ゲルマニア - みる会図書館


検索対象: 武装親衛隊 ミリタリー・ルック
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1. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

1940 年 5 月、フランスにおける第 2 連隊ケルマニア」 : その頃最新てあった 陸軍型の上着を着用している。これが襟章がまったくみられない理由であろう 下士官の背後のニ人の兵士の襟にはまったく何も見られない。 その後さらに「ダス・ライヒ」 'Das 改称され、他のいくっかの支援部隊と Reich' となった。 合同して、 S S 戦闘団「ノルト」〔北 この再編成の時代に、「ゲルマニア」 方〕 SS 'Nord' とい 師団は改称されて「ヴィーキング」 う集団名で知られるようになった。 'Wiking' 〔中世北ョーロッパの海賊「 / のこりの「髑髏」連隊は旅団編成に イキング」〕となった。「髑髏」部隊の なった。すなわち第 8 および第 10 連隊 2 個連隊 ( 第 6 , 第 7 ) は、おなじ時 は、第 1 S S ( 自動車化 ) 旅団、第 4 期に、 S S 歩兵第 6 および第 7 連隊と および第 14 連隊は、第 2SS ( 自動車

2. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

ロ區ロ SS 戦闘部隊 ( 1940 年以前 ) の部隊襟章 2 ゲルマニア連隊 ドイッチュラント 連隊 アドルフ・ヒトラー 護衛連隊 SS 通信大隊 ニュールンベルク 中隊 デル・フューラー 連隊 S S プラウンシュ ワイク学校 学校 S S テルツ S S 工兵中隊 髑髏 連隊 第 2 SS 政治学校 ( 注 ) SS 准尉までの下十官兵々享、黒と銀のふち どり、少尉以上の全階級は銀のふちどりであった ー 24 第 3 髑髏】連隊

3. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

1940 年 5 月のフランスおよびフランダース侵入の際に、 75 ミリ砲を渡す S S 髑髏」師団の歩兵砲隊襟章にどくろの絵がある。迷彩スモックを着ているの は下士官である 第 2 連隊「ゲルマニア」 支援砲兵、通信、工兵、捜索および対 第 3 連隊「総統」 空の各部隊は、ポーランド侵攻作戦に 積極的な役割りを演じたのだった。 最後の連隊は 1938 年〔昭和 13 年〕に おもにオーストリア人から募集された S S 戦闘部隊のはかに、当時存在し ( 「アドルフ・ヒトラー」連隊 L A H たもうーっの専任武装 SS 組織は、 S どくろ は、はやくも 1934 年〔昭和 9 年〕には S 「髑髏」部隊 SS 'T0tenkopfverln- S S 戦闘部隊 SS ー VT の一連番号で nde' =TV であった。この部隊は、も 呼ばれる連隊からはすされていたが、 ともと、強制収容所警備だけを目的に これは、ヒトラーが、この部隊の「近 組織されたが、 ドイツが戦争に突入し 衛兵」としての地位を保持しようとし たときおこるかもしれないと予想され る国内の騒乱にたいして、国家を防衛 ていたためである ) 。 各連隊 Standarte は 3 個大隊 Stu- する中核部隊となる使命もあった。 rmbanne 、各大隊は 4 個中隊 Sturm- 「髑髏」部隊 ( 指揮官テオドール・ア e 、各中隊は 3 個小隊 Züge 、各小隊 イケ ) は、最初、つぎの 5 部隊で組織 は 4 個分隊 Gruppen でそれそれ構成 された。 されていた。 「オーベルバイエルン」 ( a) 「アドルフ・ヒトラー」連隊、 Oberbayern S S 戦 闘部隊自動車化歩兵 3 個連隊、および 「エルべ」 Elbe (b)

4. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

0 、 ↑ S S 鷲章 : 腕の鷲とカギ十 字のマークは、 SS 戦闘部隊 と武装親衛隊の全員がつけて いた。黒地にシルヴァー・グ レイのぬいとりてある アース・グレイの制服の上 着 : 第一ボタンて襟がしめら れるようになっている - 、将校 用はつねに開襟てあった 0 十字〕のしたには、山形袖章がつけら につける肩章は、さきが丸みをおびて おり、とりはすしできるようになって れた。 袖の鷲章のぬいとりに、将校用は黒 いたが、 1940 年までには将校によっ 地に銀糸を、下士官と兵士には黒地に て、以前に自分たちが着用していた一 ライトグレイのシルクがもちいられ 般親衛隊員型のかわりに、陸軍掣のあ た。いくっかの部隊では、肩章に頭文 ぜ織の肩章がもちいられるようになっ 字をくみあわせてししゅうしたものを ていた もちいた。たとえば生 . A. H ′〔「アドル 1939 年まで、下士官は、ふといつや フ・ヒトラー師団」〕、 'D'( Deutschland けし銀色のふちどりのついた襟章と肩 〔ドイツ〕 ) のイニシャル、℃′ ( Ger- 章をつけていた。襟の正面とボタンの 〔ゲルマニア〕 ) 、 'DF'(Der F- へりのまわりと、肩章のまわりに、 , ührer' 〔総統〕 ) などがそうである。肩 のふちどりはもちいられた。肩章のう 章は、将校用はプロンズの金属製、下 えにはつやけし銀の星章が、また左腕 士官用は白の金属製だった。・ほかの支 上部についている S S 鷲章〔鷲とカギ

5. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

1940 年に編成されたこの師団の兵員 は主としてデンマーグ、オランダ、フ ランダース、ノルウェー フィンラン ド、エストニアなどの外国人だった。 この師団は、 S S 装甲擲弾兵連隊「ゲ ルマニア」、のちの第 9 装甲擲弾兵連 隊を中心に兵力があつめられた。 SS 色の鷲の警察バッジが、鉄帽 の左側につけられていた。ま たオレンジ色のぬいとりで同 様のバッジが軍帽と左腕上部 につけられていた。明るいグ リーンの地に 2 本のグレイの ぬいとりのニ本棒の襟章をど れ 0 一れ 袖章 ちらかの襟あるいは両襟につ けていた ( 写真から判断する と ) 。のちに、 S S の徽章が、 通常の SS 階級章とともに取 りいれられたようである S S 'PoIizeidivision 〔警察師団〕 第 5SS 装甲擲弾兵師団ヴィーキング Wiki11! 装甲擲弾兵連隊「ノルトラント」と第 10 装甲擲弾兵連隊「ウェストラン ト」、その他の支援部隊もふくまれて いた。 師団駐屯地は、南オーストリアのカ リンチア州グラーゲンフルトだ が、「ゲルマニア」連隊だけはハンプ 袖章 38 tmest 也き Nordland Wesfland 【上】第 9 「ノルトラント」連隊と第 10 「ウェストラント」連隊 【下】後期に使用された変形

6. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

襟章 ( 確認されず ) 「ゲルマニア連隊 ( 1940 年以前 ) 師団標識 : 白色、車両用、 楯なしでも多く使用された ルウェー人 ) の生きのこりか ら、「カレワラ」 Kalevala とよぶドイツ人とフィンラン ド人の混成連隊をつくる案が あったが、しかしこの提案は ついにみのらなかった。武装 親衛隊とともに契約で戦うこ とになっていたフィンランド 兵は純然たる傭兵で、契約を 更新せず、ヘルシンキへの帰 国を決めたのである 'Westland' およびベルギー の腕用楯形ワッペン 'Finnis- che Frw. Bataillon der W- affen-SS' 〔フィンランド義勇 大隊、武装 S S を 2 行に配置し た〕および白いライオンを入 れた黒の腕用楯形ワッペン ルグだった。 S S フィンランド義勇大 隊「ノルトスト」は、もともと小さい 部隊だったが、「ヴィーキング」師団 に配属され、大隊兵力に拡大された。 襟章 : SSiM 章バイキング船の船 首をかたどったバッジがつけ られていたと主張されている が、このバッジについては、 証拠はまだ確認されていな 袖章 ′ Wiking. 'Germania ′および デンマークの腕用楯形ワッペ ン 'Nordland' およびノルウェ ーの腕用楯形ワッペン なおロシアて兵力の半数を うしなった「ノルトラント 連隊 ( 戦死したのはおもにノ 第 6SS 山岳師団「ノルト」 「ノルト戦闘団」 ('Kampfgruppe N- 隊、第 2 山岳通信 1 個支隊で構成 ) を 0 ′ = 第 6 、第 7 、第 9 「髑髏」連中心に 1941 年の夏に編成され、 1942 年 39

7. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

第 4 部 階級章と部隊徽章 S S 〔親衛隊〕の階級をしめすシス テムは、ふるい「自由軍団」 ('Freik- かぶと or い′および「鉄兜団」 ('Stahlhel- m ) のものを一部いかし、オーグ〔カ シの一種〕の葉、星と線のくみあわせ を襟章にとりいれた。 SS 大佐以上の場合、階級章は左右 の両襟につけられたが、それ以下の階 級章は、左襟だけにつけられた。 S S 中佐以下の全階級の場合、 S S 徽章または部隊徽章を右襟章につけ どくろ た。「髑髏師団」、「髑髏部隊」、「衛兵 部隊」 ('Wachverbande') および「 S S 警察師団」は例外だった。 S S 戦闘部隊の「ドイッチュラン ト」 ( ′ Deutschland') 、「ゲルマニア」 デ′し・フューラ ( ′ Germania') および「総統」 ('De- r Fuhrer') の各連隊は、 1940 年まで、 アラビア数字の 1 、 2 、 3 をそれそ れ、襟章の SS 徽章の後につけるとと もに、肩章には、ゴシッグで頭文字 D 、 G および、くみあわせた D F をつ けていた。肩章だけは 1944 年までつけ 外人部隊は、何らかの形でそれそれ の国のパッジまたは国章をしめす襟章 で識別された。たとえば、「髑髏」師 団の一部である第 6 装甲擲弾兵連隊 「テオドール・アイケ」では、 S S 徽 章をつけていたが、この師団の部隊の ほとんどは、布地にぬいとりの髑髏の 徽章をつけていた。 SS 警察師団は、襟の正面に、伝統 的な警察のモールのすじをつけてい た。将校用は銀、そのほかの階級用は グレイのぬいとりで、あかるいグリー ンの布の上につけられた。のちになっ て、通常の SS 徽章と襟の階級パッジ がもちいられるようになった。ある時 期には、おなじ部隊での将校と警察官

8. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

れた歩兵連隊に増強された。第 1 、第 2 、第 3 「髑髏」連隊は、 SS 戦闘部 隊の中核と、いくらかの警察予備隊員 とともに、第 4 S S 師団「髑髏」に再 編成されたのだった。 同時に、公安警察 (()rdnungslk)li- zei' 国家、地方、都市の各警察 ) か ら徴兵されたもうーっの師団が , 「髑 髏」部隊連隊から集められたいくらか の残存隊員とともに、編成され、「警 察師団」と命名された。 西部戦線での攻撃開始に先立って、 S S 戦闘部隊はこうして補強、再編成 され、つぎの各部隊で構成されるよう になっていた。 ( a) (b) (c) (d) (e) (f) (g) (h) (i) 戦闘師団 Verfügungsdivision 髑髏師団 T0tenkopfdivision 警察師団 Polizeidivision S S 護衛隊「アドルフ・ヒトラ ー」連隊 独立「髑髏」連隊と師団支援部 隊 S S 十官学校「プラウンシュワ イグ」 SS Junkerschule ' Braunschweig S S 士官学校「パド・テルツ」 SS JunkerschuIe 'Bad TÖレ ' S S 医学専門学校「グラーツ」 S S Artzliche Akadamie S S 行政指導者学校 SS VerwaItungsführerschule 武装親衛隊 Waffen-SS という名称 は、 1940 年〔昭和 15 年〕はじめごろに 用いられるようになったが、このこと がひろく知られるようになったのは、 同年 7 月にヒトラーが演説で明らかに してからである。 すでに野戦にいた「髑髏」連隊のほ かに、さらに 8 個連隊が編成されて、 西部戦線での大攻勢のあと占領された ドイツ国外の各主要都市での警察活動 にあたるため派遣された。野戦部隊の ための交代要員をひきつづき供給する ため、いわゆる補充部隊 Ersatzeinh- eiten が募集され、 1940 年末までに同 様の補充部隊は、支援部隊を補強する ため編成されていた。 どくろ に「ライヒ」〔国家〕と改称された。 か混乱がおこったので、ほとんどすぐ れたが、このため名称のうえでいくら ント」 'Deutschland' 師団と改称さ 同時に、戦闘師団は「ドイッチュラ ア」 'Germania' 師団が編成された 5 S S 砲兵連隊をあわせ、「ゲルマニ 連隊と、「ゲルマニア」連隊および第 この年のおわりごろには、これらの ンダおよびベルキーで募集、編成され ト」 'WestIand' 〔西部地方〕が、オラ の義勇兵部隊 S S 連隊「ウェストラン れ、さらに同年 6 月には、もうひとつ 一人の親独派を中心として編成さ S 連隊が、デンマーグ人およびノルウ rdland' 〔スカンジナビア〕と呼ぶ S 1940 年 4 月、「ノルトラント」 'No-

9. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

師団標識 団は、第 45 、第 46 および第 47SS 義勇 擲弾兵連隊および補助部隊をふくむ旅 団兵力に縮小された。 襟章・短剣をもつ腕と、エストニア・ スタイルの′ E ′の文字工ス 第 20 師団 工ストニア人部隊 襟章 トニア部隊はニ重のカギ十字 袖章 : なし 腕の楯形 : プルーと黒と白の水平の 帯もしくは 3 頭の黒獅子をつ けた黄金色の楯形ワッペン 第 21 武装 SS 山岳師団 シュカンデルべック」 ( アルバニア第 1 ) Sk Ⅲ血血 1944 年 4 月 14 日、この師団は、アル パニア・ナチ党メンパーを募集して編 成された。回教徒で構成される師団 で、脱走兵がおおく、早々に信頼性の 低いことをあきらかにしてしまった。 脱走率があまり高いため、エーゲ海沿 岸地域にあるほかの SS 部隊からの徴 集兵は、この師団を補強するために派 遣されたくらいである。しかしこの補 師団標識 52 強もけっきよくはむだで、この師団は ついに解散され、その兵員は第 21 山岳 擲弾兵連隊「シュカンデルべッグ」に 編入された。この連隊は、第 7 師団と ともに、ユーゴスラビアで残忍な戦闘 に従事した。 兵員のうちいくらかは、新しく編成 された第 32 師団に編入されたようであ る。 襟章

10. 武装親衛隊 ミリタリー・ルック

1942 年夏、ロシア戦線で戦闘中の ss 歩兵砲中隊の 75 ミリ歩兵砲 レ」 ('Feldherrnhalle') 、フィ 戦争後期に編成されたこれら師団の ンノ、 ンランド大隊「カレワラ」 ('Kale 、′ ) ほとんどは名目的に師団名をあたえら S S 師団「ネーデルザ 7 セン」 れたものであるため、完全な師団兵力 'Neidersachsen ) 、 S S 機甲師団「国家 にたっしたものはなかった。ほかにも 元帥」 ('Reichsmarschall') S S 装甲 10 個師団の編成が提案されていたが、 擲弾兵師団「ワーレンシュタイン」 ついに実現しなかった。′山岳師団 / ('WaIIenstein ′ ) 、ゲルマン S S 師団 ('Gebirgsdivision') 「アンドレアス・ 「ワラガー」 ('Warager') などがそう ヘーファー」 ('Andreas Höfer') 、 S である。 S 義勇装甲擲弾兵師団「フェルトヘル