ーンが四九七機、新鋭のスビットファイアはわすか三〇七 癶、、オしじそく しよきせいさんがた 機で、そのすべてが初期生産型のであ「た。最大時速ダ スビットファイア 1 が五六 はハリケーン 1 が五一二キ キ。にくらべると、互角の戦闘ではハ キ。で、Ⅲの五七五 丿ケーン 1 は、ます勝ち目がなかった。 ゅこっり・ じようけん このように、ぜったい有利な条件がそろったところで、 でんげきさくせんかいし こっきよう ドイツはポーランドの国境をこえて電撃作戦を開始し、 ぐん えんご ばくげきき 町川の援護をうけた爆撃機の群が、デンマーク、ノルウ ほんど 9 筒 オランダ、ベルギー、フランスそしてイギリス本上 へと進撃することになった。 しんえい 次々と組み立てられる Bf109 せんとう えきれいしきとうりつがた ラー・ペンツ DB-601A 液冷式倒立 V 型
ばーりき 一〇〇馬力をとりつけ * わんりようふん たが、これは燃料噴 第一うく - っ しやしき み、機射式で、高空でも、十 闘ぶんばりきだ 戦分な馬力を出せるのが とくちょう し試特徴であった。そし こうど て高度六〇〇〇で最 気簽 0 だいじそく 大時速五六五キロを出すサ たことができ、スビット なファイアに対しても有す りせんとうおこ 】型利な戦闘が行なえる見せ 原 込みがついてきた。武 きしゅ そう 装は、機首のエンジン の上に、七・九二 = 。機 ( じゅうちょうしゅよく 銃二丁と主翼に二〇前 もん きかんほう シリ機関砲二門であっ 第をサオ せいさんがた この最初の生産型 は、いちはやく一五機 がスペインに送られた うえ ゅう ぎしひだり もけい
第 2 部不滅の名戦闘機・スビットファイア ちょう ちょうへ きじゅう くうちゅうせんよわ りつけ、それまでの七・七ミリ機銃を八丁から四丁に減らし 一方、空中戦に弱、、 きようりよく かいぞ・つ かたあら せんとう た強力スビットファイアに改造した型が現われた。しか シュミットとの戦闘を避けて、敵の爆撃機をねらったが、 力し【り画う きかんほうちょうしわる こころばそ リケーンだけでは心細いため、スビットファイアも一し、はじめのうちは機関砲の調子が悪いため、改良に時 かん もん きかんほ、つ 力し げきてきかくがたまくげきき 山がカカり、ル又にたつようになったのは、くトル・オプ 撃で敵の各型の撃機を破壊できる二〇い機関砲二門をと プリテンの終わりごろになってか ん編らである。 やくしゅうかんはん 、、、機約三週間半にわたったダンケ くうぐん てったいさくせん 戦ルグ撤退作戦で、イギリス空軍は ドイツ機を一二八四機も撃墜した ケーンとスビットファイ きうしな アも四三二機を失い、この経験に じようしようりよくばうよ 〉 1 、トよ「 = 、も「と上昇力と防御 」一」ピカ 0 強」改造型を 0 くること」 ねんしようわ のなった。これが一九四〇年 ( 昭和 あら がっ ねん 」こ中十五年 ) 六月から現われたハリケ ン 2 と 、くトル・オプ・プー すがた 熱第テンの終わりごろに姿をみせたス ンビットファイア 2 てある。 リケーンは、なるべくメッサー てきばくげきき せんとうき ひがし げきつい ナいけん 125
せんとうき ソビエトのヤコプレフ Yak 3 戦闘機 ・メッサーものしりコーナー クランクの歯車 ( 小さい ) クランク・ ☆プロペラ軸から機関砲を発射 きかんほう ほうしんとお おお かた の多くの型は、プロペラの軸に機関砲の砲身を通 げんそくは した。そのしくみは、図のようになっている。減速歯 ぐるま あな おお 車でプロペラをまわす大きいほうの軸に、穴をあけて きかんほ・つ ま・つしんとお 砲身を通し、機関砲 まえ ん ~ 早 は、前から見て型に い銃〉弾 なっているシリンダー の間にとりつけた。 うえ また、エンジンの上 には、七・九 = 、リか一 きじゅうちょ・つ 一一・七い機銃二丁をと だんがん にりつけ、弾丸はプロペ はねあいだとお 中ラ羽根の間を通るよう れんどうはっしやしき に連動発射式になって らよう ケース は ? るま きかんはう フ。ロ - べラ きかんほう あいだ はっしゃ 62
第 1 部電撃戦のエース・メッサーシュミット 1 するものが少なくなった。 ぞうかねんりよう また、増加燃料タンクのかわりに、二五〇キロ爆弾をと あら せんとうばくげきき りつける戦闘爆撃機も現われたが、これは爆撃したあと せんとうき かつやく エンド・ラ は、ふつうの戦闘機として活躍できるヒット・ せんとうき こうぞくきよりみじか ン戦闘機で、もちろん航続距離は短かった。 きようか ぶそう このほかシリーズには、エンジンを強化したり、武装 さいしゅうがた カ かいぞうがた を変えたりした改造型がたくさんあり、その最終型は いじよう わんしよう ていさっせんとうき 9 偵察戦闘機で、以上の 4 以後の型は、一九四一年 ( 昭 っ だいかつやく せんしよき わんなっ 和十六年 ) 夏からの独ソ戦の初期にも大活躍した。 と くうぐんげきつい を くトル・オプ・プリテンで、ドイツ空軍が撃墜したイギ 弾 の 爆 リス機は、九一五機で、そのほとんどがひとり乗りの戦闘 ロ くうぐんげきつい キ 機であった。これにくらべてイギリス空軍が撃墜したドイ おお そうはつばくげき ッ機は一七三三機で、その多くは四 ~ 五人乗りの双発爆撃 そうはっせんとうき きゅうこうかばくげきき け下 の機とふたり乗りの急降下爆撃機あるいは双発戦闘機で、 体 わ そんがい ールの ルの損害は少なかった。工、 胴その割りにはエミー しゅうりおく わる ふじちゃくじこ はたら 働きが悪くなったのは、不時着事故や修理の遅れなどの ためである。 せつ ほんどくうしゅう メッサーシュミット が、イギリス本土空襲のために設 そうはっふくざせんとうき きロたとし、つメッサーシュミット Ⅱ双発複座戦闘機は、 どうたい の かた ばくだん せんとう
きりゆ・つ そうりゅうよくがたしゅよく げんかいそうない ひろはん 層流翼型主翼の限界層内の気流が、なるべく広い範囲 くうせんようごかいせつ そうりゅうじようたい かたよく にわたって層流の状態にあるように作られた型の翼。 ☆「空戦」用語解説 ていこう こうそくきてき よくがた ふつうの翼型よりまさっ抵抗がすくなく、高速機に適し じたいせん ねんたいしよっ ている。 インメルマン・ターン第一次大戦の一九一五年 ( 大正四 ゅうめい せんとうき ひげきだい じたいせんしよき わん 年 ) に、ドイツの有名な戦闘機パイロットである、インダンケルクの悲劇第二次大戦の初期に、ヨーロッパ大陸 こうあん きゅうじようしようはんてんとくしゅそうじゅうじゅっくう ふきんお えいふつぐん へいきぶつ メルマンが考案した急上昇反転の特殊操縦術。空 のダンケルク付近に追いつめられた英仏軍が、兵器や物 し ちゅうせんてつき ゅうり ちやくてん ひ一ほっ 中戦で敵機よりも有利な位置に逆転するための秘法と 資をすてて、イギリスに撤退したときのことをいう。 きと、つ ねんりようふんしやしき ねんりようちよくせつ して知られた。 燃料噴射式ふつうの気化器がなく、燃料を直接に気筒 - 一うく、つ おお りゅうせん ふんしゃ そうち しゆっりよく ほうしキ、 内に噴射する方式のエンジン装置。高空における出力 エンジン・ナセルエンジンまわりの覆い。ふつう流線 くうき せいけい がいはん じてきしゆっりよくぞうか おお りてん 型に整形された外鈑でつくられ、エンジンまわりの空気 の保持、一時的な出力の増加など、多くの利点をもっ ていこう こうぞうじようなんてんちょうせい けってん 抵抗をすくなくしている。 が、構造上の難点や調整のむずかしい欠点がある。 こうたいかくよく しゆたい やばね かくど はりがら - : っぞう こ、っせいギ、い がいめんせいけいざい こうぞうぶつ 後退角翼矢羽根のように後ろに傾きの角度をつけた翼。 張殻構造構成材の主体を外面の整形材においた構造物 ちうえ こうよくたんようどうたい こう」う 高翼単葉胴体に対して、翼の位置が上になっている単葉 体。モノコック構造ともいう。 ち けいしき けいしきどうたい しちゅうたか ひこうばくだんだい じたいせん むじん 型式。胴体から支柱で高く離して位置している型式を、 1 ジェット飛行爆弾第二次大戦でドイツが使った無人 がたこうよくたんよう どうりよく けんよくたんようちゅうよくたん ゅうよくひこうばくだん ハラソル型高翼単葉という。ほかに肩翼単葉、中翼単 のパルス・ジェット動力つき有翼飛行爆弾。 > 1 は、 ようていよくたんよう ほ・つふく′一う ほうふくごうだんどう 葉、低翼単葉などがある。 報復 1 号の意味。ほかに > 2 ( 報復 2 号 ) 弾道ロケット じゅんこう しゆっりよく じようじけい」くじようたい ばくだん 巡航スピードエンジンの出力が、常時継続の状態に 爆弾があった。 ひこうそくど さいだいしゆっりよく よあっこうぞうそうじゅうせき ちじようおな きあつじようたい おける飛行速度のこと。ふつう最大出力の六〇 ~ 九〇与圧構造操縦席をいつも地上と同じ気圧状態にしてお ちょうせつ こうとっ ぐらいである。 くように調節する構造。 し かたむ たんよう み てったい
第 2 部不滅の名戦闘機・スビットファイア 戦闘機があり、どちらもス 習ビットファイアの名まえの あたら ざ座一部をとって、新しい名ま 一えにしている シーファイアは、ひじよ かんじようせんとうき うにすぐれた艦上戦闘機 ちょうせんせんそう アで、朝鮮戦争では航空 かん しゆっげき せんとう 艦から出撃して、戦闘と ばくげきだいかつやく 爆撃に大活躍をした。 しんせつけい ス新設計のスパイトフルを かい挈 - う のかんじ、、うよ・つ 0 ' 造艦上用に改造したのがシ ーファングで、これはのち せんとうき にジ , ット戦闘機がっかっ * そうりゅうよくがた ちよくせん った層流翼型をもっ直線テ み、しト - ・つ 使 ーの翼を採用した。ア い空メリカではノースアメリカ せんとうき ンムスタング戦闘機が そうりゅうよくがた この層流翼型をつかって せいこう 成功している。 せんとうき 173
せつけい わんしようわ ねん れ、一九三七年 ( 昭和十二年 ) に起こったスペイン戦争に ハインケル社はをもとにして、さらに設計をやりな さんせん がっかんせい わんしようわ わん 川とともにが送られて参戦した。またアジアおしたを一九三八年 ( 昭和十三年 ) 一月に完成したが、 につちゅうせんそう にほんかいぐんちゅうもん しんがたき せかい せんとうき ばつぐんはや この新型機は、世界のいかなる戦闘機よりも抜群に速いス では日中戦争がはじまり、日本海軍の注文で一二機の せんとうきふなびんにつばんおく だ がっ よくねん かいぞうがた ビードを出し、翌年の三月には改造型がついに時速七四 Ⅱ戦闘機が船便で日本に送られた。 せかいそくどきろく 六キ。の世界速度記録をつくった。 機これに対して、メッサーシュミット技師も 戦負けてはいられす、をもとにして改良 設計したをつくって、その翌月、時速七 せかいしんきろく 五五・一一キロの世界新記録をつくった。この ケ とくべつきようりよく ン機体には、特別に強力なエンジンをとりつ イ くうきていこう け、翼を小さくして空気抵抗をすくなくし、 - : っそく あんぜんりちゃくりく とくべっせつけい し 高速でも安全に離着陸できる特別設計の十 用 どう じがたびよく じがたびよく 採字型尾翼をとりつけた。十字型尾翼とは、胴 した あんていばん やばね 最体の下にも安定板をとりつけた矢羽根のよう びよく 動な尾翼である。 せかいきろく じたいせんご 空 この世界記録は、第二次大戦後にジェット ッ イきやぶ 機に破られたが、。 ヒストン・エンジン機つき こうしき 建ひこうき げんざい ゃぶ 再の飛行機では、公式には現在まで破られてい けつきよく よ、。結局、ビストン・エンジンでプロペ 3 1 せんそう さいけん くうぐんさいしよ さいよう せんとうき しゃ ま きたい よくちい かいりよう よくげつじそく
スピットファイア最後の生産型となった F. 24 戦闘機 ゼいさんかた 162 着艦する瞬間のシーファイア 47 艦上戦闘機 かんしようせんとうき しゅんかん ちゃくかん
たたか であ「たのに対して、この 9 は五六六五機で、スビット かくがた ばんめりようさんき ファイア各型のうち二番目の量産機になった。 じたいせんこうはん 第二次大戦の後半に、フォッケ・ウルフ囲、、 および、メッサーシュミット町 0 (..D などを相手に、よく ようと ズで、その用途によって、 戦「たのは、この 9 シリー しゆるい 9 、 i--) 9 、 9 の三種類に大別された。 ちゅうこうどよう 中高度用の 9 は、マ ーリン 6 / 一五一五 ~ 一七一 ばりき さいだいじそく じつようじようしようげんど まん 〇馬力で、最大時速六五六キロ、実用上昇限度一万三四一 ぶそう ほ・つしき ばくだん 〇で、武装は、 O 、方式のどれでもよく、爆弾は四 五〇キ。までとりつけることができるという、スビットファ 一いこ、つ ばんのうせんしゅ かくと・つせいの・つ ィアのなかの最高の万能選手であった。さらに格闘性能 どくとく でんとう は、スビットファイア独特の伝統をうけつぎ、その実力 いじよ・つ ・一うく・つせいの・つ はフォッケ・ウルフ囲シリーズ以上で、高空性能はそ れまでとは逆に、メッサーシュミット 0 / を追いぬ くことになった。 かいはつじかん このようにして生産型は、 に移「たが、開発に時間 とくしゅこうくうよう しようす、つき がかかった 6 、 7 も、特殊高空用として、少数機で せいさん わんしようわ わん はあるが生産された。また、一九四三年 ( 昭和十七年 ) の夏 きた なんばうむ スが、北アフリカ、南アジ からは、南方向きのシリー・ やく せいさんがた たいべっ みなみ じつりよく なっ テンベストから発達したホーカー・シーフュリー艦主戦闘機 166