クルスク - みる会図書館


検索対象: 焦土作戦
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1. 焦土作戦

はじめに ロシャへの進撃『。 ( 化 ( ロッサ作戦』は、スタリングラートで終わった。だが、ウォルガ河畔での 第六軍の壊減は、今日考えられているようなドイツ軍敗北の転機ではなかったのである。スタリング ラートはドイツの征服遠征の最終駅で、ロシャ戦の転機をもたらしたのは一九四三年夏のクルスク戦 であった。それゆえに筆者は、ロシャ戦の二大局面をなお明らかにするため、クルスク戦を『焦土作 ドイツの敗北はクルスク 戦』のはじめにもってきた。ドイツの征服はスタリングラートに終わり に始まるのである。 一九四二年末から一九四三年七月にかけての諸戦闘を筆者は、クルスク戦の章のあとで扱った。こ のため時間的な前後関係は逆になってしまったけれども、読者はスタリングラートとクルスクの間の 諸戦闘の意義と劇性をより良くとらえられるはずである。スターリンはドンとド = = ツの間のこの戦 いで戦機を決しようとしたが、フォン・マンシ = タイン元帥のすぐれた用兵のために阻まれた。もう 一度ドイツ軍作戦指導部には、舵の向きを変えるチャンスが訪れたのである。征服遠征から消耗戦へ しかしヒトラーは、前線司令官たちが熱心に説明し、効果的に実演してみせたことを理解しようと しなかった。彼はなおも一枚のカードにすべてを賭けつづけ、クルスク戦の暗号名である《城塞》作 戦によって一挙に挽回をはかったのである。 こうして東部戦はクルスク屈折部でその頂点に近づいた。双方は全力をあげてぶつかった。ドイツ の攻撃力、ソ連の防衛力、最新兵器、狂信、用兵技術、計略と裏切りがこの会戦にあつまった。ソ連 と

2. 焦土作戦

大挾撃 「こっちの空軍はどこだ ? 」チスチャコフはどなった。 「三個航空軍の一一五〇〇機は ? 最高司令部がクルスク屈 折部に派遣したはずだぞ。なぜドイツ空軍は予定どおり今 早朝基地で叩かれなかったのだ ? 」 そう、なぜか ? チスチャコフはまだ知らなかったのだ。 クルスク上空でのできごとを。ソ連空中戦力が致命的な誤 謬の犠牲になったことを。 もう少しでソ連軍はクルスク戦線背後のドイツ空軍基地 の奇襲に成功するところだったのに。

3. 焦土作戦

闘》と呼んでいるのももっともだ。 もちろんそれにはアメリカの標準型トラックの力があず しかしおかしなことに、クルスク戦はドイツ人の意識に かっていた 一九四一一年夏以来、アメリカは四三万四〇 0 は運命の戦闘とうつらなかった。スタリングラートのこと、 この〇台を供給していたのである。クルスクにおけるスターリ クルスクのことをだれかに別々に訊いてみるといい 一一つについての知識の差は驚くべきものである。だが、東ンの勝利にはアメリカも大きく手をかしていたのだ。 だが、物量の優勢といえども、新しい戦闘精神がはいっ 部戦の決め手になったのは、スタリングラートではなくク ていなかったらなんになろう。《祖国戦争》というスロー ルスクなのだ。いかなる意味においても / 赤軍は一九四一年から四一一年にかけての危機にもちこたガンのほうが、世界革命の防衛という古い気のぬけたテー え、主導権をとって、今度は打ち返す番にまわったのであゼよりも赤軍兵を奮起させた。 る。はじめてソ連側公式発表に自信があらわれる。「ソ連それでもドイツ軍指導部はこのしるしに気がっかなかっ た。彼らが赤軍についての誤てるイメージにどれほど忠実 軍はクルスク戦において、人員、資材につき敵を一一倍ない コをサール であったか、ソ連軍内の政治委員に対する誤認と中傷がよ し三倍うわまわっていた / 」 疑いはない。赤軍の顔は根底から変わっていたのだ。機く示している。戦争初期にはその役割はたしかにあいまい 甲兵力は新たに編成され、その背景にひかえる戦車工場はだったかもしれないが、クルスク戦以降は、そうではなく なってきた。兵と指揮官は彼らを、おろかな上司、ばかげ ドイツ戦時経済全体よりも強力であった。クルスク戦は ク型のソ連突撃砲の誕生したときでもある。それは自走すた官僚機構、卑怯な敗北主義から守 0 てくれる協力者とし て尊重するようになってきた。 ルる重砲だった。 ク だが決定的によくなったのは、まず戦略的・戦術的用兵、かって政治委員は督戦隊、残忍な政治狂信者とみられて 部 それもことに快速部隊のそれであった。これは機動的な作きた。一九四一年六月六日にドイツ軍最高司令部は、政治 第 戦と、予備兵力を危険地点〈送りこむ迅速さにあらわれて委員の捕虜を兵士とは扱わないようにとの重大な命令を発

4. 焦土作戦

ンカ会談で連合軍が提示した ^ 無条件降伏》はそれ以外のたちは猛反対だった。この作戦はとにかく夏期攻勢が時間 マンシュタインの戦略にこそ、確実な的に延期されたようなもので、その結果当然生じる危険の る選択を許さない ことを警告した。国防軍統帥部も大反対であった。情勢は 軍事的破局をまぬがれる唯一のチャンスがあったのだ。 耳一 しかし、アドルフ・ヒトラーにこの冷厳な事実を認識さ緊迫化し、西方戦線とイタリヤにせまる連合軍上陸作戦の ためほかの戦線で必要なのである。ヒトラーが警告をうけ れせ、その空想的計画を思いとどまらせるのが可能と考えた 者は、手ひどい失望を味わった。 一九四三年はじめに後退入れ、信念がゆらぎ、大きな賭けに尻込みするような日も と戦線短縮によって作戦・戦略予備兵力を得たとたん、彼あったが、やはり、もてるもののすべてを、クルスクの血 は熱病的な幻想にもどったのである。彼には予測能力よりの戦場に投入してしまったのである。 不遜心のほうが強かった。彼はふたたび攻勢に踏み切る気それがどうなったか、われわれは知っている。 ^ 城塞》 になったのである。ぐいと突出したクルスク屈折部、オリ作戦は失敗した。やっと苦労してつくり出した作戦予備兵 ヨルとビエルゴロトの間に張りだしたこの・ハルコニーは、 力はなくなり、最初の ^ 。 ( ンテル大隊群、 ^ ティーゲ ル》中隊群を含む新装甲戦力も、クルスク屈折部における 大挾撃作戦 ^ 城塞 > を発動させるにいたったのだ。 すべての予備兵力を、とりわけグデーリアンによって再ソ連巨大防衛陣との戦闘で溶けてしまった。 編成されたばかりの装甲兵力を、彼はこれに投入した。こ来たるべきものが来た。ソ連軍指導部は、マンシ = タイ れによってクルスク屈折部とその後方に集結したソ連軍大ンの忠告でヒトラーがやるべきことをやったのである。後 機甲兵力を、同時に一九四三年度ソ連軍中央予備兵力を殱手から打って出たのだ。クルスク戦がその頂点にあったと 減しようと望み、この一度の決戦で東部戦線の主導権を奪き、ソ連軍は、北から南へ進出中のモーデル軍の背後に対 し反撃に出た。クルスク戦線北部でドイツ軍の出鼻を挫き、 回できるものと信じた。それどころか、ひきつづきモスク その混乱を利用してオリヨル地区ドイツ第一一装甲軍戦線を ワ攻略をも夢みていたのである。 グデーリアン、マンシュタイン、モーデルその他の将軍突破したのである。 8

5. 焦土作戦

1943 年 7 月 5 日、ヒトラーはスタ リングラート壊滅に始まる勢を 一挙に挽回すべく、クルスクに大 軍を集結させた。《城寨作戦》発 動て、ある。 ①プトウォ高地の風 車。これがクルスク戦の一標点て、 ニエストルの橋の 手前て、の渋帯。

6. 焦土作戦

戦術原則に抵触している いったん決意をかためたならため快速部隊を引きあげることは、 ^ 城塞》の中止を意味 いかなる危険、いかなる誘惑によってもその決定されすると彼は考えた。 た攻撃目標から目をそらさす、作戦計画の原則に忠実たる マンシュタインは反対だった。「クルスク屈折部南戦線 べし での勝利は、手を伸ばせばとどくところにある。敵はほと シチリヤの連合軍上陸のためヒトラーが《城塞作戦 > をんど予備兵力全部を投入し、大損害をうけた。いまになっ とりやめようとしているのに、マンシュタインはあきれた。て戦闘を中止するとは、みすみす勝利を捨てるものだ ? 」 マンシュタインの見解では勝利はすぐそばだという瞬間な マンシュタインがクルスク南戦線の情勢を正確につかん のに 0 でいたことは、当時中将のソ連第五親衛機甲軍司令官で現 だが、クルスク屈折部での勝利は本当に望めたのだろう在元帥ロトミストロフの回想録から明らかである。ドニエ か ? ・マンシュタインの酒に水をさしたのはクルーゲだっ ッ上流におけるソ連軍がプライト装甲師団群の接近で「異 た。彼はクルスク北戦線のモーデルに情況をこう説明して常な脅威にさらされた」と彼は確認している。 いる。七月十一一日、テプロエ付近で突破作戦に出るかわり だからマンシュタインの提案ー・・ーモーデル軍は北戦線に に、大将は攻撃をやめ快速部隊を前線から引きあげるべき大兵力をのこして敵の動きを封じ、ホトとケンプフはその であった、と。 戦闘を続行してクルスク南方の敵兵力を撃減するーーは意 なぜか ? モーデルの背後、オリヨル屈折部の北戦線で義あるものだったのだ。いわば《城塞》のなかばを成就さ ちょうどその七月十二日にソ連軍が第一一装甲軍の戦列深くせるものであったのに。 侵入し、オリヨルを脅かしたからだ。 しかしこれについてもクルーゲは否といった。彼は第九 クルーゲはそこから、モーデルの第九軍はこの攻撃を支軍をその戦区においておくのは不可能と考え、戦闘を中止 えきれぬたろうと判断した。あとになってもむりだ。一一万して全部隊を出撃陣地へ後退させることを不可避とみなし 人の損失とオリヨル北方で深く突破したソ連軍を遮断するたのである。

7. 焦土作戦

オポャン クルスクへ日 m 5 。 G. 0 クルスク 南戦線 円 43 年 7 月Ⅱ日まで 0 、く 0 0 0 草原戦線の 作戦予備軍 ヾ V44 キ . き プロホロフカ 7 月 9 日まて グレス . ノエ 0 T01 も 0.3 0 テテレウイノ プ月 10 日より 4. . ウォルホべニエ 0 ルチキⅡ スイルツエウォ ルチキ 1 Y.GS 0 ヤ身ウレウォ ドウフ・ロラ ◎。 TO 「 k ( ペレソフ 0 7 月 8 日 10 km .0 2.0 ルに 1. ルシャウェッ べレソフカ 0 コロチャ タ ウェルヒネ・ オノレ、ネッ 2 4 0 4 ま P . シェイノ . 0 .0 0 ・ P 水 . ( ハウサー ) ( ホト ) 6 盞 トマロフカ ピエルゴロト ドイツ軍 ソ連軍 コ軍団 コ軍団 ロ師団 ロ師団 ( プライト ) ケンプフ 章支隊 地図 5 クルスク南戦線での戦いは , その開始時にはドイツ軍に勝算のあるものだ った。ビエルゴロト北部に , ホト大将の率いる第 4 装甲軍の 2 個軍団 ′くウノレ・ ハウサー将軍の S S 装甲軍団とフォン・クノーベルスドルフ中将の第 48 装甲軍団 ーーを配し , 南方には , 百戦錬磨のケンプフ軍支隊が第 4 装甲軍の側面を守り , そ の攻撃力はクルスク北戦線のモーデル第 9 軍よりもはるかに強力であった。その上 作戦面ではきわめて有能なホト大将が指揮をとっており , ソ連軍にとってはまこと に手強いものとなった。これらの装甲部隊の精鋭をもって , クルスク進出の最大拠 点ともいうべきオポャンへ進撃を開始したが , ドイツ軍攻撃を予測していたソ連軍 は必死の防戦につとめた。なんとしてでもドイツ軍のオポャン攻略を阻止すべく予 備の機甲軍団を投入 , さらに草原戦線正面軍からも続々支援部隊を差し向けた。 れに対抗するため , S S 装甲軍団がプロホロフカで迎撃 , ソ連機甲部隊を殲減した のちクルスク目指して北進することになった。ところが ss 装甲軍団の側面を援護 するため , ドニエッを渡り北進をねらうケンプフ軍支隊が , 思わぬ抵抗にぶつかっ た。同軍支隊は , ホトがウォロニエシ方面の機甲部隊を殲減する間に , 《草原戦 線》正面軍の第 5 親衛機甲軍の接近に対して , 側面を援護する重責を担っていた が , ソ連第 7 親衛軍の頑強な守りのため 7 月 9 日にはプロホロフカ東方で , これ ら新手機甲部隊の進出を阻止するという十算は大幅に狂ってしまった。このため第 4 装甲軍の右翼は , 重大な危険にさらされることとなった。 10 & 20

8. 焦土作戦

も利用し、日々強力になる敵に優勢な兵器と部隊をたたき そこに集結させていた。 これは危険な攻撃兵力であった。と同時に絶好の目標でつけねばならない」 ヒもある / この兵力を撃減すれば、赤軍は致命傷をうける将軍たちは多弁を弄して弁明する総統に一驚した。総統 はこの遅延が致命的なことを予測していたのだろうか ? ことになるのだ。 をヒトラーはこの考えに夢中になった。将軍たちもその計ひとり自分だけがいくども攻撃日時をくりのべてそれを招 冫冫いかなかった。クルスク地区の危険いたことを ? べ画に目をつぶるわナこ にを除けば戦線を短縮できる。つまり、他の戦線たとえばイ ヒトラーは完全な自信をもっていないようだった。話し 一タリヤに兵力をさけるということなのだ。 ているうちに総統の心がどこかほかにあるような印象をう カ のだが彼らは攻勢を承認するのに、出来るたけ早く打ってけたとホトは語っている。 一出るという条件をつけた。防御の名手ソ連軍にその攻撃力話が戦略問題に移ると、ヒトラーの雄弁の魔力が爆発し を強化させすぎないうちにである。そして奇襲モメントが あるうちに。 彼の計画はかんたんであった。いくども奏功した挾撃作 攻撃は遅くとも五月はじめまでとマンシ、タインは要求戦である。その作戦命令も簡潔であった。「攻勢の目標は、 していたが、ヒトラーはそのたびにためらった。またしてビエルゴロトおよびオリヨル南方地区より二個軍の密集せ も彼は二の足を踏んだ。七月のはじめではもう遅すぎるのる迅速なる出撃によりクルスク地区の敵兵力を包囲し、集 でよよ、、 。オレカ ? 奇襲モメントはまだあるのか ? 問題はこ中的攻撃をもって壊減するにあり」すなわち、ミンスク、 こだった。 ウマーニ、キエフ、ウィヤジマ流の包囲作戦なのだ。 喫茶室でのヒトラーの話は大部分、攻撃延期理由のこと フォン・クルーゲ元帥は北翼をモーデル大将麾下の第九 であった。「成功させねばならん / そのためには最新の軍にまかせ、オリヨル南部より装甲三個軍団をもって南東 重戦車、超重戦車を待っ必要がある。いかなるチャンスをクルスクへ進出させることにした。クルスク東方の高地で

9. 焦土作戦

クンヤイエウォ 25 イ グシャッコ 274 m グジャーック 1 〃 m , クセノフォン 425 クソレウォ〃 9 クサエウォ 150 クンェニ川 3 % , 396m 222 ~ 2 れ , 256 ・ ~ 261 , 149m , 150 , 35 ~ 62 , 97 ~ 99 , 索引・地名 5 クリチェフ 65m , 83m ~ 86 クリミヤ 15m , 62 , 144 , 153m , 159 , 161 , 167 , 169m , 175 , 176m , 179 , 295 , 296m , 〃 0 , 273 , 298 , 299 423 , 302 , 310m , 311 , 318 , 323 , 325 , m, 331 , 375 , 377m , 378 , 381 , 388m ~ 392 , 405 , 450 , 468 , 469 ・ ~ 472 , ~ 489 。 78 , 8 ム 87 , 102 , 215 , 244 , 245 , 360 , 365m ~ 367 , 3 , ~ 380 , 405 , 412 , 439 , 467 3 / 2 , 382 , 327 , クリミヤ戦 468 , 485 330 387 , 478 3 / 8 クタイン 414m , イ 32m , イ 38 グドフ 2 ~ 184 クニコフカ ( スタニチュカ ) 174 グ三レッ 29 , 30 m グニロイ・ティキテュ川 415 m , 422 , m, 440 ~ 446 グニロヤ 19 グナイカ溪谷 145 , 148 425 グナイゼナウ・ライン 472 , 473m , 474 , 477 , クパニ川 15m , 144 , 147m , 150m , 153m , 154 , 158m, 169m 。 365m , イ 14m , イ四 , 420 , 425 クパニ地区 98 , 145 , 147 , 149 , 156 ~ 159 , 175 , 295 , 302 , 318 , 325 , 327 , 468 , 469 。 22 れ クリミヤ北部戦線 472 クリムスカヤ 147 クリムスコ工〃 9 クリモウォ 275 クリュクウォ 121 クリン 120 , 136 , 139 , 265m グリンカ 468 グリンキ 85 , 86 クリーンス 102 140 , 149m , 232 , 365m , 413 , 414m , クピンカ 146 , 265 , 267m クベルレ川 122m , 126 クポロスノイエ 457m , イ 63 , クマ ( 川 ) 136 ~ 139 , 147m 。 グムラク 456 , 460 , 478m , 492 , 498m , 5 礙 , 505 グライウォロン 304 , 309 クラスチャティク 376 クラスナヤ・ポリャーナ 139 , 254 , 257 421 ~ イ 23 46 イ , 470m 414m , 432m 482 , 483 , イ 88 , 142 , クルイジュ 425 , イ 26 , イ 28 , イ 35 クルガンナヤれ 9 クルグロフスカ 72 , 75 , 76 クルゴソル 426 グルジェウォ 357 グルジェフカ 388m , 396 , 397 クルスク 169m , 176m , 187m , 201 ~ 203 , 209 , 426 , 44 り グルジャ ( 軍道 ) 365m , れ 3 , イ m , イ 21 , 210m , 295 , 296m , 300 , 43 , 1 〃 m , 364 , 365m , 301 , 310m , 39 イ , 45 , 86 89 , 92 , 42 7 396m クラスニ・ポチノク 42 m , 51 クラスヌイ・オクチャプリイ 21 クラズヌイ・ポル 244m , 250 , 251 グラスイリ 283 , 283m クラスノグラート 176m , 183m , 186 グリゴロフカ 343 , 346 , 347m ~ 354 , 369 クリウオンエイノ 128 381 , 388m , 394 , 401m 。 95 , 96 , 229 クリウオイ・ローク 330m , 337 , 375 , 377m , 430 247 , 414 , 419 , 421 , 422 , 423 , 173 , 175 。 クラスノダール 15m , 145 ~ 158 , 158m , 169m , クラスノジェルカ 401m , 409 クラスノグワルジェイスク 182 , 2 似 ~ 203 クラスノエ・セロ 207 , 213 189 ~ 195 , 205 , 498 187m , クラスノアルメイスコ工 183 m , 185 , 478m ~ 480 , イ 98 クラスノアルメイスク 450m , 457 , イ 58 ~ イ 60 , クルスク屆折部 13 ~ 15 , 70 , 72 , 73 , 82 , 83 , クルスク作戦 88 クルスク戦 25 , 32 , 38 , 110 , 112 , 135 , 315 , クルスク北戦区 56 , 72 , クルスク南戦区 41 , 43 , グルスコ工 388m , 407 27 , 84 , 47 , 331 76 , 44 , 498 。 66 , 107 100 , 91 , 56 , 65 , 93 , 68 グルーホフ Z05 , 1 肪 , 111m クルホル ( 峠 ) 145 。 425 , クレストウィ 293 m , 297 クノッキー 478 , 479 , 493 グレスノエ 59 m, 60 クレプイジェフ 114 クレプニノ 307 グレベンカ 343 グレポフカ 159 ~ 161 , 161m , クレメンスカヤ 450 , 473 165 , 167 , 169m クレメンチューク 176 m , 178 , 310 m , 322 m , 329 , 330m , 342 , 377m , 381 , 400. 95m 586

10. 焦土作戦

第 1 部クルスク戦