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検索対象: 日本大百科全書 9
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1. 日本大百科全書 9

こうりよ おもな香料植物 裸子植物 植物名 科名 おもな産地 マッ科 トドマッ シベリア , 北海道 Pinaceae 北アメリカ , ソ連 工ンピッピャクシン 北アメリカ ヒノキ科 青森 ヒバ Cupressaceae 被子植物単子葉 イネ科 ジャワシトロネラソウ ジャワ , グアテマラ , プラジル 植物 Gramineae セイロンシトロネラソウ スリランカ アフリカ , 東南アジア ーヾチおくノレ 南アメリカ , アフリカ , 東南アジア レモングラス 中央アメリカ , メキシコ , タヒチ ノヾニフ クスノキ ( 本樟 ) 東南アジア , 台湾 台湾 , 四国 クスノキ ( 芳樟 ) 中国産ニッケイ 東南アジア , 中国 , フランス セイロンニッケイ スリランカ , インド , ピルマ 南アメリカ , アフリカ リナロエ セリ科 ウイキョウ 欧米 , インド , 中国 Umbelliferae ヒメウイキョウ ( 小茴香 ) 北アフリカ , 欧米 北ョーロッパ コ - 工 . ンドロ プルガリア産 ダマスク・ローズ プルガリア , ソ連 , フランス , モロッコ キャベジ・ローズ バンレイシ科 イランイラン ジャワ , アフリカ Anonaceae カナンガ ジャワ , フィリピン ニオイテンジクアオイ フウロソウ科 モロッコ , ソ連 Geraniaceae キクバテンジクアオイ オーストラリア , 南アメリカ フトモモ科 ューカリノキ Myrtaceae クロープ ( 丁字・丁子 ) アフリカ東岸 , 東南アジア べイジュ 西インド諸島 カヤプテ 東南アジア グアテマラ , 中央アメリカ マメ科 ノヾノレサム Leguminosae M ) ァ 0 ん〃加ルみ コロンピア , ベネズエラ ノヾノレサム M 0 / 0 な川″襯 アマゾン ノヾノレサム CQ 加 / ルた シチリア島 , カリフォルニア スイートオレンジ , ビターオレンジ イタリア , 南フランス ダイダイ アフリカ , プラジル , 欧米 レモン モロッコ , ギニア ベルガモット 中国南部 , ベトナム ダイウイキョウ 北海道 ノノ、ツカ ドリハッカ ヨーロッパ , 北アメリカ セイヨウハッカ ヨーロッパ , 北アメリカ フランス , イギリス , 北海道 ラ / ヾンダー アフリカ , スマトラ , 東南アジア パチョリ ( 香草 ) 地中海 ( アドリア海沿岸 ) マンネンロウ 採油部分 精油名 アピエス油 葉 , 小枝 テレビン油 生松脂 セダーウッド油 材 , 鋸屑 ヒバ油 材 , 根 シトロネラ油 ( ジャワ ) 葉 シトロネラ油 ( スリランカ ) 葉 べチベル油 レモングラス油 葉 ノヾニラ油 果実 葉 , 材 , 枝 , 根樟脳油 芳油 , 芳樟油 , 芳葉油 葉 , 材 カシア油 , 桂油 , 桂皮油 葉 , 小枝 , 樹皮 シナモン油 葉 , 樹皮 ローズウッド油 樹幹 茴香油 果実 キュンメル油 ( キャラウェー油 ) 果実 コリアンダー油 果実 ローズ油 花 花 イランイラン油 花 カナンガ油 ゲラニウム油 葉 , 小枝 ューカリ油 葉 クロープ油 葉 , 材 , つは、み べイ油 葉 葉 , 小枝 カヤプテ油 樹液 ノヾノレサム・のくノレー 樹液 ノヾノレサム・トノレー 樹液 ノヾノレサム・コノヾイノヾ オレンジ油 果皮 ネロリ油 花 果皮 レモン油 ベルガモット油 果皮 スターアニス油 果実 和種ハッカ油 全草 スペアミント油 全草 ミント油 全草 花 ラベンダー油 パチョリ油 葉 ローズマリー油 葉 , 花 ラン科 Orchidaceae 双子葉 クスノキ科 植物 Lauraceae / ヾラ不斗 Rosaceae ミカン科 Rutaceae モクレン科 Magnoliac e ae シソ科 Libiatae セージ、クロモジなど。 3 花 : : : ジャスミン、一フペンダ マンネンロウ、ヘリオトロー プ、ライラック、バラ、カナン ガ、ラバンジン、ダイダイ、イラ ンイラン、アカシアなど。 ④果皮 : : : オレンジ、レモン、・ヘ ルガモットなど。 果実 : : : ウイキョウ、ダイウィ キョウ、コエンドロ、 ーモンド、ニクズク、カルダモン ( ショウズクの果実 ) 、アニス、コ ショウなど。 ⑥根 ( 地下茎 ) : : : ペチ・ヘル、ク ほんしよう スノキ ( 本樟 ) 、イボリィリス、 もっ・一う コスタス ( 木香 ) 、ニンニクなど。 ⑦つばみ : : : クロープ、アギ ( ガ ルバナム ) など。 〔香料植物の分類〕香料植物を分 類学上からみると、そのほとんど は種子植物であるが、なかには、 緑藻類、紅藻類、褐藻類といった 海藻を溶剤抽出して香料の一部と して使うこともある。また、菌類 にはマッタケなどのように香気の 優れたものがあるが、精油分が 〇・〇三 % 程度しかないことと、 採油法および多量栽培が困難であ るため、現在のところ活用されて しかし、今後に向けての 研究が進められる可能性は残され ている。地衣類のツノマタゴケか らは有機溶剤抽出によって、レジ ノイドまたはコンクリートとよば れる成分が一・五 ~ 五 % 程度得ら れるが、これはオークモス oak ・ moss として知られ、高級男性用 化粧品にかなり使われている。 ほとんどの香料植物を含んでい る種子植物は、裸子植物と被子植 物に分類されるが、裸子植物では しようはく 松柏類 ( マッ目 ) が多く、表に あげたマッ科のトドマツからとれ るアビエス油とマツからとれるテ レビン油は、近年その生産量は減 少傾向にあるが、合成香料の原料 として現在でも重要である。この 7

2. 日本大百科全書 9

誇りを重視する傾向は、七〇年代にはほば主流 のような状態に置かれている所ではどこでも、 が一六 ~ 一九世紀に母国アフリカ大陸から略奪な、この国に特殊な収奪体系として形成され、 独占資本主義の構造に不可欠な構成要素として として定着したといってよく、在来の白人絡みその存在形態に応じて、社会体制の相違も越え的に引き離され、あからさまな暴力によって強 の文学は必然的に敬遠され、暗黙のうちに「黒て、それそれ異なった歴史的条件のもとにおけ 制的に西半球に連行されてきたアフリカ黒人の組み込まれたものである。したがって、それ は、しばしばいわれるような皮膚の色の相違に 人の、黒人による、黒人のための」文学が一般る、さまざまな黒人問題が成立することになる。 子孫である。↓人種問題 的に志向される風潮になった。最近ではとくに 根ざす、単なる人種的偏見の産物というような しかし、ここで黒人問題というのは、そのよ 〔黒人問題の歴史的規定性〕アメリカ合衆国に ものではない 黒人女流作家たちが、つねに忍耐、犠牲を強い うないろいろな黒人の問題ではない。南アフリ おけるこのような「黒人」概念とともに、 られてきた女性の立場を生かして、黒人社会をカ共和国のアパルトヘイトとともに、いまなおで、もう一つ指摘しておかなければならないこ 〔現状ーー若干の事例〕このような黒人差別制 内側からみすみずしい感性で描いているのが注世界の耳目をもっとも強くひきつけているだけ とは、黒人問題の歴史的規定性についてであ度は、第二次世界大戦後に急激に進展した世界 目される。 〈関口功〉でなく、その典型といえるアメリカ合衆国のジる。一六一九年に二〇人のアフリカ黒人が植民各地の植民地解放、民族解放の諸闘争と、これ 回『黒人文学全集』一二巻・別巻一 ( 一九五一・早ム・クロウイズム、すなわち、一九八〇年のこ 後まもないジェームズタウンに陸揚げされて以 に呼応した合衆国内の黒人解放運動の高揚を経 川書房 ) ▽橋本福夫著『黒人文学の世界』の国の総人口二億一一六五〇万人中一一・七 % を来、黒人は、今日に至るまで、この国で、あらて、ここ十数年の間に著しく改善され、かって ( 一九六七・末来社 ) ▽ポーン著、斎藤数衛訳占める一一六五〇万人のアメリカ黒人Ⅱアフリカゆる差別と抑圧を受けてきた。しかし、黒人問南部に典型的にみられた州の法律や地方自治体 『アメリカの黒人小説』 ( 一九七一一・北沢図書出系アメリカ人が、彼らがアメリカ人でありなが題というのは、そうした長期にわたる差別と抑の条例などによる政治的、社会的な法的差別規 版 ) ▽『女たちの同時代ーー・北米黒人女性作 制はほとんどなくなり、現在では南部、北部、 ら、黒人であるというそれだけのために、政治圧の全体を示す総称ではない。 家選』全七巻 ( 一九ハ一・朝日新聞社 ) 的、社会的、経済的に不当な差別と抑圧を強いら アメリカ黒人の歴史を、合衆国の全歴史過程西部を問わず、全国各地で行われている事実上 の各種の差別、とりわけ雇用、所得、教育、住 黒人法こくじんほう BIack codes 南北戦れてきた人種差別制度、ならびに、そうした差との関連で大別すれば、奴隷としての時期と、 争直後の一八六五 ~ 六六年に、アメリカ合衆国別制度の撤廃にかかわる諸問題のことである。 南北戦争 ( 法律的には憲法修正第一三条 ) によ居などにおける主として経済的差別が重要な意 の南部諸州議会で広く制定された・「・浮浪者」 〔「アメリカ黒人」とは何か〕一〇年ごとの国って奴隷身分から解放された自由人としての時味をもっている。以下、そうした事実上の差別 の若干の事例について具体的にみてみよう。 「徒弟」「契約労働」「犯罪」「所有権」「市民権」勢調査で計上されてきた黒人の定義について期とに分けられる。その分かれ目となった南北 表 1 は、過去二〇年間の人種別職業構成比の などについての法律の総称で、解放黒人を対象は、統計処理上の技術的細部において歴史的変戦争 ( 天六一 ~ 六五 ) の重要な経済史的意義は、北 としたもの。州により表現や規制、制限の程度遷があるが、「白人と黒人との混血の者は、黒部の産業資本が南部のプランテーション奴隷制概要である。「黒人その他」の欄は、九〇 % 以 の差はあったが、黒人の血が八分の一以上流れ人の血の割合がどんなに少なくても黒人と申告度を打破し、南部をその市場として開放し包摂上が黒人であるから、この欄の数字は基本的に ていると認められた人間を「黒人」と規定し、 しなければならない」というのが、白人から黒することによって、以後この国で資本主義が単黒人の動向を示すものと解してよい ( 以下の表 黒人は白人との結婚を厳しく禁じられ、武器の人を区別する人種分類の基本的基凖である。さ 一の広大な国内市場を基盤にして、全国的規模においても同様。ただし「黒人」と明記してあ 携行は認められず、夜間外出は制限されるなど らに、白人、黒人だけでなく、すべての人種分でいっそう発展することを可能にした歴史的条 0 ) っ、 1 ワ】ワ 0 の共通点があった。また、裁判では黒人が関係類は、一九六〇年の国勢調査以後は自己申告制 件をつくりだしたことにある。しかも、アメリ 1 ー 0 00 1 よ した事件に限って証人になれたが、陪審員には が採用されているので、このような人口調査にカ資本主義は、その後わずか数十年という短期 なれなかった。黒人には投票権はなく、土地所おける「人種」は純粋に科学的な生物学上の概 間のうちに、産業資本主義から独占資本主義の 有は大幅に制限され、移動の自由、農業や召使念ではない。また、たとえば七〇年に制定され段階へと飛躍的に発達した。黒人差別制度は、 い以外の職業につく自由はなく、たいした理由たルイジアナ州の州法では、三二分の一以上の こうしたアメリカ資本主義の急激な発展過程で もなく逮捕され、むち打たれ、労働契約を破っ黒人の血が混じっている住民は黒人とみなさ 形成され成立した。 すなわち、「第二次アメリカ革命」ともいわ て逃亡すれば射殺されることもあった。黒人はれ、出生、結婚、死亡などの証明書に黒人と明 酒類を売ることも買うことも禁じられた。奴隷記されることになっているが、現実には純粋人れる南北戦争によって、いまも述べたように、 時代と大きく異なる点は、白人同様に法の適用種というようなものは存在しないのだから、こ黒人を動産としたプランテーション奴隷制度は 対象になるという「人間的権利」を与えられたの場合の黒人も、厳密に科学的な根拠に基づく 廃止されたが、それにもかかわらず、この革命 圭ロ の ことにあるが、それは解放黒人を奴隷とほとん「人種」とはい、 ; こ、。 の不徹底さⅡプルジョア的限界と、戦後南部に ) ー 4 -8 ( 0 ぎせつ 成 ・ー・ - 00 っワ】 ど変わらない不自由労働者として土地に緊縛 だが、それ以上に重要なことは、黒人問題における民主的再建の挫折から、旧奴隷所有者Ⅱ 構 業 し、また南北戦争 ( 一会一 ~ 六五 ) 中から進んでい おける黒人とは、この国の社会通念として固定プランターが温存させた前近代的諸関係を、そ 0 ) 内 / ワ」 t-D っ 0 の後、急速に発展しつつあった独占資本が受け た黒人による民主化闘争を圧殺するという旧奴観念になっているように、血管のなかに黒人の 1 ー - っ朝一 4 ワ】 の 隷所有者Ⅱプランターの経済的、政治的意図が血が一滴でも混じっていることが確認されれ継ぎ、これを新たな歴史的条件のもとで自己の 種そ眸 1 14 ー 1 よ 〈竹中興慈〉 ば、その人は表面的にどんなに皮膚の色が白く 利益に合致するよう再編成してつくりあげたの人人 (T) 0 1 ワ ( し 働いていたからであった。 11 ・ 4 っ、 1 こくじんもんだい黒人問題を広くても「黒人」であり、それゆえに、さまざまな ほかならぬ黒人差別制度であった。こうし 黒人問題 黒色人種に対する差別と抑圧に関する諸問題と差別と抑圧を受けてきたという事実である。して、黒人差別制度とは、単に黒人を搾取するた カラ ん いうように一般化してしまうならば、世界の各たがって、そのような「黒人」は、生物学的範めばかりではなく、独占段階にさしかかったア / 力業 ス メリカ資本主義が、広く労働者階級を有効に分 じ地域の国々で、たとえばアメリカ合衆国でも、疇というより社会的範疇に属し、過去三世紀 ィ一ピ 2 、ラテンアメリカ諸国でも、あえていえばヨーロ半以上にわたるアメリカ社会の発展過程で形成裂支配して最大限の超過利潤を確保するため、 人種ワル一業 ツ。ハ諸国やその他の国々でも、およそ黒人がそされた歴史的所産である。そして、その大部分黒人に対する法制的、暴力的、イデオロギー的黒職ホプサ農注 白人 1960 46 . 6 36 . 2 9 . 9 1975 51 . 7 32 . 4 12 . 3 1970 50 . 8 34 . 5 10 . 7 1980 39 . 2 35 . 8 23 . 1 " ( 1981 年 ) による 185

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尾る ロ ーよ ん動として出発した。彼らは実践活動の場を黒人て形成されることがプか 0 た。しかし、一揆契 じ一般民衆の実生活のなかに求めたが、この運動状に壥相論や市町での喧嘩などに対する措置 ギ・・、ん ちょうさん 人害 7 ・ワし C'•a 0 ・ ) ・ワ -0- 11 -4 ・ 00 、 1 (. 0 LO ワ 11 ( う の推進母胎となったのが、教育・医学両面でのとともに、逃散百姓や下大への対応策が書か -0- / 「 / ワ / 00 イ 0 - CO ( 0 ワ】 4 ・ 00 ・物川 のめ数 2 学生の技術を社会へ還元する社会奉仕、つまりれているのをみれげ、領域内の農民支配を貫徹 1 よ、 1 、 1 ワ】ワんっイは・ 4 ・、ー 0 「 / ハ 0 -0 ・ 11 ワ 3 一 .0 っト一り 0 (. 0 史国占実阡 11 1 よ 11 1 人 1 よワ」ワ」 ボランティア活動を目的として一九六九年に発するための組織でもあったことは明白である。動衆に そう 運合中 足した南アフリカ学生機構 (T)<T)O) であ南北朝内乱期に、各地の農村に形成された惣結 放カロ年 る。のちに運動の輪を一般黒人にまで拡大する合は、領主権力に抵抗するための闘争組織を一 CI 0 ) -0 1 ・・ワ」っ 0 -4 ・ - -0 「 / -9 、 -0 ・、 1 ワ】っ 0 ・ 4 ・い 0 っ / 0 - 目的で七二年に黒人会議が結成され段と強化充実させていった。農民の地域的連帯 1 ・よ 1 ー一 1 ー - 1 ー - 11 、ー人 1 ・人、ー 1 ー・ 1 ー人 1 ー人、ーよ 1 よ 1 ー 1 ー人 1 ーよ 1 ・よ 1 ー人 1 ・よ 1 ー・ 黒アと人 るに及び、この連動はしだいに黒人純血ナショ が進めば、闘争は個別国人領主の弾圧能力をは ナリズムの性格を顕著にしつつ、七三年のソ工るかに超えるものとなった。闘争の一形態であ貿易が、アフリカ大陸と新大陸の間に正式に始の二を、「なかばものいう道具」である家畜同 まった。スペインに続い てオランダ、フラン様、「ものいう道具」である奴隷として、鞭と ト暴動の推進力へと発展していく。 る農民逃散が、近隣の惣結合と密接な連携のも この連動を要約すれば、ます黒人の潜在意識とに、国人領主の支配領域を越えて展開すれス、イギリスなど、さらに植民後まもないイギ鎖の支配のもとで過ごさなければならなかった ふっしよく ・イングランドまでも ことである。だが、黒人たちは、そのような自 リス領植民地のニュー ば、人返しの問題をめぐって領主相互間に深刻 に根深く潜む劣等感の払拭と清算に始まり、 いだくだく な矛盾が発生することは必然であった。その矛が、こぞってこのもうけの多い人間売買に参加己の境遇に唯々諾々と甘んじてきたのではけっ ついで「黒さ」の尊厳の自覚によって、黒人に 精神的自立と自力更生を目覚めさせ、最後に南盾を解決する一つの方策は、国人領主が地域的し、新世界における黒人奴隷貿易は、その後数してない。南北戦争期までは黒人奴隷制度のく すその びきのもとで、それ以後は黒人差別制度の重圧 結合組織を生み出すことであった。一四世紀の世紀にわたって隆盛を極めることになる。 アフリカ黒人の解放へと進む、巨大な裾野をも ひぜんまつら 一六一九年八月下旬、一隻のオランダ船によのもとで、ひたすら人間としての尊厳とアメリ っ抵抗運動といえる。そしてこの三段階のそれ後半における肥前松【濡の国人領主連合や、一五 あき ってジェームズタウンに陸揚げされた二〇人のカ人としての自己確認とを求めて、一貫して闘 世紀初頭の安芸における国人一揆などは、支配 それの過程で、フアノンの自己検証、サンゴー 、乳ナてきた。同時に、そうすることによっ ルのネグリチュード、カウンダの人道的社会主領域内の農民との鋭い階級対立を内的要因としアフリカ黒人は、こうして開始された人間売買しし はたけやままさながよしなり の一こまにすぎなかった。それ以前にも、現在て、彼ら黒人は、この国の歴史と社会の進歩に 義、とりわけニエレレの自立更生の思想の影響て結成されたものてある。畠山政長と義就の を強く受けており、その限りでは現代アフリカ軍勢の撤兵を要求して形成された一四八五年のアメリカ合衆国の国土に、何人かの探検家に大きく貢献し、かってのアングロ・サクソン人 やましろ カってのアフ 思想の集大成の側面をもっということができ ( 文明一七 ) の山城国一揆や、織田勢力の侵入連れられてきた黒人たちはいたが、このときのがアメリカ人となったと同様に、ゝ リカ人からアメリカ人になった。それにもかか る。↓ネグリチュード 二〇人のアフリカ黒人が、その後の合衆国にお 〈土屋哲〉 に対して一五六八年 ( 永禄一一 ) に組織された ける黒人の歴史の起点となった。それは、ピルわらず、現実の事態が如実に示すように、黒人 こくじんいっき一四世紀後半から 伊賀惣国一揆などは、国人一揆とは性質を異に 国人一揆 は、今日においても白人と対等なアメリカ人で 一五世紀にかけて形成された国人領主の階級的するものであり、外部勢力の侵攻を阻止するたグリム・ファーザーズ ( 巡礼始祖 ) たちがメイ 結集。国人領主の動向が重要な歴史的意味をもめの国人層と土豪 , 有力農民層との連合戦線でフラワー号でプリマスに到着する一年数か月あることを頑強に拒否されている。そういう意 かんのうじよう 〈佐藤和彦〉前、イギリス最初の恒久的な北アメリカ植民地味で、アメリカ黒人の歴史はそれ自体がいまな つようになるのは、一四世紀中葉の観応の擾ある。 らん がジェームズタウンに建設されて一二年後のこお続いているアメリカ黒人解放運動史である。 乱の前後からである。南北朝の内乱を経過する回福田豊彦「国人揆の一側面」 (r 史学雑誌』 あくとう 〔闘う黒人〕その代表的な事例は、とりわけア 七六巻一号所収・九六七・山川出版社 ) ▽藤とで、アメリカ合衆国が独立国家としての内容 なかで、在地領主層は悪党状況を止揚して国人 しゅ ) メリカ史の激動の時代に、より劇的に現れた。 木久志著『戦国引会史論』 ( 一九七四・東京大学や形式を整える、はるか以前のことであった。 領主制を展開するに至り、室町幕府・守護・ しようえん 爾来、彼らは漸次その数を増し、植民地時代自由と平等を旗印に戦われた独立革命の先駆け 出版会 ) ▽永原變二著『中世内乱期の社会 荘園領主の興亡に大きくかかわるほどに実力 と民衆』 ( 一九七七・吉川弘文館 ) ▽佐藤和彦著末期から独立革命期にかけて約五〇万人、建国として、一七七〇年に起こった「ポストンの虐 を蓄積していった。室町幕府や守護勢力による 『南北朝内乱史論一 ( 一九七九・東京大学出版会 ) 直後の一七九〇年に行われた第一回国勢調査で殺」で、イギリス軍の銃弾を浴びて最初に倒れ 政治的干渉を排除し、流通経済の地域的発展に ▽岸田裕之著「大名領国の構成的展開』 ( 一九は七五万七〇〇〇人、一九世紀中葉の南北戦争たのは、クリスパス・アタックスという黒人だ 対応するために、国人領主層は鋭い政治的感覚 期には四五〇万人、世紀転換期には八八〇万ったし、また革命戦争が勃発すると、北部の自 ハ三・吉川弘文館 ) をもっているのが特徴である。守護などの上級 人、そして現在では二六〇〇万人を超え、この由黒人 ( 奴隷身分でない黒人 ) たちは、いち早 権力と対峙し、かっ領内の土地と人民の支配を黒人解放運動中こくじんかいほううんどうし く、この戦争が植民地の白人のみならず黒人に 貫徹するためには、強力な軍事力を養い、国人一般には、黒人の奴隷・差別制度からの解放を国で最大のマイノリティ ( 少数人種・民族集 も自由をもたらすべき正義の戦争であることを めざす運動史をいうが本項では、とくにアメ団 ) を構成するに至っている ( 右表参照 ) 。 相互間の階級的結集が必要であった。南北朝・ 1 い〕しト画・つ 〔黒人解放運動の意義〕このように、黒人は、 自覚し、自然権を根拠に、奴隷制度の廃棄と武 リカ合衆国における黒人のそれを扱う。 室町期に、一揆契状を取り交わして形成され る国人一揆は、多様な形態をもっていたが、国〔新大陸の黒人奴隷買易〕コロンブスが新大陸そもそもの初めからアメリカ合衆国の歴史的発器をとって戦う権利を強く要求した。事実、自 に到達してわずか四半世紀後の一五一七年、ス展と不可分に結び付いていたが、今日に至るま由黒人だけでなく、奴隷主のもとから逃亡した 人領主間の地縁的結合組織であり、成員間の平 等を基礎にした契約的関係で結ばれ、事の理非ペイン人宣教師ラス・カサスは、自国から新世で三世紀半以上に及ぶ彼らの歴史は、白人優越南部の奴隷を含めて、数多くの黒人が自由のた Ⅱ黒人劣等の社会のなかで、つねに抑圧され差めの戦列に馳せ参じ、「大きな戦闘で黒人の参 を決定する際に、多数決制を採用していたこと界への移民を奨励するため、移住者一人につき 別されたマイノリティの歴史であった。しか加しない戦闘は一つもなかった」といわれるほ 一二人のアフリカ黒人を植民地に連行できるよ などに共通の性格を認めることができる。 しなのだい も、ひと口にマイノリティといっても、黒人のどの活躍をした。独立革命の軍事的勝利の陰 国人一揆は、一四〇〇年 ( 応永七 ) の信濃大うスペイン王室に要請し、許可された。彼は もんじ に、このような黒人の功績があったことを見逃 文字一揆にみられるように、守護などの外部勢のちに自分のこの行為を悔いたが、このときか歴史が合衆国の他のマイノリティのそれと根本 ら、すでにヨーロッハで行われていた黒人奴隷的に異なっていた点は、その全歴史過程の三分すことはできない。 力の侵入に反対する在地領主層の統一戦線とし 19 . 3 18 . 9 19 . 0 18 . 4 18 . 1 16 . 8 15 . 7 14 . 1 12 . 7 13 . 1 11 . 9 11 . 6 10 . 7 10 . 5 11 . 1 11 . 7 ばつばっ むち 180

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おいては反核運動の台頭や軍縮を求める国際世超大国の間の緊張もまた核戦争の危機をはらみる支配を国際的に認めさせたことは、西欧国家治についての研究はマキャ・ヘッリ以来数多く存 論も高まっている。 つつ極限に達している。今日の世界は単なる民体系に対する批判の高まりを物語るものであっ在するが、それらは支配者のための教訓か、外 交史の素朴な記述にすぎなかった。第一次大戦 また、資本主義は植民地の存在を不可欠のも族国家の論理では説明のつかない複雑な様相をた。第三世界は大部分が非同盟会議のメンバ は交戦各国の国民の諸階層を巻き込み、国際問 と重複しているが、同時に南北問題における のとして成長してきた。とくに一九世紀後半の呈している。 帝国主義の時代にはアフリカの奥地から太平洋 ロシア革命以後国際政治の舞台に登場した社「南」の国々であり、その経済的諸問題は依然題に対して深い大衆的関心を呼び起こした。戦 争の再発を防止しようとする要求が国際政治学 の島々に至るまでいわゆる帝国主義列強によっ として困難な問題である。しかも、最近におい 会主義は第二次大戦後著しく拡大して、東ヨー て分割されたのであった。これに対して植民地 ロッパと東アジアに社会主義国家が成立したては南南問題といわれる第三世界に属する国どの基礎にあった。こうして国際政治学は「いか 諸民族の反抗運動がしだいに発展し、第二次世が、その後ラテンアメリカおよびアフリカにも うしの紛争が目だつようになった。ひと口に第にあるか」の記述にとどまらす、「いかにある 界大戦後に至っては、植民地は形式上は消滅し 社会主義国家が生まれた。それらは巨視的には三世界といっても、その内実は、大国あり小国べきか」を探究しようとした。 一九二〇年代の欧米の国際政治学は、ユート て独立国となった。しかし、これら新興諸国イデオロギーをほば同じくするが、現実的にはあり、資源を豊富に所有する国もあり、著しい は、植民地時代の遺産および内政の不安定など 相互の利害の対立があり、国際政治上一つのプ貧困に悩む国もあるというぐあいに実に複雑多ピアニズムの傾向が濃く、国際法・国際道義の によって先進諸国との間の経済的格差が著し 様であるが、概して国内体制の整備が不十分で役割を重視し、国際機構などがおもなテーマと ロックとして行動する場合もあり、行動しない く、「南北問題」として今後の国際政治の焦点場合もある。社会主義は、とくに植民地支配をあり、開発独裁や軍事独裁の下に置かれているされた。一方、マルクス主義の立場からは、レ ーニンの帝国主義論に出発して世界経済の分析 となっている。 脱した国々においては急速な工業化のための方国が多く、政権の基礎が弱体である。国連にお を基礎とする国際政治への接近が行われ、一九 いて多数を占めるに至った第三世界の動向は、 〔動態〕西欧国家体系において国際政治を動か途として魅力をもっているが、その将来は末知 三〇年代初頭の世界恐慌の発生とともに、その す最大の要因と考えられたのは国家的利益 na- 数である。資本主義諸国と社会主議諸国の関係国際政治の将来にとって重要な鍵となる。 冷戦下に「二つの世界」に分かれたようにみ資本主義諸国に対する分析力について評価が高 tional interests であり、古代・中世の宗教 については、これを敵対関係においてとらえる えた東西両陣営は、一九六〇年代以降著しい変まった。これに対して、ナチズムの台頭と戦争 的・部族的対立にかわって国家を主体とする対冷戦という考え方が第一一次大戦後久しく双方の 立が制度化した。国益という観念の基礎にある体制を支配したが、今日においては両体制の平貌を遂げた。西側においては、日本およびの危機に直面して、欧米学界では従来のユート ものがナショナリズムであり、諸民族国家の体和的共存という社会主義の側の主張が国際的に 諸国の経済発展とアメリカの相対的な比重の低ピアニズムの欠陥が反省され、国際政治におけ 下に伴って政治的にもアメリカの優位は失われる権力の契機を重視する方法が提唱された。第 系というたてまえがほば一七世紀以降の国際政受け入れられている。 一九世紀の後半からヨーロツ。ハ諸国においてた。一方、東側でも、ソ連から離反する国が中二次大戦後も、国際政治を、権力をめぐる闘争 治を支配した。国家は国内におけるあらゆる団 、ノガリー事として把握する方法が流行した。 体を超えた最高の存在であり、地上における正帝国主義が政策原理として台頭し、世界諸地域国はじめ東ヨーロッパに相次ぎ、ノ、 日本では、大学において国際法および外交史 件 ( 一九五六 ) やチェコ事件 ( 一九六 0 のような国際 義である。戦争は正義と正義の衝突であり、そは相次いで分割され、アメリカ・日本の非ヨー の科目は明治以来存在したが、国際政治学 in ・ ロッパの国もこの世界分割競争に参加するに至的にも思想的にも重大な事件が起こった。この の正否は戦争の勝敗によって決定される。この ような両陣営の解体を示す現象は国際政治の多 ternational politics あるいは国際関係論 inter ・ ような古典的というべき国家観は今日なお持続った。アフリカおよび太平洋諸島があますとこ national relations とい , っ名の講座あるいは学 しており、国内政治と異なった国際政治の特色ろなく列強に分割されたのはこの帝国主義競争極化あるいは多元化とよばれ、今日まで継続し となっている。 の結果である。帝国主義は独占資本主義を基礎ているが、この間、米ソ関係は緊張と緩和の循科目として設けられたのは第二次大戦後のこと みぞう しかし、反面、現在の国際連合のような国際として成立しているものであり、この時期にお環を繰り返しつつ、現在では末曽有の緊張を呈であり、この分野を専門にする学者がしだいに している。米ソともに膨大な量の核とその運搬増加し、学会も組織された。一九六〇年代以後 いては国家の政策として意図的に拡張主義がと 組織は、不徹底ではあるが、国際紛争において は国家を超えた正義を認め、また、非政府組織られたのであった。帝国主義列強は世界再分割手段をもち、軍縮交渉も成功に至らない。両国アメリカにおいては他の社会科学諸分野とも関 が多様な分野に登場している。こうして国家そ戦争を再度にわたって引き起こしたが、第二次は競って原子爆弾・水素爆弾さらに中性子爆弾連して、行動科学やシステム分析などの数量化 大戦以後帝国主義はたてまえとして国際政治の の開発を進め、その運搬手段として大陸間弾道的方法が盛んとなり、日本においてもマルクス のものが今日では最高の基準ではなくなってい るが、国内社会と違って依然として中央政府に表面から姿を消した。事実上なおベトナム戦争弾・原子力潜水艦・巡航ミサイルなどの各種兵主義的方法の有効性の低下とともにアメリカの あたるものはできていない。 にみられたように帝国主義の属性である好戦主器を量産してきたが、その破壊力はいまや人類学界の傾向が浸透した。本来国際政治学の追究 しかも、民族国家といっても、超大国である義・覇権主義や、異民族に対する抑圧の衝動はをひとりひとり二〇回も殺しうるほどの量に達すべき課題である平和確立の方法を理念とする している。この核時代をいかにして突破しうる平和研究 peace research という分野が現れ、 しずれも多民族世界から消滅していない。 アメリカとソ連さらに中国は、、 かに人類の運命はかかっている。〈斉藤孝〉国際的にもまた日本でも有力となっている。一 〔現状〕第二次大戦においてアメリカとソ連は からなる国家である。世界の現状では、民族の 連合国として協力したが、戦後まもなく冷戦と回坂本義和著『核時代の国際政治』新版 ( 一九方、ソ連をはじめ社会主義諸国では、従来のマ 分布と国家の版図とが一致しない場合も多い 全・岩波書店 ) ▽・シューマン著、長井ルクス主義の教義によって国際政治を理解する 主権国家がたてまえとして平等であるといってよばれる米ソ対立が表面化した。米ソ両陣営に 信一訳『国際政治』 ( 一九七三・東京大学出版会 ) が、最近では平和研究の方法を取り入れつつあ も、今日の一六〇余の国家の間には著しい不平属さない中立諸国の数は少なかったが、朝鮮戦 〈斉藤孝〉 ▽日本平和学会編『核時代の平和学』 ( 一九る。↓国際関係論↓平和研究 等が存在する。世界は ( ヨーロッパ共同争の終結 ( 一九五一 (l) 、インドシナ戦争の終結 ( 一九 回日本国際政治学会編『戦後日本の国際政治 七六・時事通信社 ) ハンドン会議 ( 一九五五 ) を経てしだいに非 体 ) の理想像のように統合に向かうのか、ある五四 ) 、 こく、いせいじかくヨーーロツ。、 学』 ( 一九七九・有斐閣 ) いは太平洋の島々にみられるような極度の細分同盟路線として勢力を拡大してきた。従来の植国際政冶学 こ / 、き、いせいりキ、キ、 六、化に向かうのか、二つの契機が共存しているの民地的従属から脱却した諸国は「第三世界」をやアメリカにおいて国際政治の社会科学的な研国債整理基金特別会計 んとくべつかいけい 国債の元金償還金および利 究が始められ、大学における教科が設置された / 、が現状である。国々の間の相互の交流および依形成した。これらの国々が「資源ナショナリズ 」存はかってないほどに深まっているが、他方、ム」とよばれるような自国内の天然資源に対すのは第一次世界大戦以後のことである。国際政子支払い、発行諸経費などの費用をまかなうた かき 153

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いずみ 和泉山地東部からなる山地公園。一九五八年 ル領はアンゴラに属している。 し、その地方を治める首長マココと条約を締結 ( 昭和三三 ) の指定。面積一五六・二四平方キ。 コンゴ地方が世界史に登場するのは、コンゴ した。これが、コンゴ川北岸地方のフランスの しようてん 北部の生駒山地では、「聖天さん」で親しまれ 川河口にヨーロッパ人が到達した一五世紀にさ足場を築き上げ、そののちフランス領赤道アフ はうぎん る生駒山中腹の宝山寺、テレビ塔、宇宙科学館 かのばる。大航海時代初期の一四八二年にポル リカの植民地建設の基礎となった。一八八四 ~ び など近代施設の立ち並ぶ山上遊園地があり、毘 トガルの航海者ディオゴ・カンがコンゴ川の河 八五年に開かれたベルリン会議の結果、コンゴ しぎさんえんぎ しやもんてん 沙門天と『信貴山縁起絵巻』で知られる信貴山 川右岸の六七万平方キ。はフランス、コンゴ川下 口を発見し、その名をヌゼレ ( すべてを飲み込 ちょうごそんしじ 中腹の朝護孫子寺がある。阪奈道路から生駒山 む川 ) と記した。この河口一帯の地域に居住し流左岸一帯の九一万平方キ。はポルトガルの主権 頂を経由し、生駒山地の尾根を縦走して朝護孫 ていた住民はコンゴ族であり、当時すでにマ一一が承認された。残りの二五九万平方キ。はコンゴ イ コ 子寺わきに至る有料ドライプウェーが通ずる。 コンゴとよばれる王が支配するコンゴ王国を形独立国 ( コンゴ自由国 ) の名目でレオポルド二 しゅげん ばくだい ン 南部の金剛、和泉山地は、修験道場の金剛山寺 成していた。続いてバルトロメウ・ディアスが世にゆだねられたが、レオポルド一個人が莫大 ちはや かつら コ ( 転法輪寺 ) や葛木神社、千早・赤坂城跡、金 コンゴ川河口に寄航し、コンゴ王国の使節をポなコンゴの富を略奪することに国際世論の批判 いわわき いるとき、わを一つの定数として、 r=f(0) + b 剛山の霧氷やブナ自然林、岩湧山の野鳥・昆虫 ルトガルに送った。当時のコンゴ王国の領土が高まり、一九〇八年ベルギー領となった。 によって表される曲線を、の、極 O に関すなど史跡や自然に恵まれる。生駒山地と金剛山 一九〇二年に発行されたイギリスの小説家ジ は、北は現在のガポンのオゴウェ川、東はザイ やまと 地との間の大和川陥没地に噴出した二上火山群 ョセフ・コンラッドの『闇の奥』は、恐布と不るコンコイドという。 ールのバテレ高原とクリンゴ川、南はアンゴラ 曲線として、直線 r=asec0 をとった場には各種安山岩や凝灰岩の奇勝ドン、ツルポー のクワンザ川でくぎられる約五〇万平方キ。に及安の場所というコンゴ観を広めた。そして一九 〈菊地一郎〉 ( 屯鶴峰 ) がある。囮 3 第 ぶ広大なもので、四〇〇万 ~ 五〇〇万の人口を六〇年のベルギー領コンゴの独立に際して勃発合をニコメデスのコンコイドという。わの値に こんごういわお能のシテ方、金剛流 したコンゴ動乱は、ふたたびコンゴの名前に よって、いろいろな形の曲線になる ( 図参照 ) 。金剛巌 抱える大国であった。コンゴ王は当時のヨーロ ー一九五一 ) 明治の京阪能楽界 宗家。〔初世〕 ( 一会六 ッパ諸王国の君主にも匹敵するような中央権力「血なまぐさい暴力」「野蛮」「暗黒」などの神これは、直交座標系では、 きんのすけ に君臨した名人の金剛謹之輔 ( 天五四ー一九一一三 ) の 0 ー a) ~ 02 + ) Ⅱ b ヾ 2 = = ロけカえた。しかしコンゴは、アフリカの を行使し、整備された行政組織で王国を支配し 長男として京都で生まれる。京都の金剛家は本 と表される。 ていた。しかし、その後はポルトガル人をはじ 伝統文化の宝庫である。この地方のバントウー やきん 曲線 (-) として、円、Ⅱ冐 0S0 をとったもの来野村姓で、禁裏御用の能役者の家柄。二三世 めとするヨーロッパ人の奴隷貿易の供給地とな諸族は、金や鉄、銅などの金属の採鉱や冶金の かぎゅうせん 金剛右京の遺言により、一九三六年 ( 昭和一 り、数百万人の奴隷が新大陸に運ばれた。一技術を開発し、実用的な武器や道具、装飾品やをリマソン ( 蝸牛線 ) という。↓リマソン 〈竹之内脩〉 一 ) 宗家は断絶したが、同年他の四流宗家の推 方、大西洋岸沿いには、ヨーロッパ人の奴隷狩彫像などの工芸を発達させた。アフリカでも、 りに手を貸し、通商で銃器を得たロアンゴ、力もっともみごとな仮面や彫像などを生み出す地金光 ( 町 ) こんこう ( ちょう ) 岡山県南西部、薦により、金剛巌が坂戸金剛とは別の金剛流を かったっ ゅうえん あ、こくち 方の一つである。またラフィアヤシの繊維を織浅ロ郡にある町。岡山平野の西部にあり、金光たて初代宗家となった。上方風の優艶さに闊達 コンゴ、ヌゴイオなどの小王国が形成された。 ヨーロッパ列強によるアフリカ分割の時期り上げ、樹皮をたたいて布をつくり、つるや植教の門前町として発達した。一九二三年 ( 大正さを加えた芸風。能面や能装束の研究でも名高 みわ ぞうげ く、照明を用いた新様式能なども試みた。著書 一一 l) 三和村が町制施行し、金光教にちなむ町 に、コンゴ地方の植民地化のきっかけとなった物繊維で籠やざるなどを細工した。象牙やカバ の牙などを彫刻し、木製の彫像や道具なども製名とした。山陽本線、国道二号が町の中央を東に『能楽古面大観』『能と能面』ほか。〔二世〕 のは、探検家スタンリーであった。スタンリ ) 初世の三男。前名滋夫。品格ある 造しこ。 オこうした物質文化の背後には豊かな精西に走る。一八五九年 ( 安政六 ) 金光教の本部 ( 一九一一四ー は、当時のアフリカ探検の最大のテーマであっ ひさのり ) らと京都 たナイル川の水源問題を明らかにするため、一神文化が根づいている。たとえば、ルバ族の宗が置かれ、春秋の大祭には全国から多数の参拝優美な芸風。長男の永謹 ( 一九五一ー 〈増田正造〉 八七四年にインド洋岸のザンジバルからコンゴ教、世界観を明らかにしたタンベル神父は、者が集まる。町中央部を東流する里見川の自然で金剛会を主宰。↓金剛流 川の上流地域に足を踏み入れ、コンゴ川を下「カは存在であり、存在はカである」という生堤防上の砂地を利用した植木生産が盛ん。人口回金剛巌監修『金剛家秘宝・幽玄の美』 ( 一九 全・淡交社 ) 〈由比浜省吾〉 一万二六四三。 り、河口までを踏査し、大西洋に出た。この探ける力の観念を取り出して、その著書を『バン コンゴウインコ〔金剛鸚鶚〕 macaw トウー哲学』と題している。アフリカの彫刻は回『金光町誌』 ( 一九五五・金光町 ) 検に関心を寄せたベルギー王国のレオポルド二 かさおか 鳥綱オウム目オウム科に属する鳥のうち、嘴 世は、このコンゴ川流域地方を自国の植民地とその表現性によって、ヨーロッパ美術に強烈な囮二万五千分の一地形図「玉島」「笠岡」 きつりん する野心をもった。彼は国際アフリカ協会を設衝撃を与えたが、これらの仮面や神像、祖先像渾江こんこう / フンチャン中国、吉林省南が巨大で尾が著しく長い特徴をもつ一九種の総 お ) つりよく 立し、それを隠れ蓑にしてコンゴ川開発計画をは集団を守護する祖先の神秘力を造形したもの部にある市。鴨緑江の支流渾江の沿岸に位置称。中央・南アメリカ産の、オウム目中で特大 まちどうこうしん スタンリーの手にゆだねた。スタンリーはコンであり、舞踏もまた神秘的な力を招来する表現する。市政府所在地は穴道江。清末に臨江県が形のインコ類である。また、種子食であるが、 ゴ川の遡航を妨げるリビングストン滝を迂回すである。コンゴはまたアフリカ音楽でも特別の置かれ、一九六〇年渾江市と改められた。鉱物その巨大な嘴で堅い木の実を割ることで知られ せきじんさくし る道路をつくり、さらにスタンリー・プールの地位を保っている。コンゴ・ジャズと称された資源が豊富で、八道江、石人、咋子などの炭鉱る。コンゴウインコ属」 4 、ミ一五種は顔部が嘴 おうだい だいりつし ばんせきこう に続き広く裸出し、大形の七種は体長八五 ~ 九 上流に進み、スタンリー滝の下流に基地を建設アップテンボの音楽は、最近ではリンガラ・ミュや大栗子、板石溝などの鉄山があり、鴨大、渾 つうか わんばいしゅう ージックとよびかえられて、東アフリカやカメ 湾、梅集の各鉄道により通化の鉄鋼コンビナ〇、小形の八種は三〇 ~ 六〇弩である。大形 した。こうしてコンゴ川の左岸全域を確保し、 に輸送される。ほかに木材工業も盛んであ種のうち、中央・南アメリカ産のコンゴウイン ルーン、ナイジェリアなどの人々に好まれ、先進 レオポルド二世の野望に確固たる基礎を築い コゝ . きミき、プラジル産のルリコンゴウ 4. 〈浅井辰郎〉 た。一方、フランスの海軍士官ド・プラザは、国の音楽ファンをも魅了している。↓アンゴラる。 ききミミ、メキシコから南アメリカ産のミド ↓コンゴ人民共和国↓ザイール〈赤阪賢〉金剛生駒国定公園こんごういこまこくていこ ′」ガポンのオゴウェ川から探検を開始、コンゴ川 リコンゴウ当きミ、南アメリカ産の・ヘ うえん大阪・奈良の府県境一帯を南北に連な んの流域に入った。一八八〇年九月ド・プラザはコンコイド conchoid 平面曲線の一つ。 ニコンゴウ . c ミ 0 、を、 e ミなどが著名で、熱 6 コンゴ川右岸のムペ ( いまのプラザビル ) に達曲線が極座標を用いて r=f(0) と表されてる生駒、金剛両山地と、大阪・和歌山府県境の かご やみ ばつばっ かみがた

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こくじん 例もあったので、守護領国制の概念にかえて国数えている。最初の黒人大学は、南北戦争以前 に自由黒人を対象として北部でつくられた ( リ 人領主制を提唱する研究者もある。しかし一五 ンカーン大学など ) が、もっとも急速に増加し の天ら世紀にはおおむね守護の被官として家臣団に組 たのは南北戦争後の三〇年間、南部においてで み込まれ、国内の主要な戦略的拠点は郡代など あった。今日有名な大学としては、フィスク大 の内衆が城郭を構築して国人を監視する厳しい 、「る働 れ労統制を敷いたので、彼らの守護に対する抵抗も学、ハワード大学、ハンプトン大学、タスキー ャ〔 - ぬ重 多くは一時的であった。一荘、一郷程度の規模ギ大学など。その多くは、解放民局担当将軍に 雨隷 ま又 より設立され、アメリカ伝道教会の援助とロッ から、摂津の池田氏のように一郡単位の巨大な ′、メ クフェラー、モルガンなど北部の博愛主義的大 領主もあり、戦国大名に成長した例もあった。 綿み やましろ 。っ反守護闘争では一四八五年 ( 文明一七 ) の山城資本家の資金によって支えられてきた。多くの 国一揆がもっとも著名。↓国一揆↓山城国一黒人運動指導者がこれらの大学から育ってい るす 〈今谷明〉 る。しかし黒人大学の存在は、ある意味で人種 、 4 を ~ を ' 〕すら揆 こノ、じんしゅ , つかい、つん、ど , っ 差別社会の産物であり、したがって近年人種統 黒人集会運動 合が進み、一般大学への黒人の進出が始まると、 にね Negro convention Movement アメリカム〕 , を、 ( みれ っさ衆国において自由黒人 ( 奴隷身分でない黒人 ) 黒人大学の独占的な黒人工リート養成機関とし 綿穫 - 第い一⑤収 ての機能は解消され始めている。〈上杉忍〉 が、地方、州、全国的規模の各種集会を開い こくじんどれいせいど Negro を二て、彼らの地位向上と奴隷制廃止のために闘 0 黒人奴隷制度 Slavery 一般的には、プランテーション ( 商 た、黒人自身による民衆運動。一八一七年一 月、設立直後のアメリカ植民協会に反対して、業的大規模農園 ) や鉱山などの労働力をアフリ 0 ↓ リッチモンドやフィラデルフィアで大衆的抗議カ黒人奴隷に依拠して成立した前近代的な経済 制度。新大陸では、一六世紀から一九世紀にか い一集会がもたれたのが始まりである。 一八三〇年には、リチャード・アレンらを中けて、アメリカ合衆国、カリブ海域諸国、プラ 2 卩 - ジルなどで発達したが、本項で取り扱うのは合 $ 1 、七州からの各界代表ーーー「フォーティ・ インモータルズ ( 不滅の四〇人 ) 」とよばれて衆国における黒人奴隷制度である。 いるーーがフィラデルフィアに集まり最初の全〔プランテーション奴隷制度〕アメリカ合衆国 、ト第・→」、一 ~ 」国大会が開かれた。以後、頻繁」年次大会も各 0 黒人奴隷制度は、本源的蓄積期 0 イギリ = 重 地で開催され、集会運動は南北戦争に先だつ一商主義政策のもとで、プランテーションと不可 〇年間に最盛期を迎えた。なかでも意義深い集分に結び付いた近世植民地奴隷制度として、イ 会の一つは一八五三年のロチェスター大会だっギリス領アメリカ植民地の南部に成立、発展 ~ 六五 ) によって廃止される たが、一一四人の代表が参集したこの大会で全し、南北戦争 ( 一会一 国黒人協議会が結成されるとともに、自由黒人まで二〇〇年以上にわたって存続した。そのプ の窮状とその改善を強く訴えた「アメリカ国民ランテーションとは、北アメリカにおけるイギ リスの植民活動の過程で、最初のうちは漠然と への呼びかけ」が発せられた。 集会運動を通して、彼らは、なによりもアメ植民地Ⅱ開拓地の意味に用いられていたが、や リカ植民協会に代表される自由黒人のアフリカがて南部の農業生産の一つの型として発達し、 さらに黒人を動産とする奴隷制度 chattel slav ・ 送還Ⅱ海外追放に反対したばかりでなく、アメ リカ人としての自覚のもとに、黒人の市民的諸 ery と結び付いたとき、それは南部社会の構 々った ら 0 る地 人シたフ 権利の実現と奴隷制度の無条件廃止を要求し造的特質のみならす、広く思想や文化も含めて か 8 あ各 黒一つの ば出ルきて部 。テあ た。このような自由黒人の活動は、たとえば植南部社会の全般的性格を規定する「特殊な制 たラ欠ニ 親ば場月に書は 民協会に対するギャリソンの考え方に根本的変度」 peculiar institution となった。プランテ りと隷 やし市 フ可ジ隷 一婦も硺 3 きと 奴 , 不一奴 ーションと奴隷制度とのこうした緊密な結び付 化を与えるなど、白人の奴隷制廃止論者にも大 のはにバの 夫と 奴つひ入 のこの きから、黒人奴隷制度は、アメリカ経済史上、 部働済は家 きな影響を及ばし、奴隷制廃止運動の重要な一 隷るスラり 奴でした 南労経真一 度奴れンビと女ルとれ④隷ン写ラ翼を担 0 た。↓奴隷制廃止運動〈本田創造〉プランテーション奴隷制度 plantation slav ・ リ告ひしド品ら ery ともよばれている。 こくじんだいがく negro college 黒人大学 一広隷若商れ にオの又 の入 〔制度の法制化と黒人奴隷の増加〕イギリス領 おもにアメリカ合衆国南部において、黒人の高 又の手一入男ルら場 ドか市買 アメリカ植民地への黒人の輸入は、早くも一六 3 等教育のために南北戦争 ( 一会一 ~ 六五 ) 以後創設 奴買 し O レおら →右ノ . 女 . カ 3 黒①のた②「 1 された大学で、一九七三年には一〇〇校以上を一九年までさかのばるが、このとき、ただちに 3 こ 0 F ミミヾいミ ) ③追われる逃亡奴隷。厳しい逃亡奴隷取締法にもかかわらす , 奴隷の重要な抵抗形態の一つとして , 逃亡は絶えなかった。 彼らの首に賞金がかけられ , 大と銃ロの追跡を受けた

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しようじ 一年まで常任幹事として物故会員の頌辞を執筆お人気が衰えず、モーツアルトやべートーベンコンドロ石・ーせき普通は粒状、まれに する。他方『百科全書』にも協力し、またバスもこの舞曲作品を書き残している。〈大崎滋生〉短柱状の結晶をなして、接触変成を受けたドロ 一 -0 っ 0 きんうんも かんらん はとんでゆく 十 7 ルー マイト中に、苦土橄欖石、スピネル、金雲母な カルの『パンセ』やポルテールの全集を編集しコンドルは飛んで行く 0 00 曲 ( 単 た。八二年アカデミー・フランセーズに迎えら EI Condor pasa フォルクローレ ( 民謡の形どと産する鉱物。ほかにキンバレー岩やカーポ れ、その就任講演では、数学による諸科学の統を借りたポピュラー音楽 ) の名曲。一九一三ナタイト中にも産する。石英とは共生しない。 石名式 ロ英成 一を意図した「社会数学」という新しい学問の年、ベルーの民俗音楽家ロプレス Daniel と 9 ヒューム石、斜ヒューム石、ノルベルグ石とは 組分系 理念を提唱した。 mias Robles ( 天七一 ー一九四三 ) が、インディオの外観上区別しにくい。粒状で出ることが多いこ ン名学成晶度重沢痕開 ばつばっ 副結硬比色光条劈 コ学 一七八九年大革命が勃発すると、啓蒙思想家民話に基づくサルスエラ ( 歌劇の一種 ) の主題とから、英名は、「粒」を意味するギリシア語 たいりく Gondwana- の最後の一人としてただちにこれに参加。九一曲として作曲。インディオ色の濃い、哀愁のこ に由来する。 〈松原聰〉ゴンドワナ大陸 land 中生代に南半球に存在していた、現在 年バリから立法議会に選出され、公教育委員会もったメロディーにのち数種の歌詞がつけられコントローラー comptroller, control ・ の議長となる。九二年議会に報告した「革命議ている。アメリカのフォーク・デュエットのサ ler 企業のなかで計数管理もしくは管理会計の南アメリカ、アフリカ、インド、南極、オー 会における教育計画」は、国民教育の第一の目 ィモンとガーファンクルが取り上げ、ポール・ を担当し、計数的資料を通じて経営管理の統制ストラリアなどからなる超大陸。ジュースがこ 的を「市民の間に真の平等を確立し、法律によサイモンの英語歌詞で録音して一九七〇年に世活動に寄与するゼネラル・スタッフ ( 経営者おれら諸大陸の地層の類似性から命名し、ウェゲ って認められている政治上の平等を実現するこ界的大ヒットになり、これをきっかけにフォル よび全般管理者を補佐する専門職位ないし部ナーがそれを大陸移動説によって説明した。論 と」に置き、「国民教育は政府にとって当然のクローレが注目されるに至った。 〈永田文夫〉 門 ) をさす。コントローラー制度はアメリカで拠は、各大陸とも共通して次のような現象がみ りゆ , っさんⅣ られることである。古生代末の氷河作用による 発達してきたが、従来、トレジャラー treasur ・ 義務である」と規定している。同年国民公会議コンドロイチン硫酸 ひょうれき 員に選ばれ、その議長を経て憲法委員会に入っ アセチルガラクトサミン、ウロン酸 ( グルクロ er ( 財務部長 ) 、もしくはセクレタリー secre ・ テイライト ( 氷礫岩 ) や石炭層が存在する。 グロッソプテリスなど特徴的な植物化石を主体 たが、彼の起草したいわゆるジロンド憲法草案ン酸またはイズロン酸 ) 、硫酸からなる多糖類 tary ( 文書部長 ) のもとにあった会計機能を、 は採択されないままに、党派的抗争が激化し、ジ の一種で、軟骨の主成分として知られる。ま資本調達、資金出納、財産管理のような固有の 界 山 ロンド派は没落する。九四年三月二九日、八か た、皮膚、臍帯、肉芽など各種の結合組織にも財務機能と分離し、これに予算管理、原価管 限 の ン 月に及ぶ逃亡生活ののち、彼自身も逮捕され、含まれる。プタの鼻の軟骨の乾燥重量で、その理、内部監査の計数管理機能を加えて定着して & 略 期 期期分 ろう ) ) く 山カ 後氷の プール・ラ・レンヌの牢獄で死体となって発見約四割はこれである。ウロン酸の種類と硫酸基きた。アメリカ企業のほとんどには、この名称 ら 造ス 代 代可 & か ス された。その死因は明らかではない。『人間精の結合位置によって、、 O 、、などの の職位が存在する。日本の企業にこの制度の採 生町氷 山び 古 古の E よ四 神進歩の歴史』 ( 一七九五 ) は、この逃亡中のごく 型に分けられる。コンドロイチン硫酸 << 、 22 、 用を勧奨したのは、通商産業省産業合理化審議 お 短期間に執筆された「世紀の遺言書」である。 0 の構造は、繰り返し単位が一〇〇個程度結合 会の「企業における内部統制の大綱」 ( 一九五一 ) 図 山期造 元帯造末、 カ コンドルセはその百科全書的な知識と人類の進したものであると考えられてきたが、繰り返しであった。それは、予算、会計、統計、監査の 山・代丿 復 造斜時ー フ 歩に対する強い確信のゆえに、啓蒙の世紀の最単位とは異なる構造もいくつか組み込まれてい 四課制を推奨していたが、その後、勧奨の趣旨 の向ア 後を飾るにふさわしい思想家であった。ほかに ることがわかってきた。組織中ではプロテオグは、管理部、社長室などの名称のもとで定着し陸降地 大以のプ c 〈森本三男〉 『解析論』 ( 一大五 ) 、『解析学を多数決に適用しう リカンとよばれるタンパク質と結合した形で存た。 ナ代代ン帯 かんせいとう ワ塊生生カ山 コントロー 0 管制塔 るか否かに関する試論』 ( 一七会 ) がある。↓人在し、一本のタンパク質の鎖に数十本のコンド ・タワー ド剛中古先造 間精神進歩の歴史 〈坂井昭宏〉 しよくぶつぐん現 ロイチン硫酸の鎖が結合している。プロテオグゴンドワナ植物群 回渡辺誠訳『人間精神進歩史』二冊 ( 岩波文 リカンはさらにヒアルロン酸、コラーゲンと巨在離れ離れの南アメリカ、アフリカ、オースゴ 庫 ) ▽同訳『革命議会における教育計画』大な分子集合体を形成し、高等動物の細胞間質トラリア、インドなどは、古生代後期 ~ 中生代 〈村松喬〉 ( 岩波文庫 ) ( 基質 ) を構成している。 には、集合して一大大陸をつくっていた。この フラ 南半球を主体として広 コントルダンス contredanse がっていた大陸はゴン 世紀にフランスでもっとも流行したダンス。そ造 の の起源は、イギリスのカントリー ・ダンスが一 8 既ドワナ大陸とよばれ、 分 その植物群は舌状単葉 七世紀末にフランスの宮廷に導入されたことに 部 Z ン のグロッソプテリス類 あると思われる。テンボの速い陽気な踊りで、 サ 返 クを主体とする植物で占 四分の二拍子、八分の六拍子など二拍子系の拍 繰 がめられていたため、グ「、 節をもつ。しばしば半小節の、あるいはもっと ロッソプテリス植物群 短い弱起で始まる。八小節を単位とした二つの厳酸 硫硫 ともよばれていた。ゴ 部分からなり、それそれの部分は数回反復されンン ンドワナ大陸に広がっ わる。ステップは、フランス固有のガポットやプチチ イイ ど ロロ O た氷河に伴って生じた ーレの影響を受けて、四人が組になって踊るも 植物群である。↓ゴン んのであったが、のちに、似た形態をとるカドリ ドワナ大陸〈浅間一男〉 ーユと区別がっかなくなった。一八世紀末もな CH20H 0 H N HCOCH3 がラクトサミン - 4 硫酸 さいたい OH 日 OH H グルクロン酸 コンドロイチン硫酸 B H S03 0 H H CH20H COOH OH H 0 H NHCOCH3 ガラクトサミン一 4 硫酸 H OH イズロン酸 コンドロイチン硫酸 C COO H OH H H OH グルクロン酸 H 20S03 H 0 日 西 西アフリカ ア剛塊 ーカ褶曲帯 剛塊 南極剛塊 南アメリカ / / 剛塊 火火 褐ス淡 ・黄ガ白な カラハリ 剛塊 743

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こうぶつ ( 数字の合計単位は千トン , 他は % ) 鉱物資源 / 主要金属鉱産物資源の埋蔵量 , 生産量および消費量比較 共産圏 自由世界 主要 OECD—H その他 Pb Cu ザンビア 6.7 アメリカ カナダ 6.3 ソ連 埋蔵量 埋蔵量 自由世界 主要 OECD オーストラリテ メキシコ 3.4 カナダー 15.8 その他 OECD ( うち日本 1 . 4 ) 13.8 → 7.3 13.5 共産圏 その他 。ュ . ーゴ その他 スラビア 4.1 1 4 . 4 合十 146 000 チリ アメリカ その他 ベルー 6.3 32.3 19.0 15.8 1 7 . 6 30.1 = = ロ 一三ロ ー 5.9 ペ丿レ 1 7 . 4 ソ連 鉱石生産量 鉱石生産量 16.8 合計 3 450 ( 1983 年 ) 13.4 10.0 25.8 7. 12.6 ・ 7.6 7.5 その他 OECD ( うち日本 0.6 ) 地金消費量 1 9 . 5 合計 8 255 ( 1983 年 ) 日本 6.9 日本 地金消費量 10.0 、 14.9 13 . 3 10.7 9 . 6 19.6 3 フランス 4 . 自由世界 カナダ オーストラリア 西ドイツ 6 . 1 21 . 6 イギリス 5.6 合十 5 21 9 ( 1983 年 ) ニ = ロ 西ドイノ 合十 9 1 1 3 ( 1983 年 ) ー共産圏 一三ロ 自由世界 マレーーシア タイ 亜鉛 埋蔵量 錫 共産圏 その他 0 . 6 ソ連 中国 1 5 .0 合計 1 0 000 主要 OECD アメリカ インドネシア その他 31 . 2 メキシコ 2 . 7 その他 埋蔵量 合計 290 000 ソ連 その他 18.3 19.3 12.0 12.0 主要 OECD 7.2 ( うち日本 0.3 ) 15.5 13.4 34.9 鉱石生産量 鉱石生産量 9.2 15.0 1 9 .9 10.8 その他 OECD ( うち日本 3.9 ) 1 2 . 0 8.5 8.1 8.1 9.5 ポリヒア 合計 6 538 ( 1983 年 ) 合計 210 ( 1983 年 ) 13.5 アメリカ 地金消費量 地金消費量 .4 23.8 西ドイツ 6.6 1 2 . 6 12.6 日本 中国 4.9 合計 6 1 32 ( 1983 年 ) 共産圏 南アフリカ 6.7 その他 3.8 20 . 7 その他 OECD 6.0 6.3 合計 215 西ドイツ 6 6 日本 ( 1983 年 ) 埋蔵量 自由世界 クロム Cr 埋蔵量 自由世界 共産圏 主要 OECD オーストラリア カナダ その他 4 . 3 フィリヒ。ン 1 . 5 シンノヾプ、工 42 . 4 南アフリカ ソ連 その他ー 22.5 20.6 46.5 主要 OECD 7.9 ( うち日本 0.1 ) フラジ丿レ 21 . 9 25.5 l_n ワ亠 0 ノ・ 0 0 1 他 8 の - 三ロ インド 3.6 合計 98 200 000 アメリカ 0.8 9.0 9.4 その他 OECD ( うち日本 0.1 ) 粗鋼生産量 鉱石生産量 鉱石生産量 ( クロマ 34.4 28.2 中国 21 . 7 12 .0 ア丿レ / ヾニ 合計 9 895 ( 1982 年 ) 合計 874 000 ( 1981 年 ) アメリカ 消費量 ( クロマ 13.5 日本 39.3 28.9 24.8 13.1 1 4 .7 合計 6 520 ( 1980 年 ) 合計 663 000 ( 1983 年 ) 共産圏 その他 2.9 ソ連 その他 ・キ・ユ - ーノヾ 日本 西ドイツ 5 . 4 フランス 2 . 7 イタリア 3 . 3 自由世界 ・カレドー ーア コ . フィリヒン その他 OECD 西ドイツ 5 . 0 自由世界 ッケノレ アルミニウム 埋蔵量 埋蔵量 主要 OECD, カナダ 共産圏 その他 主要 OECD オースト ラリア フラジル ジャマイカ 23.6 インド 5.3 合計望 2 490 000 その他 6.7 合計 102 000 8. 8.6 17.8 10.2 8.9 37 . 2 26.2 20.5 オーストラリア 鉱石生産量 鉱石生産量 8. 1 0 . 6 9 . 8 10.5 26.4 18 . 7 その他 OECD3.0 アメリカ 31 . 2 その他 OECD アメリカ 27.4 22 .8 ソ連 合計 79 000 ( 1983 年 ) - 三ロ 652 ( 1983 年 ) 日本 1 6 . 8 消費量 地金消費量 合計 1 5 388 ( 1982 年 ) 20.5 20.4 1 0 . 8 中国 4.0 21 . 3 西ドイツ 7 合計 683 ( 1982 年 ) 西ドイツ 日本 4 . 8 フランス 16

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こんびゆ / 歴史 コンピュータ 1943 1958 1 964 第三世代 第ニ世代 第一世代 現在 ( 第四世代 ) までのコンヒュー タの進歩は , 真空管から超 L S I に 市る素子の発達によってもたらさ れた。すなわち , 小型軽量で信頼 性が高く , 大容纛高速度で , 電 気の消費が少なく , しかも安価 になったのである トランジスタコンヒュータの信頼度を高 め小型化を促進した半導体素了・ . 測旧ⅱⅢ印Ⅲ訂 回路素子の歴史 IC ( 集積回路 ) トラン ジスタ , ダイオード , コンデンサーなどを一 つの基板に集めて回路 真空管初期コンヒュー タに使われたもの 1959 1965 タ完成 ・旧 M , トランジスタ使用のコンヒ。ュータ イギリスで電子式暗号解読機 COLOSSUS ・ DEC 社 ( 米 ) 最初のミ ニコンビュータ P D P アメリカでライトべン開発 旧 M1401 発表 ー 8 開発 完成 1956 ータ ) ・通産省電気試験所 , 翻訳機やまと完成 1945 FU 」℃ ( 日本初の真空管式コンビュ ・国鉄 , 座席予約システム MARS 導入 ノイマン ( 米 ) , 「電子計算機の論理設計序 完成 論』でプログラム記憶方式概念を発表 1946 アメリカでコンヒュータ ENIAC を完成 1943 00 00 00 00 PD P ー 8 最初のミニコンヒュータ。小県 , MARS 座席 - r ・約システムとしては 当時 , 世界最大級であった 低価格なコンヒュータの始まり ・マクダネル・ダグラス社 ( 米 ) 飛行機コッ ・プログラム言語 ALGOL , プログラム言語 クヒ。ットからの操縦シミュレーションのグ COBOL など開発 ラフィック・システム開発 1960 1967 ・ホーイング社 ( 米 ) ジェット旅客機 737 を ・旧 M , バリーアメリカ・間を人工衛星を介 CA D システムで設計 しデータ・コミュニケーション実験 ・マッカーシー ( 米 ) プログラム言語凵 SP を ・日本 , FORTRAN, ALGOL の JIS イヒ 発表 ・国鉄・銀行などオンラインシステム始ま ・スペリー・ランド社 ( 米 ) U N IVAC ーⅢを開 る 発 1968 ・アメリカでストレージ・チューフ・ディ スプレー装置を開発 ・ビルト ( 米 ) プログラム言語 PASCAL 発表 1969 ・インテル社 ( 米 ) メモリーに℃を使用した ワンチップをマイクロコンビュータ開発 ・ IBM, 磁気ストライプ・カード開発 ( クレ ジット・カード普及 ) FUJIC 日本で最 初に稼動したコン 一旧 M ( 米 ) , プログラム言語 FORTRAN を開 IBM, 磁気ティスク装置 RAMAC 開発 EN I AC 世界最初のディジタルコンヒュ ータ。 1 万 8000 本の真空管をⅢい , 全長 30 m, 総亜量 30 t の巨大なものだった 発 ー第 M み 1947 ノヾーディーン , フラッテン ( 米 ) , トラン ジスタを発明 1 949 ウイルクス ( 英 ) , 最初のフログラム内蔵 方式コンヒュータ EDSAC 完成 マサチューセッツ工科大 ( 米 ) で CRT ディ スプレー装置実験 1950 ショックレー ( 米 ) , 接合型トランジスタ を発明 工ッカート・モークリー・コンビュータ 社 ( 米 ) 最初の商用コンビュータ UNIVAC—I を開発 RAM AC ランダ・ムに発生するデ ータを処理できるようになった 電電公社電気通信研究所 , バラメトロン を用いたムサシノ 1 号を完成 0 ・ nCCY?PO : N な費 1 ℃す、′よ・ ムサシノ 1 号日本で発明されたパラメト 磁気力ードクレジット・カード普及の先 ロンを使った 1 号機 駆け アメリカの国勢調査に使用 ・ベル研究所 ( 米 ) のトンプソン、プログラ 1958 ム言語 UN Ⅸ開発着手 アメリカ空軍航空管制システム SAGE 開発 磁気薄膜メモリー 1970 ( これによりオンラインリアルタイム処理時 UNIVAC1107 ・旧 M , LS ば大規模集積回路 ) 搭載のコンビ 代始まる ) 1963 ュータ開発 ・サザランド ( 米 ) , 会話型グラフィックシ ・アメリカで LOGO 言語発表 ステム Sketchpad を開発 1971 アメリカ空 1964 ・インテル社 , 初のマイクロコンビュータ 軍の航空管 ・旧 M 、℃ ( 集積回路 ) 使用の汎用コンヒ。ュ 開発 制システム ・コルメラク ( 仏 ) 、プログラム言語 Pio log ータ開発 SAGE ・ IBM, コンビュータ・グラフィックスの を開発 ・富士通と日立、沖電気と三菱電機 , 日本 システム開発 東京大学高橋研究室 , PC ー 1 完成 ・国鉄みどりの窓口 ( MARSIOI ) 開設 電気と東芝 , それぞれ提携 アメリカで XY プロッター開発 ミ ⅱ 多重フログラミング UNIVAC—III が実用化された ・日本電子計算機 (JECC) 設立 1962 ・スペリー・ランド社 ( 米 ) 磁気薄膜メモリ ー使用のコンビュータを開発 1961 U N I VAC ー I された 1952 NC ( 数値制御 ) , アメリカで開発 通産省電気試験所、国産初のリレー式計 算機 ETL-MARK-I 開発 レミントン・ランド社 ( 米 ) 磁気コア・メ モリー使用のモデル 1 103 開発 1954 東京大学後藤英一 , 回路素子バラメトロ ン発明 1955 磁気ドラム式 U NIVAC ファイルコンヒュー 753

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こくさい 第二世銀 ) 、世界知的所有権機関、国際農業開発である。この変貌の基礎たる動向は、国連主要機関の役割の 基金 (—ß<Q) 、国連工業開発機関 (DZ—QO)O 消長を招き、諸重要問題の解決の遅延と第三世界の関心事項 〔成立以後の歴史と現状〕国連はその発足後多くの試練を経の重視という結果をもたらした。 て今日に至っているが、その過程を通じて国連憲章の予想し ①東西関係第二次大戦を通じて保たれた東西間の協調は、 へんばう たところと異なった方向に変貌した。その変貌を招いた基礎国連の発足後まもなく、レバノン、シリア、ギリシアにおけ は、発足以後の東西関係における対立と協調の交錯であり、 る外国軍隊の撤退を主張したソ連の第一回拒否権行使によっ また第三世界からの加盟の増大による国連内勢力関係の変化 て動揺を始め、これに対応してなされた一九四七年のトルー マン・ドクトリン発表やマーシャル・プランの成立のため に、冷戦 Cold War によって置き換えられるに至った。こ の冷戦期間は、一九五三年のスターリンの死まで続き、東西 ともに国連を自己に有利に活用しようとしたが、 拒否権の乱 まひ 発によって国連は麻痺状態になった。スターリンの死後平和 共存の時代に入り、さらに米ソ間のいわゆるデタント時代が これに続くに及び、米ソ両国による国連の共同管理の様相を 呈するに至った。 ⑦第三世界諸国の大量加盟冷戦構造がなお続く一九五五 年、アジア・アフリカ新興諸国は、バンドン会議における反 帝反植民地のスローガンのもとに一六か国が一括加盟に成功 した。それ以後も第三世界の新加盟が続き、第三世界の全加 盟国数に占める比率は、三五 % ( 一九五六年末 ) 、五〇 % ( 一九六四年初頭 ) と増大し、今日では三分の二を超えてい る。強烈な民族主義と非同盟主義に支えられたアジア・アフ リカ勢力の国連における台頭は、当然に西欧体制下の国連の 勢力関係に変化をもたらした。そのうえソ連や新しく国連に 席を占めた中国はこれを支援し、アメリカをはじめとする西 欧諸国は、その数の力にフラストレーションを覚えるように なった。このことは、米ソ両国の主導下にあった国連の勢力 関係が多極化し、超大国の自由にならなくなったことを意味 ③国連主要機関の役割の消長東西関係が冷戦下にあった国 連史の最初の一〇年は、安全保障理事会の機能が麻痺して総 会の役割が上昇したが、それに続く一〇年間は安全保障にお ける事務総長の機能を高め、さらに最近の一〇年間では、第 三世界の総会における勢力増大の影響を避けようとする西欧 側の態度を反映して、安全保障理事会の比重が高まった時代 ということができる。中東問題や南ア問題に関する総会の決 議の無視、安全保障理事会におけるアメリカを含む拒否権行 使の頻発がその好例である。 ④重要問題解決の遅延と第三世界の関心事項の重視朝鮮問 題、中東問題、南アフリカ問題、軍縮問題などは国連発足当 初よりの係争問題であるが、いずれも東西関係と南北関係の : ラーの第ーま第すま第第第第ま第なーーィッ第第第そ′第ィーす一′ / ′れ ・一まを , ンこ、三第第一三す生三第一 〔左〕安全保障理事会円卓の中央に事務総長が座る。正面の 絵は , ノルウェーの画家ベル・クローグが描いたもので , 過 去 , 現在 , 未来を象徴的に表現している 〔右〕国連総会議場毎年 9 月の第 3 火曜日から , およそ 3 か 月間にわたって通常総会が開催される。また , 必要に応じて 特別総会が開かれる 一九六〇アフリカ一六か国、国連に加盟 総会、植民地独立付与宣言を採択 緊急特別総会、コンゴ動乱で国連平和維持軍派遣 一九六一総会、一九六〇年代を国連開発の一〇年と宣一 = ロ 一九六ニ米ソ、事務総長提案を受諾、キューバ危機解決 国連軍事監視団、イエメンを支援 一九六三国連、国連食糧農業機関、世界食糧計画を設立 安保理、南アへの自主的武器禁輸要請 一九六四国連貿易開発会議、事務局設立を求める 国連平和維持軍、キプロスへ派遣 一九六五インド・パキスタン紛争後の兵力引き離しに国連 軍事監視団活動 ュニセフ、ノーベル平和賞受賞 一九六六安保理、南ローデシアに対し強制的制裁を課す 総会、南アの南西アフリカ委任統治を終了させる 一九六七第三次中東戦争勃発。安保理、即時停戦を決議 特別総会、現国連ナミピア理事会を設立 一九六八世界人権宣言一一〇周年を記念し、国際会議を招集 一九六九一九六五年総会採択の人種差別撤廃条約発効 一九七〇第二次国連開発一〇年の国際開発戦略採択 総会、国家管轄権を超える大陸棚、海底に関する 初の国際的合意による一連の原則を採択 一九七一総会、中華人民共和国の合法的権利回復を承認 国連、東パキスタン紛争犧牲者に大規模救援実施 一九七ニストックホルムで国連人間環境会議開催 総会、活動促進のために国連環境計画を設立 総会創設の国連災害救済調整官事務所活動開始 一九七 = 一第四次中東戦争終結、国連平和維持軍展開 総会、国連大学本部の東京設置を決定 一九七四総会、固定為替相場制による金融体系の崩壊にか んがみ、新国際経済秩序の樹立を求める 一九七五メキシコで国際婦人年世界会議開催、宣言採択 一九七六国連貿易開発会議、一次産品総合計画を採択 国連人間居住会議、行動計画を作成 一九七七安保理、南アに対する武器輸出を強制的に禁止 国際農業開発基金、発展途上国への財政援助開始 一九七八安保理、西側五か国提案のナミビア独立計画採択 レバノンへ国連平和維持軍を派遣 一九七九総会、女子に対する差別撤廃条約を採択 一九八〇ソ連のアフガニスタン侵攻で緊急特別総会開催 一九八一総会、宗教・信条に基づく差別撤廃宣言を採択 新・再生エネルギー会議、行動計画策定 一九八ニ総会招集の国連海洋法会議、海洋法条約を採択 軍縮のための特別総会開催 一九八三事務総長、南ア訪問。安保理のナミビア独立計画 の実行を協議 一九八四総会、拷問禁止条約を採択 総会、アフリカの危機的経済情勢と飢餓に関する 宣言を採択 一九八五国連アフリカ緊急活動事務所、救済活動を推進 169