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検索対象: 片山敬済のすばらしいロードレース入門
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1. 片山敬済のすばらしいロードレース入門

同ューゴでの 5 位という数字 1 日 2 時間、 OOO キロを走る猛練習。結果は 5 位だったガ、掛け値のない成 績。僕はこの値打ちある順位 9 に光明を見い出した 6 あと数周のところで マシンがつぶれてしまった イギリス OQL 。シルーーストーンでは好調だった。 3 位をキープ。フレティよ り僕の方ガ速い″】とったとき、フレティガスルスルと遠さガっていく ⑦ 50082 フス初優勝の一瞬 4 年ぶりに、ボワの目の中でチェッカにガふられた。長い不調の果ての復活だ 数乃の観害の歓声、拍手ガスタンドをゆるガす。ホつは > サインを送った 圄スペンサーとの一騎打ち スタート直後ガら首位にたったスペンサーと 3 秒差。ヘルメットの中は焦熱地 獄。「もう少しでスペンサーをとらえる」。気ガつくと、コースの端に批け出 されていた 208 215 219 203

2. 片山敬済のすばらしいロードレース入門

最後の 1 周。目の前のチェッカー・フラッグが見えてきた。数万の観客の歓声、拍手がスタ ンドをゆるがせている。頭上にフラッグがはためいた瞬間、僕は両の . 手をあげて、サインを 送る。ついにやったのだ。 8 スペンサーとの一騎打ち スタート直後から首位にたったスペンサーと 3 秒差。ヘルメットの中は焦熱地獄だ・ 「もう少しでスペンサーをとらえる」。気がつくと、コースの端に投げ出されていた 前 3 年振りのの勝利を果した僕は、一度、故郷に舞い戻った。休暇の意味もあったが、戦 た場を離れて、もう一度、自分のレーステクニックについてじっくりと考えてみようと思ったか らである。 起確かにスウェーデンでは、勝利を収めることができた。しかし、だからと言って僕のレース 再 ぶりが、まったく非の打ちどころがないというわけではない。 章 4 具体的にはなかなか表現しづらいが、走り方の、ある部分に甘さがあると自分には思える。 9 その部分さえ詰めていくことができれば、僕は世界のトップライダーとして恥ずかしくない

3. 片山敬済のすばらしいロードレース入門

う。再び追い上げ、その差が 3 秒台から 2 秒台になると、また新たな周回遅れのマシンが目の 前に現れる。そのマシンを抜いている間に、ス。〈ンサーとの差が、また元に戻 0 ているといっ た具合である。 周回遅れのマシンをクリアするのは、ス。ヘンサーにしても同じことなのだが。 それでもラスト数周まで、僕は、賽の河原の石積みに似たアタックを繰り返し、激しくスペ へきへき ンサーに食いついていった。そのしつこいレースぶりには、ス。ヘンサーのビットも僻易したよ うであった。 勿論スポーツの世界に「もしも」という言葉は通用しないが、もう少しワイドなコースであ ったなら、スペンサーを捕えることができたかもしれない。 ただし、最後まで走ることができたらである。 サンマリノ。あと 6 周を残すという段階まで、僕はス。ヘンサーを追いまくった。 時は 9 月。イタリー北部にあるムジェロ・サーキットは、猛烈な暑さである。レーシングス ーツの中は汗でぐっしよりになっている。ヘルメットの中は焦熱地獄といっていい。頭からふ き出た汗が、たちまち湯気となって蒸発してしまうものすごさである。 「もう少しで、スペンサーを捕まえることができる。あと少しだ」 そのとき、リアがフワッという感じで滑った。

4. 片山敬済のすばらしいロードレース入門

ポールポジションは・スペンサーだが、彼以上に恐ろしい相手は・ウンチーニだ。スズ キに乗った彼は、今年誰よりも速く、かっ強い。スウェーデンが開催される前に、 既にワールド・チャンビオンに決定しているぐらいだから、圧倒的な強さである。 「ウンチーニをマークするーが、この日の僕の狙いであった。 スタート ! 同時に・スペンサーのマシンが後続車の波にのみ込まれ、次の瞬間置き去ら れてしまった。イグニッションのトラブルを起こしてしまったのだ。彼のマシンは 2 周目で、 早々にリタイアしてしまう。 トップに出たのはルッキネリだが、 1 周目後半には、・マモラが抜く。だが、僕は落着い ていた。敵はマモラではなくウンチーニなのだ。 3 周目、僕がトップの座を奪ったが、このままポジションをキープできるとは思っていな 4 周、 5 周と走行するうちに、僕の背中がある種の殺気を感じ始めた。 1 周目 9 位に落ちていたウンチーニがジリジリと追いあげ、いまや背後にビタッとくつつい ているのだ。 周目、スズキ震が、僕のマシンを外側から抑えると同時に、スーツと前に出た。予期 したことである。 216

5. 片山敬済のすばらしいロードレース入門

存在になれるのではないか。 レいかを考えるためであった。結論としては、走 日本に帰ったのは、その詰めをどうすれま、 ることによって体得するしかないのである。 僕は、年度の残りわずかのレースで、できる限り自分の走法を完成させようと、サンマリ ノへ向けて出発した。 サンマリノでは、スウェーデン ()5 の好調ぶりを持続することができた。 スタート直後から、首位にたったのは・ス。ヘンサー。 ( ホンダ、年度世界ランキン グ 3 位 ) であった。 スタートしてから、僕は、彼に 3 秒程遅れながらも、ビッタリとついて行った。 第 3 位を走る・マラモ ( スズキ震。年度世界ランキング 6 位 ) とは秒の差がある から、問題はない。 「毎周 0 ・ 2 ~ 0 ・ 3 秒ずつ詰めて行けば捕まえられる」というのが、僕の計算であった。 もくろみ だが展開は、僕の目論見とは少し違っていた。 確かに、毎周 0 ・ 2 ~ 0 ・ 3 秒ずつ詰めていくのは、簡単なことであった。 ところが、暫く走るうちに、目の前に周回遅れのマシンが現われる。コース幅はきわめて狭 周回遅れのマシンをかわしているうちに、トップのスペンサーとの差がまた開いてしま 220

6. 片山敬済のすばらしいロードレース入門

能しかないと彼女が踏んだかどうかは知らないが、その一言は大いに励みになった。 そんな時、イギリスのライダー、チャス・モーティマから連絡が入った。 「ヨーロッパのを伝戦する費用ぐらい出すスポンサーがいるから、走ってみないか」とい うのである。大いに食指が動いた。 1 回限りの人生なら、やりかけた仕事を完遂するのが悔い のない生き方である。 だが、突然に参加しようとしても無理である。にエントリーできるのは、当時、オ ーガナイザーに認めてもらわなければならなかったのである。たとえば、インターナショナル のレースで活躍するとか、前年の実績が優秀であるとか、とにかく目立った活躍をしなければ ならなかったのである。 僕の場合は、インターナショナルレースで、何がしかのポイントをあげなければならないの である。 そしてまた、スポンサーはに出なければ援助してくれない。 僕は家財道具一切を叩き売り、貯金と合わせて 500 万円の金をつくった。つまり、これが 全財産である。 妻と、メカニックをやってくれる友人 2 人、そして僕の 4 人は、 500 万円を持ってオラン ダに向けて旅立った。すべてをお金に変えてしまったのだから、もはや日本に引き返すことは

7. 片山敬済のすばらしいロードレース入門

である。そしてなにより、レースが好きなのだ。 100 万円残ったということは少なくとも行年度のレースに出られるということである。途 中でどうなるかは分からないが、最初から片道特攻などという危い橋を渡らなくてすむのだ。 走れるだけで、もう大満足″】 そこへ一つの幸運が舞い込んできた。オランダの ( ヤマハのディーラー ) の社長が、僕 の成績に着目してくれたのだ。 「。フライベート参加で 2 位とは仲々大したもんだ。スポンサーになるから走ってみないか。マ シンもいい奴を提供する」 願ってもない話である。 いいマシンとは ? 」と聞いてビックリ。新開発の 3 気筒エンジンを積んだマシンだとい う。 2 気筒が主流のところへ、 3 気筒で殴り込みをかけようというのだ。 正直言って、僕は不安であった。せつかく、総合 2 位の座を手に入れたのに、まだ開発中の エンジンを積んだマシンに乗るのは、元も子もなくすことになりはしないか。 しかし、よく考えてみれば、元も子もなんていうのがおかしい。最初から、そんなものはな いのだ。 失うものがなければ、こんなは強いことはない。