に違いない。 一度勝ったことは、僕に「勝てるのだ」という自信をもたせた。「今勝てなくてもいっか勝 てる , という気持ちが、僕を支えつづけてきたのである。 考えてみれば勝っということは、麻薬みたいなものである。一度味わったら忘れることがで きないのだから。 年は久しぶりに、その勝利の味を味わった。プロ・ライダー・片山敬済、カタヤマ・タカ ズミは、今年も来年も、世界のサーキットを走り廻ることになるだろう。 2 欠陥人間であることと、他者への思いやり 自分の人生。やりたいことをやり遂げようとするなら、他のことを犠性に しなければ 。人間みな、欠陥だらけ。それを理解して、それから 僕はオートバイで走ることに、無上の喜びを感じている。暴走族が「バイクこそ俺の人生す べてだ【と言うのと、 いささか意味が違うが、僕にとっても、レースが人生のすべてである。 このことは前項ですでに述べたことだが、だからといって、バイクに興味があるかというと、 228
あるレースでは、僕は殴り合いながらゴールインしたことがある。お互いのラインを譲らず に走っていたから、互いの肘はぶつかり合う。相手が手を伸ばして、僕を突き飛ばそうとし 1 た。これには頭にきて、僕も応戦する。 時速 2 0 0 キロのスビードでの決闘である。 殴り合いだから、互いにののしり合う。向こうは英語、こっちは関西弁で、チンプンカンプ ンだが、怒りをぶつけ合ってゴールに飛び込んだ。 まったくムチャクチャな話だが、聞いてみれば向こうのレースでは年中行事なのだという。 「もしその時、キミが、逃げてしまったら、相手は、次のレースでもやはりキミに襲いかかる。 つまり、本 目手の挑戦に応じる力がない奴は、大したライダーではないと思われてしまうのだ」 とレース関係者は説明してくれた。 僕が相手の挑発にのって殴り合いをしながらゴールに飛び込んだことは、僕自身を相手に認 めさせることにもなったのである。 レース後、喧嘩の相手が「アイム・ソーリー」と手を差し伸べてきた。「この日本人は仲々 見所があるな」と認めてくれた上での、和平会談だったのだ。 海外レースは、僕にとって、やはり驚くべき世界であった。日本のレース界のように、おし とやかで、甘いものではない。「前を走っているのが先輩だから遠慮してろ」とか「お前は新
2 「ほう、鉄リムやないか」それでも 3 位入賞 鉄リムのヒビ割れたタイヤを履いて出場。いきなり、予選でポールポ ジションをとった。本チャン、スタート /. だが、エンジンがかからな 。ケシ粒のような前車を追って爆走する ・ハイクの免許を取った 2 年後、つまり歳になった時に、 4 輪の免許を取り、フロンテ を買った。 例によって、半額貯金の半額融資というスタイルであったが、生憎、クルマ半台分の金がな 挑 そこでホンダを下取りしてもらい、やっとこフロンテを手に入れることができたの のだ。 へ この頃になると、少しずつオートスポーツの世界に興味が湧いてきたが、その興味の対象は 界 2 輪でなく 4 輪の世界であった。 走り仲間に誘われて、ジムカーナのレースに出たら、これが仲々にいける。 章 「お前、結構走れるじゃない。ひょ 0 としたらレーサーになれるかもなア、という友人の言葉 第 に、いささか踊らされた感もないではなかったが、他にこれといったとりえもない僕が、始め CO
と、鉄砲玉のような口調で指示し、 350 3 に乗って飛び出す。メカニックは言われたことを、 次のプラクティスに間に合うように処理しておかなければならないが、マシンをいじるのは、 しゃべるほど簡単ではない。 一個所をアジャストさせるためにあちこちいじくり回さなければならない。 「よし、セッティングできたぞ」と思った時は、僕は 350 8 の走行を終えてもどってきてい またまた鉄砲玉のような指示をして 250 8 で飛び出していく。 この繰り返しの間に時間の余裕を見つけるなんて、至難の技、いや不可能である。 トイレに行けないことは誇張でもなんでもない。朝一番に行かなければ、その日はジッとガ マンを決めこむしかないのである。 レースのない日は休養かといえばそうはレカオレ 、、よ、。次のレース場を目指してひた走る。昼に 夜をついで、徹夜で走り続けなければならないこともあった。 最初のうちは友情という言葉をかすがいにして、双方ともにガマンしながら、明日という日 を期待した。 だが、明日になってみれば、明後日に期待をかけるしか仕方ない状態なのである。毎日が、 目の前に餌をぶらさげて走るドッグレースの犬のような生活なのである。睡眠不足、疲労、空 る。
5 いよいよ待ちに待った雨の日のレース / どうしても雨の日のタイムが出ない。その時、ある先輩が教えて くれた。「インをなめるように走れ」。その意味は重大だった 年、僕はジュニア 2 5 0 3 部門でチャンビオンとなった。トータル・ポイント点で 2 位 に大差をつけての総合優勝だから、快勝には違いなかったのだが、僕自身には不満が残った。 天気のよい時のレースはほぼ満足がいくが、雨天の場合には走りがもうひとっビリッとしない。 雨の日に晴天と同じように走ることは土台無理にしても、他の選手の場合よりタイム差があ りすぎる。どう走ればいいのか、あれこれ工夫をこらしてみても、仲々満足のいく結果が得ら れなかった。 その頃のセニア・クラスに同じ関西の糟野雅治さん ( 現力スノモーターサイクル社長 ) がい た。彼は、当時、雨の中を走らせたら日本一と言われていた人だ。 かくなる上は、糟野さんに教えを請うしかない。だが、雨中走行のノウ・ハウは、糟野さん の企業秘密である。
自分が走りたい気持ちには、ごまかしがないし、言い訳をすることもない。体調がよくても 負ければ「体の具合がちょっと」と自分自身に言い訳をする。ところが、最初から体の調子が 悪いのは分かっているのである。それを言い訳の材料にするぐらいなら、最初からレースに出 なければいいのである。出た以上は走る。それだけのことだ。後半、僕のマシンはグングンと 。ヘースをあげ、 2 位でゴールすることができた。だが、問題はこの後である。 2503 に続いて 3503 レースに出場した僕は、結果として他のマシンを圧倒的にぶっち 切ってしまった。 2 5 0 3 で自信をつけたことも大きかったが、気分的にすべてを吹っ切ってしまったのがよ かったのだろう。マシンと自分自身の一体感。体のどこにも力が入ることなくマシンをコント ロールしていく。自分の意志で強引に走るのではなく、大きな見えないカでひつばられるよう にマシンは前へ前へと行くのである。 コースレコードでの優勝。そしてまた、行年のシリーズチャンビオンの座へ大きく近づいた 1 勝である。 考えてみれば、無茶な話である。そんなに無理をして万が一ということになったら、天上で 後悔するに違いない。しかし、僕は走ってしまったのだ。今思い出しても、苦しく、かっ、痛 快なレースであった。 116
ある。力を入れると頭の先まで痛みが突っ走る。誰の目から見ても走るのは無理だったが、僕 は我を通した。 なんとかオートバイによじのぼりメカニックにマシンを押してもらう。手は、やっとこハン ドルに添えるだけだが、ともかく走り出す。腕の自由がきかないのだからフォームもへチマも ない。ただシートにしがみついている状態でヨタヨタと走行する。 土曜日のプラクティスでも同じようなものだったが、徐々に痛みにはなれてきた。昼頃にな ると、マアマア様になった走行ができる。夕方の最後の。フラクティスでは、なんと、 3 位に食 い込むことができた。 いよいよである。肩にテープを巻いただけの僕は、まず 2503 のレースで走る。 ざレースの前半はひたすら不安であった。無理は効かないのである。転倒でもすれば、鎖骨の をポルトが飛び出してしまうかも知れない。だが、周回が進むとともに、不安が消え、逆に闘争 頂心がメラメラと燃えあがってきた。 界考えてみれば、僕は明らかに欠陥人間であった。本来ならば、レースを断念してもいい状態 である。 章 それなのに走るのはなぜか。 第 自分が走りたいからなのだ。 113
できない。 まさに背水の陣である。 。、ーツを買い求めた。レー オランダにつくやトラック 1 台、キャラバン 1 台、オート・ハイとノ スを行うための最低の投資なのだが、これだけそろえただけで 500 万円の金は、ほとんど底 をついてしまった。 「さあ、大変」である。 4 人が生活するためには、ともあれ収入を得なければならないのだ。 収入の道はインターナショナルレースだ。 しかし、そのレースに出るためにはオランダから千数百キロ走ったフランスのル・マンまで 行かなければならない。財布の中を見ると、その旅費すらないのである。 ざ僕は、こっそりと女房に打ち明けた。 を「フランス〈の片道分ぐらいの旅費しかないよ。なんとか予選をパスして、スターティングマ ネーをもらえば、やっと帰ってこれるけど」 界友人のメカニックに隠れるようにして、僕たちは額を合わせて相談する。 きゅうじよう 世 友人たちに話せば不安がるだけだから、ロがさけても窮状は明かせない。だが、こんな時、 2 女というものは、意外にフテプテしい。 第 「行くしかないじゃないの。じっとしててもお金がなくなるんだから」
・ワークス入り クラス。あれよあれよという間に、連勝。チャンピオン も獲得。ヤマハと契約し、プロライダーとしての第一歩が始まった 1 年ごとにランクをポンポンと駆けあがってきた僕は、年、 ( エキス。ハート・ジュニ ア ) に昇格した。 2 年前の僕には、クラスの選手は、みな別の世界の人々のように見えたものである。 一緒に走ったところで勝てるわけのない走り屋さんたちがたむろしているのが、だと思 っていたのである。 だが不思議なことに、いざそのランクになってみると、先輩ライダーと僕との間に、それほ ど力量の違いがあるようには思えないのである。カニは自分の甲羅に合わせて穴を堀るという が、ヤドカリは成長するとともに自分の体の大きさに合った殻を探し歩く。 僕の場合も、腕があがったから、それに相応しいクラスⅡ殻におさまったというわけだ。 とはいえ、実戦でどうか、自分自身では不安であった。練習走行のタイムが良かったにして も、レースは単なるスビード競争ではない。そこには、さまざまな駆け引き、作戦がある。 6 ヤマハ
「どうも胃の具合が悪いな。さっき食べたものが消化不良をおこしてるんやないやろか」 「このレース、賞金はいくらやったんかなア」 なんて、どうでもいいことが頭に浮かんできたりする。これは、少なくとも僕にとって、い い兆候ではない。交通標語なら「注意一秒ケガ一生」というところだが、レースの場合の注意 力不足は死に直結する。 もし、レースを中断できるものなら、止めて仕切り直しをしたいところだが、それは望むべ ~ 、もない となれば、走りながら自分自身を叱咤激励するしかないのである。 「クソー″】 ハカタレ / 」 「何やっとんのや」 ヘルメットの中で怒鳴りまくって自分に活を入れ、集中力を呼び起こそうとするのだが、な かなかうまくいかないもの。 ある時「アホーツ、イエーツ」と叫んだところ、吐いた息で、ヘルメットの中が曇って何も 見えなくなったことがある。この時は、大いにうろたえたが、それもこれも、レース直前の精 神的なウォームアツ。フ、集中力喚起の不足が原因である。常に。ハープエクトな体勢でレースに 臨めないのは、僕がまだ未熟なためなのだろう。 しったげきれい 130