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検索対象: 日本大百科全書 9
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1. 日本大百科全書 9

には私企業制度や市場の競争機能といった資本 と特別職に分かち、一般職の国家公務員にのみ七一年に成立したドイツ帝国において、すでにを果たすものとされるが、歴史的にも実態的に 適用されるとしている。 時代遅れになっている君主主権を無条件的に貫も、その役割は小さなものではない。私的資本主義的制度を活用するのが有効であると考えら その基本原則は平等原則と情勢適応の原則で徹することができなかったので、経済権力を掌の規模が小さい資本主義の初期段階や発展途上れたからである。そして国家資本主義制度は、 ある。前者は、いっさいの非合理的な差別を禁握している市民階級の要求する法治国家理念と国などでは、国家資本による企業活動が産業経やがて社会主義体制への全面的な移行に伴って 止する趣旨であり、後者は、法律で定められるの妥協が図られ、国法学的には国家法人説とい 済発展の主導的役割を担っているし、産業経済平和的に消滅するとされる。しかし最近の社会 公務員の勤務条件を社会情勢の変化に適応する う形で実質的に君主主権の温存が企てられた。 の円滑な発展のためには、上下水道、道路交主義にあっては、私企業や市場競争の制度は、 ように人事院勧告制度を置くものである。この こうした君主主権と法治国家理念との妥協が国通、通信などの社会資本の整備のための国家資社会主義経済体制の発展と管理にとっても有効 ほか、任用の準則、身分保障の原則と分限・懲家と法の関係を説明する理論として主張された本の活用が不可欠である。現代の資本主義がしであるとする考えが強まっている。 ③発展途上国における国家資本主義日本など 戒・定年、勤務条件措置要求と不利益処分に対のが国家自己制限説ないし国家自己義務づけ説 ばしば公・私混合二重経済体制であるといわれ する不服審査、服務 ( 服従義務、争議行為禁 Selbstverpflichtung des Staates である。そるように、国家の民間経済への政策的介入のみ後発資本主義国においても、その発展の初期に 止、信用失墜行為の禁止、守秘義務、職務専念れによると、国家は法秩序を設定するばかりでならず、国・公営の公共企業や公資本・信用は国家による指導や産業化政策が広く行われた 義務、政治的行為の制限、私企業からの隔離な なく、国家自身もこの「自己」の法秩序に服等々の国家資本の機能はますます拡大する傾向が、同様に自立的な産業経済の開発と発展を目 ど ) 、職員団体、人事院制度について規定する。 にある。 〈吉家清次〉 し、それによって法人格、権利義務の主体とな ざしている現代の発展途上諸国にあっても、そ の微弱な経済力の育成と遅れた経済社会の環境 こっかしほんしゅぎ state cap- その細目は人事院規則に委任されている。官職る、とされた。それはイエーリングなどによっ国家資本主義 と基盤の整備のために、国家権力指導による資 を職務の種類および複雑と責任の度に応じて分て主張されたが、それを体系づけたのはイエリ italism 材 StaatskapitaIismus ハイ capital- かなめ 類する職階制は本法の要であるが、実施されてネックであった。彼は、一九世紀のドイツ国家 isme d'Etat 駕国家が資本主義経済の展開本の集中的投資や技術・労働力の計画的投入、 いない。さらに本法の付属法令としては、一般学の集大成といわれた『一般国家学』とを・ を助成し、あるいは規制することを目的に、経一定の経済計画の導入など、国家資本主義制度 の意識的な活用が広く進められている。現在注 職の職員の給与に関する法律 ( 昭和一一五年法律ミ i' ミ S ミ 3 e ( 一九 00 ) において、国家権力済活動にさまざまな手段や方法で介入する場合 九五号 ) 、国家公務員等退職手当法 ( 昭和二八 に登場する経済制度の形態をいう。したがって目されている韓国をはじめとする東アジア「新 は無制限な権力ではなく、法的範囲内で限定さ 年法律一八二号 ) 、国家公務員災害補償法 ( 昭れる権力、すなわち法的権力であるので、すべ国家資本主義の具体的な制度とその機能様式興工業国」の急速な経済発展は、こうした国家 に主導された国家資本主義の制度の有効性を一小 和二六年法律一九一号 ) 、恩給法 ( 大正一二年ての国家的行為は法的評価に服すると主張し、 は、国家介入の目的や方法によって異なるが、 している例といえよう。しかし他面では、この 法律四八号 ) 、国家公務員等共済組合法 ( 昭和 この理論を国際法にも適用した。 , 。 彼こよると、 いちおう次の三つの主要な形態に区別される。 三三年法律一二八号 ) などがあり、これらが全国際法の妥当根拠は国家がそれを承認する点に ①先進資本主義国における国家資本主義高度ような「上からの」資本主義化は、官僚制の非 体として実質的意味での国家公務員法を形づくあるとされた。 能率や腐敗をもたらすこともあり、このことが に発達した独占ないしは寡占的な経済構造をも っている。↓公務員↓国家公務員〈阿部泰隆〉 国家自己制限説は、確かに、半立憲主義体制っ先進資本主義国にあっては、一九三〇年代のしばしば発展途上国の政治上の不安や持続的な こっかしけん公務員の採用また下にあったドイツ市民階級の自由主義的要求長期不況や二つの世界戦争といった「危機」を経済発展の困難化を生み出す背景ともみられて 国家試験 〈吉家清次〉 いる。↓国家独占資本主義 は、特定の業務に必要な資格 ( 一定の地位・活を、国法学の許される限りの解釈論理を最大限契機に、市場経済の安定化や景気変動の緩和の ための経済管理政策、さらには特定産業や企業回『食糧税について』 ( レーニン全集刊行委員会 動についての免許を与えるため ) などその合格に駆使して充足させようとした点に、括弧つき 者に資格を付与したり、一定の技能を証明するではあるが評価される側面をもっていた。しかの国・公有化政策などを推進し、経済への国家 訳レーニン全集第三二巻〈一九二〇 ~ 二 ために国家が管理して行う試験。おもな国家試しそれは他面、国家権力、具体的には君主権力介入の諸制度が広く認められるようになった。 一〉』所収・一九五九・大月書店 ) ▽渡辺利夫著 『アジア中進国の挑戦』 ( 一九七九・日本経済新聞 験としては次のようなものがある。まず採用試が法を定立し、それに自己を義務づけるという このような独占資本主義経済の危機管理として 験として分類されるものに、国家公務員採用一種の擬制によってドイツ帝国に法治国家の形制度化された国家の経済機能が広く認められる 社 ) ▽岡棯・山内一男・竹浪祥一郎著『社 —・Ⅱ・Ⅲ種試験、外務公務員採用—種試験な式を与えることになったが、実際に君主権力は国家資本主義は、一般に国家独占資本主義とよ 会主義経済論』 ( 一九穴・筑摩書房 ) こっかしやかいしゅぎ state どがあり、合格者は国家公務員の資格を得る。 自己の存続に不利な法を定立しないがゆえに、 ばれる。したがって現在、とくに国家資本主義と国家社会主義 socialism 国家の手によって社会主義 ( 厳密 公務員の身分を離れた場合、その資格はなくなそれは君主の専制権力を弁護するイデオロギー して特定化されるのは次の二つの場合である。 る。次に資格試験として、弁護士、医師、公認 の役割を果たすものであった。それはケルゼン 社会主義体制への過渡期としての国家資本主には社会政策 ) の実現を図ろうとする思想なら によってそのもっ理論的矛盾が指摘され、ワイ義社会主義体制への変革を目ざす政治権力びに運動を意味する。社会主義的色彩の濃い国 会計士、司法書士、税理士などの業務を行うた めの資格取得を目的とする試験がある。また国マール共和国になって国法学的にも否定されが、それまでの資本主義的な私有財産制度や市家主義 statism の一種。固有の意味での国家 〈安世舟〉場経済制度を部分的な公・国有化や政府による社会主義は、一九世紀後半、ドイツの・ラッ 家が特定の技能を有することを認定・証明する 活動規制政策などを利用して徐々にかっ経済機サールや・・ロードベルトウスらによって こっかしほん state capital 認定試験がある。情報処理技術者試験など各種国家資本 国営 唱導された。それは、資本主義の発展に伴って 能の面から改革しようとする、経済体制改革の 技能についての試験で技術者などの称号を得る Staatskapital capital d'Etat ことができる。なお国家試験は、このほか試験銀行や公社、公団、公庫、営団、金庫などの公過渡期に登場する経済制度形態である。ロシア発生する労働者の貧困の救済や労働条件の改善 革命後のソ連におけるネップ ( 新経済政策 ) やを資本主義体制の枠内で達成しようとする考え 共企業に投資されたり、ときには民間私企業に 主体からの分類も可能である ( 国・地方自治 し体、それ以外の団体の行う試験という観点から貸付などを通して融資されている、国家の所有第二次世界大戦後の東欧諸国、中国革命後の中方で、社会主義体制の実現を目ざすものではな 〈平田和一〉 。具体的な提言は、銀行、保険、鉄道、ガス、 に属する資本をいう。経済活動がおもに私的資華人民共和国に登場した。このような国家資本 力の分類 ) 。別表 ( い 7 ~ 川 ) 参照。 こっかじこせいげんせつ 本によって担われている資本主義経済体制のも主義が導入されたのは、革命に伴う混乱を回避電気など重要産業の国営化、国家の援助を受け つ国家自己制限説 し、また経済力が弱く経済活動を促進するためる労働者生産組合の組織化、普通 ( / 。ヘージ ) 3 とにあっては、国家資本は一般に補助的な役割 SeIbstbeschränkung des Staates かっ・一

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ロイト、カナダのトロントなどの大商工業都市 これらヨーロッ ( 諸民族の古代国家に対し、 を中心とする大工業地域が発達した。 アジア諸民族の場 / は、その多くが皇帝または 争 7 ミシガン湖南西岸からエリー湖南岸にかけて天皇の専制的支配仼制によって特徴づけられる は、メサビをはじめとするスペリオル鉄山とア専制国家形態をと一て現れた。オリエントのペ しん 奈 ハラチア、オハイオ、インディアナの炭田に挟ルシア帝国やイフ ( フム国家、中国の秦・漢帝 りつりよう まれ、五大湖の水運を生かして製鉄、機械を中国、日本の律令国氛などがそれにあたる。こ 文 心とするシカゴ、デトロイト、クリープラン こでは奴隷制は末達ではあるが、家内奴隷制 ド、バッファローなど多くの重工業都市が成立として社会の不可 , 「な構成要素となる一方、国 画 した。モントリオールからオンタリオ湖岸のト 民の大多数は氏族 ~ ( 的な共同体的諸関係につな 天 ロント、ハミルトン付近もカナダ最大の工業地ぎとめられたまま〔「治的無権利状態に置かれ、 1 域で、機械、製鉄などの工業が安い電力を利用自由人としての独、注はきわめて末成熟で、奴 な 後 して行われている。ヒューロン湖とエリー湖、隷状態 ( 半奴隷 ) 、一。・強制されていた。他方、こ ーっ等一 うるう オンタリオ湖に挟まれるオンタリオ南部地域おうした奴隷状態の・ , 」、民を支配・統治する国家機閏二月、天皇は隠岐を脱出、信耆 ( 鳥取県 ) なわながとし よび五大湖南岸地域は、大酪農地域でもある。構は、ヨーロッパに 比較しアジアでは古代官僚の名和長年らの支持を得て六月京都に帰った。 りつ 沿岸一帯、とくにミシガン湖、エリー湖、オン制として著しく発し、中国の隋・唐時代に律これに先だっ五月幕府は滅亡したため、天皇 れい じみよういん 奈吉生和 / タリオ湖岸はレクリエーション地域としての発令制として一つの賞成形態に達した。この中国は、幕府の擁立していた持明院統の光厳天皇 ・賀大 しらぎ 成 達が目覚ましく、別荘地や郊外住宅地が各地に文明は、日本の律。国家や、新羅による古代朝を廃し、建武新政を開始した。 早一伊木 みられる。カナダ側のエリー湖北岸には、ポイ蝉の民族統一など東アジアの民族および国家 新政は、従来の伝統にとらわれず、征夷大 、、波 ~ 四川和一紀楠 ント・ヒーリ 〈原秀三郎〉 ー国立公園、ヒューロン湖東部に 形成に大きな影響・」「及ばした。 将軍も置かないで、天皇が自ら公家・武家両 磨 馬 ご ~ 一いごてんのう ( 一一天〈 ー一三三九 ) 者を統率しようとするものであった。中央には ジョージア湾国立公園、アメリカ側のスペリオ 後醍醐天皇 ごうだ けんむ ぎっそけつだんしょ むしやどころ いわゆる「建武中」を実現した天皇。後宇多記録所、雑訴決断所、武者所などの新設機関 ル湖北岸にはアイル・ロイヤル国立公園があ しようおう り、ミシガン湖東岸には端堆石列をもとにした天皇の第二皇子として正応元年一〇月二日にを置き、地方の国々は国守・守護併存とし、従 ただつぐ だんてんもんいん 世界最大の湖岸砂丘が広がる。湖水は最近の沿生まれる。母は参議藤原忠継の娘談天門院忠来の官位相当や家柄も無視して公武の人材を登 たかはるだいかくじ 岸地域の工業、レクリエーション、水運などの開子。名は尊治。大覚寺統に属し、一三一八年用した。しかし論功行賞においては公家優先で 、備中 発により、スペリオル湖西端部、ミシガン湖南 ( 文保一 l) 三一歳て即位、二一年 ( 元亨一 ) 院あったうえ、従来の所領の領有権は改めて天皇 さだふさきたばたけちかふさ あんど 部、エリー湖、オンタリオ湖で水質汚濁が進み、政を廃して親政を開始、吉田定房、北畠親房、 の安堵を受けなければならないという強引な政 としもと までのこうじのぶふさひのすけとも 安雲一備後 水質保全が問題となっている。 〈大竹一彦〉万里小路宣房、日野資朝、同俊基らの人材を集策を打ち出したり、皇居造営のための臨時賦課 を強行したりしたため、地方武士の新政に対す こだいこっか近代以前の社会におめ、記録所を再興して、政務に励むとともに、 古代国家 天皇は日本史上異例の独裁型執政を行うこと いて、諸民族が末開から文明へと移行する際、学問、武芸の振興に努めた。この間、鎌倉幕府る不満は急速に高まった。また公家にしても、 はらん によって波瀾に満ちた生涯を送ったが、朱子学 伝統的な摂関政治型の体制が否定され、天皇独 しし、その多くは奴隷制打倒の意思を固め、「無礼講」とよんだ講書・ 最初に形成する国家を、 しんごん を基礎としていた。国家とは、歴史的には、社酒宴の会合に事寄せ人々を結集して倒幕の秘計裁のもとに恣意的な人事が行われたため、それや真言の教義に通じるとともに、典礼、和歌な ぞうけい ろくはらたんだい どにも造詣深く、『建武年中行事』『建武日中行 を進めたが、二四年 ( 正中一 ) 六波羅探題に密に対する失望は大きかった。 会が階級的に編成される段階に至って現れる、 しようちゅう そうしたなかで一三三五年 ( 建武二 ) 北条残事』を著した。また吉野時代には「事問はん人 一階級による他の諸階級支配のための機構であ偵され、側近の多数が逮捕された ( 正中の まれ さへ稀になりにけり我世の末の程そ知らるる」 って、原始社会 ( 野蛮・未開 ) の社会組織であ変 ) 。この事件で危うく難を免れた天皇は、そ党が蜂起すると、その討伐のために関東に下っ てんだいぎす あしかがたかうじ た足利尊氏が反し、天皇は西上した尊氏を避けの歌もある。↓建武新政 〈永原慶一一〉 った血縁原理に基づく氏族制とは本質的に区別の後、皇子の護良親王を天台座主にすることに ひえいぎん される。古代国家の典型とされるのはギリシよって比叡山勢力も引き入れようとするなどして叡山に逃れた。尊氏はいったん九州に落ちた回佐藤進一著『日本の歴史 9 南北朝の動乱』 かぎんいん ( 一九六五・中央公論社 ) ア、ローマの国家であり、直接的生産労働を支えて、ふたたび倒幕計画を進めた。しかし三一年のち再度入京、天皇を花山院 ( 京都市上京区、 ぎよえん る膨大な奴隷階級を支配するための奴隷所有者 ( 元弘一 ) 四月、吉田定房がまた計画を幕府に 京都御苑内 ) に幽閉した。このため天皇は三六五台山ごだいさん高知市浦戸湾奥に位置す 年一二月吉野に逃れ、ここにいわゆる吉野朝廷る孤立丘陵。古くは浦戸湾内の島の一つで大島 階級 ( 貴族・自由人 ) の機構として形成され、そ密告したため、八月天皇は東大寺に逃れ、つい ぎよ・つき そうらく か ~ こぎ とよばれた。奈良時代に僧行基が中国の五台山 が開かれ、以後南北朝併立時代に入る。天皇は の政治形態は民主制または共和制であった。つで笠置 ( 京都府相楽郡笠置町 ) に立てこもり、 いでローマ世界の三分の二を征服し、支配者と幕府に不満をもっ諸国の武士、寺社勢力などに諸皇子を各地方に派遣し、地方武士の掌握に努に似た山を求めてこの地に竹林寺を開創した際 ほうき 五台山と名づけたという。山頂近くには竹 して臨んだゲルマン部族のフランク王国の性格蜂起を呼びかけた。これに対し幕府は大軍を送めたが、これも次々に敗れ、吉野に従う公家も きんろく 少なく、孤立が深まるなかで、三九年 ( 延元林寺、県立牧野植物園、山麓には南北朝時代の 規定については、これを封建国家とする説もあって笠置を包囲したため、天皇は捕らえられて ごむらかみ むそうそせき げんこう おき 四・暦応一 l) 義良親王 ( 後村上天皇 ) に譲位、僧夢窓疎石の開いた吸江寺などがあり、頂上 三二年隠岐に流さ、れた ( 元弘の変 ) 。 るが、彼らはローマの国家組織のうえに彼らの し 天皇の隠岐配流中の動静は不明であるが、護同年五二歳で死去した。遺詔により後醍醐と諡からは高知市街地が一望できる。また、東麓で 部族組織を接合させたにすぎず、封建国家への えら ごう くすのきまさしげ 〈正木久仁〉 はイチゴの栽培も盛ん。 過渡的性格を認めつつも本質的には奴隷制に基良親王、楠木正成らの活躍によって反幕勢力の号したが、それは生前自ら撰んだものという。 とうのお 力が強まると、一 一一三三年 ( 元弘三・正慶二 ) 陵墓は奈良県吉野町の塔尾陵。 囮二万五千分の一地形図「高知」 礎を置く古代国家であるとする見解もある。 ずい しようぐん し こうごん 趣中 U 飛 上野 、 ) 新田義貞、一 足利高 ( 尊 ) 氏挙兵 後醍醐天皇関係図 趣前 名手斐 名和長年 きゅ・つ・つ 用 江 後醍醐天皇の足跡 おもな戦場 100km 予 ~ 344

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な 1 ) り えんめい レ」の名残を示す首切り地蔵 ( 延命地蔵 ) がある。特徴となっていっ・〈のである。つまり国家独占 収・一〈毫・大月書店 ) ▽大内秀明・柴垣和務を行うにあた 0 て故意または過失により違法 なお、現在回向院は南千住五丁目、小塚原刑場資本主義とは、私的巾場経済を基本制度とする 夫編『現代の国家と経済』 ( 一九七九・有斐閣 ) に他人に損害を加えたとき、国または公共団体 3 〈沢田清〉資本主義が、その占的発展段階において、資 ▽正村公宏著「現代の資本主義』 ( 一九七七・現が賠償責任を負うと定める。これは、公務員の っ跡は南千住二丁目。 代の理論社 ) こっかとかくめい rocynapCTB0 本主義的市場体制の ( 戦争や不況という ) 危機 不法行為を前提として、国または公共団体が被 こ国家と革命 こっかのけいざ 害者に対して責任を負う代位責任である。公務 一、月 B ミ 5 ニ、、、 Gosudars ( vo 一 revolyutsi) 「 a 的状況を克服する、〈 - めに、国家の政策的介入と国家の経済権利義務憲章 レーニン著。マルクス主義国家論の古典的著補整を全面的に求めた結果として登場する公私 いけんりぎむけんしよう Charter of Economic 員自身は、故意または重過失があるときには、 作。ロシア革命のさなか、一九一七年八月から混合的な二重経済休制の、マルクス経済学から Rights and Duties of States 発展途上国国または公共団体に弁償しなければならない 九月にかけて執筆された。第七章は末完。マルする命名なのである ) の経済的、社会的立場を強化して新国際経済秩が、被害者に対しては直接には賠償責任を負担 クス、エンゲルスの国家論を詳細に検討し、発展 ここから国家狆 , 〕資本主義とは、資本主義の序を樹立することをうたった国際憲章。単に経しないとするのが通説判例である。公権力の行 させたもの。祖国擁護を口実にして自国の戦争全般的危機の時代い、独占資本の支配体制を維済権利義務憲章ともいし 一九七二年の国連貿使によらない公務員の加害行為については、国 遂行を是認するカウッキーやプレハーノフらを持・存続するために採用される国家の権力と経易開発会議 (DZO+<Q) 第三回総会でメキまたは公共団体は民法第七一五条の使用者責任 批判するために執筆された。レーニンは、国家済力の利用形態とみなされ、その究極的な本質シコのエチェべリーア大統領が提唱したことかを負い、公務員個人は民法第七〇九条により被 とは階級対立とともに発生した支配階級の被支は、国家財政や今第政策などの国家の政策機能 らエチェべリーア憲章ともいう。七〇年代に入害者に対して責任を負う。公権力の行使とはも 配階級抑圧のための機関にほかならないこと、 や制度による独占利潤の確保にある、とされると、発展途上国の開発戦略は自力で経済開発ともと命令強制作用と解されてきたが、近時は 社会主義の実現のためには、プルジョア階級のる。そしてまた国家独占資本主義は、すでにを行う方向へ転化し、それは資源ナショナリズ教育、行政指導、公表などの非権力的公行政作 国家を暴力的に粉砕し、プロレタリアートの階「死滅しつつある資本主義」としての独占資本ムとして現れていった。発展途上国と先進国と用も含むとされている。 級的独裁を樹立しなければならないこと、社会主義の政策的延命である限り、その体制のもの討議は主としてで行われたが、 国家賠償法第二条は、道路・河川その他の公 主義の国家形態はコミューン型国家であり、そとでは国民大衆に対する支配と収奪が強まり、七四年四 ~ 五月に開催された国連資源特別総会 の営造物の設置管理に瑕疵があったために他人 のもとで民主主義はいっそう発展し、官僚制も軍事経済化と経済活動の停滞化と腐朽化が進むで新国際経済秩序樹立宣言と同行動計画が満場に損害を生じたときは国または公共団体が賠償 克服され、民族的対立もなくなること、共産主と批判される。 の合意で採択され、その内容は、同年一二月の責任を負うとする。ここで瑕疵とは第一条の過 義への移行とともに、国家はひとりでに死滅す 資本主義体制のもとで国家による経済への政第二九回国連総会において、先進国の強い反対失よりもより客観化され、通常の安全性を欠く るであろうことを主張。この著作の準備ノート 策的介入や規制などの制度化が広く進展したの にもかかわらず圧倒的多数で採択された「国家こととするのが通説であるが、近時は管理者の として『国家論ノート』がある。 〈杉浦秀一〉 は、第二次大戦以降である。しかし、以上のよの経済権利義務憲章」として具体化された。憲義務違反とする説も有力である。道路に穴ばこ 回レーニン全集刊行委員会訳『国家と革命』 うなマルクス経済学の大方の予想に反して、戦章の内容は、公正、平等、相互依存、協力のも があったり、工事中の赤灯が消えていたり、大 ( 大月書店・国民文庫 ) ▽宇高基輔訳『国家後の資本主義経済は持続的に成長したという現とに新国際経済秩序を樹立することを基本目的型トラックが長時間停車していたり、贐崩れで と革命』 ( 岩波文庫 ) 実を背景に、今日、国家独占資本主義概念は再とし、その方策として、あらゆる富、天然資源通行中の車が谷底に押し流されたり、石に当た こっかどくせんしほん検討を迫られている。まずこのような国家独占および経済活動に対する恒久主権の確立、国有ったりというのが典型例である。道路の設置管 国家独占資本主義 イギ しゅぎ state monopolistic capitalism 資本主義説では、戦後の日本などの非軍事的経化の権利を含む外国投資および多国籍企業の規理の瑕疵により発生した損害賠償費用が膨大に staatsmonopolistischer Kapitalismus イ 済発展の事例を説明できないし、戦後の経済成制、また途上国の所得や交易条件の安定化のた なるため、道路を管理する都道府県、市町村は capitalisme monopoleur d'Etat 資本と長によってもたらされた物質的豊かさも正当にめに輸出品 ( 一次産品 ) 価格を輸入品 ( 工業製 いわゆる道路保険に加入するようになってい 生産を高度に集中した少数の独占資本が支配す説明できない。 品 ) 価格に連動して調整するというインデクセる。水害はもともと天災であったが、近時はこ るに至っている資本主義の独占資本主義の段階 より根本的には、レーニン流の「独占資本主 ーション制の採用や、生産国同盟参加の権利なれを人災として河川の管理の瑕疵を問う訴訟が においては、戦争や長期不況などの経済体制の義 ( Ⅱ帝国主義 ) 論」だけでは、現代の資本主どが決められている。↓新国際経済秩序↓資増えている。下級審はこれを積極的に認容する 「危機」を管理するために、全面的に国家の制義の産業構造や企業組織の多面的な発展形態を源ナショナリズム↓南北問題 〈秋山憲治〉傾向にあったが、最高裁はこれにやや。フレーキ こっかばいしようほう国・地方をかける傾向にある 度的・政策的な介入が行われるようになった。十分に解明できないように思われるし、また現国家賠償法 このようにして成立した国家と資本主義体制と代の政策や介入の諸制度のもっ役割を「独占資公共団体その他の公共団体の不法行為責任を定 そのほか、賠償責任者、民法の準用、特別法 の「融合」体制を国家独占資本主義という。国本の利潤実現の手段」と一面的に規定しえない めた法律。昭和一三年法律第一一一五号。明治憲の優先適用、外国人に対する相互保証条項の規 家独占資本主義ということばは、第一次世界大という問題もある。国家の経済機能が私的独占法時代は、公務員の公権力の行使に関しては、定がある ( 三 ~ 六条 ) 。↓国家補償〈阿部泰隆〉 かだありまろ 戦下の資本主義体制の発展傾向を示すものとし資本のために役だっていることは否定しないと いわゆる主権免責任の法理により国・公共団体国歌八論こ「かはちろん荷田在満の歌学 たやす て、ロシアの革命家レーニンによって、「戦時しても、他面では福祉的改良や経済安定の制度の責任を問うことができず、また、道路・河川 書。一七四二年 ( 寛保一 l) 成立。この年、田安 むねたけ 国家独占資本主義」体制という意味で用いられとして機能している側面もあることは無視できその他の公の営造物の設置管理の瑕疵に起因す宗武から和歌に関する一〇項目について意見を た。さらにソビエト社会主義体制の出現、一九ないであろう。↓現代資本主義↓国家資本主義る損害について民法第七一七条により賠償責任求められ、そのうち八項目について答えたも ↓独占資本主義 三〇年代の長期不況などにより、資本主義体制 〈吉家清次〉を問うことができるかどうかも疑問であった。 の。宗武はすぐに『国歌八論余言』を著し、在 の解体と動揺が進む一方で、いわゆるケインズ回大内カ著『国家独占資本主義』 ( 一九七 0 ・東京そこで、日本国憲法第一七条は、この権利救済満に反論し、一方、在満は当時江戸にきていた かもまぶち おくせつ 的経済政策など資本主義経済への政策的介入や 大学出版会 ) ▽〕。さしせまる破局、それとどの空白を埋めるため国家賠償法の制定を立法者賀茂真淵にも意見を『国歌論臆説』という形で に義務づけたのである。 補整が広く制度化されていくに伴って、国家独 うたたかうか ? 』 ( レーニン全集刊行委員会 提出させたため、三者の論争となった。この事 占資本主義体制が先進資本主義経済の一般的な 訳『レーニン全集第二五巻〈一九一七〉』所 その第一条は、公務員が公権力を行使する職件を「国歌八論』論争と称する。このときの在

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こうむ、 公務員 / 〔表 1 〕定員管理法制別定員 区分 管理対象区分 管理法令区分 根拠法律 非現業総定員法の最高行政機関の職員・非現業公務員総数 法律 限度の中で管理の定員に関する・内閣 , 各省及び総理府の政令 されている各省法律 各外局別定員 庁の定員 ・各省の本省 , 外局別定員省令 ・各省内部部局 , 附属機関 , 訓令 地方支分部局別定員 沖縄に置かれる 沖縄の復帰に伴各省及び総理府の外局別政令 国の行政機関のう特別措置に関定員 ( 以下総定員法定員 定員 する法律 に同し ) 国家公務員であ・地方自治法附則各事業別定員 るが , 地方自治・警察法 正只 法等の規定によ り , 都道府県に 勤務する地方事 務官 ( 社会保険 , 職業安定関係職 員 ) 及び地方警 務官の定員 新設国立医科大国立学校設置法定員 学等の定員 行政機関の職員各現業別定員 の定員に関する 法律 自衛官 防衛庁設置法 陸 , 海 , 空の各自衛隊等法律 の自衛官の定員 大臣 , 政務次官 , 委員等各関係法律 法律 正貝 の特別職 国会 議院事務局法等議院事務局等の職員定員定員規程 裁判所職員定員高裁長官 , 判事等は法定 裁判所 法等 会計検査院 会計検査院法事務総局の職員の定員検査院規則 人事院 国家公務員法 事務総長達 同上 国家公務員合計 地方公務員 地方自治法 注 : ( 1 ) 1985 年度算定員。 ( 2 ) 1984 年 4 月 1 日現在の数字。 総務庁資科による 〔表 2 〕行政機関別公務員数 行政機関 1985 年度行政機関 末の定員 内閣の機関 194 法務省 総理府 55 387 外務省 本府 609 大蔵省 公正取引委員会 432 文部省 国家公安委員会 8 140 厚生省 公害等調整委員会 40 農林水産省 宮内庁 1 129 通商産業省 総務庁 3 989 運輸省 北海道開発庁 9 114 郵政省 防衛庁 26 783 労働省 経済企画庁 505 建設省 科学技術庁 自治省 2 145 環境庁 903 沖縄開発庁 1 146 国上庁 自衛官 452 注 : 総務庁統計局「各省庁の現况」 ( 1985 年版 ) による 人口千人当り公務員数の国際比較 日本 行政職員 42 防衛 2 イギリス 345 937 フランス アメリカ 西ドイツ 1985 年度 末の定員 1985 年度 末の定員 4 9 911 3 883 75 865 136 416 74 633 72 935 12 672 37 679 313 127 24 968 26 487 544 884 701 492 425 8 347 政令 政令 18 651 一三ロ 272 162 法律 政令 19 341 106 9 = 現業 272 162 0 20 40 80 1 00 注 : 行政職員には , 国家公務員 , 地方公務員 , 政府企業職員を含む。 公務員数等は , 1983 年のものである。 「総務庁年次報告書」 1984 年版よリ 120 人 137 4 062 公共団体に勤務する職員であっても、健康保険して、職員の任用、給与、研修などの人事行政 法、職業安定法、道路運送法などの施行に関すの運営を科学的、合理的なものにしようという る事務に従事する都道府県の職員は、当分の のがねらいである。すなわち、まず、職務の種 間、なお官吏とされ ( 地方自治法附則八条 ) 、類の類似性を基準として、一般行政職、一般事 また都道府県警察の職員のうち警視正以上の階務職、警察職、大学教育職、守衛、電話交換手 級にある警察官は、一般職の国家公務員とされなどの職種に分類し、さらにその職務の複雑さ ている ( 警察法五六条一項 ) 。 と責任の度によって一級、二級などの職級に分 〔一般職と特別職〕国家公務員法は、国家公務類する。そして、そのように分類整理された同 員の職を一般職と特別職に分け、特別職につい 種同級の官職については、同一の資格要件を必 ては同法の規定を適用せず、一般職についてだ要とするものとして同一の試験を行い、また同 け適用することとしている。現在、特別職に 一の俸給表を適用するようにしようというので は、大臣、政務次官、大使、公使、裁判官、国ある ( 国家公務員法二九条 ) 。しかし、この職 会職員、自衛官、失業対策事業労務者などの職階制そのものは、現在、種々の事情から、まだ が指定されており、これらの特別職以外のいっ 完全には実施されていない。 さいの職が一般職である ( 国家公務員法二条 ) 。 〔任用〕職員の任用は、通常の場合は、採用、 〔職階制〕一般職に属するすべての職 ( 官職 ) 昇任、転任、配置換および降任のいずれか一つ を、その職務の種類および複雑さと責任の度に の方法で行われ、例外的に臨時的任用または併 応じて分類整理する制度である。これを基礎と任の方法で行われる ( 国家公務員法三五条・六 〇条、人事院規則八ー一 (I)O いすれの方法に -0 00 ワ】 1 人っ乙 ワ】ー L.O よる場合でも、情実を排して、能力本位の原則 により、受験成績、勤務成績、その他の能力の 実証に基づいて行われる ( 国家公務員法三三 条 ) 。とくに採用は、競争試験を原則とし、人 事院規則の定める受験資格を有するすべての国 民に対して平等の条件で公開される ( 国家公務 員法四六条 ) 。 〔権利・義務〕国家公務員の分限上の権利とし ては、まず、法律または人事院規則に定める事 由による場合でなければ、その意に反して、降 任、休職、免職されることはない権利を有する ( 国家公務員法七五条 ) 。そして、その意に反し て降給、降任、休職、免職その他不利益な処分 を受けた場合には、人事院に不服申立てをする ことができる。また、財産上の権利として、給 与、退職年金、退職手当、公務傷病に対する補 償、旅費の支給などの実費弁償、官舎や官服な どの実物の給貸与などを受ける権利を有する。 国家公務員の義務については、服務の根本基 準として、「すべて職員は、国民全体の奉仕者 として、公共の利益のために勤務し、且つ、職 務の遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念 しなければならない」 ( 国家公務員法九六条 ) とされているほか、具体的には、国家公務員法 、職務に専念する義務 ( 一〇一条 ) 、法令お よび上司の命令に従う義務 ( 九八条一項 ) 、秘 密を守る義務 ( 一〇〇条 ) 、信用失墜行為の禁 止 ( 九九条 ) などが規定されている。また、労 ( 議決 ) 24 525 各自治体の定数 条例

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イエリ、不ックらにより で、従来の国家補償の概念からははみだすもの ーヾノト、ケレヾ リックの秩序観や・ ~ ( - ンブズの政治学説にもみらの対象とする理論。したがって、なんらかの政 も であるが、国家補償の目的は、結局のところ国れる。しかしそれを系的国家学説として主張治組織を有する社会にはつねに国家論が存在し 「国家有機体説」「国家主権論」「国家法人説」 3 したのは、フランス阜命後の反動期に現れたド たことは、古代ギリシアの都市国家時代に、プなどが唱えられたが、これは、絶対君主論もと っ民の身体や財産に生じた被害を救済することに 帰着すると考えられるから、政策的・行政的救ィッの政治的ロマン王義が初めてであった。そラトンの『国家』、アリストテレスの『アテナれず、さりとて国民主権論もとれない、民主主 済措置としてのこれらの被害者救済制度も国家れは、フランス革命によって成立した近代民主イ人の国制』『政冶学』が現れたことからもわ義的に不徹底な当時のドイツの政治状況を反映 補償の問題と考えてよいというのが、最近の学制国家の原理たる眥蒙主義的な自然法思想の原かる。しかし、本格的な国家論が登場したのしたもので、ドイツにおいて国民主権主義が憲 説の傾向である。狭義の国家補償法における判子論的・機械論的な山家論に対抗して、中世のは、近代国家が生誕した一七、八世紀の市民革法において明記されるのは、第一次世界大戦後 例による救済拡大の傾向と相まって、国家補償封建的身分秩序原理を理念化した国家有機体説命期以後のことであろう。そして、この国家論 のワイマール共和国の出現までまたねばならな は社会保障的志向を示しているといってよいのを主張した。それによると、国家は部分が先に は、とくに、一九世紀後半以降、国家の変革・ 一方、日本では、天皇の神聖不可侵性に結 やまと かもしれない 〈池田政章〉あってそれから組み立てられたメカニズム ( 機革命・崩壊・消滅などを問題とする社会主義、び付いた神国日本の観念によって大和民族の優 国家目標こ。かもくひょう国家目標とは、械 ) ではなく、神から与えられた内在的目的をマルクス主義、アナキズムなどが登場するなか秀性と他民族支配の正当性が早くから説かれ、 国家が行動する際の一般的で持続的な目的をさ もったオルガニズム ( 有機体 ) であるとされで政治・経済学の中心テーマとなった。 また「家族国家観」と天皇主権主義を基調とす す。それは政策決定に影響をもつ人々の相互作 た。そして中世の身分秩序が人体の機能の差異 近代国家に関する最初の国家論は、ホップる明治憲法体制下においては、天皇や国家に対 用の所産として選択されてくるが、国家のカ、 によって説明され、ネ平等な人間関係が有機体ズ、ロック、ルソーなどの社会契約説にみられする忠誠義務が最優先され、個人の利益や自由 統治体制、他の国家に対する依存度といった多説によって正当化された。 る。ここでは、権力の基礎は国民の同意に基づは、国家目的のためには犠牲にされる、という くの要因から、国家を取り巻く自然的、地政学 一九世紀中葉 , をおいてドイツで市民革命が切 く、また国家や政府の設立の目的は国民の生考え方が一般化され、一九三〇年代以降、数々 的条件や歴史的条件まで多くのものに規定され迫し、そして一へ四八年にそれが失敗したの 命・自由・財産の保護にある、そして国家の機の侵略行為や戦争手段に訴え、敗戦という悲惨 るために、選択の範囲は無限ではない。ただち、自然法思想から導き出された人民主権論に 能については、経済における自由放任主義を前 な結果を招くことになった。 し、基本的な選択目標としては一般的に、領土対抗して国家有機体読が保守主義勢力によって提として、国家の役割は最小限の治安と国防に ところで、資本主義の急激な発展により周期 保全や安全保障といったものから、国民福祉の支持された。それは、当時飛躍的発展を遂げつあり、国民の経済活動には介入しないのをよし的に発生する恐慌やそれに伴う貧困・失業など 向上、文化価値の維持などがあげられよう。 つあった自然科学の権威を借りて国家を生物有とする「夜警国家観」がとられた。また国家との社会・労働問題が顕在化してくるなかで、資 これら国家目標は、追求・達成するうえでの機体との類推で説明し、君主主権を正当化し 社会、国家と個人の関係については、国家形成本主義国家においても一九世紀末ごろから、弱 時間の幅を設定することで、短・中・長期目標 た。その際、国家を生物有機体とみて生物学の以前の社会生活において人間が有していたとさ者救済のために国家は積極的に施策すべし、と として分類できるが、それはまた、より具体的知識をもって説明する「生物有機体説」や、される個人の自由や生命の安全を第一義的に重視 いう「福祉国家観」が登場した。数々の社会政 目標から、抽象的、あいまいなものへの移行をらにそのうえに人間の心理学の知識を付け加えすることが説かれ、悪法・悪政には抵抗し、場策、労働立法、また社会保障制度の拡充などが 表している。たとえば、日本においては、まずて説明する「心理学的有機体説」などの多様な合によっては政府や国家を変更・解体することそれである。さらに、一九二九年の世界大恐慌 現存する経済水準の維持や国民生活の向上など国家有機体説が展開された。前者の代表者がフもありうる、という国民主権的立場が強調され以後、経済の安定と成長を確保するために、各 が短期目標とされるならば、中期のそれには国ランツ ( 天一七ー九一 ) であり、後者の代表者が。フている。この意味で社会契約的国家論は、国民国家は、ケインズ理論の影響なども受けて、経 わゆる ルンチュリ ( 天一 9 ・・・ 家的脅威の減殺、市場・資源の確保、国際社会 <ll) であった。同時期にイ主権主義、基本的人権の尊重、法の支配を基調済の分野にも介入する度合いを強め、い における威信確保など、そして長期のそれにはギリスでは、社会を有機体との類推で説明するとする現代民主主義国家の理論モデルとなった「混合経済」といわれる新しい政治・経済状況 世界平和の確立といった目標が想定できよう。 スペンサーの社会有機体説も現れ、その権威をものといえよう。 が出現し、現代国家はほとんどこの「介入主 今日、日本の政策決定者たちによって主張され援用して、ドイツでは国家有機体説はビスマル これに対し、イギリスやフランスなどよりも義」によって政治・経済の運営を行っている。 ク体制を弁護するイデオロギーとして大きな影一、二世紀遅れて近代国家を形成したドイツやなお、マルクス主義の立場からは、こうした る目標には、国際政治・経済の安定化に、おも 響力をもった。 日本では、富国強兵策がとられ、それとの関連「混合経済」を「国家独占資本主義」としてと に日本が保持する経済力を通して貢献するとい ったことがあるが、その目標は短・中・長期の すべての保守主義政治思想の核心に普遍的にで、国家の個人に対する優位、また国家の利益らえ、国家権力の拡大化による資本主義の延命 各目標と密接なかかわりをもっており、その意みられる国家有機体説は、部分より先に有機体のためには個人の自由や利益は制限されてもや策と搾取の強化であると批判している。 という全体があって、部分はこの全体に奉仕すむなし、とする国家観が説かれた。すなわち、 さて、二〇世紀に入って、とくに第一次大戦 味でも、明確な時間的枠を設定するのはむずか しし。かりにそれが可能であっても、短期目標るものとして位置づける理論構成をとっておドイツでは、国家生活において人間は最高度の後、イタリア、ドイツ、日本に新しいファシズ 自由を享受できるとするヘーゲルの国家観が支ム運動が起こり、一九三〇年代にはファシズム の追求が中・長期のそれを妨げることもあり、 り、団体主義の国家論の一種である。 わが国では明治初期に。フルンチュリの国家有配的地位を占め、また歴史の各時代には「世界国家が成立し、また一九一七年にはロシアに世 首尾一貫した目標の設定はむずかしいといえ ひろゆき はんろん る。 〈青木一能〉 機体説が加藤弘之訳『国法汎論』 (IQII) によ精神」を実現する民族が出現し、それがゲルマ界史上初めて社会主義国家が誕生した。イタリ って紹介され、それは明治国家の保守主義国家ン民族であるというへーゲルの歴史観は、ドイア、ドイツなどのファシズム国家は、初めは大 国家有機体説こっかゆうきたいせつ organ ・ みぞう 〈安世舟〉 論の基礎となった。 ッ民族は他民族を支配する権利をもっという理戦後の末曽有の経済的危機を乗り切るために、 ismic theory Of the state 凵ギ die orga ・ れんぼう こっかれんごう 0 連邦 論となり、またこのゲルマン民族の優秀性とい 世界大恐慌後には、経済的発展と資源の獲得を nische Staatstheorie り・国家を一種の有機国家連合 う考え方は、のちにナチス第三帝国による世界求めて植民地再分割を目ざす戦争を準備するた 体とみる国家学説。国家ないし社会を生物有機国家論こ。かろん国家の本質・起源・目 体との類推において説明することはすでにプラ的・機能、国家の変革・崩壊・消滅、国家と社支配の理論的根拠となる。ところで、ドイツでめに、全国民を国家目的の遂行に動員すべく、 いっさいの人権と自由を抑圧し、政治に経済を 会あるいは国家と個人の関係などを主たる考察も一九世紀末に立憲君主制の時代になると、ラ トンの国家論に現れており、その後、中世カト

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治課題の実現に向て、大規模に民衆を組織し は当然に、個人の自由や人権は著しく制限さているといえなくもない。また、先進諸国にお 2 し選挙法の実施などがあげられる。政治的実践の 〈西田毅〉れ、また労働組合、農民組合、社会主義諸政 いても、核兵器の開発や車拡競争の激化などに 実例としては、たとえばビスマルクが社会主義動員する勢力にはならなかった。 ふっしよく こっか . ) ゅぎ statism イギétatis ・党、その他の反政府団体などの社会・政治運動より、国家主義的風潮がまったく払拭された っ勢力に対抗する必要上、・・・ワーグナ国家主義 とはいえない状況にある。↓超国家主義↓ナ ーや・・シュモラーら講壇社会主義者の見 me 国家は個・、や国家内のあらゆる社会集は厳しく弾圧された。したがって、日本では、 〈田中浩〉 解を取り入れて、傷病、養老保険などの社会政策団よりも絶対的に第位する、と主張する政治思天皇を国の家長に見立て、家長の権力は絶対でショナリズム↓ファシズム あらひとがみ 回丸山真男著『現代政治の思想と行動』 ( 一九 の実施を図ったり、第一次世界大戦後の資本主 あるという家族国家観や天皇を現人神として神 想。一九世紀以降 , トイツ ( プロシア ) 、戦前 五六・末来社 ) ▽小松茂夫・田中浩編『日本 義の危機に直面して、ナチズムやムッソリーニ の日本、二〇世紀 , ノアシズム国家などに典型聖不可侵の存在とする政治思想が説かれた。そ して、このような思想は、忠孝と国家への忠誠 の国家思想』上下 ( 一久 0 ・青木書店 ) ▽カ のファシズムが国家社会主義的な考えを標榜的にみられた思想 ール・シュミット著、田中浩・原田武雄訳 したことがある。ただファシズムの場合、古典 国家を至高のもと位置づける思想は、一六を第一義的に重要視する国家主義思想として機 ヒヒし、さらに満州事変以後、いわゆる十五年戦 的な西欧の市民的自由や議会主義の政治原理に世紀から一八世紀にかけての絶対主義国家の時育 『政治的なものの概念』 ( 一九七一・末来社 ) こっかしゆけんせつ包括的統一 対する徹底した否定の姿勢があり、その点一九代にまず登場した。すなわち、この時期、各国争時代に入ると、国家主義は極端な軍国主義と国家主権説 結び付き、天皇がアジアはもとより全世界を統的国権 ( 主権 ) が法人たる国家に帰属するとい 君主は、一方では、凵ーマ法王の支配を排除し 世紀の国家社会主義との明確な違いがある。 はっこういち う学説。主権主体を具体的な人間以外のものと 日本では国家社会主義の鼻祖として、大正・ て主権国家・民族第家の独立を目ざし、また一治するのをよしとする「八紘一 ( 為 ) 宇」とい たかばたけもとゆき うような超国家主義となり、それは、他民族やすることによって、主権論の本来的な問題を回 昭和初期に活躍した高畠素之の名がよくあげ方では、身分制議・一 , 教会、ギルドなどの社会 られるが、国家社会主義思想の紹介としては、集団よりも国家が位すると主張して国家統合他国家の侵略を正当化する思想となった。ま避しようとするもの。↓国家法人説 こっかしんとう神道の一形態で、 すでに早く明治三〇年代前半に行われている。 を企図した。この・ , 一め、大陸の君主国家では、 た、ドイツでは、イギリスやフランスのような国家神道 、神から直近代国家の形成を目ざし、ヘーゲルが国家の個近代天皇制国家が政策的につくりだした事実上 一八九八年 ( 明治三一 ) 、民友社系の思想家竹君主はローマ法下、 , ・通じてではなく さんイ一 の国家宗教。神社神道を一元的に再編成し、皇 越三叉が主宰する雑誌『世界之日本』に「国家接にその権力を授・ . ・ , され、したがって、臣民が人に対する優位性を説き、それは、国民主権論 や人民主権論を抑えるための国家有機体説、国室神道と結び付けた祭祀中心の宗教である。王 社会主義」なる一文があり、「生活の自由を要君主に反抗するこ、 ) は、神に反抗するに等しい 八六八年 ( 明治 す」る「第三級の人民」 ( 「下等の人民」 ) の登という王権神授説 ( 神権説 ) が支配的な政治思家主権論、国家法人説などの思想的根拠となっ政復古を実現した新政府は、一 じんぎ た。そしてこの考え方は、ナチスの時代には国家一 ) 祭政一致、神祇官再興を布告して神道の国 場に注目しつつ、国家社会主義とは「国家の権想となった。また、国家の生存・強化という目 力によりて社会主義を実行する者」と定義し的のためには、権力は法・道徳・宗教に優位しの絶対的優位を説く全体主義思想にまで高めら教化を進め、神仏判然令で神社から仏教的要素 なければならない、 という国家理性 ( レーゾれ、ゲルマン民族の優越性を強調する極端な民を除去して、全神社を政府の直接の支配下に置 て、「大資本家と小資本家間の競争、資本家と いた。七一年、政府は全神社を国家の宗祀と 職工の衝突、地主と小作人との抗争を政府の権ン・デタ ) の考え方も、君権の絶対性の根拠と族主義と結び付き、世界支配を目ざす二度にわ し、社格を制定して、神社の公的地位を確立し しかしイギリスでは、市民革たる世界大戦の思想的要因となったのである。 力によりて調停し、社会の圧力が弱者を圧殺すして用いられた。 あまてらすおおみかみまっ このように国家主義は、自由主義、個人主義た。皇室の祖先神天照大神を祀る神宮 ( 伊勢 るを救はんとするもの也」と述べている。そし命によって、君主にかわり議会が最高機関の地 ほんそう とはまったく相いれないものであり、また国家神宮 ) は、全神社の本宗と定められた。八二 王権神授説に基づく絶対 て政治的改革を中心課題とする平民主義の勢力位を確立したために、 は階級支配の道具であるから、社会主義社会の年、祭祀と宗教の分離が行われ、国家神道は、 によっては解決しえない大資本の圧力、「金権君主論は消失した。このような権力の交替は、 非宗教、超宗教の国家祭祀とされた。 政治、富豪政治」の弊害の除去を国家社会主義国家や政府の権力は政治社会Ⅱ国家を構成する完成形態である共産主義社会が出現すれば国家 明治中期には、教派神道、仏教、キリスト教 に期待している。また同じ民友社の歴史家山路人々の同意や契約に基づくものである ( ホップは死滅すると説く、共産主義とはまっこうから あいざん の三教が、国家神道に従属する事実上の公認宗 対立するものであった。さらに、一九二〇、三 愛山らの国家社会党の結成 ( 一九 0 五 ) にもその先ズ、ロック ) 、政治社会においては立法部Ⅱ議 バーなどを教となり、国家神道体制が成立した。一八八九 会が最高機関である ( ロック ) 、悪い政府や議〇年代にラスキ、コール、マッキー 駆をみることができる。 しかし、国家社会主義が一つの流行現象を形会は変更してもよい ( ロック ) という新しい政中心に多元的国家論が登場し、国家は社会の一年大日本帝国憲法が制定され、その第二八条は つであり、国家が国家であるという理由で、個「信教ノ自由」を定めたが、それは、国家神道 治理論 ( 社会契約説 ) を生み出した。そして、 づくったのは昭和初期のことである。当時、社 社会契約説は、続くアメリカ独立宣言、フラン人や社会集団に無条件的な服従を要求することの枠内での宗教活動の容認にすぎなかった。天 会主義から国家主義への転向現象が多く発生し あらひとがみ かつまろ はできず、国民の国家に対する忠誠度は、国家皇は神聖不可侵の現人神とされ、国家神道の最 たことも手伝って、社会民衆党の赤松克麿や全ス人権宣言にも受け継がれ、ここに、個人の自 まったに 国労農大衆党の松谷与二郎らがそれぞれ脱党し由や人権尊重を基調とする民主政治や民主的諸が国民に何をしてくれたかによって判断される高祭司として祭祀大権を保持する存在となっ べきであると説いたのは、極端な国家主義とし た。翌年出された「教育勅語」は、国民に天皇 て、日本国家社会党を結成 ( 一九三一 I) し国家社会制度が確立された。これらの国々においては、 ての全体主義の台頭を抑制しようという実践的制国家への忠誠を命じるとともに祖先崇拝を強 これ以後、国家が個人に絶対的に優位するとい 主義を主張した。なお、国家社会主義の立場に 調し、国家神道の事実上の教典となった。また 共鳴する人々にはほかに、石川準十郎、近藤栄う国家主義は支配思想となることはなく、市民課題にこたえたものであったといえよう。 ごしんえい きたいっき きみお 国家主義は、ファシズム諸国家の敗北によっ各学校へ配布された天皇・皇后の「御真影」 蔵、林癸末夫らがある。そして高畠から北一輝的自由に基づく民卞政治が発展するのである。 は、国家神道の事実上の聖像として礼拝の対象 ところで、イギリス、アメリカ、フランスなていちおうはこの地上から消滅した。しかし、 の『日本改造法案大綱』に至る国家社会主義理 となった。一九〇〇年 ( 明治三三 ) 内務省に神 どの先進諸国に後れて近代国家となった日本や現代世界においても、経済的自立化に成功でき 論は、純正日本主義 ( 皇道主義 ) と並んで戦前 ドイツのような国【、においては、先進諸国に追ず、そのために政治的に不安定な多くの発展途社局が設置され、神社行政と宗教行政が分離さ の日本ファシズム運動の理論的基礎として機能 。しまだに軍事政権や独裁政権などにれた。 い付き、それらをにい越すために富国強兵策が上国でま、、 したのである。このように、昭和初期のわが国 よる国家主導型の政治運営がなされているが、 明治後期には、皇室祭祀を基準として神社祭 とられ、それを弁読する国家の優位性を説く思 において社会主義陣営からの転向組が中心にな って国家社会主義が唱えられたのであるが、政想が登場する。こ , 》した政治・思想状况の下でこれらの国々では形を変えた国家主義が存続し式が定められ、神官神職は待遇官吏として公的 ひょ、つばう やまじ

7. 日本大百科全書 9

直接の起源を一九世紀中葉のイギリスに求めるナダや西ドイツのま , ン に国樹のみの国もある。 〔国家とは〕国家成立の要件としては、普通に実に執行し ( 行政部 ) 、国家内におけるすべて硯 チリのツバキカブ ) 、エルサルバドルのユッ は、それが、領土、人民 ( 国民 ) 、主権の三要の紛争について法律を正しく解釈・適用して解 3 っ説がある。その時代の花好きの人たちが、紋 一」章、勲章、貨幣などに標章 emblem として用カ・エレファンティ - ス、南アフリカ共和国の素を具備していなければならないことがあげら決し ( 司法部 ) 、それによ 0 て人々の平和と安 いられた花、あるいは伝説や文学などで広く知ギンヨウジュ、オ 1 ・ - ストラリアのアカシア・ピれる。 全を維持すること、つまり政治の隅々にまでわ ーランドのギンシダなど られた花から国を代表する花を選び出して国花クナンサ、一一ユー いかなる国家も、境界線 ( 国境 ) によってくぎたって「法の支配」を貫徹することにある、と とよんだという。イングランドでは王室の紋章は、それそれの国「しか産しない固有の種を国られた一定の地域・領域をもっている。アメリ しえよう。こうして国民が主権のもとに結集し た目的が達成されるのである。 であるバラ、ドイツではドイツ皇帝の花 ( カイ花 ( 国樹 ) としてし シダ植物であるギンシカ合衆国、ソ連、中国、カナダ、オーストラリ 第三に、以上のような民主的な権力行使が実 ザーの花 ) とよばれたヤグルマギク、フランスダを国花とした国 ( 〔 ( まのところニュージー一フア、インドのような広大な領土をもつ国もあれ ではルイ王朝の紋章であったマドンナリリーな ンドだけである。岬 , - 植物にはレバノンの国樹ば、スリランカ、モナコ、シンガポール、トリ 現されるという条件の下で、各種の政治機関 どがこれにあたる。 レバノンスギがある。 ニダード・トパゴのような小規模な国もある。 は、彼らが決定したことを遵守するように国民 国花の起源がいずれであるにしろ、国花には 日本には法律で定められた国花はないが、一また、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリ に強制できる権限を付与されているのであっ 王家の象徴や紋章、伝説、宗教、産業などに由般には皇室の紋章てあるキク、あるいはサクラ ア、スイス、日本などのような中規模程度の国て、これによって、国家権力による強制は絶対 来するものが多い。王室の紋章に由来するものが国花とみなされる。なお、キクを国花、サク もある。いずれにせよ、地球全体は境界を接し君主や独裁者のような単なる暴力ではなくて平 としては、前に言したイングランドのバラなど 〈大場秀章〉た多数の国々によって埋め尽くされている。 和的な「法の支配」に変えられるのである。 ラを国樹とみる提案もある。 こっか state Staat Etat 冖 ところで、国家には、国内の平和と安全を保 次に、国家は人民 ( 国民 ) によって構成され のほかに、日本のキクがある。王室の紋章に由国家 来する国花のなかには、国政の変化によって種国家とは、一定の地域内に住む人間集団が、生ている。何億人という人口を擁する国もあれ持するという重要な役割のほかに、もう一つ外 ば、わずか数万人、数十万人の人口しかもたな敵から国民を守るという役割がある。国家が、 類が変わった例もある。前述のヤグルマギクや命の安全と生活の保障を求めて形成した政治組 い国、あるいは数百万、数千万人といった両者主権の独立性や不可侵の原則を高く掲げて他国 マドンナリリーは、現在のドイツ、フランスで織をもっ共同社会てある。 は国花とはみなされていない。伝説。 こ由来する からの干渉を排除し、そのために軍隊のような 現在、この地球上には一七〇か国以上の国家の中間規模の人口からなる国もある。また、こ と考えられる国花としては、スコットランドのが共存している。これらの国々のうち、第二次れらの国々のうちには、人口の大半が一民族で権力手段をもっことが国家に認められているの 国難を救ったとされるオオヒレアザミの例が有世界大戦前からすでに独立国家であった国々の構成されている単一民族国家もあれば、数種はそのためである。したがって、近代国家形成 名である。デンマーク軍がスコットランドを夜大半は資本主義体制をとる国家である。これに類、数十種類以上の民族や人種によって構成さ時に登場した主権という考え方のなかには、国 襲したときに、オオヒレアザミの刺を踏み付け対抗して、第二次大戦後、ソ連に続いて、十数れている多民族国家もある。後者のような国々民主権、法の支配、外敵の排除などの内容が含 か国以上にのばる社会主義国家が出現した。こでは、当然に一一一一口語・宗教・風俗などにさまざま まれていたことに注意すべきである。近代国家 て悲鳴をあげたために夜襲に失敗したという伝 論の祖ホッ。フズが、国家を身体になぞらえて、 説はいまも残されている。インドやスリランカれらの国々は、今日では領土にして世界の四分な差異がみられ、それなりに困難な問題を抱え コモンウエルス のハス、ならびにイスラム教国イラク、サウジ の一以上、人口にして三分の一以上を占めるほている。しかし、たとえ多民族国家であって主権を国家における頭部・魂と位置づけたの アラビア、モロッコのバラは、宗教に由来するどの勢力圏を形成している。また戦後から現在も、その地域共同体に住む人々は統合されておはこうした意味からである。いずれにせよ、領 土、人民、主権の三要素のうちどれ一つを欠い 国花の例にあたる。アイルランドでは記章に用に至るまでに、主としてアジア、アフリカの諸り、一つのまとまりを保持している。 そして、そのような一定のまとまりを人々にても、ある共同社会を国家とよぶことはできな いたシロツメクサが国花になっているが、これ地域において、かって西欧列強の植民地支配下 さんみ いのである。 よ、聖ヾ にあった多数の民族が独立を達成し、これらの保障しているのが、すべての国家にあるとされ ノトリックがキリスト教の三位一体の説 〔国家の成立〕では、主権という考え方を国家 国々はいまや一〇 C ) か国近くに上り、国際連合る主権、すなわち国の政治を最終的に決定する 明に用いたという伝承に由来する。 このほか、占領地や植民地から独立する際にや国際政治のなかでしだいにその発言権を増大最高権力である。現代国家においては、この主構成の中核原理とする主権国家、民族国家など とよばれる近代国家はいつごろ形成されたので させつつある。 権は国民がもっとされている ( 国民主権 ) 。こ 制定されたり、選定された国花がある。インド では、国家とはいっ たい何なのか。現在みらのことは次の三つのことを意味する。まず第一あろうか。われわれはその時期を一七世紀中葉 ではイギリス領であった当時はケシが国花とさ に国民は安全で快適な生活ができるように最高のイギリス市民革命期に求めることができる。 れたが、独立後はハスが国花とみなされているれるような国家という政治社会や政治形態はい し、マレーシアもイギリスから独立する際に国つごろ成立したのか。そもそも近代国家が成立権力Ⅱ主権の存在を認めることに同意し、それこの時期に形成された国民国家こそ、今日の したとき、その国家構成の原理や政治運営のル によって政治社会ⅱ国家を設立したのであるかあらゆる現代国家のモデルとなったものであ 民投票で候補を選び、大統領がハイビスカスに ール・原則はどのようなものとして考えられてら、国民は自ら進んでこの主権のもとに統合さる。もちろん、それ以前にも、エジプトや中国 決定した。 いたのか。現代の国際社会には、なにゆえ、資れるべきである。第二に、各国に存在する議 における古代国家、ギリシアの都市国家、ロー 産業と結び付いた国花 ( 国樹 ) も多い。代表的 プ本主義国家や社会主義国家とよばれるような、 会、内閣 ( 政府 ) 、裁判所などの各種の政治機マ帝国、中世封建国家、絶対主義国家のような なものにオランダやベルギーのチューリッ、 イエメン・アラ。フ共和国とエチオピアのアラビ経済制度も政治制度もきわめて異なる二つのタ関は、主権を形成した主権者である国民にかわ政治共同体が存在していたことをわれわれは知 って、その委託を受けて最高権力を国民の安全っている。しかし、これらの国家はいずれも今 アコーヒー、カンポジアとタイのイネ、サウジイプの国家が共存するようになったのか。第二 と利益のために行使する政治制度であると考え日の近代民主主義国家に値するような条件を欠 アラビアのナツメヤシ、ドミニカ共和国のマホ次大戦後、多数の新興独立国家が出現したこと いていた。アテネの都市国家はしばしば政治共 によって大きく変化した国際政治の舞台におい られるべきである。国家がしばしば統治構造と ガニー リべリアのコショウなどである。カナ へんほう ダのサトウカエデ、西ドイツのオウシュウナラて国家の性格はどのような変貌をみせ、国家の同一視される理由はここにあるが、ともあれ、同体の理想として賞賛されてきた。確かに、ギ リシア民主政の最盛期におけるアテネでは、そ もこの例に入るであろう。このように、国によ将来については今後とのような展開が予想され国家の役割は、国民の権利や自由を保障できる ような法律を制定し ( 立法部 ) 、その法律を誠こに住む市民たちは、個人の利益とポリス ( 国 っては国花のほかに国樹を置く場合もあり、カるのであろうか ジ

8. 日本大百科全書 9

つかほ る」 ( 四〇条 ) という憲法の規定に基づいて、 満の立場は、歌は「天下の政務に益なく、また衆が支配的な政治勢力の一つとなることが予見侵害した場合の損失の補償とに分けられるが、 たす がんか 刑事補償法 ( 一九五 0 ) が定められている。無罪の 日用常行にも資くる所なし」という翫歌論のそされた段階で、プルジョアジーを担い手として前者が国家賠償 ( 憲法一七条 ) であり、後者が れであった。歌風は新古今風をよしとした。宗 判決確定によって、被疑者・被告人に対するそ 登場した立憲君主制のイデオロギーである。こ 公法上の損失補償 ( 憲法二九条三項 ) である。 みのべたっきち 武は文芸を教学とみなし、万葉調の歌を好んだれはわが国では、戦前、美濃部達吉の天皇機関さらに、生じた結果に対して国が責任をとるとれまでの人身の拘束が結果的に違法になるの ため、根本から在満と対立した。 〈萱沼紀子〉説として知られた。それは、一方で、君主が統 いう考え方のもとに、犯罪 ( 容疑 ) 者として抑で、その結果責任を国がとろうという趣旨であ 回重松信弘著『近世国学の文学研究』 ( 一九七四・ 治権の所有者として統治権を総攬する絶対王制留または拘禁された者が、のちに無罪の裁判をる。不起訴となった場合は、刑事補償の対象と 風間書房 ) を阻止すると同時に、国民 ( 人民 ) を統治権の受けた場合に、国が補償する刑事補償 ( 憲法四はならないが、補償の必要があるので、そのた こっかひじようじたいせん め「被疑者補償規程」が定められ、刑事補償の 所有者とする民衆の意思による政治の実現を阻〇条 ) がある。 国家非常事態宣言 なんびと げん戦争・内乱・特別の災害などに際し、社むものであった。 ①国家賠償日本国憲法は「何人も、公務員の場合、一日一〇〇〇円以上七二〇〇円以下の割 きたい ひん 会の公安・秩序が危殆に瀕するときに発せられ 現在の学界の大勢は、あるいは国家法人説の不法行為により、損害を受けたときは、法律の合で補償金が交付される。刑事手続上、担当公 る宣一一 = ロ。日本では、一九四七年 ( 昭和一一一 D 制歴史的役割の終了を宣言し、あるいは国家法人定めるところにより、国又は公共団体に、その務員に故意・過失があれば、別に国家賠償を求め 定の旧警察法に、治安上非常事態が生じたと説においても、国家の統治意思の内容をだれが賠償を求めることができる」 ( 一七条 ) と規定ることもできる ( 刑事補償法五条 ) 。↓刑事補償 し、これを受けて国家賠償法が制定されている 〔広義の国家補償〕現代における国家活動は、 き、国家公安委員会の勧告に基づいて、内閣総最終的に決めるかという問題が残るとして、こ 理大臣が国家非常事態の布告を発するとされての学説に批判的である。しかし、国家法人説が ( 一九四七 ) 。この法律によれば、憲法が定めた場かってと異なり国民のさまざまな生活領域につ いて行われ、それだけ国民の権利・利益に影響 いた。現行法では緊急事態とよんでいる。↓緊国家の統一性を説明することに優れ、憲法学上合、つまり「公権力の行使に当る公務員が、そ 急事態 〈池田政章〉の思考に影響を及ばしていることは否めない。 の職務を行うについて、故意又は過失によってを与えることが少なくない。そのため、この三 違法に他人に損害を加えたとき」 ( 一条 ) に限種類の国家補償制度では、国家活動によって生 こっかほうじんせつ juristische 近年、フランスの主権理論の立場から国家概念 国家法人説 らず、「道路、河川その他の公の営造物の設置じたすべての偶然の損失について、国民に対し 一九世紀後半のドイツ国法を規定し、国家法人説を克服しようとする動き Staatsperson がある。 〈竹内康江〉又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生填補しえないという状態が生ずる。たとえば、 学が樹立した国家の法概念。アルプレヒトによ 一フー って創始され、ゲルバー バントを経て、国家補償こっかほしよう一般に、国がそのじたとき」 ( 二条一項 ) も、国・公共団体は損公共事業の施行に伴って生する事業損失のよう イエリネックによって完成された。国家は、一活動によって国民に対し生じた損失を補償する害賠償責任をとることになっている。第二条のな間接的な損失は填補されない。そこで、国の 定の領土を基礎とし、固有の統治権をもち、国民こと。国がどの程度もしくは範囲まで責任を感場合はいわゆる無過失責任を定めている。第一活動によって、結果的に損失が生じたとか、あ るいは相手方を危険な状態に置いたことによっ を包括する団体と定義される。国家はその成員じて補償するのかによって、国家補償の概念に 条、第二条いずれの場合についても、裁判所は、 の個々の意思とは別に統一体として独自の目的も広狭がみられるが、近年は、国家活動により規定の意味を広くもしくは緩く解釈して、被害て生じた場合に、国が結果責任・危険責任をと をもち、機関を通じて活動する。国家は国民の直接に生じた損失のみならず、間接的な損失者を救済するという方向の判決をすることが多るという形で補償がなされる場合がある。この 人格化ではなく、国家それ自体が一つの人格、や、相手方を危険な状態に置いたことに伴ってくなっている。たとえば、第二条の例をとれば、場合については、個別的に法律が規定するか、 法人である。すなわち国家人格は、国家の個々責任をとる補償など、広がる傾向にあり、さら不可抗力と思われる場合は別にして ( 台風によ行政措置として補償の範囲を広げるという形で 行われ、たとえば、文化庁長官の命令・勧告に の成員のみならず、その分割されない総体の外に広く、政策的・行政的な見地から、国民に被る被害など ) 、人災と思われる部分のある損害 よって文化財を修理・公開したことによって生 に存在することになる。国家を統治権の主体で害が生じたとき、国に責任がなくとも、その救の発生については国家賠償を認める例が多い 済のために国が行う金銭給付まで含めていう場 損失補償憲法上の根拠規定として「私有財じた損害を国が補償する ( 文化財保護法四一 あるとするため、国家主権説ともよばれる。 産は、正当な補償の下に、これを公共のために条・五二条 ) とか、公務災害補償を定める ( 国 国家法人説は国民の人格を否定し、国家の人合がある。 〔狭義の国家補償〕かっては「国家無責任の原用ひることができる」 ( 二九条三項 ) と定めら家公務員災害補償法、地方公務員災害補償法 ) 格のみを主張したところに特質がある。これは などの例がある。 則」などといわれて、国の活動による損害につれている。損失補償の問題は、財産権の保障と 二つの効果を生んだ。第一に、国家を国民と対 これらは、国の活動に起因する損失であるこ 向するものとしたため、国民の国政への参加は いて国は責任を問われないという考え方が支配表裏の関係にたち、したがって公共のために私 概念必然性の問題ではなく、単なる合目的性のし、わが国でも明治憲法時代ではこの考え方に有財産に対して特別の犠牲を強いるときは、公と、その損失を被害者に負担させることは適当 問題にすぎないとされた。第二に、国家とりわよっていた。しかし、国の活動によって国民が平負担の見地から、犠牲に伴う損失に対し補償でないことの二点より、国が責任をとって補償 け立法権は国民全体の福祉という理念から拘束損失を被り、それが本人の責任に基づかない場されるのである。「正当な補償」とはどの程度するという例であるが、結果責任・危険責任と てんば いう形で類型的な法体系があるわけではない。 合には、国がその損失を填補すべきことは、社をいうのか、判例上は「合理的に算出された相 されず、その全能が主張されることになった。 これに加えて、近年は、損害の発生について国 ただし、第一点については、国家が逆に国民の会的正義や公平の原則からいって当然の要請だ当な額」といわれているが、実務上は「完全な 権利領域に介入するときは法律に基づかなけれという考え方がとられるようになって、現行憲補償」が保障されている。収用のための一般手には原因がなく、したがって、その填補につい 法でもこの考え方に従った国家補償制度が設け続法として土地収用法が定められている。しかて義務を負う必要のない場合でも、現実に被害 ばならないということが帰結し、第二点につい られた。その場合、損失発生の原因なり態様が し、この法律によって強制買収をするという実者がいて損害が填補されえないときには、国が ては、立法権による他の国家作用の拘束という ことが帰結するため、国民個々に一定の保障を異なるにしたがって、損失を填補する理由や方例は少なく、ほとんど話し合いによる任意買収被害者の救済のために金銭を給付するという立 法の定立が目だっている。たとえば、公害健康 法も異なり、この違いに応じて、憲法上、三種の方法がとられている。↓正当な補償 与えるものであった。 ③刑事補償「何人も、抑留又は拘禁された後、被害補償法、医薬品副作用被害救済基金法、犯 しわゆる「上からの」近代化類の国家補償制度が区別され定められている。 国家法人説は、、 が推進された後発資本主義国ドイツの君主主権それはます、違法な国家活動によって生じた損無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるとこ罪被害者等給付金支給法などの例である。これ らの制度は社会保障的考え方を基盤としたもの 3 AJ の憲法下において、労働者階級を中心とする民害の賠償と、適法な国家活動によって財産権をろにより、国にその補償を求めることができ そうらん

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へいたん 障する法と制度を整備することにより、成員全満を抱くようになっ ) 。彼の目には、財産資格〔国家の役割の変化〕さて、一七、八世紀の市も共産主義社会へ到達する道は平坦ではない。 他方、先進資本主義国家でも、社会主義の批 3 に基づく成年男子の」 = 〕分の一によって選出され民革命期に構想された初期国民国家の役割は、 っ体の平和と快適な生活を増進する政治共同体と 判に対応して、一九世紀中ごろより、少数者支 して創出されたものである。そして、ホッブズるイギリス下院は真に民主的なものとは映らな個人の自由・自立を基調とした経済活動の保障 の政治論は、この二つの仮説を論理化したものかった。また私有制を基本とするイギリスを主眼とし、そのためには、国家や政府の仕事配、貧困、失業、劣悪な労働条件などの政治 であると考えられ、それゆえに彼の政治理論は市民社会に貧富の薹 ( 、、さまざまな社会的・経済は、外敵を防ぎ治安の維持を図る最小限に限定的・経済的・社会的不平等を改善する努力が漸 近代政治思想史上決定的に重要な位置を占める的不平等が数多く有在していることも見抜いてされることがよしとされ、ここに「夜警国家」進的ではあるが試みられることになる。それ ものとい一んよ , つ。 いた。彼は『人間丁十等起源論』 ( 一七五五 ) におや「最小の政治は最良の政治」という思想が生は、一つには、選挙権の拡大によって国民の政 まれた。しかし、一八世紀末ごろからしだいに治参加への幅を広げ、一つには、社会福祉や社 さて、ホッブズの政治思想をさらに現実政治 いて、自然状態では人間は自由・平等であった 一先進諸国に産業革命が起こり、資本主義が急速会保障の拡充、各種の労働立法による労働者の のなかで具体化し、議会制民主主義を保障すること、しかし、やがて、私有財産制や、ごく 政治形態を構築したのが、名誉革命の父ロック握りの少数者が多数者を組織して生産させる方に発達し周期的に恐慌が発生すると、貧富の差地位改善と生活保障などの方向をとった。そし の増大、失業、劣悪な労働条件などの社会・労て、こうした施策を実現するとなると、いきお である。ホッブズは、当時の議会は特殊利益を式が確立してくる文明社会に入って人間の間に い政府や行政官庁の職務は増大せざるをえず、 代表しているとみて、よりいっそう国民的な利不平等が発生したこと、また当時の絶対君主働問題をめぐって国内矛盾が一挙に顕在化す 益を代表できるなんらか別の政治形態の設立を制、法律制度、政治組織などのいっさいが結び付る。ここで国家は、国内治安の維持、経済の発今日みられるような行政機構の著しい肥大化を いて人民を塗炭の苦しみに陥れていることを鋭展と安定を確保するためにも、対外的な経済競招き、そのため、国家は、従来のような議会を 考えていたようであるが、それが何であるかに ついては述べることはなく、結局、政治のあるく 指摘している。そして自然法は人間不平等を争に打ち勝っためにも、国家権力の拡大強化を中心とする立法国家から、政府を中心とする行 べき原理を提示したままにとどまった。これに是認しないとして、このような矛盾した事態を図らざるをえなくなる。そして国家は、不満を政国家へとその性格を変え、こうした国家は今 対し、ロックは、迷うことなくイギリス議会を解決するためには、これまでのいっさいの制度募らせた国民が反政府行動に出るのを過酷に弾日では「福祉国家」とよばれている。また、第 イギリス政治の中心に据えた。彼もまたホップを破壊すること、その際には暴力に対しては暴圧するとともに、他国に対しては、戦争や侵略一次世界大戦後の一九二〇、三〇年代に起こっ ナンヨナル・インタレスト 行為に訴えて国家利益を守ろうとする軍国た数次にわたる経済恐慌、とくに一九二九年に ズ流に、自然状態、自然権、自然法、契約など力で対抗する革命が必要であると述べている。 始まる世界大恐慌によって主要な資本主義国家 この不平等是正の問題こそ一九世紀中葉以降主義的・帝国主義的態度に出る。 の用語を使いながら、人間はその所有権 ( 生 こうした経済的・社会的矛盾に基づく国家権における経済が危機状況に陥ったのちには、各 の各国家における最重要なテーマとなるもので 命・自由・財産 ) を保護する必要から契約を結 あって、この意味て私有財産制の否定と暴力革力の抑圧的・侵略的態度をみて、それに反対す国はケインズなどの理論に従って従来の自由主 び、政治社会をつくった、と述べる。 次にロックは、政治社会のなかでもっとも重命論を唱えたルソーは、社会契約論の大成者でるマルクスやエンゲルスなどの社会主義理論が義経済を修正して、国家や政府が経済活動に多 要なものは立法機関であるとし、それによってあるとともに、一九世紀の出発点にたっ思想家登場し、抑圧された多数の労働者階級の心をと面的に干渉する方向が強まった。このため、今 日の経済は「混合経済」とか「国家独占資本主 当時のイギリス議会を国権の最高機関として位でもあったといえよう。しかし、ルソーは、そらえる。社会主義は、ルソー流に私有財産制と 置づけ、さらにこの議会権力は国王権力 ( 行政のような革命がただちに起こるのは不可能であ資本主義的生産の仕組みにすべての矛盾の根源義」とかよばれ、かって理想とされた政治と経 があるとみて、この体制を打倒するには、無産済の分業を基礎にする最小の政治は、現在では 権 ) よりも優位すると述べた。こうしてロックることを知っていたから、続く『社会契約論』 は、今日の議会制民主主義あるいは後の議院内 ( 一七六 = ) においては、国民の政治意識を変革すの、搾取され続けているプロレタリアートによ政治と経済の統合化による強い政治へとその性 る作業を目ざし、個人の利益と公共の利益を同る暴力革命以外にはない、と主張する。この思格を変えつつある、といってよいだろう。 閣制の政治原理のモデルを創出したのである。 シトワイヤン このように、近代国家は、一九二〇、三〇年 ホッ・フズ、ロックによって、国王の権力は神か時に考慮しうるような市民の育成と、そのよ想は、これまたルソー流に、国家をはじめとす ポロンテ・ゼネラール ら授ったとするフィルマー流の王権神授説 ( 神うな市民全員の意思としての「一般意思」のるあらゆる諸制度は被支配階級を抑圧する道具代には、修正資本主義を基調とする福祉国家と 社会主義国家とに分裂することになったが、こ 権説 ) は、イギリスでは早々と姿を消してしま確立に基づく政治の実現を主張した。実際にである、という階級国家論を唱え、したがっ こにもう一つ、二つの国家形態とは異なる第三 は、このような「一般意思」の確立は可能な限て、社会主義革命後、「プロレタリアートの独 ったのである。 り多数の人々の政治参加を実現する以外になか裁」という政治方式によって社会主義社会からの国家形態としてのファシズム国家がこの時期 ホッブズやロックの政治論をさらに発展さ に登場した。イタリア、ドイツ、日本は、一九 共産主義社会への建設が成功し、階級社会が消 ったから、結局のところ、ルソーの「一般意 せ、単なる創生期の近代国家論にとどまらず、 内に資本主義経済の問題性を抱えた一八世紀中思」論は、人民主権の主張を誘導することとな滅した暁には、暴力手段をもつ国家は死滅する世紀六〇、七〇年代にようやく近代国家の体裁 を備え、後発資本主義国家として出発した。こ 葉の時代状況を看取しつつ新しい国家論を提起り、したがって、この「一般意思」っまり人民運命にある、と説く。 現代の社会主義国家は、このようなマルクスれらの国々は、もともと資源に乏しく、また先 したのがルソーである。ホッ。フズやロックは、主権は、国王の意志、従来の限定された国民代 進諸国のような植民地をほとんどもたなかっ 絶対君主制にかわる新しい政治社会を確立する表機関である議会の決定、そのほかいかなる種主義を基礎にして建設されたものである。もっ ことによって平和・安全・自由・民主政治など類の団体・集団の利害よりも優位し、それゆえとも、社会主義国家確立の道は多様で、ソ連のた。したがって、ドイツや日本が西欧列強と対 に「一般意思」は最高・単一不可分・不可譲渡ようにいまや階級対立はなくなり全人民国家に抗するためには、富国強兵策によって強大な統 が実現可能である、と考えていた。事実、彼ら なったとしている国もあれば、中国のように共 一国家の確立を推進する必要があった。また、 の国家構想や政治原理はその後の民主政治の発なものとされ、ここに徹底した民主主義理論が 展に大きく寄与した。しかし、ホッブズ、ロツ国家論や政治運営原理の中心に据えられたので産主義社会が完成するまでは階級対立は消滅し当時これらの国々では、西欧先進諸国とは異な り、人権思想がいまだほとんど定着せず、民主 クから約一世紀ほど遅れて生まれ、しかもきわある。こうして、近代国家の原理と制度に関すないと主張する国、あるいは、ユーゴスラビ ア、ルーマ一一ア、ポーランドなどの東欧社会主的な政治制度も十分に整備されず、国民主権主 めて厳しいフランス絶対君主の統治下にあったる諸理論は、約一世紀ほどの間に、ホッ。フズ、 ロック、ルソーなどの社会契約論によってその義諸国のように中ソ型とは異なる独自の社会主義のかわりに、せいぜい国家主権論、国家法人 ルソーは、フランスの封建的統治はもとより、 義への道を歩んでいる国々もあり、かならすし説 ( ドイツ ) や天皇機関説 ( 日本 ) などが唱え イ、キリスの誇る政治や経済の実態にも多くの不モデルがようやく確立されたのである。

10. 日本大百科全書 9

こっか national anthem hym ・ られ、基本的には君治専制型の政治が強行され匕、ゝ イがうまくいかず、政治的不安定のために独裁国制へと頽落していく国制の移行の経緯と原因国歌 みぞう 国家 Nationalhymne ハイ それは同時に人間のあり方の型の頽落の経 ne national ていた。そこで、第一次世界大戦後、末曽有の政治や軍事政権が続いている国家もある。した を象徴する歌曲または器楽曲。近代的な「国 経済的危機が発生するなかで、ヒトラー、ムツ がって、紛争や戦争の危険性を除去するために緯と原因でもあるーー。。の解明はみごとであり、 ソリーニ、日本軍部などのリーダーシップによ も、先進諸国が途上国の経済的自立化を援助し正しさが何であり、人間における悪がどこか家」の概念が形成され建設が進むにつれて、国 るファシズム独裁国家が出現した。 ら、どのように生じてきたかというプラトン哲家に対する帰属心や愛国心を助長する方策が必 国際協力をいままで以上に強める必要がある。 これらの国々は、反共主義を前面に掲げなが ところが、先進諸国間では、依然として資本主学最大の関心に答えるものである。国家を構成要となり、モットー ( スローガン ) 、旗、紋章、 ら同時に反西欧を唱え、国民を総動員するため義と社会主義の対立・緊張が緩和されすかえっする支配者、戦士、生産者の三部分と、魂を構花、鳥などと並んで、歌が公式に制定された にいっさいの反体制運動、たとえば社会主義運て軍備拡大、核兵器開発の競争が激化する状況成する理性的部分 ( ロギスティコン ) 、気概的り、非公式ではあっても慣例的に人民の間に広 動、労働・農民運動、またいっさいの人権や自由 にある。国際平和が確立されないところに、全部分 ( テュモェイデス ) 、欲情的部分 ( エピテまったりしてきた。国歌の内容や性格は、国家 を制限禁止し、ついには議会・政党・組合など世界の国々の安全と発展は保障されないのであュメーティコン ) の三部分の類比の説は、その体制の変遷を反映している。すなわち、王制国 家の場合には君主とその治世をたたえ、共和制 の民主的諸制度をも破壊した。さらには満州事って、各国家が国家利益をどのように調節し抑説明のために導入された模型である。 国家におけるーーしたがってまた、人間の魂国家では人民の団結や自由を歌い上げる。使用 制するかが今後の諸国家にとっての最大の課題 変、エチオピア戦争などに始まる一連の侵略・ 戦争行動によって国民のナショナリズムを喚起となろう。かって国家は情報を独占し、自国民におけるーー正しさを実現するための唯一の方言語は、当該母国語の場合が多いのは自明の理 し、それが第二次大戦の引き金となった。第二 に対して敵意識や対外恐怖感を醸成しつつ国家途が哲人王の理想である。その説明のためになであるが、現実には多言語国家や旧植民地国家 においては国民全員を満足させることができな 次大戦が基本的には帝国主義戦争であったにもの強大化を図った。しかし、現在では、交通手された哲学者とは何であるかの論は、そこに含 ひゅどうくっ い悩みがみてとれる。たとえば、スイスでは同 かかわらず、「民主主義とファシズムとの闘い」 段、テレビ・新聞その他による情報化社会の急まれる線分の比喩、洞窟の比喩、善のイデアの としてとらえられたのはこのためである。 速な発達によって、だれでもが世界で起こった 説とともに、中期プラトン哲学のイデア論を代一旋律に五つの言語による歌詞が施されている し、七〇〇余りの言語集団を有する新興国パプ ところで、一九二〇、三〇年代の危機の時代できごとを容易に知ることが可能になり、その表するものとして名高い 初期対話篇の手法に倣った問答法による正しア・ニューギニアでは公用語の英語によってい を前にして、イギリスのような国でさえ、国家ことは世界平和を促進するうえで有利な要因と いえよう。すでに一九五〇年代から、世界の諸さの論究 ( 第一巻 ) 、魂と国家の類比による最る。また、スペイン、モロッコ、ギニア、クウ 権力の集中化を唱える傾向が現れた。たとえ ば、一〇年代にポーズンキットらがヘーゲル流国民は国際的な反核運動において連帯した経験善の型と頽落諸型の論 ( 第二 ~ 四巻、第八 ~ 九エートなどの国歌のように、 ( 公認された ) 歌 けんでん をもち、インドシナ戦争やベトナム戦争に際し巻 ) 、哲学者論 ( 第五 ~ 七巻 ) 、詩人追放論と死詞をもたないものもある。 の国家優位の思想を喧伝し、これに対しホ。フハ 音楽的には、土地の民謡し こ基づいている場合 後のミュトスを含む第一〇巻からなる全巻の構 ウス、ラスキ、コールなどが多元的国家論を主ては国際世論の高まりがその終結を促進した。 ー ) か 1 し、 ですら、西洋的平均律にあわせた旋律を使って また、これまで二回開かれた国連軍縮特別総会成の統一を観るのは容易ではない。 張した。多元的国家論は、国家が国家内におけ いるのがほとんどである。これは、近代的国家 るさまざまな社会集団に絶対的に優位する、と には政府代表のほかに多数の非政府組織 (ZQ-5 『法律』篇と並んで、他の対話篇を量において いう考え方を批判し、国家も社会の一つである O) の代表が参加している。この意味で、世界圧倒する、この大冊に盛られた壮大な構想は、形成そのものが西ヨーロッパに端を発している 、まや諸国壮年期プラトンの哲学の理念の結晶であり、そことにも関係している。曲調としては、威厳に こと、国家が国民に忠誠を要求できるのは国家最大の平和組織である国際連合は、し 家の連合ではなく、諸国民の連合としての性格れがこの著作に、プラトン対話篇のなかで初期満ちた賛歌風のもの、軽やかな行進曲風のも が国民の権利・自由・生活を十分に保障してい かなめいし の、高らかに鳴り響くファンファーレ風のも 〈田中浩〉と後期を結ぶ要石としての独一の位置を与え ることが条件である、と述べている。またラスをもつように迫られつつある。 ^ 加藤信朗〉 の、民俗素材からの借用によるものなどに分類 キは、イギリス議会が「資本の論理」によって回田中浩著『ホッブズ研究序説』 ( 一九全・御茶ている。 できる。 有産者を擁護するために行動していると批判 の水書房 ) ▽田口富久治・田中浩編『国家回藤沢令夫訳『国家』上下 ( 岩波文庫 ) 国歌は、国威を示したり、民族的アイデンテ こっか美術雑誌。一八八九年 ( 明治 し、労働大衆の権利や生活をよりよく保障でき 思想史』上下 ( 一九七四・青木書店 ) ▽ダント国華 二一 l) 一〇月、当時わが国の宝物調査事業の鼓イティを象徴するものとして、国際的な雰囲気 レーヴ著、石上良平訳『国家とは何か』 ( 一九 るように議会を構造改革すべきであるという社 七一一・みすず書房 ) 吹者の一人であった高橋健三 ( 一会五ー九 0 と友の場や、一国内でも多数の国民が集合する場な 会民主主義を主張している。この考え方は、ロ こっか politeiäギリシアの哲学人の岡倉天心により刊その目的は主としてどで歌われ演奏される。たとえば、元首が臨席 シア革命のような暴力革命による方法は、資本国家 主義が高度に発達し、また議会制民主主義の思者プラトンの中期対話篇の一つで、全一〇巻の東洋美術ことに日本美術の評論、考証をなし、する行事、オリンピックなどのスポーツ大会、 かっ古美術を木版および写真版に複製して、広劇場や放送の特定時間などである。そして、そ 想・制度が広範に形成されている国では、議会を大作。正しさとは何であるかを問い、魂におけ のような場では、起立、脱帽などの儀礼的所作 く世に紹介することにあった。古美術の複製に 通じて平和裏に社会的矛盾を是正しようというる正しさが人を幸福にすることを論じた。しか み いろずり が参会者に要請される。 し、魂における正しさそのものを観るのは容易はわが国固有の木版色摺が用いられ、ほかに、 もので、先進諸国における社会主義政党の多く 日本の国歌『君が代』は、第二次世界大戦後 は、ラスキの平和革命論を採用しており、先進諸ではなく、まず国家における正しさを観るのがそのころアメリカより初めて伝えられた玻璃版 ( コロタイプ ) の技術もあわせ使用された。その新憲法の精神に即していないという理由で論 国の共産党の多くも議会主義と平和革命を基調便宜であるとし、国家のあり方のさまざまな型 に応じて同数の魂の型があるとしたので、国制のため国内のみならす欧米諸国にも販路を広議されてきたが、現在これにかわる歌はないの とする民主国家の確立という、いわゆる「ユー 論にもなっている ( 本書の題名はここからくめ、一九〇五年 ( 明治三八 ) 以来朝日新聞社ので、いまでもおりに触れ聞く機会が多い。ただ ロコミュニズム」の路線を打ち出している。 し、歌詞を参会者が斉唱することは少なく、器 後援を得て国華社から毎月発行されている。な る ) 。最善の正しい国制から名誉支配制 ( ティ 〔戦後世界と国家〕以上に述べたように、今日 ーモクラティアー ) を経て、寡頭制 ( オリガルお英文版が発行されたことがあるが、第一次世楽演奏のほうが多い。↓君が代〈山口修〉 力では、途上国を除く国々の多くは、民主主義国 せんしゅ っ家としての道を歩んでいる。しかし、戦後独立キアー ) 、民衆制 ( デーモクラティアー ) 、僭主界大戦により一九一八年 ( 大正七 ) 六月で刊行回高田三九三編著『世界の国歌全集』 ( 一〈耄・ 〈、水井信一〉 共同音楽出版社 ) を中止した。 」した新興諸国家のうちには、いまだに経済自立制 ( テュラニス ) に至るまで順次に、より悪い たいらく み 365