かれらは通常の山岳猟兵の制服と、山 岳兵をあらわすェーデルワイスのパッ ジをつけた兵科色をつけていた。冬期 には、上着と登山靴とズボンを着用し たが、夏にはシャツに、みじかい「プ ンプホーゼン」とよぶズボン〔ゴム布 のひざあてがついただぶたぶの半ズボン〕 をはいていた。 階級章は襟章と肩章につけられた が、アノラックを着用したときは、と くべつの腕用マーク ( 迷彩服の項参 照 ) を左上膊部につけた。特別の山岳・ ガイドのパッジは、卵形で、たかさ 55 ミリ、幅 43 ミリの黒い布地に、幅 2 ミ リの銀色のふちどりをし、中心部には 銀色でたかさ 33 ミリのエーデルワイス ( 茎とともでは 42 ミリ ) がついていた。 この花は金の雄しべをつけ、その下に は半円に銀色で BERGFÜHRER の 文字があった。このノくッジがつけられ ていたのは、原則として左胸ポケット である。 外人部隊の徽章 武装親衛隊にいた外国人は、それそ れの国をしめす楯形ワッペンを腕につ けていた。これらの楯形ワッペンは、 国防軍にいた外国人に支給されたもの とはちがっていた ( 武装親衛隊の楯形 ワッペンは、頂部はまっすぐだった が、国防軍の楯形ワッペンはもっと装 飾的なスタイルで、頂部は扇形、両側 は鐘形にひろがっていた ) 。 S S の楯 形ワッペンは、左の袖につけられた 1944 年までは袖章の 1 . 5 センチ上に つけられたが、それ以後は、袖の鷲章 の 1.5 センチ下、山形または星の階級 章の上につけられた。いうまでもな く、これらの規則は、いつもそのとお りに守られたわけではない。 これらのパッジについては、デザイ ー 26 ンにさまざまの変化がみられる。ある 場合にはおなじ部隊内でもデザインの ちがったものがあったし、またある場 合には国旗をちいさく模したものもあ った。写真によると、国防軍にいる外 国人将兵でそれそれの国の楯形ワッペ ンを、右腕につけるよう命じられてい たにもかかわらす、 : 左腕につけていた り、武装親衛隊員で国防軍型の楯形ワ ッペンをつけていたものもあった ☆デンマーク 徽章がもちいられた。 形のカギ十字、のちには SS 襟章 : シャールプルク部隊として円 ( Freikorps Danmark) デンマーク義哢軍
襟章 ( 確認されず ) 「ゲルマニア連隊 ( 1940 年以前 ) 師団標識 : 白色、車両用、 楯なしでも多く使用された ルウェー人 ) の生きのこりか ら、「カレワラ」 Kalevala とよぶドイツ人とフィンラン ド人の混成連隊をつくる案が あったが、しかしこの提案は ついにみのらなかった。武装 親衛隊とともに契約で戦うこ とになっていたフィンランド 兵は純然たる傭兵で、契約を 更新せず、ヘルシンキへの帰 国を決めたのである 'Westland' およびベルギー の腕用楯形ワッペン 'Finnis- che Frw. Bataillon der W- affen-SS' 〔フィンランド義勇 大隊、武装 S S を 2 行に配置し た〕および白いライオンを入 れた黒の腕用楯形ワッペン ルグだった。 S S フィンランド義勇大 隊「ノルトスト」は、もともと小さい 部隊だったが、「ヴィーキング」師団 に配属され、大隊兵力に拡大された。 襟章 : SSiM 章バイキング船の船 首をかたどったバッジがつけ られていたと主張されている が、このバッジについては、 証拠はまだ確認されていな 袖章 ′ Wiking. 'Germania ′および デンマークの腕用楯形ワッペ ン 'Nordland' およびノルウェ ーの腕用楯形ワッペン なおロシアて兵力の半数を うしなった「ノルトラント 連隊 ( 戦死したのはおもにノ 第 6SS 山岳師団「ノルト」 「ノルト戦闘団」 ('Kampfgruppe N- 隊、第 2 山岳通信 1 個支隊で構成 ) を 0 ′ = 第 6 、第 7 、第 9 「髑髏」連中心に 1941 年の夏に編成され、 1942 年 39
←ユーゴスラビアにおける「カ マ山岳師団の将校登山靴と半 ゲートルをつけている ユーゴスラビアで作戦中の「カ→ マ山岳師団の将校。左の人物の 右腕に山岳兵のエーデルワイス 章、右の人物の左腕には格子模様 のワッペンがみえる カンにあるほかの種々の義勇兵部隊を かの支援部隊で構成されていた。 補強するためにもちいられた。 襟章 : 図案化したひまわりの花 この部隊も回教徒のトルコ帽を軍帽 袖章 : なし としていた。この師団が存続中は、武 腕の楯形 : 第 13 師団のように赤と白 装 S S 山岳猟兵連隊 ( クロアチア第 3 の格子模様の楯形ワッペン 連隊 ) と ( グロアチア第 4 連隊 ) 、そ れに、第 23SS 山岳砲兵連隊とそのは 襟章 第 23 義勇装甲擲弾兵師団「ネーデルラント」 SS 義勇装甲擲弾兵旅団「ネーデル S 義勇装甲擲弾兵連隊「デ・ルイタ ラント」を中心に編成された。この旅 ー」および第 54SS 軽歩兵大隊がふく 団には、第 48SS 義勇装甲擲弾兵連隊 まれていた。前述の「カマ」師団の解 「ゲネラール・サイファルト」、第 49S 散のあと、 23 という数字上の先任順位
E 、 : 工入 Y 入 4 L 日 . くミト と NO コ IY ー斗△、て v 工 0 d 0 d 〕こ N V ェ」 ( 剥圜 ) Y 入曜 亠入い入ャ ト日亠区 日 L4 ロ ー 4 ミ、 刊 ) 4 ーレØ剥〔咄 ( 〕 ( 9 9 仆鬆 ) ト日亠 Y 武装親衛隊海外派遣部隊の隊章 ( 腕用ワッペン ) 見本
ルトウェスト」〔北西〕義勇連隊もあ さらに、オランダ人、ベルギー人 は、ノルウェー人 , デンマーグ人とと もに、それそれの国名を冠した外人部 隊にはいることがゆるされた。「フラ ンテ、ノレン」 Flandern 〔フランダース = ベルギー・オランダの南部、フランス北部 をふくみ北海に面した古い国〕、「ニーデ ルランデ」 Niederlande 〔オランダ〕、 「ノルウェーゲン」 Norwegen 〔ノルウ ー〕、「デンマーグ義勇軍」がそうで ある。スペイン人、グロアチア人、お よびフランス人は人種的な理由で、陸 軍の兵役につくべく選抜された。 これら外人部隊は、ドイツ人下士官 のもとで訓練され、はじめのうちこ そ、いくらかの混乱はあったが、その うち自分たちのあいだから将校になる ものもあらわれ、また兵のうちからは 下士官に昇進するものもあった。かれ らは S S 階級章をつけたドイツ軍制服 を着用し、はっきり識別できる袖章も つけていた。しかし右襟には、あの有 名な SS 徽章のかわりに、それそれの 国章をつけるよう命じられたし、左腕 にはそれぞれの国旗をあしらった楯形 のワッペンもつけた これら外人部隊の兵員は正規の SS 部隊に編入されることもあったが、そ のときには、それぞれの国籍を表示す る彩色した楯形のワッペンを左腕にひ きつづきつけたようである。 1942 年に は「デンマーク義勇軍」は、 S S 「髑 髏」師団に編入されていたが、のちに は第 1 SS 旅団で軍務に服した。その ごノルウェー部隊が同旅団において、 これらのデンマーク義勇兵に合同し 1942 年末には、武装親衛隊の将兵は 19 万人ちかくに増強されていた。 194 3 年はじめごろに外人部隊は再編成さ れ、「ノルトラント」 Nordland 、「ダ ンマルク」 Danmark 〔デンマーグ〕、お よび「ネーデルラント」 Nederland 〔オランダ〕とそれそれ命名されて、 S S 装甲弾兵〔装甲歩兵〕連隊にくみ いれられた。同時に「ノルウェー」部 隊は、 S S 装甲擲弾兵連隊「ノルゲ」 Norge となった。 のちに装甲擲弾兵第 23 「ノルゲ」お よび第 24 「ダンマルグ」両連隊は、あ たらしく編成された「ノルトラント」 師団に合同編入された。「フランデル ン」部隊は信頼できぬと考えられ、解 散された。その兵員は、他の SS 部隊 に配置された。 この再編成の結果、 S S 装甲擲弾兵 連隊「ネーデルラント」は独立旅団と なった。拡大されたベルギー人部隊も 旅団として編成され、「フランデルン」 部隊のいくらかの残存兵員をくみいれ て、 S S 義勇突撃旅団「ランゲマル グ」 S S FreiwiIIigen S turmbrigade 'Langemarck' と命名された 1943 年には、国防軍フランス義勇突
襟章・手にもつ三日月刀が上にのっ たカギ十字 腕の楯形袖章はつけられなかった 師団標識・【左】正式【右】変形 ようである。赤と白の格子模 様の腕の楯形ワッペンがつけ られた 襟章 第 14 武装 SS 擲弾兵師団「ガリツィエン」 GillizieIl のちに、ドイツ語が常用語のポーラ ンド領になったガリシアという旧オー ストリア・ハンガリーの州出身者を主 とするウクライナ人で編成された。 , の師団は、 SS 狙撃師団ともよばれた が、「ルテニアン」としても知られた。 さらに混乱をおおきくしたのは、 194 5 年に「ウクライナ第 1 師団」と改称 師団標識 . 【左】正式 ( 右は未確認 ) されたことである。 この師団には、第 29 、第 30 および第 31S S 擲弾兵連隊のほか、偵察、突撃 襟章 て、大打撃をこうむったため、ほとん が、友軍との連絡を断たれ、包囲され この師団は東部戦線で戦闘した S S 軽歩兵大隊もふくまれてい 砲、工兵、および通信支隊にくわえ た。 て、
くまれていた。この師団は、ベルリン 防衛戦で撃破された。 ℃ harlemagne ( 2 ) 2 枚の葉と剣 襟章 : ( 1 ) 4 本スポークの車輪 袖章 腕の楯形 : 'France' の文字を上部 にあしらったプルーと白と赤 の楯形ワッペンをシャルマ ニュ ( フランス第 1 師団 ) としてつけていた 第 34 武装 SS 擲弾兵師団 「ラントシュトルム・ネーデルラント」 Li1 Ⅲ 0 Ⅷ、血ⅶ オランダで編成され、その守備と警 察任務を担当した。この師団には、第 48 および第 49SS 義勇装甲擲弾兵連隊 ( オランダ第 1 および第 2 ) と、第 57 S S 義勇連隊 ( フランス第 1 ) がふく まれていた。 襟章 : 垂直もしくは水平のオラン ダ・ナチ党のシンポル ( 狼の 鉤といわれた ) 袖章・ 'Landstorm Nederland' 腕の楯形 : オレンジと白とプルーの すじ 師団標識 第 35SS 警察擲弾兵師団 第 35 師団は、 1944 ~ 45 年に治安警察 部隊 ('()rdnungsm)lizei') から募集さ れた第二の警察師団だった。 襟章 : SSiM 章 袖章 : 不明 師団標識 63
師団標識 団は、第 45 、第 46 および第 47SS 義勇 擲弾兵連隊および補助部隊をふくむ旅 団兵力に縮小された。 襟章・短剣をもつ腕と、エストニア・ スタイルの′ E ′の文字工ス 第 20 師団 工ストニア人部隊 襟章 トニア部隊はニ重のカギ十字 袖章 : なし 腕の楯形 : プルーと黒と白の水平の 帯もしくは 3 頭の黒獅子をつ けた黄金色の楯形ワッペン 第 21 武装 SS 山岳師団 シュカンデルべック」 ( アルバニア第 1 ) Sk Ⅲ血血 1944 年 4 月 14 日、この師団は、アル パニア・ナチ党メンパーを募集して編 成された。回教徒で構成される師団 で、脱走兵がおおく、早々に信頼性の 低いことをあきらかにしてしまった。 脱走率があまり高いため、エーゲ海沿 岸地域にあるほかの SS 部隊からの徴 集兵は、この師団を補強するために派 遣されたくらいである。しかしこの補 師団標識 52 強もけっきよくはむだで、この師団は ついに解散され、その兵員は第 21 山岳 擲弾兵連隊「シュカンデルべッグ」に 編入された。この連隊は、第 7 師団と ともに、ユーゴスラビアで残忍な戦闘 に従事した。 兵員のうちいくらかは、新しく編成 された第 32 師団に編入されたようであ る。 襟章
腕の楯形 : デンマーク国旗。 ルプルグ軍団として、あと足 で立った 3 頭のプルーのライ シャ 腕の楯形 : 黒、黄および深紅のたて 者は確認されていない。 れたパッジ。しかし、この後 ュの不ぞろいの十字架」をい 襟章 : SS 徽章または「プルゴー ワロニエ部隊 (Legion Wallonie) 袖章 : Legion Flandern のライオン をつけ、あと足で立った 1 頭 十字腕の楯形 : 筋のある尾 襟章 : S S 徽章または彎曲したカギ フランダース部隊 (Legion Flandern ☆ベルギー Danmark 袖章 : Freikor1F Danmark 色い山形が着用された。 オンと赤いハートをつけた黄 ☆オランダ ネーデルランド部隊 (Legion Nieder- lande ) 襟章 : 垂直または水平にルーン文字 で 'WoIfsangel' と書いてあ 腕の楯形 : オレンジ、白およびプル 袖章 : ーのななめのノくンド。 ( 水平 のノくンドがついた変形のもの もあった ) Frw. Legion Nederland ( 式典用には、オレンジ、白 およびプルーのワッペンがヘ ルメットの左側につけられた が、戦闘のさいにはつけなか 袖章 : じま、黒のたんざく形のパ ネルの上に黄色い大文字で 'Wallonie' とかいてある。 Wallonien または WaIIonie ☆ノルウェー ノルウェー部隊 (Legion Norwegen) 襟章 : おのをもってあと足で立った ライオン 腕の楯形 : ( 1 ) 楯形またはたんざ く形のノルウェー国旗 ( 2 ) おのをもっノルウェー 型のライオン ( 3 ) シルバー・グレイの十 字架と 2 ふりの剣がついたま Le ionNederland オランダ、 ーデルラント」義勇軍の袖章 ー 2 /
腕の楯形 : 黒と黄と赤のたてしま、 上部に水平に黒地に白い字て 'Wallonie' とある 字架とよばれる徽章も着用 されたといわれているが、確 正はないー。 袖章 . Wallonie 第 29 武装 SS 擲弾兵師団 ( ロシア第 1 ) ン、またはライトプルーの X 形十字をつけ、白と赤でふち どりした楯形 この師団の寿命はきわめてみじか く、その兵員は、ウラソフ 4 つキ部 隊に分散して参加したほか、のこりは 第 30 師団に配属された。 襟章 : 剣のうえに十字形 袖章 : なし 腕の楯形 : 黄金色の POA の文字が ついたグリーンの楯形ワッペ 襟章 第 29 武装 SS 擲弾兵師団 ( イタリア第 1 ) この第二の第 29 師団は主として、義 成されていた 勇 S S 擲弾兵旅団「イタリア」と、イ 襟章・古代ローマの執政官などの権 タリア黒シャツ・ファシスト義勇軍お 威標章であるファシス よび、いくらかの陸軍義勇兵から編成 〔たばねた棒の中央におのをいれ されたものである。しばらくのあいだ てしばったもの〕 ( 旅団として は、旅団兵力しかなかったが、のちに は赤い布に、師団としては、 はかなり拡大されたといわれている。 ほかの S S 編成とおなじく黒 戦線背後でのパルチザン掃討作戦に従 の布にえがかれた ) 事した。編成当時のこの師団は、第 袖章 : なし = = 師団名として 'ltalie- 71 、第 72 、第 73 および第 74 義勇擲弾兵 ⅳの文字があったようたが、 連隊と、いわゆる SS 軽歩兵大隊で構 確証はない 59