鄭玄が二七か月とするのに対して、そ回皮錫瑞著、周予同注『経学歴史』 ( 一九 = 〈・商国民経済をいう。現実には、この「意識的制 賢の心に迫るにしても、その方法ないし態度に の月のうちにと読んで二五か月とするなど。今 務印書館 ) ▽本田成之著『支那経学史論』御」は国家が策定する計画とその実施に対する かんとうくん・一 かあん は歴代変遷の跡がみられ、普通に①漢唐訓詁の日『論語』の古注といえば魏の何晏の『論語集 ( 一九一一七・弘文堂 ) ▽滝熊之助著「支那経学史国家的コントロールという形をとり、ソ連の例 そうみん しん 学 ( 漢学 ) 、②宋明性理の学 ( 宋学 ) 、③清朝考解』であり、「集解」すなわち当時の人々の注 概説』 ( 一九三四・大明堂書店 ) ▽『経学研究序にみるように、生産、流通、分配のほとんどす えん 証の学 ( 考証学 ) などとよばれる。思弁的・演を集めたものというが、往々にして老荘思想を 説』 ( 『諸橋轍次著作集 2 』所収・一殳 ( ・大修 べてが集権的な中央計画の統制下に置かれると 繹的である宋明の学は、経を読み経のなかに古もって注し、孔子の真意とはほど遠い解を含 館書店 ) ▽「中国思想史』 (r 武内義雄全集 いうのが従来の通例であったが、それだけが意 おうひっ 聖賢の心を探ろうとするよりも、己が心に古聖む。『老子』に注した王弼の『易』注も老荘思 8 』所収・一九大・角川書店 ) ▽「支那人の古識的制御の唯一の形態ではない。労働者自主管 しん 賢の心をみいだそうとさえする傾向があるとこ想に基づく。晋の南渡ののち、魏の経学は南朝 典とその生活』 (r 吉川幸次郎全集 2 』所収・ 理と市場経済を結合したユーゴスラビアの経済 ろから、経学といえば、とかく①の漢学と③の に受け継がれ、北朝に後漢の古文学が残った。 一九穴・筑摩書房 ) ▽狩野直喜著「中国哲学 システムはすでに一九五〇年代にソ連型の集権 なんじんやくかん そえいか 考証学とが想起されがちである。なお「経学」 『北史』儒林伝に「南人は約簡にして其の英華 史』 ( 一九五三・岩波書店 ) ▽加賀栄治著『中国的計画経済モデルから離脱しているし、ハンガ かんじよ じゅりん しんぶ きわ の語は、『漢書』儒林伝に、漢の世になってを得、北学は深蕪にして其の枝葉を窮む」 ( 南 古典解釈史』 ( 一九六四・勁草書房 ) リーは六八年の経済改革で基本的に分権モデル 。しカくぎようせい法律学的には に移行した。その他のソ連、東欧諸国でも、集 「諸儒始めて其の経学を修むることを得、云云」人の学は大要をつかむのがうまい。北学は末端計画行政ナ、、 というなど、すでに前漢にみえる。 まで窮め尽くさねばやまぬ ) というのは、南朝通常、行政上の目標達成のため、あらかじめ樹権制はいくらか緩和の方向にあり、七〇年代末 しんふんしょこうじゅ 〔今文学と古文学ーーー漢〕秦の焚書坑儒のあとの立場からの評である。 立された目標設定Ⅱ計画に基づいて行われる行 からは「四つの現代化」を掲げる中国が独自の ふくせし りくちょ・つぶつきょっ 漢の天下が安定すると、伏生が壁に塗り込めて 〔六朝の義疏と唐の正義〕六朝で仏経研究の政で、その軸となる行政計画については、行政やり方でこの流れに合流しつつある。 しようしょ ちくかん きんぶん 隠した『尚書』の竹簡が取り出され、今文す論議の方法が経書に用いられ、「経」「注」を分目標を設定すること、ないし達成すべき目標お 〔計画経済の思想〕社会 ( 人間 ) による経済発 れいしょ そっう なわち当時通用の文字であった隷書で書き写さ析し疏通しての討論の結果できた精細な解釈でよびその実現のプロセスや財政上その他の手段展の意識的制御という思想を社会主義と結び付 亠のーし第か れたというように、経書がしだいに今文に写定ある義疏が多く生まれた。わが国足利学校に存を含めた行政の指針を定める行為、と定義されけたのは、、 しうまでもなくマルクスとエンゲル 1 一きよう りようおうがん され、武帝は儒学を国学と定め、五経博士をたする梁の皇侃の『論語義疏』などその一つである。しかしこのような定義ではやや同義反復に スである。彼らは将来社会の詳細な青写真を描 くじゅ たいそう がんし - 」 ′」きよう てた。一経を専門として訓詁がロ授され、師る。唐の太宗は顔師古に命じて五経の定本をつ近くなるので、行政学のほうからは、計画の分 くことにはきわめて禁欲的であったが、自分た くようだっ 法・家法といって師説の改易は許されず、学問 くらせ、孔頴達らは義疏を整理して『五経正析的定義として「末来の複数または継起的な人ちの主要な課題とした資本主義経済の運動法則 ちょう の師承 ( だれから学を受けたか ) が重んぜられ義』をまとめ、六五三年 ( 高宗の永徽四 ) 長 間行動について、一定の連関性のある行動系列の解明から引き出される限りで、将来社会の一 えき くん - 一 よう
る。重要なのは、水平回転軸と上下回転軸の直個人性、自己消費性、当座性を特色とする個人ある。このような経営が第一一の経営概念の派生き、現在に至っている。経営経済学は、経営を 交性、およびそれに取り付けられた目盛り環の的生産は、経営ではない。経営の実態は、種々であるという理由は、経営者機能が経営活動に経済現象としてとらえ、それを理論的に解明す るものであるが、その学問的性格をどのように 精度などで、天文観測用の赤道儀などと異なりの発展段階をもつ。最初の経営は、親方、職不可欠の中核的部分を占めていることによる。 わきやく 以上の三種の経営概念は、もちろん関連させ理解するかについて、第二次世界大戦前にはそ 望遠鏡は脇役に回る。手軽に使用できるものは人、徒弟から構成される手工業経営であった。 ていりつ の内部に次の三派が鼎立した。経営の経験的現 「トランシット」とも称し、広く測量に用いら複数の手工業経営が商業資本家 ( 企業者 ) によて用いることが可能である。現在の経営学は、 れている。天測用にとくに高い精度でつくられって市場生産を指向して組織化されると、次のその比重の置き方はともかく、このような方法実事象に内在する因果法則を説明する理論学 たものもあり、角度〇・一秒まで測定する。近段階としての家内工業経営になる。家内工業経をとっている。ただ前述のように、企業に限定派、この因果法則を政策ー目的関係に代置して 年はエンコーダにより測角をディジタル表示す営の地理的分散性を解消し、工場に集合させてするか組織体一般に拡大するかについては立場政策や技法のあり方を研究する技術論派、経営 が分かれ、それが経営の理解を困難にする理由のあるべき姿 ( 中心は経営共同体論 ) を説く規 るものもある。三角測量では経緯儀を用いる分業体制を採用したものが、手工業的工場経営 〈森本三男〉範学派がそれである。戦後は、理論学派の流れ が、最近では精密測距儀による三辺測量も行わ ( マニュファクチュア ) である。産業革命を契の一つになっている。↓経営学 十・・、一んし、刀、刀ノ、 経営学の一部であが近代経済学の手法を導入して他を圧倒した れるようになった。↓トランシット〈中嶋浩一〉機として、各種の機械が発明され、工場が出現経営科学 が、近年はアメリカの研究の影響が強くなり、 経緯度けいいど経度と緯度を一括して経緯して、手工業的工場経営の生産手段である道具るが、方法的・領域的に特殊な特定分野をさ 経済学の色彩は希薄化している。 度とよぶ。経線は地軸を含む平面と地表との交が機械によって代置されると、工場制経営とな し、実際には次のうちのいずれかをいう。 アメリカでは伝統的に実践的傾向が強く、経 ①ドイツにおける経営科学 Betriebswirtschaf ・ 線で南北に走り、緯線は地軸に直角な平面と地る。現代の経営の中心は工場制経営である。資 表との交線で東西に走り、地球表面の絶対位置本主義下では、生産が営利の形式で行われるた ten で、二〇世紀初頭アメリカで発展した科学営学は二〇世紀初頭の科学的管理法を源流と し、経営者、管理者のための経営管理学として を示す座標として用いられる。 〈市川正巳〉め、経営も営利追求組織となる。このような資的管理法を発展させ、その内容と方法を経営問 文土卩リ ーしいんさっ迅速性と経済性をねら本主義的経営のことを企業という。経営が実体題に広く適用して分化した諸科学を総称する。発達してきた。それは長らく機能分析や管理技 ・重・日届 インダストリアル・エンジニアリング ( — ) 術を中心とする技術論であったが、一九五〇年 った簡便な印刷。主として文字の印刷である概念であるのに対し、企業は形式概念である。 が、官公庁、学校、会社内で使用する印刷物をしかし、資本主義の変質と企業の発展とは、営のような技術的研究、労働科学のような生理学代以降、科学的実証に基づく理論によって代置 手軽につくるために発達した。古くは、こんに 利第一主義を修正、後退させ、今日では実体に的研究、労働者の心理的研究、組織に関する組されている。他方、アメリカにおいても、この ような経営管理学とは別に、制度派経済学を土 やく版、謄写版が利用され、素人でも容易に印 さかのばって考察しなければ、企業の本質は理織論的もしくは社会学的研究などが含まれる。 台としながら経営の本質を理論的に究明する制 刷できる方法として歓迎されていたが、タイプ解できない段階に達している。そのため、経営統一原理を欠いているため、原語は複数形。 ライターで印字し、オフセット平版印刷する方を対象とする学問体系に企業学ではなく経営学 ⑦一九五〇年ころからアメリカを中心にして発度派経営学や、近代経済学の手法を経営管理者 という実践主体の立場から意思決定への応用と 法に移行してきた。一般的には、とくにきれい という呼称が用いられるのである。 展してきた経営科学 management science 第二の経営概念は、企業もしくは組織体一般で、数理的に経営現象を解明する研究を総称すしてとらえるマネジリアル・エコノミックス に印書できるタイプライター、あるいは写真植 managerial economics 〔か ~ め「 0 字機を用い、浄書印字してこれを撮影、オフセを運営する動的全体過程をもって経営とするもる。管理科学とも訳される。この中心はオペレ ーションズ・リサーチ (or) である。方法と 日本の経営学は、第二次世界大戦まではドイ ット版として小型の印刷機で印刷する。進歩しのである。「経営する」という動詞的用法や企 ツの経営経済学の、戦後はアメリカ経営学の影 たものでは電子写真法を利用し、印字物から直業経営という場合の経営はこれである。この概して経営を数式モデルや数理的過程のシステム 接、平版をつくる方法、ワードプロセッサーで念を経営活動、経営行動、経営機能ということ としてとらえることを特色とし、そのため近代響を強く受けてきたが、一九六〇年 ( 昭和三 オペレーションズ・ 文字を出力したものから製版する方法もある。 もあるが、その特色は行動概念としての経営で経済学との関係が深い。↓ 五 ) ごろからは、外国の成果を吸収、包摂しつ リサーチ↓科学的管理法 〈森本三男〉 つ、独自の体系において構築しようとする傾向 印刷機は一般に小型で、各種の自動装置をつけある。英語圏で発達した経営学の多くは、この 本出、。 、丁、らんい、か / 、 - 力、ラし 社会科学の一分野で、 たものが多い。一般印刷物を受注する印刷業者ような経営をその対象としている。注意すべき経営学 〈山本隆太郎〉 ことは、このような経営は、企業という特定組統一的な意思のもとに一定の継続的施設を基礎〔経営学の体系〕現在の経営学は、「ジャング とは別の業界を形成する。 げいさん げいうんりん 0 倪璟 織体はもとより、あらゆる組織体について存在 にして活動する組織体の構造および行動の原理ル」と形容されるほど多彩であり、大勢が支持 倪雲林 1 しかー ) 、 けいえい management 経営学で用することである。かくて、英語圏の経営学でを研究する学問。研究対象となる組織体に関しするような安定的体系は存在しない。 経営 は、組織体一般の動的全体過程に遍在する諸機て、組織体一般を研究するものを広義の経営学大きな問題領域という意味で、基本的枠組みを いる経営の概念には、次の三種がある。 示すことは可能である。その場合、研究対象を 第一は、一定の継続的施設を基礎にして、財能や経営技術について、普遍的原理を探索するないし一般経営学 general principles of man ・ 企業という特定組織体に限前述のように組織体一般とするか企業にするか またはサービスを経済的給付として生産する組傾向が支配的となる。たとえば、動的過程の基 agement といし 織体を経営とよぶものであり、ドイツ語圏の経本を、計画、組織、統制の循環過程 ( マネジメ定するものを狭義の経営学ないし企業経営学が、決定的な分岐点となる。前者の代表的存在 ント・サイクル ) ととらえ、あるいは音」田 5 決定 principles of business administration とい , つである O ・ ;-* ・ ーナードは、人間論、協働シ 営学でいう経営 Betrieb はこれである。この ことがある。 ステム論、組織論、管理論という体系をとっ 概念を経営体あるいは構造概念としての経営との逐次的ネットワークととらえることにより、 〔発展〕一般にドイツ経営学とアメリカ経営学た。これを四層体系、または ( 人間論は前提で いうこともある。この場合、呼び売り行商のよそれらの内容や方法を研究するなどである。 第三の経営概念は、第二の概念からの派生での二つの流れに分けられる。前者は、商業学のあり、後三者が実際の内容になるとみて ) 三層 うに一定の継続的施設をもたないものは、たと > え継続的に生産を営むものであっても経営にはあり、経営機能のうち、全体的、基本的、戦略科学化に始まるが、科学化の過程で方法論争が体系という。人間論では、制約をもちながらも 一ん含まれない。さらに、継続的生産のすべてが経的、長期的、政策的意思決定機能をもって、と激しく行われた。その名称についても私経済学自由な意思決定を通じて合理性を追求する存在 として人間がとらえられる。このような人間が くに経営とするもので、経営者機能ともよばや個別経済学などが主張されたが、やがて経営 > 営になるのではなく、協働性、交換性、計画性 れ、略称として経営機能 ( 狭義 ) ということも経済学 Betriebswirtschaftslehre に落ち着制約を克服しようとするとき、協働システムが け・を備えたもののみが経営になる。この意味で、
計画であるが、このような計画の適切性を阻害統率しうる権限であり、その典型は人事権であこの職業は二〇世紀初頭アメリカに始まり、各財務管理 , んする条件として、経営環境の変動と不確実性がる。対外的経営権とは、経営と相互作用する株国にしだいに普及した。経営活動の複雑化と科回村松司叙・柴川林也著「経営財務』 ( 一〈実・ 、ある。このような制約条件に対処するためには主、労働組合、金融機関、政府、顧客、地域社学化の要請が、この新しい職業を生み出したの 槇書店 ) 会などの環境主体に対し、自己の経営の利害とである。初期には現場作業の能率向上を中心に ナ . 十分な情報と専門能力を備えた計画策定部門 けいえいさんか労働者が企業内の 経営参加 ( 企画部など ) を設け、不測事態に備えた予備自主性を主張し、経営の維持、発展を図る権限 していたが、漸次、経営問題全般に及ぶように意思決定に参加ないし関与すること。今日では 的計画を用意しておく必要がある。このようなである。権限一般がそうであるように、権限のなってきた。近年では、未来戦略の助言や政これが ( 国際労働機関 ) をはじめもっと 予備的計画を、コンティンジェンシー・プラン反面には責任が付随する。対外的経営権の責任界、外国との橋渡し的な役割を演じるものも現も広く合意を得ている用語法である。とくにか contingency plan 、状況対応計画、不測事態 は、社会的責任であり、経営権、とくに対外的れている。このような傾向は、コンサルタントって企業外の団体交渉による規制が賃金その他 対応計画、シャドー・プラン shadow plan 経営権は、経営の社会性、公共性、公益性と不の専門化を生み出し、人事労務、販売、事務、の基本的労働条件にとどまり、それ以外の企業 などという。↓経営管理↓経営戦略↓期間計可分のものとなる。 〈森本三男〉生産、組織、最高経営などに細分化が進んでい 内の諸決定については資本の経営権の聖域とさ けいえいこうがく 0 インダストリる。さらに、継続的・臨時的に経営上の勧告、れていた西欧においてこの見解が多い利潤分 画↓プロジェクト・プランニング〈森本三男〉経営工学 回中村元一・林鐵也・山田徹著『経営計画入アル・エンジニアリング 診断、指導を適切に行うためには、依頼人以上配制度をもって利潤 ( あるいは分配 ) への参加 門』 ( 一九七三・日本生産性本部 ) に高度な学識経験に加えて、依頼人との間に信 とし、従業員持株制度をもって資本 ( あるいは 経宀呂△ロ理ヒけいえいごうりか Betriebsra- けいえいけいざいがく Betriebs- 経営経済学 tionalisierung 広狭二義がある。広義の頼関係を醸成できる人格的資質が必要とされ所有 ) への参加とみなして、これらをも経営参 wirtschaftslehre ハイ主としてドイツ語圏で経営合理化とは、在来の状態を合理的な方向に る。日本では、公的に中小企業診断にあたる中加の概念に含める見解もあるが、概念の空洞化 発展した経営学。その成立の経緯から、経営の改善し、経営目的の達成度を高めるためのあら 小企業診断士のみが法制化されているが、そのを招くとの批判が強い。またより狭義には、企 経済的側面を個別経済的視点から考察するとい ゆる努力を総称する。これに対して、狭義の経ほかは完全な自由業であり、日本経営士会や経業内団体交渉によらない関与、あるいは直接的 う方法論にたち、経営学という名称を用いず、営合理化は、資本主義企業において行われる目営管理士会を形成して、資質の向上に努めてい な労働条件以外の経営政策全般の意思決定に対 る。 経営経済学という。一八九八年、ドイツに初め的達成努力の改善をいし 歴史的・伝統的に 〈森本三男〉する関与に限定する見解もある。企業別労働組 て商科大学が設置されたが、その中心学科を何は、狭義の概念が一般的であった。その内容経営財務けいえいざいむ経営において生産合のもと労働条件についても企業内交渉日協約 に求めるかが問題になった。既存の商業学は科 利潤追求目的を第一義としたため、労働強要素の一つである資本の問題を扱う領域をい 、、ゝ一般的である日本では、これと区別される経 学として問題があるのみでなく、産業社会にふ化、人間疎外、解雇を招くものが多かったた う。その範囲と問題性に関しては二つの考え方営参加の独自的内容を明確にするうえで一定の さわしくない。そこで新しい科学が模索され、 め、経営合理化をこれらと同一視し、非難する がある。第一は、資本の調達および処分につい 意義をもっている。 私経済学、個別経済学などの提唱と方法論争を風潮が生じた。しかし、労働の強化や非人間化 て手段と方法のみを問題にするもので、資本調〔展開過程〕経営参加の理念や制度の生成、発 経て、一九二〇年ごろ経営経済学の名称が定着による労働者側の反発は、終局的には企業自体達、会社金融、株式会社財務などの名称でよば展は、資本主義体制の危機と結び付いている。 した。第二次世界大戦前の状況は、経営の経験の存続に背反するとの企業観が普及し、企業自れる伝統的経営財務である。このような経営財 ドイツのワイマール共和政下の経営協議会やイ 的現実事象を問題にする経験学派と、経営のあ体も利潤追求単一目的を修正するに至って、労務では、大規模の株式会社の普及による証券資ギリスのホイットレー型工場委員会など経営参 るべき姿 ( 中心は経営共同体論 ) を説く規範学働者の利害を内包した広義の経営合理化の概念本の調達をおもな問題とする。すなわち、各種加制度の本格的形成をみたのは、第一次世界大 派に二大分され、前者はさらに、経営経済の因が一般化するようになってきた。 の株式や社債の種類を法律的・経済的に詳細に 戦後資本主義の全般的危機の始まりの時期であ 果法則を説明する理論学派と、因果法則を政策 経営合理化は、対外的合理化と対内的合理化 説き、それを中心に、株式会社の設立手続、運った。第二次大戦とそれに続く危機の時代に ー目的に置き換えて、政策や手法を研究する技 に二分される。対外的合理化は、市場開拓、流 転資本の調達、株式・社債の発行手続、利益処は、西ドイツにおける労働者重役制の導入など 術論派に分かれていた。戦後、近代経済学の方通システムの改善、製品構成の変更、立地政分、合併や企業整理の財務上の問題などを取り がみられた。さらに高度成長の矛盾が表面化し 法を取り入れた理論学派が圧倒的地位を占めた策、公害対策などの形で進められるが、そのね扱う。これに対して第二の立場は、前述の資本始める一九七〇年前後から七四年以降の構造的 が、近年、アメリカ経営学とくに組織論、意思 らいは、各種環境主体と円滑な相互関係をもっ調達中心の経営財務を外部投資機関本位の考え危機のもとで、世界的にふたたび経営参加の波 決定論、システム論などの内容と、実証的方法ことにある。対内的合理化は、生産機能的な経方であると批判し、真の経営財務の問題は、資が高まっている。 や学際研究に強く影響を受け、経済学的色彩は営技術的システムの合理化と、人間関係的な経本をいかに運用するかという経営の見地から資 このような展開過程には、労使 ( 資 ) 双方の 希薄となった。しかし、名称のみはなお経営経営社会的システムの合理化とからなる。前者本の調達と運用を一貫した論理で問題にすべき 相対抗する運動、政策が交錯して作用してい 〈森本三男〉 済学と称している。 は、生産能率の上昇をねらいとし、生産の設であるとする。これが財務管理論の名でよばれる。すなわち一方には、資本の経営権の規制と けいえいけん法律上、経営権という備・方法・システムについて改善する。後者るものである。そこでは、経営活動を資本の転 企業内での労働者、労働組合の発言権の強化を 経営権 独立した権利は存在しない。第二次世界大戦は、生産意欲の向上をねらいとし、福利厚生の換過程もしくは資金の流れとしてとらえ、この求める労働者側の要求と運動があり、他方には 後、労働組合が経営に介入を要求したとき、使拡大、情報や決定への参加の拡大、成果分配の流れを左右する中心問題は投資であると考え この連動に対抗して、一定の譲歩と引き換えに 用者側が労働者側の労働権に対照させて使い始改善などをいう。 〈森本三男〉る。そこで、投資に関する意思決定が資産選労働者、労働組合を企業と体制へ統合しようと 十ノ、らん man- 択、資本コスト、リスクなどとの関連で問題にする資本家側の政策がある。これらは制度の性 めた用語で、その内容は、労働者側が団体交渉経営コンサルタント や争議行為によっても関与しえない経営の専権 agement consultant 顧客の依頼に応じて経され、これを中心にして資本調達、資産の運格、機能にも当然反映していく。 的決定領域といえる。経営学上では、経営権は営上の顧問、診断・指導などを業として行う専用・管理、運転資本管理、利益管理などを取り 〔参加方式〕経営参加の現実的態様について 経営者の対内的・対外的権限である。対内的経 門家。マネジメント・コンサルタント、ビジネ扱う。その手法には、近代経済学の数理的な分は、参加の主体 ( 直接参加、代表参加 ) 、対象 営権とは、経営内部の従業員を機能的に指揮、ス・ドクター、経営士、管理士などともいう。析方法が多く用いられるようになってきた。↓ 事項、レベル ( 企業、事業所、職場 ) 、参加の ^ 森本三男〉
的観点から討議する新執行委員会とがある。事次世界大戦が発生すると、戦争の遂行に経済力 これらのうち国民所得倍増計画は一九六〇年らははど遠い。なお、経済改革と関連して、最 イ、務総長は理事会によ 0 て任命され、常駐代表会を効果的に動員するため、各国は必然的に経済代の高度成長を招来したものとして名高い。計近のソ連では経済計算制を産業部門レベルに 議の議長をも務め、任期は五年である。事務総計画を立案・実施したが、それは期せずして経画の手法も精密化し、中期経済計画以降は計量も、また企業内経営単位 ( 職場、職区、作業 ナ - 長の下で、現在約一七〇〇人の事務局スタッフ済計画の技術を習得させる機会となった。そし経済モデルを用いている。↓計画経済↓経済班 ) にも適用する動きがみられる。〈宮鍋幟〉 が活動している。の下部機構としてて第二次大戦後に計画化の最盛期を迎える。戦計算論争 〈佐藤豊三郎〉回森章編著『社会主義企業論』 ( 一九七七・日本評 は、経済政策、開発援助、貿易の三大委員会に 後は、完全雇用、物価安定、経済復興、経済成回大来佐武郎著『経済計画』 ( 一九六 = ・至誠堂 ) 論社 ) ▽三代川正次著『ソヴィエト管理論 加えて、経済、社会などの広範かっ多岐の分野長、福祉社会など国民経済の課題が相次ぎ、経 ▽渡部経彦・筑井甚吉著『現代経済学 9 経 の基礎』 ( 一九〈一・成文堂 ) に対応するため、経済開発検討、技術協力、海済計画の必要性が高まる一方、計画に必要な経 けいざいけいさんろんそう土 済政策』 ( 一九七 = ・岩波書店 ) ▽・グロスマ経済計算論争 運、制限的商慣行、農業、環境など約三〇の委員済理論の発展、国民経済計算など諸統計の整 ン著、大野吉輝訳『経済体制論』 ( 一九六九・東会主義経済には資源配分を合理的に行うための 会が設置されており、これらの委員会は年次作備、コンピュータの発達などが経済計画の実施 洋経済新報社 ) ▽村上泰亮著『産業社会の計算的基礎が存在するかという問題をめぐっ 業計画を作成するとともに、作業部会や専門家を容易にしたからである。 病理』 ( 一九七五・中央公論社 ) て、両大戦間期に欧米の経済学者の間で展開さ グループに補佐されて研究調査を行っている。 けいざいけいさんせい経済的なれた論争をいう。この論争は一九二〇年にオー 経済計画の性格はさまざまである。単なる将経済計算制 国際機構としての OQOQ の特徴は、西側先来予測を示し、民間経済に見通しないし指針を計算もしくは経営上の計算を意味するロシア語 ストリアの経済学者ミーゼスの論文「社会主義 進国を加盟国としているため、メンバー間に同与えるものから、計画目標に向かって政府部門 X03flHCTBeHHbIH pacqéT 、、、、 hozyaystvenniy ras- 共同体における経済計算」によって開始された 質的性格およびクラブ的性格を有していることの活動を調整するとともに、財政・金融政策な chyot の訳語で、社会主義経済における企業が、その論旨は、社会主義のもとでは生産手段 である。その結果、各加盟国の政策調整は、関どにより民間部門を誘導するもの、さらにあるや企業合同の経営方式のこと。独立採算制ある が公有であるため、少なくとも生産財について 係国代表が直接協議する、いわゆるコンフロン程度の強権介入に及ぶものまである。 いは経営計算制とも訳され、また原語の略語をは市場および市場価格が成立せず、価格のない テーション方式がとられている。さらに OQO ところに経済計算はありえないから、そこでは 〔各国の経済計画〕フランスは、有名な一九四そのまま生かしてホズラスチョート X03pac- においては意見および情報の交換が中心で、 六年の復興計画 ( モネ・プラン ) からその後の qéT/hozraschyot という場合もある。そのお資源配分が恣意的に行われ、つまるところ社会 結論を得るよりも、各国代表による討論を通じ数次にわたる近代化計画まで、かなり本格的な もな特徴は、社会主義企業の経営活動の能率向主義経済は運営不可能に陥る、というものであ て共通の理解が形成されることに重点が置かれ経済計画を実施している。指針的計画が主体で上を図るため、生産手段の国有と経済の国家的った。 ている。したがって、としての政策決はあるが、電力、鉄道、航空、銀行などの国有計画の枠内で各企業に資産上・経営上の一定の ところがミーゼスのこの問題提起は、理論的 定を行う場合には、多数決ではなく全会一致方化を進め、政府は国の投資総額の相当部分を自主性が与えられていること、各企業は貨幣的 にはすでに一九〇八年にイタリアの経済学者バ はてん 式がとられる。↓開発援助委員会〈横川新〉左右するに至っている。イタリアも、著名な収支計算を行い、自己の収入でその支出を補填ローネの論文「集産主義国家における生産省」 経済計画けいざいけいかく economic plan- Z—、などの特異な国家持株会社が重要し取益性を確保すること、得られた利潤の一部によって解決済みであることが、その後明らか ning 一般に政府が経済の目標を設定し、そ産業で大きな比重を占める方式をとり、国家介が当該企業に残されてその自己投資や従業員へ にされた。バローネは、生産手段の公有制のも の実現を図ることをいう。自由放任の資本主義入の程度が高い。イギリスも早くから産業の国の物質的報奨に利用されること、などである。 とでも中央計画当局 ( 生産省 ) が各種の財や用 経済体制にあっては、私的所有の基礎のうえに有化を進め、有名な一九六五年の「経済計画」 ソ連ではネップ ( 新経済政策 ) への移行が開役に一種の計算価格を設定し、これに市場価格 家計や企業がそれそれ私的目標を追求するが、 The National Plan 以来、経済計画に努めて始された一九二一年に適用されたのが始まり と原理的に同一の機能を果たさせることが可能 それが市場の価格機能によって調整されて社会 いる混合経済体制の国である。その他のヨーロ ( 当時は商業計算制とよばれた ) で、二九年にであり、したがって社会主義のもとでも資源の 全体の生産と分配の調和が実現する、いわゆる ツバ諸国もそれそれ特徴ある経済計画を行ってはすべての国有工業企業に経済計算制が普及さ 合理的配分が可能であることを数学的に証明し 分権的市場経済であるから、そこには経済計画おり、アジア、アフリカなどの発展途上国でもれ、以後この方式が定着した。しかし、ソ連のていたのである。そこで、ミーゼスと同じ立場 は存在しない。他方、社会主義経済体制にあっ経済計画が盛んである。 集権的計画経済制度のもとでは企業の自主性が にたつイギリスの経済学者ロビンズとハイエク ては、経済計画は多かれ少なかれ集権的な計画 日本でも戦後次に列挙するような経済計画が きわめて局限され、その経済計算制も名ばかり はこの点を考慮に入れて、一九三〇年代なかば 経済である。しかし、資本主義経済体制におい 策定され、それぞれの時代の目標を追求してい のものでしかなかった。事実、一九六〇年代な に、社会主義経済においてそのような計算価格 ても一九三〇年代以降、経済計画の実施が急速るが、性格は指針的計画である。 かばまで、ソ連の多くの重工業企業や国営農場が設定可能であることが理論的に証明されたと に展開された。すでに一九二〇年代から、ソ連①経済復興計画、一九四九年、吉田内閣 は独立採算ではけっしてなく、赤字経営で、国しても、現実問題としてそうするためには中央 という社会主義国家の出現に刺激されて、計画②経済自立五か年計画、一九五五年、鳩山内閣家補助金により維持されていたのである。六五計画当局は膨大な量の統計資料を収集・加工 経済についての関心が高まり、経済計算論争も③新長期経済計画、一九五七年、岸内閣 年秋の経済改革以後、ソ連では「完全な経済計 し、それに基づいて数十万 ( ハイエク ) ないし 発生していたが、やがて一九二九年の世界不況④国民所得倍増計画、一九六〇年、池田内閣 算制」という用語が用いられるようになった。数百万 ( ロビンズ ) の連立方程式を解かねばな が発生すると、この大不況から脱出するため、⑤中期経済計画、一九六五年、佐藤内閣 この用語は、企業の自主性を拡大し、従来の形らないから、それは実行不可能であると主張し 三二年にアメリカでニューディールが実施され⑥経済社会発展計画、一九六七年、佐藤内閣 式的で不十分な経済計算制を実質的で十全なも た。これは公共投資をてこにして不況からの脱⑦新経済社会発展計画、一九七〇年、佐藤内閣のに改めてゆくという改革の理念の一つを表現 これらの議論に反論しつつ社会主義のもとで 出を図る経済計画であって、国家の経済への介⑧経済社会基本計画、一九七三年、田中内閣 したものにほかならないが、ソ連の経済改革がの経済計算可能論を主張したのは、アメリカの 入であり、資本主義を修正し、民間経済と政府⑨昭和五〇年代前期経済計画、一九七六年、三不徹底なものにとどまったため、ソ連企業の経経済学者・・テーラー、・・ラーナ 経済の二重経済にするものであった。この計画 木内閣 済計算制は右の改革により若干の改善をみたと 、およびポーランドの経済学者で当時滞米中 化はその後急速に各国に広まった。ついで第一一⑩新経済社会七か年計画、一九七九年、大平内閣はいえ、その内実はいまなお「完全なもの」かの o ・・ランゲらで、うちもっとも有名なの
、次の四つが考えられよう。①所有権。これには 日中連の脱退により、現在の業種別団体の連合計量経済学の援用を受けて、地域の計量的分析る地位を保障するための人権で、民主的政治の 単に生産手段の法的所有権だけでなく、経営に体となった。 〈森本三男〉 もなされるに至った。なお、これまで一般に ための前提とされた。これに対し後者は、資本 けいざいちりがく economic ge ・経済学および経営学においては、時間的概念に 対する実質的支配が含まれる。②意思決定の組経済地理学 主義経済を支えるための柱として、不可侵の人 ナ . 織構造。いわゆる集権・分権の問題がこれにあ ography geographie écononuque ン 比べて空間的・地域的概念の導入による研究が権と考えられたのである。たとえば一七八九年 地理学の一分野著しく遅れていた。 たる。③情報と調整のメカニズム。「市場」と Wirtschaftsgeographie 響 のフランス人権宣一言第一七条は「所有権は神聖 「計画」の問題がここでの中心をなす。④誘因。 で、広義の人文地理学のなかの大きな分野を占 経済現象や経済活動が展開されている経済地で不可侵である : : : 」と規定する。近代憲法 物質的刺激か、精神的刺激か、という問題がこめているが、また、経済学の一部門でもある。 域を対象にするからには、地理学の一分野とし は、産業資本が資本制生産様式を確立し、国家 れにあたる。 経済地理学の研究対象は、時代の推移に伴っての経済地理学であっても、経済知識の取得が による保育の必要から解放されて、それを担う 以上のような指標に照らして純粋型としてのて変わってきているが、現在では、通常には経必要不可欠であることはいうまでもない。しか市民がその自立性を担保するために制定された 資本主義 ( 古典的資本主義 ) と社会主義 ( 集権済地域ないしは経済地域性であるとみなされても経済地域の形成には、経済の発達段階の差異ものであるから、政治参加の手段を確保する人 的社会主義 ) をみるならば、前者では、①は私 いる。扱う地域は、一市町村内の細部から世界や経済体制・生産様式の違いを通して、経済諸権とともに、経済的自由を不可侵の権利と考え 的所有、②は分権、③は市場、④は物質的誘因全体に及び、各種の地図・統計・文献を利用す原則の作用が反映しているのである。また、産たのである。ちなみに参政権は、人権としてで となり、後者では、①は主として国有、②は集るほかに、現地の実態調査を重視して進めるこ業の分布や工場・商店などの事業所の立地の状はなく、限られた市民のための「市民の権利」 権、③は計画、④は物質的および精神的刺激と とが多い。すなわち、経済地域を構成する各種況を通して地域の様相を理解するのであるが、 として観念され、制限選挙制をとることが通例 いうことになる。現代資本主義と分権的 ( 市の産業をはじめ、広く経済現象・経済活動の空その経営主体は企業であり、企業の背後には資とされていた。しかしながら、二〇世紀に入 場 ) 社会主義で、これらの指標がどのように、 間利用・地域的展開を考察し、それらを取り巻本がある。それゆえ、資本・企業・経営の論理り、資本主義の進行に伴い、資本の集中・独 かつどの程度変化しているかは、現代経済体制 く自然環境・社会環境を分析し、因果関係を調を心得ておくことが必要であり、他方、労働者占、貧富の格差の拡大などの現象が生すると、 論の中心的論争問題の一つである。〈佐藤経明〉べて、対象地域の成立・変容・機能・構造を解や住民生活の論理、それに経済行政の論理も踏経済的自由に制限を加え、社会権を保障しよう 回尾上久雄編『経済体制論』 ( 一九七三・有斐閣 ) 明する。また、他の地域との共通・相異・関連まえねばならない したがって、経営学を含むという主張が声高に叫ばれるようになった。そ ▽正村公宏著『経済体制論』 ( 一九天・筑摩書の度合いやかかわり方を通して地域の特性を把経済学における分析手法や方法論に基づくことの主張をいち早く憲法に取り入れたものとして 房 ) ▽・コルナイ著、岩城博司・岩城淳握し、新たな地域区分を行ったりする。経済地 は、ワイマール憲法 ( 一九一九 ) が有名であり、こ によってのみ、経済地域の解明・把握が達成さ 子訳『反均衡の経済学』 ( 一九七五・日本経済新域の現状を知るためには、その歴史的背景をみれるのであり、経済地理学が経済学とくにいわの潮流は、とくに第二次世界大戦後に制定され 聞社 ) ることが必要とされるが、研究の成果を踏まえゆる応用経済学・部門経済学の一分野でもある た資本主義国の新しい憲法に大きな影響を及ば けいさいだんたいれんごうか て、経済地域の今後の動向や将来予測を行い、 ことは当然である。 〈柾幸雄〉した。フランス、イタリア、日本などがその例 経済団体連合会 経団連と略称される。日本財界の総本山と政策面での提言をすることも可能である。 回矢田俊文著『産業配置と地域構造』 ( 一九公一・ である。政治参加のための権利は、普通選挙制 か、経団連会長は財界総理などといわれるよう 経済地理学は、取り扱う対象によって、農業 大明堂 ) ▽除野信道著『改稿新体系経済の採用を前提として、すでに参政権は人権の一 に、日本の財界を指導する経済諸団体の連合地理学、工業地理学、商業地理学、交通地理 地理学』 ( 一九会・古今書院 ) ▽西岡久雄著種と考えられており、したがって、集会結社・ 体。部門別・業種別の経済団体および会社のよ学、観光地理学、資源地理学、それに経済地誌 『経済地理分析』 ( 一九大・大明堂 ) ▽奥田義一一一一口論の自由などは精神的自由の概念でとらえら うな法人からなる普通会員と、学識経験者など学などに分けられる。また、都市経済地理学、 雄著『社会経済地理学論攷』 ( 一九六九・大明堂 ) れた。そして現在は、精神的自由の優位との対 けいギ、いてきしやかいこ、つ 推薦会員を内容とする若干の個人会員とから構国際経済地理学、生活経済地理学などのような 比で、制限付きの経済的自由が対置される。日 経済的社会構成体 しやかい、 : っせいたい せいたい 成されている。活動内容は、経済諸団体相互間 分野もあり、近年はマーケティング地理学や消 <> 社会構成体 本国憲法において職業選択の自由 ( 二二条一 の連絡、重要な問題に対する財界の意見の、政費地理学などが確立されつつある。 経済的、社会的及び文化的権利に関項 ) 、財産権の保障 ( 二九条二項 ) が、「公共の 府や国会への建議、声明の発表、専門委員会に ネ祉」による制約に服することを定めているの 経済地理学の起源は、近世に入って、ヨーロする国際規約けいざいてき、しやかいてきおよ りゅうしよう よる研究、調査、広報などである。そこで取り がそれである。 ッパ先進諸国の海外進出、貿易隆昌の時期に、 〈池田政章〉 びぶんかてきけんりにかんするこくさいきやく一九六 けいざいてきじゅうしゅぎ 上げる問題は、経済問題に限定されることな海外の植民地や貿易商品や航路港湾などの知識六年第一一一国連総会で採択された、経済的、社 経済的自由主義 、外交、防衛、教育、福祉にまで及び、影響が要請されて発達した商人地理学に求めること会的、文化的諸権利の保護を定めた国際条約。個人が自らの意志のみに基づいて経済活動を行 力はきわめて大きい。経済同友会 ( 同友会 ) 、 ができる。これがしだいに集成され体系化されわが国は一九七九年 ( 昭和五四 ) に批准。↓国 いうる自由 ( 経済的自由 ) が保障されるなら 日本経営者団体連盟 ( 日経連 ) 、日本商工会議て、当時の商業地理学に発展していった。地理際人権規約 〈宮崎繁樹〉 ば、経済社会は自然に調和のとれた発展を遂げ けいざいてきじゅう経済活動に ることができる、という考え方をいう。経済的 所 ( 日商 ) とともに、経済四団体と称される。学とくに人文地理学全般の発達に伴って、経済経済的自由 経団連の歴史は、一九四六年 ( 昭和一一一 ) に始地理学の分野も進展するのであるが、他方、経関する個人の自由。契約の自由、職業選択の自 自由には、職業選択の自由、財産私有の自由、 まるが、その前身は、第二次世界大戦直後の混済学の側からは、主として「産業の立地に関す由、営業の自由、財産の自由などの総称で、政営業の自由 ( 私的利潤追求、取引の自由 ) など 乱期に、日本経済連盟会、重要産業協議会 ( 後る研究」として進められてきた。・・フォ 治的自由、もしくは精神的自由に対する。市民が含まれる。 の日本産業協議会Ⅱ日産協 ) 、全国商工経済会 ン・チューネンの農業立地やアルフレッド・ウ革命ののち成立した近代憲法において、保障さ 経済的自由主義の思想は、絶対主義体制を批 ( 現日本商工会議所 ) 、貿易団体協議会 ( 現日本エーバ ーの工業立地を扱った立地論は、その後れるべき市民的自由として二種類の人権があっ 判したアダム・スミスの経済学のなかにその典 貿易会 ) 、商工組合中央会 ( 現日本中小企業連経済学における一般理論を取り入れて成長し、 た。政治的自由と経済的自由がそれである。前型をみることができる。絶対主義体制の成立 盟Ⅱ日中連 ) からなる連合体であった。一九五 これを理論的支柱にして、経済活動、とくに企者は、思想の自由、集会結社の自由、言論の自 は、資本主義経済の前提の一つである国家的に 二年 ( 昭和二七 ) 、日産協の解体吸収、日商と業立地や産業配置の分析が行われた。さらに、 由、請願の自由などの、国民が政治に参与しう統一された国民経済を実現したとはいえ、そこ
な産業政策の根拠法として立案、議会に提出さ の動きから取集されたデータを基礎的な資料と職業意識と、職業に忠実であることによって得し、資本家は利潤を消費せず投資して、異常な ただ れた特定産業振興臨時措置法案 ( 審議未了、廃して行われるものを、一般に経済予測とよんでられる経済的成果 ( 利潤 ) が自己の信仰の義し資本蓄積を成就、ヨーロッパの世界制覇となっ おんちょうあかし た。しかし二〇世紀の二つの大戦を経て、この さを証明し神の恩寵の証とする考え方、さら 案 ) を経て、オイル・ショック後の不況産業の 救済を図る特定不況産業安定臨時措置法 ( 一九 予測手法としては、①予想調査、②時系列分に、地上のものである財と美に心を奪われるの経済倫理とその成果に幻滅を感じ、新しきもの は神の定めた天職をおろそかにするものであるを求めて暗中模索している。プルジョア的経済 七 0 などの全般的な産業調整法に至っている。析、③計量経済モデル、などが一般的である。 イギリスにおける産業再編公社の設立や、アメ予想調査による予測は、消費者や企業の個別経から、利潤を消費に向けず投資して天職を全う倫理を捨てて社会主義の新しい秩序に移るか、 リカにおけるニューディール期の全国産業復興済主体や特定分野の専門家に対して、ある特定すべしという禁欲的合理主義がそれである。こ資本主義の能率を頼りとしてそれを維持しつ 法などの諸外国における産業法の例もあるが、条件の下や将来における態度や状況に関するこに、勤勉な労働と倹約貯蓄の徳目が宗教によっ、経済価値を他の文化価値の下位に置いて福 〈山田長夫〉 って至善とされ、経済と倫理が結び付けられる祉国家への道を進むかである。 この分野の経済法は、わが国のほうが先行して個々の行動予想や想定を、アンケート方式など 〈御園生等〉 により直接に調査し、その調査結果に基づいてことになった。これは一六 ~ 一七世紀の宗教改・ウェーバー著、梶山カ・大塚久雄訳『プ ロテスタンティズムの倫理と資本主義の精 回金沢良雄著『法律学全集—経済法』 ( 一九予測をたてる方法である。家計の消費行動や企革の時代のことであったが、長い宗教戦争に倦 神』全二冊 ( 岩波文庫 ) 六一・有斐閣 ) ▽今村成和著『法律学全集 業の設備投資行動、あるいは産業技術の動向なんで宗教心の薄れた一八世紀になると、・ロ だぎい けいざいろく江戸中期の儒者太宰 ック、 Q ・ヒュームらの自然法思想に支えら経済録 Ⅱ独占禁止法』 ( 一九六一・有斐閣 ) ▽正田彬どを予測する際に、この方法が用いられること しゅんだい れ、 < ・スミスその他の古典学派の経済的自由春台の著作。一七二九年 ( 享保一四 ) 成稿。 著『経済法の性格と展開』 ( 一九七 = ・日本評論社 ) が多い。時系列分析による予測は、経済要素間 オサ のぶひろ けいざいようろく佐藤信淵が一八 の相互依存関係を明示的に考慮しない点では予主義の理論に裏打ちされて、個人の自由な経済「世ヲ経メ、民ヲ済フ」ための手だてを意図し 経済要録 二七年 ( 文政一〇 ) に著した経済書。総論、創想調査による予測と同じであるが、その手法活動が最大多数の最大幸福を生むという予定調て書かれ、政治、経済、社会、教育、武備等々 の全般にわたって、その本義、変遷が簡潔に述 和論になった。 は、過去の現実のデータの動きを基本的情報と 業篇、開物篇、富国篇の四篇全一五巻よりな 古典学派の学説は利己心を中心とした快楽主べられている。経済を論ずる者は「時」「理」 る。中央集権的政府が中心となり、国土を開発して用い、その動きを分解、集計などの手続を し、諸産業をおこし、秩序ある交易を振興し、経て外挿することによって予測するものであ義の教義で、人間を利己心あるいは営利欲のみ「勢」「人情」の四つを知るべきであるとして、 によって動機づけられた一面的な経済人 ( ホ社会認識に関する理論的反省が加えられてい 国を富し、もって国民生活の安定を計るべきこる。移動平均法やディフュージョン・インデッ クス法などがこれに属する。以上の二手法に対モ・エコノミクス ) とみているという非難がある。また一方では、中国古代の「聖人の道」を とを説いている。信淵の主著であると同時に、 きこくせんきん 近世の経世論としてもっとも体系化されたものして、計量経済モデルによる予測は、経済現象る。それは、スミスのねらっているものを理解模範とし、貴穀賤金の立場が原則としてとられ ながらも、他方で、進行しつつある貨幣経済社 の背後にある経済諸要素間の因果関係を経済理しない的はずれの非難である。スミスは人間社 の一つで、平田国学や洋学の影響も著しい 「岩波文庫」 ( 滝本誠一校訂 ) 、『日本経済大典』論に基づいて数量モデルとして把握し、現実経会の現実分析の結果、各自の生活が本能的に自会の現実を重視して藩営商業の方策が打ち出さ 〈島崎隆夫〉済の動きから得られる各種のデータを用いて統己本位になっているという認識に出発しているれており、春台の卓越した経世済民思想をみる 第一八巻などに収録。 ことができる。当時の諸情勢を知るうえでの史 が、ねらっているものは、その各自の活動のう 回滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』全三巻 ( 一九計的に推定された構造方程式に基づいて行うも 〈小島康敬〉 のであり、その点で、経済体系内で動く経済量ちに絶えず働いている正常的関係であり全体的料としても見逃せない 一一五 ~ 一一七・岩波書店 ) けいざいよそく economic fore- を予測する手法としては、もっとも科学性の高調和であった。人間を利己的とも利他的ともみ回滝本誠一編『経済録』 ( 『日本経済大典 9 』所 経済予測 収・一九六七・明治文献 ) ▽尾藤正英・頼惟勤 ているが、人間存在の全体を問題としているの いものといわれている。しかし、この手法も、 casting 消費、投資、輸出、輸入、物価など 校注『経済録 ( 抄 ) 』 ( 『日本思想大系』所 の経済現象のある特定の側面、あるいはそれら構造推定技術上の問題や推定された経済構造のではない。経済活動の場のルールの正常性が問 収・一九七一一・岩波書店 ) のすべてを包含した経済全体の動きについて、安定性などの点から、とくに中長期の予測力に題なのである。スポーツのときにはスポーツの みん けいさき中国、明初の長編戯曲。四 将来時点あるいは特定の条件を設定したときに難点が認められている。↓計量経済学↓計量ルールを守って、人間の本能に従ったかってな荊釵記 ねいけんおう せキ 1 八齣 ( 場 ) 。作者不詳。王国維は明の寧献王の 現出すると考えられる状態を定性的あるいは定経済モデル↓景気動向指数↓移動平均↓時動きを抑えなくてはスポーツは成り立たない。 そうおうじつほうせんぎよく 〈高島忠〉経済活動においても、経済のルールに従わず、作というが確かではない。宋の王十朋と銭玉 系列分析↓構造方程式 量的に予測すること。 かんざし けいざいりんり economic ethics 他の人間的要素を介入させると経済活動を混乱蓮は婚約し、家の貧しい十朋の母は荊釵を玉蓮 予測の目的は、一般に、行動を決定する際に経済倫理 じようしよう イギ に与える。十朋は科挙に首席で及第、丞相に に陥れるだけである。経済の世界にある限りは morale économique 冖「 irtschafts- 役だつ情報を得ることにあり、このことは経済 予測においても同様である。すなわち、各消費 ethik 資本主義は利潤の無限追求であり、経済人でなくてはならない。スミスその他のね見込まれ婿になれと強要されるがそれを断った 者や企業は、それそれの消費態度や生産計画をその利潤が絶えず新しい資本となる無限の資本らったのはまさにそれであって、スポーツを愛ため、遠地に赴任させられる。玉蓮に横恋慕す そんじよけん 決定するにあたって、物価の動きや需要動向な蓄積である。マックス・ウェーバーは、これは好し、ビジネスと友情を厳しく区別するイギリる孫汝権は、十朋の手紙に手を加え、丞相の婿 になったと銭家に伝え、玉蓮との結婚を迫る。 どを予測することが必要となり、政府において人間生活からみて不自然な姿であるから、これス人タイプのものである。スポーツのルールに しいかに処すべ玉蓮の継母は金持ちの孫が気に入り孫に加担し が行われるためには、本能的な人間の生活活動あたる正常関係が認識されれま、 は、予算の立案あるいは公共財の供給計画を含 たため、玉蓮は川に身投げするが救われて五年 む経済政策全般の策定などに際して、経済全体をこの方向に向けるだけの厳しい訓練が必要できかの判断ができるという自信のあるところに のメカニズムの把握と同時に、それに基づいたあると考えた。そしてその訓練をプロテスタン生まれたもので、それがまた自由主義の性格で後に十朋と再会、荊釵が証拠となり結ばれる。 せりふ キ、具体的な数量的予測情報を必要とする。このよティズムとくにカルビニズムの倫理にみいだしある。それは現在非難されている日本人のエコ筋の運びに優れ、台詞、歌詞が飾らす自然なこ とから近年まで盛んに上演されてきた。『六十 六、うに各種の方面で必要とされる予測のうち、あた。経済活動を必要悪とみた中世カトリックのノミック・アニマル性とは異なるものである。 一九世紀は、勤勉と節約の経済倫理によって種曲』に収録されているが、明代の人の手が加 る程度確立された経済理論に基づき、あるいは考え方に対し、神の声である世俗の職業を不断 〈平松圭子〉 5 に遂行することが神をたたえる道であるという労働者は労働の成果の分け前の乏しさをがまんえられている。 け一定の確立された予測手法に従って、現実経済 れん スク
合、などの形態がある。 連合 (2<ß+< 、一九六一 ) 、中米共同市場 (O 人の活動を自由にし、競争を通じる市場機構に などよりもなおいっそう緊密な経済協力関係を 6 地域主義 ( リージョナリズム ) の一つの発現 <tO> 、一九六 0 ) 、アラブ共同市場 (<0> 、一九ゆだねるのが原則であるが、戦争、災害、恐慌樹立しようとして結成する同盟をいう。加盟国 形態である経済統合がもっ域内自由化と域外差六四 ) 、中央アフリカ経済関税同盟 (O<QOD 、 などの非常事態に際しては、経済を統制するこ 間で関税、数量制限など貿易障壁を撤廃して自 ナ . 別化の二面性は、静態的には「貿易創出効果」一九六六 ) 、アジアにおいては東南アジア諸国連合 とによって経済秩序を維持する必要が生ずる。 由貿易を進めるだけでなく、労働力、資本など と「貿易転換効果」としてとらえられてきた。 (<TQ<Z 、一九六七 ) などである。これらの統わが国では一九三一年 ( 昭和六 ) の重要産業統の生産要素の移動も自由化し、さらに金融、通 前者は、域内貿易の自由化により域内各国間で合体は、参加国の多少、協力内容の広狭や濃淡制法、三八年の国家総動員法などがその例であ貨、財政などの経済政策の調整も行う。加盟国 新しい貿易機会が創出されるという点で経済統 に差があり、一律に論じることはできないが、 る。↓経済法 〈御園生等〉 間に経済政策の不一致が存在すると、貿易や労 合の経済厚生にプラスするものであり、後者とを除けば、発展途上諸国が可 けいざいとうそう・せ働力、資本などの移動の自由化の効果も阻害さ 経済闘争・政治闘争 は、生産物の供給源が統合体形成を契機として能な限りの相互協力によって経済発展を推進し いじとうそう労働者が賃上げ、首切り反対、 " 労れる。したがって経済統合を強力にするために 域外低コスト国から域内高コスト国に切り換わようとしていた点では同じである。つまり、発働時間短縮など労働条件の改善、および物価値 は加盟国間の経済政策の調整が必要であり、こ る効果で、経済統合の厚生水準にマイナスの影展途上国の経済発展日工業化を一国べースでの上げ反対、増税反対など、広く生活条件の改善の意味で経済同盟は、関税同盟や共同市場より 響を与えるものである。統合の形成はこうした輸入代替工業化政策に求めることの限界が認識や経済的利益の確保を要求する闘争を経済闘争も経済統合がいっそう進んだ段階といえる。現 プラスとマイナスの両効果を同時に生み出すのされ、外向きの経済発展を模索する過程で、発という。それ以外の、資本家や使用者との闘争在のヨーロッパ共同体 (QO) は、共同市場か で、経済統合の理論は、これらの効果の純効果展途上国間での輸出の可能性、したがって、よでは根本的に解決できない問題や要求、すなわら一歩前進し、経済同盟の段階に達しつつあ 〈秋山憲治〉 をプラスにし、かっそれを大きくする条件を追り広範な市場の相互提供に関する可能性を追求ち、最低賃金制・社会保障・職業訓練などの労る。↓経済統合 。しき、いレ」 , っ - ゅ、つ、かし 一九四六 求してきた。その結果、望ましい経済統合を実しようとする願望があったということができ働立法闘争、軍備縮小・核兵器使用反対・戦争経済同友会 現する具体的条件が列挙されるに至っているる。それは、現存する経済構造の枠組みのなか政策反対などの平和闘争、政治的権利拡大、官年 ( 昭和一一一 ) 四月に創立された経営者団体。 が、結局、経済統合に対する評価は、こうしたで域内貿易の自由と拡大を実現し、比較生産費憲の弾圧反対、選挙闘争、さらには政府の諸政同友会と略称される。第二次世界大戦後の日本 一一つの相反する側面や効果、すなわち、「自由理論に従う資源の効率的配分から生じる静態的策反対、革新連合政権樹立など、政治的諸要求経済の堅実な復興を目ざす当時の若手経営者の 化」と「差別化」「貿易創出効果」と「貿易転 利益を享受しようとする先進国間の経済統合とを実現するための闘争を政治闘争という。 集まりから始まったため、その目的は、経済職 換効果」のいずれが支配的であるかによって異は異なり、より長期的な生産と貿易の構造の根 労働組合は、労働者が自ら労働条件の維持改能人として日本経済に寄与することに置かれ、 なる。 したがって政治的無色をその立場としている。 本的な変化をもたらすという統合の動態的利益善その他経済的地位の向上を図ることを主たる しかしながら、経済統合についてはこうしたを目的とするものといってもよい 目的として組織された団体である。したがって会員はすべて個人であり、この点で経団連 ( 経 静態的な効果だけではなく、より長期的な展望 他方、経済統合がこれに参加する各国の国内経済闘争は労働組合にとって最重要な基本的任済団体連合会 ) や日経連 ( 日本経営者団体連 のもとで生産と貿易の根本的な変化をもたらす市場を相互に開放し、かっ各国に共通する工業務であり、それゆえ労働者は個々の資本家や使盟 ) と異なる。活動内容は、経営者相互の意見 しんばく という意味での経済統合の動態的効果にも注目 化目的に支えられながら、より広い領域での国用者団体の搾取と合理化攻勢に対抗して、自ら交換と親睦を目ざす経営者クラ、、フ的な面もある しなければならない。 まず第一に、経済統合際貿易を目ざすものであるとすれば、そこに域の労働条件・生活条件の維持改善のため絶えずが、もっとも重視されているのは、経済職能人 は、域内国が域内での比較優位に従って各国に内での国際分業を律する原理が必要となる。こ 闘争する。しかし、 いかなる経済闘争でもそれとしての経営者のイデオロギーの構築、国民経 適した財の生産に特化しこれを交換しあう機会れは地域的なインターナショナリズムと各国のだけでは抜本的、恒久的な改善を労働者にもた済的立場からする経済問題に対する意見や提一言 を提供するものであるから、それだけ生産や貿ナショナリズムを域内分業原理のなかでいかに らすことができない。国家独占資本主義が一段 の表明などであり、これらの点で影響力はきわ 易のパターンは経済的となり、投資方向がより 調和させるかの問題であり、経済統合の成否をと強化されている今日、労働者の労働条件・生めて大きい。イデオロギーや提言の内容は、財 能率的なものとなることが期待できる。第一一決定する重要な問題である。しかし、経済統合活条件の維持改善を確実にするためには、政治界では進歩的なものが多いといわれてきたが、 に、域内諸国間で市場を開放しあうことによる がとくに経済発展段階の異なる諸国を包含する権力に対する闘いの勝利を前提としなければな 近年、会員の年齢構成が高まり、同友会の伝統 貿易の増大は、規模の経済が重要な工業でのコ場合は、地域全体の能率を重視する立場と、統 らす、また闘いの成果を労働者全体のものとし が希薄化したとの批判もみられる。〈森本三男〉 ナ・いイ」いと 1 しやかい Wirtschaft スト引下げに役だち、その対域外輸出を可能に 合体を構成する各国に統合の利益を公平に配分て制度的に確立するためにも、経済闘争は目的経済と社会 und GeseIlschaft マックス・ウェーバ する。第三に、地域的な市場の形成は、域内国しようとする立場の二つが存在し、この二面性意識的に政治闘争と結び付かざるをえない。 が比較的容易に生産できる財の地域的自給度ををあわせて考慮した分業原理を策定することはの意味では、労働者の経済闘争は政治闘争の発主著。元来は、一九〇九年にウェーバーが編集 高め、それだけ地域外からの投資財の輸入に利 きわめて困難である。↓自由貿易地域↓関税展の土台となっているだけでなく、政治闘争との全責任をもって引き受けた「。社会経済学講 かわせ 用可能な外国為替を増大させる。これらの効果同盟↓共同市場↓経済同盟 〈村上敦〉の緊密な結合のもとでのみ、より大きな成果と座』 Grundriss der Sozialökonomik の第一部 は、域内各国の資本形成を促進し経済成長率を回べラ ・バラッサ著、中島正信訳『経済統合の 恒久的な改善をもたらすものとなる。したがっ第三分冊として企画されたものであった。しか 加速させる役割を果たすといえるであろう。 理論』 ( 一九六三・ダイヤモンド社 ) ▽片野彦一一 て、経済闘争と政治闘争は、いわば労働者階級 し、生前には完成出版には至らず、没後一九二 一九五八年にヨーロッパ経済共同体 ( 他著『経済統合理論の系譜』 ( 一九七 0 ・アジア における階級闘争の不可分な構成要素となって二年に遺稿部分をも含めて編集公刊された。グ 経済研究所 ) 0) 、五九年にヨーロッパ自由貿易連合 いるだけでなく、労働組合運動における原則的スターフ・シュモラーを中心とするドイツ歴史 けいざいとうせいほう経済活動な路線ともなっている。↓階級闘争〈吉田健二〉 学派の経済理論Ⅱ思想体系の総体を根底から清 (<) が発足し、かなりの成果を収めたことか経済統制法 ら、六〇年代に入ると、ラテンアメリカ、アフ けいざいどうめい econonuc un- 算し去ることを課題としたものであるだけに、 の一部あるいは国民経済全体を一定の目的のも経済同盟 リカを中心に多くの経済統合が形成されるよう とに統制するための根拠法をいう。資本主義経 ion 経済的、政治的あるいは地域的に密接な末完とはいえ、そこには、「理解社会学」の方 になった。たとえば、ラテンアメリカ自由貿易済は、生産、交換、消費にわたる企業および個 利害関係を有する国々が、関税同盟や共同市場法、理念型的構成、「没価値性」の要請など、
では経済的自由の前提となる法的自由が制限さ という原理的な問題の解決を迫られているのでどの金融統計、国や地方の予算・決算統計、財 また、その国の歴史的条件や社会的状況によっ れており、また、国王の特許による営業の独占ても大きく異なっている。古くから哲学者や宗ある。 〈清水嘉治〉政投融資統計などの財政統計をあげることがで 0 きる など経済的自由そのものを阻害する要因も数多教家などによって、その思想の一環としてさま回左右田喜一郎著『経済哲学の諸問題』 ( 一九 く存在した。こうした阻害要因が市民革命によ これらの統計は、それそれに固有の対象と独 ざまな経済観が示されてきた。しかし、それら 一七・佐藤出版部 / 新版・一九六一一・岩波書店 ) って基本的に取り除かれることによって、自由は断片的なものであり、また、国家や都市、ある ▽杉村広蔵著『経済哲学通論』改訂版 ( 一九自の概念や定義に基づいて、経済活動の特定の 競争原理に基づく資本主義経済が成立してきた 側面を数量的に把握するものであるが、経済活 いは宗教などの見方からすると、経済は従属的 四四・理想社 ) ▽梯明秀著『経済哲学原理』 のである。こうして経済的自由を保障された なものとしてしか、とらえられていなかった。 ( 一九六 = ・日本評論社 ) ▽・ロビンソン著、動は相互に関連をもってなされるものであるか 個々人が、統一的な国民経済を背景に自己の利 近代科学としての経済学が成立してからは、 宮崎義一訳『経済学の考え方』 ( 一九六六・岩波ら、これらの統計を基礎資料として系統的に整 理、統合し、国民経済全体の姿を有機的に理解 益を唯一の目的として経済活動を行うことが、経済学と哲学とは相互にかかわり合いながら発 書店 ) けいざいどうがく 0 経済静学・経することも必要となる。そのような観点から作 結果的に社会の富を増大させ、また「見えざる展してきており、また、優れた経済学者はすべ経済動学 イ」いどうがく 成されるものが国民経済計算であり、それに属 手」に導かれて経済社会の調和的発展も実現さて経済哲学的思考を行っている。たとえば、古済動学 。し economic sta ・する統計表あるいは分析表として、国民所得統 れることを理論的に明らかにしようとしたのが典派経済学の創始者アダム・スミスは、近代的経斉統計けいざいとうナ、 計、産業連関表、資金循環表、国民貸借対照 スミスの経済学である。したがって、本来、経合理主義と予定調和的楽観主義との総合が経済 tistics 各種の経済活動や経済現象を観測し、 済的自由主義とは、国家が個々の経済主体の経学の基礎であると考え、またスミスの経済学をそれらのある特性に関連して収集、整理、分析表、国際収支表がある。 経済データに基づく理論形成や分析のための 済活動に干渉しないことを根本原理とする考え 学んだ一九世紀初期の哲学者へーゲルは、市民された数量的データを総称する場合と、経済的 知識の体系としての経済統計においては、標本 方であった。しかし、自由競争原理に基づく資社会を国家から分離して考察した。そして経済事象の理論や予測の基礎となるように、それに 本主義が、自己の胎内から独占・寡占や労働運学者であり哲学者でもあったカール・マルクス関する数量的データを収集、整理、分析し、さ調査法などの統計的測定に関する理論、統計デ ータの表示や集約に関する方法、それらを用い 動など、経済的自由を制限する諸要因を生み出は、ヘーゲルの市民社会論を批判的に受け止らに評価することについての知識の体系、つま てみいだされる経済法則の統計的規則性の研 り、経済統計学をさす場合とがある。 し、また、恐慌や失業や貧困など、社会的調和め、近代社会の基礎構造は経済にあるとして、 経済に関する数量的データの総称としての経究、統計的事実に基づく経済理論の検証と再構 を阻害する要因を自律的に解消しえないという近代資本主義の運動法則を解明した。つまり、 現実が明らかになることによって、経済的自由労働価値説を基礎に、資本主義経済の矛盾体系済統計は、調査目的の違いから直接統計と間接成、確率論的数量モデルに基づく予測などがお 統計とに区分される。直接統計は、行政や企業もな内容となる。この意味での経済統計につい 主義の考え方にも種々の変化が生じてきた。独を根本的に解明することに経済哲学を求めた。 占・寡占や労働運動など自由競争の阻害要因に 一方、こうした古典的経済学の認識論とは違経営の資料として統計的結果を得ることを直接ては、その研究対象と方法において計量経済学 ↓業務統計↓国民 った経済哲学を探究した学者もいる。新カントの目的として調査されるものである。これに属と重複するところが多い。 ついては、それらも個々の経済主体の自由意志 〈高島忠〉 に基づくものである限り許容されるべきであ派とくに・リッケルトの影響を受けてドイツするわが国の経済統計としては、政府および地経済計算↓計量経済学 けいギ、いとう・こ , っ econom1C mte- り、政府などの介入はあくまで回避すべきであ観念論の立場から人生における経済生活を根一兀方公共団体が直接作成する指定統計が中心であ経済統合 そうだ 、労働力調査、就業構造基本調査、賃金構造 gration 経済的に密接な利害関係にある複数 るという考え方がある一方で、経済的自由主義的に究明したのが左右田喜一郎である。彼は、 国家が、相互の協力を通じて地域的な経済圏を が本来目ざしていた市場における自由競争原理経済哲学の内容を、経済学に特殊の認識論的根基本統計調査、民間給与実態調査などに基づく を回復するためには、政府の介入によってでも拠を与え ( 経済学認識論、経済学方法論 ) 、経労働・賃金統計、農林業センサス、漁業センサつくることをいう。経済統合は、国内市場を相 けい 2 しドレしム、つ それらの阻害要因は規制すべきであるとする考済生活の目的と意義を解明する ( 経済形而上ス、農家経済調査、工業統計調査、生産動態統互に開放しあうという点ではより広い領域での え方も存在する。さらに、失業や恐慌を回避し学、経済本質論 ) ものとした。そして、経済学計調査、建設工事統計調査、建築着工統計調自由な国際経済関係の構築を目ざすものである の基本概念を究明して、これを貨幣価値に求査、自動車輸送統計調査、商業統計調査、商業が、経済統合全体としては一つの共通目的のた て経済的調和を実現する目的で、国家が経済に 直接介入することが必要であるという考え方め、さらにその内面構造を明らかにし、経済本動態統計調査、百貨店販売統計調査などに基づめに域外諸国との間での自由な競争を遮断しょ うとするものであり、統合体を構成する各国が ( ケインズ学派 ) が、第二次世界大戦後には各質論として位置づけた。左右田の後継者であるく産業別統計、事業所統計調査、法人企業統計 ・一うぞう 自由にグローバルな ( 地球的規模の ) 国際経済 国に浸透して実行されてきたが、その結果スタ杉村広蔵は、ドイツの哲学者・ディルタイの調査などに基づく企業統計、全国物価統計調 グフレーションなどの矛盾が顕在化するに至世界観学的方法によって経済諸学派の世界観的査、小売物価統計調査などに基づく物価統計、関係に直接参加しようとするものではない。 経済統合には、その協力の程度により、①域 り、近年は、競争的市場組織に信頼を置き、あ根底を分析し、それによって経済生活の根元的家計調査、全国消費実態調査、農家経済調査な くまで国家の経済介入は回避すべきであるとす意味を総括した。彼は、左右田の経済哲学の理どに基づく家計に関する統計などに分類され内国間の貿易については関税や数量制限を撤廃 念を経済的実践論に求めて、独自の経済哲学のる。これに対し間接統計は、統計を得ること自するが、域外国に対しては従来どおりの関税を る新自由主義・フリードマンらのシカゴ学 体を目的としてなされる調査に基づくものでは賦課する自由貿易地域、②域外国に対して域内 派 ) の考え方がかなり広い支持を得るようにな体系をつくった。 〈佐々木秀太〉 また、近代経済学においては、「最大多数のなく、おもに日常業務のなかで生ずる情報に基国共通の関税を賦課する関税同盟、③域内国間 ってきている。 けいざいてつがく経済とは何か、最大幸福」というべンサム的な視点に基づいてづいて、定期的に業務の結果を調査、報告するの貿易についてのいっさいの制限を撤廃するだ 経済哲学 けでなく、資本や労働など生産要素移動につい 目的で整理、分析されるものであるところから 社会的厚生の問題を処理しようとしてきたが、 経済生活は人間にとってどのような意味をもっ 効用の基準と個人との矛盾が生じるにつれて、業務統計ともよばれる。わが国の経済統計でこても制限を撤廃する共同市場、④さらに域内諸 > ているか、というような経済学の根底にあるも 六、のを究明する学問。経済生活の基本は、人間の改めて個人主義の立場から社会的厚生をどのよれに属するものとしては、日本外国貿易統計国の経済政策を相互に調整しようとする経済同 ( 通称、通関統計 ) 、輸出入信用統計などの貿易盟、⑤金融・財政政策などの経済政策を統一的 、衣食住を満たすことにある。しかし、経済問題うに判断するかを解明せざるをえなくなってき に行う超国家的機構を設定する完全な経済統 5 ている。つまり、経済哲学は現在、個人と社会統計、通貨発行・流通高統計、各種金利統計な け・の受け止め方は、時代によって異なっており、 1 いイ、い社一いカ / 、
形成されるが、それは一般にいう組織体ないし営の運営原理とすること。経営家族主義のもと臨時的決定は、経営体 経営にほかならない。協働システムのうち、意では、経営者は単に機能的な雇用・指揮監督者の設立、改組、合併、 え 、識的に調整された人間の活動や諸力を組織と いであるばかりでなく、家父長 ( 戸主 ) のように解散、系列、集団など し、組織を有効に稼働させる作用が管理であ絶対的権力者として物心両面にわたって従業員 に関する組成的決定 る。このような関連のもとに理論が展開され、 の個人の生活面にも介入し、その反面、家族庇と、主要役職者の選任 体系化されているが、広義の経営学は、対象の護の義務に相当するめんどうをみる。従業員は に関する最高人事決定 一般性のゆえに包括的、抽象的にならざるをえその庇護を当然の恩恵として受け取り、個人生である。経常的決定 ない宿命をもつ。 ーナードの理論もこの宿命活への介入を甘受するとともに、忠誠を捧げては、経営理念、経営目 を逃れられなかった。 生産に励むことになる。終身雇用制は日本的経標、経営戦略、長期経 他方、企業のみを研究対象とする狭義の経営営の基本的特徴であるといわれるが、それは、営計画の決定などを含 学では、少なくとも二つの部分体系が必要であ いったん身内となった者に終生の保護を与えるむ。評価的決定は、全 る。第一は、企業とは何かを問題にする企業理という思想を内包しており、経営家族主義を支体的業績の確定や成果 論であり、第二は、企業はいかに行動しているえる基盤になっている。経営家族主義では、人配分の決定などをい か ( 理論学派 ) 、あるいはいかに行動させるべ の和と人間的接触が重視される。従業員の採用う。これに対し、管理 きか ( 技術論派 ) を問題にする経営行動論ないでは、能力よりも集団的協調性が重視され、昇とは、経営によってな し広義の経営管理論である。企業理論について進や人事異動は年功主義により行われる。高齢された諸決定の枠内体 は、ミクロ経済学の企業理論をそのまま用いる化社会を迎え、能力主義の採用などによる終身で、経営体をもっともの ものもあるが、経営学の独自性の高いものとし雇用制の後退は、経営家族主義の基盤を弱めて効率的に稼働させる機管 て、制度派経営学の成果を応用しながら企業を 〈森本三男〉 能である。大規模経営営 けいえいかんり経営体の各種業務の場合、このような管 環境適応的発展システムとしてとらえる企業体経営管理 制論がある。このような企業観にたてば、企業の遂行が、経営目的に沿ってもっとも効果的に 理の内部において階層ナ 体制論に関連して、企業環境論、社会的責任達成されるよう、諸種の施策を体系的に講ずる分化がさらに進行すお 論、経営目的論が必要になる。企業は成長とと こと。経営管理という概念には二つの意味内容る。通常それは、全般 田工 もに社会的責任を負うようになり、また経営目 が含まれている。第一は経営体の管理という意的効率化を目ざす全般経 甲 ~ 的の設定と変更は、環境適応行動の出発点にな味であり、第二は「経営と管理」という意味で管理 general manage ・戔管 全 るからである。経営行動は、経営目的実現の動ある。経営体とは、統一的な意思のもとに一定 ment と、職能別、製工 全 的過程であるが、行動展開のためには、中心主の継続的施設を基礎にして、複数の人間が協働品別、地域別などの部理 体と行動の手段選択原理が明らかにされなけれするシステムをいう。したがって、国家、企分的経営体の効率化を管 ばならない。経営者論と経営戦略論がこれであ業、学校、家庭などは、すべて経営体である。 目ざす部門管理 de ・ 又土 経 り、これらは広義の経営管理論の冒頭部を構成第一の意味における管理は、このような経営体 partmental manage ・ する。これを受けて各種管理論が展開される。 をうまく運営するための施策全体をさすから、 ment に二分され、部門管理はさらに中間管理る。いま工業経営を例にしてその分化と体系化 財務管理、労務管理のような要素的管理論、購広義の管理であり、英語でいうマネジメントが middle management と作業管理 lower man ・ の内容を例一小しよう。第一に、主要過程別に財 買管理・生産管理・販売管理のような過程的管 これにあたる。第二の意味の「経営と管理」 agement に分けられ、管理機能自体が三層体務 ( 資本調達 ) 、人事、購買、製造、販売の各 理論など、各種の基準による体系が構成されは、このような広義の管理ないしマネジメント系をとるとされる。これら諸機能の具体的担当管理を体系化する。第二に、これら主要過程を る。また、以上の全領域を組織 ( 人間 ) と経済を階層的に機能分化してとらえた用法であり、 組織は、経営体の種類によってまったく異なる円滑に稼働させるための補助過程として、運 ( 資本 ) の側面からとらえる、経営組織論と経英語でも経営を administrative management が、企業を例にとれば、経営機能は取締役会と搬、在庫、品質、事務のような各業務部門が設 営経済論 ( ほとんどは経営費用論 ) が加えられとよび、管理を operative management とよ 社長によって、全般管理機能は社長、副社長、けられ、これらについて各管理を行う。第三 ることになる。↓経営経済学↓経営組織↓経んだりする用法があり、これに対応する。いず専務、常務などによって、部門管理は事業部に、生産資源の要素別に、資金、能力、資材、 営管理 ^ 森本三男〉れにせよ、経営という語には、経営体と経営機長、部長、課長、係長などによって担当されて設備、情報、エネルギー、廃棄物などの各管理 回森本三男著『経営学入門』 ( 一九会・同文舘出能の二つの内容が含まれ、管理には広狭二義が いる。なお、社長は、経営と管理を連結するかを体系化する。第四に、活動の場所別に、工場 版 ) ▽三戸公著『経営学』 ( 一九八一・同文舘出ある。 なめに位置し、そのゆえに強大な権力を保有す管理、事務所管理、倉庫管理などの体系をつく 版 ) ▽宮川公男編『経営学』 ( 一九〈一・青林書 〔階層体系〕前述のように、経営と管理に二大ることになる。 ることである。第五に、生産資源としての存在 院新社 ) ▽河野豊弘著『経営学原論』 ( 一九分される。経営とは、経営体の活動について、 〔部門管理の体系〕経営と全般管理の両機能を超えた、生活者、社会人、主体者としての人 七七・白桃書房 ) 全体的、基本的、戦略的、長期的、政策的意思 は、革新と効率化という中心課題の相違はあっ 間の問題を扱う労務管理 ( 人間関係管理、参加 けいえいかぞくしゅぎ man- 決定を行う機能であり、その中心は経営体の革ても、対象領域が経営体全体であるので、分化 経営家族主義 などを含む ) を設ける。第六に、諸種の利害者 agerial paternalism 家族制度における家父新である。具体的にいえば、意思決定は、臨時の体系を形成する余地はない。 これに対し、部集団との関係を調整する対境 ( 対環境 ) 問題管 長的温情主義を企業経営に持ち込み、それを経的、経常的、評価的決定の三種に分けられる。 門管理はまさにさまざまな部門体系に分化す理を設ける。第七に、以上の諸管理体系につい き一さ ひ 部門管理 財務管理 人事管理 購買管理 製造管理 販売管理 運搬管理 補助過程別管理在庫管理 品質管理 事務管理 工場管理 事務所管理 倉庫管理 資金管理 能力管理 資材管理 設備管理 情報管理 エネルギー管理 廃棄物管理 対境問題管理 主要過程別管理 組織的管理 実体的管理 場所別管理 計数的管理 利益管理 予算管理 原価管理 要素的管理
は、他の諸国の場合のような単なる経済改革と ( 向坂逸郎訳・岩波文庫 / 岡崎次郎訳・大月 ルに従って分配し、そして消費する過程である してではなく、自国にソ連の国権的社会主義と 書店・国民文庫 ) ▽高橋幸八郎著『市民革とみる。そして消費は、次の意味で生産に還流 は別個の自主管理社会主義を構築するという壮 命の構造』 ( 一九五 0 ・御茶の水書房 ) する。①消費は労働力の再生産である。労働力 ナ . 大なビジョンの一部として一九五〇年代初めか経済学 けいざいがく political economy, とは、人間が固有に保有している、物をつくり ら構想・実施されており、とりわけ六五年の改 economics économie politique po ・ だす能力のことであり、人間は食べて、着て、 去 革後は中央計画化も廃止され、そこでは市場が litische ()konomie, Wirtschaftswissen- 住んで、寝ることによって労働力を再生産する の 経済活動を規制する主要な要因になったという schaft 響経済学は社会科学の中心をなし、 ヘロ ことができる。②生産物を消費しないで残すと 供 意味で「市場社会主義」とよばれる経済システ分析用具のもっとも発達している学問である。 いうこと、すなわち蓄積することは、次期の生 もうたくとう ムが形成された。なお、毛沢東の死 ( 一九実 ) およそ人間は、本来経済活動を営むことなしに産をより大きくする契機となる。③資本主義経 要 需 後、中国でも経済改革への動きが始まってい は人間としての社会生活を営めない。人間以外済では、消費とは消費財を買うという形とな学 要 る。 〈宮鍋幟〉の動物も本能に従ってその生存維持に必要な物り、蓄積とは投資財を買うという形になる。っ済 2 需 又土図 回佐藤経明著『現代の社会主義経済』 ( 岩波新資調達の活動をするが、それは経済活動とはい まり、ともに生産物に対する有効需要となって〔 価格 書 ) ▽岡棯他著『経済学全集引社会主義えない。人間だけが、生物としての生命の再生生産に還流する。かくて、生産↓分配↓消費↓ 経済論』第二版 ( 一九七六・筑摩書房 ) ▽・ 産だけでなく、その社会生活をも再生産するた生産という循環ができあがることになる。 要は、供給は供給のほうが多いから売れ プルス著、鶴岡重成訳『社会主義経済の機能めに、自然に対して能動的に働きかけ、それを しかし、経済循環を正確に把握するために残りが出る。すると供給者は売れ残りを避ける モデル』 ( 一九七一・合同出版 ) ▽同『東欧経済変形して目的を達成している。したがって、経は、循環の幅を確定しておかなければならな ために、競争して価格をせり下げるであろう。 史一九四五ー八〇』 ( 一九会・岩波書店 ) 済活動は人間が人間になった当初からあったわ 経済学ではそれを純生産物 net product その結果、価格がルになると、今度は需要超過 けいギ、い力してききょ , っせ 経済外的強制 けであるが、経済学という学問はきわめて新し に求めるのが通常である。純生産物とは、あるとなる。かくて需要者が競争して価格をせり上 außerökonomischer Zwang 資本主義 い学問で、近世のせいぜい二〇〇年来のもので地域 ( たとえば国 ) において、ある期間 ( たと げるであろう。こうして価格が九に至ると、需 社会においては、剰余労働の収取は、労働力とある。記録された歴史をみても、古代および中えば一年間 ) にまったく新しく生み出された生要・供給が均等するから初めて売買が行われる いう商品の売買、つまり商品交換の法則性 ( 経世においては、経済活動については記してある産物の大きさをいう。たとえば、・ケネー ことになる。このように、①価格は需要・供給 済法則 ) を媒介として行われるが、資本主義以 ことも少なく、もつばら政治と戦争、あるいは は、純生産物を、農産物からその種子と肥料に の不一致によって動かされるが、しかし、②需 前の封建社会においては、労働力が商品化され精神文化について語っている。それは、経済活該当する部分をとった残りと考えた。農産物だ要・供給は価格を目安 ( バロメーター ) として ていないので、剰余労働の収取は商品交換の法動がその社会全員の仕事ではなく、奴隷あるい けを純生産物たりうるとするのは一見奇異かも決定される。この二つの性質によって、やがて 則性によって媒介されることがない。封建社会は農奴という自由をもたない被支配階級の手に しれない。しかし、一粒の小麦の種を地面に播価格は需要・供給を一致させ、取引が行われる において剰余労働の収取を媒介するものが経済任せられ、政治や戦争、あるいは精神文化が支 くと、やがて五粒の小麦が生えてくる。そこで に至る。これが価格のバロメーター機能といわ 外的強制である。 配階級に独占されていたからである。経済活動 5 ー 1 Ⅱ 4 が純生産物であるというように、農産れるものであり、これあるがために資本主義経 すなわち、封建社会においては、支配者たるは縁の下のカ持ちともいうべき陰の存在であ物の場合、純生産物概念が非常にわかりやすい 済は機能することができるのである。 領主は、その所領の全体に対する上級所有権者り、貧しい家族維持のためのものと、支配階級ことは確かである。ケネーは、この純生産物 ところで価格とは交換比率にほかならない こうぶつ として各種の領主的諸権利を所持しているが、 の豪華な生活のための貢物に捧げられていた。 が、農民、地主 ( 貴族 ) 、商工業者にどのよう 交換は分業を前提とする。・スミスは分業論 直接生産者たる農民は、それそれ、一定の広さ しかし近世社会に入り、被支配階級が自由民に に分配されてゆくかを、「経済表」によって一小から説き起こした。有名な、ピンの製造に始ま の土地の保有者 ( 下級所有権者 ) であり、そのなるにつれ、陰の存在であった経済活動が表面した。経済循環を初めて的確な形で示したのは って、生産工程の分業、職業の社会的分業と進 保有地を自己の労働に基づいて経営することに に浮かび上がってきた。しかもその活動が、自ケネーなので、彼は経済学の母とされている。 み、その結果生産は飛躍的に増大する。各人は よって自己を再生産している。このように、直己の家族や支配階級のためのものであることを そして純生産物概念は、マルクスの労働価値 自分の能力が十分発揮できる職業を選ぶように 接生産者たる農民が事実上その生産手段と不可やめ、商品生産に転化したときから問題が始ま論と再生産表式分析によってより精密化され、 なり、たとえば哲学者と町のポーターの分業な 分に結合している場合には、領主が農民の剰余る。商品の分析、すなわち市民社会とくに資本やがて国民所得概念となって統計的に把握可育 ヒヒどが行われ社会の進歩をもたらす。異なった能 労働を封建地代として収取しようとすれば、領主義経済の分析が、偉大な経済学者アダム・ス になる。国民所得は、生産、分配、支出の三面力の存在が社会を進歩させるのは人間にだけ特 主は、その領主的諸権利という、経済外的な強 ミスやカール・マルクスによって科学的に行わから測定できるので、国民所得によって経済循有なものであって、イヌがマスチフ、グレー 制力を発動するほかはない。したがって、封建れて、経済学が成立し発展してきた。このよう環そのものをとらえることができる。これが循ウンド、スパニエルまたシェパ ードとそれそれ 社会においては、封建的な権利・義務の関係と に、資本主義経済の把握が経済学を成立させた環の経済学ないし所得分析である。そして、国能力や特質が違っていても、イヌの社会の進歩 いう形をとった経済外的強制が剰余労働の収取とみると、それをとらえる三つの方法が経済学民所得の大きさが有効需要によって決まるとい にはなんの役にもたたないのである。さて、分 を媒介しているのである。その強制力は、直接二〇〇年の歴史のなかから浮き上がってくる。 う原理を提起して、循環の経済学を体系化した業の結果、各人は自分の必要とする生活資料の の暴力として現れる場合もあるが、多くは、封〔経済循環と純生産物〕第一は、それを循環とのが・・ケインズであった。 ほんの一部しか生産せず、そのほとんどを他人 建的身分規定に基づく一定の慣習として現れ、してとらえるものである。すなわち経済とは、 〔価格の機能〕経済のとらえ方の第二は、それの生産に依存しなくてはならなくなる。かくて 領主裁判権がその強制力に法的な保障を与える人間が生きてゆくに必要な財を、生産手段 ( 道を価格の機能によって維持されている社会的秩交換が必要となる。さらに、分業による生産物 ことになる。 〈遅塚忠躬〉具 ) の助けを借りて労働により自然に働きかけ序であるとみるものである。いま需要・供給のは商品として売られるので、分業は市場の大き 回マルクス著『資本論』第三巻第六編第四七章ることによって生産し、ついでそれをあるルー 法則を示す図において、価格が角であると需さによって制限される。市場Ⅱ分業日交換日価 供給 数