師団標識 右は 1944 年まで使用された変形
襟章・手にもつ三日月刀が上にのっ たカギ十字 腕の楯形袖章はつけられなかった 師団標識・【左】正式【右】変形 ようである。赤と白の格子模 様の腕の楯形ワッペンがつけ られた 襟章 第 14 武装 SS 擲弾兵師団「ガリツィエン」 GillizieIl のちに、ドイツ語が常用語のポーラ ンド領になったガリシアという旧オー ストリア・ハンガリーの州出身者を主 とするウクライナ人で編成された。 , の師団は、 SS 狙撃師団ともよばれた が、「ルテニアン」としても知られた。 さらに混乱をおおきくしたのは、 194 5 年に「ウクライナ第 1 師団」と改称 師団標識 . 【左】正式 ( 右は未確認 ) されたことである。 この師団には、第 29 、第 30 および第 31S S 擲弾兵連隊のほか、偵察、突撃 襟章 て、大打撃をこうむったため、ほとん が、友軍との連絡を断たれ、包囲され この師団は東部戦線で戦闘した S S 軽歩兵大隊もふくまれてい 砲、工兵、および通信支隊にくわえ た。 て、
9 ・ 0 れ 0 戸 師団標識 袖章 装甲弾兵連隊「ファルケ」 'Falke' および支援部隊がふくまれていた。 , の師団はロシア戦線とベルリン防衛戦 で任務につき、戦闘団「モジンガー」 と「ロスナー」をもっていた。 襟章 : SSiM 章 袖章 / 30 Januar' 第 86 および 第 87 連隊が袖章をもっていた かどうか不明である。 第 33 武装 SS 騎兵師団 ( ハンガリー第 4 ) のちに 擲弾兵師団「シャルマーニュ」 ( フランス第 1 ) Charlemag11e ランス義勇歩兵連隊と、 1944 年までに 第 88 および第 89S S 騎兵連隊から編 移動して S S 旅団に拡大され、第 6 S 成されたが、 1945 年にプダベスト周辺 で潰滅した。生きのこりで第 33 擲弾兵 S 義勇突撃旅団「シャルマー して知られるようになった「トリコロ ニュ」が編成された 師団「シャルマー ール部隊」 ( 生 e 0 れ Tric010re') がふ が、これには、もとの国防軍第 638 フ 0- 0 一 3 袖章 師団標識 62
た。この師団はまた、第 36 師団と、そ してのちには第 6 および第 10 師団とと もに、アルザスでの「ノルトヴィント」 〔北風〕作戦にも参加した。通常の支 6 z von BerIichingen 袖章 師団標識 師団標識 : 【左】正式 援部隊のほかに、この師団には、第 37 および第 38 装甲擲弾兵連隊があった。 襟章 : SSiä章 袖章 : Götz von Berlichingen 第 18SS 義勇装甲擲弾兵師団 ホルスト・ヴェッセル」 llorst WesseI ハンガリーおよびユーゴ 1944 年に スラビアの若いナチ党員の義勇兵を主 要兵力として編成されたこの師団の中 核は、第 1 S S ( 自動車化 ) 旅団だっ た。 1944 年 6 月にこの師団は、カーン での戦闘に従事し、さらにハンガリー とチェコスロパキアでも戦闘をおこな ったが、さいごにはソ連軍に降伏し た。この師団には第 39 および第 40SS 装甲擲弾兵連隊がふくまれていた。 襟章 : 突撃隊 ( S A ) 徽章 ( ルーン 文字の S と A を結合したも の ) 袖章 : 'Horst Wessel' 襟章 50 【右】選択用
0 第 9 S S 機甲師団ホーヘンシ = タウフェン」 師団標識 : 【左】正式【右】略式 lloll enstilllfell 1942 年 12 月に、第 10 機甲師団「フル ンズベルク」とならんで編成された が、両者で優秀な第Ⅱ SS 軍団を構成 した。第 19 および第 20SS 装甲擲弾兵 連隊がふくまれ、フランスとポーラン ドで任務についた 第Ⅱ S S 機甲軍団の一部として、 1 944 年 9 月にイギリス空挺部隊の降下 がおこなわれたとき、アルンヘム〔オ ランダ南東部〕郊外で再編成しており、 このイギリス軍の攻撃を撃破するのに おおきい役割りをはたした。 終戦時には、ハンガリーとオースト リアで、後衛として「アドルフ・ヒト ラー」師団および「ダス・ライヒ」師 団とともに、第 6 機甲軍に属していた。 袖章・ H0henstaufen 赤の風車を形どった変形 ( 1944 年のアルンヘムの 戦い以後 ) 師団標識 : 正式 42 黄色地にライト ・プルーの変形
くまれていた。この師団は、ベルリン 防衛戦で撃破された。 ℃ harlemagne ( 2 ) 2 枚の葉と剣 襟章 : ( 1 ) 4 本スポークの車輪 袖章 腕の楯形 : 'France' の文字を上部 にあしらったプルーと白と赤 の楯形ワッペンをシャルマ ニュ ( フランス第 1 師団 ) としてつけていた 第 34 武装 SS 擲弾兵師団 「ラントシュトルム・ネーデルラント」 Li1 Ⅲ 0 Ⅷ、血ⅶ オランダで編成され、その守備と警 察任務を担当した。この師団には、第 48 および第 49SS 義勇装甲擲弾兵連隊 ( オランダ第 1 および第 2 ) と、第 57 S S 義勇連隊 ( フランス第 1 ) がふく まれていた。 襟章 : 垂直もしくは水平のオラン ダ・ナチ党のシンポル ( 狼の 鉤といわれた ) 袖章・ 'Landstorm Nederland' 腕の楯形 : オレンジと白とプルーの すじ 師団標識 第 35SS 警察擲弾兵師団 第 35 師団は、 1944 ~ 45 年に治安警察 部隊 ('()rdnungsm)lizei') から募集さ れた第二の警察師団だった。 襟章 : SSiM 章 袖章 : 不明 師団標識 63
師団標識 団は、第 45 、第 46 および第 47SS 義勇 擲弾兵連隊および補助部隊をふくむ旅 団兵力に縮小された。 襟章・短剣をもつ腕と、エストニア・ スタイルの′ E ′の文字工ス 第 20 師団 工ストニア人部隊 襟章 トニア部隊はニ重のカギ十字 袖章 : なし 腕の楯形 : プルーと黒と白の水平の 帯もしくは 3 頭の黒獅子をつ けた黄金色の楯形ワッペン 第 21 武装 SS 山岳師団 シュカンデルべック」 ( アルバニア第 1 ) Sk Ⅲ血血 1944 年 4 月 14 日、この師団は、アル パニア・ナチ党メンパーを募集して編 成された。回教徒で構成される師団 で、脱走兵がおおく、早々に信頼性の 低いことをあきらかにしてしまった。 脱走率があまり高いため、エーゲ海沿 岸地域にあるほかの SS 部隊からの徴 集兵は、この師団を補強するために派 遣されたくらいである。しかしこの補 師団標識 52 強もけっきよくはむだで、この師団は ついに解散され、その兵員は第 21 山岳 擲弾兵連隊「シュカンデルべッグ」に 編入された。この連隊は、第 7 師団と ともに、ユーゴスラビアで残忍な戦闘 に従事した。 兵員のうちいくらかは、新しく編成 された第 32 師団に編入されたようであ る。 襟章
戦闘、輸送車両につけられた師団標識は、下 地の色によって白または黒の線でかかれた Theodor Eicke 袖章・【上】第 6 装甲擲弾兵連隊テオドール・アイケ 【下】 1943 年以降、将校用「髑髏 1940 年、フランス戦線で戦闘中の警察師団の迫撃砲チーム陸軍型の上着に、 襟章には ss 徽章ではなく、警察をあらわす棒状のマークをつけている
襟章 ( 第 27 師団 ) 第 27 義勇擲弾兵 第 26 擲弾兵 師団標識 師団標識 第 26 武装 SS 擲弾兵師団 ( ハンガリー第 2 ) 1944 年 8 月に反共的ハンガリー人で 編成され、ソ連軍と戦闘したというこ と以外に、この部隊については、情報 ははとんどない。第 64 および第 65SS 義勇擲弾兵連隊と、第 85S S 義勇軽歩 兵中隊で構成されていた。 襟章 : 未確認 袖章 : 不明 第 27SS 義勇擲弾兵師団「ランゲマルク」 璢ⅧⅢ k 旅団以上の兵力になったことはなか ったが、この部隊は、終戦時には名目 的に師団になっていた。もともと第 2 師団「ダス・ライヒ」に所属していた 第 2 S S 歩兵連隊「ランゲマルグ」だ ったが、 1943 年までには、最初のフラ ンダース部隊は旅団兵力までに拡大さ れ、「ランゲマルグ」突撃旅団として 知られるようになった。 この師団はロシアとポーランドで任 務につき、第 66 、第 67 および第 68SS 義勇擲弾兵連隊、第 27S S 軽歩兵大隊 および支援部隊で構成されていた。 襟章・、 3 本腕イのカギ十字 袖章・ 'Langemarck' 腕の楯形 : 後足でたちあがった黒獅 子をあしらった黄色い楯形ワ 第 2 S 義勇装甲擲弾兵師団「ワロニエ」 W ⅶ 0 血 この師団は第 2 ベルギー師団で、も との外人部隊である「ワロニエ」の生
【左】フォン・シャールプルク ss 少佐。第ニボタンにニ級鉄十字章の略授、左 胸ポケットに一級鉄十字章をつけている。のちに「一ダンマルク」義勇軍の指揮 官。ロシア戦線で戦死【右】おなじ部隊のマルティンゼン少佐。腕に国名を示す 楯形をつけていない。 師団標識 袖章 : 円形カギ十字 【左】正式【右】変形