確地司令には警備および防衛部隊のみならず、当該確 地に存し、もしくは集合せる軍人、民間人が階級、職 ュ種を問わず従属するものとす。 確地司令は国防軍権能を有し、軍団指揮官に相当する 処罰権をもつ。その任の遂行のため移動軍事法廷を派 遣することあり。 確地司令本部は関係軍集団によりつくられ、成員任命 は軍集団要請により陸軍総司令部がこれを行なう。 確地要員は警備および防衛にわかれる。 警備要員は確地に常駐すべし。その兵力は軍集団総司 令官がこれを定め、確地の規模およびその任務 ( 防衛 準備、構築、敵小規模奇襲または局地的攻撃 ) によって異 なる。 防衛部隊は確地司令によって早期に招集され、敵の計 画的攻撃の前に防衛陣地を整備し、指令をうけるべし。 その兵力は確地の規模およびその任務 ( 確地の固守 ) に 応じて軍集団総司令官がこれを定める。 ^ 戦闘司令 > は確地司令の機関にして、後者によりて 設けられ、後者に従属し、後者より戦闘任務をさずけ られる。その階級は当該戦区における確地の意義およ び兵員の数に応ずる。その任務は精力的かっ沈着なる 将校を要求す。 《局地拠点 > の兵力はそこの意義および編成の可能性 に応じ、戦闘司令より上層部から命令をうけるものと す。 ^ 確地司令》および ^ 戦闘司令の任務、確地のリス 、軍集団より到着するはずの報告を添付す。 戦闘司令に関するこれまでの命令は、これをもって無 効とす。 アドルフ・ヒトラー ( 署名 )
録 付 ドキュメント 7 《確地》 総統 陸軍総司令部 Gen. St. d. H 、 0 や Abt. (I)Nr. 2434 、 44 ・ Kdos ・ 総統司令部一九四四年三月八日 総統命令第一一号 ( 確地司令および戦闘司令へ ) 諸情況より判断し下記のごとく命令す らゆる軍事的・非軍事的関に対し命令権を有す。 ゲーリング ( 承認署名 ) 大臣書記シュヴィンゲ ( 署名 ) 内容確認 : : : 少尉 ( 署名 ) 《確地司令》の指揮する ^ 確地》と ^ 戦闘司令》の指 揮する ^ 局地拠点》とを区別すべし。 ^ 確地 > はかっての要塞と同し役割りをはたすものと す。その任務は敵の当該戦略要衝占領を阻止すること にあり。包囲させることにより可及的多数の敵をひき よせ、それによって反攻の基礎をきずくべし。 ^ 局地拠点》は敵の突破に際し、戦区深くにあって頑 強な抵抗をつづける拠点たるべし。そこを主戦線に加 えることにより、防御の背骨となり、敵侵入にあたっ ては、戦線のかなめ、反撃の出撃地となるべきものな 確地司令 > にはとくにえらばれた不屈の軍人をあて、 将官が望ましい。任命は軍集団総司令官が行なう。確 地司令は総司令官を通じて軍集団に責任を負う。 確地司令は軍人たる名誉をかけ任務遂行にあたるべし。 軍集団総司令官のみが確地司令をその任より解き、確 地の使命を規定するを得。 確地司令は軍集団最高司令官もしくは当該確地を戦区 にもっ軍司令官に従属す。軍団指揮官に従属することう は許さず。
だがラインハルト軍にもはや昔日の戦力はなかった。兵ここで疑問が生じる。ドイツ軍統帥部が敵の兵力と意図 撃 力のほば三分の一を他の戦区にさかなくてはならなかった。をまるで誤算していたのは、どういうわけだろう ? 攻強力たった砲兵にしても、残っているのは半分にみたない。 ドイツ側がソ連軍指導部の大作戦計画を知らなかったこ 予備としては第一四歩兵師団とエ兵数個大隊だけ。後方にとは、おどろくにあたらない。ソ連軍最高司令部にはドイ は第一一 0 一保安師団と同一個大隊のみ。だが総統司令部はツのスパイがいなかったのだ。ドイツはゾルゲ博士をも あたかもすべてがもとのままであるかのように考えていた。 ^ ヴ = ルテルをも持たなかったのだ。だが、戦線のソ連 より少ない兵力でより多くの任務をーードイツ兵に不可能軍下級司令部の意図もわからなかったというのは、ひどく ・事 . は、ない′ . おかしい。ふつうなら空中偵察、脱走兵、有線、無線通信 ・フッシュ元帥はヒトラー指令にもとづき、第三装甲軍にの傍受で敵の戦術意図はかなりわかるものだ。傍受班はこ 命じてその三ないし四個師団、つまり全兵力の三分の一以の点で大した仕事をやってきたのに、なぜ一九四四年夏の 中央軍集団ではそれがまるつきりだめだったのか ? 上を《確地》ウイテ・フスクへ集結させた。反対してもむだ。 答えは当時 ^ 第一二白ロシャ戦線》参謀長・ボクロフス グロテスクな命令であった。 しかし、ラインハルトは何をすればいいのか ? 命令をキー中将の興味深き報告にある。ソ連軍の偽装工作につき うけている。問題はあるものの命令は命令だ。「ウイテ・フおどろくべきことが語られているのだ。たとえば前線部隊 スクを可能なかぎり強化し、四個師団より成る一個軍団をは攻勢の二、三日前まで防御工事をさせられていた。自軍 同要塞内に配置すべし」総統司令部は敵がこの町に攻めよが長期陣地線の準備をしているのだとばかり思っていた。 せ、三〇ないし四〇個師団をもって包囲にかかるものと確それも、ドイツの空中債察、スパイ、情報提供者・ーー・それ 信していたのだ。が、そうはならなかった / ドイツ四個にありうべき脱走兵ー・ーをたますためである。計画をかく 師の守る要塞わきを素通りし、せつかく集まった大防衛兵すため、高級の司令部でさえ厳重な機密規定が実施された。 力をだいなしにしてしまったのた。 作戦文書は特定将校だけが、それも手交することになって ) 10
てしまった。ブッシュ元帥はすぐれた部隊指揮官である。 マンシュタイン流の戦略的天才ではない。彼は北方部戦線 でながい間軍司令官 ( 第一六軍 ) として成功してはきたが、 将軍たる才を示すチャンスはなかった。それになにより、 ヒトラーに対し自説を通せる人物でなかったのだ。いくど もヒトラーの指令に屈した。ましな軍事的意図も反抗の芽 ミンスク司令部の戦況地図 * モーデルに火消しを * 生えも、ヒトラーの弁舌と政治議論に蹴ちらされてしまう 巨大な包囲陣 * 将軍たちを叱責するジュー のである。総統命令が軍集団の破局を招くと、ブッシュが 「自力で血路をひらけ / 」 * 戦死もしくは捕えられ その責任を負って追われた。当然のことながら傷心の極を た将官一二一名 * オストプロイセン国境にさしかかっ 知った彼は、黙って前線司令部を去った。後任は大いなる た戦争 * 突破してきたディールクス隊 ^ 守り屋》ヴァルター・モーデル元帥。中央部戦線と同時 一九四四年六月二十六日は水曜だった。オーストリヤ皇にもとマンシ、タインの南方軍集団、現在の北ウクライナ 工太子がセルビヤの無政府主義者プリンキープに暗殺された軍集団の指揮をもとった。モーデルの権威は東部戦線の半 ン三〇年目の日。それが第一次世界大戦のきっかけになった分以上におよび、開戦後ヒトラーがこれほどの軍事責任 カ ののだが、 、、ンスクとべレジナの間の各ドイツ軍司令部ではを一人にあたえたことはなかった。これは東部総司令官 集歴史的追憶にふけるどころではなかった。ミンスクの軍集 ( 0 ー 0 ) というマンシュタインの夢に近いものだっ たが、《遅すぎ》はこの処置にもあてはまるものだった。 央団司令部の戦況地図は見るもむざんであった。もはやまと 中 まった戦線なぞない。いたる所で突破されている。元帥は 周知のとおりモーデルは臨機応変の天才、鉄の神経をそ 8 ヒトラーに固持戦略をやめさせ、軍集団が機動的防戦に移なえた不屈の男である。ルジェフ、オリヨル、レニングラ 第 ートの大危機を克服したのも彼た。中央軍集団に迫る破局 れるよう努めたものの、電話のやりとりの間にだめになっ 3 突破 ) 17
パウルスがやったように。 きった部隊から勇気と希望をとりあげないために。この勇 スタリングラートの妖怪が首をもたげた。スタリングラ ス敢と希望こそは、脱出という冒険に突入するのになくては ートでも似たようにはっきりしない点があって、とうとう 力ならぬものなのである。情勢はホメロスがオデュッセイア = 第一二歌章で永遠にのこしたものと似ている。「ため息と脱出が遅れてしまい、遂にはあの破局を招いたのだ。それ ともに、われわれはおそろしき水道に漕ぎ入った。片方にに、今度も総統司令部はまだ脱出に対し首を縦に振ってい スタリングラートでのようにーー・脱出禁止 はスキ、ラが待ちかまえ、他方にはあらあらしきカリ = プない。いっ 指令が出るかわからぬのだ。緊張をはらんだ時間ではあっ シ、テンマーマンは何ごとか予感したにちがいない。脱 出にあたり援護射撃の強化を要求したほか、十六日夕刻に軍集団総司令官マンシ、タインは、ゴルディアスの結び 目をたち切った。条件とか思惑とか責任問題などをデスク は第八軍にこう打電している。「シュテンマーマン・グル からはらい落とし、二月十六日にシュテンマーマン将軍に ープは自己戦線前面の敵は突破できるが、第三装甲軍団前 あて、簡潔な命令を発したのである。「合言葉は《自由 > 、 面の敵中を突破することはむりと思われる」 あきらかであった。それが条件なのだった。すなわち目標はリシャンカ、二十三時」 脱出の前提条件として、一一三九高地左右につらなる丘第四一一軍団通信隊はそれを受信し、数分後、シュテンマ 陵上のソ連軍陣地の除去を要求する、ということなのであ ーマン・グループの参謀長フランツ大佐のテー・フルに運は る。この条件を満たそうとして第三装甲軍団は必死の努力れた。大佐はほっと息をついた。明白な撤退命令である。 をつづけたのだが、情勢利あらずして満たされるにいたらスタリングラートの二の舞いとはならなかったのだ。数日 なかったものなのだ。それをはっきりと話したら、シュテ来参謀部の書類箱にしまってあった脱出計画が、大急ぎで ンマーマンは出発したろうか ? それともためらって、待実行に移された。 ったろうか ? ちょうど一四カ月前、スタリングラートで脱出にあたって指揮をとる第四一一軍団の司令部はジャン
ドキュメント ドキュメント 6 《焦土》に関して 極秘命令 大ドイツ国家元帥、四カ年計画責任者 東部経済指導本部 V. P. 一一 207Z673 Rs. ライプチヒ街 3 ベルリン 四三年九月七日 国家機密事項 ( 四〇部作成のうち一三通め、八部写しのうちニ通め ) 東部占領地区における食糧経済生産力の収穫撤退および 処分について。 総統代理としてツアイツラー ( 署名 ) 陸軍参謀総長 内容確認 : : : 少尉 ( 署名 ) 総統指令にもとづき以下の如く命令す。 軍事最高指導部により定められたる線より東側の地区 につき、その時点における軍事情勢にしたがい、以下 の処置を講ずべし。該当地区は軍集団総司令官がこれ を定むべきものとす。 すべての農産物、運搬手段、農業機械は農業企業体 より撤去さるべし。 農産物加工工場は破壊すべし。 農業生産の基礎、とくに農業組織の施設 ( 倉庫その他 ) は破壊すべし。 農業生産に従事する人員は、定められたる線の西側 に移動さすべし。 Ⅱこれら処置の遂行には東部経済本部長シュタブフ将軍 を、経済指導本部代表としてあてる。遂行は最高軍事 司令機関の責任において行なわれるものなれども、後 者も経済関係諸機関の専門的指示にしたがうものとす。 Ⅲシュタブフ将軍は任務遂行にあたり、余の食糧長官バ ッケの指示に従うものなり。同将軍は任務遂行のため、 および撤収資材を占領地区・本国に移動するため、あ ③②
フォン・マンシュタイン元帥によってそこに投入されてい包囲された友軍を救わなくてはならない。そうするほかな ラるのだ。フーベ将軍はやってのけるだろうか ? フォアマ 。唯一の道なのだ。 のンは心配だった。だがそれがどうなるにせよ、彼の第四七 命令。電話。無線。夜中の一一時。計算し計画をたてると 2 装甲軍団はキロウオグラートが突破されるのを防がなくてころへ、銃声。戦車砲の轟音。飛行場の高射砲もほえはじ 中はならない。フォアマンとラインハルトはけんめいに計画めた。敵戦車 / 第四七装甲軍団司令部にはドイツのすぐ ブをねった。い しレ、カ ? ・ まとなってどうすれ、 れたスポーツマンが副官をつとめていた。ハッセ少佐。体 ニそのころキロウオグラート南方はひどかった。敵戦車は操の指導者で一九三六年ベルリン・オリンビックの金メダ すでに市の南西三〇キロに迫っている。彼らをルーマニャルをとっている。 や、一つだけ希望があっ 国境からさえぎるものはない。い ハッセが地図室のドアをあけると、ろうそくの灯は風で た。装甲擲弾兵師団 ^ 大ドイツがそこへ急行中なのだ。 消えた。闇のなかで少佐の声は落ちついていた。「閣下、 装甲師団 ^ されこうべ》がつづく。それがソ連第一八、撤退せねばなりません。敵戦車が町にはいりました。私が 第二九機甲軍団の側面を衝き、戦闘の土俵にひきずりこん司令部を守ります」 だ。しかし、くいとめられるだろうか ? グラウソドにいるかのように淡々とハッセは書記、伝令、 そしてキロウオグラート内部では ? そこでは一月八日通信大隊員を防戦に組織した。地雷、手榴弾、携帯火器。 にまだ三個師団がかこまれていた。第一〇装甲擲弾兵、第装甲軍団司令部部隊は対戦車兵器をもたなかった。 一四装甲、第三七六歩兵師団。総統から新たな命令が出て ソ連戦車は歩兵を鈴なりにして町なみをぬけ、家屋に砲 動けないのである。最後の一兵までそこを死守せよと : ・ 弾をぶちこみ、車両を炎上させ、目にはいるものすべてを それでバイエルラインの第三装甲師団だけが大胆な脱出狙い撃ちにする。第八機械化軍団の第六七戦車旅団が全兵 のおかげで、キロウオグラートの北の危機に対処できる立力で町を廃墟に変え、飛行場を攻撃したのである。 場にあった。突破してきたソ連機械化一一個軍団を撃破し、 フォン・フォアマンとその司令部は、最重要機密書類と
第 1 部クルスク戦 というので、招待や約束を断わることも稀ではない。い っそれは「ドイツ総統司令部より以下の指令あり」ではじま も外交官専用車両をつかい、たいてい荷物は黒の書類かば り、ドイツ予備軍の移動についての指令が述べられている。 んだけ。 さらに、「ドイツ軍指導部は、中央ロシャにおいて投入 三月一一十九日にそのかばんをのぞこうとする試みがなさしうる部隊の大半を、ウクライナにおけるドイツ軍集結の れたが、本人が異常に注意をくばっていたので失敗した。 完了以前に、敵軍へ向ける決意をしたり。この決意および かばんの写真を撮れただけだった。 その実行には重要な理由が在す。最も重要な理由は、東方 リコフをこえド それをもとにもう一つそっくりのかばんがつくられ、領へ前進せるドイツ軍陣地を、ドイツ軍が ( 事がつぎに旅行するときかばんをすりかえようということ ニエッ屈折部に進出する場合、ノウゴロトよりクルスクま になった。領事が改札をはいると、五人の《旅客》がさつで固める必要があるからである。ドイツ国防軍総司令部よ ととりかこみ、その一人が領事のわきをこすって通り、かり重要と目されるこれら作戦との時間的関連において、 ばんをもぎとった。もう一人がイミテーションをもって待ィッ軍指導部はーーモスクワ前面 ( カリー = ンからカルーガ ちかまえ、それをていねいに差し出した。しかしーー領事まで ) に可及的大量のソ連陸・空兵力を固定せんと意図す はイギリス外交官流に革かばんを細い鎖で手首に固定して ( 関係報告を参照 ) 」 これは当時成りつつあった一九四一一年度ドイツ夏期攻勢 見事な失敗であった / 作戦計画の中核部である。この報告の重要性を理解するに は次のことを知らねばならない。すなわちその三日前一九 これは偶然かもしれない そうだとすればぞくぞくす四二年三月一一十八日に、国防軍総司令部の日誌によれば、 るような偶然である。 ( ウザマン少佐はこのかばん騒動の夏期攻勢のための集結計画がはじめて総統司令部秘密会議 二日後、一九四一一年一二月三十一日、上司に一九四一一年夏期にとりあげられたのである。 攻勢に関する総統司令部の最新の指令を報告しているのだ。 この会議がどれほど秘密なものであったかは、国防軍国 107
途中、ドニエプルを眼前にして破局をまぬがれられぬわけ だ。これはまさに計算外であった。 南方軍集団司令部は、総司令官フォン・マンシュタイン の指令により、九月十八日から各軍に対し出来るだけ速か にドニエプルを渡り、その後は快速兵力をもって各鉄橋間 の危険な個所を守るべしと命令した。なにしろ当初河畔に 雨と泥土をついて * どちらが速いか ? * ワトウティ あったのは、補給部隊、修繕遜、教育中の部隊、野戦鉄道 / ーイエフの・ハルチザン部隊 * カ ンに打電するチャ。、 コマンドそれに少数の警戒部隊だけだったのである。泥沼 ニエフに警鐘 * サギが三度啼き * 夜の川を渡るポー のなかでの竸争だ / ト * グリゴロフカで渡ったソ連軍 * 。フリ。ヒャチの湿 原三角地帯でも * カニエフの橋 マッケンゼンの第一装甲軍はサポロジェ、ドニエプロペ トロフスク橋頭堡へむかって血路をひらき、よく睛れた九 土砂降りであった。あつい夏の後で、ウクライナの肥え月十九日、ヘンリーキ将軍第四〇装甲軍団司令部大隊はは た黒土は心ゆくばかり水を吸収した。かってほこりであっげしい戦闘をかさねたあげく、ドニエプロベトロフスク南 たものは泥濘となり、それがあたりを泥沼に変えた。道は方アントノフカで川を渡った。その二四時間後にはまた西 へ通れるどころではなく、膝までくる湿地と化した。トラッ岸からサポロジェ・ダムを渡って東岸の半円型サポロジ = レ カクは動けず、馬車はのろのろとしか進めない。重いトラク橋頭堡に引き返した。同橋頭堡は市街とダムをぐるりと取 ニターと無限軌道車両たけがなんとかなる。師団、連隊、大りまいている。第一七軍団の各歩兵師団はその東一一〇キロ 隊は行きづまった。「もう秋の泥濘期にはいったのか ? 」 にわたって張り出す突出部にあった。うまいことにそれま これが心配の種だった。今年はこんなに早いのか ? もしでソ連軍は偵察行動以上に出ず、レリュシェンコ中将第三 第 そうなら、ドイツ軍は念願の《。 ( ンテル陣地》への撤退の親衛軍の主力はまた遠かった。広いドニ = プル低地は平穏う 4 川までの競争
の注意と努力をもって行ない、最良の部隊、最良の指揮官、 大量の弾薬を各重点地区に投人すべし。各指揮官、各兵は 5 メ ュ 本作戦の重要性を肝に銘ずるべく、クルスクの勝利は全世 ドドキュメント 界へののろしたるべし。 これに関し以下のごとく命令す。 クルスク戦作戦命令 ( 瞿矗黯与 ) 攻撃目標迅速かっ猛烈に各軍はビエルゴロトおよび 総統司令部ーー一九四三年四月十五日 総統 オリヨル南方地区より出撃し、クルスク地区の敵戦力 を包囲殱減すべし。 陸軍総司令部 OK GenStdH, 00. Abt. ( 一 ) ( 陸軍参謀本部 ) Nr. 430246743 Kdos. Chefs. 攻撃過程において、ネスへガコロチャ地区 = スコロ 極秘命令ーー司令官専用ーー・運搬は将校によるべし。 ( 一三 ト / 工ⅱティル日シュチグルイスソスナ地区の線に、 部作成のうち四通め ) 兵力節約のため新戦線を設けるべし。 AOK 2 la 59 一 Z43 . Kdos. Chefsache E ぎ . 一 7. 4. 43 ( 2 A 三 a Do. 注意すべきは、 奇襲モメントを広範囲に守り、何より敵に攻撃時期 作戦命令第六号 をさとらせぬこと。 天候の許す限り速かに、本年度攻勢の第一波として ^ 域攻撃兵力をせまい地域に集中させ、すべての攻撃手 塞 > 作戦を決行す。 段 ( 戦車、突撃砲、砲、ロケット砲等 ) の局地的優 そのゆえに本作戦はすこぶる重要にして、迅速かっ的確 勢をもっていっきに両攻撃軍間の連絡をとり、包囲 に行なわれざるべからず。本年度春と夏の主導権をわが軍 陣を完成させること。 の手中に奪いとるべき作戦なるため、すべての準備は最大 攻撃の先鋒に対し可及的速かに後背地より側面援護 チタ